Villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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八話「英雄を愛した獣」

 

 

 野ばらはまどろんでいた。

 此処が何処なのかもわかっていない。

 

 しかし、ひどく居心地がいい。まるで真夏の日の木陰の中にいる様な……

 先ほどまで全身を蝕んでいた激痛が、まるで嘘のようだ。

 

 何か大切な事を忘れている気がするが、思い出せない。

 

 まぁいいかと、野ばらはあやふやな思考を中断する。

 それほどまでに心地いいのだ。

 あと少し、このまどろみを感じていたいと思ってしまう。

 

 不意に、頭を撫でられた気がした。

 それがまた優しい手つきで、野ばらは安心感を覚えてしまう。

 

 彼女はそのまま気持ち良く眠りについた。

 

 一体、どれほどの時間が経っただろうか……

 

 すやすやと眠っている野ばらに声がかけられる。

 

「おい、起きろ」

「……ん……んんっ」

「起きろ、お嬢ちゃん」

 

 男の声だった。

 飽きれているのだろう。しかし声音から優しさが滲み出ている。

 

 野ばらはこの声に聞き覚えがあった。

 甘く低い、色気のある男の声だ。

 

「まだ休みたいってんなら、もう少し時間を取るが……いいのか? 此処に来たのは休むためじゃないだろう?」

「……ここ、は……どこ……? 貴方は……」

「説明してやる、だから起きろ」

「……っ!!」

 

 野ばらは飛び退くと、すぐさま臨戦態勢を取った。

 しかし、得物である仕込み刀がどこにもない。

 探している最中に、自分の肉体が完治している事に気がついた。

 

 ありえない。

 五体不満足までいった重傷が、まるではじめから無かったかのように治っている。

 

 そもそも、此処は何処なのか? 

 柘榴との決着はどうなったのか? 

 自分はどうなってしまったのだろうか? 

 

 まどろみで霞んでいた思考がクリアになる。

 高速で頭が回りはじめる。

 

 それでも、理解できない。

 

(私は、何時から此処にいたの……?)

 

 今いる場所は魔界都市ではない。

 澄んだ気に満ちた異界だ。

 一面の草原。それを撫でるように吹く心地のいい風。差し込む日差しは温かく、遠くには入道雲が浮かんでいる。

 近くには海があるのだろう、さざ波の音と共に潮の香りがやってくる。

 

 在りし日の、夏の思い出──

 

 人々の中にある普遍的な理想を具現化したような、そんな世界だった。

 

(どういう事……? 此処はどこ? 私は、死んだの?)

 

 表情には出さないが、酷く困惑している野ばら。

 そんな彼女に対して男が声をかける。

 

「安心しろ、ここは現世じゃねぇ。一種の精神世界だ。お嬢ちゃんは精神体になって此処にやってきたのさ」

「……貴方は」

 

 大木にもたれかかる、褐色肌の美青年。

 端正な顔立ちに灰色の三白眼。

 無駄なく絞られた戦士の肉体は派手な、まるで傾奇者の様な浴衣姿で彩られている。

 

 野ばらは彼を知っていた。

 容姿こそ若いが、間違いない。

 だからこそ驚愕していた。

 

 あまりにも綺麗過ぎる。

 その身も心も、邪気の一切を放っていない。

 まるで吹き抜ける一陣の風のような爽やかさ……

 

 驚いている野ばらとは対象的に、青年は落ち着いていた。

 片膝を立て、快活に笑う。

 

「その反応、現世の俺を知ってるみてぇだな。まぁ、あっちの俺とこの世界の俺は別人だと思ってくれて構わねぇよ」

 

 青年は野ばらを見つめる。

 その鋭い、猛禽類の様な灰色の三白眼で……

 

「俺は大和。と言っても、四大終末論を踏破した直後の「記録」だ。ある意味、全くの別人と言える。そんで、此処は阿頼耶識(あらやしき)。全人類が無意識下に共有している心の海……ようは東洋版のアカシック・レコードだ」

 

