villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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三話「覚醒・死の天使」

 

 

 雨が降り始めた。緩やかな雨だ。冷たい雫が魔界都市を浸していく。

 暗黒の入道雲に稲妻が駆け巡った。重たい雷鳴が遠くまで木霊する。

 

 突然の雨に住民達が雨宿りする場所を求め駆け回っていた。

 その流れを断ち切る様に裏通りから異形のバケモノが飛び出てくる。

 天使病の患者である。ヒルを上半身に巻き付けたかの如き異形は、不気味な唸り声を上げていた。

 何処にあるかわからない目で見据えるのは、白黒の死神姉妹。

 

 天使殺戮士。

 天使病の患者を狩る使命を帯びた魔人達。

 

 姉妹のオッドアイが冷徹な光で濡れる。

 髪に滴る雨水を掻き上げ、妹であるクイン・ギネヴィアは嫌悪を言葉にした。

 

「無駄な足掻きをするんじゃないよ。死ね、さっさと死ね。アンタ等は生きてるだけで迷惑な存在なんだよ」

 

 理不尽な物言いに聞こえるが、事実だ。

 天使病の患者は人類の天敵。共存などありえない。殺意と欲望のみで行動する彼等を人類は容認できない。

 

 故に殺す。故に天使殺戮士が存在する。

 降り注ぐ雨水を弾き、クインの手首がブレる。繰り出されるは暴力を孕んだ斬撃。無造作に放たれた銀閃は患者の両足を難なく切断した。

 

 奇声を上げてのたうち回る患者。死神姉妹の足音が甲高く響き渡る。

 住民達は既に雨宿りの場所を見つけたのだろう、街道は閑散としていた。

 

 患者は水溜まりの中を転げ回る。クインの手首から鎌刃が現れた。今度こそ仕留めようとしていた。無軌道な斬撃が淡い光を纏う。雨水すら切断した真空波は患者の目前まで迫った。

 

 直後、弾かれる風刃。

 患者の背後にあった高級ホテルに無数の斬線が浮かんだ。瞬く間に瓦礫と化す。

 住民達の悲鳴と怒号が入り混じる中、クインは忌々し気にオッドアイを細めた。

 

 目前に佇んでいる、漆黒のフードを被った少女。

 可変式の鎌を担ぎ、制服を泥水で汚している。

 スカートから覗かせる白い太腿に血脈が浮かび上がったと思えば、患者を蹴り殺した。

 断末魔の悲鳴を上げる患者を何度も蹴り続け、最後には踏みつけ靴底で捻じ伏せる。

 

 振り返れば銀髪が水を弾き、憎悪で輝いた双眸が死神姉妹をゆっくりと捉える。

 彼女は囁いた。

 

「邪魔をしないで……」

 

 彼女は口の端を歪めて吠える。

 

「彼等は私の同胞よ! 私が始末しなきゃいけないの! 私が殺すの……いいえ、殺したいの! だから邪魔しないで!」

 

 七色に輝き出す碧眼は、七つの大罪に犯されながらも自我を保っている証。

 クインは苦虫を口一杯に噛み潰した様な表情をした。

 

「お姉様……コイツ」

「ええ、手遅れよ。発症しかけているわ」

 

 姉であるジュリアは手元に純銀の球体を二つ携える。

 クインも両手首から鎌刃を飛び出させた。

 

 異端審問官の少女──サイスは狂気に彩られた笑顔で可変式の大鎌を携える。

 彼女は既に化物になっていた。その汚れた心に反応し、霊子型ナノマシンも活発に蠢いている。

 

 雷鳴が轟き渡る。

 三名の重なった影が、雷光の齎した光によって映し出された。

 

 

 ◆◆

 

 

 豪雨を弾くは真紅の闘気。靡く同じ色のマントには染み一つ付いていない。

 世界最強の武術家は光を超える速度で魔界都市を駆け巡り、そして中央区の大通りに辿り付いた。

 

 彼は振り返り、同じ速度で追走してきた神罰の代行者を見上げる。

 濃紺の純エーテルを纏う彼女もまた、雨水の干渉を受け付けていない。

 

