一話「疑似天使」
デスシティの裏区には世界最高の科学者が隔離されている。
彼女は元々医師であったが、仙術を含めた全ての医療技術を解明してしまったために現在「人類の英知の結晶」である科学に傾倒していた。
それすら暇潰しである事を知っている者は、デスシティでも極僅か。
成ろうと思えば何にでも成れる──故に天才。
それをしようとしないのは、彼女が余人が求めるものを求めていないからだ。
規格外の頭脳を誇るがため、彼女は真の意味で人智を逸脱していた。
その気になれば宇宙やそれ以上、更にその上の空間を一瞬で消滅させられる超兵器を開発できる。
しかも、片手間に。
しかし彼女は遊び心を忘れない。
今宵もまた、戯れに禁忌の品を完成させた。
彼女でも、今回の品の製作には3日かかった。
黒のストッキングに薄緑のシャツ。
シャツのボタンは上から二個空けらており、豊満な乳房が窮屈だと自己主張していた。
白衣に身を包んだ姿はまるで保険医の様。
艶のある黒髪はゴムで結われ、肩に流されている。
知的な美貌を讃える顔立ちはあらゆる異性を虜にしてやまない。
泣きぼくろと色眼鏡が、その美貌に更に拍車をかけていた。
彼女は目の前のカプセルから培養液ごと「品」を排出する。
出てきたのは、スカイブルーの長髪を揺らす美少女だった。
凹凸の少ない肢体、生気を一切宿していない水色の双眸。
彼女は裸体のまま、華仙に対して片膝を付いた。
「試験体α。只今参上しました」
「フフッ……貴女はこれからアルファ、と名乗りなさい」
「Yes、マスター」
「違うわ、主は私じゃない。これから貴女はある男の元に付き、生きる事を学びなさい。喜怒哀楽を情報としてでは無く、感情として理解するの」
「Yes、命令を受諾しました。では、私の仕える主はいずこに?」
キョロキョロと周囲を見渡すアルファに、華仙は微笑を向ける。
その時、華仙の背後にある自動ドアから金髪の美少女が現れた。
腰まで乱雑に伸ばされた金髪に真紅の双眸。
白雪の如き柔肌が十代とは思えぬ豊満な肢体を更に魅力的にみせている。
黒を基調にした今時のカジュアルな服装に身を包んだ彼女は、クールそうな外見に反してのほほんとした口調で告げた。
「華仙さーん、来ましたよー。で、その子が?」
「ええ、彼の元に連れて行って欲しいの。その後も暫く監視して欲しいわ」
金髪の美少女──スレイは眉のへの字に曲げる。
「いいんですか? よりによって師匠──大和さんの元に送るなんて……絶対ロクな事になりませんよ?」
「いいのよ。私が知ってる中で彼が一番人間臭いもの」
「確かにそうですけどー」
スレイの懸念も理解できるので、華仙は苦笑した。
「多少毒があった方が、この子のためにもなるわ。……疑似天使、人造である彼女には生来の天使とは違う「感情の種火」というギミックを仕込んでる。何かのキッカケで感情が芽生え、それが重なることで堕天使でも純粋天使でもない、新しい天使になっていくわ」
「……」
「従来の天使よりも力は劣るけど、それも感情の爆発によって進化する──他者を振り回す事が得意な大和が、一番適任よ」
「……まぁ、私は華仙さんの指示に従いますよ」
スレイは腕を組み、のほほーんと微笑んでみせる。
華仙はアルファに服を着るよう指示すると、艶やかに唇をなぞった。
「私でも振り回されちゃうんだもの……きっとこの子も、振り回してくれるわ」
自分の思い通りに行かない唯一の益荒男に対し、華仙は想いを馳せるのであった。
天使とは、「神」が創造した最古のプログラムである。
超常の力を用いて製造された「高次元霊体」という名称のアンドロイド。
世界の秩序を促進し、時に「天罰」という名の災害を齎す戦略兵器。
華仙は神罰の代行者を独自に造り上げた。
禁忌に手を出したのである。
◆◆
中央区に居を構える大衆酒場は今日も大繁盛していた。
殺伐とした都市内では到底味わえない「安らぎ」がこの酒場では無償で提供される。
それは店主である金髪の偉丈夫、ネメアが何者にも屈さない万夫不当の傭兵王だからだ。
あの大和と互角と謳われる存在は魔界都市でもネメアしかいない。
大和がデスシティの誇るジョーカーなら、ネメアと此処はデスシティの誇るガーディアンだった。
店内の様相は賑やかの一言に尽きる。
普段は殺し殺されが当たり前の住民達も、此処では一切の暴力が封印される。