 説明を終えた彼……大和は片膝に体重を預ける。

 そして野ばらに好奇心に満ちた眼差しを向けた。

 

「俺の元に来たのはお前で八人目だ。「資格」は持ってるみてぇだが、まだまだ未熟。本来なら阿頼耶識に接続できねぇ筈だが……天狗の小僧が繋いでくれたみたいだな。感謝しろよ? お前の師匠はかなり弟子想いだ」

 

 野ばらは目を見開く。

 彼の言葉の意味が、驚くほど自然に理解できたからだ。

 

 風が、また吹き抜けた。

 

 

 ◆◆

 

 

 一方その頃、魔界都市では凄まじい激闘が繰り広げられていた。

 

 鬼殺のエレキギターが奏でる破邪の旋律が魔縁の姫を取り囲む。

 しかし彼女は妖しくも美しい舞を踊り、その全てを捌ききった。

 

 一進一退の攻防。

 

 音殺の魔女、死音の奏でる破邪の旋律は特殊な音質で世界の法則に干渉している。

 物理的な攻撃は勿論、魔法に似た属性攻撃、それどころか時間停止や運命操作など、一時的な概念干渉をも可能にする。

 流石に魔導師レベルとまではいかないが、死音自身の百戦錬磨の戦闘経験により、直接的な戦いであれば魔導師にも引けを取らない。

 

 対して魔縁の姫、柘榴は六神通という神々の権能一歩手前の力と、三代に渡り編み出した独自の鬼狩りの剣術と呪術で渡り合っていた。

 本来、この世界において初見殺しの性質が極めて濃い死音とここまで戦えるのは百戦錬磨の超越者くらいなのだが、生まれ持った天性の戦闘センスで全て有耶無耶にしている。

 まさしく怪物。

 

 唐突に、死音が激しいメロディーを奏ではじめた。

 ギタリストが見れば発狂するであろう、見事な指捌きで魔弦を弾く。

 すると、彼女の周りに曼陀羅のような陣が幾重にも浮かび上がった。

 それぞれが火、氷、雷の属性エネルギーが暴発寸前まで溜め込まれている。

 一つ一つが世界規模の天変地異に匹敵するエネルギーの塊を、死音は演奏で導き、混ぜ合わせる。

 そうして生まれた破滅的エネルギーを自身に纏い、突撃した。

 

 柘榴は面白いといわんばかりに口元を歪めると、仕込み刀にありったけの妖力と魔素を注ぎ込み、突撃する。

 

 衝突すれば、二人を中心に次元が歪み、空間が崩壊した。

 遅れて特大の爆発が巻き起こり、周囲一帯を無慈悲に消し飛ばす。

 星を砕かんばかりの衝撃が魔界都市を震撼させた。

 

 一瞬で最高潮に達したエネルギーは余波だけで落雷や暴風雨を発生させ、瞬く間に周辺地帯の天候を激変させる。

 

 地盤が大きく砕け、周辺の建造物を殆ど倒壊させる。

 崩れる高層ビル群の衝撃が甚大な二次災害を生み、荒れ狂う天変地異が畳みかけて辺り一帯を一瞬で焦土に変えた。

 

 住民たちの中には、手を合わせて神に祈る者がいた。

 何故自分たちがこんな目に合わなければいけないのか? 神よ、これは天罰なのか? と。

 逃げ惑う住民たちの中には、諦めて足を止める者もいた。

 

 そんな彼等を見て、嘲笑う者たちもまたいた。

 ちらほらといる強者たちからすれば、この程度の天変地異などそよ風に等しい。

 

 これが魔界都市の本質──

 理不尽のたまり場であり、矛盾の坩堝。適応できなければ死ぬだけ。

 

 救いなどなく、神などいやしない。

 いたとしても、それは宇宙の彼方からやってきた神を語る冒涜的なナニカだ。

 

 周囲が阿鼻叫喚の地獄になっている中、衝突した二人は一旦距離をとっていた。

 柘榴はニヤニヤと、粘度の高い笑みを浮かべる。

 