 褐色肌の美丈夫──大和は仰々しく両手を広げる。

 

「異世界からの来訪者なんて珍しくもねぇ。この都市はそういう場所だ。でも、お嬢ちゃん程の存在は稀だぜ?」

 

 彼女は無表情で神槍を構える。そして術式開放と共に投擲した。

 

万象穿つ神殺しの槍(グングニール)

 

 北欧神話の主神、オーディンが誇る最強の神格武装。ソレと似た起源を持つ投擲魔導。

 万象穿つ「絶対貫通」と神仏必滅の「神殺し」の呪詛が練り込まれた規格外の一撃。

 

 ソレを大和は二本指で難なく受け止める。

 純エーテルで限界まで強化された数多の宇宙を難なく穿つ斧槍を当たり前の様に受け止めたのだ。

 

 衝撃が魔界都市を滅ぼす前に大和は手首を返し、斧槍を投げ返す。

 執行者もまた、表情一つ変えずに斧槍をキャッチした。数度回転させて純エーテルによる強化を解除する。

 

 大和は改めて執行者の容姿を確認した。

 濃紺色の髪は肩にかかる程度で、同じ色の瞳は怜悧に輝いている。

 最低限の布地で纏められた服装には純白の装甲が纏わりついていた。

 その美貌は女神にも負けず劣らずで、発育も中々。無感情な面をしていても思わず見惚れてしまう。

 

 実力は純粋天使──しかも最高位の熾天使クラスだ。

 油断ならない。

 

 しかし、だからこそ、大和は嗤った。

 

「俺に武術を使わせるだけの価値はありそうだ。それにその容姿──いいねぇ、その不愛想な面をベッドの上で無理やり歪ませたくなった」

 

 ピクリと、執行者の眉が跳ねた。

 その碧眼に一瞬浮かんだ嫌悪の念に大和は唇を歪める。

 腰に差していた赤柄巻の大太刀と脇差を両方抜き放ち、挑発した。

 

「来いよレディ──負けたら処女喪失だぜ?」

 

 怪物がその本性を現した。

 

 

 ◆◆

 

 

 サイスの脳裏に駆け巡る、過去の情景。

 彼女の体内で活性化を極めている霊子型ナノマシンがわざと見せているのだ。

 一秒を那由他まで引き延ばす超感覚で、過去の情景を掘り起こしている。

 

 その内容は、サイスの精神状態に深く結び付くものだった。

 

 最愛の妹が、このままでは一生ベッドで寝たきりで過ごさなくてはならない。

 その手を握り、高額の治療費を稼ぐと固く誓った。

 アメリカ政府直属の異端審問会に入団し、非人道的な実験に参加する事で治療費を免除して貰った。

 

 自分が人間でなくなっていく事も甘んじて受け入れた。

 しかし、結果としては『失敗作』の烙印を押された。

 あまりに霊子型ナノマシンとの同調率が高いため、危険分子と敬遠されたのだ。

 

 真実を知らずに昇格試験に落ちた事を絶望していると、逆に昇格した後輩から嫌味を吐かれた。

 

「あら~、誰かと思えば先輩じゃないですか~? もしかして不合格だったんですか~? うっわカッワイソー♪」

 

 嘲笑われても、何も言えなかった。

 

「ま、それでもゼロ部隊の枠が有って良かったじゃないですか。ゼロは無能のゼロですけどね♪ じゃ、そういう事で。せいぜい底辺は底辺同士で頑張って下さいね、セ・ン・パ・イ♪」

 

 悔し涙で、前が見えなかった。

 それでも最愛の妹のためだと我慢した。

 正規隊員や上層部から罵倒されようとも、必死に激情を押し殺した。

 

 ある日、よく嫌味を吐いてくる後輩が任務中に血清を無くし、天使病にかかった。

 その後始末を任された。何故か心が躍った。

 

『セ……センパイ……助けて。早く……薬を……お願いッ』

 

