午前中から始まった地区予選。青春学園は当然のごとく勝ち進み、決勝戦を迎える。順当な快進撃。しかし、その対戦相手は大方の予想を覆した。コート脇のトーナメント表に目を向ける。オレにとっては分かり切った情報だが。
「シード校の柿ノ木中が負けた!?」
「しかも、部長の九鬼が2年に手も足も出なかったらしい」
「不動峰中?完全にノーマークだぜ。誰か試合見てたヤツいないか!?」
ダークホースの登場に、部員達がざわめきだす。トーナメント表に記入された結果は、青学と同じく全試合3-0のストレート勝ち。当たり前だ。かつての歴史では結成初年度に全国まで勝ち進んだ奇跡のチームなのだ。部長である橘桔平の圧倒的なカリスマ性と急成長を果たした部員達。しかもこの不動峰。U-17合宿に参加した3名が、幸運にも全員『戻り組』。侮れる相手ではない。ちなみに前回の試合結果は以下の通り。
【D2】×不二・河村―石田・桜井〇
【D1】〇大石・菊丸―内村・森×
【S3】〇海堂―神尾×
【S2】〇越前―伊武×
【S1】 手塚―橘
最終的には3-1で勝利したが、前回と違ってS1-3までが『戻り組』。現時点でこの3人と戦えるのは手塚部長とオレしかいない。さらに言えば、部長の橘と戦えばオレは負けるだろう。別格の相手なのだ。
試合開始前、テニス部顧問の竜崎先生がオーダーを発表する。コート脇に部員が集まり、レギュラー陣が最前列で出番を待つ。
「さて、決勝のメンバーを発表するよ!」
年齢とは対照的な、衰え知らずの溌溂とした発声で、【D2】から【S1】まで登録オーダーを告知する。基本的には歴史通り。唯一の違いは――
「――【S3】桃城武!今回の相手は得体が知れん。3連勝で決めちまいな!」
「おう、バアさん」
海堂の代わりに、オレが入ったこと。アイツには悪いが、手の内を知られた上にブーメランスネイクも使えない状況で勝ちは無い。【D2】の黄金ペアと【S3】のオレ、【S1】の手塚部長で3勝を取りに行く。
決勝ともなると、試合に使うのがコート一面だけなので観客の密度が濃くなる。さらに青学はテニスの名門校ゆえに、他校が研究のために部員を送り込んだりもしている。テニスコートとの間のフェンスには所狭しと人々が並んだ。注目度は本日最大。下馬評は青学の圧倒的優勢だが、不気味な不動峰の下剋上を期待する声も耳にする。間もなく始まる初戦を控え、会場中がざわざわと盛り上がりを見せていた。
そんな中、先にコートに現れたのは不動峰。【D2】の石田鉄が黒のジャージを纏い、姿を見せる。
「不二先輩、タカさん。ちょっといいッスか?」
「何だい、桃?」
試合会場に向かおうとする二人を呼び止めた。この試合の前にしておくべき助言がある。
前回の歴史で【D2】不二・河村組は敗北を喫した。原因は不動峰の石田鉄のパワーショット――『波動球』。勝負所で放たれたコレを受け止めることで、タカさんが腕を痛めてしまったのだ。そんな棄権負けは防ぎたい。
「調べてみたんですが。あの坊主の選手、凄まじいパワーショットを打てるらしいですよ。負担が重いので、数発が限度みたいですが」
不二先輩ならば、相手に切り札があることさえ知っていれば十分だろう。不動峰のダブルス組は、前回と大きく実力は変わらない。総合力ではこちらのペアが上だ。
「全力の君の打球とどちらが強い?」
「……まあ、オレでしょうね。ただ、まともに受ければタカさんですら、骨折の危険があります」
「フラットショットだね。ありがとう。気に留めておくよ」
柔和な微笑みを浮かべ、不二先輩はフェンスの向こうに吸い込まれていく。ラケットを握っていないせいで弱気そうな表情だが、タカさんも後に続く。青学が全国優勝するため、オレはこの【D2】がカギを握っていると考えていた。
「手塚部長に回さず、不動峰を倒さないとな……」
以前の歴史では、氷帝中学の跡部との試合で肘を壊してしまい、戦線離脱を余儀なくされた。『戻り組』の強者が跋扈する今回、全国大会の決勝で当たるだろう立海大附属戦まで手塚部長の温存は必須。できるだけ試合の負担は減らしたい。理想は3連勝で終えること。しかし、その予想は相手コートに現れたもう一人の選手によって砕かれた。
「神尾っ……!?な、何でアイツがダブルスに……」
『戻り組』のひとり、神尾アキラが長い前髪を揺らしてコートに足を踏み入れる。
やられた、と思わず顔を歪めた。オレと当たる【S3】を捨てて、確実に【D2】を取りに来たか。
両校の選手達が中央に集まる。不二先輩がラケットをくるくると回し、先攻/後攻を決める。先攻は青学。
