斬魔の一閃が煌く。
ジークは両翼を羽ばたかせ、炎に包まれるロンドンを飛翔していた。
超高速戦闘。
空から立体的に攻めてくるジークに、斬魔は追い立てられている。
瓦礫と化した建物の上を跳び回る斬魔。
衝撃と共に高く跳躍し、抜刀する。
斬月状の真空波がジークへ迫るが、彼は空中で回転して避けてみせた。
両翼を力強く薙ぎ、その力を用いて空中抜刀を放つジーク。
地に足付かない斬魔は避ける事叶わず、辛うじて鞘でガードした。
相手を撲殺できる強度の鉄鞘のおかげで命拾いしたが、思わず呻く。
「クソが……ッ」
着地と同時に斬魔は駆ける。
元々、ジークは同等の抜刀術士。
その腕が天使病に感染しても落ちていない。
それどころか、天使病の力を取り込み更に錬度を上げている。
手が付けられなかった。
「焔と雷撃とか、ざっけんなよ! 反則だ!!」
斬魔は叫びながら、自身に迫る雷光の槍をバク転で避ける。
ジークが大太刀を薙ぐと、灼熱の焔が津波と成った。
道端に転がっていた瓦礫が飴細工の様に溶けていく。
斬魔は深く深呼吸する。
明鏡止水の心で居合いを放てば、炎の津波は縦半分に裂けた。
その合間を縫うように跳躍抜刀。
ジークの首を跳ばそうとする。
が、ジークの目前で白刃が止まった。
神聖文字で描かれた障壁が刃を弾いていた。
「チィ……!!」
斬魔は舌打ちしつつ、鞘との二刀流で乱撃を繰り出す。
ジークも刀と鞘で応答した。
暗黒天で剣戟の花火が散る。
一瞬で数百の剣戟を交わした二人だが、限界が訪れた斬魔をジークが翼で叩き落した。
瓦礫の上に落下した斬魔は、思わず弱音を吐く。
「勝てねぇ……こりゃ、人間にはキツすぎる」
斬魔は大和の様に人間の理を超えた逸脱者では無い。
故に限界がある。
純粋な身体能力と技では、強力な人外には勝てないのだ。
極限まで己の技を磨いてきた斬魔でも、同等の技量を持ち、人外に堕ちた存在には苦戦を強いられる。
彼は空中で浮遊するジークを見て複雑な表情をすると、唇を噛みしめた。
「……馬鹿野郎が」
血をペッと吐き出し、立ち上がる斬魔。
よろけそうになるも、歯を食い縛って耐える。
彼はジークに長刀の切っ先を向けて、宣言した。
「……絶対ぇ、斬ってやる」
刀を振るい、斬魔は再度跳躍した。
◆◆
ジークは欧州人でありながら正統な武術を修めた武芸者である。
武術の名は「鹿島神流・裏の型、『
日本で最も歴史ある武術、鹿島神流。
その中でも極々一部の者しか継承されない裏の型。
ソレをジークは修めていた。
迦具土は古事記に登場する焔の神。
鹿島神宮が崇拝する建御雷の親である。
迦具土の型は抜刀術でありながら、方術で雷火を操る戦法にも秀でていた。
対霊的存在を意識した、極めて実戦的な武術である。
ジークは天才では無いが、努力で才能を補う秀才だった。
誰よりも勤勉に、誰よりも鍛錬し──そうして強くなった。
己の感性で戦う真の天才である斬魔とは、また違う。
近距離、遠距離、経験──全ておいて隙が無い。
以前は経験と才能の差異で互角だったが、今は違う。
才能以前の問題だ。
ロンドンの象徴とも言える塔、ビックベンに斬魔は打ち付けられた。
黒鞘でガードしたが、その威力はビッグベンを貫き亀裂を奔らせる程。
斬魔は耐え切れずに吐血した。
強大な力を前には、才能など些細なもの。