 地べたに這いつくばり、背中から無数の腕を生やしている少女。

 既に手遅れだった。殺すしかない。

 

 悲しみは無かった。

 むしろ──

 

「残念だわ。貴女はもう手遅れよ」

『ウソッ……まだ間に合う。だから薬を、お願いッ。あっ……ご、ごめんなさい! 前から私、心にも無いことを……』

「いいのよ。許してあげる」

 

 目の前に血清で満ちた注射器を落とす。

 彼女がホッと安堵の表情を浮かべた瞬間、ブーツの底で注射器を踏みにじる。

 

『アぁッ……そんな……ッ』

「さようなら」

 

 可変式の大鎌を振りかぶり、思いきり振り下ろす。

 

『イヤァァァァ!! 痛い!! 痛いイタイッ!! お願い、助けてェェェェェ!!!!』

 

 返り血で顔面が汚れても、丁寧に手足を削いでいった。

 中々死なない様に、何時までも痛みが続く様に、角度を変えて振り落とした。

 

 あの時覚えたドス黒い感情を、以前は頑なに否定していた。

 しかし今は──

 

 ────正直になるって、こんなにも気持ちいいのね……ええそうよ、憎かった! 殺してやりたいほどに! 私と違って何も捨てずに成り上がって、調子に乗ってる奴等が全員!! だから嬉しいの!! ソイツ等を大義名分の下に殺せる!! これ以上無いほど快感なのよ!! 

 

 人間の浅ましさの発露に、霊子型ナノマシンが過剰反応する。

 死神姉妹の姉、ジュリアは標的の急変化に柳眉を顰めた。

 

 彼女の得物である一対の銀球、『Puni sherMaiden』が三メートルを超える鎌刃に変形する。

 亜光速で迫るソレをサイスは得物で難なく弾き返した。

 弾き返された巨大な鎌刃。その鏡仕立ての表面に映ったサイスの本心を見て、ジュリアは珍しくオッドアイに憐れみの色を灯した。

 

 彼女の得物には様々な特殊能力が備わっている。

 ソレでサイスの心中を覗いてしまったのだ。

 

「クイン……手心は無用よ。本気で殺してあげなさい。この哀れな少女を──」

「わかったわ! お姉様!」

 

 クインは手首足首から変形鎌『Guillotine』を飛び出させる。

 雨水を掻い潜り、刹那にサイスの懐に入った。振るわれるは斬撃の暴力。銀閃の嵐。

 同じ天使殺戮士の斬魔の正確無比な斬撃とは違い、矢鱈目鱈な乱れ斬り。

 

 サイスの右腕が、左足が、胴が、首が、顔が、斬線と共に斬り飛ばされる。

 しかし一瞬で再生した。骨肉の接合部分が血管と共に伸びて繋がり、元に戻る。

 臓物も即座にその機能を復活させた。ありえない再生能力。

 

 クインは忌々し気に標的と視線を合わせる。

 七色に輝く双眸が、鮮血もかくやとばかりの真紅色に染まっていた。

 

 直感が叫び飛び退けば、同時に爆風が生まれる。

 クインは姉の元に飛び降りると、激高し叫んだ。

 

「遂に人間を辞めやがったな!! 化物が……!! 絶対に殺してやる!!」 

 

 毒素を含んだ魔風に包み込まれるサイス。

 それが止んだ後に出て来た彼女は、天使という名の化物になっていた。

 

 背に生えているのは漆黒の大翼。広がれば常夜色の羽根が雨水と共に落ちる。

 真紅に輝く双眸は七つの大罪を超克した証。

 肩に担いだ生物的要素を取り込んだ巨鎌は天使病の患者の如く。

 肉体の変化は特に著しい。最早怪人だ。

 頭から無数の羽を生やし、首から下は爬虫類を連想させる装甲で覆われている。鋭角的で、彼女の憎悪と殺意を刺々しく表していた。

 

 神々しい。しかしそれ以上に禍々しかった。

 ジュリアは微笑を消し、冷徹な声音で囁く。

 

「サマエル──死を司る熾天使」

 

