villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

243 / 255
七話「絶対絶命」

 

 

 

 致命傷だった。

 額への斬撃は比較的浅かったものの、左肩を丸ごと断たれたのが大きい。

 出血多量。筋肉を締めて止血しようにも、断面を蝕む鬼の邪気が阻害する。

 

 野ばらは足元に転がる、左腕が握る愛刀を見下ろした。

 中心から綺麗にへし折られている。あれほど煩かった鬼への憎悪の念も、今は凪のように静まり返っている。

 

 殺されたのだろう。誰でもない、柘榴によって。

 彼女は鬼狩りの天敵。鬼狩りという存在を完全否定するために生まれてきた存在。

 人の悪意が生み出した大魔縁──

 

 このままでは殺される。

 柘榴の性格だ。なぶり殺されるのは容易に想像できる。

 

「…………スゥゥっ」

 

 野ばらは静かに、されど大きく息を吸った。

 五臓六腑に酸素を巡らせて、失われつつあった生命力を湧き上がらせる。

 

 彼女は目を閉じ、ある決意をした。

 

(……この身朽ち果てようとも、この子だけは殺す)

 

 鬼狩りは死を畏れない。

 鬼狩りは、鬼を殺すまで死なない。命ある限り牙を剥く。

 

 まだ右腕が残っている。

 地を蹴る両脚も健在だ。

 まだ、戦える。

 

 たとえ死ぬ事になっても、目の前の鬼だけは殺す。必ず殺す。

 

 命を懸けよう。今この時、この瞬間に。

 過去から現在に至るまで培ったありとあらゆるものを出し切ろう。

 

 野ばらは着物を破り捨て、左肩の根本を帯でキツく縛る。動脈を締める事で無理矢理止血してみせた。

 

 鬼狩りを侮る事なかれ。

 鬼狩りとは憎悪を信念に変えた誇り高き戦士。

 悲憤を胸に抱いて鬼を狩る断罪の刃だ。

 

 野ばらは全身から強大な霊力を溢れ出させる。

 無色透明な霊力は、彼女の鬼狩りとしての在り方の色彩化だった。

 

「シィィィ……っ」

 

 極限まで圧縮された二酸化炭素が口元から蒸気となって漏れ出す。

 

 野ばらは鞘でもある番傘を放り投げ、足元に転がっている左腕を手に取った。

 そして折れた刀を掴み取り、余った腕は放り捨てる。

 

 これには流石に柘榴も苦笑いする。

 

「うっわ、てきとー。いいんですかぁ? その腕。私みたいに元には戻らないでしょう?」

 

 柘榴はまるで見せつけるかのように左手を振るう。

 

「だからこそよ。もう必要ない」

 

 カッと両眼を見開き、目の前の悪鬼を睨みつける野ばら。

 柘榴はニタニタと、湿度の高い笑みを浮かべた。

 

「あれぇ? まさか、まだやるつもりなんですかぁ?」

「無論よ」

「やめときましょーよー♪ 互いの力量差はわかったでしょう? 貴女じゃどう足掻いても私には勝てません♪」

「だから?」

 

 野ばらにとって、この問答こそ無駄であった。

 

「鬼狩りが鬼を狩るのに命を懸ける……それの何が可笑しいというの?」

「……ふっ」

 

 柘榴は明るい笑みを冷たい嘲笑に変える。

 美少女の顔がまたしても鬼の凶顔に変じた。

 

「狂ってますよ、貴女」

「奇遇ね、同類じゃない」

 

 野ばらはその一言を皮切りに、全身全霊を以て飛びかかる。

 命を懸けて信念を果たそうとする熱き魂に、性別など関係ない。

 しかし第三者からすれば、これほど寒いものはなかった。

 

「一緒にしないでくださいよ……貴女たちみたいな鬼を狩る事でしか存在証明できない連中と」

 

 柘榴は白けた様子で左腕を薙ぐ。

 対して野ばらは渾身の力で折れた仕込み刀を振り下ろした。

 互いの得物が重なり、食い込み、その場の空間が一瞬にして圧縮される。

 

