野ばらと恋次が対峙する前。
中央区の摩天楼の中を、大和はのらりくらりと散策していた。
依頼も無ければ女と寝る約束もない。
暇だが、たまにはこういう日もありだなと、彼は灰色の三白眼を細めていた。
歩くだけで道ができる。
世界最強の殺し屋はデスシティでも特別な存在だ。逆らう者などいない。
妖魔であろうが荒御霊であろうが、彼の眼前に立ち塞がる存在など皆無。
しかし、例外はいる。
知己である。
幾星霜の年月を生きる大和の交友関係は広い。
中には歴史に名を残す偉人もいた。
「……ん?」
大和は立ち止まる。
己の前に立ち塞がる女が居た。
鮮血色の長髪はポニーテイルで結われ、思わず見惚れてしまう程美しい顔立ちを勝気な笑みで彩っている。
紺色の袴を極太のしめ縄で締め、上半身はサラシ。
桜吹雪の舞った羽織を肩から羽織っている。
身長は大和より少し低いくらいなので、優に二メートルは超えていた。
筋骨隆々の見事な体躯を誇っており、力自慢の男でも裸足で逃げ出すレベル。
巨大な徳利を片手にぶら下げて、彼女は金色の三白眼を細める。
そして笑った。
「よォ、大和」
大和は目を丸めた。
その後、ギザ歯を剥く。
「
「その名前で呼ぶのはやめろや、今は
呆れ気味に言う美女──朱天。
本名、酒呑童子。
平安時代に京都で大暴れした、東洋を代表する鬼神。
現在は強力な妖魔達で構成されている暴力集団「朱天組」の組長であり、その異常な喧嘩の強さから世界最強の拳法家達「四大魔拳」の一角に数えられている。
大和は彼女に対し、小首を傾げる。
「最近雅貴が復活したって聞いたがテメェは……まぁ、関係ねぇよな」
「ったりめぇだろボケ! 俺を誰だと思ってやがる!」
朱天はゲラゲラと豪快に笑う。
彼女は鬼神の中で唯一、雅貴の勧誘を断っている。
東洋の妖魔を代表する魔豪傑は、例え相手が神仏であろうと殴り倒す。
その気性の荒さは大和も良く知っているので、杞憂だったかと肩を竦めた。
「ならなんの用だよ」
「つれねぇなァ、大和よぅ。折角俺が会いに来てやったんだぜ? もっと喜べや」
朱天は大和と肩を組む。
大和は片眉を上げるも、嫌がる素振りは見せなかった。
周囲の喧騒達は見て見ぬフリをしていた。
デスシティでも随一の凶暴性を誇る男女二名に、下手に関わりたくないのだ。
朱天は豪快な笑みにふんわりと色香を滲ませる。
「雅貴の野郎について色々と話があるけどよォ……まずはお楽しみといこうや。なァ……他の野郎じゃ何十人居ても満足できねェんだよ。……いいだろ?」
熱い吐息を吹きかけてくる朱天。
大和はギザ歯を見せて嗤うと、彼女の腰に手を回した。
◆◆
ソレは獣の交わりだった。
互いを貪り合う様に身体を重ねる。
情欲に任せて大和が腰を揺すれば、朱天の声が甘く掠れた。
似合わない嬌声を上げる朱天を組み敷き、大和は悪戯心に満ちた囁きをかける。
朱天は顔を赤くしながらも、嬉しそうだった。
己を戦士としてでは無く女として愛してくれる益荒男に対し、朱天は唯一「女」をみせた。
数時間後。
朱天は重くなった体をベッドの上で動かす。
そして、腕枕してくれる男に呟いた。
「流石だな……やっぱテメェは世界一の男だよ」
「そりゃどーも」
朱天は笑って、大和の首筋を甘噛みする。
ジャレてくる彼女に、大和は珍しく温和な笑みを浮かべた。
「……昨日、雅貴の奴が俺の組に来たんだよ」
「へぇ、勧誘か?」
「ああ、断ったけどな。にしてもアイツ、全然変わってねぇ。……また世界が滅茶苦茶になるぞ」
「ネメアがどうにかしてくれるだろ」
大和の言葉に、朱天が首を傾げた。
「ハァ? アイツが動くのか? どうしたんだよ」
「雅貴がそれだけ危ねぇ奴だってのもある。が、一番は自分んところの店員が関わってるからだな」
「雅貴にか?」
「お前、野ばらって覚えてるか? 大正時代に鬼狩りに所属してた──」
朱天は顎を擦る。
摩耗した記憶の中に、和ゴス少女が確かにいた。
「ああ、あの糞生意気なチンチクリンか。覚えてるぜ。仕込み刀持ってた奴だろ?」
