villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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六話「鬼狩りの完成系」

 

 

 ありとあらゆる悪行が常日頃から行われているここ魔界都市でも、ここまでの瘴気を感じられる場所は滅多にないだろう。

 殺気とはまた違う。その場にいるだけで肌をグズグズに溶かされていくような、耐え難い不快感が全身を駆け巡る。

 

 異界と化した噴水広場にて。

 野ばらは柘榴の隙を虎視眈々と伺っていた。

 鬼狩りの剣技は鬼の首を斬り飛ばす事に特化している。ほんの僅かな隙さえあれば勝負を決められる。

 しかしタチの悪い事に、柘榴も同じ流派を修めていた。

 多少内容は異なるものの、根本的なものは変わらない。

 両者、必殺の間合いは全く同じ。故に踏め込めない。あと一歩、踏み込めない。

 

 野ばらは焦らず、噴水広場をゆっくりと大きく回っていた。

 血で溢れている石畳をピチャリ、ピチャリと足音を立てて歩いていく。

 

 柘榴は今の野ばらより確実に強い。

 超越者として覚醒した彼女よりも尚強い。

 

 常人より遥かに研ぎ澄まされた感覚で、野ばらは柘榴の実力を感じ取っていた。

 過去に大嶽丸と死闘を繰り広げたあの時に近い。死と紙一重の、触れれば切れそうな程の緊張感……

 

 殺意と剣気を共に研ぎ澄ませている野ばらとは対象的に、柘榴は悠々と自分語りをはじめた。

 まるでクラシック・バレエを踊るかの様にクルクルと優雅に回りながら話しはじめる。

 

「鬼を殺すのが鬼狩りの使命……でも鬼って、どれ位の範囲までを指しているんですか?」

 

 小首を傾げなら問う姿は可憐としか言いようがない。

 そして紡がれた言葉は、心の底からの疑問のように聞こえた。

 

「人に害する鬼を指すのか、鬼という種族を指すのか……それとも、鬼に関連するもの全てなのか」

 

 フワフワと着物の袖を翻し、広場を舞う。

 闇夜に夜桜の柄が美しく映える。

 

 柘榴は唐突に、桃色の唇に隠されていた肉食獣のような鋭い犬歯を剥きだした。

 

「ぶっちゃけ、鬼ならなんでもいいんでしょう? 鬼っていう『都合のいい悪役』をぶち殺してスッキリしたいんでしょう? いいんですよ野ばら先輩、素直になって♪」

「……」

 

 ビキビキと音を立てて口元が避ける。

 鬼の血が活性化していた。

 

 彼女の言葉に野ばらは反応しない。

 聞く耳持たない様子だ。

 切れ長の目が冷たく柘榴を見つめている。

 

 しかし、柘榴はそんな反応を求めていたのだろう。意地悪そうに眼を細めた。

 

「いやーんごめんなさーい♪ 私ったら空気読めなくて♪ 難しい事考えたくないですもんねー♪ 鬼を殺してアクメキメたいだけですもんねー♪ オ○ニーの邪魔しちゃってすいませぇん♪ もしよかったら私の造った鬼ちゃんがいるんで、この場でキメちゃいますぅ?」

 

 左手指で輪を作り、右手の人差し指を入れる。

 性交を意味するジェスチャーだ。

 完全に野ばらをおちょくっていた。

 

「…………ハァ」

 

 野ばらはため息と共に口を開く。

 そして心底嫌悪した風に吐き捨てた。

 

「姿形、声まで似てるけど、中身はまるで別物ね。目と耳が腐りそうだわ」

 

 冷厳と放つ言葉は、珍しく感情が露わになっている。

 

「いやぁん♪ そんな意地悪言わないでくださぁい♪ 本当の事言っただけなのにぃ♪」

 

 柘榴は身悶えする。

 パッと可憐で、しかし悪意をたっぷりと含んだ美少女の顔に戻った。

 

 その言葉遣い、仕草の一つ一つまで不快感しか覚えない。

 野ばらは思わず舌打ちしそうになった。

 

