Villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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九話「決着」

 

 

 中央区に激震が奔った。

 余波で分厚い曇天が裂け、突発的な天変地異が発生する。

 震度七を超える地震が絶え間なく起こり、地盤どころか地層にも深刻なダメージが刻まれる。

 爆風で高層ビル群がドミノ倒しの要領で倒れていく中、破邪鬼滅の旋律が雷鳴と共に轟き唸りを上げた。

 

「悪鬼滅殺・諸行無常……『涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)不動明神(アチャラナータ)』」

 

 それは天変地異の召喚。星と共に奏でる破邪顕正の調べである。

 局地的な大地震。割れた地面から高圧電流がスパークし、結果紅炎(プロミネンス)を発生させる。太陽フレア並みの大爆発は数千万度の業火をもってして「対象」を焼き尽くす──筈だった。

 

「神魔斬殺──不知火の型、魔人狩り」

 

 放たれたのは巨大過ぎる斬月波。中央区を両断できてしまうほどの巨大な一撃は、しかし本来なら鬼神を滅ぼすための技の筈だ。

 

 彼女は、いいや彼女たちは、三代に渡って鬼狩りの技を(みなごろし)の技へと変えていったのだ。

 

 異世界の鬼狩り──死音(しおん)は幾重にも障壁を展開してこの技を耐えている。

 砕けた地盤は更に砕け散り、辺りの大地を隆起させる。しかし鬼神すら上回る膂力には意味がなく──多重に展開された障壁は全て両断され、死音の得物であるエレキギターごと右腕が斬り飛ばされた。

 衝撃で大地が流動し、まるで隕石の衝突時の様な破滅的エネルギーが辺り一帯を覆い尽くす。

 

 時間をかけて大量の土煙が晴れると、中心地には全身から血を噴き出す死音と魔縁の邪姫──柘榴(ざくろ)がいた。

 

 死音は明らかに重症だった。鍔広の魔女帽子はどこかに吹き飛び、濡羽色の長髪も、コルセットもロングスカートも血と泥で汚れている。

 深い蒼をたたえるマントはズタズタに引き裂かれていた。

 しかも、その双眸は固く閉じられている。

 柘榴の攻撃により、両眼から光が失われていた。

 

 対照的に柘榴は傷一つ負っていなかった。

 いいや──ダメージは受けている。受けているが、まるで時間の巻き戻しの様な超回復によって無かったことにしている。

 脳みそが鼓膜ごと溶かされていたが、ビキビキと眉間に特大の青筋を立てて回復している。

 その顔は醜悪な悪鬼のものへと変わっていた。

 

 彼女は手に持っている死音の右腕を見つめる。

 すると、耳まで避けた口に放り込んだ。バリバリ、ゴリュゴリュと、骨まで噛み砕いて飲み込むと、プッ! と残ったラバー製の長手袋を下品に吐き捨てる。

 

「マッズ……まだ脂ぎったデブの肉のほうが美味いわ」

 

 そう言って、柘榴はパッと花が咲いたように笑った。瞬間、見惚れるほどの美少女に戻る。

 先ほどまで筋肉で隆起していてわからなかったが、絢爛豪華な着物を大胆に着崩していた。紅桜の花びらを散らした、黒を基調とした和ゴススタイルである。

 左側の袖は肩まで剥き出しになっており、レースの長手袋に包まれている。

 年齢は十代半ばか後半ほど。ミディアムな長さの黒髪はかんざしで綺麗に束ねてあり、幼さを残した顔つき。雪の様に白い肌。紅がさした頬に桜貝の様な唇。

 醜悪な悪鬼の面はどこへ行ったのやら……

 スラリと伸びた足はか細く、柔らかな肉付きをしていた。

 丸太の様な筋肉質な足はどこにもない。

 

 彼女は履いてる一本歯下駄……通称天狗下駄をカランカランと鳴らして、倒れ伏す死音の前までやってきた。

 そして腰を折り、柔和に微笑む。

 

「やりますね、貴女♪ まさか脳を溶かされるなんて思ってもみませんでした♪」

 

 柘榴は次に、卑しく紅色の目を細める。

 

「あと、私の攻撃を全てギリギリで躱してましたね? 私の攻撃パターン……呼吸を曲にして編んだのかな? いやーすごいすごい♪ 流石異世界の鬼狩りさん♪ 想像以上でしたよ♪」