「いいですねぇ~、素敵な演奏にはギャラリーがつきものですよ♪」

「演奏がなくても、この都市は何時もこんな調子でしょう?」

「あらまぁ♪ それはそれは……素敵な都市ですねぇ♪ 永住したいくらいです♪」

「……こんな狂った宴を楽しむなんて、趣味が悪いわ」

「そうですか?」

 

 柘榴は妖しく微笑む。

 そして死音をなめ回すように観察しはじめた。

 

「しっかし、貴女ほど強い異世界人は中々いませんよ。こんなに強い人が異世界の鬼狩りだっていうのは、素直に嬉しいです♪」

「……その言い草、異世界人の事をよく知ってるようだけど?」

「ええ、お世話になっています♪ 人体実験の材料に最適なので♪」

「……」

 

 死音の唇が引き結ばれる。

 柘榴の笑みに狂気が滲んだ。

 

「表世界だと屈強な実験体が手に入り難いんですよ。その割に厄介な連中が多いですし。かと言って魔界都市の住民だとイキが良すぎる。となると……異世界人が丁度いいんです♪」

 

 柘榴は恍惚とした表情をする。

 人体実験をしている時の事を思い出したのだろう。

 

「異世界人、特に魔術などが日常化している世界の住民は素晴らしいんです♪ そもそもの個体値が優秀なのかな? 仮に駄目になっちゃっても、良質な材料になってくれますからね♪ 足りなくなったらいくらでも補充できますし、本当に助かってます♪」

 

 柘榴の脳裏には、今まで行ってきた凄惨な人体実験の数々が浮かび上がっていた。

 生皮を剥がし、剥き出しになった肉に粗塩をすり込んで悶死させたり、肋骨を一本一本へし折りながら取り出したり、手足を引きちぎって焼けた鉄板の上に転がしたりと、非道の限りを尽くしてきたのだ。

 

 実験という名の悪趣味な拷問。

 悪鬼の所業はまさにこの事だ。

 

「……どうやら、今まで殺してきた鬼の中でもトップレベルに危険なようね。貴女は」

 

 死音は怒りと侮蔑の念を込めて柘榴に告げる。

 彼女は淫美に笑った。

 

「フフフ♪ まずは自分の身の心配をしたほうがいいですよ? この後全身を滅茶苦茶に引き裂いて、剥き出しの神経をいじり倒してあげますからね~? 痛いですよぉ〜?」

 

 拷問の妄想に酔いながら、柘榴は舌なめずりする。

 死音の目にも、可憐な少女が醜悪な化け物に見えはじめていた。

 

「あ、そうだ」

 

 柘榴はふと、死音から視線を外す。

 

「うまーく守っていますね♪ 野ばら先輩のこと♪」

「…………」

「まぁ、ぶっちゃけ守らないと殺されちゃいますからねー♪ 私に♪ 既にボロ雑巾みたいになっちゃってますけど♪ キャハハ!」

 

 柘榴はケタケタ笑いながらも、野ばらを注視する。

 何時の間にか、彼女を護るように霊域が展開されていた。

 その中央には、鳥の羽で編まれた団扇が浮かんでいる。

 

「なるほど……天狗の羽団扇。そして神仏に匹敵する霊力。展開されている霊域の強度。なるほどなるほど……余程、愛弟子が心配なんですねぇ? ねぇ? 石鎚山法起坊(いしづきやまほうきぼう)……いいえ、役小角(えんのおづの)さん♪」

 

 柘榴はその正体を看破すると、軽薄な笑みを浮かべる。

 

「愛弟子の危機には即参上。でも失敗作は無言で放置、ですか……冷たいですねぇ。これはおばあちゃんも絶望するワケだ。……所詮、その程度の正義なんでしょう? 身内贔屓しないと繋いでいけないような極端な思想……そんなもの、滅んでしまったほうが世のためだと思いませんか?」

 

 柘榴はベェーと、蛇のように長い舌を垂らす。

 そしてその半顔を醜悪な鬼のものに変えた。

 

