villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

61 / 255
二話「傭兵王、立つ」

 

 数週間前、ゲートに重症を負った野ばらが入って来た。

 大正時代に彼女と面識があったネメアは、驚愕しつつも彼女を手厚く保護した。

 養生中に事情を聞くも、彼女も自分が未来にタイムスリップしてきた事に混乱していた。

 

 ネメアは推測を立てる。

 大正時代は魔の最盛期の一つ。

 濃密な妖気と邪気により、次元の歪みが最も多発していた時代だ。

 彼女は偶然か必然か、それに巻き込まれたのだ。

 

 てっきり彼女は死んだものだと思っていたネメアは嬉しい反面、複雑な心境だった。

 彼女の鬼に対する憎悪は些かも薄れていない。

 悪鬼即滅。その在り方に一切の揺らぎは無い。当時のままなのだ。

 そして現在、好からぬ噂がデスシティを騒めかせている。

 

 大正時代に猛威を振るったあの魔人中尉が、封印から解放されたというのだ。

 百鬼夜行を支配し、帝国日本を影で支配していた世界最強の陰陽師──

 

 雅貴(まさたか)

 

 泰山府君祭を成功させ、一時は不死と成った稀代の邪仙。

 あの安部晴明、芦屋道満をも超えると謳われる、陰陽風水を極めた大陰陽師。

 

 彼の起こした事件は数知れず。

 両面宿儺、大獄丸といった鬼神の復活。

 霊峰富士の大噴火。

 黄泉比良坂に続く冥界門の開放。

 関東大震災。

 世界各地の狂気を増幅させる事で世界大戦を煽る。

 クトゥルフ系列の邪神達と同盟を組む、など──

 

 挙げればキリが無い。

 裏の歴史を辿ればその名を必ず見る、稀代の大悪党。

 同時に度の過ぎた享楽主義者。

 

 世界を何度も滅ぼしかけてきたこの邪仙が、最近復活したというのだ。

 由々しき事態である。

 既に特務機関、ならび土御門家の陰陽師やそれに付随する退魔剣士の家系。のみならずアメリカ政府の異端審問会、カトリック教会の最高戦力「聖騎士達(パラディン)」までもが動いていた。

 

 世界が動乱に包まれつつある。

 たった一人の男によって。

 

 ネメアもまた動こうとしていた。

 雅貴の封印に関わった重要人物として、再度の封印を試みようとしていた。

 

 しかしその前に、野ばらが勘付いてしまった。

 ネメアは何とか隠蔽していたが、やはり限界があった。

 

 野ばらはネメアを責めなかった。

 しかし彼に一通の紙を渡す。

 それは、退職届だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 野ばらは勤務時間が終わると、大正モダンを彷彿とさせる和ゴス衣装でネメアの前に現れた。

 そして退職届を出し、深々と頭を下げる。

 

「今迄ありがとう。本当に助かったわ。この恩義に報えない事を許して頂戴──私には、やらなければならない事があるの」

「……」

 

 ネメアは新聞を畳み、差し出された退職届を見つめる。

 その後、野ばらの鋭い双眸と視線を合わせた。

 

「……復讐は、やめられないか?」

「ええ。私はそのために生きている。今更止められない」

「……」

 

 ネメアは眼を閉じた。

 他者の復讐を止める権利など誰にも無い。

 当事者が決めた事だ。介入できる余地など何処にも無い。

 

 それにネメアは知っていた。

 彼女の過去を──

 だからこそ、余計に止められなかった。

 ネメアは溜息を吐き、頷く。

 

「……お前の人生だ、お前の好きにしろ。だが制服はとっておく。お前は優秀なウェイトレスだからな」

「…………ごめんなさい。さようなら」

 

 野ばらはそれだけ言って踵を返す。

 ネメアはその小さな背中をじっと見つめていた。

 二十歳に満たない少女の背中には、血の臭いと憎悪の念しかない。

 大人びた雰囲気も、ネメアには皮肉にしか見えなかった。

 

 彼は刈り上げた金髪をガシガシと掻くと、新聞を放って立ち上がる。

 そしてエプロンを脱いだ。

 

 カウンターでラム酒を飲んでいた褐色肌の美丈夫、大和は笑う。

 事の一部始終を見ていたからこそ、彼にはネメアの次の行動がわかったのだ。

 

「ほゥ……遂に動くか、世界最強の傭兵が」

「茶化すな。お代は机に置いておけ」

「はいよ」

 

 大和は肩を竦める。

 ネメアは肩を回しながら店を畳む準備を始めた。

 

 客人達は愕然としていた。

 動くのだ、あの傭兵王が。

 大和と同格と謳われる──あの男が。

 

 ネメアは「臨時休業」の看板を担いで、再度溜息を吐いた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。