斬魔が住民と激闘を繰り広げる中──えりあは黙して佇んでいた。
その立ち姿は冷たく、美しい。
彼女の背後から下卑な笑みを浮かべた男が近寄っていた。
彼はえりあの、青いロングコートの上からでもわかる肢体を堪能しようとしていた。
男の唇に涎が滴る。
さぁ抱きつこうとした瞬間──男の顔面に鉄塊がめり込んだ。
鉄塊の正体はえりあの持つ巨大拳銃のスライドだった。
えりあは見向きもせずに銃を振り上げ、男の顔面を叩き潰したのだ。
「~~~~ッッ!!!!」
悶絶する男。
顔面を介して伝わった衝撃は、まさしく鉄塊。
えりあの専用拳銃「Danse Macabre」は重量12キロ。
銃身は鋼鉄より硬い門外不出の特殊合金製。
コレを叩き付ければ、人間の骨など容易く砕ける。
ある意味、生半可な鈍器より凶悪な代物だった。
予想外の反撃方法に警戒を強める住民逹。
えりあは彼等に二丁拳銃の銃口を向けた。
構える住民逹。
彼等は犠牲を覚悟で、えりあの放つ弾丸の性質を見極めようとしていた。
デスシティで流通している弾薬の様に魔術や呪術を付与したものなのか。
それとも表世界の弾丸を補強しただけのものなのか──
判別するため、銃口を注視する住民逹。
すると、えりあは二丁拳銃を万歳の形で空に上げた。
「……?」
住民逹は首を傾げた。
あまりに不可解な行動だったからだ。
しかし次の瞬間、えりあは消える。
大砲の如き発砲音と、えりあが住民逹との距離を縮めたのは、ほぼ同時だった。
瞬間移動。
その秘密は巨大拳銃の反動にある。
えりあは二丁拳銃を振り下ろし背後に発砲。
秘蔵の火薬によって生み出される強力な反動で、自分を弾き飛ばしたのだ。
住民逹の中で反応できた者は僅か数名。
しかし対応できた者は皆無だった。
誰も予想できなかった。
まさか、銃を持っているのに距離を詰めてくるなど──誰も考えなかったのだ。
えりあは跳躍の勢いを全て膝に乗せ、一名の鳩尾を潰す。
骨肉が潰れる嫌な音が響き渡った。
反撃に転じた住民は二名。
えりあは彼等に的確な追撃を施す。
一名の
もう一名の脳天に同じくフレームを落とす。
不快な音と共に脳漿が迸る。
えりあは表情を変えず、次に撃破すべき対象を見据えていた。
住民は反撃に転じるが、彼女を捉える事はできない。
えりあは舞っていた。
側面を撃てば流れる様に肘鉄に繋げ。
二丁同時に放てば高速回転、遠心力がたっぷり乗った回し蹴りを放つ。
二丁拳銃による近接戦闘、バレットアーツの真髄がここにあった。
しかし、魔界都市の住民は馬鹿では無い。
えりあが未だ一人も殺していない事を鑑み、無理やり距離を詰めてきた。
超至近距離で四方八方を囲む事によって、銃撃による瞬間移動も封じる。
一見、最適に見えた。
えりあのバレットアーツに先が無ければ、の話だが──
えりあは二丁拳銃を逆手に持ち変えた。
異様な構えだった。
見方によっては、二丁拳銃が琉球の武具、トンファーに見える。
住民の顔面に、拳銃のハンマーがめり込んだ。
えりあがぶん殴ったのだ。
彼女はトンファーの如く二丁拳銃を振り回す。
手の中で遠心力を用いて回せば、12キロの鉄塊が真の脅威を見せた。
至近距離でも駄目──
早々に察した待機組は、迎撃組の全滅と共に重火器を構える。
多様な銃器を向けられたえりあは、それでも眉一つ動かさない。
彼女は住民達との距離を測ると、拳銃を通常の持ち方に戻した。
そして、前方を薙ぎ払う様に発砲する。
銃弾が曲線を描く。
まるで、発砲される前の薙ぎ払いの影響を受けたが如く。
曲射──銃の常識を覆す埒外の技術を、えりあは披露してみせた。
劣化ウラン弾は住民達の持っていた銃器を横薙ぎに破壊した。
指や手首を吹っ飛ばされた住民達は断末魔の悲鳴を上げて倒れ込む。
えりあは周囲に目を凝らし、次の襲撃に備える。
同時刻。