 瞬間、特大の爆発が巻き起こった。

 空間すら歪めてしまう両者の一撃は、その場にあるあらゆるものを余波だけで吹き飛ばした。

 

 

 ◆◆

 

 

 放たれている幾千万の斬撃は、予め置かれているものを現実化しているに過ぎない。

 六神通の内の一つ、神足通はあらゆる場所にあらゆる形で移動できる力だ。

 この程度、造作もない。

 

 鬼狩り独自の歩法に神足通が加われば、可能性は無限大に広がる。

 噴水広場だった場所が全て制空権となるのだ。

 届かぬ刃は無く、また避けれぬ刃も無い。

 

 神速かつ不規則な斬撃は、まるで旋風を纏い吹き抜ける鎌鼬。

 

 一進一退の攻防は続き、激しさを増すばかり。

 既に設置されている斬撃は、まるで夜空に煌めく天の川。

 ちりばめられた星の如き斬撃は、しかしその全てに意味がある。

 互いに全く引かない分、同数かつ同質量の斬撃を設置しているのだ。

 

 眩い火花が絶え間なく散り、鉄を潰す音が鼓膜を破る勢いで響き渡る。

 予定調和の如く、全ての斬撃が重なり合う。

 

 一瞬、場が静寂に包まれた。

 

 次の瞬間、爆発と共に噴水広場だった場所が消し飛ぶ。

 当たり前だ。超越者の本気の攻防に、一区画程度の土地が耐えきれる筈がない。

 

 しかし、ここにきて、彼我の実力差が顔を出してきた。

 

「ギア、もう一段階上げますね? 野ばらせーんぱい♪」

 

 柘榴は可憐に笑うと、一変して猛々しい面構えに変わる。

 何時もの醜悪な鬼の面ではない。

 武術家などが見せる、殺意と戦意に溢れた顔付きだ。

 

 柘榴の口元から圧縮された二酸化炭素が蒸気となって漏れ出す。

 埒外の殺意と憎悪を宿した双眸がギラギラと怪しく輝く。

 両腕を広げて全身の筋肉を脈動させるその姿は、ある男を連想させた。

 

 その男を野ばらは嫌悪している。

 が、認めてもいた。

 彼は世界最強の殺し屋であり、世界最強の武術家。

 鬼からも畏れられる鬼……

 

 かつて師が口にした言葉を、野ばらは今になって思い出す。

 

「奴は最古にして最強の鬼狩り。鬼神王「温羅」を打ち倒し、配下の鬼神諸共鬼ヶ島を沈めた魔人。今代まで「桃太郎」の名で伝わる、天下無双の豪傑じゃ」

 

 よく知っている。

 野ばらは彼より強い武術家を見たことがなかった。

 彼より恐ろしい男を見たことがなかった。

 

 故に硬直した。

 予想外だったのだ。まさか柘榴が彼の、大和の面影を感じさせるなど、夢にも思わなかった。

 

 刹那、されど致命的な隙が生じる。

 それを見逃すほど柘榴は甘くない。

 

 次の瞬間、野ばらの顔面に埒外の衝撃が叩き付けられた。

 とんでもない硬さと重さだった。

 あまりの威力に野ばらの意識はトんでしまう。

 

 蹴りだった。

 野ばらの顔面に柘榴が渾身の飛び込み蹴りを放ったのだ。

 

 神足通で野ばらの眼前に移動し、全身の筋肉繊維を一本一本捻り上げる。そうして生まれた規格外の螺旋力を、桁外れの強度の骨格に蓄えて解き放つ──

 

 大和を彷彿とされる凶悪な蹴りだ。

 

 野ばらは一気に数十㎞先まで吹き飛ばされる。

 通過した中央区の大通りを暴力的な風圧で削り、巻き上げる。

 突き抜ける衝撃は高層ビルを何本も押し倒し、中央区の地盤に亀裂を奔らせた。

 

