魔王は魔剣聖を、アイリスを信じていた。
だからこそ、通信が途絶えた後も平静を装っていた。
魔王が、魔族の王たる男が、取り乱すなどありえない。
例え最愛の女性が行方不明になったとしても──だ。
日が完全に明けた頃──アイリスから魔術通信が届いた。
魔王は彼女が無事な事に胸を撫で下ろしつつ、内容を確認した。
その後、魔王は発狂する事になる。
最愛の女が、アイリスが、ベットの上で他の男に寄り添っていたのだ。
アイリスはその凛然とした面を蕩けさせていた。
魔王にしか見せなかった表情で、甘ったるい声を画面越しに聞かせてくれる。
『魔王様ぁ……ごめんなさい。私、貴方より逞しくて美しい御方を見つけちゃった……だからもう、戻りません♪』
「…………ッッ」
魔王の思考が停止する。
脳が現実を受け入れる事を拒否したのだ。
彼は、思わず情けない声を出してしまう。
「そんな、バカな……嘘だろ、アイリス」
その綺麗な白髪を押え、美顔を歪める魔王。
最愛の女性を抱き寄せ、その頬にキスをした男は、魔術通信に顔を覗かせた。
『ハロー。お前の女、中々イイ具合だったぜ。ごちそうさん♪』
「ッッ」
『ねぇ、大和様ぁ……もういいじゃありませんか。早く続きをして欲しいですぅ……っ』
アイリスは発情した様子で大和にその身体を擦り寄せる。
しかし大和はその豊満過ぎる胸を揉む事で黙らせた。
『ああンっ♡』
『……ねぇねぇ、どう魔王サマ? 下等生物って見下してた人間の男に女寝取られた気分ってどう? メッチャ聞きたいわ~っ』
「~~~~~~~~~ッッ」
『だから、北側の王国──その前の平原で待ってるぜ。お前の歪んだ面、見せてくれよ。大爆笑してやるからさァ』
『大和さまァ……そんな「下手」な男なんてどうでもいいですからァ……っ』
『はいはい。……じゃあな魔王サマ。また後で♪』
そこで通信は途切れる。
魔王の憤怒は臨界点を突破した。
謁見の広間だった場所が放出された魔力で消し飛ばされる。
周囲のテントに駐屯していたオークやゴブリン達は怯えていた。
魔王は顔をクシャクシャに歪ませながら涙を流す。
そして、呪詛を吐き出した。
「大和……覚えたぞ、下等種族がァァ……八つ裂き程度では済まさんッ!! 地獄が生温く思える程の苦痛と絶望を味あわせてやるッッ!!!!」
魔王は蝙蝠の大翼を羽ばたかせ、宙へ飛んだ。
向かうは北側の王国──その目の前に広がる平原。
最愛の女を寝取り貶めた男に、万感の憎悪をぶつけるために──
魔王は溢れんばかりの憤怒を莫大な魔力に変換していた。
◆◆
山脈を越え、湖を超え、渓谷を超え──魔王は平和の象徴たる北の王国をその眼に映した。
手前に広がる閑散とした平原に──いた、褐色肌の美丈夫が。
魔王の憎悪が爆発する。それすらも魔力に変換してみせ、彼は仇敵の前に着地した。
平地に爆風が吹き荒れ、同時に魔力の奔流が生まれる。
荒々しい漆黒のオーラに身を包み、魔王は血走った双眸を美丈夫に向けた。
「下等生物がッッ……俺の女を寝取った罪、万死に値するぞ!!!!」
魔王の悲哀すら伴った叫びに、褐色肌の美丈夫は愉快愉快とギザ歯を剥きだした。
そして舌を出す。
「寝取られる方が悪ぃんだよ、バーカ。魔王の癖に、なっさけねぇ」
「ッッ」
「聞いたぜ。お前のアレ、小さいんだってな。それにテクも下手糞だとか……ブッハッハ!! マジで救えねぇ!! 男として終わってんじゃんお前!!」
「貴様ァァァァァ!!!!!!!!!!!!」
漆黒の魔力が、憤怒と憎悪によって臨界点を突破する。
大和は以前愉悦の笑みを絶やさず、自分の頬を突き出した。
「仕方ねぇなァ、一発殴らせてやるよ。ロクにセッ〇スを知らねぇ餓鬼に情けをくれてやる」
