中央区の路地裏にて。
魔女は数十キロメートルも離れた場所に転移していた。
事前に数十回の転移を重ねて追跡されないようにしている。
魔女はフードを取り、素顔を現す。
小麦色の肌が眩しい南国特有の美女だった。
滑らかな金髪が柔らかそうな頬に垂れ落ちる。
意思の強そうな双眸は美麗な眉毛によって更に強調されていた。
絶世とはいかないが、類稀な美女である。
彼女は顔を青くしながらも、不敵な笑みを浮かべていた。
(バケモノめ。だがそれも今日で終わりだ)
彼女は大和を殺すための必殺の呪術を完成させていた。
(バケモノとはいえ、呼吸し、食事をする生物。であれば、最上級の致死の呪いを避ける手立ては無い)
致死の呪い。
それは、魔女の故郷で禁忌とされている魔術であった。
寿命の半分と数々の条件を満たしてようやく発動できる、必殺の呪い。
ゴーレムを片手で投げ飛ばし、隕石を蹴り飛ばす理不尽の権化。
理不尽には理不尽を。直接的な死を叩きつける他ない。
(奴が阿呆でよかった。おかげでとんとん拍子に条件を満たせたぞ)
その条件とは、対象者と会話し、目を合わせ、自身を曝け出し、目の前で呪術を発動させるというものだ。
とんでもない内容である。
しかし、これは魔術の特性で、相応のリスクを満たせば相応の対価を得られる。
今回の理不尽な条件。
これを達成した報酬は問答無用、即死必殺の呪いだった。
その威力は、十万単位の人間を一瞬で死滅させられるほどである。
魔女の達成感は多大なものだった。
(あともうすぐだ。……我が寿命を削り完成した呪いは、貴様の命を滅する。悔いろ、我が友を殺したことを地獄の底で詫び続けろ)
魔女は嗤っていた。
彼女は今まで誰かを殺したことなど無い。
なのに罪悪感の欠片すら抱いていない。
怒りは理性を容易く溶かしてしまう。
人というものは容易く畜生に堕ちてしまう。
だからこそ罪があり、罰があるのだ。
そんなことなど露知らず──
魔女は不気味な笑い声を上げていた。
「フフフッ、ハハ、ハハハッ!」
路地裏に木霊する笑い声。
その声に反応したのは誰でもない、殺したい男だった。
「随分と嬉しそうだな。何か嬉しいことでもあったのか?」
魔女は唇を噛みしめる。
振り返れば、灰色の双眸が己を見つめていた。
二メートルを超える巨体は背後の喧騒を容易く覆い隠している。
ほのかに漂ってくる香水とシャンプーの香りは、女を駄目にする官能的な香りだ。
薄汚く、背徳的なこの都市でも雄々しく輝く益荒男。
(もしも……アア、もしも)
魔女は色気にあてられてしまったのだろう。
頭の中で妄想を膨らませる。
(もしも復讐とか、そういう余計なものが無ければ……私は、この男を──)
ハッと我に返り、緩んだ口元を引き締める。
「魔界都市の瘴気に当てられたか」と大きく舌打ちした。
彼女は冷たい声音で大和に問う。
「よくここがわかったな。先ほどとは違い、匂いなども完全に消していたはずだが?」
「ン? いや、なんとなくここにいるかなーって思ってよぉ」
「……馬鹿な」
出鱈目にも程がある。
そう言おうとすると、大和は苦笑した。
「冗談だ。俺は魔術師でも超能力者でもねぇ。予想して、あとは経験則で導き出したのさ」
「……経験則? そんなもので」
訝しむ魔女に、大和は丁寧に説明する。
まるで、無知な子供を諭すように──
「お前の声音、呼吸の仕方、視線、意識、魔術の内容。その他、お前に関する情報を全て整えて思考を読んだ。……ま、一種の読心術だわな」
「……馬鹿なっ」
絶句しかけている魔女に、大和は追い打ちをかける。
「今、お前は「俺を殺せるであろう魔術」の準備を整えてる。そうだろう?」
「ッ」
リアルタイムで思考を先読みされる。
次の一手さえ把握される。
魔女は完全に追い詰められていた。
動揺を隠しきれない彼女に対して、大和は何故かおどけてみせる。
「オイオイ、どうした? かかってこいよ」
わざとらしく両手を広げる。
「俺を殺しに来たんだろう? 友人の仇を討ちに来たんだろう? 遠慮せずにかかってこい」
「…………」
あまりの物言いに魔女は驚愕し、暫く放心していた。
しかし次の瞬間、冷たい声で死を宣告する。
「なら、さっさと死ね」
魔女はただ、目の前の男を殺したいと思った。
誇りを踏み躙られたから? 見下されたから?