「そうだ。アレが数週間前に次元の狭間からコッチにやって来てな。ネメアんところでウェイトレスやってたんだよ。で、今回の雅貴の復活だ」
「因果みてぇなもんを感じるな」
「確かにな」
大和はラッキーストライクを咥え、火を点ける。
紫煙を吐き出す彼の横から煙草を横取りし、朱天は美味そうに吸った。
眉を顰める大和を傍目に、彼女は煙草を咥えながら言う。
「そういやぁ、五十嵐組に所属してる大嶽丸も動いてるらしいぜ」
「何だソリャ、色々拗れそうだなオイ」
「野ばらと大嶽丸は因縁の間柄だからなァ……アレ? そーいやぁ、大嶽丸の奴がデスシティに流れ着いてもう30年近くになるぜ。何で今更あのチンチクリンが現れたんだよ」
「さぁな。さっきも言ったが、何かの因果じゃね?」
「面倒くせぇ」
悪態を吐く朱天から煙草を取り返す大和。
しかめっ面になる彼女を尻目に、大和は紫煙を吐き出した。
「今回、俺ぁ静観させてもらうさ」
「ネメアの奴に全部任せていいのかよ」
「大丈夫だろ、アイツなら」
「適当だなオイ」
「だって面倒くせェし」
「確かに」
肩を竦める朱天に、大和は新しい煙草を渡す。
朱天は嬉しそうに受け取ると、咥えて突き出した。
大和はシガーキスで火を点けてやる。
「それでも、俺の癇に障る様な事があれば出るぜ」
「そうならねぇよう、雅貴も注意すんだろ」
「どうかな……」
大和は不気味に嗤って紫煙を吹き出した。
◆◆
恋次は抜刀し、白鞘を地に叩き下ろした。
直後、大地が一直線に裂ける。
先にあった妖魔、車体、樹木、高層ビル、皆等しく綺麗に縦半分に割れた。
圧倒的剛力と技量から生まれた埒外の一撃を、野ばらは半身を逸らすだけで避けてみせる。
直後、抜刀一閃。
光速に達する勢いで放たれた抜き打ちは、しかし余分な力が一切排除されており、最短距離を斬り抜ける。
流麗なる斬撃を刃を立てる事でいなした恋次だが、その背後で聳え立つ高層ビルの群れが横一文字に両断された。
倒壊する高層ビルの群れ。
土煙で一帯が支配される前に、住民達は顔面を蒼白にして逃げ惑った。
明らかに違う。違い過ぎるのだ。
彼我の実力差が。
野ばらと恋次、二名の実力は住民達の許容範囲を遥かにオーバーしていた。
歴代最強の鬼狩りと東洋を代表する大鬼神の激突は、空前絶後の死闘の幕開けでもあった。
背後から津波の如く押し寄せる土煙で一帯が支配される。
が、互いに放った斬風で一瞬にして霧散した。
恋次の剛剣が唸りを上げる。
鬼神の剛力が確かな技量を絡み合い、防御不能の斬撃を生み出す。
斬撃の嵐の中を野ばらは舞う。
鬼狩り特有の独特な歩法で、編まれた斬撃の波をまるで舞踏を踊る様に躱す。
空を切った斬撃の余波は中央区に甚大な被害を齎す。
建造物が断ち切れ、道路が裂け、空間がズレる。
住民達は突如起きた大災害に混乱していた。
交通機関は全て停止。皆避難態勢を取っている。
二名の戦いは天変地異の襲来と然程変わらなかった。
恋次は攻撃を避け続ける野ばらに腹を立て、高層ビルの残骸を持ち上げる。
そして槍投げの如く投擲した。
軽く第三次宇宙速度を超えた高層ビルは妖気でコーティングされており、立派な武器と化している。
二本、三本と、立て続けに投擲する恋次。
その暴れっぷりは剛力無双で有名な鬼という種族の面目躍如であった。
野ばらは一直線に向かってくる高層ビルを抜刀術にて両断する。
縦に裂けたビルは彼女の両サイドを通り抜けた。
野ばらは疾風となる。
立て続けに放たれた高層ビルを足場にして駆け抜けた。
身軽かつ常識外れの技量を誇る彼女だからこそできる、馬鹿げた移動方法だ。
高く跳躍した野ばら。
彼女に対して、恋次は持ち上げた高層ビルをフルスイングする。
直後、細切れにされる高層ビル。
剣閃瞬く。
恋次は地面に突き刺していた白鞘を抜くと同時に振り上げた。
野ばらは落下エネルギーとある秘密を発動し、得物を振り下ろす。
白刃が重なり合い、次元に歪みが奔った。
生まれた衝撃波は視覚化し、周囲にある一切合切を吹き飛ばす。
曇天が二つに割れた。