 住民たちは何が起こったのかもわからず巻き込まれていた。

 絶叫が尾を引き、逃げ遅れた者たちは倒壊した瓦礫に生き埋めになる。

 風圧で千切られた手足が乱れ飛び、数秒遅れて大量の血の雨が降り注ぐ。

 一瞬で中央区の大通りが地獄に変わった。

 

 野ばらは高層ビルの一本に叩き付けられる事でようやく止まった。

 額の傷口が大きく開き、止血の為に巻いていた帯も解けてしまう。

 左腕の断面から再び鮮血が溢れ出てきた。

 

 その瞳に生気はなく、完全に意識を失っている。

 

「やっほーい♪」

 

 まるで流星の如く跳んできた柘榴が野ばらの腹に爪先蹴りを突き刺す。

 ボキボキと、骨が砕ける鈍い音が響き渡った。

 

 柘榴は更に蹴り足に捻りを加える。

 へし折れた肋骨がミキシングされ、野ばらの内臓をズタズタに引き裂いた。

 野ばらは致死量の吐血を宙に撒き散らす。

 

「きゃはっ♪ まだまだですよぉ〜♪」

 

 柘榴はそのまま野ばらの頭を掴み、引きずり回す。

 

「フフフ!! アッハハハハハ!!」

 

 哄笑を上げながら爆走し、並び立つ高層ビル群に野ばらを叩き付けて回る。

 時に顔面を地面にめり込ませ、舗装されたコンクリートごと抉りながら中央区を駆け抜ける。

 

 柘榴の通った後には瓦礫の山しか残らない。

 

 野ばらは霊力を練る事で辛うじて致命傷を免れているが、ビルの壁や地面には真っ赤な血の帯と捲れた皮膚がへばり付いていた。

 

「ほらほらほらぁ! さっきまでの威勢はどうしたんですかぁ!?」

 

 倒壊する高層ビル群。巻き込まれる住民たち。

 悲鳴も怒号も、柘榴の齎す圧倒的暴力に掻き消される。

 

 柘榴は天高く跳躍すると、既に満身創痍の野ばらを思いきり投げ飛ばした。

 数十㎞離れた場所で、視認できるくらいの大爆発が巻き起こる。

 まるで核爆弾の投下だ。

 特大の衝撃と風圧が柘榴のところまで伝わってくる。

 

 遠く離れた爆心地で──

 特大の土煙が舞い上がる中、野ばらは無意識に手を伸ばしていた。

 

 まだだ、まだだと手を伸ばしている。

 もう、そこには何もないのに……

 何本も千切れた指では何も掴めないのに……

 

 何と無惨な姿か。

 

 顔の皮膚は大部分がめくれており、頭皮ごと引き千切られている。

 周囲には皮膚の付いた髪の毛が散らばっていた。

 両足も、それぞれ明後日の方向を向いている。

 薔薇の様な少女の面影はどこにも無い。

 

 そんな彼女に、無情にも追撃がやってくる。

 圧倒的質量の何かが飛んできた。

 

 それは、高層ビルだったものだ。

 総重量50万トンを超えるソレを、柘榴は軽々と持ち上げ投げ飛ばしている。

 

 三本、四本、五本と、立て続けに投擲する柘榴。

 まるで投げ槍の様に軽々と放り投げているが、高層ビルと彼女を比べるとまるで蟻と電柱だ。

 

 規格外に過ぎる。

 

 野ばらは立て続けに高層ビルを叩き付けられ、瓦礫の山に沈んだ。

 特大の土煙が舞い上がる中、一瞬で数十㎞を跳んできた柘榴は余波で土煙を吹き飛ばす。

 

 野ばらが沈んでいる瓦礫の山の上に着地すると、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。

 

「ふふふ♪ 鬼狩りの技じゃあ私には勝てませんよ? だって、私は鬼狩りという存在を全否定するために生まれてきたんですから……♪」

 

