青春学園中等部。中学テニス界における名門校のひとつで、部員数は五十を超える。当然、練習は厳しく、部員たちの熱量も高い。桜舞う4月を迎え、これから新入生の仮入部期間も始まるので、さらに盛り上がりを見せるはずだ。
とはいえ、そんな青学テニス部だが、珍しくテニスコートは静まっている。放課後でまだ陽は高いが、今日は特別。レギュラー陣が遠征に出ているのだ。他のメンバーは自主練で、部活見学の1年もほとんど帰ったようだ。
「まったく、林とまさやんにも困ったもんだぜ」
なのだが、テニスコートの確認に行くと、頭の痛い光景が広がっていた。2年の部員達が新入生の集団と揉めている。遠くて声は聞こえないが、オレには何をしているか分かった。サービスで缶を倒せるかの賭けで金を騙し取ろうとしているのだ。
何をやっているんだという呆れと、やはり歴史は繰り返すのかという納得。それらが混ざった感情を抑え、オレは静かにラケットとボールを手にコートへと足を向ける。白の帽子を被った小柄な新入生がサーブを放ち、置かれた缶を連続で弾き飛ばすのが見えた。やはりアイツだ。
――越前リョーマ
青学が全国制覇するための、最後のピース。
本来ならオレもレギュラー陣として遠征に出るはずのところ、無理を言って残してもらったのだ。あることを確かめるために。2年部員達は高圧的にまくしたてている。さっさと止めるか。
オレはポケットからボールを取り出し、その場でトスを上げる。彼らの問答を邪魔するように勢いよくラケットを振り、サーブを打ち放った。強烈な剛球が倒せないよう細工をされた重い缶を捻じ曲げながら吹き飛ばす。ゴッと鈍い衝撃音が鳴り響き、彼らが驚きの表情で振り向き、こちらに気付く。新入生は突然の闖入者に対して、2年生は遠征に出ているはずの人間が現れたことに対して。
「おおっ!当たっちゃったよ、ラッキー」
「も、桃城……副部長…」
「先輩達がいないからって、かよわい新入生をカモっちゃいけねーな。いけねーよ」
ばつの悪そうな様子で一歩後ずさる林とまさやん。先輩だと気付き、新入生達が慌てて挨拶する。越前リョーマを除いて。何事もなかったかのように帰ろうとしている。相変わらず図太いヤツだ。
「待てよ、新入生。オレとやろーぜ」
足を止め、こちらを振り向いた。無表情に見えるが、勝負してみたい気持ちが目に現れている。挑まれれば断ることはないだろう。予想通り、好戦的な笑みで了承した。さて、お手並み拝見と行くぜ。
「桃城武、2年だ」
「越前リョーマ、1年ッス」
互いに自己紹介した後、両者別々のコートに足を踏み入れる。当然オレは相手を知っているが、あえて自分の名前を告げた。まだ、確証は持てないな。打ち合えば分かるだろ。
右手首のリストバンドに触れ、自分の短髪をかき上げて戦闘準備を整える。ネットを挟んで白の帽子を被った小柄な少年と視線が合った。そこから先攻決めのためにラケットを回そうとしたところを、片手で制する。
「先攻はやるよ。それに、長いから1ゲーム勝負な」
「……ナメてるんスか?」
「いいや。でも、そう思うなら1ゲーム取ってみな」
有利なサービスゲームのみで勝敗を決める。ハンデを付けられたと思ったのだろう。ムッとした風に口を開く越前。だが、前回の歴史との差異を比べるにはそれで充分なのだ。挑発を残し、オレはリターンの位置に移動する。
「オ、オレ審判やってもいいッスか?」
「おう、頼むわ」
上ずった声で手を挙げた1年の堀尾が審判台に座り、試合が始まる。越前がラケットを握るのは右手。ポン、ポン……と何度か地面にボールを弾ませ、ラケットをクルクルと回す。
この予兆はアレを放つつもりか。
トスを上げ、強烈な回転を掛けてサーブが放たれる。フォアサイドに入れられたボールは、接地と同時に急激に方向転換。常識枠外の軌道でオレの顔面へと跳ねる。お見事。それを首を軽く捻ることで回避する。
15-0
「うおおおっ!何だアレ!」
「とんでもないサーブ打ちやがった!?」
観戦する連中が驚愕の声を上げる。審判役の堀尾はそのサーブを知っていたのか、震える声音で解説を加えてきた。
「あ、あれはツイストサーブ……!一般的に打たれるスライスサーブとは逆の回転で、ただしトップスピンのように高く跳ねるんです。だけど、あんなに急激なスピンなんて見たことない……」
堀尾の解説を聴き、コート外の連中が越前を見る目が変わった。並の1年ではないと理解したのだ。
「アンタは、あんまり驚いてないね」
「そうかい?」
「ま、関係ないけどね」
続けてもう一度ツイストサーブ。強烈なスピンにより、弾丸のごとく跳ね上がる。こちらの動きを予想して、きちんと顔面を狙うように調整されている。常人ならば恐怖で逃げ出してしまうだろう。だが、オレは右腕を折りたたみ、強引に打ち返す。
ダンッと相手コートに着弾。コート右端に軽々と打ち込まれた一撃に、越前は表情を固まらせる。
「チッ……外しちまったか。球威に少し押されたな」