蟻が象に勝てない様に、小手先の技術では真の化外は打ち倒せないのだ。
「く、そ……ッ!!」
斬魔は唇に血を滲ませながらも塔の側面に立ち、襲来に備える。
予想通り、彼は来た。
純白の羽を舞い散らし、斬魔に赤熱化した刃を振り下ろす。
問答無用の唐竹割りに対し、斬魔は渾身の打ち上げで対抗した。
空気が爆発する。
山河を裂き、海を両断できる両者の一撃は、曇天をも切り裂いた。
ビッグベンに更なる亀裂が奔る。
斬魔は頑丈な足場を確保するため、地上を目指した。
それをみすみす逃すジークでは無い。
翼を畳み、空気抵抗を減らして斬魔へ迫る。
斬魔はビッグベンの側面を駆けつつ、時に落ちてきた瓦礫に飛び乗り、ジークの追撃を躱していた。
痺れを切らしたジークが大太刀「神剣・迦具土」を納刀する。
霊子型ナノマシンで屈強になった筋肉繊維を絞って、渾身の抜刀を放とうとしていた。
チラリと垣間見えたその刀身は、全てを焼却させる超熱量の焔を内包していた。
「ヤベッ!!」
斬魔は瓦礫に飛び移り、一度ビックベンから離れる。
瞬間、爆光が一閃と共に放たれた。
熱線とも言える斬撃はロンドンを文字通り両断する。
地面を焼き切り、地平線まで斬線を届かせた。
ロンドンの外にまで被害を及ぼす、規格外の一撃。
斬魔は顔を青くする。
「洒落になんねぇ!!」
叫びながらも、斬魔は一瞬で表情を絞めた。
ジークの次の攻撃に己の太刀を合わせる。
技術で同等、力で上を行かれるのなら、唯一の長所──戦闘センスで勝負する。
斬魔は抜刀術の構えを取り、抜き打ち──するフリをする。
フェイントだ。
しかし肩の動き、筋肉の動き、殺気まで本物だったので、ジークは騙されてしまった。
迎撃するために振るった大太刀。
それに合わせて斬魔は抜刀する。
カウンター。
ジークの振るう刀速と斬魔の技量、合わされば如何にジークと言えど耐えられない。
しかし、それはジークに防御手段が無ければの話だ。
ジークの眼前で刃が止まる。
神聖文字で描かれた障壁が、斬魔の渾身の一撃を防いでいた。
神聖文字で編まれたこの結界は、純粋天使にのみ展開する事が許された聖域の顕現。
嘗て純粋天使が畏れられた最たる所以だ。
その防御力はほぼ無敵。
物理、魔術、精神、毒、石化、炎、凍結、電気、腐敗、核放射、ブラックホール、分解、即死、空間湾曲、空間切断、時間操作、因果律操作──その他あらゆる干渉を完璧に遮断する。
ジークは純粋天使では無いのでそのエンジェルベールは中途半端だ。
しかし、それでも破格の性能を誇る。
ただの人間にこれを突破する事は不可能だ。
斬魔はジークの渾身の蹴りを腹に食らい、地面に叩き落される。
あまりの衝撃に地面を削りながら飛び、瓦礫に衝突した。
「グァ、ッ……!!」
咄嗟に鉄鞘でガードしたものの、内臓をグチャグチャにされた。
斬魔は大量に吐血する。
朧げな視界の中で、斬魔は何とか頭上を見上げた。
嘗てのライバルが、自分を悲しそうに見下ろしていた。
彼は胸元の逆十字の刀傷を掻き毟った。
まるで、訴えかける様に。
早く自分を殺してくれ。
オレを開放してくれ。
「ッッ」
斬魔は鉄鞘を地面に思い切り突き付け、立ち上がる。
何度もよろけながらも、重心を定めた。
口の端から漏れる血液すらも無視する。
何時も浮かべている余裕の笑みは、どこにもない。