 

 柘榴はおもむろに瀕死の死音の頭を掴む。

 そして思い切り地面に打ち付けた。

 地面が陥没し、ひび割れる。

 柘榴の腕は肩にかけて、まるで鬼の様に筋肉が束になって盛り上がっていた。

 

「まぁ、想定内だったけどなァ♪ 小手先頼りの雑魚が、手こずらせやがって♪」

 

 柘榴は血まみれになった死音の顔を一本歯下駄の歯で蹴り飛ばす。

 瓦礫を巻き上げて飛んでいった死音は、そのまま高層ビルの残骸に叩きつけられた。

 死音は地面を転がるものの、震えながら起き上がり、折れた鼻をボキボキと鳴らして元に戻す。

 

 そんな彼女に、土煙を纏った童姿の大魔縁が歩み寄ってきていた。

 

「テメェをプチッと潰した後に出来損ないのクソ虫も潰す。それで今回の話はめでたく終了だ。だから、なァ……そのクセェ口から、せめて心地良い悲鳴でも上げてみせろや。仮にも音楽家だろう? 鬼の好みもわかんねぇのか」

 

 ゴリゴリと、異様な音を立てて肥大化した肩を回しながら歩いてくる柘榴。その面は醜悪な悪鬼のものに変わっていた。

 

「醜いわね……」

「ハァ?」

 

 死音の呟きを柘榴は聞き逃さなかった。

 死音は血だらけでボロボロになった顔を上げて、柘榴を見下す。

 その目に、既に光はない筈なのに──

 

「醜い、と言ったのよ。鬼さん」

「…………」

 

 彼女は耳で感じ取っていた。

 目の前の狂獣と化した鬼の姿を──

 柘榴は鋭利になった指先で側頭部をゴリゴリとほじくり返す。

 

「鬼狩りってのは、どいつもこいつも私を不快にさせる。殺した久世の奴らも、あのクソ虫も、テメェも、全員そうだ。……生きてるだけで私を不快にさせる」

「それは光栄ね」

 

 

「だから死ね」

 

 

 

 柘榴の仕込み刀が音もなく死音の眼前に現れる。

 このままでは死音は唐竹割りにされる。

 それでも死音は不敵に笑っていた。その笑顔が眩い刀身に写し出される。

 死音はそのまま両断される──筈だった。

 

 金属同士が食い合い潰れる音が響き渡る。

 

 弾き飛ばされる柘榴。盲目の死音は小さい、しかし頼りになる背中を感じ取った。

 待った甲斐があったと、ため息を吐く。

 

「…………こんのッッ」

 

 柘榴は爬虫類のような眼を見開き、仇敵を睨みつける。

 

 黒薔薇を散らした、赤を基調とした和ゴススタイル。黒髪は青い花飾りでサイドテールに束ねてあり、右側の袖は肩まで剥き出しでレースの長手袋に包まれている。スエードの黒いニーハイブーツが特徴的だ。

 

 彼女──野ばらは、振り返らずに死音に告げた。

 

「ありがとう。もう大丈夫よ。……もう、負けない」

「……そう」

 

 死音は柔らかな笑みを浮かべると、そのまま崩れ落ちる。

 気絶した彼女を庇うように、野ばらは仇敵を睨みつけた。

 

 

 ◆◆

 

 

 恋する乙女というのは野生動物並に敏感な生き物だ。

 現に柘榴は野ばらの体から狂酔する男の芳香を嗅ぎ取り、目玉が飛び出ん限りに彼女を睨みつける。

 

「百歩……いいや千歩譲って、鬼狩り共はどうでもいい。何時でも潰せるウジ虫共だ。ワラワラ湧いて出てきても、その度に潰して回ればいい。だがなァ……ッッッッ」

 

 突如として水蒸気爆発が起こる。

 溢れんばかりの殺意と憎悪が柘榴の身体から水蒸気として溢れ出たのだ。

 

 メギメギと異様な音を立てて肥大化する二本の角。

 縦に裂けた爬虫類のような瞳孔は野ばらを真っ直ぐ捉えており、紅色の瞳は途轍もない激情によって光り輝いている。

 

 幼い美貌の面影などどこにもない──

 

 耳元まで裂けた口。刃物のような乱杭歯。異様なまでに肥大化した全身の筋肉。

 

 鬼がいた。

 

