一話「ティンダロスの猟犬」
「時空間旅行」
過去と未来を行き来できる、デスシティならではの旅行プランの一つだ。
にわかに信じがたい内容だが、デスシティは科学と魔術が隆盛を極める魔界都市。
時空間移動の方法は既に確立されている。
その気になれば徳川幕府が統べる江戸時代へ。日本に限らず、様々な時代へと赴くことができる。
しかし、旨い話には必ず裏がある。
このプランにも欠点があった。
客人たちの命に関わるほどの重大な欠点が──
時空間を移動すると、「猟犬」に目を付けられてしまうのだ。
不浄なる存在。角度を司る者。
その名は──
◆◆
「ティンダロスの猟犬ねぇ」
大衆酒場ゲートにて。
ブラックラムが入ったグラスを揺らしながら、褐色肌の美丈夫──大和は囁いた。
二メートルを超える体躯は人外用のカウンターに座っていてもよく目立つ。
真紅のマントが靡けば、小麦色のうなじがチラリと顔を覗かせた。
大和は酒気の混じった溜め息を吐く。
「時空間旅行をした結果、目を付けられたか……バカな奴もいたもんだ」
嘲笑をこぼす彼に対して、新聞を読んでいた店主、ネメアが依頼の詳細を告げる。
「今回の依頼、報酬は2億だ」
それを聞いた大和の表情が明るくなる。
「へぇ、弾むな。金持ちか?」
「ああ。某巨大財閥から直々の依頼だ」
「しかし、猟犬に狙われてるんだろう? となると……アレをするのか?」
アレというあやふやな言い回しで通じるのだろう。
ネメアは頷く。
「そうだ。アレをするんだ」
「ははぁん」
大和は色気たっぷりの息を吐いて、頬杖をついた。
「依頼主の概要、簡素に」
「17才の美少女。欧州ハーフのお嬢様、高飛車」
「最高じゃんよ」
ニヤリと笑う。
グラスに入ったラムを一気に呷る彼に、ネメアはメモ用紙を差し出した。
「近くの高級ホテルに泊まってる。部屋番号だ」
「サンキュー」
大和はメモ用紙を受け取り、机に勘定を置く。
ネメアは少し強めの語気で言った。
「加減しろよ。客人だ」
「わーってるって」
大和は肩を竦め、踵を返す。
歩くだけで客人たちが静まり返る。
大和に対する畏怖と色欲の念が、店内に渦巻いていた。
彼は世界最強の殺し屋であり世界一の武術家。
妖魔、邪神たちを「物理的に」抹消する、デスシティが誇る理不尽の象徴である。
今宵も始まろうとしている。
世界最強の殺し屋による、エロスとバイオレンスの物語が──
◆◆
同時刻。
高級ホテルのスイートルームにて。
ため息を吐く音がやけに大きく聞こえた。
ソファーに座っている美少女のものだ。
銀色のツインテールがふわりと揺れる。
西洋人形のような可愛らしい顔立ち。
凹凸のハッキリした肢体はグラビアアイドルも裸足て逃げ出すレベル。
艶やかさと幼さを併せ持った美少女は、そのサファイアの双眸を困惑で揺らしていた。
彼女が今回の依頼主──某巨大財閥のご令嬢様である。
「本当に、どうしてこうなったのかしら……」
お嬢様は二度目の溜息を吐く。
時空間旅行。
金と時間を持て余していた彼女にとって、それは丁度良い暇潰しになるはずだった。
当初は満足していた。
本や映画とは違う、実際に「あった時代」を体験できたのだ。
しかし、厄介な存在に見つかってしまった。
ティンダロスの猟犬。
時空間に生息している邪神の一種。
正真正銘のバケモノである。
彼らは基本的に不老不死、且つ大地を砕く怪力を持つ。
故に、表世界の住民では歯が立たない。
しかし、猟犬の恐ろしさは別にある。
彼らは時空間に干渉した者を見つけると、その者を食らい殺すまで追走する。
その執拗さもさることながら、追跡能力が尋常ではないのだ。
万年先の未来であろうが、億年前の過去であろうが、時空間を用いて必ず現れる。
また「角度」という概念を祖先にしているため、90度以下の鋭角があればどんな場所でも転移できる。
ティンダロスの猟犬。
彼らに目を付けられた時点で、死は確定する。
そう、本来なら──
お嬢様の目付け役であるメイドは言う。
「お嬢様を狙う存在──ティンダロスの猟犬を退ける方法は幾つかあります。部屋から角度を無くす、などです。しかしどれも現実的ではありません。今は気配遮断、知覚阻害の魔術で何とか誤魔化していますが、それも時間の問題でしょう」
メイドはその美麗な眉を顰める。
「お嬢様がお転婆なのは存じ上げておりましたが──まさかこの都市に関わるほどとは。お父様は相当お怒りでしたよ。以後、気を付けてください」
「わかってるわよ……」
「貴女の軽率な行動で、数十名のボディーガードが亡くなったのです。彼らの死を無駄にはしないでください」
「……ッ」
お嬢様は唇を尖らせた。
しかし自分に否があるので何も言い返せない。
お嬢様はこのメイドが嫌いだった。
以前まで父の専属メイドだった彼女は、あらゆる分野で優秀な成績を収めているのだ。
更には歴戦の傭兵を片手間にあしらってしまうほどの戦闘力を誇る。
面白くない。
矮小な嫉妬だった。
加えて美しい。
文句の付けようが無いほどに──
濡羽色の長髪はポニーテイルに結われており、紫苑色の双眸は冷たい美貌を更に際立たせている。
気に食わない。
お嬢様はそう思いながらも、ふと疑問に思い、メイドに聞いた。
「貴女──その口振りからして、この都市に詳しいようだけど?」
「御主人様に仕える前は、この都市で活動していました」
「へぇ……っ」
お嬢様は身を乗り出す。
興味津々のようだ。
「お父様から聞いているわ。この都市は悪という悪が集った犯罪都市だって。なら貴女は──」
「私如きの詮索をするよりも──まずはご自身の心配をなさったほうがよろしいかと」
「……」
お嬢様は唇をアヒルのように尖らせる。
あまりにわかりやすい反応に、メイドは溜息を吐きかけた。
しかし何とか堪える。
「……ティンダロスの猟犬は難敵です。なので、今回は凄腕の殺し屋を呼びました」
「へぇ、名前は?」
メイドは表情を歪める。
畏怖、嫌悪、羨望、情愛──
あらゆる感情を込めて、彼女はその名を口にした。
「……大和。デスシティで最強の殺し屋──世界一の武術家です」