その稲穂の如き金髪は腰までゆったりと流れていた。
真紅の双眸は夜空に煌く恒星の如く、淑やかな光を灯している。
豪華絢爛な着物を着ているのに、嫌味をまるで感じさせない。
むしろ、服が彼女の美貌を妨げていた。
整い過ぎた顔立ちは、最早言葉にできるラインを超えている。
あのアラクネさえ超える神域の美貌は、人類には到達しえない境地に達していた。
着物を着るに足る慎ましい肢体と身長は、しかし彼女を更に魅力的に魅せる。
優美さと可憐さの同居。
羨望で一帯を支配してみせる。
酒場にいる者達は皆一様に「美の極致」に惚れ込んでいた。
先端の白い九本の狐尾が揺れる。
彼女は大和を見つけると、頭に生やした狐耳を「みこん!」と立てた。
「大和様~!」
大和の背中に勢いよく抱きつく美少女。
極限の美が薄れ、代わりに無垢な幼さが露わになった。
彼女の「少女」足りえる部分が見えたのである。
「会いたかったぞ~っ、何故妾が戻る前に帰ってしまったのじゃ! 大和様が来たというから急いで戻って来たというのに……!」
今度は頬を膨らませ、九本の尾で大和の頭をぺちぺちと叩く。
大和は苦笑し、その狐耳を撫でまわした。
「悪ぃな万葉。今回は連れがいてよぅ」
「それとこれとは関係無い筈じゃ!」
「わーったわーった。今夜遊びに行ってやるよ」
「本当かえ!?」
「ああ」
「フフフ♪ 約束じゃぞ、大和様♪」
指切りをした後、上機嫌に大和の隣に座る美少女──万葉。
一連の子供らしい振る舞いがその美を霧散させ、周囲にまた喧騒が生まれる。
彼女はニパっと笑いながらネメアに注文した。
「ネメア殿! きつねうどんを頼む! 一番良い油揚げを所望するぞ!」
「はいはい」
「フフフ~♪ 何時も出前で頼んでおったが、やはり出来立てが一番美味いからのぅ~。……ん!」
万葉は大和の隣に座るラースに気付き、席をおりる。
そして彼の前までやって来た。
「これはこれは、ラース殿、であってるかのぅ?」
「は、はいッ」
「先日はうちの娘達が世話になったようで……誠、感謝致す」
優美にお辞儀する万葉。
ラースは勢いよく首を横に振った。
「いえいえ! 俺のほうがその、お世話になって! ありがとうございます!」
「くふふ~♪ かわいいのぅ。大和様が世話を焼いている理由がわかるわい」
口元に手を当て笑む仕草は、まこと淑やか。
彼女が東区で一番人気の花魁である事を、ラースは改めて理解した。
そんな彼女にネメアが告げる。
「ほら、出来たぞ」
「おお~!! 流石ネメア殿! 仕事が早い! それでは早速!」
ぴょんと席に座り直した万葉は、礼儀正しく「いただきます」と言った後、油揚げを頬張る。
その横顔がまた愛らしくて、ラースは思わず微笑んでしまった。
ふと、大和が振り返る。
後ろから声をかけられたのだ。
離れたテーブル席で、黒い制服を着た美女が手招きしていた。
闇バス、闇タクシーの運転手、死織である。
他にも数名、黒い制服を着た同僚が居た。
彼女達は一様にニヤけている。
先程の王族云々の話を聞いていたのだろう。
大和は一度断るも、死織が頬を膨らませた事で折れ、そちらに向かう。
ラースは隣から強烈な殺気を感じ取った。
万葉である。
彼女は死織達に呪詛の篭った眼光を向けていた。
「あの小娘共ォ……妾が食事中だからまだいいものをォォォ……ここがゲートで無ければ呪い殺しているところじゃ」
「落ち着け、万葉」
ネメアが諫めると、万葉はニパッと明るく笑った。
「大丈夫じゃよネメア殿。其方の店のルールは守る故」
