城外で。重症を負った茜は、それでも雅貴の居る天守閣までその身を引き摺っていた。
黒髪を振り乱し、碧眼に涙を溜めながら、一歩一歩──
「雅貴様ぁ、雅貴さまァ……ッ」
しかし、途中で倒れてしまう。
野ばらの妖刀の毒が全身を蝕んでいるのだ。
気を失う茜。野ばらは彼女に歩み寄り、トドメを刺そうとする。
だが彼女も満身創痍。途中で膝を付いてしまう。
「ッッ」
それでも鬼に対する憎悪で総身を奮い立たせ、立ち上がった。
「もうええじゃろう、鬼狩りの娘」
「!」
しゃがれた声が聞こえたので、野ばらは咄嗟に構えを取る。
茜を抱きかかえ、嘆息する謎の老人が居た。
綺麗に染まった白髪は後ろで結われている。
皺が重なりつつも壮健さを損なわない面構えに、堂々とした佇まい。
緑の着物に深緑の袴をゆったりと着こなし、腰には二本の長大な日本刀を帯びていた。
老人に対し、野ばらは殺気を迸らせる。
老人は嘆息し、その群青色の双眸に剣気を迸らせた。
「下がれぃ小娘、彼我の実力差も理解できんか」
「ッ」
顔面にぶつけられた剣気に、野ばらは思わず目を瞑ってしまう。
尋常では無い。
目の前の老人は、自分より遥か格上の剣客だった。
「……貴方は、何者? 何で私の邪魔をするの?」
「仲間を助ける。至極当然の事じゃて。故に、これ以上この鬼姫を害するというのであれば、容赦せん」
「貴方は、人間でしょう?」
「そうじゃ。しかしそれがどうした? 人間が鬼を助けるのはおかしい事なのか?」
「…………」
野ばらは老人を睨み付ける。
彼の気を変えられない以上、茜を殺す事はできない。
そう悟った野ばらは、せめて老人の名前を聞くことにした。
今度会った時は、決して容赦しないために──
「名前を、聞かせて頂戴」
「……
正宗──世界最強の剣客達「天下五剣」最長老にして「剣神」の異名を取る男。
野ばらもその名を知っていた。
故に驚愕する。
彼女が正気に戻る前に、正宗は茜と共に消えた。
その歩法は極まっており、純粋に、格の違いを思い知らされる。
「……ッ」
野ばらは剣の柄を握りしめる。
まだ足りない。
鬼を殲滅するには、力が足りないのだ。
◆◆
ネメアと牛魔王は壮絶な殴り合いを交わしていた。
互いに一歩も引かず、ガードすらせず、正面から相手を捻じ伏せようとしている。
この決闘のために拵えた空間も、既に限界を迎えようとしていた。
拳の一発一発で宇宙を消し飛ばす規格外共の殴り合いに、むしろ今迄よく耐えていたといえる。
牛魔王が渾身のアッパーでネメアの顎ごと顔を吹き飛ばす。
しかしネメアは崩れない。
その金眼に宿る覚悟と闘志に、牛魔王は身震いした。
殺意や狂気とは真逆──正道を往く強靭な精神力。
今まで背負ってきた命や想いが、ネメアの瞳に宿っていた。
ネメアの本気の右フックが牛魔王の頬を殴り飛ばす。
牛魔王の視界が揺れた。
幾千幾万の想いが乗った拳は、大和とはまた違った「重さ」があった。
それでも、牛魔王は笑う。
むしろ誇らしかった。
真の勇者と殴り合える──魔王としてこれ以上無い誉れだった。
ネメアと牛魔王が、次で決着を付けようと拳を振り抜く。
同時に空間がひび割れ、一名の侵入者を許してしまった。
「そこまでだぜ、お二人さん♪」
両者の放った拳を手の平で優々と受け止めた、謎の美青年。
程よい長さの緑髪に金色の三白眼。黄色を基調とした蛇柄のカジュアルな衣装。
細身ながらネメアと牛魔王の拳を受け止めたその剛力は圧倒的。
彼はネメアに狂気と歓喜を交えた笑みを向けた。
「ネメアちゃ~ん♪ 妬けちゃうぜ~? 俺様以外と本気で殴り合うなんて。ネメアちゃんの本気のパンチは俺様だけが受けていい一級品なんだからよ~♪」
先端の裂けた舌をチロチロと出す。
ネメアの表情が嫌悪で歪んだ。
「ヒュドラ……!」