 彼女は歯を噛み潰しながら、呪詛の言霊を吐き散らす。

 

「テメェは駄目だッッ。今殺す。必ず殺す……ッッ!! その芳香はなァ!!!! テメェみてぇな鬼狩りしか脳のねぇ欠陥品のメスが纏っていいもんじゃねぇんだよ!!!! テメェがさっきまで会ってたであろう人はなァ!!!! テメェみてぇな超越者に毛が生えた程度のクソ雑魚が目にしていい御方じゃねぇんだよ!!!! それを……ッッ!!!! それをそれを……ッッ!!!! こんの腐れアバズレがァァァァっっ!!!! 時代遅れのロートル品の癖によォォォォッッ!!!!」

 

 柘榴は叫びながら前傾姿勢になると、丸太のような太ももを更に肥大化させる。

 そして瞬間的に野ばらに飛びかかった。

 光速を優に超える速度だったが、野ばらは難なく弾き飛ばし、突撃──鍔迫りに突入する。

 

 態勢を崩した柘榴だったが、有り余る膂力で押し返した。

 野ばらは回転し、威力を殺す。

 そして揺るぎない信念のこもった眼で柘榴を見つめた。

 その耳に、聞くに耐えない悪鬼の罵詈雑言は入っていない。

 ただただ、目の前の鬼を狩ることに集中している。

 

 全ての力、全ての意識を、柘榴という一匹の鬼を狩ることに費やしている。

 

 その身に風が纏う。

 その風は英雄を愛した獣──古の英雄の残滓だった。

 

「ふざけんじゃねぇェェェェッッ!!!!」

 

 柘榴は怒りに任せて乱斬りを放つ。

 激情のままに振るわれた剣には、しかし確かな技術があった。

 一度の抜刀で七つ煌めいた斬線──野ばらはそれを全て打ち払う。

 そして柘榴を蹴り飛ばした。

 残った高層ビル群を薙ぎ倒しながら吹き飛ぶ柘榴を追走しながら左手で鬼狩りの抜刀を放つ。

 柘榴も応戦し、二人は横並びに走りながら剣戟を交える。

 瓦礫が吹き飛び、余波でバラバラに斬り刻まれ、所々で爆発が起こる。

 柘榴は番傘で野ばらを弾き飛ばして無理やり遠ざけると、目をこれでもかと剥いた。

 

(ありえねぇ!!!! 膂力技術才能、神通力に至るまで、全て私が圧倒的に勝ってる筈だ!!!!)

 

 膂力は勿論、才能も上。神通力の理解も、柘榴のほうが遥かに高い。

 柘榴が必要以上に狼狽えている理由は別にあった。

 

(私の剣技はおばあちゃんから三代に渡って編み出した鬼狩りの剣技の派生──鬼狩り殺しの剣だぞ!!? それなのに、何であのチンチクリンは互角に打ち合える!!!!)

 

 土煙を吹き飛ばして野ばらが現れる。

 唐竹割りを繰り出した彼女に併せて、柘榴も渾身の打ち上げを放った。

 曇天が割れ、大地が流動する。衝撃で魔界都市が揺れる。

 

 柘榴は試しに、今の野ばらでも絶対に反応できない技を放った。

 

 雪月花(せつげつか)無惨(むざん)

 

 鬼狩りの必殺技。雪月花の亜種。表でも裏でもない、柘榴たちが編み出した異端の剣技。

 それは歴戦の鬼狩り殺し。雪月花の表も裏も知っている者に刺さる技。

 雪月花の太刀筋でありなから、鬼の膂力と反射神経を用いて滅多斬りにする。

 

 野ばらには初めて見せた。対応できる筈がない。

 しかし野ばらはその全てを打ち返してみせた。

 それどころか回し蹴りで反撃してみせる。

 攻撃後の隙により、柘榴は番傘で受けるしかなかった。

 しかし予想よりも何十倍も威力が高く、柘榴の右腕が宙に放り投げられる。

 斬光煌めく。野ばらの必殺の鬼首落としを、柘榴は乱杭歯で無理やり噛み潰し防いだ。

 直後に番傘同士をぶつけ合い距離を取る。

 

 ユラリと、幽鬼のように柘榴は揺れた。

 真相を掴んだのだ。

 

(合気、操身法……全部あの人の技だ。何より、私の剣技と互角に打ち合えてる理由……私を殺すための剣技を「今」編み出しやがったなァ……ッッ。私という鬼を殺すためだけの剣を即行で構築しやがったなァァ……ッッ)