狼藉をしようものなら、ネメアの鉄拳を食らう羽目になるからだ。
しかし、それ以前に住民達はこの大衆酒場を愛していた。
性別も種族も所属も超えて、酒を飲みながら語り合う事ができる──
表世界に似た安らぎを唯一得られる場所は、摩耗した住民達の心を癒してくれた。
ネメアという男の懐の深さがそのまま具現化した場所──
大衆酒場ゲートは魔界都市の住民達にとって、なくてはならない場所だった。
テーブル席では歴戦の傭兵集団がビールジョッキで盛大に乾杯し、今宵の宴を開催する。
小妖精達がその陽気なムードに釣られて混ざりたいとお願いし、大男達と一緒に踊り合う。
美女エルフ、ダークエルフの集団も混ざり、男達を抱き寄せ口説きながら小妖精達と舞を踏む。
店内は忽ちお祭り騒ぎになった。
酒の入った客人達が楽しそうに踊り始める。
魔法使い達が異空間から楽器を出して、詩人達が粋な楽曲を奏でる。
妖怪も悪魔も獣人も蟲人も宇宙人も、酒気に身を任せて踊り合う。
互いに笑いながら称賛し、時に馬鹿にしながら場を盛り上げる。
サイボーグが美しい地縛霊に静かに愛を囁いたり。
オークの好青年が美女達に引っ張りだこに合いながらも、必死に踊っていたり。
子供幽霊達が上空を笑顔で飛び回っていたり──と。
酒場は一心同体の大宴で最高潮に盛り上がっていた。
苦難も後悔も忘れて、今は楽しもう──
此処に来た客人達の想いは同じだった。
こんな光景は此処でしか見られない。
魔界都市は魔界都市でも、此処だけは別世界だった。
そんな大盛り上がりの中に隠れ、最強最悪の種族が静かに混ざっていた。
邪神である。
名状したがい者達。最強種である「神仏」を超える宇宙的恐怖そのもの。
本来であれば中位の一柱でも現れれば店内に誰もいなくなるのだが──『彼女』は上手く混ざっていた。
今、『彼女』はカウンター席に座る意中の益荒男に猛アタックしている。
「ねぇ大和ぉ……昨夜だけなんて酷いよォ……僕、もっと君と交わりたい。君に優しく抱かれたいよぉ」
二メートルを超える益荒男の膝に座り、その胸板に熱い吐息を吹きかける絶世の美女。
漆黒のライダースーツを盛り上げる我儘ボディを遠慮なくすり寄せている。
チャック全開で殆ど見えている豊満な乳房に彼の手を寄せて、足で下腹部を擦る。
可憐な童顔をトロトロにし、潤んだ真紅の双眸で愛しき男を見上げていた。
微かに赤みを帯びた褐色肌に滴る汗の香りは、男を駄目にする魔の香りである。
『這い寄る渾沌』こと、ニャルラトホテプ。
邪神の中でも別格の力を誇る『外なる神』の一柱。
最も著名で、最も慕われている邪神。
クトゥルフ神話群が誇る最強最悪のトリックスターは、かの美丈夫に夢中になっていた。
美丈夫──大和はやれやれと肩を竦めると、混沌乙女の額にキスをする。
「まだ満足できねぇのか? 我儘な奴だ……」
「うんっ♪ もっと、もっともっと、可愛がって欲しい……っ」
「仕方ねぇなァ」
そのダークシルバーの長髪を撫で、微笑んでみせる大和。
ニャルは本当に嬉しそうに、その逞しい胸板に抱きついた。
「今夜の大和、凄く優しいっ♪ 僕、本当に嬉しいよ♪」
「気紛れだ、今夜のテメェは格別に可愛く見える」
「大和ぉ……っ♡」
潤んだ桃色の唇が、大和の唇と重なった。
ニャルは多幸感に満たされ表情をふやけさせると、彼に寄り添い脱力する。
這い寄る渾沌をここまで夢中にさせるこの男こそ、魔界都市の誇るジョーカー。
世界最強の殺し屋であり、世界最高峰の武術家──暗黒のメシアこと、大和である。
そんな彼に、のほほんとした声がかけられた。
「ありゃりゃ、お取り込み中だったかな? 取り敢えず、お久しぶりです師匠……って、げぇ、ニャルさん……ッ」
ニャルを見て露骨に表情を顰める金髪美少女──スレイ。
彼女の隣に佇んでいる水色髪の美少女を一瞥し、大和は灰色の三白眼を丸めた。
「こりゃ驚いた……華仙の奴、また妙なのを造りやがったな」
大和は一目で彼女──アルファを「疑似天使」だと見抜いた。
一方、ニャルは大量の苦虫を噛み潰した様な顔をする。
「君は……あの
険悪な表情で舌打ちするニャルに、スレイは冷や汗をかきながら苦笑した。
「ち、父が大変失礼を……あ、あははーっ」
紅玉の如き瞳を困惑で染めるスレイ。
そう、彼女は大和の弟子であると同時にニャルの不倶戴天の仇敵、火を司る
◆◆
「よォスレイ、元気にしてたか?」
「はい、ちゃんと修行もしてます♪」