「貴方が、私たちを生んだんですよ? オラ、自分のケツぐらい自分で拭けよ糞ジジィ。それとも、弟子の介護がなかったらなんにもできねぇか? ……クククッ、ハハハっ!! 哀れだなぁ!! アンタもそのチンチクリンも!! 何が最強の鬼狩りだ!! 調子に乗んなよ劣等種族共!! お前らはただの狂った道化師だよ!! 二人揃って仲良く愉快なワルツでも踊っとけばいいのさ!! アッハッハ!!」

 

 喉の奥が見えるほどの哄笑を上げる柘榴。

 

 祖母の師匠、全ての元凶と言っても過言ではない相手。

 彼が間違えなければ祖母は狂わなかった。

 彼がしっかりとケジメをつけていれば、自分のような存在は生まれてこなかった。

 お前は救えない馬鹿だと、どうしようもない偽善者だと、これみよがしに糾弾する。

 

(あぁ、いいわぁ〜っっ。さいっこー♪)

 

 なんと気持ちのいい事か……

 柘榴は絶頂に匹敵する快感を覚えていた。

 ここまで人をこき下ろせる機会など滅多にない。

 

 正直なところ、役小角の事などどうでもいい。

 どうとも思っていない。

 

 しかし、だからこそだ。

 

 自分を意識しているであろう相手を大義名分の元にこき下ろす。

 これが堪らない。

 本当にイッてしまいそうになる。

 

 柘榴はゲラゲラと下品に笑っていた。

 

 コレが彼女の本質。鬼本来の心の在り方。

 弱者に微塵も容赦なく、路傍の石くらいの認識しかない。

 故にいくらでも蔑み、貶められる。

 

 しかしその笑みが、唐突に凍りついた。

 

 彼女の視線の先には、霊域で守護されている野ばらがいた。

 その肉体は時間の巻き戻しのように治っている。

 引き裂かれた和ゴスの着物も、その優美さを取り戻していた。

 ほどなくしたら目を覚ますだろう。

 

 問題はそこではない。

 

「オイ……テメェ、「何処」に接続してやがる……?」

 

 その声は震えていた。

 彼女にとって、信じられない事が起こっているのだろう。

 

 突如、異様な音を立てて柘榴の額に極太の血管が浮き上がった。同時に2本の角が肥大化する。

 紅色に輝く瞳が縦に裂け、爬虫類のような瞳孔が露わになる。

 幼い美貌が憤怒に歪み、耳元まで口が裂けた。

 

 彼女はバリバリッと音を立てて歯を噛み潰すと、信じられない声量の怒声を張り上げる。

 

「ッッッッざっけんじゃねぇぞ仙人崩れの糞ジジィがァァァァッッ!!!! そこに至らせるのはまだ早ぇだろうがァァァァッッ!!!! わ、わたっ、わたわた、わたしですら至ってないのにぃぃぃぃッッ!!!! わたしより先にあの御方の若き日の姿を目にするなんて!!!! そんな事が許される筈ねぇだろうがヨォォォォッッ!!!!」

 

 狂った様に咆哮し、全身から殺意と憎悪を撒き散らす。

 結い上げていた黒髪を乱雑に掻きむしり、血涙を流しながらとんでもない威力の地団駄を踏む。

 その顔面は真っ赤に染まり、吹き出す汗すら血の色をしていた。

 

「やめろ!! やめろやめろォ!! 小便臭い劣等種共どもが、そこに汚い土足で踏み込むんじゃねぇぇぇぇッッ!!!! アアアアアッッ、なんて事してくれやがる!!!! クソ!! クソクソクソ!!!! クソったれェェェェっっ!!!! 糞にたかる便所虫以下の存在がァァァァッッ!!!!」

 

 聞くに堪えない、下劣な悪態を吐く怒鬼がそこにいた。

 髪を振り乱し、頭を激しく振り、憎悪を撒き散らす。

 叫び声だけで空気が震え、噴き出す怒りが熱風となって砂塵を焼き尽くす。

 

