同時刻、中央区にある秘密クラブ『ベリーベリー』にて。
ここは会員制の秘密クラブである。
ありとあらゆる性癖に応えてくれると言う玄人向けの店で、その筋には密かな人気があった。
個室の中はピンクとも紫ともとれる淫靡な色彩で満ちている。
媚薬混じりの香も焚かれていた。
「ねぇ、ここは始めて?」
店員の女が小首を傾げる。
それなりの美女だった。
その豊かな乳房の間で、ネックレスタイプのリクエストタグが揺れる。
専用スキャナで読み込む事で、タグに登録されたプレイ内容が要求可能だとわかる仕組みだ。
「あぁ、そうだ。常連さんに紹介してもらったのさ」
色白の美男がタグを読み込むと、ネーム:ジェシカ。年齢:22。そしてスリーサイズが表示される。
利用できるプレイ内容も確認できた。
男はニヤリと唇を歪める。
プレイ内容に『カニバリズムOK』と表示されていたのだ。
◆◆
「あんた凄かったよ。なんだか食べ慣れてるって感じ」
暫くして。
バスルームに飛び散った流血をシャワーで流しながら、ジェシカは言った。
男は驚愕している。
「驚いたな。まさか食っても元に戻るとは思わなかった」
男は文字通り、ジェシカの女体に齧り付き、肉を食い千切り、血を啜った。
しかし、見る間にその傷口が塞がっていったのだ。
ジェシカは淡水に棲息するヒドラやプラナリア等の再生能力の強い生物の特性を有しているのだ。
彼女はクスリと笑う。
「この店の女の子は全員、改造手術で色んなプレイが出来る様になってるのよ」
ジェシカは陽気な調子て身の上話を始めた。
表世界の出身でありながら、親の借金の代替えとして極悪ヤクザに身売りされたこと。
ハードなSMバーに勤める事になり完全なMに目覚めたこと。
そこで『骸道会』なるデスシティのヤクザ組織に拾われ、改造手術を勧められたこと。
それからこの店を紹介されて、現在に至るまで……。
しかし、そんなことは男──犬飼ヨウジにとってどうでも良かった。
表世界で「美野獣」と恐れられていた凶悪犯の面目が丸潰れである。
(いいや……でもいい、この都市なら、俺を受け入れてくれるのかもしれない)
ヨウジは茫洋とした様子で 天井を仰ぐ。
ジェシカは髪に付いた水滴をふき取りながら、陽気に告げた。
「もうすぐあたし上がりだから、ご飯でも食べに行こ? いいじゃない、あんただって、あたしの事食べたでしょ♪」
「……~っ」
ヨウジは思わず頭を抱えるのであった。
◆◆
中央区の裏路地にて。
摩天楼の喧騒も此処からは遠く感じる。
たむろう肉食性の合成獣たちも、今夜は大人しかった。
腕を組まれているヨウジはドギマギしているが、ジェシカは御構い無しである。
暫く歩いていると、小さな屋台の前に辿り着いた。
達筆の筆文字で『おでん屋・源ちゃん』と書かれた暖簾を二人はくぐる。
「らっしゃい!! おお、清美ちゃん。久しぶりだねぇ。今日はお連れさんと一緒かい?」
威勢の良い掛け声と共に、厳つい壮年の店主が現れる。
筋肉の宮ともいえる規格外の体躯を誇るこの店主は、源次郎である。
ジェシカは片目を閉じて言った。
「おじさん、この人あたしのカ・レ・シ♪」
ジェシカ=清美の発言に、ヨウジが慌てふためいた。
「か、彼氏!? おい、俺は……」
そんなヨウジを尻目に、清美はおでんの盛り合わせを注文する。
源次郎は陽気に笑った。
「いや~羨ましいねぇ、おじいちゃんももっと若かったら立候補するのによぅ」
「やだ~。源次郎さん、まだまだ現役じゃない。モテモテでしょ?」
「カッカッカ! そこまででもねぇよ!」
笑いながらおでんを皿に盛る源次郎。
濃厚なダシの匂いが食欲をそそる。
出された盛り合わせに、清美は子供の様に目を輝かせた。
「コレよコレ、待ってました♪ ちょっと、何ボケーッとしてんのよ。熱いうちに食べなさいよ」
清美に促され、ヨウジは慌てて箸を持つ。
大根に齧り付くと、ダシの旨みが口いっぱいに広がった。
ほんのりと甘い、故郷を連想させる味──
ヨウジの目から、とめどなく涙が溢れ出る。
「美味い、美味いよ……こんなに美味い物、初めてだっ」
「んあ? そんなに美味かったか?」
「変な人ねぇ」
源次郎と清美は思わず顔を見合わせた。
◆◆
ヨウジとジェシカこと、清美の二人は中央区のラブホテルにいた。
室内は温暖で清掃が行き届いている。
「おい、これは一体……」
アレよアレよと言う間にここまで来てしまったヨウジは、酷く慌てていた。
シャワーを浴びてバスローブを身に纏った清美が、ベッドに仰向けに寝転ぶ。
「何って、ホテルでしょ。さっきからおかしな人ねぇ。それともあたしのこと嫌い?」
ヨウジは俯いてしまった。
分厚い真紅のカーペットの一点だけ、ジッと見つめている。
「嫌いとかそう言う事じゃない……俺は、俺は……」
ヨウジは自分の過去を振り返っていた。
表世界からこの街へ来た経緯を。
彼は、目の前の娘に言い出す機会を失っていた事を後悔していた。
清美は苦笑する。
「言いたく無ければ言わなければいいじゃない。元々そういう連中ばかり集まる街だしね」
衣擦れの音がした。
ヨウジの目の前には、バスローブを脱ぎ捨てた清美がいた。