「いや。悪いな、つい癖で……お前に関しては信用してる。その仮の姿で来てくれる時点で、十分に配慮して貰っている」
「当たり前じゃ! 妾が本来の姿で来たら、この極上のきつねうどんを食す暇もないからのぅ!」
彼女の伝説はラースもよく知っている。
『白面絢爛九尾狐』『妖仙』『傾世の魔女』『魑魅魍魎の主』
嘗て数多くの王朝、大国を滅亡させた稀代の大化生。
伝承で有名な九尾の狐、その人だ。
妖術と仙術の腕は極まっており、デスシティでも有数の強者として知られている。
しかし何よりも、その美貌。
彼女は外を出歩く際に仮の姿となる。
それはデスシティでも有名な事だった。
本来の彼女は、それこそ妖艶さと神々しさを持ち合わせた世界最高の美女となる。
傾城ではなく傾世と謳われる絶域の美貌は、心の弱い者なら見ただけで心臓発作を起こしてしまうと言う。
他にも彼女の影を撮っただけの写真が一枚数億円で取引される、芸術家が見惚れ続けてしまい彼女の絵画を描けない、など──その美貌にまつわる逸話は事欠かない。
数多の美女、美少女が集うデスシティで最高の花魁を務める彼女は、その美貌だけで文字通り、世界を傾けてしまうのだ。
ラースはふと閃く。
彼女なら知っているかもしれない。
大和の真実を。
何故家出したのか──その訳を。
しかし、ラースは悩んだ。
やはり本人から聞くのが筋ではないかと。
真面目な彼だからこそ大いに悩んだ。
悩んで、悩んで、数分後。
きつねうどんを食べ終わりそうな彼女を見て、ラースは決意し聞いた。
「あの、万葉さん」
「む? 万葉でいいぞ。主は良き男子故」
「そんな……それでも、さん付けで呼ばせてください」
「好い、主の自由にせぃ。で、何じゃ?」
ラースは小声で言う。
「大和さんは王族に生まれたのに、家出したと聞きました……その理由が、どうしても知りたくて」
「ふむ……何故その様なことを聞くのか。それは置いておこう……家出したのがそんなに不思議かえ?」
「はい」
「じゃろうな。当時最盛期を誇った大王朝「出雲」の皇帝になる筈じゃった男……もしなっていればその生涯、華々しいものだったじゃろう。その知と武力を以てして、天下泰平を実現できたじゃろう」
「……」
「しかし、あの方は否と答えた。……当時、妾も同じ様な質問をしてな。その答え、知りたいか?」
「……はい!」
ラースは強く頷いた。
彼は知りたかったのだ。
大和という男の真実を。
一端でもいいから、触れておきたかったのだ。
◆◆
万葉はまず苦笑した。
「しかし、答えは単純でのぅ。あの方はしがらみを嫌う。そして、頑固なんじゃ」
「頑固?」
ラースが首を傾げると、万葉は苦笑を柔らかくし、告げた。
「抱きたい女は自分の魅力で抱く。むかつく奴は自分の力でぶっ倒す。自分が使う金は自分で手に入れる。何をするにも、何を成すにも、自分の力でやり遂げる。……他者の力なんて借りたくない。ご都合主義なんかに頼りたくない」
「……!」
「以前、言っておったわ。「血や権力で手に入れたものに価値なんてねぇ。自分の力で成したものにこそ、価値がある」……と」
万葉は遥か昔を思い返す。
「妾も昔はこっぱ妖怪でのぅ、子供の頃に大和様に出会って、その在り方を聞いて、強くなろう、美しくなろうって思ったんじゃ。どんなに邪悪でも、あの方は当時から豪放磊落じゃった」
「……」
「だから妾は、あの方に心底惚れ込んだんじゃ。……主も、なんとなくわかるじゃろう?」
「……はい、大和さんがどうして魅力的なのか、わかった気がします。モヤモヤも無くなりました」
ラースは笑う。
大和が何故、あんなにも眩しく見えるのか。
