villain 〜その男、極悪につき〜   作:桒田レオ

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四話「明けの明星」

 

 死神姉妹は怪物の素性を知っていた。当然である。真世界聖公教会は歴史ある組織だ。この男の存在を無視する筈がない。単身で世界を滅ぼせる人類のイレギュラー、超越者の代表格。闇の英雄、暗黒のメシア。

 

 嘗てロンドンを滅ぼしかけた天使教の幹部を弓矢一発で堕としたその武勇は同僚の天使殺戮士から嫌という程聞かされている。格上殺しを基本とする死神姉妹でも、彼を倒す事はできなかった。何故なら彼も格上殺しだから。

 

 最弱の種族と揶揄される人類でありながら無二の才能と努力によって数多の格上を殺してきた。魔王であろうが神仏であろうが邪神であろうが、だ。確定した人類滅亡、終末論も踏破してみせた。

 

 同じ格上殺しでも格が違う。歩んできた歴史が違う。

 

 そも、天使殺戮士は人間を殺せない。そういう規則なのだ。天使病の患者以外を殺してはならない、そういうルールに則って行動している。

 

 故に彼との相性は最悪だった。それでもクインは犬歯を剥き出しにして威嚇する。

 

「そこをどけ、バケモノ……斬り刻むよ」

「ん~? 天使殺戮士は天使病の患者以外殺せないんじゃなかったか?」

「殺さなければいいんだよ。五体不満足になりてぇのか……」

「粋が良い嬢ちゃんだ。でも止めておいたほうがいいぜ。俺とテメェ等じゃ力の差がありすぎる」

「ッ」

 

 唇を噛み締めるクイン。姉のジュリアも険しい面持ちをしていた。大和は濡れて浮かび上がる彼女達の肢体をイヤらしい視線で舐め回しながらも、手を払い告げた。

 

「退けや、今回は見逃してやる。本来なら無理やり犯してやるところだが──テメェ等、斬魔とえりあの同僚だろ? アイツ等に免じて今回だけは見逃してやる」

「テメェ……ざっけんなよッッ、マジで斬り刻んでやるッッ!!!!」

 

 クインは激高して両手首足首から鎌刃を飛び出させる。が、ジュリアが手で制した。クインは思わず叫ぶ。

 

「お姉様!! 退いて!! そのクソッタレを斬り刻む!! アタシは兎も角、お姉様にイヤらしい視線向けやがって……絶対許さねぇ!!!!」

「落ち着きなさい、クイン。話が進まないわ」

 

 ジュリアは何処までも冷静に、いいや冷徹に大和を見つめていた。すると、あらぬ方向に視線を向ける。

 

「何時まで静観しているつもりかしら? いい加減出てきて頂戴──貴女の返答次第で、全てが決まるのだから」

 

 ジュリアの意味深な物言いに、大和は口角を歪めた。すると上空から何かが降りてくる。それはもう──まるで天使の如き女性であった。

 

 濡羽色のショートヘアに紫苑色の双眸。高い鼻梁に絹地の如き柔肌。純白の軍服を盛り上げる豊満な肢体はしなやかさも伴っている女体の黄金律。容姿的年齢は二十代半ばほど。思わず平伏したくなる気高さを放っている。

 

 彼女は桃色の唇に微笑という名の嘲笑を浮かべ、優雅に礼をする。

 

「お初にお目にかかる。天使殺戮士のお二方」

「…………明けの明星、ルシファー」

「おおっと、自己紹介の前に名前を言い当てられるとは思っていなかった。ああそうだ、私はルシファー。異端審問会のトップを務めている。以後、よろしく頼むよ。仇敵のお二方」

 

 原初の堕天使。七つの大罪の内『傲慢』を司る最古参の魔王。

 彼女は非常に人間臭い笑みを浮かべた。

 

 

 ◆◆

 

 

「自由の国は原初の堕天使を懐柔したのかしら?」

 

 ジュリアの問いにルシファーは歪な笑みを浮かべた。

 

「本当にそう思うか? 聡明な貴殿だ、既に私の思惑も理解しているだろう」

「買い被られたものね。でも、傲慢を司る貴女の思惑なんて、誰でもわかるわ」

「これはこれは、随分と安くみられたものだ。しかし反論できん。貴殿の言っている事は正しいからな──そう、実に単純なのだよ、私の目的は」

 

 ルシファーは振り返る。そして大和が抱きかかえる第二の堕天使、サイスを愛おし気に見下ろした。

 