「久しぶりだぜネメアちゃ~ん♪ 元気にしてたァ? 俺様は元気百倍だぜぇ♪ ネメアちゃんの本気パンチが腕から心臓に伝わってきて、もうキュンキュンだぜぇ♪」
ヒヒヒと不気味な笑い声を上げる美青年──ヒュドラ。
外宇宙から来た侵略者、ドラゴン。その中でも最狂と謳われた『邪龍王』。
日本では
同時に規格外の不死性と猛毒で世界を何度も滅ぼしかけた、超一級危険生物である。
「何でお前が……」
「俺様達、雅貴ちゃんに協力してるのよ♪ 七魔将って名前でなァ♪ ヒヒヒッ、面白そうだろ~?」
「ッッ」
ネメアは驚愕で眼を見開く。
ヒュドラと牛魔王と同等クラスのバケモノがあと四名、雅貴と同盟を組んでいる。
悪夢以外の何ものでもなかった。
ヒュドラはケラケラと笑う。
「つぅわけで、今はお別れだぜネメアちゃ~ん♪ また今度、二人っきりで殴り合おうや♪」
「オイ、待て!!」
ネメアが手を伸ばすも、ヒュドラは牛魔王に肩を貸して時空間を移動してしまう。
ネメアは盛大に舌打ちした。
「……洒落にならんぞッ」
◆◆
恋次の放った刃を受け止めた堕天使ウリエルは、そのまま大の字で倒れる雅貴に微笑んでみせた。
「もういいだろう? 雅貴」
「むぅ……まぁ、よかろう。お前達との同盟、破棄するわけにもいくまい」
「当たり前だ。封印から解放した対価はキッチリと払って貰うよ」
「……俺は約束は破らん。わかった。この場は引くとしよう」
ウリエルの背後に、茜を抱えた正宗と牛魔王に肩を貸したヒュドラが現れる。
恋次は歯を食い縛った。
想像を絶するメンバー。どんな方法を用いてもこの面子には勝てない。
次元が違い過ぎる。
ウリエルは恋次の白鞘を離すと、雅貴を浮遊させ後退する。
彼を抱き寄せたウリエルは、恋次の背後に駆けつけたネメアと野ばらに告げた。
「今回の宴はコレで終了だ。……ネメア、大和によろしく伝えておいてくれ。僕達は雅貴に付くと。ああでも、僕は君一筋だから、そこは勘違いしないでくれとも」
ウリエルはチロリと舌を出す。
ネメアは唸りながら彼女に問うた。
「お前達の目的は何だ……返答次第では、ここで戦うのも辞さない」
「内緒♪ 今後のお楽しみという事で、とっておいてくれ」
「ッッ」
ネメアは拳を握りしめた。
この四名を同時に相手にすることは、できなくはない。
しかし、ネメアには守るべき場所がある。
しかも、近くには恋次と野ばらがいる。
ネメアは戦闘を諦めた。
それすら考慮済みだったウリエルは、悪戯っぽく笑ってみせる。
「じゃあね。また会う時が来るだろう」
紅蓮の焔に包まれ、雅貴を含めたメンバーが消えていく。
雅貴は、最後に恋次に言い放った。
「恋次……! 自由に生きよ! お前はもう俺の部下ではない! お前らしく、生きるのだ!」
満身創痍ながらも最愛だった部下にそう言い残し、雅貴は焔の中に消えていく。
恋次は涙を流し、肩を震わせた。
そして、喉から声を絞り出す。
「今迄、ありがとうございました……ッッ」
雅貴は微笑みながら消えていった。
完全に、気配が消えた。
ネメアは全身の力を抜き、大きな溜息を吐く。
乾いた夜風が辺りを吹き抜けた。
狂乱の宴が今、漸く終わったのだ。
◆◆
三日後、デスシティは壊滅的被害を被ったが、何時も通りのルーチンを再開していた。
死傷者は沢山出た。地形も変わった。しかしどうという事は無い。
デスシティは滅びない。表世界が平和である限り、そのツケが全て此処で清算される。
善悪二元論。
故に、デスシティがその在り方を損なう事は無い。
今日も今日とて多数の違法売買が執り行われ、異形妖魔共が跋扈する。
魔界都市を魔界都市たらしめているのは、表世界の住民なのだ。
ケバケバしいネオンが明滅し、夜空を覆う鉛色の入道雲は数多のテールライトで照らし出される。
サイボーグ同士が肩が触れたか触れないかで殴り合いを始め、全裸に近い悩ましい衣装を着たサキュバスが所構わず男を誘う。