 サイスの顔中に血管が浮かび上がる。

 霊子型ナノマシンの突然変異──現世に顕現した第二の堕天使は歪な笑顔をこぼした。

 

 

 ◆◆

 

 

 極限まで練磨された暴力が吹き荒ぶ。魔界都市が悲鳴を上げ、地球が泣き叫んだ。

 殺意の津波を切り裂き、神槍を掲げた執行者。可憐な面を緊迫で固め、極大の純エーテルを溜め込む。

 長大なビームライフルを顕現させトリガーを引けば、万象消滅させる破壊光線が伸びた。

 漆黒の鬼は双刀を掲げて乱斬りを放ち、周囲の建造物ごと破壊光線を斬り結ぶ。

 

 両者距離を詰め、斧槍と大太刀を振りかぶった。

 しかし遠く離れたサイスの変貌に気付き、互いに距離を取る。

 

 大和は嗤った。

 

「遂に覚醒したな……クックック」

「……何が可笑しいのです。何が面白いのです」

 

 執行者は眉根を顰め糾弾した。

 

「貴方が彼女を陥れなければ、この様な事態にはならなかったのです。また、この世界の闇が深まった」

「オイオイ、言いがかりはよせよ。俺は背中を後押ししてやっただけだ。それに──」

 

 大和は灰色の三白眼を細め、世界そのものを嘲笑う。

 

「この世界は何時もこんな感じだ。綺麗な様で汚れている、正しい様で間違っている。アイツの有様はこの世界が齎した結果だ。アイツが悪いんじゃねぇ、腐った世界が悪いんだよ」

「…………」

 

 黙る執行者。

 大和は両手を広げて挑発した。

 

「でも、俺がいなくなれば多少マシになるかもなァ?」

「ッ」

「来いよ、神サマのお人形。正義の味方を気取りてぇんだろ? 丁度良い標的がいるぜ」

「……断罪します。貴方の魂を必ず滅却します」

 

 濃紺色の純エーテルを纏い、断罪モードに突入する執行者。

 大和は真紅のマントを靡かせ、凶悪な笑みを浮かべた。

 

 

「ショータイムの再開だ。さァ、俺を愉しませろ!」

 

 

 ◆◆

 

 

 執行者──“エクスキューター”コード:ヴァルキリー。

 個としての名前はリウ・α・プロキシマ。

 

 彼女は別世界の超越神によって創造された高次元霊体である。この世界の純粋天使に非常に酷似した存在だ。超越神に代わって世界に仇名す害悪を排除する責務を帯びている。

 

 秩序の楽園「エリュシオン」から召喚された彼女はこの世界の危険因子と成り得る少女、サイスを排除するつもりでいた。しかし邪魔されている。誰でも無い、この世界の「悪」の一端を担う怪物によって。

 

 リウは「全知」のプログラムで怪物の素性を知っていた。

 人間でありながら邪神を葬れる力を誇る規格外。物理的な戦闘力だけなら別次元でも勝てる存在はいないだろう。しかし何よりその邪悪性。言葉にする事すら憚られる。

 

 彼はあまりに偏っていた。戦闘力と精神性が噛み合っていない。低俗で下劣で悪辣で、強者特有の「格」がまるで無い。しかし、ソレが彼の強さの秘訣なのだ。

 

 リウは戦慄を覚える。

 リウは異世界最強の超越神によって創造された無敵のアンドロイドだ。

 それでも、目の前の怪物を仕留められるかわからなかった。

 

 リウは短期決戦に持ち込む事を密かに決意する。

 超越神お手製の“魂”をフル稼働させ、体内外で無限量の純エーテルを製造。普段の数十倍もの戦闘力を発揮できる奥義──アニマドライヴを発動する。

 纏う濃紺の純エーテルが綺羅星の如く煌く。刹那、彼女は消えた。時間の束縛すら余裕で無視できる超高速移動。大和でも残像を捉えるのがやっとの最速移動だった。

 しかし大和は優々と対応してみせる。眼前に迫る斧槍を首を傾げるだけで避けてみせた。

 

