大和がキレた。
想像を絶する苦痛と「鬱陶しさ」で、堪忍袋の緒が切れたのだ。
常に余裕を保ち、笑顔を絶やさなかった彼がキレればどうなるか──
この場の一同は知る事になる。
恐怖と絶望と共に。
鬼神が目覚めた。
◆◆
灰色の三白眼が暗黒色に染まり、瞳孔が縦に避ける。
筋肉が躍動した事で膨大な水蒸気が発生し、褐色肌が赤銅色に染まる。
眉間に刻まれた皺は何十本にも及び、脈打つ血管が鼻の頭まで及んだ。
髪紐が解け、艶やかな黒髪が戦慄き上がる。
一回り膨張した筋肉によって上半身の衣服が弾け飛び、その身に刻まれた幾千の古傷が浮かび上がる。
豹変──この言葉が一同の脳裏に浮かんだ。
溢れ出た殺気と狂気は以前の比では無い。
溜め込んだ殺意と欲望が一気に溢れ出ているのだ。
その姿──まさしく悪鬼。
黒き鬼神。
吹雪は薄っすらと糸目を見開く。
左肩から心臓に向けて突き立てた刃が通らないのだ。
唯我独尊流の金の型「金剛」
各筋肉を瞬間的に締め上げ、肉体を鎧の如く硬化させる身体操法。
吹雪の刃が心臓に届く前に大和は肩の筋肉を縮小させ、刃を止めたのだ。
大和は首をもたげ、静止した刃をギザ歯で噛み砕く。
バランスを崩した吹雪は片足を掴まれた。
その時垣間見た大和の瞳に、吹雪は魂の底から寒気を覚えた。
人間がしていい目では無かった。
人間が宿していい狂気では無かった。
ケルト神話最大の英雄、光の御子クー・フーリンに纏わる逸話に、こんなものがある。
戦争が始まると、凶悪な怪物に変身するという逸話だ。
五行の法則から成り立つ唯我独尊流、最後の型。
火の型──「修羅転身」
その名の通り、修羅に転身する禁忌の業。
武術でも何でもない。
ただの暴力である。
怪物と化した大和はギザ歯を剥きだし、吹雪を地面に叩き付ける。
規格外の腕力を以て、まるでボロ雑巾の如く彼を地面に打ち付ける。
地面が絹豆腐の如く砕け散った。
最早抗う力も残っていない吹雪の全身の骨を砕き、渾身の蹴りを腹に叩き込む。
心臓以外の内臓全てを抉り潰した。
中央区の高層ビルを何棟も倒壊させて、吹雪は飛んでいく。
しかし、途中で止まる。
その足には鎖分銅が巻き付いていた。
大和は左手で鎖分銅を引き戻し、吹雪を手繰り寄せる。
そして掌を返し、戻って来た吹雪の顔面に掌底を被せた。
全身の筋肉で形成した莫大なエネルギーを掌に集約、衝撃のみを突き通す──水の型「流水」の応用、『無明神水』
勁力の発露──その究極系。
引き戻した時のエネルギーも加わり、吹雪の意識が飛ぶ。
生まれた埒外の衝撃波。
中央区から西区まで突き抜け、超犯罪都市の地理を変形させた。
大和の追撃はまだ終わらない。
吹雪の顔面を掴み、脇差を抜いて腹部を何度も突き刺す。
激痛で目を覚ました吹雪を再度地面に叩き付け、その胸を脇差で縫い付け、地面に刺さっていた薙刀を首元に突き立てた。
朧げな意識の中で、吹雪は想う。
大和が武術を極めた理由はコレだ。
生まれ持ったこの力を制御するために武術を学んだのだ、と。
武術とは、弱者が強くなるための技術。
しかし彼にとって武術は「己の強大な力を制御する術」なのだ。
そもそもの意味合いが違った。
生まれながら人間を超越した真の怪物に、吹雪は辛うじて語りかける。
「……感謝ッ」
「……」
「漸く死ねるか」
「なら死ね」
吹雪の首が刈り取られる。
笑顔の首が宙を舞った。
◆◆
怪物から人間に戻った大和は、周囲の妖剣士達に語りかける。
「やるか? 仇討ちをしたいってんなら、相手してやる」
大和の言葉に、一名の妖剣士が代表して首を横に振るう。
「いえ、吹雪様は──我々の頭首は満足して死にました。死闘を愛し、死闘の末に果てたのです。その生き様を、我々は穢したくない……ッッ」
「……そうか」
大和は全身の力を抜くと、曇天を仰ぐ。
満身創痍でも膝を付く事はない。
それでも、心底疲れた風に溜息を吐いた。
「……ったく、だから同じ「最強」とやるのは嫌なんだ」
その呟きは北風に巻かれて薄れていった。
百合が涙を流しながら彼に駆け寄る。
最強同士の死闘が、ここに終決した。
◆◆
その頃、高層ビルの屋上で全てを見届けていたニャルとハスター。
ニャルは総身を震わせると、熱の篭った溜息を吐いた。
「ハァぁっ♡ 大和ぉ……♡ カッコイイ……ッ♡」
陶酔しきっているニャルは、胸に手を這わせ真紅の双眸を潤ませる。
その姿は扇情的だった。
対してハスターは、何やら思案している様だ。
「フム……人間という種族ヲ超越しタ存在、実ニ興味深い」
ハスターはおもむろに黄色の衣を靡かせる。
「あノ怪物の原点と所以……知りタクなった。非常に知的好奇心ヲくすぐらレタよ。故に……」
ハスターが黄色の衣を脱ぎ捨てると、そこには絶世の美女がいた。
黄色の髪をショートで整え、鋭くも知的な双眸を揺らしている。
年齢は二十代半ばほど。スタイルも抜群に良い。
漆黒のパンツスーツを着こなし、黄色のネクタイとロングスーツでしっかりと個性を出している。
「女装はあまり慣れていないが……まぁ、問題無いだろう。問題はあの人間を誘い、セッ〇スし、遺伝子を摂取する事だ。あの人間はかなり性的欲求が強い、難易度は低いだろう」
冷静に思案しているハスター。
女体化して大和とセッ〇スしようとしている彼? に対して、ニャルは金切り声を上げた。
全力☆否定である。
「ダメぇ!! 大和は僕のなの!! 僕のダーリンなの!! 絶対にダメぇぇぇぇッ!!!!」
「別にいいじゃないか、ちょっとくらい」
「駄目ったら駄目なのぉ!!」
子供の様に頬を膨らまして涙目になるニャルに、流石のハスターも辟易せずにいられなかった。