「アウト!30-0」
ボール3個分、右にズレた。だが、次は無いぜ。
数秒の逡巡の後、試すかのように再度ツイストサーブを重ねてきた。3球連続。さすがにそれはナメすぎだ。ストレートに決めても良かったが、力を見せる意味で正面に叩き込む。返球のため、越前がフォアハンドでラケットを当てるが――
「重っ……!?」
――ラケットが弾かれる
乾いた音を立てて、ラケットがコート上に転がる。あまりの衝撃で痺れた右手首を、越前は軽くさすった。負けん気に満ちた視線をこちらに向ける。強敵であると完全に認めたらしい。
「利き手じゃない方で受けられるほど、オレの球は緩くないぜ」
「そうみたいだね」
拾ったラケットを左手に持ち替える。これまで右手で戦ってきたのは、ツイストサーブで相手の顔面を狙うためというのもあるが、逆手でも勝てるという余裕の表れだ。その意識を切り替えた。全力を出さねば勝てないと察したのだ。観戦者から起こる本日2度目のどよめき。
越前が左手で放つフラットサーブ。
「速い!」
利き腕であることと、これまで3連続で回転力に特化したサーブに目が慣れていたこと。両方の効果で、オレには実数値以上に速く感じた。安全性重視で返した球から、越前は強打で左右に振っていく。主導権を渡しちまったか。打ち込みは正確で、オレもなかなか攻勢に出られない。相手の隙ができるのを待つしかないか。
「何て1年だ……。あの桃が攻められねえなんて……」
5度6度とラリーが続く。越前の猛攻。サーブで奪った優位を活かし、後衛の位置から正確な強打で決めようとするのだが。決めきれない。越前の顔に焦りの色が浮かぶ。想像以上の守備力だったのだろう。むしろ、徐々にラリーの優位は消えつつある。返球で精一杯だったオレから、次第に球威が戻っている。
「にゃろう……!」
より積極的な攻勢に出ようと、後衛から一転してネットへと駆ける。
「待ってたぜ、その隙を」
足元への狙い澄ましたパッシング。弱点を突く的確なショットに対処をしくじり、返したボールはネットに掛かる。
30-30
今のプレイで確信した。オレの知りたいことは知れた。落胆と共に小さく溜息を吐いた。あとはもう、試合を終えるだけだ。
30-40
次のポイントもオレが奪い、いよいよ勝負の決まるセットポイント。連続で得点されたからと諦めるタマではない。闘志を高めた越前が向かってくる。
「ハアッ!」
気迫の籠ったショット。オレの球威に押されず、しかもコントロールは正確。今度はネット際まで到達し、得意なプレイスタイルで攻め掛かる。さらに、いよいよ解禁してきたか――
一本足でのスプリットステップ
横を抜こうと打ち込んだ速球を、俊敏な反応で返す。天性の嗅覚で相手の打球方向を察知し、片足で着地することで驚異的な打球反応を実現させる。日本全国でたった2名のみ許される絶技。改めて実感する。コイツはまぎれもなく天才プレイヤーだ。けど、オレの記憶に比べればヌルすぎるぜ。
「おい、あの構えは……!」
「1年相手に出すのか、あの技を」
林とまさやんが息を呑む。両手でラケットを握り、バックハンドの構えから右足一本で前方へと跳び込んだ。全体重を乗せ、発生した莫大なパワーを一点に集約する。見ておけよ、越前。これがオレの――
「――『ジャックナイフ』だっ!」
埒外の威力を誇る一撃がコートに突き刺さり、一拍置いてからラケットの落ちる乾いた音が鳴った。目を見開き、空手となった左手を震わせる越前。場の空気が凍り付いたように止まる。
「なあ、コールは?」
「えっ?あ、すいません。セットポイント、桃城先輩!」
最後に握手のため、ネットを挟んで手を伸ばす。敗北を認めるのに時間が掛かったのか、数秒ほど遅れて越前が応えた。
「……もう一度」
再戦を望む言葉に、オレは首を横に振ることで答える。
「5月にレギュラー決めの校内戦がある。そこで勝ち残れたら、今度は正式にフルセットでやってやるよ」
桃城武はいわゆる【戻り組】である。
原因も過程も不明。U-17世界選手権の前日までの記憶を持つ者を、オレ達はそう呼んでいる。現時点で判明していることは2点。未来の記憶を得たのは、選抜合宿に参加した中学生だけであること。そして記憶の有る無し、つまり『戻り組』となった割合はおよそ半々だということ。
「こりゃ、マズイよなー」
帰り道、オレは頭を抱えていた。先ほどの勝負で分かったが、越前は【戻り組】ではない。足元へのパッシングに対して未来の得意技『ドライブB』を使わなかったし、明らかに実力が劣る。期待は裏切られた。
「マジかよ……。青学で記憶あるのオレだけじゃねーか」
絶望的な事実である。王者立海大附属は主将・副主将の幸村・真田が【戻り組】だし、氷帝は跡部を含めて大半がそうだ。四天宝寺だって、主力の白石・千歳・石田銀は激闘の経験を持っている。
「全国制覇?どうすればいいんだよ……」
これは大幅に難易度の上がった、青学テニス部の全国に向けた苦闘の話である。