「ザ・ベスト・オブ・1セットマッチ!先攻、青学サービスプレイ!」
高らかに審判が宣言する。サーブ権はタカさん。彼はラケットを握ると性格が変わる。熱血系へと。
「うおおおおっ!バーニング!」
パワー系のプレイスタイルを得意とするタカさん。未来ではオレを超える腕力を身に着けるのだが、現時点ではまだまだ。そして、リターンは『戻り組』神尾アキラ。全力を込めたバーニングサーブも、全国の猛者共に比べれば速さも球威も甘い。易々と打ち返す。
「やるじゃねえか!もういっちょ、バーニング!」
後衛同士の打ち合いが始まる。先に相手の隙を捉えたのはタカさん。前衛の石田を抜くストレートのパッシング。後衛の逆サイドに叩き込む一打。
「リズムに乗るぜ」
神尾がつぶやいた。ギアを上げるときの口癖だ。直後、あまりの速度にヤツの姿が消える。
先取点もらった、とタカさんに浮かびかけた歓喜の表情が固まった。
「アレに追いつくのか!?」
瞬時に逆側まで駆け込み、軽々とバックハンドで打ち返す。そうだ。アイツの守備範囲はダブルスコート全域。その脚力は尋常でない。動揺したタカさんは、返球を誤りネットに引っ掛けてしまう。
0-15
青学サービスゲーム。しかし、その後も神尾の鉄壁に弾かれ、優勢を活かしきれない。どんな球にも埒外の俊足で追いつかれてしまうのだ。特に神尾が後衛のターンに脅威は顕著に表れる。
「何て速さだよ……」
タカさんが焦った声を漏らす。どれだけ前後左右に振っても簡単に追いつかれる。後衛同士のラリーを分が悪いと見た不二先輩は、リスクを負ってポーチに出る。角度を付けたボレーショット。
「これにも届くのか!?」
信じがたい俊足で、これも打ち返される。強引にポーチに出たことで崩れた陣形の隙を縫うように、神尾のカウンターが決まった。
30-40
「ブレイクチャンスだぞ!」
「早くも不動峰が押してるぜ」
やはり、神尾が頭一つ抜け出てきた。しかし、特に試合巧者の不二先輩は流れを取り戻したいはず。このポイントは重要だ。
出すか?不二先輩の秘技『三種の返し技(トリプルカウンター)』――
「返せるもんなら返してみな」
神尾がニヤリと不敵な笑みを浮かべる。動いたのは意外な伏兵、石田鉄。右足を大きく後方に引き、一意専心の前傾姿勢を取る。テイクバックした右腕の筋肉が隆起する。放たれるは極限を超えた剛球。破壊の一撃。
――『波動球』
「マズイ!これを決められては……」
「だ、駄目だ。不二先輩……!」
一直線に飛来する隕石。前衛の不二先輩が反射的に返そうと手を伸ばす。だが、打球の破壊力はその手首を容易く砕くだろう。オレの制止の声は間に合わない。
だが、寸前で埒外の威力を直感したのか。試合前の助言が頭をよぎったのか。不二先輩が一瞬、打球を受けるのを躊躇った。すぐ横を破壊の一撃が通り過ぎる。結果的にそれが彼のリタイアを阻止してくれた。サービスブレイクという代償と引き換えに。
ゲームカウント0-1
「いきなりブレイクしたぞ!」
「しかも何だよ!今の不動峰、とんでもないパワーショット打ってきたぜ」
大番狂わせの予兆に、会場中が爆発的に盛り上がる。完全に流れを奪われた。不二先輩とタカさんが悔しげに唇をかみしめる。両校がコートチェンジ。
「命拾いしたな。けど、こっから何度も波動球を打っていくぜ。怪我しないように気を付けな」
「……ご忠告どうもありがとう」
神尾の野郎、プレッシャーを掛けてきやがった。オレが波動球の存在を教えたことを読んで、むしろ序盤に見せ札として切ってきたのか。隠し札足りえないならばと、いつでも出せると、むしろ脅しに使ってきた。
返球不可能なフラットショット。一度見せれば、今後は常にこれを警戒しなければならない。記憶の有るオレならば、腕への過剰な負担でもう打てないと予想できるが、不二先輩の立場では断言できないだろう。
ここからは互いにサービスゲームをキープし合う展開となる。要所要所で球種を使い分けたり、コードボールを狙ったりと、神尾のミスを誘うことで不二先輩が得点を奪っていた。
ゲームカウント3-4
神尾のサーブから始まり、数巡のラリーが続く。先に攻めたのはリターン側の不二先輩。ベースラインからの打球を正確なコントロールでネットに当てる。
「チッ……コードボールか!」
舌打ちしつつ、急停止からネット際まで急いで駆ける。が、真上に跳ねて落ちたボールに、あと一歩で届かない。
15-30