「!!」

「速度は一級品だ。しかし動きが単調過ぎる。これなら幾らでも避けられるぜ」

「ッッ」

 

 リウは得意技、次元跳躍システムで転移を重ねる。同時に幾多のフェイントを織り交ぜた。が、当たらない。繰り出した攻撃を悉く無効化される。

 リウの攻撃を双刀で弾き返しながら大和は嗤った。

 

「無駄無駄。テメェは力こそ中々だが、戦闘経験がからっきしだ。折角の力を活かす方法を知らねぇ。それと──」

 

 リウの転移する場所に、既に斬撃が置かれていた。転移を中止し次の転移を試みるも、其処も既に塞がれていた。リウは瞠目する。次手を完璧に読まれ、カウンターを置かれている。

 

「動きが効率的過ぎる、読みやすいんだよ。模範解答なんざわかりきってる」

 

 大和はリウの神槍を宙に弾き、その首筋に双刀を這わせる。

 垂れ落ちる真紅の鮮血を愛おしそうに眺めながら、狂気と共にギザ歯を剥き出した。

 

「場数が違うなァ……このままじゃ本当に犯しちまうぞ」

「ッ」

「落胆させてくれるなよ」

 

 遊ばれている。彼は未だ実力の一端も出していなかった。本来の戦闘スタイルを披露していない。それでもこの差である。リウは己の経験不足を呪った。目の前の邪悪を打ち倒す術が、今は無い。

 彼女は薄桃色の唇を噛み締めると、次元跳躍システムで遠方に転移した。

 そして忌々し気に大和を見据える。

 

「此度は退きます。ですが次こそは貴方の魂を滅却します。必ずです」

「……いいぜ、今回は見逃してやる。お楽しみはとっておかねぇとな。今度はちゃんとお仲間ちゃんを連れて来い。お前の戦闘スタイルは仲間がいる前提のもんだ」

「……ッ」

 

 読心術で何もかも読まれてしまい、リウは心底悔しそうに異世界へ転移する。

 大和は肩を竦めると大太刀と脇差を収め、踵を返した。

 

「さぁて、サイスの様子を見に行くか……どんな風に変貌してるのか、楽しみだ」

 

 ニヤニヤと、本当に楽しそうに嗤いながらこの場を後にする大和。

 暗黒色の入道雲は未だ唸りを上げ、豪雨を降り注がせていた。

 

 

 ◆◆

 

 

 サイスは人理を超えた。元々の素質と霊子型ナノマシンの囁きに従順になった事で開花したのだ。禁忌の力に。

 第二の堕天使、死を司る堕天使──サマエル。純粋天使の中でも最高位の「死の権限」を持つ彼女の現身であるサイスは疑似的とは言え彼女の誇った権能を行使できる。

 荒れ狂う腐毒の魔風。中央区の一画を瞬く間に呑み込んだ汚濁の竜巻は内部にある全てを腐り殺した。魔術防御も特殊合金も霊体も地脈も、関係無く汚泥に変える。

 

 致死の権能の疑似再現、腐毒の理。

 

 サイスは哄笑を上げた。見える、感じる。人間を辞めた事で得た超感覚によって莫大な情報量を収集、処理できる。今の一撃で死んだ生物は500弱。辛うじて逃げ延びたものもいる。しかしどうでもいい。サイスの腐らすべき怨敵は別にいた。

 

 魔の灼眼が遠くに飛び退いた死神姉妹に向けれられる。汚濁の権能が光より早く浸透すれば、その視界に収まる全てが溶け落ちた。超濃度の陰気の擬人化である彼女は、動作の一つ一つで死をばら撒く事が可能である。

 

 更に遠くへ飛び退いた死神姉妹を追おうとせず、サイスは己の絶対的な力に酔い痴れていた。哄笑が止まらない。これで復讐ができる。憎きアイツ等を嘲笑う事ができる。憎悪の念が更に膨れ上がり、霊子型ナノマシンは歓喜の過剰反応を現した。尚も高まる力を感じ取り、サイスは両手を広げて高笑いする。

