villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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十話「魔都ロンドン」

 

 

 イギリスの首都、ロンドン。

 欧州連合内で最大の面積を誇るこの都市は、その栄え方も実に賑やかだった。

 

 しかし今は反転し、地獄と化している。

 断末魔の悲鳴が幾重にも連なり、それを掻き消す様にバケモノの咆哮が暗黒天を貫く。

 倒壊した建物から燻る黒煙は、やがて災禍の焔へと変わった。

 肉と臓物、油を潤滑油に吹き上がる炎のなんと汚らわしい事か。

 

 鼻が腐るほどの悪臭が熱波に乗って周辺地域に伝播する。

 世界全土が恐慌状態になるのは、最早時間の問題だった。

 

 異形のバケモノが、生きる者全てを蹂躙していた。

 獣、魚、虫。あらゆる生物の嫌悪的部分が、負の感情を糧にして患者の肉体を膨張させている。

 

 女性の悲鳴が聞こえたと思えば、立て続けに鮮血のシャワーが降り注ぐ。

 隠れていた子供達は見つかり、抗う術無く捕食された。

 

 此処は生き地獄。

 嘗て、倫敦と呼ばれた場所。

 

 この災禍の只中で、懸命に戦っている集団が一つ。

 制服型の法衣に身を包んだ若者達だ。

 

 彼等は真世界聖公教会のエージェント。

 プロテスタントに所属している戦士達だ。

 

 状況は劣悪を極めていた。

 幾千幾万と増殖し、波涛の如く押し寄せる天使病の患者に、彼等は成す術なく呑まれかけている。

 

「くぅ……ッ」

 

 一人の少女隊員が肩を負傷した。

 その隙を天使病の患者達は見逃さない。

 口から、目から、手から、足から、触手の様な肉の鞭を伸ばす。

 その先端は矛であり、流動的な動きを以て少女の身を貫こうとしていた。

 

「避けろ!!」

「ッ……!?」

 

 他の隊員が叫び、少女もそれに反応する。

 が、肩の傷が疼いて動きが止まる。

 その数秒は致命的だった。

 

 少女の目前まで迫る肉鞭。

 少女は避けられないと悟り、目を瞑った。

 

「……ッッ」

 

 頬を焦がす焔の熱。

 その熱は温かく、少女は何故か安心してしまった。

 

 恐る恐る目を開けると、男の背中が映った。

 彼は手に持つ大太刀で抜刀一閃。鞘から溢れ出た火焔で肉鞭を焼き払ったのだ。

 

 少女は歓喜の余り叫ぶ。

 

「ジーク隊長っ!」

 

 ジーク──そう呼ばれた男は、少女に振り返った。

 綺麗に整えられた銀髪、リムレスタイプの眼鏡。

 美しい碧眼は、厳しくも温かい眼差しを少女に向けていた。

 

「大丈夫ですか?」

「はいっ!」

 

 少女は大きく頷く。

 ジークも頷くと、彼女達に背を向けた。

 そして告げる。

 

「君達は逃げなさい。この場は私が受け持ちます」

「隊長!?」

「何を仰るんですか!! 一緒に!!」

 

 この会話だけで、彼がどれだけ慕われているのかがわかる。

 そして、現状がどれだけ困窮しているのかも──

 

 しかし、ジークの返答は変わらない。

 

「隊長命令です。撤退しなさい。……君達は明日のプロテスタントを支える希望、失う訳にはいきません」

「それを言うなら隊長だって! 隊長がいなくなったら!!」

「そうです!!」

 

 苦言を呈す隊員達に、ジークは一喝する。

 

「くどい!!!!」

「「「「!!」」」」

「逃げなさい……これは命令です」

 

 腹の底から出した声だった。

 振り返らずとも伝わる、その決意。

 

 隊員の一人が、思い切り唇を噛みしめた。

 

「逃げるぞ」

 

 他の隊員達も苦渋の表情で頷く。

 しかし先ほどの少女は、涙ながらに首を横に振った。

 

「いやです……ッ、ジーク隊長を置いて行けないっ」

「我が儘を言うな!! 行くぞ!! ジーク隊長の決意を無駄にするのか!?」

「ッ」

 

 迷う少女。

 その手を強引に引き、隊員達は撤退を始める。

 少女は大粒の涙をこぼし、ジークに手を伸ばした。

 

「隊長ォっ!!!!」

 

 その声に宿る愛を、ジークは知っていた。

 彼女が自分の事を異性として慕ってくれているのも、知っていた。

 しかし振り返らない。

 

 隊員達がこの場から離れた事を確認し、ジークは目前の患者を抜刀術で斬り結ぶ。

 

