一話「再会」
夜、魔界都市は何時も通りの様相を呈していた。
繁栄と堕落を極め、無秩序の中に混沌を生み出している。
七色に煌めくサーチライトに曇天を貫かんばかりに聳え立つ高層ビルの群れ。
近未来を彷彿とさせる大通りを歩いているのはエルフやオーク、ゴブリン。他にも武装したヤクザ、カジュアルな服装をした妖怪。更にアンドロイド、蟲人に邪仙、獣人、亜人など──
多種多様な種族がせわしなく行き交っている。
端っこにある屋台には魔改造が施された重火器や魔除けのタリスマン、強力な薬物などが並べられており、すぐ後ろでは犯罪組織の組員たちがルールを守らなかった馬鹿どもを見せしめに蜂の巣にしていた。
反対側では発情期に入った女獣人のカップルが濃密なキスを交えており、それをオカズに抜いているホームレスが荒い吐息を吐いている。
今日も今日とて平和なデスシティ。
中でも中央区はあらゆる種族が、ものが集まってくる。
ここにある唯一といっていい安全地帯、大衆酒場ゲートにて。
店内は何時にも増して活気がよかった。
屈強な賞金稼ぎたちが派手に金をばら撒き、種族問わず美女美少女を寄せ集めている。対して得物の点検をしながら静かにワインを嗜む孤高の殺し屋もいた。
妖精や羽付きの怪虫が上空を飛び回り、不意にキリンの獣人の頭にぶつかる。キリンの獣人は自分の首が長いせいだと理解しているため、謝ってもらえれば暴れたりしない。
そも、暴れるつもりはない。この店の中では──
暴れようものなら店主に店から叩き出される。
せわしなく動き回るウェイトレス、ウェイターとすれ違い、賭博とダンス、祝勝会で盛り上がっている客人たちの合間を抜けていけば、自然とカウンター席までやってくる。
注文を一通り捌き終えた店主である金髪の偉丈夫、ネメアは、半ば指定席になっているカウンター席で暇そうに煙草をふかしている褐色肌の美丈夫に話しかけた。
「随分と暇そうだな、大和」
「まぁな。でも、こういう日もアリなんじゃね? こう、空に浮かぶ雲みてぇな気分になる」
大和──そう呼ばれた男は一吸いで煙草をフィルターまで焼き、そして天井に思いっきり紫煙を吐き出した。
残った吸い殻は横で山盛りになっている灰皿に押し込める。
ネメアは冗談半分に言う。
「ならうちの手伝いでもしてくれ。万年人手不足なんだ」
「じょーだん。俺に接客なんてできるかよ」
「わかってる」
ネメアは椅子に座ると新聞を手に取る。
すると、店内が微かに揺れた。
客人たちはどよめく。
ネメアは形のいい眉を微かにひそめた。
「地震か? かなり大きかったな」
「この店が揺れるってことは相当な規模だろうぜ」
大衆酒場ゲートはネメアと縁が深いギリシャ神話の神々の加護が常に最大限働いている。
核爆弾の直撃を受けても少し揺れるくらいで済むほどだ。
つまり、だ。近くでそれなりの規模の出来事が起こったということだ。
ネメアは顎を擦る。
「空間震の可能性があるな……あればかりはどうしようもない。小規模のものでも近くで起これば揺れる。空間そのものが変動しているからな」
「またか。つい最近起こったばっかだぞ」
大和は呆れる。
空間震。この世界で稀に起きる現象だ。異世界との繋がりが強制的に行われた際に起きる、空間異変の一種である。
ネメアは考えた。
「今の時代の不安定さだ。空間震が多発してもおかしくない。それに、空間震は空間震でも全く別の内容かもしれんぞ?」
「と、言うと?」
「南区の未踏領域と同じ原理だ。全く別の、異なる文明のものがやってくる」
「ああ、なるほどな」
南区の未踏領域とは、神話の時代、或いは異なる時代にあった空間や地帯、文明の総称である。
これらは南区を取り仕切るギルドが管理しているが、確かに未踏領域でなくとも、それに近いことが起これば空間震は発生する。
ネメアの考察は中々に鋭かった。
大和は飲みかけのラムを一気にあおり、トンとグラスを置く。
そして勘定を置いて立ち上がった。
「ちょっと見てくるわ。興味湧いた」
「面倒事なら、首を突っ込むなよ」
「善処する♪」
そう言って、真紅のマントを靡かせ去っていく。
彼の背をネメアは呆れ交じりに見送った。
◆◆
ネメアの考察は的を得ていた。
今回の空間震はただの空間震ではなかった。
異世界ではなく、全く別の時代が一瞬ながらも繋がったのだ。
ゲートから少し離れた大通りの真ん中で。
空間震の発生した現場の真ん中には、なんとも場違いな少女がいた。
「ここは……私は、一体……」
年齢は十代後半ほど。可憐な美少女である。ブラウン色のミディアムヘアは小さくポニーテールに結われており、同じ色の丸い目は困惑で揺れている。まだ幼さの残る顔立ち。年相応の肢体。服装は地味な黒の着物、その上から白色の羽織を羽織っている。
純和装──それだけなら異質ではない。
異質なのは、彼女が纏う気だ。
穢れを一切知らない純真無垢な気──
清らかな、聖域を思わせる気を全身から放っている。
表世界の住民でも、ここまで清らかな気を放つ存在は中々いない。
故に、近くにいた住民たちはヨダレを垂らし、ある者は舌なめずりした。
悪意ある存在、邪悪な種族にとって、彼女は極上の餌なのだ。
空間震の余波で吹き飛ばされたことなど頭から無くなっている。
魔界都市の住民にとって、彼女は甘露のようなものだった。
「……!?」
邪悪な気を察知した少女は一瞬で臨戦態勢に入る。
両手をかざしながら、周りに群がる住民たちに警告した。
「それ以上近寄らないでください! 近寄れば、タダでは済みませんよ!」
タダでは済まない──その言葉を聞いて住民たちはゲラゲラと笑った。
どうやら、本当に、ただの極上の餌らしい。
魔界都市に迷い込んでしまった、哀れな子羊だ。
住民たちはその場で相談しはじめる。
生け捕りにするか、するにしても誰がいただくか──
途中で我慢できなくなった妖物の一匹が少女に飛びかかる。
自分の獲物だと言わんばかりに──
「っ!」
少女は破邪の術式で妖物を丸焦げにすると、そのまま煙幕を張って逃亡した。
予想外の反撃に住民たちは面食らう。
煙幕は煙幕でも、ただの煙幕ではない。何らかの術式によるものだ。
騒いでいる住民たちの反対方向に走り抜ける少女。
彼女はあることに気づく。
(右足の呪いが解けてる? どうして……なら、牛鬼は死んだの? ……それより、ここは何処?)