 柘榴はクスクスと笑いながら、足元に転がっている若い女の生首に目をやる。

 それをコロコロと足で転がしながら話しはじめた。

 

「どうして皆、素直になれないんですかねー?」

 

 柘榴は野ばらに流し目を向ける。

 色っぽい、まるで男を誘う娼婦のような眼差しだ。

 彼女は天狗下駄の一本歯で生首を器用に宙へと跳ね上げる。

 

「誰かを助ける自分は素晴らしー! わかります♪ 大義名分の元、悪をブチ殺すー! 楽しいですよね♪ 変に飾る必要なんてないんですよ♪ 正義の形なんて人それぞれ。それをとやかく言うのは野暮だと思うんですよねー♪」

 

 リフティングの要領で生首を足の甲や爪先で玩ぶ。

 

「……呆れた。貴女は自分が正義の味方だとでも思っているの?」

「ええ勿論♪」

 

 屈託のない笑顔がまたも凶顔へと変じる。

 片足を上げ、足元に転がした生首に勢いよく踏み下ろした。

 瞬間的にか細い足が丸太の如く膨張する。

 どれほどの加重がかかったのだろうか、ドォンという轟音と共に石畳に縦横の亀裂が走った。

 踏み潰された生首はスプラッタになり、飛び出した眼球が野ばらの側を掠める。

 

「アハッ♪ ちょっと力込めすぎちゃった♪ ウフッ、アハハッ♪」

 

 血膿に塗れたその足は、何時の間にか白く細い少女のものに戻っていた。

 柘榴は浮かれた様に笑うと、大きく両手を広げて叫ぶ。

 

「鬼になってまで復讐を遂げたい! かっこいい♪ そんな人達を後押ししてあげたい! 私やっさしー♪ 許せない? 復讐したい? でも雑魚だからできないの? うんわかった♪ なら私が力を貸してあげるね♪ だから頑張って♪ ……って、背中を押してあげるんです♪」

「……」

「ねぇ、野ばら先輩……私、間違ってますか?」

 

 ドロりと濁った、正義という名の欲望が柘榴の瞳を満たした。

 

 言葉にならなかった。

 初代は、彼女の祖母は、まだ違っていたのかもしれない。

 彼女は当時の正義の在り方に絶望し、哀しみの果てにその身を堕とした。

 

 しかし、この女は違う。正義を語るだけの悪辣な化け物だ。

 存在し続ける限り怨嗟の鬼を生み出す、禁忌の存在だ。

 

 野ばらの背後に突如として三つの巨影が降り立つ。

 

「さぁ、欲求不満の野ばら先輩の為に用意してあげた鬼さんですよ♪ 即席ですけど、その辺の雑魚とはワケが違うんで♪ たぁぁっぷりと、楽しんで下さいね♪」

 

 柘榴は艶やかに笑いながら自らの指を舐めた。

 

(……これが、貴女の望んだ正義の形なの? こんなものが、貴女という鬼狩りの末路なの? 教えて頂戴……柘榴)

 

 その言葉は、心の奥に露の様に浮かんで、弾けて消えた。

 

 

 ◆◆

 

 

 鬼狩りの剣技の真髄は速さと鋭さにある。

 修験道の過程、山岳での厳しい修練で鍛え上げた足腰と常人離れした肺活量が、凄まじい剣撃を生み出すのだ。

 速さと鋭さの相乗効果。これにより、鬼の強靭な肉体を断ち斬る。

 

 修験道の開祖であり鬼狩りの原点、役小角(えんのおづの)は直弟子たちをこの修業法で鍛え上げ、強靭な肉体と精神力を授けた。

 それは人間が到達できる最高位の力であり、怪力無双の鬼たちに対抗できる稀有な力だった。

 

「我等は鬼を狩る刃。人類を守護せし不滅の刃。忘れるな。人である事に誇りを持て。確固たる信念を抱け」

 

 役小角はそう、何度も弟子たちに言い聞かせた。

 

 弟子たちの中には鬼に人生を狂わされた者もいた。

 当然、鬼に殺意や憎悪を抱く者もいた。

 

 しかし役小角は甘やかさなかった。

 負の感情で鬼を狩るなど、鬼と変わらない。

 

