腕の中ですやすやと眠る少女を見、ため息をつく。足元を心配そうにうろつくジグザグマの頭を撫でながら、私はどうしたものか、と手近なベンチに腰を下ろした。
話はいくらか前に遡る。私はいつも通りカウンターの中の椅子に座り、飴を舌で転がしながら、鈴の音が響くのを待っていた。珍しくも預けられているポケモンは少なく、かつカビゴンやらヤドンやらナマケロやらばかり。今やるべき仕事は特になかったのだ。
今日も閑古鳥が鳴いてるなあ、と口内の飴をガリッと噛み砕く。コーヒーでも淹れに行くか、と立ち上がった時、店側ではない、自宅側の扉から鍵を開ける音が響いた。もしかして、と玄関の方へ行くと、そこには予想通り、ピジョットをボールに戻している弟の姿があった。
「おかえり、アラン。今回は早かったね」
壁に半身を預け、彼の後ろ姿に声を掛ける。苦笑しながらこちらを振り返り、弟が呆れた声を出した。
「姉ちゃんただいま。早いって言ったって、もう三ヶ月も帰ってなかったろ。……それより、店はいいの?」
ポケモンレンジャーがそうそう何度も休めるものなのか、という言葉は飲み込み、私は肩をすくめる。
「閑古鳥が鳴いてるよ。ちょっと久しぶりなくらい、盛大にね」
ふうん 、そう。と呟いた弟は、そのまま二階にある自室へと向かった。手はちゃんと洗いなさいよ、と声を掛け、キッチンへ向かう。どうせ脇目も降らず帰ってきたのだろうから、何かつまめるものでも作ろうかと思い、お湯を沸かす傍らでサンドイッチを拵える。と、バタバタと大きな足音を立てて、未だに着替えた様子のないアランが駆け降りてきた。
「姉ちゃん準備! 準備して準備!」
「は? 何をよ」
「旅行! シャルムシティの旅館の抽選当たった!」
「はあ……!?」
詳しく話を聞いてみれば、本屋で本を買った際に貰った抽選ハガキをポケモンフーズ詰め合わせ目当てで応募したのが先月。彼本人も応募したこと自体忘れていた頃、携帯端末に当選のメールが届いたというのだ。
良かったじゃない、と前置きして、しかし私は言葉を繋げる。
「だからって、なんで私が旅行の準備をすることになるのよ。当てたのはアランなんだからアランが行けばいいじゃないか」
すると、アランは何故だか得意気に、
「俺は帰省するのが一番の休暇だからいいけど、姉ちゃんは家が仕事場だから全然休めないだろ。空いてる今なら俺でもなんとかなるし」
と言った。
「あんた自身は行く気がないってことね……」
「そうとも言う」
どうせ温泉入って飯食って寝るだけだし勿体ないじゃん、と続けて肩を竦めた弟。やれやれ、とため息を吐きつつも、そんなに言うならまあ、折角だし行こうかなと、私は椅子から立ち上がった。
「いい? 倉庫に今いる子達のポケモンフーズは一食分ずつ分けてあるからね。分からないことがあったらいつでも連絡すること。それとーー」
「分かった分かった、大丈夫だから早く行きなって。遅れるよ」
翌日の朝、数年ぶりにトランクを転がす感覚に、少し懐かしさを感じる。手伝いのためにガルーラを残し、ーーとはいえ彼女は自分から残りたがったーー私は家を出た。サンビエタウンがいくら田舎とはいえ、高速バスはここにも止まる。ギャロップが率いるバスに乗り込み、アランが嬉々として印刷をしていた当選ナンバーと、旅館の位置を眺める。
シャルムシティの中心から少し離れた旅館街にあるらしいそこは、ジョウト地方はキキョウシティ出身の女将によって経営されている、非常に雰囲気のある老舗旅館なのだそうだ。
思いがけず降って湧いた休暇に、ようやっと感情が追い付いてきたようで、無意識に深く息を吐く。最近は、というか件の『雪解けの日』から、どうも預けられるポケモンの数が増えていた。それは、バラル団を倒してやると息巻くトレーナーがポケモンを強くしてくれというものであったり、逆にポケモンを奪われるのが怖くて預かっていてくれ、というものであったり。おかげで盛況ではあったが、働きづめで疲れがたまってはいたところだった。
(そもそも私が強くするんじゃあ意味がないし 、バラル団がうちを襲わない保証もないんだけどね)
人のまばらなバスの中で伸びをし、背もたれに身体を預ける。そのまま車体の揺れに身を任せているうちに、私は意識が薄れていくのを感じた。
「……ちゃん、お姉ちゃん」
「う……」
誰かに揺さぶられる感覚と、幼い少女の声を認めて、ぼんやりとしていた頭が覚醒する。気付けば車内には電気が灯り、かつ振動はなくなっていた。自分を起こしたものの方へ目を向けると、可愛らしい面立ちの少女と、その頭上を陣取るジグザグマ。それに、後ろで所在なさげに苦笑を浮かべている痩身の男性が立っていた。
「お姉ちゃん、大丈夫? もう終点のシャルムシティよ」
「え、ああ……全然気付かなかったよ。起こしてくれてありがとう」
慌ててトランクを引きずり出し、二人と連れ立ってバスを降りる。どれだけ疲れが溜まっていたのかと自分自身に呆れるとともに、少女と男性に向かって再び口を開いた。
「本当に助かったよ。このまま引き返されちゃ堪んなかったし……ありがとう」
「いいの! 困ってる時はお互い様だから」
「私は何にもしてませんから。それと、ついでにお願いがあるのです」
「お願い? ええ、私でよければお聞きします」
見ず知らずの女性に頼むのもおかしいのですが、と前置きして、彼は少女の肩にそっと手を置く。
「私はヒヒノキと言います。一応ポケモン博士の末席を頂いている者なのですが……。ここにはフィールドワークに来ていまして、その間姪っ子を預かっていてほしいのです」
「えーー!?」
ヒヒノキ博士と言えば、この地方では名の知れた博士である。ポケモンに関わる仕事をしている身としては驚きを隠せなかったのだが、それはそれとして、その頼み事の内容に、私が否とも応とも言う前に、少女から非難の声が上がる。
「えー、じゃないよ。これから行くのはネイヴュの方だから雪がすごいんだ。何かあったら本当に危険なんだぞ」
「別に平気だよ! 逆におじさんの方がいっつも危険なことばっかりのくせに!」
「と……とにかく! だめなものはだめだ」
口を挟む間もなく、二人の話が進んでいく。渋々ながらも納得したらしい少女ーーミエルというのだそうだーーによろしくお願いします、と頭を下げられ、
「私は保育士じゃないんだけどね……」
と小さく呟く。とはいえ、ここで断るのもなんだか気持ち悪くて、私はつい、任されました、と口を開いていた。