最悪なる鬼神よ
深夜。
東京都、湾岸エリアにある貨物倉庫にて。
既に業者達の影は無かった。
冷たい潮風が吹き、倉庫の表面を砂利で叩く。
貨物船の野太い声が、暗黒色の海面に響き渡った。
閑散とした倉庫内で、不気味な子供達の笑い声が木霊する。
「やったね、姉様」
「ええ、でも簡単よ。私達にかかれば」
互いに顔を近付け、微笑み合う姉弟。
その顔立ちは鏡写しの様であり、どちらも西洋人形の如く美しかった。
滑らかな金髪、きめ細かな肌、愛らしい笑み。
思わず抱きしめたくなる。
互いに凶悪な得物を携えていなければ──の話だが。
両者とも、巨大な軽機関銃を携えていた。
腰にも拳銃や手榴弾を装着している。
ただの子供ではない。
「ッ……ッ」
そして彼等を見上げ怯えている、一人の少女がいた。
口と手足を縛られている。
褐色の肌に紫苑色の瞳、アラブ系の出身だ。
白いワンピース姿は清楚であり、しかしソレを盛り上げる肢体は大人顔負け。
涙目で怯えているのが、また一層色香を深めている。
貨物に背を預けている彼女に対し、双子姉弟は無邪気に笑いかけた。
「そんなに怯えなくてもいいのに……別に傷付けたりしないよ?」
「そうよ、アラブの石油王の一人娘さん。私達、貴女のお父様から身代金を貰いたいだけなの……貰えたらすぐに開放してあげるから、それまで我慢してね?」
姉弟はその薄桃色の唇に歪な笑みを浮かべる。
石油王の一人娘は恐怖で顔面を蒼白にした。
人間がしていい笑顔では無かった。
子供がしていい行いでは無かった。
自分が知っている人間とは明らかに違う。
常軌を逸している。
石油王の一人娘は耐え難い恐怖に総身を震わせた。
そんな彼女に対し、姉妹はマイペースに話しかける。
「えっと……シャリファちゃんだったっけ? 君も災難だったね。たまたま、僕達の目に付いちゃってさぁ」
「日本は本当に平和ね、誘拐も簡単。暴力沙汰になっても困るのは国の方だし、私達みたいなアウトローにとっては凄く魅力的な世界……」
「ご飯も美味しいし、大人も優しいし……何より命を狙われない!」
「あの都市とは真逆の世界! 素晴らしいわ!」
手を取り合い、無邪気に踊りだす双子達。
石油王の一人娘──シャリファは紫苑色の瞳から涙を流していた。
ただただ、怖かった。
早く助けて欲しかった。
しかし助けは、もうすぐそこまで来ていた。
この世界で最も頼りになり、同時に最も畏怖される殺し屋が。
冷たい潮風によって真紅のマントが靡く。
湾岸を形成する分厚いコンクリートを踏み鳴らす下駄の音。
月光に照らし出された素顔は、野性的でありながら美の極致を体現していた。
鍛え抜かれた二メートルの体躯は小麦色。
灰色の三白眼は絶対零度の冷たさを宿し、垣間見えるギザ歯は内に秘めたる強烈な野生を曝け出している。
筋肉の鎧を包み込んでいるのは黒の白の浴衣。
腰に帯びた赤塚巻きの大太刀は世にも稀な最上大業物。
大和──世界最強の殺し屋であり、世界最強の武術家である。
彼はスマホを耳に当てながら、依頼主と会話を交えていた。
その依頼主とは──
「アポ無しの依頼は追加料金をいただくぜ、努ちゃん」
『大丈夫だよ。いやぁ、すまないねぇ。緊急の案件だったんだ』
「別にいいさ。努ちゃんは常連だしよ」
彼は陽気な声音で告げる。
とても残酷な内容を──
『勘違いしている子達を始末してくれ。
「OK、サクっと殺してやるよ」
大和は不気味に笑いながら、子供達がいる倉庫へと入っていった。
◆◆
双子の眼前には褐色肌の美丈夫が佇んでいた。
真紅のマントを靡かせ、彼は双子に嘲笑を向ける。
「馬鹿な餓鬼ども……まぁ、俺的には仕事が楽でいいんだけどよ」
双子の内、姉が眉根を顰めながら彼に問うた。
「だぁれ、貴方?」
「知らねぇのか、尚更救えねぇなァ」
嘲笑を深める美丈夫。
それに対し、姉は殊更機嫌を損ねた。
弟に愚痴を漏らす。
「ねぇ、貴方は知ってる? 私、あんなゴリラ知らないんだけど」
姉の問いに、弟は答えなかった。
答えられなかったのだ。
「?」
怪訝に思った姉は振り返る。
「ア……ッ、そ、そんな……ッ」
弟はその顔を絶望色に染め上げていた。
彼は知っていたのだ、美丈夫の正体を。
勘の鈍い姉は腰に手を当て、首を傾げる。
「もうっ、どうしたの? 何か言いなさいよ」
「オイ」
「!!?」
咄嗟に姉は振り返る。
すると、背後に美丈夫が佇んでいた。
先程まで距離が空いていたが──今の間に詰め寄られたのだ。
