翌朝、仮屋が学校につくとクラスが妙にざわめいている。
「おはよう和奏ちゃん」
「おはよう、あれ、保科は?」
「…今日これで柊史が来るとは思わないな、昨日の今日だし」
一体何が起こっているのか全くわからない中、クラスを見回してみると綾地の席の周りに人だかりができている。
「綾地さん…辛かったら今日は休んでも良かったのに」
「いえ…この程度で休むわけには行きません」
「あっ、仮屋さん、おはよう」
男装の美少女、椎葉紬が仮屋に気付いて話しかける。
「えっと、どうしたの?」
「ううん、昨日ちょっと…」
保科がまだ学校に来てないことから、きっと保科と揉めたのだろうということはすぐに推察がついた。ただ、そのぐらいであの綾地がそこまで取り乱すだろうか。
「私が、私が悪いんです。柊史くんに、あんな方法で無理に…」
「綾地さんは悪くないって、だって、こんなことになるなんて誰も思いつかないよ」
「ええと、保科と喧嘩…したのはわかるんだけど、綾地さんがそこまで取り乱してるの見たことなかったから」
「やっぱり、そう見えちゃいますか…」
「仮屋さん、とりあえず今はそっとしといてあげたほうがいいと思う。綾地さん、私ももうそろそろ席に戻るね」
「はい…ごめんなさい」
並々ならぬ様子の二人を見て、仮屋も、そして海道ですらもことの重大さを理解した。
「結局、今日は来なかったね」
「まったく、女の子を泣かせるような度胸がある男とは思ってなかったんだけどな」
「海道、それってどういう意味」
「いやいや、もちろん泣かせるのは男としてサイテーだよ、その上で柊史がそんなことをする、とは思えないからな」
「確かに…保科がそんなことするとは確かに思えないね」
仮屋も海道も、昼間に一応心配してメッセージは送ったが、返信が来る様子はない。
「なあ、俺たちいちおう様子見に行ったほうがいいかな?」
「うーん、こういうとき、そっとしておいてほしいのか、それとも構ってほしいのかわからないけど…」
こういうとき、男友達だったらどうするのか、むしろ海道のほうがよくわかっていそうだが。肝心の海道も、保科という男の内心を測りかねているらしい。
「…それじゃ、あたしはちょっと保科の様子見に行くね。学校にまで来なくなったのはちょっと心配だし」
「それもそうだな、あんだけオカ研とかも楽しそうにしていたのに、その柊史が連絡を絶ってってのは確かに気になる」
仮屋はバイトの日、海道に至ってはバイトの面接だったが、そんなことより保科のことが心配になり、二人で家まで行くことになった。
「ところでさ、保科の家って行ったことあるの?」
「いや、場所は知ってても上がったことは一度もないな」
「あたしも、まあそもそも用事がなかったけどね」
一体何が起きているのか、心配と不安がないまぜになった気持ちで保科のマンションにつく。インターホンを押しても反応はなかった。
「やっぱり、ダメかな」
「まさか柊史にこんな頑固な一面があったなんて、参ったなこりゃ」
もう一度インターホンを押す、少し待ってから、返事があった。
「…はい」
「柊史、ちょっと話がある、ドア開けてくれ」
「……」
痛いほどの空白。やがて諦めたかのようにため息をつくとドアが開いた。
「お邪魔するぞ」
「お邪魔、します」
二人にとってはじめて上がる柊史の家。高校生同士でお互いの家に行く、というのは日本では珍しいといえば珍しいが、それにしても二人と保科の関係が希薄だったことをこういうときに思い知らされる。
「いったいどうして来たの」
「そりゃお前の親友たるオレが、心配して来てやったんだぞ」
「私も、保科が学校までサボるなんて珍しいからさ」
「別に、オレだってたまには学校ぐらいサボるさ」
いつもどおりの保科がそこにいた。ただ、仮屋はその時気付いてしまった。保科の心にポッカリと大きな穴が空いている事に。
「…あっ」
「ん、どうした」
「いや、何も」
「ともかく、オレはちょっと気分が重たくなって学校を休んだだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。心配させて悪かったな」
「そうか…お前がそう言うなら信じるしかないな」
「でも、学校で綾地さん、ずっと暗い顔してたよ。もしかして」
「言うな!」
突然、保科が二人に対して叫んだ。二人は突然の一喝にうろたえる。
「ちょ、ちょっと柊史、一旦落ち着け、な。ここマンションだろ?」
「そうだよ、それに、いきなり怒鳴るなんて保科らしくないって」
保科はそのとき、二人から強烈な悪意を感じていた。
立っているのが精一杯の、めまいがするような悪意。海道は、口ではこう言っているが実のところいきなり学校に来なくなったオレを訝しみ、責めようとしている。仮屋は…あれ、ウソっぽさこそあってもその言葉に裏があるようには見えない。これまで信じていた寧々ですら、チャットの文字から裏が見えて、付き合うことにしんどそうにしていたというのに、なぜ。
仮屋と海道の説得虚しく、保科は二人を追い出そうとする。
「ともかく、オレはまたしばらくしたら学校に行くから、ふたりとも一旦帰ってくれ」
「そんな、あんないきなり怒鳴る柊史見たことないぞ!俺たちだって面白おかしく話をしにきたわけじゃない」
「……」
仮屋には見えてしまっていた、ぽっかり穴があいた保科の心が。それを見てしまった今、仮屋には保科を強く責めることができなかった。
「和奏ちゃんも…ってあれ、和奏ちゃん?」
「仮屋はもうオレなんかに見切りをつけて帰ったんじゃないか、海道も時間の無駄だから帰ったほうがいいよ」
「そ、そうか…ともかく、連絡ぐらいは返してくれよな」
人がいなくなった部屋で、保科はようやく一息つく。朝、親父から突然感じるようになった強烈な悪意。もちろん実の息子に対してそんな思いを抱くはずがないと、最初は思った。だが、それ以上に、保科の身体は感じる悪意に耐えきれず、朝からトイレで吐いてしまった。そしてさらに心配され、そのたびに感じるダメージが大きくなっていく。
理性を否定するような感情と感覚。一旦落ち着こうと携帯を開くと綾地からチャットが届いている。保科に対する愛を綴ったような文章なのに、読めば読むほどその裏に秘められた思いの強さに目がくらむ。言葉と感情の違い、もともと小学校のときのトラウマをつくった原因。それが、まさか会う人全てに降りかかるだなんて。ましてや今の、すでに気にならなくなりつついた、このタイミングで。
そんなトラウマを掘り起こされた保科が学校にいけなくなるのは当然だった。そして、それは数日で収まるものではなく、一度大きく空いた穴はさらに深く、広くなっていく。
「センパイが来なくなって、しかも寧々センパイも来ないって、完全に開店休業ですね」
「私も、何度かメールしたり家にも様子見に行ってみたりしたんだけど、全く出てきてくれなくて…」
「うーん、私としては、学校に不登校の人がいる、ってのが見過ごせないし、それが保科クンってのも気になるね。連絡はとってみようとしたけどダメだったな」
オカ研の活動自体は継続しているものの、これまで実質二人の部活だったのに、その主軸がまるまる抜けてしまった今、部活は実質的にストップしてしまった。
「そろそろ、戻ってきますかね。多分保科センパイが戻ってきたら寧々センパイも…」
「うん、きっと戻ってくるよ。それまで私達で部活を続けていかないとね」
「でも、私も、二人も占いとかできない…よね」
「「「はぁ…」」」