神尾は脚力こそ人間離れしているが、反応速度が卓越している訳ではない。弱点を突いた攻めで、まずはリターンゲームで一歩優位に立つ。不二先輩とタカさんがハイタッチを交わす。
「ハアッ!」
再び神尾と不二先輩のラリーが始まった。またも狙ったコードボール。正確無比なコントロールで打球をネットに当てる。瞬時にボールの速度がゼロになり、慌てて急停止する神尾。勢いが強いだけに方向転換にはわずかに時間を要するのだ。だが、これはシングルスではない。
「オレを忘れるなよ!」
不動峰、石田が即座にカバー。浮いたボールを青学コートに叩き込む。
30-30
次だ。この得点が勝負を分ける。
オレは直感した。公式戦の経験が豊富な不二先輩と『戻り組』神尾も同じ感覚だろう。明らかに集中力が増した。不二先輩はブレイクを、神尾は突き放しを狙う。
これまで以上に打ち合いが激しくなる。神尾がテンポを変えるため、トップスピンロブで前衛の頭を越えた。アイツの中では頻度の低い球種を使ってきたな。だが、これは――
「出るか……『三種の返し技(トリプルカウンター)のひとつ』」
不二先輩の瞳が鋭く光る。山なりに落ちるトップスピンを身体ごと回り込み、フォア側で待ち受ける。ラケットヘッドを若干高く掲げ、日本刀で切り裂くかのごとく、振り下ろした。一閃。
――『つばめ返し』
順回転の打球に、そのまま全く同一の角度で回転を加えることで、超強烈な逆回転を生じさせる。敵の打球が強ければ強いほど威力を増す。それが不二先輩の『三種の返し技(トリプルカウンター)』。
「出たああっ!不二の『つばめ返し』!」
青学の2,3年が歓声を上げる。超強烈な逆回転を保持したまま、打球は相手コートへ突き進む。このボールは着地と同時に、弾まずに滑るという特性を持つ。返球不可能。まさに無敵の技と呼ぶにふさわしい。ただし、地面に着きさえすればの話だが――
「さらにリズムに乗るぜ!」
神尾が速力を上げた。サービスライン付近まで疾風が通り過ぎ、ノーバウンドで返球されてしまう。着地と同時に勝負が決まる打球ならば、空中で処理すれば良い。鮮やかな攻略法だ。青学の部員達の表情が絶望的に染まる。決め技を軽々と破られた事実は、選手達にも衝撃を与えた。
「くそっ……神尾の野郎、わざとトップスピン打ってきやがったな」
そうだった。不二先輩の『三種の返し技(トリプルカウンター)』は、前回の四天宝寺戦で破り方を知られていた。ご丁寧に三種とも全てを対戦相手の白石は正攻法で返して見せたのだ。あのときは新たなる返し技で勝利したが、現時点の不二先輩でそれは不可能。さらに精神的なショックで攻めの意識がわずかに削がれたか。
「次はこっちの番だぜ!」
乾坤一擲の気合を込めて、神尾が叫ぶ。威力もなく、浅く返された打球。それに対して、正面から迎えるように前方へと一歩、駆け出した。全力で踏み出す一歩。その勢いを活かして、アイツはスライスショットを放った。並外れた速力を打球に乗せた一打。これは神尾の集大成。
「『音速弾(ソニックブリット)』!!」
音速で放たれる打球。ラケット面から離れるや、ほぼ同時に青学コートに着弾した。そう錯覚するほどの打球速度。だが、不二先輩はギリギリで反応し、ラケットを伸ばすことに成功していた。さすがと言うしかない。
「なっ……さらに速度が上がった……!?」
これが音速弾の特性。着地と同時に体感速度がさらに跳ね上がり、人間の反応限界を超えるのだ。不二先輩のラケットは傍目からでも明らかなほど振り遅れる。
タンッと後方の壁をボールが叩く。愕然とした様子で、珍しく不二先輩が固まった。
40-30
形勢は定まった。不動峰がゲームの流れを奪い取った。
ざわり、とオレの全身が総毛立つ。本能的な反射で、視線を相手コートに向けた。神尾の様子が豹変している。夏前だというのに、思わず寒気を覚えた。醸し出す雰囲気が鋭利かつ威圧的に変貌する。
まるで『猛獣のごときオーラ』。
「ゲームセット&マッチ。ウォンバイ不動峰、3-6」
【D2】を落とし、次の【D1】は順当に青学黄金ペアが勝利。ここまで1-1の状況だ。小さく溜息を吐く。【D2】で負けたのは痛いが仕方ない。オレと手塚部長が取れば地区大会優勝だ。
気持ちを切り替えて、【S3】の試合コートへと向かう。対戦相手は、神尾の代わりに抜けた桜井かな?
ラケットを握る右腕をグルグルと回しつつ、相手コートに目を移す。自分の頬が引きつるのが分かる。マジかよ……
「よお。久しぶりだな、桃城」
短く刈り上げた金髪、額の黒子。格下の桜井ではない。対戦相手は――
――不動峰中学部長、橘桔平