 

 遠く離れた超高層ビル、その屋上にて。

 死神姉妹はサイスを冷徹な双眸で見下ろしていた。強風と共に大粒の豪雨が降り注ぎ、雷鳴が木霊する。まるで彼女達の心境を表しているかの様だった。妹のクインが呟く。

 

「お姉様、チャンスよ。アイツは自分の力に酔い痴れてる。今なら殺せる」

「そうね。……クイン、この天候を利用するわよ。一気に決めてしまいなさい」

「了解」

 

 姉のジュリアが一対の銀球を積乱雲に向けて飛翔させた。直後、天候が更に荒れ狂う。稲妻がまるで意思を持つかの様に中央区全域に降り注ぎ、巨大竜巻が幾つも発生した。阿鼻叫喚の大天災の中をクインは降りていく。

 天変地異の只中を駆け巡る純白のロングコート。屋上で天災の指揮を執る漆黒のロングドレス。その様をキッチリと視界に収めて尚、サイスは嗤っていた。

 

 その笑顔は漆黒の鬼に、あの怪物にソックリだった。

 

 

 ◆◆

 

 

 豪雨がクインを覆い、雷鳴がその足音をボカす。竜巻で巻き上がる瓦礫は良質な足場だ。大自然の驚異がジュリアの指揮の下、サイスに牙を向く。幾条もの稲妻が打ち落とされた。10億ボルトを誇る自然界最大の攻撃がサイスを包み込む。

 しかし全て溶け崩れた。サイスの腐毒の理は「法則」であり、有機物無機物を問わない。自然現象であろうと腐り滅ぼす。続けて竜巻が周囲の建造物を巻き上げて迫り来るも、吐息を吹きかければ容易く霧散した。

 

 油断大敵。サイスの背後でオッドアイが輝く。竜巻で巻き上がった瓦礫に飛び移り、クインはサイスの背後を取ったのだ。両手首から乱雑な剣舞が放たれる。サイスは振り返らず禍々しい大鎌で弾き返した。彼女のうなじに無数の邪眼が蠢く。腐滅の魔眼が煌いた。クインはその視線上から即座に飛び退く。

 

「チィ……!!」

 

 隙が無い。数多の超高層ビルを瞬時に汚泥に変える魔眼は食らえばひとたまりも無い。サイスは既に天使病患者の枠組みを超えていた。その権能は上級悪魔や東洋の鬼神に匹敵しうる。

 肉体から這い出て来た無数の眼を操りながら、サイスは携えている大鎌でクインを追撃する。無限に伸びていく邪鎌は伸縮自在。そして軟体動物の如く捻じれ曲がる。鞭の様にしなる鎌刃をクインは辛うじて捌くも、肝心の魔眼を避ける事で集中力が乱れていた。ジュリアの自然災害による援護が無ければとっくに腐り果てている。

 

 サイスは更に鎌刃を五枚増やした。付け根を伸ばしてクインを滅多斬りにしようとする。銀閃が乱れ重なるも、クインは怒涛の乱撃で無効化した。しかし捌き切れずに肩や脇腹を抉られる。唇を噛み締めるクイン。すると、眼前に迫る邪鎌の一つに突如として魔眼が浮き上がった。

 

「クッソ!!」

 

 クインは上体を反らして視線から退避する。しかしその隙が命取りとなった。触手の如く伸びる邪鎌がクインを背中から貫き、他の刃も群がった。

 

「グ……アァ!! ァァ……ッッ!!!! ~~~~~~~~~!!!!」

 

 クインの悲痛な叫びが木霊する。遠くからソレを聞いていたサイスは喜悦で口元を緩めた。そしてクインの肢体をバラバラに引き裂く。水溜りの中に肉塊達が音を立てて落ちた。

 

「貴女達、姉妹なのね……そう。私にも妹がいるわ。とてもとても大事な──でも、既にどうでもいい事よ。ここまで堕ちてしまったら、合わせる顔が無い」

 

 いいえ、それでもと、サイスは唇を歪ませる。

 