空中を飛空車達が行き交い、路地裏からは呻きとも叫びともつかない声が聞こえてきた。
辺りは200階を優に超える超高層ビルが立ち並び、通り沿いには軒並み怪しい出店が並んでいる。
違法改造を施した重火器や戦車を揃えている兵器屋。毒草や毒虫、護符を並べた魔法薬屋。
魔法薬屋では妖精や怪魚、人面草の干物を吊り下げており、現在双頭鮫の解体ショーが始まっていた。
混沌の象徴とも言えるこの異世界で経営を再開した完全安全地帯こと、大衆酒場ゲート。
住民達は改めてこの酒場のありがたみを知ったのか、何時も以上に店内は騒々しかった。
カウンター席に座り、ラムを嗜んでいる褐色肌の美丈夫──大和。
彼は大きな溜息を吐いていた。
理由は頭や肩、腹にくっ付く子供幽霊達だ。
「大和さん、やっぱり大きいです! 頭に乗れば酒場を見渡せます!」
「大和さ~ん、かまって~♪」
「兄貴~っ」
「きゃはは♪」
死体回収屋ピクシーの面々である。
少年少女の子供幽霊達は、大和に助けられて以降特に懐いていた。
大和は肩に乗る桃髪の少女幽霊に文句を言う。
「オイ幽香、コイツ等をどうにかしろ。おかげでロクに女と寝られやしねぇ」
「後少ししたら落ち着くだろうから、許してくれよ。俺もお前に甘えたいし♪」
大和の頬に自分の頬をすり寄せる幽香。
大和はやれやれと溜息を吐いた。
その背に、唐突に誰かが抱きつく。
漆黒の制服を着た美女だった。
東洋人特有の彫の浅い顔立ち。柔らかい光を帯びたブラウン色の双眸。
艶のある黒髪は肩辺りで切り揃えられている。
制服の中に窮屈そうに詰まっている豊満なバストは、雄にとって垂涎の品だった。
闇バス、闇タクシーの運転手、死織である。
彼女は甘ったるい声で大和に言った。
「まさか貴方が私達を助けてくれるなんて……驚きましたよ。でも、嬉しかったです」
「勘違いすんな。たまたま目に入っただけだ。次は自分達でどうにかしろ」
「フフフ……それでも、また目に付いたら助けてくれるんでしょう?」
「…………」
「大好きですよ……大和♡」
「……ったく」
大和は苦笑しながら頬杖を付く。
死織は彼の背中に身を寄せ、幸せそうにしていた。
◆◆
ネメアは厨房前で煙草を吹かしながら新聞を読んでいた。
記事は雅貴の復活、そして七魔将について。
七魔将──現在判明しているメンバーは四名。
『堕天使の長』ウリエル
『剣神』正宗
『邪龍王』ヒュドラ
『平天大聖』牛魔王
後三名、同レベルの猛者がいるという。
ソレらが雅貴と同盟を組んでいると思うと、頭が痛くなった。
ここ数十年、平和な時代が続いていた。
それも、この機に崩れ去りそうである。
強大な邪悪は周囲に影響を与える。
それがあの雅貴であれば、想像を絶する被害が出るだろう。
これから動く機会も多くなる──ネメアはそう考え、一先ず新聞を閉じた。
今はこの仮初の平和を享受しようと思ったのだ。
英雄の真似事はもうお終い。酒場の経営という本当に好きな仕事をして、ネメアは初めて安らぎを得られる。
「店長……」
更衣室から出てきたのは、大正モダンを連想させる給仕服を着た美少女──野ばらだった。
サイドテールにした黒髪を揺らして、彼女はネメアに頭を下げる。
「ありがとう。また給仕として雇ってくれて」
「気にするな」
「それでも、お礼を言わせて頂戴。店を出て行ったのに助けて貰って、また雇って貰えるなんて、貴方には本当に甘えてばかりだから」
俯く野ばらに、ネメアは苦笑してみせる。
「今度はちゃんと相談しろ。……俺はお前の味方だから」
「……ありがとう。これからもよろしくね、店長」
野ばらが初めて微かに笑ったので、ネメアは満面の笑みを返した。
嵐が去った後には花が咲く──
野ばらの笑みが今回のネメアの報酬だった。
ネメアには、それだけで十分だった。
《完》