 故に、悪鬼の闘法。

 大和の武術は武術にあらず。圧倒的な膂力に殺戮の技術を取り入れた総合戦闘術だ。

 しかし、それを再現するには力と技、何より天賦の才を必要とする筈。

 たとえ、それが見様見真似の劣化版だとしても──

 

 大和の戦闘術は大和という「戦いの天才」を基盤に造られている。

 故に凡人では再現する事すらできない筈だ。

 

 しかしどうだ? 今し方柘榴が披露した戦闘術は。

 劣化版とはいえ、明らかに大和の戦闘術だった。

 現に闘志の発露の際、野ばらはハッキリと彼の面影を見た。

 

 柘榴には大和の戦闘術の真似できるだけの膂力と技術、そして天賦の才があるという事だろう。

 

 ……このままでは終わってしまう。

 決着が付いてしまう。

 

 瓦礫の山に視線を落としている柘榴。

 不意に爆発が起こり、中から何かが飛び出てきた。

 満身創痍を通り越した野ばらが柘榴の首筋に噛み付こうとしていた。

 

 柘榴はそれを難無く避けると、彼女の腹を思いきり蹴り飛ばす。

 

 建造物を幾つも倒壊させ、何度も地面をバウンドしてから転がる野ばら。

 美麗な和ゴスは引き裂かれ、鮮血と砂利でボロ布と化している。

 

 その瞳に光はなく、眼窩からは血が滴っていた。

 このような状態でも柘榴に飛びかかっていったのは、ひとえに鬼狩りとしての執念である。

 たとえ満身創痍でも鬼は殺す。必ず殺す。

 

 それは、鬼狩りにとって一種理想像なのかもしれない。

 しかし柘榴をイラつかせるには十分過ぎる理由だった。

 彼女には、野ばらの在り方が酷く歪んで見えた。

 

 柘榴は虫の息の野ばらの傍に降り立つと、ゆっくりと片足を持ち上げる。

 

「さぁ、本物の鬼狩りは貴女でおしまい……不快なんでサッサと死んでください♪ その狂った正義ごと、この世から消えてください♪」

 

 柘榴の太ももが丸太の如く膨れ上がる。

 圧倒的質量の筋肉がメシメシと音を立てて、凄まじい力を溜め込んでいた。

 更に超濃度の邪気と腐敗性の毒気が練り込まれている。

 あんなものを振り下ろされれば、野ばらの肉体は間違いなく爆散する。跡形も残らない。

 

 柘榴は最後に醜悪な鬼の面を見せた。

 

「バイバイ♪ 野ばらせんぱい♪」

 

 そのまま勢いよく足を踏み下ろす。

 天狗下駄の一本歯が野ばらの顔面を潰す……筈だった。

 

 地面が陥没し、凄まじい轟音が響き渡る。

 あまりの威力にその場の地盤が崩壊し、周囲一帯に大地震を齎す。

 特大の風圧が吹き荒び、大きな瓦礫も宙に吹き飛ばす。

 その欠片もグズグスに溶け、崩れ、消失していった。

 

 致命的な一撃だ。

 あの状態の野ばらが耐え切れる筈がない。

 

 しかし、土煙が晴れて現れた柘榴の表情は怪訝そうだった。

 

 ふと、背後から鋭い気配を感じとり、やれやれとため息を吐く。

 

「一瞬、ビックリしちゃいましたよ。あんまりにも感触が無かったから……力を入れすぎて木っ端微塵にしちゃったのかなって」

 

 振り返り、容姿相応の、しかし悪意に満ちた笑みを浮かべた。

 

「誰ですか? 貴女」

 

 その声は可憐でありながら、常人であれば聞くだけで衰弱死してしまうほどの邪気がこめられていた。

 

 質問を投げかけられた女性は、紺色のトンガリ帽子の鍔を指先で持ち上げる。

 その手は黒いラバー製の長手袋で包まれていた。

 

「はじめまして、鬼の娘さん。私は死音(しおん)。異世界の鬼狩りよ」

 

 鈴を鳴らす様な声音で女性……死音は答える。

 