「ここから先へはいかせません」

 

 ジークは納刀すると同時に深く身を屈めた。

 眼前に群がるのは、優に1000は超える天使病の患者達。

 

 本来、数匹でも十分な戦力を投入しなければならない。

 が、今回は話が違う。

 

 緊急事態。絶対絶命。

 しかしジークは引かない。

 

 護らなければならない部下達がいる。

 守らなければならない矜持がある。

 

 プロテスタントの誇る牧師、ジークは構えた。

 天使病の患者が、津波の如く彼に押し寄せた。

 

 

 ◆◆

 

 

 ジークは羅刹と成った。

 愛刀である「神剣・迦具土」の黒刃が血糊で溺れても、彼は止まらない。

 

 神速の足捌きで地獄を駆け、天使病の患者を斬り伏せていく。

 聖なる焔が迸り、清き雷光が邪を貫く。

 

 討伐数は100を超え、300を超え、500を超えた。

 肉体の限界などとうに過ぎている。

 それでもジークは、計1000以上もの患者を斬り捨てた。

 

 しかし、それが限界。

 ジークは片膝を付く。

 

 漆黒の制服は返り血で染まり、脇腹は食い破られている。

 眼鏡にはヒビが入り、銀髪は脂汗で色褪せていた。

 鞘を杖代わりに何とか堪えているが、いつ倒れてもおかしくない。

 

 ジークの眼前には、万を超える天使病の患者が蠢いていた。

 欧州を代表する都市、ロンドンの住民の7割以上が天使病に感染したのだ。

 千を斬った所で、その勢いが衰える事はなかった。

 

「あらあらあら~♪ 凄いわね~♪ 一人で千体以上も天使病の患者斬っちゃうなんて、表世界の住民にしておくのが勿体無いわ~♪」

 

 この状況に全く不釣り合いな、陽気な声。

 ジークが視線を上げると、廃墟の屋上に異様な女が佇んでいた。

 

 年齢は二十代ほど。

 乱雑に伸ばされた黒髪。前髪には金のメッシュを入れている。

 服装は裾の短い黒の上着にローライズのホットパンツ。

 顔立ちは良いものの、不気味な笑みを浮かべている。

 金色の瞳も狂気と殺意でグチャグチャに濁っていた。

 

 間違いなく常人では無い。

 この地獄の中で嗤っており、その手には禍々しい二丁拳銃が携えられている。

 

 彼女は愉しそうに笑いながら、隣に居る男に話しかけた。

 

「ねぇねぇ依頼主さん、あの牧師さんと遊んでいい? あの端正な顔をグチャグチャに歪ませたいなぁ~♪」

 

 彼女の横には、漆黒の法衣を纏った壮年の男性が居た。

 年齢は四十代ほど。

 法衣を盛り上げる鍛え込まれた肉体が、何とも不気味だった。

 

 彼はジークを睥睨し、嘲笑う。

 

「プロテスタント、真世界聖公教会の代表的牧師、「雷光」のジーク殿ではないか……」

「……ッ、天使教の幹部かッ」

「聡明だな。しかし手遅れだ。ロンドンは大いなる祝福を受けた。このまま祝福は世界中に広がるだろう。……世界は一度滅び、そして生まれ変わるのだ」

「ほざけ……ッ」

 

 ジークは震える足に喝を入れ、立ち上がる。

 そして抜刀の構えをとった。

 

「貴様の好きにはさせん……ここで斬り捨てる」

 

 殺意と、それ以上の決意がこもった眼光。

 天使教の幹部は肩を竦めた。

 

「やれるものなら……サーシュ」

「はいは~い♪」

「殺してしまいなさい。考えうる限りの残虐な方法で」

「フフフ♪ りょ~か~い♪」

 

 女──サーシュは歪な笑みを浮かべて舞い降りる。

 彼女はジークの目前で着地すると、その濁った双眸を卑しく細めた。

 

「どう殺そうかな~♪ どう痛めつけようかな~♪ クフフッ♪ その端正な顔が歪むの、とても楽しみよ♪」

 

 眼前で魔女が嗤い、周囲で無数の患者が蠢く。

 最早、万に一つの勝機も無い。

 

(なればこそだ……この消えかけの命、明日に生きる者達の糧になるなら……ッッ)

 

 燃やし尽くしてしまえ。

 ジークは金色の柄巻を強く握りしめた。

 

 彼は一度深呼吸し、ある男を思い浮かべる。

 軽薄でだらしないが、誰よりも信頼している、あの天使殺戮士を──

 

「後は頼んだぞ……斬魔」

 

 呟き、ジークは大きく跳躍する。

 魔都ロンドンに、極大の雷火が迸った。

 


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