翌朝、ヒヒノキ博士は大きめのリュックサックを背負い、私とミエルちゃんに見送られながらいそいそと、しかしどこか楽しそうに出かけて行った。二日くらいで帰ってくる予定だとは言っていたが、私の横にいる少女はジグザグマを抱きしめて、心配と拗ねの入り混じった複雑な顔をしている。無理もないかな、と思いはすれど、幼い子供を連れて雪原に踏み入るなど正気の沙汰ではないとも思う。ポケモンなら何匹も預かり、触れ合って育てて来たものの、人間の少女を預けられたのは初めてで、正直どう接していいものか分からない。私が内心戸惑っていると、彼女はパッと私の方に顔を向けて、手を握ってきた。
「お姉ちゃん、折角シャルムシティに来たんだもの、おでかけしましょ」
「え、ああ……。そうだね。行きたいところはある?」
切り替えの早い子だ、と少々面食らいながらも、彼女に目線を合わせる。すると彼女はにっこりと笑って、市街地の方を指さした。
「うん、自由の市!」
自由の市とは、シャルムシティの名所として、ラフエル地方の内外に名の通った巨大な市場である。各地の商人が一挙に集い、食料品から家具まで、ありとあらゆる特産品を持ち寄って商売を行う。この市場にないものは世界のどこにもない、とまで言わしめるほどだ。
閑話休題。
確かに自由の市ならば、喧噪や真新しいものに囲まれて、ミエルちゃんの気も紛れるかもしれない。実際に行ってみたいとも思っていたので、二つ返事で彼女と連れ立って歩きだした。
自由の市は一般の観光客や地元民にも広く開かれているが、得てして市場の朝は早い。仕入れや競りなど、一番商売人の活気や熱気が伝わってくる時間は終わってしまっただろう。そもそもミエルちゃんはなぜ自由の市に行こうと思ったのだろう。不思議に思ってそう聞くと、
「うん、えっとね、私はおじさんについて各地を周ってるのね。でもラフエル地方からはあんまり出たことはないの。だからね、自由の市で色んなものを見てみたいんだ」
将来の夢はポケモントレーナーだから後学のために、と少し照れながら話す彼女に、私はそっか、と笑った。将来の目標が既に定まっていて非常によろしい。彼女の頭上に移動して大人しく乗っているジグザグマも彼女によく慣れている。もしかしたら、彼女が私の店に来るのはそんなに遠い未来のことでもないかもしれない、と少し思った。たどたどしくも将来の夢について話している少女に、私も昔は色んな地方を回ったなあ、と零せば、彼女は顔をパアッと輝かせる。
「そうなの⁉ どんなところに行ったの? 教えて!」
「そうねえ。ラフエル地方も一応ぐるっと回ったし、アローラ地方とかシンオウ地方とか、あとはジョウト地方にも行ったかな」
自分の旅の出来事を他人に話すのは本当に久しぶりだ。それに、もう六年も前のことなのに、未だに鮮明に覚えていることに我ながら吃驚する。そんなことを思いながらも、自由の市に着くまでの道すがら、覚えている限りのことを、彼女に話していた。
自由の市につくと、まず私たちはその活気に圧倒された。早朝の競りなどはもう終わっているはずなのに、それでも商人たちは客をなるだけ呼び込もうと声を張り上げ、建物が所せましとひしめきあっている。その合間を沢山の人々が動いていて、晩秋にも関わらずうねるような熱気が吹きつけてくるようだった。
「すごい。ちょっとは落ち着いているかと思ったんだけど全然そんなことないね」
「お店、見て回るのも大変そうだね……」
二人して呆気に取られつつも、こういうのが大規模な市場の醍醐味だろう。意を決して彼女の手をしっかりと握り、市場の入り口をくぐる。市場の中に入ってみると、思った通り人出が多く、飛び交う声の熱量に頭がくらくらしてくる程。しかし、見た目に反して道幅は思ったよりも広かった。時折ターレットトラックが物凄いスピードで市場内を駆けて行ったり、荷物をいくつも担いだカイリキーなどが列を成して歩いてくるので、なるほどこのための広い道路か、と人知れず納得する。手を繋いだミエルちゃんにちらと目線をやると、大きな瞳がこぼれそうな程目を丸くして、口をぽかんと開けていた。
「……大丈夫かい?」
「えっ、あ、うん。大丈夫。ただ……そう、すっごく、すっごーく驚いたの。市場ってこんなに騒がしいのね」
「そうだね、それは私も驚いたな。まあ大きい市場だから、一層活気があるんだと思うよ」
へえ、と相も変わらず驚きを隠せない表情をしている彼女に、取り合えず見て回ろうか。と声をかける。慌てたように手を握りなおしてくる少女の存在を確かめながら、市場内を改めて歩き出した。
市場内には、触れ込み通り本当に様々な地方の物産、ありとあらゆるものが並んでいた。もりのようかんやらシャラサブレやら、こだいのおうかんまである。Zクリスタルを売っている処も……いや、待て待て。それは絶対違法だろう。私が懐かしさに浸っている間、ミエルちゃんは目に入るものの全てが真新しいのだろう。店員や私をこれはなんだあれはなんだ、と質問攻めにして離してくれなくなってしまった。とはいえ、それはまんざらでもなくて、当時の事を思い出しながら彼女に解説をするのは思った以上に面白い。何より純粋に感心してくれる彼女はとてもかわいらしい。知らず知らずのうちに、どうやら楽しくなっていたのか、
「いやあ……ちょっと、買いすぎたね」
「そうだね……」
両手に抱えて少々余りある買い物をしてしまっていた。
「いやあ、これどうしようか。ミエルちゃん、いくらかいるかい?」
「ううん、私もちょっといっぱい買っちゃったから……。お姉ちゃん、それ持って帰れないんじゃない?」
ちょっと無理かな、と返すと、だよね。とミエルちゃんが苦笑する。さて、郵便制度か何かないものか、と周りを見回すと、
『お荷物お預かりし〼』と書かれた札を立てて、数人の列が出来た小さな小屋を見つけた。裏からデリバードが飛び立っていくところから、宅配をしてくれている様子。
「ちょっと、あそこで荷物を実家に送ってくるけど、一緒に来るかい?」
「うーん……ううん、疲れちゃったから、あそこのベンチで休憩してる」
そう言って、ミエルちゃんは腕いっぱいの荷物を抱え直し、少し力なく笑う。ああ、そういえば時刻はもう一時過ぎ、いい加減お昼にしても良い頃だろう。ミエルちゃんをベンチに座らせ、万が一、万々が一の時のためにポニータを出し、傍についているようにとお願いする。ポニータは気前よく一声鳴き、ミエルちゃんにすり寄った。早速ジグザグマもポニータと戯れているようだし、この調子なら仲良くやれるだろう、と荷物を預けに小走りでその場を去る。ついでに、昼食もどこかで買って行こうと、露天街を遠目から見やる。幸い、丁度人の切れ目だったのか、スムーズに荷物を預け、自宅の住所を指定できた。よろしく頼むね、とバリヤードに声をかけて、私は露天街へ向かった。
暫く……と言っても一〇分といたわけではないが、昼食になりそうなものを買い(懐かしさでマラサダを選んだ節は大いにある)、ベンチへと戻る。
「ミエルちゃん、ごめん。待たせて……は?」
しかし、そこにあったのはミエルちゃんの身に着けていたハンカチ一枚だけであった。