「その汚い口を閉じろ下等生物がァァァァッッ!!!!」
渾身の拳が振り抜かれる。
大気が、地盤が揺れ、世界が震撼した。
元々、膂力だけで山河を砕き、大海原を引き裂く拳打を放てるのだ。
臨界点を突破した魔力で超強化された右ストレートは、世界を破壊できる威力があった。
魔界を統一した革命児に相応しい、規格外の一撃。
しかし──今回は相手が悪かった。
大和は嗤い、魔王の右手を握る。
「どうだ? スッキリしたか?」
その頬からは白煙が上がっているが、傷は皆無だった。
「惨めだなァ……魔王サマ」
灰色の三白眼が、暗黒色に染まっていた。
魔王は恐怖と絶望によって支配される。
その狂気と欲望は、個が抱えていいものではなかった。
魔王の目の前にいる存在は、人間の皮を被った「怪物」だった。
振り抜かれる右フック。
魔王の上半身が消し飛んだ。
空間が裂け、平地が崩壊する。
衝撃が遥か先にあった山脈や渓谷、湖を丸ごと削り飛ばした。
空に浮かんでいた雲が一切吹き飛び、一面に青空が広がる。
余裕で惑星を破壊できる男の拳打を、魔族の王「程度」が耐えられる筈も無い。
魔王は悲鳴すら上げる事なく死滅した。
残った下半身が塵になり始める。
大和は鼻で笑った。
「あの世で死神とセッ〇スの練習でもしてな……尤も、死神にも辟易されちまいそうだけどな」
大和は残った下半身を蹴り飛ばす。
塵は風に乗って消えていった。
悪魔は悪魔でも、格が違い過ぎた。
彼はエゴで世界を何度も救った最強の魔人なのだ。
◆◆
その後、残った魔王軍も殲滅した大和は約束の報酬を異空間の収納ボックスに詰め込んだ。
彼は現在、国王と契約を交えた貴賓室に佇んでいる。
両脇に魔剣聖と召喚術士を侍らせ、国王に笑いかけた。
「依頼完了だ。約束の報酬も貰ったし、俺は元居た世界に帰らせて貰うぜ。その方が都合が良いだろ?」
「……」
「後は勝手にしな。お前の好きな様に歴史を改竄すればいい」
大和はそう告げ、魔剣聖アイリスの首筋を甘噛みする。
「何か起こればコイツに任せておけ。たまには俺もこの世界に遊びに来る。どうしてもって時はまた呼べや。特別価格で応対してやるから」
大和はうっとりと惚ける魔剣士と召喚術士を離し、虚空に蹴りを放つ。
すると、次元の狭間が開いた。
大和は此処から故郷へ──魔界都市に帰るのだ。
手を振って別れを告げる大和に、国王は最後に問いを投げかけた。
「最後に、質問してもいいだろうか?」
「何だ?」
「君は……狂っているのか?」
抽象的な質問だった。
大和は嗤ってみせる。
「狂ってたら殺し屋なんてできねぇよ。とっくに野垂れ死んでる。……頭が良くて、要領も良くなきゃなァ」
「ッ」
「俺みたいな人間もいる……勉強になっただろ? 国王サマ」
「……ッ」
不気味に嗤う魔人に対し、国王は何か言いたげだったが、寸前で飲み込み、頭を下げる。
「……今回は本当にありがとう。だが、今後君を雇う事態にならない様、最善を尽くすよ」
「ハハハ! そうだな! そうならねぇのが一番だ!」
豪快に笑って、大和は次元の狭間の中へ消えていった。
狭間が塞がり、静寂が生まれる。
未だ惚けている女達の背を見つめながら、国王は小さく呟いた。
「……ああ。本当に、努力しなければならないと思ったよ」
今回は最小限で済んだ。
今回は──
あの悪魔の様な男の気まぐれなのか、最小限の被害で済んだのだ。
これからは未然に防がねばならない。
どんな邪法を用いても──
国王はそう決意した。
今からやるべき事は多い。
国王は険しい面持ちで踵を返した。
異世界の空は、嵐が過ぎ去った後の如く蒼穹が広がっていた。
《完》