口元を引き攣らせながらも、姉は携えていた機関銃を構える。
「何処の誰だか知らないけど、不快だから消えてくれない?」
「コッチの台詞だボケ」
閃光一閃。
機関銃ごと少女の首筋に剣線が奔る。
何時の間にか振り抜かれていた大太刀には、新鮮な血が滴っていた。
「……へ?」
少女の首が「コトリ」と地面に落ちた。
その首筋から間もなく間欠泉の様に血が迸る。
姉の血を浴びても、弟の視線は美丈夫に集中していた。
彼は震えた声音で言う。
「最強の殺し屋……大和っ。何で、貴方が……」
「今から死ぬ奴に教える意味があんのか?」
血糊を払い、灰色の三白眼を細める大和。
その瞳に燻る埒外の殺意、狂気に、少年は硬直した。
まるで蛇に睨まれた蛙だった。
動いた瞬間に殺される事を少年は理解していた。
半分以上をサイボーグ化し、劇薬の過剰摂取で強化した肉体でも……敵わない。
足元にも及ばない。
自分と同じ強化をした姉が瞬殺されたのを見れば、嫌でもわかる事だった。
少年は抗うという選択肢を捨てた。
姉が殺された事など隅に起き、大和に媚び始める。
「お願いですッ、殺さないでください……ッ、僕、何も知らなかったんです」
「……」
「お金なら持ってるだけ払います。それ以上でも必ず返済します。なんなら僕の身体を弄んでもいい、だから、命だけは、どうか……ッ」
演技では無い。
少年は本気で命乞いしていた。
大和はフゥと小さく溜息を吐いた。
そして、少年に哀れみの眼差しを向けながら聞く。
「なぁ、一つ聞いてもいいか?」
「何でしょう!?」
「お前は……俺と同じ立場だった時、女子供だからって標的を見逃すのか?」
「…………」
少年は察してしまった。
共感してしまったのだ。
もしも彼と同じ立場だったら、自分は……
「そういう事だ」
得物が振り抜かれる。
少年の首が宙を舞った。
「ったく、だから餓鬼相手は嫌なんだよ」
大和は愚痴りながら血糊を払い、得物を納刀する。
そのまま拘束されている少女の前まで赴き、膝を折った。
「大丈夫か? 今開放してやる」
優しく微笑んで、縄を解いてやる。
少女は最初は怯えていたが、安心したのだろう。
涙目で大和に抱きついた。
「怖かったろう、もう大丈夫だ」
背中を撫でられる。
その甘く低い声は、官能的な響きを以て彼女の本能を刺激した。
逞しい肉体は、触れているだけで力強さを感じさせる。
そして、滲み出る色気は女を惑わす魔性のソレだった。
少女──シャリファは、陶然とした様子で大和を見上げる。
大和は彼女の艶やかな黒髪を撫で、その柔らかい頬にキスをした。
シャリファは思わず喘ぎ声を上げる。
「少し帰りが遅くなるかもしれねぇが……構わねぇよな?」
「……ッ♡」
シャリファは紫苑色の瞳を蕩けさせ、頷いた。
この後、二人は一夜だけの関係を楽しんだ。
未だ二十歳にも満たない少女は、この夜、女の悦びを知ったのだ。
◆◆
『大和君』
「どうした努ちゃん。任務はもう終わったぜ。さっきメール入れたろう?」
『それはいいんだ。私が知りたいのは、肝心の石油王の娘さんの所在なんだけど……』
「あー、その子な」
大和はホテルのベッドで寝そべっていた。
裸体で、腹から下をタオルケットで隠している。
隣には、恍惚とした表情で抱きつくシャリファがいた。
大和は無邪気に笑う。
「食っちまった」
『君って奴は……!』
「助けたんだから文句ねぇだろ? それに、お互い合意の上だ」
『そういう問題じゃないんだ。……ああもう、その子の父親とは友達なんだ。なんて言えば……』
「適当に催眠魔術で誤魔化せばいいんじゃね?」
大和の全くタメにならない意見を聞いて、努は電話越しに額を押えた。
『……わかったよ。こっちでなんとかする』
「さっすが努ちゃ~ん、話がわかる~。また困った事があれば言えよ、特別価格で対応すっから」
『お嬢様への迎えは後日送るから、最寄りの駅で待機しててくれ』
「了解♪」
スマホを置くと、大和は上機嫌で煙草を吸う。
ラッキーストライクの濃厚な紫煙が天井を満たした。
アラブ系美少女──シャリファは、大和の腕にその股を擦りつける。
発情した様子で大和を見上げていた。
まだ、足りないらしい。
大和は吸いかけの煙草を灰皿に投げ入れると、彼女の瑞々しい肢体を貪り始める。
若き娘の艶やかな悲鳴は、夜が明けるまで続いた。
これが、大和という男の日常。
暴力的で、卑猥で、堕落的。
彼は正義の味方でも英雄でもない。
ただの殺し屋だ。
また始まろうとしていた。
彼が織り成す、最悪の物語が。