大和が訪れる数分前。
お嬢様はメイドから幾つかの忠告を受けていた。
「まず、今から来るのは殺し屋です。お嬢様は殺し屋について理解はありますか?」
「舐めないで頂戴。殺しを職業としている人たちのことでしょう?」
「では──お嬢様は金のために、誰かを殺すことができますか?」
「ッ」
「今からやってくるのはそういう存在です」
「……」
お嬢様は険しい表情をする。
改めて、殺し屋という存在について考えているのだ。
「その殺し屋──大和というのは、どういう男なのかしら?」
「難しいですね……」
「第一印象で構わないわ」
「……」
メイドは暫く間を置くと、ポソリと呟いた。
「最強のロクデナシ、でしょうか」
「……??」
お嬢様は首を傾げた。
メイドの言葉の意味を理解できなかったからだ。
メイドは補足する。
「性格はまごうことなき屑です。女と酒に溺れ、金さえ払えば嬉々として人を殺す。自分を邪魔する存在は誰であっても許さない。それがたとえ、血を分けた子供であったとしても」
「ッ」
お嬢様は絶句した。
そんな屑がここにやって来るのかと戦慄しているのだ。
しかし、メイドは淡々と続ける。
「これぐらいの屑ならデスシティには山ほどいます。問題は強さです」
「……確か、この都市で一番の殺し屋だったわね。なるほど……性格は最悪でも実力は最高、ということかしら?」
「はい。あとは、もう一つあります」
「?」
疑問符を浮かべるお嬢様。
メイドは静かに、されど強い語気で言った。
「色気です」
「……は? 色気?」
「はい、あの男の色気は女を惑わす魔性のもの。故に、お嬢様には十分注意していただきたいのです」
「……貴女はッ」
お嬢様の声が震える。
「貴女は、私が色気だけは立派な屑に靡くような女だと、そう思っているの?」
その問いには明らかな怒りが含まれていた。
仮にも主従の関係。
今の言葉は無視できない。
しかし、メイドは続ける。
「お嬢様は未だ成人しておりません。それに、男性経験が無いことも把握しております。交際すらもしたことがないと」
「なっ!?」
お嬢様は羞恥で顔を真っ赤にした。
「それとこれは関係ないでしょう!!?」
「あります」
「~ッッ」
お嬢様は羞恥以上の憤怒で銀髪を戦慄かせる。
今にもツインテールを振り乱して怒鳴り散らしそうな勢いだ。
そんな彼女に、メイドは深々と頭を下げた。
「無礼は重々承知しております。ですが、大和の色香はそれほど危険なものなのです」
「……」
「幾多の難敵を葬ってきた最強の威風。血と硝煙の入り混じった危険な香り。そして、生来の優れた容姿。それらが手の付けられない魅力と化しています。悪い男は魅力的に見えるといいますが、まさしくそれです。あの暴力的な色気に、皆惑わされてしまうのです」
メイドの忠告は鬼気迫るものがあった。
お嬢様は怒りを忘れて息を飲む。
「意中の異性がいない、もしくは奴に対して憎悪などの激しい感情を抱いていない。そういった女性は非常に危険です。私は、あの男に堕とされて破滅する女性を何人も見てきました」
「ッ」
「ただそこに在るだけで異性を惑わせる、故に魔性。……何卒、ご理解頂ければ」
「~ッ」
お嬢様は不貞腐れた。
メイドは嘘をついていない。そして、客観的に物事を見ている。
だからこそ気に食わない。
お嬢様は決意した。
絶対に靡いたりしない、と。
しかし、その決意は呆気なく崩れ去ることとなる。
大和の色気は、お嬢様の予想を遥かに上回っていたのだ。
◆◆
一言、簡潔に。