全て当てはまる。
故に躊躇は無かった。
即死の呪いを発動し、大和を殺そうとする。
しかし、
「…………何故」
魔女は驚愕と、それ以上の恐怖で声を震わせた。
「何故、死なない……ッ」
確かに発動した。
確かに寿命の半分を持っていかれた。
確かに、大和の身に呪詛が注ぎ込まれた。
しかし彼は死んでいない。
平然と佇んでいる。
ありえない。
十万人の命を一瞬で死滅させるほどの呪いを直に注がれて、耐えられるはずなど──
「クククッ……ハハハっ」
大和は笑った。
彼は魔女を哀れんでいた。
「闘気っていう力がある。デスシティの武術家が必ず体得している力だ。お前ら魔術師で言うところの魔力だよ」
大和は全身から真紅のオーラを発する。
先ほど隕石に纏わせたものと同じ力だ。
「体内の生命エネルギー「気」を戦闘用に練り上げて造る。こいつは、肉体と五感の強化に関して魔力よりも優秀だが、それ以外はてんで駄目でな。後は武器に込められるくらいで魔力ほどの汎用性がねぇ」
でもな──1つだけ、スゲェ能力があるんだよ。
大和は嗤いながら告げる。
「異能、術式の無効化だ。魔術、超能力を含めた一切の「神秘的な力」を無効化する。己の体力を練り上げて完成したこの力は、己以外の全ての「力」を否定するんだよ。……まぁ、無効化できるのは同格以下に限るんだけどな」
解説を終えた大和は両手を腰に当てる。
「どうだった? 大和センセーの「猿にでもわかる闘気講座」は。わかりやすかっただろう? お代はきっちりといただくぜ。……テメェの命だ」
「……ヒぃッ」
引き攣った声を上げ、魔女は後ずさる。
彼女には、大和が「異形のバケモノ」に見えていた。
大和は魔女との距離を詰める。
その顔には凶悪な笑みが貼り付いていた。
「安心しろ。極楽浄土の快楽を味あわせてやる」
「い、いやだ……来るなッ、来るな!!」
魔女は後ろに下がり、尻餅をつく。
「いや……ッ」
懸命に下がろうとするが、大和に肩を掴まれた。
あまりの恐怖に絶叫する。
「いやァァァァァァァァッ!!!!!!!」
魔女の目に映ったのは、人間の皮を被ったバケモノだった。
その端正過ぎる顔立ちの裏には、凶悪な怪物が隠れていたのだ。
魔女は後悔した。
復讐を決行したことを。
大和の事を、少しでもイイ男だと思ってしまったことを。
この後、魔女の姿を見たものはいなかった。
ミナスジェライス州にある故郷にも、二度と帰らなかった。
超犯罪都市に夜が訪れる。
数多の犠牲者を見届けた太陽は、最後の犠牲者を睥睨し地平線へと沈んでいった。
◆◆
翌日。
真夜中にもかかわらずデスシティは騒がしかった。
闇の眷族が多く棲むこの都市は、夜にこそ真の姿を見せる。
大衆酒場ゲートもまた、その影響を受けていた。
物騒な客人たちが酒を飲み、飯を食らっている。
ネメアが雇っているウェイターたちが目まぐるしく店内を走り回っていた。
客人たちの様子を見ているだけでも面白い。
全身真緑に染まった宇宙人がスパゲッティを頬張り、洗練されたフォルムのアンドロイドがビールをストローで飲み、鉈や大砲を背負った賞金稼ぎたちがテーブルを囲い大富豪で盛り上がっている。
カウンター席に腰掛けている厳つい大男。
純白のスーツを盛り上げている強靭な肉体。鉄塊を連想させる両の拳。
顔中傷だらけなその容貌は、武闘派のヤクザのようだ。
喧嘩空手の達人であり、デスシティきっての用心棒──
彼はハイライトを咥えながら苦笑いしている。
理由は、周囲に群がる女たちだ。
「ねぇ、右之助さぁん。今夜暇ぁ?」
「ちょっと、私が言おうとしたこと言わないでよ!」
「右之助さぁん。今夜こそいいでしょー?」
人間の娼婦。狼や虎の獣人。妖精に魔物。
皆絶世の美女で、右之助に熱烈なアタックを仕掛けている。
当の右之助はと言うと、辟易していた。
「よしてくれ、俺よりもっといい男がカウンター越しにいるだろう?」
そう言われ、女たちはカウンターの奥を見る。
金髪の偉丈夫がいた。
セブンスターを咥え、新聞を読んでいる。
ツーブロックに刈られた金髪。右之助に勝るとも劣らない逞しい肉体。
爽やかさと渋さを兼ね備えた美男──ネメア。
彼は紫煙を吐き出した後、鬱陶しげに顔を上げた。
「俺のことを言ってるのか、右之助」
「当たり前だろう。たまには女と遊んでやったらどうだ?」
「ふざけるな。俺に女の話題を振るんじゃない」
ネメアの台詞に、右之助はやれやれと肩を竦めた。
「あ~あ、毎回こうだもんなぁ」
周囲の女たちもわかりきっているのだろう。