恋次は瞠目する。
鬼神である己と、人間の少女が互角に打ち合ったのだ。
しかし、すぐに切り替える。
何かカラクリがある。
しかし、考えるよりも感じなければならない。
目の前にいる少女は歴代最強の鬼狩りなのだ。
大正という時代を守り抜いた、名も無き英雄なのだ。
恋次は油断なく八双の構えをとった。
◆◆
恋次に余念など無かった。
相手は一度、自分を倒した強敵。
更に──恋慕する女性を斬り捨てた仇敵でもある。
内に燻る憎悪の念。
それを一呼吸で沈める。
今、自分は大嶽丸ではなく恋次である。
五十嵐組の一員として、若頭の剣であるため、ここで無様に死ぬ訳にはいかない。
恋次は落ち着いていた。
一方、野ばらは内心驚愕していた。
最近わかった秘密──開放すれば何という事か、鬼の剛剣を正面から受け止めてみせた。
その秘密とは、野ばらの携える仕込み刀である。
幾千もの妖魔の血を吸い続けた刀身は、破邪の波動を内包する妖刀と化していた。
邪悪に対して絶対的な力と毒性を発揮する──聖剣とも言える代物。
溜まった力を開放すれば、先程の鍔迫り合いだ。
(……厄介ね、強過ぎる)
扱いきれる力では無い。
野ばらは内心舌打ちしていた。
扱いきれない力など、ただの邪魔でしかない。
相手が雑魚なら兎も角、今対峙しているのは東洋を代表する鬼神だ。
一種の油断が命取りになる。
そしてもう一つ──野ばらが懸念している事がある。
ソレを払拭するため、野ばらは宙を舞った。
鉛色の夜空に鮮やかな菊の花が咲く。
野ばらの纏った和服の刺繍が煌びやかに闇に浮かび上がった。
同時に紫の和傘がバッと広がる。
ホバリングの容量で滞空時間を調整し、恋次の放つ一閃を避けると、左の逆手で仕込みを抜いた。
右手で抜刀すれば手足が飛び、左手で抜刀すれば首が飛ぶ鬼狩りの剣技。
「フン!!」
恋次は手首のスナップを効かせ、白鞘で前方を薙ぎ払う。
吹き荒れる爆風。
しかし既に野ばらは懐に入り込んでいた。
下方から銀光が恋次を襲う。
瞬時に上体を反らし躱すと、恋次は反った背筋をバネにして上方から唐竹割りを繰り出した。
軽やかなステップでサイドへ逃げる野ばら。
間髪入れず体勢を低くした恋次が逆袈裟。
野ばらはすかさず真上に宙返りして躱す。そのまま銀光一閃。
しかし恋次は避ける。
野ばらも着地と同時にバク転して体勢を整えた。
(……以前よりも強くなってる)
野ばらは双眸をキツく細める。
恋次の実力が上がっているのは勿論だが、問題はその心構え。
以前対峙した時は自棄が入っていたのだが──今はそれが無い。
隙が無いのだ。
下手に攻められない。
(……もしかして、さっき言ってた事は本当なの?)
一瞬、戸惑う野ばら。
その隙を恋次は見逃さない。
懐に入ってボディブローを放つ。
最短距離で放たれた一撃を野ばらは避けきれず、辛うじて刃で受け止めた。
恋次の頑強な拳が斬れる。
拳を蝕む毒性に、恋次は忌々しそうに呟いた。
「妖刀か──成程、さっきの力はコレか」
「ッ」
野ばらは己の怠慢に憤った。
実戦を離れて二週間──まさかここまで鈍っていようとは。
しかし、もう油断はしない。
恋次にどんな事情があろうとも、彼が鬼である事には変わらない。
故に斬るのみ。
互いの実力は拮抗している。
ともなれば、大正時代の再現──捨て身の一撃を繰り出すしかない。
恋次もそのつもりだった。
野ばらが左逆手抜刀の構えに入り、恋次も白鞘を強く握る。
この一撃で全てが決まる。
互いに得物を振り抜いた。
その時──
「そこまでだ」
互いの目先まで届いた刃は、しかし金髪の偉丈夫の介入によって止められた。
両方の刃を寸前で掴み、決して離さないネメア。
衝撃が遅れて二名の背後を突き抜けた。
ネメアは険しい表情で言う。
「野ばら。一度話し合おう。大獄丸……恋次は今、確かに違う組に所属しているんだ」
「…………」
野ばらは暫く無言だったが、殺気を収める。
「……申し訳ねぇ、ネメアさん」
恋次も礼を言い、剣を収めた。
空前絶後の死闘は寸前のところで止まった。