 

 特注(オーダーメイド)

 

 相手の技術や癖、性質などを見極めて即興で「対○○用武術」を編み出す技。

 柘榴のいうあの人──大和の十八番だ。

 

 柘榴の額にビキビキと音を立てて特大の青筋が浮かび上がる。

 

「ざけんな……ッッ、ざっけんなよ出来損ないがァァァァッッ!!!! テメェがあの人の真似なんて、できるワケがねぇだろうがよォォォォッッ!!!!」

 

 叫び声は熱波となって砂塵を燃やす。

 

 ──正確にいえば、真似ではない。

 使っているだけだ。

 柘榴を殺すために必要な技術なので使っているだけだ。

 

 野ばらの真骨頂とは、鬼を狩るためならどんな手段も用いること──

 

 たとえ嫌悪している男の技であろうと、使えるなら使う。

 それが野ばらという鬼狩りだ。

 

 ──いいや、正確には違う。

 

 現に、彼女は薄く笑っていた。

 感じているのだ。吹き抜ける清らかな風を。

 英雄の隣で戦い続けた、誇り高い獣の意思を。

 

 負ける気がしない。

 勝てる気しかしない。

 

 自信に満ちたその表情が、柘榴の逆鱗を撫で上げる。

 挑発には十分過ぎる内容だった。

 

 柘榴は言葉になってない叫び声を上げながら野ばらに飛びかかった。

 最早獣に成り果てていた。

 

 一秒でも早く殺したい、抹消したいと、鬼狩り殺しの剛剣が振るわれる。

 対して野ばらは鬼狩り殺し殺しの剣を、まるで舞でも舞うかのように振るう。

 

 両者は対照的だった。

 悠々としている野ばらと必死な柘榴──

 奇しくも、少し前の二人と真逆だった。

 

 野ばらは音を立てて二酸化炭素を吐き出す。

 鋼鉄の肺でめいっぱい酸素を取り込み、体中に力を漲らせる。

 無色透明だった霊力には、今は微かな真紅の色合いが混じっていた。

 

 両者、距離を詰めて何度目かわからない斬り合いに突入する。

 互いに一歩も引かず、また有利な位置を譲らない。

 だからこそ限られた空間で斬り合いながら回り続ける。

 

「シィィィィィ……ッッ!!!!」

「ァァァァァァッッッッ!!!!」

 

 柘榴は鬼狩り殺しの剣技と大和の武術を複合させる。

 対して野ばらは鬼狩り殺し殺しの剣技ではなく「柘榴殺し」の剣技を即行で構築して打ち合う。

 

 力と技、狂愛と信念、憤怒と決意。

 相反するもののぶつかり合いは、魔界都市全土に大地震を発生させた。

 超越者同士の本気のぶつかり合い──それもただの超越者たちではない。世界最強の残滓を纏う者たちのぶつかり合いである。

 

「アアアアアアアアッッッッ!!!!」 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッ!!!!」

 

 流石の規模に黄金祭壇の魔導師たちが反応した。

 すぐさま超高密度多重障壁を展開し、現場を隔離する。そうでもしなければ魔界都市のみならず表世界にも被害が出ていた。

 

 斬線が夜空に輝く天の川のように煌めく。

 幾億幾兆もの斬撃は、しかし過去のものであり、現在進行系で二人は斬り合っている。

 互いに一撃も受けていない。実力が拮抗し過ぎている。

 

 先に体力が切れるのは野ばらだった。

 如何に超越者になったとはいえ、元は人間。鬼人の超越者である柘榴に体力では敵わない。

 

 野ばらは賭けに出た。

 鞘である番傘を投げ捨て柘榴を無理やり掴み寄せる。右腕を犠牲にして決着を付けようとしているのだ。

 

「テメェら鬼狩りの常套手段だ!!!! 腕なんぞくれてやるってか!!? 引っかかるかバーカ!!!!」

 

 柘榴も番傘を捨てて右腕を掴む。そして何もできないようにした。

 互いに目と鼻の先──こうなれば膂力勝負だ。

 柘榴は「勝った」とほくそ笑む。

 

「くれてやらないわよ。貴女にあげるものなんて何一つない」

 