右之助を口説きにかかる。
右之助は溜息を吐いた。
女たちをネメアに流そうと思ったら、案の定だったのだ。
彼はふと良案を思い付き、女たちに告げる。
「そういやぁ、今日はアイツと飲む約束してんだ。口説くんならアイツにしてくれや」
「アイツぅ?」
「誰よ、右之助の知り合い?」
怪訝そうに首を傾げる女たちに、右之助は言う。
「大和だよ、やまと。俺よりアイツのほうがいいだろう?」
大和──その名を聞いた女たちの顔が一瞬で蕩ける。
右之助は内心で「よっし」とガッツポーズを取りながらも、改めて大和の色気に引く。
あらゆる種族の女を駄目にする魔性の色香。
「歩く18禁」の異名は伊達ではない。
そんなことを考えていると、都合よく本人が現れた。
女たちの黄色い悲鳴が響き渡る。
真紅のマントが靡く。
二メートルを超す筋骨隆々の肉体。
純白のギザ歯は獰猛な肉食獣のようであり、灰色の三白眼は群がる牝たちを冷たく睥睨する。
ある女は気を失い、ある女は小刻みに震えていた。
悠々とカウンター席まで歩いてくる彼の前に二人組の少女? が立ち塞がる。
金髪と黒髪の少女たち──いいや、少年たちだ。
少女と見紛うばかりの可憐な容姿をしている。
男娼だ。
彼らは子うさぎのようにぷるぷる震えながら、大和に小さな紙を差し出していた。
名刺である。
裏には個人的なメールアドレスと携帯番号が書かれていた。
大和は屈んで同じ目線になると、二人を引き寄せ甘ったるい声で囁く。
「連絡した時は時間をあけとけよ? いっぱい愛してやる」
低く柔らかい声だった。
少年たちは気を失いかける。
彼らは大きく痙攣し、下着に大きなシミを作っていた。
その表情は絶頂する女のソレだ。
大和は立ち上がると、ネメアと右之助がいるカウンター席までやってくる。
右之助が傷だらけの拳を差し出すと、大和も拳を作りコツンと合わせた。
隣に座る彼に、右之助は茶化すように言う。
「男も抱けるのか? 意外だぜ。ノンケだと思ってたが」
「美少年は別だ」
右之助はクツクツと喉を鳴らす。
「わかるわ。美少年ってのはもう一つの性別だよな」
「そうそう」
大和は笑いながらネメアにいつものラムとつまみを頼む。
すぐに出されたラムをグラスにとくとくと注ぎ、ストレートで一気に呷る。
やんわりと頬を緩めている彼に、右之助は聞いた。
「今夜来れたってことは、昨日の野暮用は済んだのか?」
大和はゆっくりと頷く。
「ああ。最近、依頼で魔女を殺してな。その友達が復讐に来たんだ」
「へぇ~」
右之助は冷奴に箸を通す。
そのまま続きを聞いた。
「で、どうしたんだよその魔女は。殺しちまったのか?」
「まさか、たっぷりお仕置きしてやってるぜ。飽きたら臓器売買んところに売り渡すつもりだ」
「うっはぁ、えげつなぁ」
そう言いながらも、他人事のように笑う右之助。
「……」
ネメアは複雑そうな表情をしていた。
彼は読みかけの新聞を畳み、大和に言う。
「まだ生きているのか?」
「ああ」
「楽にしてやったらどうだ?」
「何で?」
心底と言った風に首を傾げる大和に、ネメアは眉を顰める。
「人として、最低のことをしているとは思わないか?」
「そうだな」
「…………」
無言の圧力を向けられ、大和はやれやれと肩を竦めた。
「よそうぜ、ネメア。道徳的な話をするのは結構だが、話す相手を間違えてる」
「……そうだな。全く……」
ネメアは呻いた。
そう──話す相手が間違っている。
大和に道徳的な話をするのは、馬の耳に念仏を唱えるようなものだ。
ネメアは割り切った。
先日の依頼の話を大和にする。
「サブ依頼の達成を確認できた。約束通り追加報酬を振り込んでおくぞ」
「おぅ、サンキュー」
「この手の依頼主は毎回感謝の手紙を送ってくるもんだが、どうする?」
大和は笑い、指で何かを飛ばす仕草をした。
「紙飛行機にする」
「……ハァ」
ネメアは堪えきれずに溜息を吐いた。
大和はギザ歯を見せる。
「そーゆー奴らは俺を正義の味方と勘違いしてる。俺はただの殺し屋だ」
「…………」
ネメアは頬杖を突き、知己を見つめた。
ネメアには彼が鬼に見えた。
きっと、彼に嬲られている魔女にもそう見えているだろう。
それは正しい。
この男の抱えている闇は、常人が理解できるものではない。
ネメアは目を閉じた。
そしてそっと、魔女の存在を忘れた。
これから始まるのは、ロクデナシたちとロクデナシたちの棲む都市によって紡がれる物語。
次の犠牲者は誰なのか──それは、邪神のみぞ知る。
《完》