「へぇ……! 異世界の鬼狩りですか! フフフッ♪ 流石は魔界都市! 何でもありですね♪ まさか異世界の鬼狩りを目にする日がくるなんて、思ってもいませんでした♪」

 

 柘榴は驚きこそすれ、警戒はしていない。

 むしろ未知との遭遇に喜んですらいる。

 

 音殺の魔女──死音は背後に転移させた野ばらの状態を確認した。

 最早生きているのが不思議なくらいの状態だ。

 

 死音は彼女をこんな風にした悪鬼に冷たい眼差しを向ける。

 

「私のパートナーに随分と酷い事をしてくれたみたいね。手加減は必要なさそう……全力で殺してあげる」

 

 絶対零度の呟きを投げかけられても尚、柘榴の笑みは崩れなかった。

 

「くふふっ♪ いいですよ♪ 私も貴女を殺してあげますから♪ もう殺して欲しいって縋り付くぐらい嬲ってから殺してあげますから♪」

 

 両者対峙する。

 清廉な気と腐敗した邪気が激しくせめぎ合う。

 柘榴は不気味に笑いながら、歓迎するように両手を広げた。

 

 

 ◆◆

 

 

 所変わって、東区で一番人気を誇る娼館「暗黒桃源郷」の最上階にて。

 鬼狩りたちの戦いを観戦している者たちがいた。

 

「鬼狩りの娘は瀕死じゃな。異世界の鬼狩りが来ておらんかったらそのまま終わっておったぞ」

「あの鬼の紛い物、中々いい線いってんな。うちの下っ端共じゃあ歯が立たねぇ」

 

 美の極致、その体現者である妖魔王「白面絢爛九尾狐」万葉。

 そして現代最強の鬼神にして怪力無双の悪鬼、「酒呑童子」こと朱天。

 

 彼女たちは呪術を用いたホログラムモニターで野ばらと柘榴の戦闘を観戦していた。

 今の発言は、各々思った事を口にしただけだ。

 

 万葉は退屈げに欠伸をかいた。

 それだけで有象無象を黙らせる圧力がある。

 何せ、今の彼女は幼女の姿ではなく本来の姿だから──

 

 その美貌は傾世と謡われ、三国どころか世界そのものを傾けてしまう。

 あまりの美しさに表現できる言葉が見つからないほどだ。

 

 豪華絢爛な打掛を着こなす姿はまるで大奥。

 彼女は鮮血を彷彿とさせる真紅の眼を再度モニターに向けた。

 そして呆れと怒りを交えて呟く。

 

「あの鬼の出来損ない、よりによって大和様の技を真似しよって……気に食わん」

 

 万葉は不機嫌さを隠す事なく舌打ちする。

 

「まぁ、んな怒んなって姐御。たとえ猿真似でも、できるだけ大したもんだ。現に、鬼狩りのチンチクリンには効果抜群だった」

「……」

 

 特大の徳利を掲げて酒を呑む筋骨隆々の女傑。

 彼女……朱天はそう言いながらもモニター越しの光景を冷たく見つめていた。

 

「しっかし、皮肉なもんだな。鬼狩りと対峙するのが鬼狩りから生まれた鬼もどきたぁ」

「蓋をしていた汚物が溢れ出ただけじゃろう。その汚物に溺れるようであれば、所詮その程度の器だったということじゃ」

「厳しいねぇ」

「そういうお主はどうなんじゃ?」

「わっかんねぇよ、俺には。アイツ等が争ってる意味がそもそもわからねぇ」

「そうか」

 

 万葉は頷く。

 生っ粋の鬼である朱天に人間の価値観など理解できない。

 だが万葉は違う。

 

「仮に鬼狩りを正義だと宣うのなら……身内から出た汚物くらい飲み込んでみせろ、と言いたいところじゃのぉ。それすらできぬのであれば正義も何も語る資格なし。理想を抱いたまま汚物に塗れて溺死してしまえ」