「ヨウジが何悩んでるのかわからないけど、あたしなら少々の傷は再生出来るし、大丈夫よ。あたしドMだし、食べられても平気な身体だし♪」
「清美……さん。俺、実は……」
「清美でいいよ。今は何も言わないで」
ヨウジの唇に、清美の柔らかい唇がそっと重ねられた。
◆◆
「本当は内緒なんですがね」
そう言いながら人体改造バー『インセクツ』の刺青店長がデスクトップのキーを叩く。
意外と繊細なキー捌きに、長谷部はほぅと感嘆の息をもらした。
刺繍店長の私室にはディスプレイが10基もあり、得体の知れないケーブルが複雑に絡み合っている。
天井からは無数のコードが刺さっている異形のコンピューターがぶら下がっていた。
液晶画面に、鈍い音を立てて複座な文字が並ぶ。
デスシティ内の情報屋に一斉にアクセス出来る秘密プログラムであった。
「へへ……これでも前は名うてのハッカーだったもんで。今は改心してこんな店やってますがね」
刺繍店長は、長谷部が持っていた当時の犬飼ヨウジの写真をスキャンする。
二十年の歳月による顔面の変化パターンを十万パターンまでシュミレート。
現在のヨウジの姿を精巧な画像が予測し、描き出す。
そのデータを瞬時に情報屋達の端末に一斉送信。
件数が絞り込まれ、ダイレクトにヒットする該当項目が一件。
中央区の秘密クラブ『ベリーベリー』付近にて、よく似た男が目撃されたとの情報が出て来た。
「へへっ……ダンナ。これでいいでしょう」
揉み手しながら媚びへつらう刺繍店長。
長谷部は抑揚の無い声で告げた。
「助かった。至急、用意して欲しいものがある」
その目には、静かに憎悪の炎が揺れていた。
◆◆
早速秘密クラブ『ベリーベリー』を訪れた長谷部は、店員にプリントアウトしたヨウジのモンタージュを見せていた。
「この男を見なかったか?」
「あぁ、そう言えばさっきこんな感じの人来てました。…………ところで」
人外の店員は露骨に表情を顰める。
ヨレヨレの薄汚れたトレンチコートにハンチング帽姿の老人が、男の写真を持って来たのだ。
訝しむのも無理はない。
「詳しく聞かせてもらおうか。そいつの事を」
グイと迫る長谷部を警戒してか、店員は背後に呼びかける。
「オイ、ちょっと来てくれー!」
奥から筋肉の塊みたいな男達が五人も出て来た。
「何かあったんですかい?」
ゴキゴキと拳を鳴らす荒事専門の巨漢達。
長谷部が大和の名を出そうとした、その時──
「待ちな! お客様だろう!? 大の男が揃いも揃って、なに慌ててんのさ!!」
割って入ってきたのは肌が透き通る様な、否、実際にガラスの如く透き通っている美女だった。
長谷部でも思わず見惚れてしまう。
豊満な胸からくびれた腰まで、完全に透けている。
人外なのだろう。
しかし、その美しさは際立っていた。
「す、水晶姉さん!? すいません。この人の剣幕があまりにも凄いんで……」
言い訳する店員にビンタを一発かまし、人外美女──水晶は用心棒の巨漢達を叱り飛ばした。
「アンタ達もアンタ達だよ。さっさと引っ込みな!!」
「へ、へい……」
ヘコヘコと頭を下げて去っていく男達を一瞥する水晶。
彼女は長谷部に向き直ると、深々と頭を下げた。
「わたくし、この店の責任者を任されております水晶と申します。しっかりと教育しておきますので何卒、お許し下さい」
「いや、いいんだ。それよりこの男の行方を探している」
長谷部は改めて、水晶にヨウジの写真を見せる。
水晶はふむふむと頷いた。
「確かに、ウチのジェシカについたお客です。この方が何か?」
瞳もガラスの様な美女を見つめながら、長谷部は苦虫を噛み潰したような表情で告げる。
「こいつは人食いの殺人鬼だ。そして俺の妻と娘の仇でもある」
水晶の反応は早かった。
「ジェシカにすぐ連絡を。何か知ってるかもしれません」
◆◆
ベッドの中で、清美はヨウジの胸に顔をうずめながら微笑んだ。
「ヨウジ……愛してる」
「俺もだよ、清美。……君に、言っておかないといけない事がある」
「なぁに?」
「……実は俺、表世界で強姦殺人犯として報道されて、この街に来たんだ。俺……確かに人を食ったよ。でも誰もレイプしてないし、殺してないんだ……」
それは衝撃的な告白だった。
「俺は、あんな事したくなかった……でも無理矢理脅されて、食わされたんだ。……アイツらに!!」
頭を抱えて、子供の様に泣き出すヨウジ。
その時、清美のベット脇に置いていた携帯が鳴った。
清美が働くクラブの店長、水晶からだった。
◆◆
「ハァ? 俺の友人を名乗る奴がいるぅ?」
別のラブホの一室で。
特大のベッドに寝そべりながら褐色肌の美丈夫──大和は眉をひそめた。
「オウ、オウ……わかった。ちょっと待ってろ」
大和はベッドから起き上がり、身嗜みを整える。
シーツを引き寄せて裸体を隠した東洋系の美女──闇バスの運転手、死織は苦笑した。
「貴方の友人を名乗るなんて……どこの命知らずですか?」
「今からその面、拝みに行くんだよ。調子乗ってたらぶっ殺す」
「フフフッ」
相変わらずのその性格に、死織は思わず笑ってしまう。
彼女の眼前で真紅のマントが靡いた。
「さぁて、長谷部くんよォ……大和サンが会いに行ってやるぜ」
暗く嗤って、大和は部屋を出て行った。
生きた天災が、動き始めた。