えりあの位置から5キロメートル離れた場所で。
狙撃手がえりあの隙を虎視眈々と伺っていた。
四階建ての屋上で寝そべり、息を殺している。
構えているのはサプレッサーを装着した特注の狙撃銃。
弾薬は無論デスシティ製。
狙撃手はスコープ越しにえりあを見据える。
彼女が動きを止めたと同時に、トリガーに指を掛けた。
瞬間、彼女と目が合う。
5キロメートルも離れているのにもかかわらず、だ。
狙撃手は命の危機を察し、スコープから視線を外す。
ライフルからも距離を取った。
刹那、狙撃銃の銃口に劣化ウラン弾が侵入する。
狙撃銃は破裂し、大破した。
間近で見ていた狙撃手は、恐怖のあまり顔面を蒼白にしていた。
えりあは狙撃手の無効化を確認し、小さく息を吐く。
死傷者は0。重傷者はいるが、天使殺戮士の規則的に何ら問題無い。
えりあは相棒、斬魔と合流しようとする。
しかし、唐突に前方から「死」を感じ取り、上体を後方に逸らした。
反射的だったが、舞い上がった黒髪の毛先が両断された。
えりあは体勢を戻し、二丁拳銃を構える。
「……さ、愉しみましょう」
毒蜘蛛の微笑が、えりあの耳朶を打った。
◆◆
えりあの眼前に絶世の美女が佇んでいた。
紫色を帯びた黒髪、暗黒色の双眸。
右目下にある泣きぼくろが彼女の妖艶さを更に際立たせている。
純白のドレスは生地が極端に薄い。
まるで、彼女の極上の肢体に吸い付いているかの様だった。
えりあは二丁拳銃を下ろさない。
無機質な瞳で彼女を睨み付けている。
えりあは、彼女の名を呟いた。
「アラクネ──世界最強の暗殺者」
「あら、私を知っているの? 光栄ね」
クスクスと笑う美女──アラクネ。
えりあは淡々とした声音で問う。
「何の用かしら」
「何の用、ねぇ……」
「……!」
えりあは瞠目した。
目の前に、牙を剥く巨大な毒蜘蛛が居たのだ。
天使病の患者など比ではない、正真正銘のバケモノが──
えりあはトリガーにかかった指を寸前で抑える。
危うく発砲するところだった。
それ程までに、身の危険を感じたのだ。
当のアラクネは嬉しそうに笑う。
「あら、よく訓練されてるのね。流石、プロテスタントの誇る天使殺戮士さん。……これは楽しめそうね」
音も無ければ気配も無い。
しかし、えりあは眼前に迫り来る「死の線」を察知していた。
半身を逸らす事で躱すと、偶然背後に居たオークが縦半分に両断される。
「……は?」
あまりの斬れ味に、オークは未だ生きていた。
脳味噌から背骨まで綺麗に断たれた事を理解し、初めて絶命する。
えりあは跳躍した。
既に、毒蜘蛛の巣は張り巡らされていた。
えりあの超視力を以てしても、アラクネの武器は確認できない。
彼女はただ漠然と、「凄まじい斬れ味を誇るナニカが来る」事を感じ、身を翻す。
避ける、避ける、避ける。
銃の反動、肉体の捻り。
あらゆる技術を用い、えりあは死の線から脱出する。
傍目から見れば、えりあが一人で舞っている様に見えた。
その舞いは美しいが、頬に伝う冷や汗が彼女の緊迫感を物語っている。
周囲の住民達が次々と絶命する。
上半身と下半身で分かれる者や、首を跳ばされる者が現れた。
不可視の斬撃に住民達は恐れ戦き、逃走を始める。
えりあに迫る斬撃が数を増す。
全方位から織り成される立体的な斬撃は、剣士の比では無かった。
アラクネは一歩も動いていない。
頬に手を添え、悠然と微笑んでいる。
地上に逃げ場を無くしたえりあはやむを得ず空中に跳躍した。
斬撃はしつこく彼女を追走する。
えりあは銃撃の反動で横に移動、西洋風の建物の側面に着地。
更に跳躍して回転、地面へと着地した。
先程までえりあの足場だった建物が一文字に両断された。
えりあはアラクネの周囲を漂う極細の凶器を睨み、呟く。
「……糸ね」
「正解」
アラクネは素直に頷いた。
「綺麗に避け続けているのは称賛に値するわ。でも、糸は斬る以外にも色々できるのよ」