「辛辣ぅ」

 

 そう言いながら、朱天はどうでもいいと思っているのだろう。

 早々に話題を切り替えた。

 

「で、どうするんだい姐御。今が調度いいタイミングなんじゃねぇのか?」

「……? 何が調度いいんじゃ?」

 

 心底といった風に首を傾げる万葉に、朱天は大袈裟に両手を広げる。

 

「介入するタイミングだよ! 今なら鬼狩りのチンチクリンを助けられる! そしたらネメアにデカい貸しを作れる! チンチクリンはどうでもいいが、ネメアの腕っ節は金じゃそうそう買えねぇ! 今がチャンスだ!」

 

 朱天の言う事はなるほど、理に適っていた。

 今、柘榴を倒し野ばらを助ければネメアに多大な恩を売ることができるだろう。

 ネメアは誠実な男だ。大事な従業員を助けた恩を決して忘れない。

 ここで野ばらを助ける事は、今後の東区にとって大きなプラスになる筈だ。

 

「……ハァ」

 

 しかし万葉は溜め息を吐いた。

 朱天は眉をひそめる。

 

「何だよ、俺が馬鹿だって言いたいのか?」

「いいや、お主の案は理に適っておるよ」

「なら」

「しかし、違うんじゃ。妾の求めているものは「それ」じゃあない」

「?」

 

 頭の上にハテナマークを浮かべる朱天に、万葉はわかりやすく説明した。

 

「ここで鬼狩りの娘を助ければ、ネメア殿に多大な恩を売れるじゃろう。それは確かじゃ。だが、これから先そういった機会が訪れないワケではない。しかし、鬼狩りの娘を殺せる機会は中々訪れない」

「……なるほど」

 

 朱天は納得して頷く。

 万葉は冷酷に笑った。

 

「あの鬼狩りの娘は危険因子じゃ。今後、我等の障害となりうる。だが、排除しようにも背後にネメア殿が控えておる。あの方の逆鱗には触れとうない。そこで、じゃ。妾達とは一切関係ない第三者があの鬼狩りを消してくれる。そういうのであれば、これ以上の事はあるまい?」

「確かに」

 

 流石、三国を傾けた大化生。考え方が違う。

 そう言いたげな朱天に、万葉はジト目を向けた。

 

「何を阿呆なフリをしておる。お主、わかっておって我に問うたじゃろう?」

「んー? 何の事かサッパリ」

「とぼけるな。大方、あの鬼の出来損ないが気に食わんから自分の手で始末したいとか、そんなところじゃろうて」

 

 万葉の推測を聞いて、朱天は参ったと両手をあげた。

 

「全てお見通しってワケですかい」

「主の立場と性格を考えば容易に想像がつく」

 

 やれやれと肩を竦める万葉。

 朱天はなんとも言えない顔で真紅の長髪をぼりぼりとかいた。

 

「ワンチャンぶちのめせるかと思ったんだけどなぁ……でも、そうだよなぁ。今後の東区の事を考えると、そっちの方が得だもんなぁ」

「まだ結果は出ておらん。わからんぞ?」

「ほぅ?」

 

 朱天は好奇の眼差しを万葉に向ける。

 

「姐御はこの状況で鬼狩りが勝つとでも? 参戦してきた異世界の鬼狩りも中々だが、大分厳しいだろうぜ。あの鬼の出来損ない、まだ余力残してやがる」

「そうじゃろうなぁ。このままだと鬼狩りは両方殺される。そう、このままなら……な」

 

 万葉は色彩鮮やかな扇子を取りだし、口元を隠す。

 そして言った。

 

「この勝負、どちらの猿真似が上手いかで勝敗が決まる。あの鬼狩りはその事に気付けるのか。気付いたとしても、認められるかどうか……楽しみじゃなぁ」

 

 悪辣な笑みを隠しきれない万葉を見て、朱天は思った。

 どっちみち、万葉の思い通りになるのだろうと。

 

 彼女には、この戦いの全てが見えているのだ。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。