 己を律し、黙々と刃を研ぎ澄ませろ。

 そうして治世を護る断罪の刃となれ。

 

 歴代の鬼狩りたちは、皆誇り高き剣士であった。

 

 その在り方が汚されている。

 誰でもない、鬼狩りの末裔によって。

 

 認めてはならない、断じて……

 

 野ばらは決意する。

 斬り捨てよう。鬼狩りとして……。否、彼女の祖母の姉弟子として。

 務めを果たそう。

 

 野ばらは心に宿る焔の如き怒りを一呼吸で沈める。

 ただ吐き出すのではなく、力に変える。

 殺意と剣気と擦り合わせ、より鋭く刃を研ぎ澄ませる。

 

 相手は圧倒的格上だ。

 鬼狩りの剣術を完璧にマスターし、それを鬼の膂力で振るう怪物……

 

 正面から戦っては勝ち目がない。

 一瞬で決めるしかない。

 

 鬼狩りの剣術は格上殺し。

 たとえどんなに強大な鬼であろうと、勝機を見出だし確実に殺す。

 それで命を落とす事になったとしても、だ。

 

 野ばらは大きく深呼吸をし、超越者としての力を解放する。

 

雪月花(せつげつか)・表」

 

 呟くと同時にチンッ、と鍔鳴りの音が響き渡る。

 野ばらを囲んでいた屈強な鬼たちが真っ二つになった。

 頭蓋から股下まで一直線の唐竹割り──

 遅れて衝撃波が迸り、石畳に深い斬痕が刻み付けられる。

 

 あまりの速さと鋭さに時間が追い付いていなかった。

 

 鬼たちは決して弱いワケではない。野ばらを殺すためだけに改造された彼らは、軽くSクラスはあった。

 歴戦の殺し屋や用心棒でも苦戦するレベルだ。

 

 しかし、野ばらは更に強かった。

 覚醒した彼女は、以前とはまるで別人だった。

 

 ボトリと、生々しい音と共に何かが落ちる。

 柘榴の左腕だった。肩から先が丸ごと落とされていた。

 

「……あれ?」

 

 柘榴は首を傾げる。しばらくして、額にブワリと脂汗が浮かび上がった。

 

 ありえない。絶対にありえない。

 自分の方が遥かに格上の筈だ。身体能力、才能、剣術、ありとあらゆる面で勝っている筈だ。

 それを踏まえた上で、徹底的に優位な状況と立ち位置を築いておいた筈だ。

 

 しかしどうだ? 現実は。

 けしかけた自慢の鬼たちは一瞬で殺され、左腕は根本から断たれている。

 野ばらが動いたと認識した時には、既に左腕の感覚が無かった。

 

 利き腕を失った。

 動揺よりも怒りが勝り、柘榴は血走った眼で野ばらを睨み付ける。

 そして野獣のような咆哮を上げた。

 

「ふっ……っざけんじゃねぇぇぇぇッッ!!!! 何をしやがった糞アマァァァァッッ!!!!」

 

 化けの皮が剥がれた。

 悍ましい悪鬼の面があらわになる。

 

 野ばらは無言だった。

 ただただ仕込み刀を構えるのみだ。

 

 柘榴は怒り狂いながらも、何が起こったのかを全力で理解しようとする。

 

 野ばらが纏う神聖な気はただの霊力ではない。闘気や魔力でもない。

 もっと別の、自分たちにとって致命的な毒になる何か……

 

 柘榴はハッとし、思わず後ずさる。

 

「まさか……テメェが!! 死に損ないのアバズレ風情が!! おばあちゃんですら至れなかった境地に達したっていうのか!!」

 

 柘榴は知っていた。鬼狩りの最終的な姿を。

 役小角が思い描きながらも断念した、鬼狩りの完成系を……

 

 役小角は鬼狩りである以前に修験者だ。そして修験道の開祖である。

 修験道とは日本古来の山岳信仰に仏教、神道、密教、道教などを取り入れた『神仏習合』を旨とする日本独特の宗教。

 

