瑠璃は王宮に来るのは初めてだった。
無理もない。此処は皇族やその関係者以外住まう事を許されていない聖域だ。丞相など特別位の高い者でも、離れた場所で暮らしている。
瑠璃は今回、特別に招待されていた。
瑠璃はまず、あまりの広さと豪華絢爛さに驚いた。
風光明媚な景観を見つめながら迷路のような廊下を歩いていくと、宴の会場である広間へとたどり着く。
広間は既に大盛り上がりだった。
東西南北から集められた酒や宮廷料理がテーブルにズラリと並び、踊り子たちが淑やかな楽器の音色に合わせて踊っている。
高官、将軍をはじめとした臣下たち、貴士族や普段後宮にいる妃と侍女たちが一堂に会している。
瑠璃は無月のいる離宮以外は宮殿外にいることが多いため、この場にいる錚々たる顔ぶれに目を丸めた。
互いに離れた場所にいるのが右丞相と左丞相。仲が悪いことで有名で、既に自身の周りを臣下や賛同者である将軍、高官らで固めている。
間にいるのが皇后に次いで地位の高い三人の寵姫たち、通称「三貴妃」。それぞれ侍女や女官を連れて、静かに牽制しあっている。
最奥にはこの国の中心であり頂点、皇帝皇后両陛下がいた。
瑠璃は何とも言えない表情をする。
宮中の事情をまるで知らない彼女にとって、この張り詰めた空気は息苦しさを覚えた。
とてもじゃないが、宴を楽しむ雰囲気じゃない。
瑠璃はまず、無月と大和を探した。
無月はすぐに見つかった。両陛下の傍に控えている。
しかし大和が、肝心の大和が見つからない。
彼は第一皇子だ。目立った場所にいないのはおかしい。
怪訝に思い始めた瑠璃。そんな彼女を見つけた皇帝は、傍にいる無月に声をかける。
「無月よ、あの娘はもしや……」
「はい。大和坊っちゃんの担当をしている教育係です」
「そうか……! 呼び寄せよ」
「かしこまりました」
無月は瑠璃に言霊を送る。
この世界最強の呪術師は、三メートルはあろう横にも縦にも大きい老婆だ。
彼女は怪訝な面持ちのままやってきた瑠璃に言う。
「陛下からお話があるそうだよ。伏して聞きな」
「……わかりました」
瑠璃は大和を探したい気持ちを押さえて、両陛下に両膝を付き頭を下げる。
「お初にお目にかかります、陛下。大和様の教育係を務めております、瑠璃です」
「よい、おもてをあげよ」
「……」
瑠璃は顔を上げて両陛下を確認する。
絶世の美男美女だ。
互いに黒髪で、瞳の色はブラウン色。肌は白く、服装は特注のもの。贅沢の限りを尽くしている。
どこか気怠げな雰囲気が印象的だ。
(あれ……? この方たちが大和様のご両親……? 全然似てるところがない……)
驚いている瑠璃に、皇帝は薄ら笑みを浮かべながら告げた。
「忌み子の目付役、ご苦労。心労溜まっておるだろう。今宵は心ゆくまで楽しむといい」
「…………え?」
忌み子──その言葉を聞いて、瑠璃は目を丸めた。
放心している彼女を傍目に、皇后は夫によりかかる。
「ああ、なんとお優しい……目付役として全く役に立っていない小娘を労うなんて」
「そうとは限らんだろう。この者がいなければ、あの鬼子は更に暴れていたやもしれん……。全く、ただでさえ疎ましいのにまた厄介事を持ってきおって……」
「南側の、デーヴァ神族の神々にはなんとお伝えしましょう?」
「平行線だ。交渉はするが……アレは我々の言う事を全く聞かん。……考えれば考えるほど忌々しい。英雄面して奴隷を全員持って帰ってくるなど」
デーヴァ神族。現代でいうところのインド神話だ。
大和が奴隷を全員持ち帰ったことで、彼らは怒り狂っていた。
「今日は大事な日であるというのに……なぁ、后よ。腹の子の調子はどうだ?」
「はい、もう目に見えるくらいお腹が膨らんできて……もうそろそろ産まれる頃合いかと。正真正銘、貴方様の子です」
「そうか……! そうか! そうだものな! ここ十年、俺以外の男を寄せ付けておらぬものな! 後宮には女しかおらぬ! 正真正銘、我が子だよな!」
「ええ。これでようやく……」
「皇位継承権を奴から奪える」
「そうすればこの子が皇位継承者となり、あの鬼子を追放できる……ああ、待ちに待っておりました」
「俺もだとも。ようやく、奴と縁を切れる……忌々しくも悍ましい、人の形をしたバケモノめ」
忌み子、鬼子、人の形をしたバケモノ──
ここに来て、ようやく瑠璃は我に返る。
ブワリと、全身の血が沸き上がった。
そのまま怒りに任せて叫ぼうとする。
「貴方達、大和様のことを何だと──」
「両陛下!! 今のお言葉は聞き捨てなりませぬぞ!!」
その前に彼等の傍に控えていた男が叫んだ。
怒髪天を衝く勢いだ。
あまりの声量に広間が揺れる。
皇帝も皇后も、瑠璃すらも目を丸めた。
声の主は十代半ばほどの容姿をした美男子だった。