今の彼の表情は、親友を開放したいと必死に足掻く青年のソレだった。
土と青アザで汚れていても、その立ち姿は勇ましい。
彼は荒く息を吐きながら、抜刀の構えを取った。
上空に佇んでいるジークも応じる様に身を屈め、抜刀の構えに入る。
次の一撃で決まる。
二人の間に流れる硬い空気が、そう物語っていた。
先に動いたのはジークだった。
立っているのがやっとな斬魔に容赦なく襲いかかる。
神刀「迦具土」が電磁波を帯びる。
鞘と刀身の間で磁気反発が起こり、光速の抜剣を生む。
雷光一閃。
生前のジークの必殺技「雷切」が、更なる威力を以て発動した。
一方、斬魔は脱力していた。
全身の筋肉を熟睡時と同等以上に弛緩させている。
そこから繰り出される、一切無駄のない動き。
人間が光速に対応できる筈がなく、だからこそ予め動く。
抜刀の姿勢のまま前に屈み、雷光を避ける。
ジークの振るった刃が背中を通り過ぎ、完全に静止した瞬間……
振り返らず、鞘を背後に突き出した。
ジークの太刀の切っ先にその黒鞘を当てる。
瞬時に筋肉を爆発、半身回転。
肩、腰、足、関節を回してジークの太刀を押し戻した。
押し戻された大太刀はジークの胸に刻まれた刀傷に深く突き刺さる。
斬魔、土壇場で見せた空前絶後のカウンター。
『オオオオオオオオオオッ!!!!!!!!!!』
ジークは雄叫びを上げ、胸を抑えた。
斬魔は唇を噛みしめ、血を滲ませながらも嗤った。
そして呟く。
「天使病になっても、お節介野郎みてぇだな……ッ」
ジークが胸の傷を誇示する様に掻き毟ったからこそ、斬魔はこのカウンターを思いついたのだ。
彼は満身創痍の己を鼓舞する様に叫ぶ。
「堕とすぜッ、羽根落とし……!!」
ソレが、斬魔の愛刀の名前だった。
究極の脱力から放たれた極限の一閃。
満身創痍の身だからこそ放てた、至高の一太刀。
銀光一閃。
ジークの肩、そしてその先に聳え立っていたビックベンに、袈裟斬りの線が奔る。
先にビックベンがズレた。
重厚な音を響かせ、最後に二つになる。
次にジークが鮮血を迸らせて地に落ちた。
嘗てのライバル同士の決着が、ここについた。
◆◆
斬魔は鉄鞘を杖代わりに、ジークの元まで歩み寄る。
瓦礫の上で横たわるジークは、実に穏やかな表情をしていた。
斬魔は苦渋の表情で告げる。
「今、楽にしてやっからな……ッ」
腐れ縁だからこそ、ライバルだからこそ、早く楽にしてやりたい。
斬魔は片膝を付き、ジークの首筋に刃をあてがった。
すると、ジークは震えた手で斬魔の長刀に触れる。
ジークの胸を貫いていた神刀「迦具土」が炎に包まれ、消滅する。
その代わり、斬魔の長刀「羽落とし」の刃に炎が灯った。
炎は羽落としの直刃を流麗な乱れ刃に変えていく。
その波紋は、ジークの正義を貫いた激しい生き様を表しているかの様だった。
ジークは最後に、斬魔の襟に手を向ける。
そして、乱れた襟を整えてやった。
『……何時も、言っているだろう。身嗜みは、ととのえろ。オマエは、天使殺戮士、なのだから…………』
フッと、変貌した顔を緩めるジーク。
それを最期に、彼は羽に変わっていった。
全身が純白の羽になり、風に乗って行く。
最後まで、綺麗だった。
斬魔は唇を引き結ぶ。
その表情は垂れた前髪のせいで伺えない。
しかし、頬に一筋の涙がこぼれた。
「馬鹿野郎が……ッッ」