お嬢様は惚れてしまった。
彼女の意思とは関係無く、その内に潜むメスがなびいたのだ。
大和は完成された容姿を誇っていた。
艶やかな黒髪。冷たい三白眼。獰猛なギザ歯。そして華のある顔立ち。
鍛え抜かれた褐色の肉体は最早芸術品。
暴力的な色気を振りまく、雄々しい益荒男。
お嬢様は今更ながらメイドの忠告を理解した。
が、次の瞬間には忘我の彼方を彷徨っていた。
「何だ、チョロいな」
侮蔑の言葉すらも脳内で都合の良いように変換される。
その低く甘い声は、魔性の色香と称される大和の最大の武器だった。
「好都合だ。手間が省ける」
大和はお嬢様を引き寄せる。
逞しい腕に抱かれ、お嬢様は改めて大和という男の「大きさ」を理解した。
彼女は抗えなかった。
ただただ、目の前の雄に夢中になっていた。
大和は小さく嘲笑すると、隣に控えていたメイドに話しかける。
「よォ、久々じゃねぇか
「まぁね……ハァ」
メイド──黒花は、その美しい濡羽色の髪を掻き上げた。
そして大きなため息を吐く。
「貴方も大概だけど、それ以上に新しい御主人様の耐性の無さに絶望よ……まさか三秒も耐えられないなんて」
「いいじゃねぇか、金さえ貰えりゃ馬鹿でも」
「一理あるけど、あまりに馬鹿だと面倒を見るのが大変なのよ」
「お疲れさん」
適当な慰めは、黒花を更に苛立たせた。
「全く……これじゃあお仕置きにならないじゃない。理性と本能の合間でもがき苦しんでほしかったのに」
「色々と事情があるみてぇだが、俺には関係ねぇな」
大和は肩を竦めると、陶然としているお嬢様の頬を撫でる。
彼女は愛おしそうに大きな手に頬ずりした。
大和は言う。
「食っちまうぜ」
「いいわよ。でも任務の一環なのを忘れないで。あくまでお嬢様の香りを貴方の香りで上書きして、ティンダロスの猟犬を欺くことが目的なのだから」
「壊れない程度に可愛がってやるよ」
大和はお嬢様を寝室まで連れて行く。
ふと、黒花に振り返った。
「お前も一緒に楽しむか?」
「後でね」
「おう」
大和は子供のように笑う。
対象を自分の香りで上書きし、ティンダロスの猟犬を欺く。
大和ならではの方法だ。
初対面の異性すら問答無用で惚れさせる色香があるからこそできる出鱈目な方法である。
お嬢様はベッドの上で純潔を散らし、その香りを上書きされた。
誰でもない、お嬢様がそれを望んだのだ。
その証拠に、幼くも恍惚とした喘ぎ声が部屋の外まで響き渡った。
◆◆
早朝、大和は着物の袖を正していた。
背後にある大きなベッドには小さく寝息を立てている銀髪の美少女と横になっている黒髪の美女がいる。
美女は大和の背中をぼうと見つめていた。
彼女──黒花は大和に聞く。
「休憩しなくていいの?」
「準備運動にはなったぜ」
黒花は肩を竦めた。
「こっちは上手くやっておくわ。元々はお嬢様の自業自得だし」
「任せた」
「もう貴方の虜でしょうから、それをダシに色々やらせてもらうわ」
「ほどほどにな」
大和は準備を整えると、黒花に振り返る。
そして無邪気な笑みを向けた。
「メイド姿、結構似合ってたぜ」
「そう」
「そのまま表世界で上手くやっていけよ。お前、あんま強くねぇから」
「言ってくれるわね……」
「事実だろう?」
小首を傾げる大和を、黒花は睨みつける。
大和はやれやれと肩を竦めると、彼女に近寄り、その唇を奪った。
「あばよ。お前は個人的に気に入ってるから、いつでも相手してやるぜ」
そう言って去っていく。
黒花は陶然とした後、自嘲の笑みをこぼした。
「私も、駄目な女ね……」