適度な長さで結われた黒髪、丸い黒目。美少女と言われても納得できる可憐な顔立ちに小柄な肢体。
白の着流しを着ている彼は、そのままズカズカと両陛下の前まで歩いてくる。
「それが!! 血を分けた子に対するお言葉ですか!! それが、腹を痛めて産んだ子に対するお言葉なのですか!! お答えください!! 両陛下!!」
「う、
雲水。
帝室に古くから仕える武術指南役。
その歴史は三代まで遡り、現皇帝にとっては祖父のような存在だ。
可憐な容姿とは裏腹に合気柔術を極めた超人であり、王国内で大和を止められる唯一の男。
世界最強の拳法家たちに与えられる称号「四大魔拳」の代表である
相談役であり呪術師である無月とは対極に位置する存在だ。
皇帝は驚き、そして怯えながら雲水に言う。
「雲水殿も知っているだろう? アレは、生まれながらに人間ではない。バケモノなのだ。アレが生まれてから、国の様子はすっかり変わってしまった」
「良い方向に変わりましたな!! グズグズに腐りかけていた王国の毒を一気に洗い流してくださった!!」
「そ、それは言い過ぎではないか……?」
「保身に走り、民をないがしろにし、重い徴税を繰り返し、奴隷を家畜の如く扱う!! 不安定な
簡単に言えば、王国は滅びかけていたのだ。
「大和様が一人で全て解決してくださったのです!! それどころか異種族と交友を図り、仲を取り持ち、国の負担を減らしてくれている!!」
「国の負担は、奴が勝手に奴隷を解放したからであって……! そも、異種族共を纏め上げているのは国家転覆を狙っているからであろう!?」
「それが目論見ならば、陛下……貴方様はもうこの世にいません。奴隷で成り立つ国家に未来はない……何故わからないのですか!? 大和様は護国の、いいや、救国の英雄なのですよ!?」
「わからぬのはこちらの台詞だ! 雲水殿! 今更になって、何故あのようなバケモノの肩を持つ! まさか雲水殿は、あ奴の味方なのか!?」
「〜〜〜〜っっ」
雲水は頭を掻きむしる。
まさかここまでとは思っていなかった。
気付かなかった自分が何よりも腹立たしい。
すると、後ろより声が上がった。
左丞相とその臣下たち、そして三貴妃の一人だ。
「雲水殿の言う通りです! 陛下、この機に一度考え直してはいただけないでしょうか? 大和様は、この国に必要不可欠な存在です!」
「陛下! どうかご一考を!」
「大和様はこの国に、いいや世界に光を齎す存在! 何卒!」
「私は大和様の誕生日だというから後宮から出てきたのに……話が違いますよ? 陛下」
不平不満が上がる。
しかしそれを見て黙っている外野ではない。
右丞相とその臣下たち、並びに他の三貴妃たちが声を荒げる。
「なんと無礼な……!! いくら雲水殿でも陛下への無礼の数々、到底許されるものではありませんぞ!!」
「たかだか指南役風情が、調子に乗りおって!」
「一族郎党、首を落とされたいのか!」
「左丞相とその周りは知っていたけど、貴女……仮にも陛下の妃でしょう? 何のつもりかしら?」
「浮気は許されませんねぇ」
宴の広間だったのが、一瞬で舌戦の広場へと変わる。
現皇帝派と次期皇帝派で分かれた。
一層騒がしくなる中、雲水は呆けている瑠璃に告げる。
「……大和様の所へ行ってやってくれ。ここは我々大人がどうにかする。……瑠璃殿なら、大和様のいる場所がわかるじゃろう?」
「……はいっ」
瑠璃は力強く頷く。
そうして広間を出ていった。
◆◆
その日は満天の星空だった。
神話の時代の空気は澄んでいる。夜空を汚すものは何も無い。
天の川が大きく流れる夜空を、大和は立ちながら見つめていた。
大和はこの小高い丘上を好んでいた。
王国を一望できる。
暇があれば昼寝をしたり、こうして星を眺めたりしていた。
「ハァ、ハァ……ッ! よかったっ、いた……!」
「……瑠璃か」
大和は振り返り、肩で息をしている瑠璃を見つめる。
そして苦笑いを浮かべた。
「何をしてる。王宮に戻れ。宴の最中だろ?」
「大和様は……ご存知だったのですか? 自分が招待されていないことを」
「ああ、知っていた」
「っっ」
瑠璃は悲痛で顔を歪める。
「何で、何で教えてくれなかったんですか……! 大和様が招待されていないのなら、私は最初から……っ」
「……ふぅむ、無月のばー様め。あえて瑠璃に説明していなかったな。アイツは意地悪なところがある」
大和は頬を膨らませると、打って変わって瑠璃に笑いかける。
儚い、悲しげな笑みだった。
「と言う事は……今日知ったのか。父上や母上が俺をどう思っているのかを」
「はい……っ。ですがアレはあまりに! あまりに酷ではありませんか!? 大和様は血を分けた御子息! それをあんな……っ!」