 あまりの衝撃に、死音もバランスを崩してしまうほどだった。

 なんとか態勢を立て直しながら、彼女は考える。

 

(詳しくはわからないけど……野ばらの精神体は今別の所にある。その場所に野ばらが至った事が、この子の逆鱗に触れた? ……全くどうして、わからない事だらけだけど)

 

 死音は魔弦のエレキギターを携える。

 ボディー部分に紫電が走り、莫大な魔力が増蓄された。

 

「今がチャンスって事かしら?」

「アア゙?」

 

 死音の発言に柘榴がいち早く反応した。

 彼女は苛立ちを抑えるように何度も、何度も自分の指の骨を砕く。

 ボキボキと、片手で器用に、指の骨を一本一本砕いていく。

 

 彼女は喉から突き出る唸り声をかろうじて飲み込み、死音に告げた。

 

「ア゙ーッ、いやー、すいませんね……予定変更です。貴女を殺すのは後回しにするんで、とりあえずそこ退いてくれません? その糞虫共やれないんで」

「退いてと言われて素直に退くと思っているの? それと貴女……酷い顔よ。鏡で一度確認してみたら?」

 

 死音の挑発に、柘榴はビクリと肩を揺らした。

 

「……アーアー、くそだよ、クソ。マジでクソ。アンタら、クソ以下のゴミ虫共だよ。……いいからサッサと消えろよ」

 

 声のトーンが変わった。

 

 柘榴は解けた黒髪を掻きあげ、死音を睨みつける。

 その顔は、無。まるで能面の様な無機質だった。

 

 生き物は、怒りや恨みが一定値を超えると表情に出さなくなる。

 表情に出す労力すら惜しいと思ってしまうのだ。

 怒りを通り越して、最早絶対零度。

 

 もういい。コイツは殺すから。すぐに殺すから。

 これ以上、感情を表に出さなくていい。

 

 生物として一種合理性が働く瞬間である。

 

 死音はこの状況を好機だと思っていた。

 この状態の柘榴であればいくらか対処のしようがある。

 先ほどまでの状態はどうしようもなかった。

 心にゆとりを持った化け物を倒すのは苦労する。

 今の方が何倍もマシだ。

 

 目の前の怪物は、まさしく『嫉妬に狂った女』なのだから──

 

 と言っても、勝てるかどうかはまた別の話。

 確かに制御しやすくなったが、彼女はまだ底を見せていない。怒りでストッパーも外れている。

 少しでも油断すれば、死は確定する。

 

 ハイリスクハイリターン……一種の賭けだった。

 

 しかし、強敵を相手にリスクを背負わず勝つなど甘えが過ぎる。

 死の危険を伴う事で、はじめて強敵と渡り合う事ができるのだ。

 

 命を懸ける。死を覚悟する。

 それは、決して無謀などではない。

 強敵に勝つための、最低限の心の持ち方だ。

 

 何より、死音には希望があった。

 背後にいる相棒。彼女なら、絶対に切り札を持って帰ってきてくれると。

 そう信じているからこそ、全力で戦える。

 

 死音は魔弦のエレキギターを掻き鳴らし、一瞬で調子を整える。

 指先で尖んがり帽子のつばを上げると、両足を広げて演奏の体勢に入った。

 呼吸を整え、両眼を固く閉じる。

 既に彼女の頭の中では、退魔の調べが出来上がっていた。

 

 突如として、カッと両眼を見開く。

 

「さぁ、Show Timeよ。哀れな鬼のお姫様……わたしの奏でる音色を、その脳髄に焼き付けなさい。言っておくけど、音虐の調べは泣き叫ぶほど痛いわよ?」

 

 死音の浮かべる笑みは冷たく、美しく、しかし妖艶で……柘榴を挑発するには十分過ぎる材料だった。

 

 

 ◆◆

 

 

「ん……接続が妨害されてるな。思ったより時間がねぇみたいだ」

「?」

 

 ところ変わって阿頼耶識の中で。

 大和は透き通る青空を見ながら顎をさすった。

 

 唐突だったので、野ばらは首を傾げる。

 