 野ばらは柘榴を片手で持ち上げた。

 あり得ない。柘榴は目を丸める。

 それが合気による力の操作だと分かった時には、既に顔面に膝蹴りを食らっていた。

 吹き飛ばされた柘榴。だがすぐに瓦礫を蹴り上げて現れる。その顔には傷一つ無い。

 

「!!」

 

 柘榴にとって致命的な距離に野ばらがいた。

 必殺の間合いだった。

 現に野ばらは腰を落とし、全集中の姿勢に入っている。

 

 右手に無かった筈の番傘には既に仕込み刀が収まっており、途轍もない霊力と妖刀の魔力が漲っていた。

 

 準備をさせる暇すら与えなかった筈だ──

 柘榴はそう思いながら、瞬時に答えを導き出す。

 

神足通(じんそくつう)かァ……!!」

 

 自由自在に、自分の思う場所に思う姿で行き来できる力。飛行や水面歩行、壁歩き、すり抜けなどをし得る力。

 六神通、最初の力だ。

 

 天狗の化身となった野ばらが一番得意とする力である。

 

 柘榴は嗤った。

 

「テメェにできることを私ができねぇ筈ねぇだろ!!!!」

 

 柘榴も神足通を用いて必殺の距離に身を置く。

 逆手に持った抜き身の仕込み刀にありったけの呪力と魔素を注ぎ込む。

 そうして乱杭歯をむき出した。

 

「神通力で勝負を決めようとした、それがテメェの敗因だァァァァっっ!!!!」

 

 柘榴は思い切り仕込み刀を振り下ろそうとする。

 しかし、途中で全身の動きを止めた。

 

 愛しき雄の芳香が鼻いっぱいに広がったのだ。

 一瞬で脳内が桃色に染まり、表情を蕩けさせる。

 

「あっ……へぇ? ……はへぇ? ふぁぁッッ♡♡」

 

 今まで残滓でしか嗅いだことのない、恋い焦がれる男の香り。

 柘榴は思わず陶然とする。

 

 その様子を見て、野ばらは鼻で笑った。

 

「貴女、あの人のこと好き過ぎよ。酷い恋煩い……」

 

 野ばらの身から英雄の風が、古の獣の名残が消えていた。

 くれてやったのだ。柘榴の顔面に、直に。

 

 野ばらは柘榴がどれだけ大和を偏愛しているかわかっていた。

 

 他心通(たしんつう)

 他者の考えていることを知る力。

 

 そして宿命通(しゅくみょうつう)

 自己や他人の過去のありさまを知る力。

 

 これによって、柘榴がどれだけ大きく歪んだ感情を大和に向けているのかを知ったのだ。

 

(本当は何もあげたくなかったけど……いいわ、英雄を愛した獣の想いは、私の胸の中にある)

 

 野ばらは目を閉じたかと思うと、カッと見開く。

 

 惚けている柘榴、だが数秒もすれば元に戻るだろう。

 絶好のチャンス、決して逃しはしない。

 

 今あるありったけ、渾身の力を振り絞って放つ。

 それは、最古にして最強の鬼狩りの技──

 

「必殺──八重桜(やえざくら)

 

 それは遥か昔、神話の時代に大和が放った絶技。

 自身の生まれである国を侵略してきた邪龍王ヒュドラ──当時の名前、八岐之大蛇(やまたのおろち)を一撃で沈めた技。

 

 ドラゴンの中でも破格の再生力を誇っていたヒュドラは、たとえ首の一つを落としても死ななかった。

 故に、八つの首を同時に斬り落とす必要があった。

 であれば、八つの首を同時に叩き斬ればいい。ほぼ同時ではなく、時間の束縛を無視して八つの斬撃を同時に放てばいい。

 

 この荒唐無稽な技をもってして、当時の大和はヒュドラを退けた。

 

 今野ばらが放った技は、その派生──

 

 

「銘・鬼丸国綱(おにまるくにつな)

 

 

 その技は、鬼の神であり王、鬼神王「温羅」の首を刎ねた技。

 八つの斬撃を八つの同じ場所に、同時に、正確無比に放つという理外の魔剣である。

 これにより温羅は力を失い封印され、鬼ヶ島は海に沈んだ。

 

 桃太郎伝説、その原典である。

 

 八つの斬線が重なり煌めき柘榴の首を跳ね飛ばす。

 衝撃で天地が避け、曇天が吹き飛んだ。

 見れない筈の快晴が魔界都市を照らし出す。

 