「しょうがないだろ」
「……え?」
瑠璃は固まった。
予想外の返答だったからだ。
「俺は両親の面影を一切受け継いでいない。この褐色の肌も、灰色の眼も、ギザギザの歯も、二人は持っていない」
「それは……!」
「それに、俺は生まれながらに他とは違っていた。歯が生え揃って生まれ、その日の内に肉を食ったという。この力も、人間にしてはあまりに強大過ぎる」
「……っ」
黙ってしまう瑠璃に、大和は言う。
「忌み子、鬼子」
「!」
「そう呼ばれていただろう? でも、仕方ないんだ。父上と母上は悪くない」
「……何を、言って」
「客観的に、とでも言えばいいのか? そういう風に見えてしまうんだ。何事も」
瑠璃は絶句した。
両親から恐れられ、忌み子鬼の子として扱われているのに、悲しんでいない。
むしろ納得してしまっている。
大和はまだ十歳だ。
多感な時期の筈だ。
超然とし過ぎている。
大人でも、こんな考え方をできるものは少ない。
大和はふと、夜空を見上げた。
「見てみろ、瑠璃」
「……?」
「綺麗な、満天の星空だ。大きな天の川もまた美しくて……まるで宝石箱のようだ」
大和はゆっくりと語り始める。
「生まれ、立場、種族、容姿、考え、価値観……それら全てを、俺は「個性」だと思ってる。星の輝きが一つ一つ違うように。形も大きさもバラバラなように。生き物には必ず個性がある。俺は、ソレを尊重したいんだ」
「……」
「俺はただ、こうやって「綺麗だな」と、各々の輝きを眺めていたいだけなんだよ」
瑠璃はここにきて初めて気付いた。
彼は、肉体のみならず精神性も規格外なのだ。
人間の範疇を超えている。
大和は不意に、苦笑をこぼす。
「まぁ、好き嫌いはあるがな。それくらいは許してほしい」
そう言って、また星空を見上げる。
「最近になって、わかったことがある。……俺は人類にとって重大な試練として生まれてきたんだ」
「……」
「時代を切り拓くための「礎」……そう考えたらこの容姿にも、力にも、精神性にも納得がいく。試練に必要なのは人間性じゃないからな」
「…………坊っちゃん」
「きっと俺は、そのためだけに生まれてきた……」
「坊っちゃん……!」
瑠璃は大和に抱きついた。
その首に両手を回し、顔を抱き寄せる。
「そんなこと、言わないでください……っ。貴方は忌み子でも鬼子でも、ましてや試練などでもない……まだ十歳の、男の子なんです……ッ」
「……瑠璃ねぇ?」
「もっと甘えていいんですっ、もっと我がままを言っていいんですっ、だから……ッ」
「……泣いているのか? 瑠璃ねぇ」
「っっ」
瑠璃の目からはポロポロと、絶え間なく涙が溢れていた。
止まらない。彼を想えば想うほど……涙が、止まらない。
「私は、私だけは、坊っちゃんの味方ですから……っ。もう誰にも、忌み子だなんて呼ばせないっ。貴方は私にとって、太陽のような存在なんです……っ」
「……」
「私がお守りします。ずっとお傍にいます。だからどうか……っ」
そんな悲しいことを言わないでください。
そう言って自分を抱きしめ続ける瑠璃に、大和は言った。
「……これが、愛……というやつなのか?」
「はい……っ。私は坊っちゃんのことを、心の底から愛しています……っ」
「そうか……これが、愛なのか……。温かいものだな、愛というのは」
大和は微笑む。
瑠璃はそんな彼を抱きしめ続けた。
彼女は強く誓った。
ずっと傍にいようと。ずっと傍で見守ろうと。
大人になっても、ずっとずっと……
死ぬその時まで、傍にいようと。
夜空に輝く星々に、そして神々に誓った。
「…………」
瑠璃は現実に戻って来る。
あれからまだ一週間も経っていない。
立てた誓いはまだ胸の中で強く輝いている。
瑠璃は思わずにはいられなかった。
(でも、この誓いのせいで大和坊っちゃんは……大和様は、牛鬼に苦戦した。本当なら楽に勝てたのに、足手まといな私を庇ったから……)
「瑠璃」
「……」
「瑠璃、聞こえているか?」
「……あっ、すいません。大和様」
「俺から五歩以上離れるなと言ったよな?」
「あっ……」
物思いに耽っていたら、何時の間にか距離が空いてしまっていたらしい。
険しい顔で見下ろしてくる大和に、瑠璃は慌てて頭を下げる。
「申し訳ありません。次は注意します……っ」
「……ハァ」
大和はため息を吐くと、真紅のマントを手に取り、それを瑠璃に押し付ける。
そして背を向け言った。
「それを持っておけ。そしたら誰も襲ってこない」
「…………」
歩きはじめる大和。
瑠璃は目を見開いていたが、次には愛おしそうに真紅のマントを抱きしめた。
「……優しいところは変わらないんですね、大和様……」
瑠璃の言葉を、大和はあえて聞き流した。
そうして二人は北区へとやってきた。