「!」
えりあは足元を見る。
蜘蛛の巣が地面に張り巡らされていた。
逃げようとするも、足首を縛られ上空へと打ち上げる。
そのまま横の建造物に叩き付けられ、引き摺り回された。
何棟もの建物が崩壊する。
えりあは硬質な瓦礫と地面に問答無用で叩き付けられていた。
人外であっても全身粉砕骨折は免れない猛攻。
しかし、えりあは耐えていた。
二丁拳銃をクロスさせ身を固めている。
最小限のダメージで抑えていた。
アラクネは両の指を使い、死の戯曲を奏で始める。
振り下ろせば束ねられた鋼糸がえりあに向かい更なる衝撃を与える。
振り上げれば、何重にも絡められた鋼糸がえりあを縦横無尽に振り回した。
倒壊していく建物達。
鉄筋と煉瓦の砕ける音が、死の戯曲を無骨に彩った。
最終的に地面に叩き伏せられたえりあは、よろけながらも立ち上がる。
アラクネは暗く微笑んだ。
「五体満足でいられるなんて……頑丈ね」
えりあは冷徹な双眸でアラクネを睨む。
一瞬躊躇したが、アラクネに向かい発砲する。
しかし、劣化ウラン弾はアラクネの手前で静止した。
鋼糸が弾丸に絡まり、運動エネルギーを殺しているのだ。
切断、拘束、防御。
その他、あらゆる万能性を発揮する暗器──鋼糸。
扱いが極端に難しい筈のこの武具を、アラクネは身体の一部の如く使いこなしている。
毒蜘蛛の二つ名の由来を、彼女は圧倒的実力で示していた。
「無駄よ。私に銃撃は通用しない」
アラクネは甘い声音で告げる。
「私を殺す気で戦わないと……勝てないわよ?」
迫り来る妖糸。
えりあは唇を噛みしめ、回避に専念する。
アラクネの言う通りだった。
殺す気で戦わなければ勝てない。
魔界都市の住民はそこまで甘くない。
しかも彼女はこの世界で頂点の一角に君臨するバケモノだ。
無力化するなど不可能。
それでも、そうだとしても──
えりあの意思は変わらなかった。
例え死のうとも、彼女は自分の意思を曲げようとはしなかった。
天使殺戮士は天使病の患者を殲滅する存在。
殺し屋では無い。
故に、天使病の患者以外は殺さない。
しかし、その意思ごとアラクネは断ち切ろうとしていた。
えりあの回避がどんどん間に合わなくなる。
アラクネは残念そうに囁いた。
「本当に死んじゃうわよ?」
上下左右360度、全方位を囲まれる。
逃げ場はない。
回避しようとすれば、鋼糸に絡め取られバラバラにされる。
詰み。
えりあはそっと目を閉じた。
(こんな時に……居てくれたら)
鋼糸がえりあを覆う様に縮小していく。
もう間も無くえりあは細切れにされる。
刹那、銀光一閃。
地を割り奔る斬撃はえりあに纏わり付く鋼糸を両断した。
「よぅ、待ったか」
黒鞘から長刀を抜いた男。
赤茶色の髪を靡かせ、ニヒルに笑っている。
えりあは待ち望んでいた。
彼の救援を。
相棒──斬魔はチンと、長刀を納刀した。
◆◆
斬魔はえりあを確認する。
青いロングコートは擦り切れ、白い肌は土で汚れている。
何時も無表情である筈の彼女の顔は、安堵で少し緩んでいた。
苦笑する斬魔。
仮にも彼女は天使殺戮士、プロテスタントの最高戦力だ。
それをここまで追い詰めるとは──
「大丈夫かよ」
「……ええ、問題無いわ」
えりあは無表情に戻る。
斬魔は苦笑を続けながら、対峙すべき女に視線を移した。
アラクネは紅を塗った唇を撫でる。
「あらあら、可愛い坊やね。普段だったらお持ち帰りしてるところだわ」
流し目を向けられ、斬魔は嬉しそうに口笛を吹いた。
「~♪ こりゃまた大層な別嬪さんだ。しかも誘われてるときた。嬉しいねぇ」
「……」
えりあの眉間に皺が寄る。
斬魔はやれやれと肩を竦めた。
「冗談だっての。戦闘中だぜ? 真面目にやるさ」
「そうして頂戴」
同時に構える二人。
互いに背中を預けるその形は、言葉にできない信頼の証だった。
「……!」