 修験者は時に山伏と呼ばれ、霊山に篭り厳しい修業を行う。

 そうして悟りを開き、超人的な霊力と智慧を得る。

 

 話は変わるが、古来より山伏の姿で現れる妖魔がいた。

 彼等は神として崇められる事もあれば、魔王もして恐れられる事もあった。

 

 その名は、天狗。

 

 鬼と並び、古来より日本で語られる妖魔。

 彼等に対する見解は諸説あるが、現代で伝えられている天狗の服装は殆どが山伏のものである。

 

 役小角の別名は石鎚山法起坊(いしづきやまほうきぼう)

「天狗経」では四十八天狗に数えられ、日本八大天狗の中でも別格の存在として扱われている。

 現在では日本七霊山の一つ、石鎚山の守護神として本物の天狗として奉られていた。

 

 鬼狩りの完成系。

 それ即ち、大天狗に匹敵する力を得ること。

 それは膂力であり、精神力であり、霊力であり、神通力の体得である。

 

 神通力とは、仏教において仏や菩薩が持つとされる6種の超人的な能力。「六神通」とも呼ばれる。

 

 野ばらは現在、一部の神通力を使用できるようになっていた。

 

 その一つが、神足通。

 自由自在に自分の思う場所に思う姿で行き来できる力。飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜けなどをし得る力。

 

 野ばらはこれを用いて魔改造された鬼たちを斬り伏せ、柘榴の左腕を断ったのだ。

 

 あらゆる場所にあらゆる形で移動できるのであれば、渾身の斬撃を直接浴びせる事など容易い。

 

 これが、鬼狩りの終着点。

 断罪の刃を振るう、義の天狗である。

 

「チィィ……ッッ、ピエロがッッ!! はじめから狙ってやがったなァ!!」

「…………」

 

 焦燥しきっている柘榴とは対象的に、野ばらの表情は曇っていた。

 

 望んだ力ではない。

 本当は至りたくなかった。この境地に達する事を、師は望んでいなかった。

 彼は弟子に対して特別厳しかったが、それは優しさの裏返しだった。

 彼は、自分と同じ境地に弟子たちを至らせたくなかったのだ。

 だから剣のみを教えた。術式の類を一切教えなかった。

 

(ごめんなさい、師匠……でも、私はこの道を選んだ)

 

 力無くして大義は果たせない。

 野ばらは自分の意思でこの道を選んだ。

 

 野ばらの体から迸る圧倒的な霊力に、柘榴は滝のような冷や汗を流す。

 無自覚に後退りしていた。

 

 鬼の天敵だ。

 今の野ばらは、ありとあらゆる鬼の天敵だった。

 

 鬼の血肉を大量に宿している柘榴は本能的に理解してしまう。

 アレは戦っては駄目な存在だと……

 

 噴水広場にたむろしている鬼たちは、野ばらから溢れ出る霊力だけで浄化されていた。

 

 野ばらは仕込み刀を逆手に持つ。

 泣き喚く妖刀にありったけの霊力を注ぎ込み、身を屈めた。

 瞬間、姿が消える。

 

「ひぃぃッッ!!」

 

 柘榴は恐怖のあまり首を竦めた。

 一瞬で距離を詰められた。

 目と鼻の先、とまではいかないが、完全に懐に入り込まれた。

 鬼狩りの剣術の制空権とか、そういう次元じゃない。

 野ばらは柘榴を斬れる位置に移動し、柘榴を斬れる位置に刀身を置いた。ただそれだけ。

 

 一挙手一投足が鬼狩りの常識から外れている。

 対処できるものではない。

 

 泣いているのか、残った右手で顔を隠している柘榴。

 しかし野ばらは決して容赦しない。

 柘榴は先ほどの鬼たちと同じ様に唐竹割りにされる。

 

 …………筈だった。

 

「なぁんちゃって♪」

 

 恐怖で歪んでいた鬼女の面が、可憐な美少女の顔に変わる。

 彼女は泣いてなどいなかった。

 その眼は冷たく、まるで鮫のような無機質さを保っている。

 