何故、こんなにも憧れてしまうのか──
やっとわかった。
どんなに冷酷でも、彼は自分の力で自分の意思を貫いていた。
男として、憧れない筈がなかった。
ラースは、大和の生き様に惚れ込んだのだ
万葉は微笑む。
「ラースとやら、主も頑張ってみせよ。努力の伸び幅は千差万別。なれど、積み重ねてきたものは決して裏切らぬ。主を心身共に強くする。だから頑張ってみせよ。イイ男になれば、晩酌くらい付き合ってやるぞ?」
「……はい、ありがとうございますッ」
「フフフ、素直で良い子じゃ♪」
万葉はラースの頬を撫でると、大和の方へ向き直る。
大和は闇バス・闇タクシーの運転手達に絶賛口説かれ中だった。
万葉は激怒する。
「くぉら小娘ども~!! 妾の前で大和様を口説こうなど笑止千万! のけのけぃ! 頭が高いぞ~!」
店内はどんちゃどんちゃの大騒ぎ。
しかし暴力沙汰ではないので、店主であるネメアは呆れ交じりに眺めていた。
ラースは何かを決意したように拳を握っていた。
ネメアは言う。
「お前ならきっとイイ男になれる」
「はい……! ありがとうございます!」
今夜は、ラースが男として自信を持てるよう努力していこうと誓った夜だった。
一方右之助は、未だ気絶していた。
◆◆
翌日。
右之助は行き付けの銭湯に来ていた。
デスシティの銭湯には客に対する制限が無い。
そんな事をしていては客が来ない。
この都市には、曰く付きの者達しかいないのだ。
昭和の古き良き造りをした内部に、裸一貫で入っていく右之助。
その体躯に刻まれた歴戦の傷を見て、湯船に浸かっていたヤクザ達は生唾を呑み込んだ。
彼は湯で汗を落とすと、サウナ室へ入っていく。
丁度、この時間に「あの男」がいる筈なのだ。
「おお、いたいた」
「ア?」
褐色肌の美丈夫がタオルを頭にかけ、汗を流していた。
大和である。
彼以外には誰もいない。
怖いのだ。
現に右之助も若干引いていた。
しかし無理やり笑顔を作り、横に腰かける。
大和は彼に喋りかけた。
「どうした、何か用か」
「いや、一つ聞きてぇ事があってよ」
右之助は率直に聞いてみる。
「昨日、ラースの奴に対してやけに気さくだったじゃねぇか。珍しいと思ってよ。気難しいお前があんな優しくなるなんて」
「そうか? アイツは正直者で努力家だ。アレが「モテたい!」って言ってるだけの餓鬼だったら、ぶっ殺してたかもしれねぇ。それに、俺に好意を抱いてんだ。だから可愛がった。……そんだけだろう?」
「……」
右之助は複雑な表情をサウナの湯煙で隠した。
今の大和の言動に、何とも言えない不気味さを感じたのだ。
大和は立ち上がり、タオルを取る。
何時も結われている黒髪は背中に垂れ落ちていた。
垂れた前髪を鬱陶しそうに掻き上げながら、彼は右之助に言う。
それは、忠告だった。
「俺は、好きな奴と嫌いな奴をハッキリさせる。どうでもいい奴も含めてな。だからよォ右之助──賢いお前にだから言っておくぜ、俺にとって目障りな存在になってくれるなよ。でないと、殺しちまうかもしれねぇからな」
「……ッ」
そうだ。
忘れてはいけない。
決して、忘れてはいけない。
大和はこういう男なのだ。
冷酷で、残忍で、利己主義者。
自分にとって都合の良い存在しか許さない。
しかし先日ラースに見せた温和な顔も、また大和なのだ。
偏った二面性。
好きなものは好き。
嫌いなものは嫌い。
どうでもいい奴はどうでもいい。
はっきりしている。
し過ぎている。
右之助は汗を掻いていた。
冷や汗だった。
大和は不気味に笑いながら、サウナ室を出て行った。
《完》