「新人類の創造──いいや、正確に言えば新世界の創造か。アメリカの大統領は実に話のわかる人間でね、実験を兼ねて異端審問会を結成してくれたんだよ。そして早二年──遂に成果が出た。彼女こそ人類の希望、霊子型ナノマシンを超克した第二人類! フフフ、素晴らしいじゃないか!」

 

 両手を広げ歓喜を表すルシファーに、ジュリアは冷酷な眼差しを向けた。

 

「よりによって貴女が、元・純粋天使の長だった貴女が、人類の原罪である天使病を否定するの?」

「ああそうだとも。不公平だと思わないか? 魔族や神仏は何不自由無く暮らしているのに、人間だけが数多くの脅威に晒されている。天使病もその一つだ。アア、不公平だ……」

 

 ルシファーは狂気の笑みを浮かべ、己の理想を謳う。同時に雷鳴が響き渡った。

 

「だから進化させるんだ! 人類を一つ上の段階に押し上げる! そうしたら魔族も神仏も傲慢でいられなくなるだろう? 皆平等でいられる!」

「……傲慢を司る大魔王が傲慢を否定するのは、皮肉か何かかしら?」

「私はね、人類を愛しているんだ! 無知蒙昧で愚かで弱くて狡賢くて卑猥で矮小で、そんな羽虫同然の人間を! だから救ってやりたいんだ!」

「ああ……」

 

 成程、そういう傲慢かと、ジュリアとクインは納得した。彼女は人類を愛しているが、同時に見下しているのだ。だから救ってやりたいと言っているのだ。

 壊れている。理性があるとは到底思えない。しかし──抗えない。絶対的な力の差がある。目の前の諸悪の権化を滅する力を、死神姉妹は持っていなかった。

 クインが心底悔しそうに歯噛みしている中、ジュリアはあくまで冷静に、ルシファーの隣にいる大和に問う。

 

「大和さん、貴方は──」

「俺はどっちにも付かねぇ。どうでもいいんだよ、人類や世界の事情なんざ。手を貸して欲しいなら金を払え。今この場で」

「…………」

 

 無理だ。彼もまたルシファーとは違うベクトルで壊れている。いいや、実際には二名とも壊れていない。恐ろしいほど常識を理解している。が、敢えて無視しているのだ。自分の欲望に素直に生きている。

 ジュリアは瞑目し、暫く無言でいると踵を返した。クインは驚愕して呼びかける。

 

「お姉様!?」

「退くわよ、クイン。この案件は既に私達の領分を超えている。本部に戻って結果報告をするわ」

「……ッッ、わかったわ」

 

 豪雨に紛れて姉妹達は消えていく。瞬く間に気配が消えた。

 大和は意地悪く嗤いながらルシファーに問う。

 

「追わなくていいのか? 後々面倒な事になるぜ」

「いい、その面倒を愉しんでこそだ。何せ数億年暇を持て余していたからな。刺激が欲しい」

「人類を救いたいってのも、ようは暇潰しか。つくづく傲慢だな」

「フン、貴様にだけは「傲慢」と言われたくないな。それに、人類を救済したいという気持ちは本物だとも」

 

 ルシファーは大和に振り返る。彼女もまた、大和と同じく雨水に濡れていなかった。原初の堕天使──その神秘性は最上級の神仏に匹敵する。自然現象如きが干渉できる筈もない。

 彼女は唐突に大和に擦り寄ると、その逞しい胸板を撫で上げた。

 

「なんなら貴様も救ってやろうか? 人間なのに生来怪物と忌避されてきた貴様だ。人類が同じ土台に立てば嬉しいだろう?」

「いや全然。マジでどうでもいい」

「……そうか、やはり貴様は私と同じく傲慢だ。人類を、この世界を、見下し続けるのか」

「イイ性格してるだろ?」

 

 ルシファーの額にキスを被せる大和。ルシファーは照れ臭そうに微笑むと踵を返した。

 

「その子のメンタルケアを頼む。貴様が導いた子だ、貴様と一緒に居たほうがいいだろう」

「任せとけ。慰めといてやるよ」

「調子が戻ったら本部に戻ってくるよう伝えておいてくれ。厚遇するとも」

「おうさ」

 