「お前が対峙してるであろう存在が、阿頼耶識との接続を妨害してるのさ。……中々どうして、厄介な奴を相手にしているな」

「……私の戦っている相手までわかるの?」

「さぁ、そこまで便利な空間じゃねぇよ。ここは。これは単純な俺の経験則。お前の実力と経歴、天狗の小僧の助力。その他、色々な情報を組み合わせて、それっぽい答えを導き出したのさ」

「なるほど……」

 

 野ばらは納得するが、やはり違和感を覚える。

 彼がどうしても大和だと思えない。

 似ているだけの別人と言われた方がまだ納得できる。

 

 それほどまでに澄んだ気を放っているのだ。

 思惑や本性などはいくらでも誤魔化せる。

 が、体から滲み出る気は誤魔化せない。

 

 そんな彼女の心境を読んでか、大和は言った。

 

「疑問に思ってるな? まぁ、その疑問が何なのか、あえて聞かねぇ。今は時間がねぇ。……一問一答だ。お前が聞きたい事を何でも一つ、答えてやる」

「……」

「慎重に選べよ。俺が知りうる限り、どんな事でも答えてやる。ただし一度きりだ」

「……なら」

 

 野ばらは迷わず聞く。

 

「過去と現在の貴方の違いを教えて欲しいわ」

 

 その問いに、大和は灰色の眼を丸めた。

 

「本当にそんなんでいいのか? もっと考える事をオススメするぜ」

「いいのよ。私は鬼狩り。鬼を狩る際に必要な情報しかいらない。でも、これは別よ。私は、もっと貴方を知らなければならない。世界最古の鬼狩りである貴方の、真実を。それは、私たちの根源に繋がっている筈だから」

「……ふむ」

 

 野ばらから向けられる力強い眼差しに確固たる意思を感じた大和は、どうするかと腕を組む。

 次にはやれやれと肩を竦めた。

 

「わかった。なら話そう……しかし、現世の俺と此処の俺は殆ど別人だ。それでも構わないな?」

「構わないわ」

「そうか」

 

 大和は不意に、何もない空間から酒の入った徳利を取りだし、口をつける。

 何回か喉を鳴らして酒を飲むと、ゆっくりと話しはじめた。

 

「お前の反応を見る限り、現世の俺は大分尖ってるみてぇだな」

「そうね……酒と女にだらしない。特に女関係は最悪よ。盛った猿のほうがまだマシだわ。そんな彼に惹かれる女たちも大概だけど……。あと、過去に英雄と呼ばれていたとは到底思えないくらい冷酷で残忍ね。たとえ身内でも、邪魔なら簡単に殺す……そんな男よ」

「ハッハッハ!! 散々な言われようだな!! まぁ、その通りなんだろうさ!! 落ち込むなよ未来の俺!!」

「……」

 

 驚く事もなく、悲観する事もなく、ありのままを受け止める。

 その在り方はなるほど、彼らしい。

 未来の彼もまた、どれだけ悪態をつかれても納得し、笑い飛ばしていた。

 

 やはり、同一人物なのだろう。

 

 だからこそ、納得できない。

 目の前の英雄の威風を纏う青年が、何故あそこまで落ちぶれたのか……

 

「で……どうして俺がそうなっちまったのか、と?」

「ええ、興味があるわ。今の貴方が、何故あのようになってしまったのか」

「んー、そうだなぁ。考えられる理由は一つしかねぇなぁ……」

 

 どこか気の抜けた声音。

 しかし次の瞬間、絶対零度の冷たさを帯びた。

 

「人類か神々か、あるいはその両方か……ネメアたちを裏切っただろう?」

「ッッ」

 

 全身に氷水をぶっかけられたような感覚だった。

 大和から溢れ出た殺気が尋常ではない。

 先ほどまで戦っていた柘榴が可愛く見えてしまう。

 明らかに次元が違う。

 

 その証拠に、野ばらは見た。

 黒き鬼神の憤怒の面相を……

 その可視化したオーラはなるほど、現在の大和と共通している。

 