 瞬間、野ばらの身体に三つの斬線が刻まれる。

 一つ目は左腕を肩からバッサリと、二つ目は額を割り、三つ目は野ばらの得物である妖刀をへし折る。

 生々しい音と共に血煙が舞った。

 

 野ばらは大きく後方に弾き飛ばされた。

 ……否、自ら跳んだのだ。

 でなければ絶命していた。

 

 かろうじて番傘を広げ、着地の衝撃を和らげる。

 赤い和ゴスの着物が消失した左肩からじわじわと別の赤に染まりはじめる。

 どうにか体勢を整えようとするも、足元が定まらない。

 

 ふらつく野ばらに対して、柘榴は甘ったるい声音で囁きかけた。

 

「どうです? 迫真の演技だったでしょう? うふふっ♪ ……あれ? 聞こえてません? まぁいっか♪」

 

 野ばらの呼吸が荒い。

 霊力を高めようにも、腹腔から冷気が忍び込んだかの如く生命力を奪われてゆく。

 柘榴の放った斬撃にはとんでもない邪気が込められていた。

 人の身には猛毒に等しい。

 

 額から流れ出る血が、無惨にもその美貌を汚していく。

 

 柘榴は無くなっていた左腕を瞬く間に再生させた。

 そしてにぎにぎと、拳を開いたり閉じたりを繰り返している。

 

 彼女はニヤニヤと笑いはじめた。

 

「雪月花・表……同じ技とはいえ、よく回避できましたねぇ♪」

 

 柘榴は番傘を広げ、上機嫌にクルクルと回り始める。

 

 そう、同じ技でなければ躱せなかった。

 鬼狩りの技、それも今しがた放った技だからこそ反射的に避けられたのであって、もしも他の技だったら躱せなかった。

 

 野ばらは足腰に喝を入れるものの、大きくよろけてしまう。

 視界がぼやける。意識が朦朧とする。

 大量出血と頭部へのダメージが深刻だった。

 

 たたらを踏んでいる野ばらに対して、柘榴は桃色の唇を下品に歪める。

 

「実は、私もその「領域」に至っているんですよ♪ 生まれたその時から♪」

 

 そう、彼女は鬼狩りの天敵。

 鬼狩りという存在を完全否定するために誕生した忌み子……

 

「まぁ、貴女はまだ使いこなせていないようですが♪」

 

 柘榴はたれ目をいやらしく細める。

 そして下品に舌を垂らした。

 番傘を閉じ、先端の天ロクロを野ばらに向ける。

 

「雑魚が調子乗んじゃねぇよ♪ バーカ♪ ねー? 野ばらせーんぱい♪ 天狗っていうのは神であり、魔王でもあるんですよ? 貴女に出来る事を、私が出来ない筈ないじゃないですかぁ♪ きゃっはは♪」

 

 その声は可憐でありながら、弱者如きがと嘲笑っていた。

 

 ケタケタと腹を抱えて笑う童姿の大魔縁。

 結われていた黒髪が弾け、解ける。

 野ばらは力なく膝から崩れ落ちた。

 

 視界が暗黒に閉ざされる。

 そこにあるのは絶望──その二文字だけだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 時は十分前まで遡る。

 大衆酒場ゲートで、ネメアはカウンター越しに腕を組んでいた。

 悩んでいる様だ。

 

「今回の案件、俺が手を出すのは無粋なんだろうが……嫌な予感がする。何か良からぬものが潜んでいる気がする」

「と、言いますと?」

 

 カウンター越しにウェイトレスをしていた美少女、黒兎が小首を傾ける。

 ネメアは煙草をくわえると、その先端を噛み潰した。

 

「時代の流れが急速に変わりつつある。それに伴って今までの常識が通用しなくなってきた。鬼狩りも、その例外ではないだろう」

「……」

「時代の変化は様々な弊害を生む。中でも一番厄介なのが悪人や妖魔の活性化だ。時代の変動によって生じる莫大な負のエネルギーを、奴らはまるでスポンジのように吸収し、力に変える」

 

 ネメアは実際に体験しているのだろう、苦い顔で煙草に火を付ける。

 そして紫煙を吐き出した。

 