 光輝を纏って消えていくルシファー。豪雨も小雨になり、次第に止み始めた。今回の騒動に決着が付いた証だった。大和は腕の中で子供の様に寝息を立てるサイスの頬を愛おしそうに撫でるのであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 サイスが目を覚ますと、堕天使化した肉体が元に戻っていた。己の血肉となった霊子型ナノマシンが教えてくれる。これからは自由に堕天使化できると──。サイスはそれよりも、布団の上で己を抱き寄せていた大和にまるで子猫の様に甘えた。

 己を導き救ってくれた男は、サイスにとって唯一無二の存在になっていた。もう彼無しの人生は考えられなかった。

 

「ありがとう、大和……愛してる」

「チョロイ女」

「誰でも堕ちるわよ、あんな救われた方したら……」

 

 かけられた侮蔑の言葉に、しかし嫌味はなかった。だからサイスは微笑む事ができた。その微笑には最初に出会った、あの生気の欠片も無い人形の様な面影が何処にもない。

 

「身も心も貴方に捧げたい……でも私──もう人間じゃない。それでも貴方は、私を愛してくれる?」

「おうさ、お前より醜悪なバケモノなんざこの都市には幾らでもいる。気にすんな」

「大和ぉ……っ」

 

 それ以上の言葉は不要だった。サイスは蕩けきった表情で大和の唇を吸う。大和は彼女の舌を己の舌で絡め取った。

 小柄な、言い換えれば枝木のような細い肢体を丹念に愛撫すれば、可憐な喘ぎ声が上がる。大和は甘い言葉をかけながら何度も彼女を絶頂に導いた。跨り、腰を揺すればサイスの表情がふやけて甘い声音が一層高くなる。

 体位を変え、何度も混じり合った。喘ぎ声が掠れ、何も考えられないほどに。部屋の中が牝の淫臭で雄の汗の匂いで満たされる。二人は飲食も忘れ、三日三晩愛し合った。

 

 サイスは愛されることの歓びを知りながらも、想像を絶する快楽に酔い痴れたのであった。

 

 

 ◆◆

 

 

 三日後。サイスは以前と変わらぬ役職に就いてた。

 異端審問会、第ゼロ部隊。通称「同胞殺し」「落ちこぼれ部隊」。数多の屈辱的な異名を持つこの部隊に何故、わざわざ入っているのか──聞くまでもない。サイスは望んでこの役職に就いているのだ。この部隊での経験が、彼女の欲望の発露であり激情の根源だから。

 

 しかし変わった事もある。サイスは自室で最愛の妹とスクリーン越しに談笑を交えていた。

 

「お姉ちゃんね、実は凄い役職に就けたの。異端審問会の総帥様から下される特務を遂行する極秘のエージェント──その最初の一人に選ばれたのよ」

『ええ!? ほんと!? すごーい!! 流石お姉ちゃん!! お姉ちゃんは私達家族の誇りだよ!!』

 

 画面越しに両手を上げて大喜びしている少女は、サイスと瓜二つの容姿をしていた。サイスは姉らしい温和な笑みを浮かべる。

 

「大袈裟よ──あと、今の事は他言しちゃ駄目よ? 内緒の職業だから」

『うん! わかった!』

「ソッチに回せる金額も大分増えるから、それで好きなものを買いなさい。元気になった分、一杯楽しまなきゃ」

『でも、お姉ちゃん……』

「?」

『お姉ちゃんは、辛くないの? お父さんもお母さんも心配してるよ……?』

「…………」

 

 サイスは平静を装って告げる。

 

「ええ、大丈夫よ──皆、良い人だから。最初は辛かったけど、今は上手くやってるわ。だから心配しないで」

『本当?』

「本当よ。それに、私にとって一番の幸せは貴女達が幸せに暮らせる事なの。だから、そんな顔しないで?」

『……うん。私、一杯楽しむよ! お姉ちゃんが幸せになる位、いっぱい人生を謳歌するから!』

「……ありがとう。じゃ、もう寝るわね」

『またね!』

「ええ、また……」

 

 サイスは通信を切ると、顔を両手で覆う。

 狂気の笑みを隠すためだった。

 

「貴女は知らなくていいのよ──コッチ側に来ちゃ駄目。もう、戻れなくなるから」

 

 サイスの顔の半分が、堕天使化していた。

 そう、彼女はもう後戻りできない場所まで来てしまった。

 これが人間の性。世界の闇。彼女は世界の汚泥を被り過ぎた。しかしサイスは後悔していない。むしろ清々しさすら覚えていた。

 

 堕天使の笑い声が木霊する。

 誰もいない廊下に、何処までも──

 

 その真意を知る者は誰もいなかった。

 

 

《完》


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