 固まってしまった野ばらを見て、大和は殺気を霧散させる。

 そしてぎごちなく笑った。

 

「すまねぇなぁ……考えただけで殺意が湧いちまった。ま、それだけやっちゃいけねぇ事だったんだが……どうやら、現実になっちまったみてぇだな」

「……」

 

 野ばらは何も言えなかった。

 そう、神話の時代。四大終末論を踏破した事で世界の平和は約束された。

 その平和のために犠牲になった者たちがいた。

 人として当たり前の幸せを捨て者たちだ。

 

 彼らは英雄。

 無辜の民のため、神々のため。あるいは友ため、愛する人のため。

 命を懸けて戦った、本物の勇者たち……

 

 彼等は裏切られてしまった。

 平和な世界になった事で、次の恐怖の対象になってしまったのだ。

 平和な世界を勝ち取れるほどの圧倒的な力は、人類を容易く滅ぼせてしまう。

 全知全能の神々すら、例外ではない。

 

 それが当時の英雄、超越者たち。

 

 人類と神々は彼等を突き放した。

 役目は果たした、だからもう必要ないと……

 

「少し考えればわかる事だった。……だがそれでも、俺は信じたかった。アイツらが報われる刹那を。幸せになる未来を」

 

 大和は彼等の隣で戦い続けてきた。

 その勇気を、愛を、誰よりも近くで見てきた。

 だからこそ……

 

「裏切るなんて許さねぇ。認めねぇ。たとえ神々がそう法を定めたとしても、俺だけは絶対に認めねぇ」

 

 大和は吐き捨てる。

 ぶつける場所のない怒りを抱きながら。

 

「善なる者には幸福を、悪なる者には不幸を。そうあれと願い、望み、善悪の概念を敷いたのは人間だろう? それを認めたのは神々だろう? なのに何故その開拓者である英雄たちを裏切った? 都合が悪いからか? それとも、その力が怖いからか?」

 

 本当に疑問を抱いているのだろう。

 やるせない気持ち以上に、困惑の念が色濃く出ている。

 

 そう、彼にはわからない。

 人間の弱さを、愚かさを、理解できない。

 

 大和が人間という生き物を真に理解する事は未来永劫ない。

 

「そんな未来を辿っちまった以上、どうする事もできねぇ。……だがこれだけは言わせてくれ。俺は人類や神々のために戦ったんじゃねぇ。アイツら(英雄)という尊い光を守るために戦ったんだ」

 

 それが、大和という男の真実。

 人類の守護者でも、世界の救世主でもない。

 英雄という存在を守るために戦った、一人の男の生き様。

 

「俺は所詮、人の皮を被った獣だ。女を抱き、酒を飲み、命を懸けた殺し合いに満足する。満足しちまう……これを獣と例えずになんと例える?」

 

 だからこそ憧れた、敬った。

 そう言う大和は、まるでヒーローに憧れる子供のような顔をした。

 

「自分にできない事をする、そんなアイツらが眩しかった。その在り方を、心から尊いと思った。俺が唯一好意を抱ける人間の在り方だった」

 

 そこまで言って、大和は鼻で笑う。

 誰でもない、自分自身に対して。

 

「人の皮を被った獣……それが俺だ。だとすると、現世の俺は人の皮すら被ってないただの畜生だな。ぺらっぺらの薄皮一枚……それがどれだけ重要なのか、お前にならわかるだろう?」

「……ええ、今ならわかるわ」

 

 何も変わっていない。

 大和は、何も変わっていない。

 変わったのは人類と神々だ。

 

 この飄々とした英雄の本性を暴いてしまったのは、過去の自分たちなのだ。

 

「人の皮を剥いだのはお前たちだ。……くれぐれも忘れるなよ」

「肝に銘じておくわ」

 

 現に、その灰色の三白眼に宿る冷たい輝きは変わっていない。

 彼は、最初からそういう視点で人間を見ていた。

 