アラクネは彼等に自分の過去を重ねる。
二人の構え方が、昔の自分と大和にそっくりだったのだ。
アラクネは苦笑しつつ、両の指を上げる。
「……それじゃあ、戯曲の再開といこうかしら」
アラクネは鋼糸を無数の投擲槍に変形させる。
精神感応金属「ミスリル銀」は、使用者の精神命令に反応して形状を変化させる特殊金属だ。
30本以上の槍が斬魔とえりあに迫る。
しかし、斬魔は抜刀術で全ての槍を両断した。
斬魔は既に収まりつつある長刀を鍔鳴りと共に納刀する。
神速の抜刀術。
これが斬魔の本来の戦闘スタイルだった。
斬魔が作ったチャンスをえりあは見逃さない。
銃撃による高速移動でアラクネとの距離を詰める。
アラクネは事前に張り巡らせていたトラップを発動しようとする。
が、指に感触が伝わらない。
先程の斬魔の一閃がトラップも切断していたのだ。
驚愕するアラクネ。
その間にえりあは彼女の懐に入り込む。
近接戦闘になればえりあに分がある。
バレットアーツが炸裂し、アラクネは苦戦を強いられた。
重く硬い一撃。
アラクネは辛うじて受け流すが、数撃貰ってしまう。
右腕が嫌な音と共に折れ曲がり、脇腹が臓物ごと抉られた。
数撃、されど致命傷。
アラクネは動きを止める。
このチャンスを逃すまいと、えりあは拳銃を逆手に持ち替え、上半身を引き絞った。
彼女はアラクネの顔面に渾身の右ストレートを叩き込もうとしていた。
「……フフフッ」
しかし、アラクネは嗤っていた。
口の端に血を滲ませて尚、嗤っていたのだ。
えりあは途轍もない悪寒を覚える。
が、絞った力は既に収集が付かない。
彼女はそのまま、渾身の右ストレートを放つ。
えりあの右手がアラクネの顔面を通り抜けた。
えりあは目を見開く。
この感触の無さは異常だった。
次の攻撃に転じようとするも、既にアラクネは消えていた。
えりあは二丁拳銃を持ち替え、周囲を警戒する。
「楽しかったわ……懐に入られるどころか、負傷させられるなんて。久々に燃えちゃった」
いつの間にか、アラクネは建造物の屋上に佇んでいた。
彼女は折れた右腕を振りながら、優雅に微笑んでいる。
「もっと遊びたいところだけど、これ以上やっちゃうと火が着いちゃいそうだから、やめておくわね」
アラクネは完全に折れている筈の右腕を瞬く間に修復させる。
脇腹も、伸びをすることで嫌な音を立てて治癒しているようだった。
彼女は満足そうに笑う。
「また今度、遊びましょ♪ アイツには内緒でね」
その言葉を最後に、アラクネは闇の中に消えていった。
えりあは彼女を完璧に視界に収めていたのだが、最早気配すら追えない。
周囲の者達も何時の間にか消えていた。
えりあは眉を顰めつつ、二丁拳銃を収める。
「……本当に厄介ね、ここの住民は。上層部がわたし達を行かせた理由がわかった気がするわ」
えりあの隣に来た相棒、斬魔は呑気に問う。
「結構ヤバかったな」
「ええ」
えりあは表情を険しくする。
「彼女……アラクネは、最後まで毒を使わなかった。それに彼女の本質は暗殺者──キミも見たでしょう? あの尋常では無い気配遮断を。彼女が本気だったら、キミもわたしも只じゃ済まなかった」
「ふむ……」
斬魔は神妙そうに顎を擦る。
「デスシティの三羽烏、ねぇ。厄介だな。今は一人味方に付いてるが、そう考えると頼もしいな」
「……そうね」
えりあは考える。
確かに頼もしいが、それ以上に危険かもしれないと。
依頼であったとしても、あの男──大和をそこまで信頼してはいけないと。
一方斬魔は、黒鞘でトントン肩を叩きながらにやけ始めた。
「しっかしアラクネかぁ、そうかぁ~」
「どうしたの?」
「いや、めっちゃタイプだったから、連絡先聞いておけばよかったって……」
「……」
「……」
「遺言は?」
「やべっ」
暁の世界が消えてなくなる中、斬魔の断末魔の悲鳴が響き渡った。