少女は空を見上げる。
そして、あまりの眩さに手をかざした。
「……ここは、どこ?」
思ったことがそのまま言葉として漏れる。
少女は思わず立ち尽くした。
眩しいし、うるさい。
何が何なのかわからない。
夜空を覆い隠すドス黒い曇天も、その曇天をかき分ける超科学の結晶である飛行船も、飛び交う自動車やハーピー、ワイバーンなども、わからない。
何一つわからない。
ただ一つだけわかることがある。
ここが、邪悪で狂気的な場所であるということだ。
「なんなの、ここ……地脈が、空気が、こんなにも穢れて……こんな場所があるなんて……」
動揺している少女。
すると、背後から怒声が連なって聞こえてきた。
まずい、煙幕を抜けられると、少女は逃走を再開する。
今はただ逃げるしかなかった。
どうにかして安全な場所を見つけて、現状を把握する必要があった。
何より、少女は焦っていた。
「早く……早く元いた場所に戻らないと……!」
手遅れになってしまう。
「彼」が「彼」ではなくなってしまう。
そんな気がしてならなくて、少女は一心不乱に駆けていた。
無事であることを伝えたい。
安心した彼の表情を見たい。
死を覚悟していたが、別に死にたいワケじゃなかった。
むしろ逆──生きたかった。
生きて、ずっと彼の傍にいて、その成長を見届けたかった。
弟──いいや、それ以上の存在だった。
一刻も早くこの魔境から抜け出さなければならない。
そう思っている少女を住民たちが囲う。
通りすがりの住民もまた、彼女の清らかな気に誘われ追手に加わったのだ。
数十名に囲まれた少女は、覚悟を決めて懐から呪符を取り出す。
そして周りにいる、姿形もバラバラながら、妖魔も恐れる邪気を放つ魔物たちを睨みつけた。
見たこともない種族、見たこともない服装、見たこともない武器……
少女は全力で戦うことを決意する。
ブラウン色の小さなポニーテールを揺らして、同じ色の丸い目を濡らしながらも戦意を見せる。
その身から溢れ出た破邪のオーラは、只人ではない証だった。
住民たちが警戒して一歩踏み出せないでいる中、外野が騒がしくなる。
騒動の主は、すぐ近くまでやってきていた。
「ヤベェ!! 黒鬼だ!! 逃げろ!!」
「チィ……! あの化け物、こういう時に顔を出しやがって!」
「このお嬢ちゃんが狙いなのか……!? だとしたら……クソっ、引くしかねぇ!」
外野の恐怖が少女を囲っている者たちにも伝播する。
続々と飛び去っていく住民たち。
中には粘る者もいたが、カランカランと、下駄の音と共に圧倒的強者のオーラを感じ取れば、顔を青くして退散する。
何時の間にか、少女の周りには誰もいなくなっていた。
誰でもない、少女が一番驚いている。
あの、妖魔も怯えるほどの邪気を放っていた者たちが、恐怖で逃げた?
信じられないといった表情をする少女の前に、男が現れる。
褐色肌の美丈夫だ。
彼は灰色の三白眼で少女を確認した瞬間、これでもかと目を見開く。
そして、思わずといった風に呟いた。
「
大和が、あの大和が、目に見えて動揺していた。
どんな状況であっても笑みと余裕を絶やさないこの男が……
しかし、それは当然だった。
何故なら彼女は、自分の幼い頃の世話係であり、既に死んだと思っていた初恋の人だから──
「大和様……? 大和様、なのですか……?」
少女──瑠璃もまた動揺していた。
彼は、大和は、まだ十歳になったばかりの筈だ。
目の前の男は二十代後半、もしくは三十代ほど。
しかし、彼は紛れもなく大和だった。
その灰色の三白眼、褐色の肌、肉食獣のような歯。そして女神も虜にするであろう美貌。
見間違える筈がない。
しかし──
「どうして……っ、そのお姿は、その邪気は……?」
彼女が知っている大和は、こんなにも雄々しく妖艶で、しかし邪悪で、憎悪に満ちていなかった。
──運命の歯車が動き出す。
残酷に、見せつけるように。