 何を勘違いしたのか、過去の人間は……

 当たり前の事をしていれば、こうはならなかった。

 この獣は人間の皮を被ったまま、ひっそりと死んでいた筈だ。

 誰も真実を知る事なく、歴史の中の偉人として、綺麗な姿で語り継がれていった筈だ。

 

 もう、全てが手遅れである。

 

 やるせない気持ちを抱いている野ばら。

 その複雑な表情を見て、大和は思わず苦笑した。

 

「お前もまた、俺の憧れる英雄(輝き)の一人だ。野ばら……可憐でありながら美しい、悪鬼を断つ一輪の花よ。お前に俺みたいな存在は必要ないだろう。その強い心、気高き信念……尊敬に値する。救うなど、おこがましい話だ」

「……いいえ、そんな事はないわ。貴方みたいな存在がもしも私の時代にいたら、あの子は……きっと道を間違えなかった」

 

 野ばらの脳裏に浮かぶ、妹弟子の横顔……

 彼女を救えなかった事を、野ばらはやはり後悔していた。

 

 所詮、自身は鬼狩り。鬼を狩ることしかできない。

 被害者を救える時もあるが、その殆どが手遅れの状態から始まる。

 

 それに比べて、彼は紛れもない英雄だった。

 たとえ本性が獣だったとしても……

 人類を救い、世界を救い、何より救いたいものを救った。

 

 野ばらは真摯に頭を下げる。

 

「ありがとう、古の英雄。誇り高い獣。貴方の口から真実が聞けて、嬉しいわ」

「……そうか。そりゃあ、何よりだ」

 

 大和は最初こそ驚いていたが、次には優しく微笑む。

 それを見て、野ばらは思わずにはいられない。

 

 彼を、いいや、彼等を裏切った当時の人間たちは、どれほど愚かだったのだろうか。

 きっと、目も当てられないほど醜悪だったに違いない。

 人間とは、時に鬼よりも醜悪になるものだ。

 

 物思いに耽っている彼女に、大和は告げる。

 

「有意義な時間だった。本当はもう少し話したいんだが、時間だな」

「……今度は、私から会いに来るわ」

 

 意外な言葉に、大和は目を丸めた。

 

「そうか……なら期待してるぜ。ここは暇なんだよ」

「ええ。もっと修業を積んで、必ず」

「……あんま、無茶すんなよ」

 

 向けられる笑みは柔らかく、温かい。

 本当に心配されているのがわかる。

 野ばらはぎこちない笑みを返した。

 精一杯の笑みだった。

 

 大和は別れ際に告げる。

 

「目を覚ましたらすぐに戦闘がはじまるだろう。だから忘れるな。此処にやって来た事を。お前の肉体は鬼狩りとして既に完成している。後は技を出せばいい。そしたら、どんな鬼にも負けねぇ」

「技……?」

「俺が当時、死にもの狂いで編み出した鬼狩りの技だよ。お前の頭に知識の一つとして入れておいた。後は実践するだけだ」

 

 野ばらは彼に聞く。

 

「その技の名前は?」

「ああ、そうだったな。その技の名は──」

 

 伝えられる、鬼狩りの原点にして頂点の技の名前。

 野ばらは頷き、そして微笑んだ。

 今度は自然と出た、柔らかい笑みだった。

 

「ありがとう……行ってくる」

「おう、行ってこい。……お前は、お前の為すべき事を為せ」

「ええ」

 

 野ばらは頷き、背中を向けて歩き出す。

 

 もう何も怖くない。負ける気がしない。

 今なら、どんな鬼にでも勝てる。

 

 何故なら、英雄を愛した男から応援されているからだ。

 これほど心強いものはない。

 

 爽やかな風に後押され、野ばらは歩を進める。

 その小さくも頼り甲斐のある背中を、大和は優しい眼差しで見送った。

 

 ふと、空を見上げる。

 入道雲の浮かぶ、夏の快晴の空だ。

 

「英雄たちに幸あれ……お前たちの幸福を、心から願っているよ」

 

 その願いは、野ばらですら感銘を受けるほど純粋で、美しいものだった。

 

 

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