「また会っちゃうかもしれない──だって、大事な妹だもの。あの子のせいでこうなったんだから……お姉ちゃんとして顔を合わせなきゃ」

 

 既に手遅れだった。サイスは心まで怪物に変貌していた。しかし、彼女をここまで追い詰めたのは周囲の人間達であり、この混沌とした世界だ。妹想いの健気な姉を怪物に変えてしまった罪を、世界は贖わない。そうしてまた絶望が生まれていく。世界は虚偽と怨嗟で満ちていた。

 

「グダグダうるせぇよ……このバケモノ」

「!!!!」

 

 サイスは弾かれる様に振り返る。瞬間、鋭利過ぎる鎌刃が彼女の目と鼻の先で静止した。疑似堕天使化した事で絶対防御、天使の羽衣(エンジェルベール)が常時発動しているおかげで命拾いした。サイスは先ほど引き裂いた筈のクインの亡骸を確認する。が、ソコには何も無かった。

 彼女は忌々し気に囁く。

 

「貴女のお姉さん……中々意地悪ね」

「アンタより百倍素晴らしいお姉様よ!!」

 

 クインは埒外の腕力で天使の羽衣を徐々に裂いていく。絶対防御たる天使の羽衣を筋力のみで裂ける出鱈目さこそクインの長所だ。

 サイスは彼女の鎌刃を素手で掴み、腐滅の魔眼を発動しようとする。この距離で得物を掴まれていては逃げられない。しかしクインは不敵に微笑んでいた。彼女は姉に絶対の信頼を置いていた。

 

 サイスとクインを遮る様に三メートルを超える鎌刃が通り過ぎる。鏡磨きのその表面は特殊加工の施された逸品だ。腐毒の魔眼を鏡の如く反射してしまう。

 

「ッ」

 

 このままでは自分が腐り落ちる。サイスは視線を逸らした。その一瞬の隙が命取りとなる。天使殺戮士達は生粋の格上殺しである。人智を逸脱した存在と常に戦っている彼女達は格上との戦闘に慣れている。しかしサイスは違った。疑似天使化した事で性能こそ上がったが、経験値は生前通り。つまり不足している。

 

 死神姉妹の猛攻撃に晒され、無惨に斬り刻まれていくサイス。しかし彼女は嗤っていた。物理的な斬撃など幾ら浴びても痛くも痒くもない。「死の熾天使」の現身であるサイスは死から最も遠い存在だ。そう──

 

「それでも、貴女は自分の権能を避けた。つまり貴女の不死性はその権能に耐え切れない」

 

 何時の間にかやって来ていたジュリアの囁きに、サイスは真紅の双眸を見開く。肉体が何時まで経っても再生しないのだ。斬られた箇所から腐敗が進行している。この現象は──

 

「まさか……私の権能を吸収したの!?」

「一時的に、だけど。でも私達には十分過ぎる時間だわ。……貴方は不用意に権能を使い過ぎた」

 

 サイスは回復できない。抗おうとしても邪鎌ごと切断される。彼女は堪らず悲鳴を上げた。

 

「嫌!! 嫌よ!! こんなところで死にたくない!! 私にはまだ、やる事が……ッ!!」

「アンタの事情なんざ知ったことか」

「天使病の患者は必ず殺す。ソレが天使殺戮士の使命なの……ごめんなさい」

 

 死神姉妹の刃が重なる。サイスの首筋を断たんと唸りを上げる。サイスは涙目でもがいた。最後の最後で脳裏に浮かんだのは、最愛の妹の笑顔だった。

 

「オイオイ、それ以上はやめろや。死んじまうだろ」

 

 サイスを抱き寄せ、大きな手の平で死神姉妹の鎌刃を受け止める褐色肌の美丈夫。

 サイスは毒々しく濁った涙を流しながら、暗黒のメシアを見上げた。

 

「大和……っ」

「危ねぇところだったな。ったく……」

 

 優しい笑みを浮かべる怪物に、死神姉妹は険しい表情を向ける。

 対立は、避けられそうに無かった。


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