「よし、偉いぞ」
「えへへ~♪」
大和に金髪を撫でられ、スレイは嬉しそうにはにかむ。
大和も珍しく温和に微笑んでいた。
大和は自身で打ち立てた功績が凄まじいので、もう一つの功績があまり目立たないでいる。
それは歴史に名を残す英雄偉人の師を務めた事だ。
彼は指導者としても極めて優秀なのである。
大和は一見常識知らずに見えるが、常識を知らないのではなく無視しているだけだ。
その生まれは東洋を代表する大王朝の皇族、つまり本物の皇子である。
武芸以外にも兵法、魔術、医学を中心とした世界中の歴史、知識、術理。
礼儀作法を含む常識、良識。茶道や和歌、舞踊や楽器などの嗜み。
彼は武人でありながら皇子であり、戦略家であり文化人だった。
本人は隠しているが、その身から滲み出る風格に気付く者は多い。
時代を代表する英雄偉人達が、こぞって頭を下げに来るのだ。
大和は気に入った者達に武芸や知識を授けたが、それだけだった。
誇りもしないし吹聴もしない。
故に、大和のもう一つの偉業は隠されたまま。
世界史の裏に必ず潜む偉大なる賢者は、魔界都市を代表する怪物だった。
この矛盾を知る者は、世界でも極僅かしかいない。
弟子の中には善性を司る英雄も多くいた。
彼を師と仰ぎつつも、その凶行を止めようとした者がいた。
その全てを殺戮してきたからこそ、彼はやはり賢者ではなく怪物なのだ。
英雄偉人達は怪物から文武を学び、歴史に名を刻んでいく。
怪物を尊び、しかし嫌悪し、己もああならない様にと心に刻み、戒める。
大和の在り方もまた、弟子達に多大な影響を与えていた。
その邪悪な生き様は、反面教師として理想像だったのである。
現在、大和の弟子は十数名ほどいる。
魔界都市と表世界に半々ほどだ。
スレイもその一人。
彼女はその身に秘める邪神の力を御するために大和の弟子になった。
大和は彼女の素直な生き方を気に入り、力を御するための武術と強かに生きるための知識を授けた。
大和はスレイを可愛がっている。
スレイに限らず、弟子達には沢山の愛情を注ぐのが彼の理念である。
己に敵意や殺意を向けてこない限り、気に入った相手はとことん可愛がる。
「ふぅん……大和の弟子ねぇ……ふーん」
真紅の双眸を細め、唇を尖らせる褐色肌の美女──ニャル。
その双眸の奥に燻る規格外の憎悪と敵愾心に気付いたスレイは、怯えながら後退った。
「あ、あははーっ……ネメアさ~ん! 助けて~!」
涙目で厨房に駆けていくスレイ。
煙草を咥えながら新聞を読んでいたネメアは、やれやれと彼女を匿った。
大和はニャルの額を指で小突く。
「俺の弟子を脅すんじゃねぇよ」
「むぅぅ……まぁ、確かに彼女はあの『クサレ燃え滓野郎』の血を引いているけど、『最低最悪のゴミ野郎』である父親が悪いのであって、彼女は悪くないもんね。そう……うん……ウン、関係ナイヨネ、ウン、納得シテアゲルヨ』
「オラ、本性出てるぞ。今夜はお預けか?」
「あーん! 冗談だよ大和! 冗談♪」
漏れ出していた邪気と狂気が一気に霧散する。
自分の胸に擦り寄る渾沌乙女に、大和はやれやれと肩を竦めた。
彼はネメアの背後に隠れているスレイに問う。
「で、この人造天使? のお嬢ちゃんを連れて何の用だ? スレイ」
「……そっちに行っても大丈夫ですか?」
「俺とネメアがいる。安心しろ」
「では……」
スレイは恐る恐る大和の元まで歩み寄ると、水色の長髪を揺らす美少女を紹介する。
「この子はアルファちゃん。師匠に預かって貰いたいんです」
「ハァ?」
「アルファちゃん。自己紹介、できる?」
「Yes」
アルファは一歩前に出る。
髪と同じ色の無機質な瞳で、大和を見上げた。
容姿的には二十歳にも満たない。
両手を長大な裾で隠している。が、下半身はスクール水着の様で丸見えだ。
その服装といい、雰囲気といい、大和はある純粋天使を思い出した。
(華仙の奴め……偶然か?)
苦笑する大和に、アルファは機械的な声音で言う。
「はじめまして、マスター。アルファと申します。……早速ですが、私に喜怒哀楽というものを教えて頂けませんか?」
「それはつまり──俺とセッ〇スしたいって事か?」
「セッ〇ス?」
小首を傾げる大和に、同じく小首を傾げるアルファ。
「待った待った!!」
スレイは慌てて両者の間に割って入る。
大和とアルファの会話がまるで噛み合っていなかったのだ。
前途多難である。