「奴らは時として正義を喰らう。……胸くそ悪い話だが、正義が必ずしも勝つとは限らない」

 

 ネメアはふと、黒兎の悲しそうな顔を見てしまった。

 しまったと頭をかき、話を戻す。

 

「話を戻そう。俺が危惧しているのは、野ばらたち鬼狩りを取り巻く今の環境だ」

「環境……」

「鬼狩りと鬼……互いの力が拮抗している間は、まだ問題ない。が、こういう時期にイレギュラーが現れる。そして、そういうイレギュラーは決まって悪い方に生まる」

「……」

「今回の一件、色々と不可解な点が多い。怨嗟の鬼についても、どこか引っ掛かる」

 

 ネメアは紫煙を吐き出すと、腰に手をあてる。

 そして唸りながら言った。

 

「何かあった後では遅い……様子を見に行く」

「なら私が見に行きましょうか? 危険であれば野ばら先輩を援護します」

「いや、万が一がある。俺が行こう。数十分ほど店を空けるが、すぐに戻る。その間、店には最上級の結界を張っておくから、その間客たちを……」

 

「いけないわ、ネメアさん。これは私たちの問題よ」

 

 凛とした、それでいて確固たる決意を秘めた女性の声が響き渡った。

 ネメアも黒兎もそちらに振り返る。

 

 魔女が立っていた。

 鍔広のトンガリ帽子にコルセット、ロングスカート。ラバー製の長手袋に足元は拍車付きのロングブーツ。身に纏うマントは深い蒼をたたえている。

 

 黄金祭壇の魔女でも着ない、時代遅れの装束だ。

 顔立ちは可憐でありながら妖艶と、これまたある意味魔女らしい。

 

 彼女は長い黒髪を揺らしながらネメアに言う。

 

「あの子は鬼を狩る事に生涯を費やした。貴方の言い分もわからなくはない。だけど、信念を抱き、覚悟を決めた者の生き様を邪魔する権利はない筈だわ」

「……そうだな。なら行ってくれるか? 死音(しおん)

 

 死音……そう呼ばれた魔女は、優雅に、そして力強く微笑んだ。

 

「勿論。異世界の鬼狩りとはいえ、今はこの世界の住民。手を貸さない理由はないわ」

 

 死音。

 別名「音殺の魔女」。異世界に跋扈していた鬼の亜種、妖仏を退治していた狩人。

 特殊なエレキギターにより破滅の調べを奏でる、異世界の鬼狩りである。

 

 彼女はつい最近この世界へとやってきて、大きな事件を解決した後、ゲートのウェイレスとして働くようになっていた。

 

 ネメアは彼女に聞く。

 

「やけにタイミングがいいな? 誰からか連絡がきたか?」

「大和さんよ。デートの誘い以外でメールが来るなんて珍しいから……余程危険な相手なんでしょうね」

「なるほど……」

 

 ネメアは納得する。

 決して口には出さないが、大和は野ばらの事を高く評価していた。

 今回の対応は、ある意味大和らしいと言える。

 

 死音は不満げに唇を尖らせた。

 

「あの子ったら、鬼狩りの時は私に声をかけてとあれほど言っておいたのに……本当に困った子」

「お前が今日非番だったから……ってワケではないだろうなぁ」

 

 ネメアは困った顔で頭をかくと、死音に頭を下げる。

 

「すまない、アイツを助けてやってくれ」

「承ったわ。任せて頂戴」

 

 蒼いマントが翻る。

 死音はそのまま大衆酒場を去っていった。

 その背をネメアたちは見送る。

 

「これで問題ない……と思うが」

「問題ないでしょう。この都市で、いいえ世界で、彼女たちに勝る鬼狩りなど存在しません」

「……そうだな。大和も付いてるし、大丈夫だろう」

 

 ネメアは頷く。

 死音の言う通り、この事件は鬼狩りが解決すべき問題だ。

 

 これ以上のお節介は無粋だと、ネメアは干渉するのをやめる。

 どのような結果になろうとも、彼女たちの意思を尊重しようと思ったからだ。

 それが彼女たちの生きる意味であり、覚悟を決めた者たちの生き様だから。

 

 

 


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