 柘榴の、何が起こったのかわからないといった表情の顔が野ばらの視界に入った。

 そのまま首は転がり、柘榴だった首無しの体は切断面からビュービューと血を噴き出しフラフラと倒れる。

 

「あッ……がッ……!!」

 

 野ばらは過呼吸に陥り、奥歯を噛み締めながら膝から崩れ落ちた。

 超越者となり、義の天狗として覚醒した彼女でも、今の技の反動に耐え切れなかったのだ。

 

 彼女は泥のように溶けていく柘榴の死体を確認すると、そのまま気絶した。

 

 燦々と輝く太陽が徐々に曇天に覆われていく。

 微かに残った光──それは陽溜まりとなって、野ばらを優しく包みこんだ。

 

 

 ◆◆

 

 

 野ばらから遠く、遠く離れた中央区の片隅で。

 未だ残っている数少ない高層ビルの上に、彼女はいた。

 

 彼女は、先ほど野ばらに斬られた筈だった。

 

「いやー♪ お見事お見事♪ 半分の力しか出せないとはいえ、まさか私の特性肉傀儡が撃破されるとは……大正時代最強の鬼狩りの異名は伊達じゃありませんね♪」

 

 彼女──柘榴は鼻歌交じりに一本歯下駄をカランカランと鳴らす。

 

「正直悔しいですけど……最後のはしてやられました♪ まさかあんな手で止めてくるなんて……ビックリしましたよ♪」

 

 柘榴はまだ微かに残っている香りを嗅ぎ、頬を赤く染めるも──それを払いのける。

 

「でも残念♪ 次はありません♪ だって私が好きなのは、英雄でも誇り高い獣でもない……全てを暴力で捻じ伏せる、最強最悪の魔人ですから♪」

 

 柘榴は嗤う。

 

「だから、少しだけ感謝しますよ♪ 野ばらセンパイ♪ おかげで気付けました♪ ……私が会いたいのは過去の彼ではなく、今の彼だって♪」

 

 そう言って柘榴は反対側──遠くにいる彼を見つめる。

 彼は真紅のマントを靡かせ、哀れな鬼を叩き斬っていた。

 

 灰色の三白眼。神すら嫉妬する美貌。そして褐色の肉体。

 それらをまじまじと見つめ、柘榴はよだれをたらしながら頬に両手を添える。

 そして全身から甘酸っぱい女の香りを発した。

 

「あァ……ぁぁ……♡ 大和さまァ♡ 今の貴方こそ私の理想♡ 私の御主人様に相応しい存在♡ どうか蔑んだ目で私を見て♡ 嬲って、犬のように躾けて♡ 最後には喰らい尽くして、種を付けて♡ 貴女の牝になりたい♡ 貴女の子供を、孕みたい♡」

 

 柘榴は容姿不相応に実った乳房を揉み上げながら、愛しき益荒男を想った。

 

 神魔霊獣を暴力で屈服させる魔人。

 気に入らない存在なら女子供でも容赦なく殺し、欲望のままに生きる。それが許される。許されてしまう、唯一無二の存在。

 闇の英雄王。鬼よりも鬼らしい「黒鬼」。

 

 柘榴は彼に夢中になっていた。

 恋い焦がれ、腹に子を宿したいと常日頃から想っていた。

 

 これは何も、自身のためだけではない。

 

 自分の代で宿願を成就させる。

 祖母の代から受け継いできた思想……怨嗟の鬼を絶やさず、見守り、時に手を貸す必要悪。

 大和との間に産まれる子供は、必ずやソレを成してくれるだろう。

 それどころか、鬼狩りという存在(ゴミども)を根絶やしにしてくれるかもしれない。

 

 もしかしたら神や仏すらも滅ぼし、魔にとっての楽園の創造──地獄の再現を成してくれるかもしれない。

 

 女らしい先を見据えた考えと、大和という圧倒的雄に屈伏したい、孕まされたいという歪んだ願望。そして三代に渡る宿願が混じり合い、狂酔の域に達した柘榴を止められる存在は、最早いない。

 

 いるとすれば、それは未だ覚醒半ばの鬼狩りか、或いは──

 

 何にせよ、だ。

 柘榴は戦意を失った。満足したのだ。

 

 今、彼女の目には世界最強の魔人しか映っていない。

 そして、彼は今──

 

 

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