キンイロリョテイは自分の旅程を振り返る
私のレース人生は名前通り、金色だったのだろうか?
デビューは冬の阪神レース場。ジュニアクラス最強決定戦の行われる前の週だった。そこでは3着、初レースにしては上々だったと思うけど、この後のレース人生を暗示しているような感じもする。
初めて勝ったのは既にクラシック初戦が終わった後の東京レース場の未勝利戦。6戦目の事だった。あの時の感覚は忘れられない。あの感覚を何度も味わいたくて私は走り続けたのだろう。
そして私の代名詞となった9戦目、3勝目を挙げた阿寒湖特別。勝った時はただの勝利、その後は苦難の始まり、今は……私のある意味原点かな。
初めての重賞、初めてのG1はクラシック戦線の間にやって来た。……まあ、初G1の菊花賞はおこぼれではあったけど。フクちゃんもスズカちゃんも強かったなあ。
そこから私は勝ちきれなかった。沢山重賞に出たけど、いつも2着、3着。悔しいレースばっかりだったけど、自信は少しずつ出来ていたし、不思議な人気が出てきたのも分かっていた。
勝ちきれない私を応援するファンがどんどん増えていく不思議。同期も先輩も後輩もスターばかりだったけど、ファンレターの数は上位だったりする。
初めて重賞を勝ったのは38戦目の目黒記念。初勝利から丸3年、最後の勝利からは2年8か月が経っていた。そこまで28連敗、決して褒められた数字ではないけど、G1の無い土曜日開催で生憎の悪天候の中沢山のファンが、仲間たちが祝福してくれた事が、とっても嬉しかった。
その翌年、私は何故か中東はドバイにいた。『ドバイウマ娘ミーティング』と言われる国際レースデーに招待されたからだった。春先に行われる様々な条件下のレースを世界中のウマ娘を呼んで行われるこのイベントに何故か私は呼ばれたのだった。現地の評価は最低ランク。それもそうだ。同期や後輩の活躍で日本のウマ娘の評価が上がって来たからとはいえ、私は所詮G1未勝利の重賞2勝ウマ娘。けど、私にもプライドがある。日本の看板を背負っているプライドが。
……乾坤一擲の激走で私は海外重賞を制した。我ながらよく走ったな、よく勝てたなと思う。けど、結局私は国内のG1を勝つことは出来なかった。
振り返ってみても、やっぱり私のレース人生は金色なんかじゃない。
私は沢山の素晴らしいウマ娘と一緒に走った。先輩だとエアグルーヴにメジロドーベル、同期だとマチカネフクキタルやサイレンススズカ、後輩だと挙げきれない。私が走ってきた時代は間違いなく日本のトゥインクルシリーズの黄金時代だった。
フクちゃんの渾身の追い込みも、スズカちゃんの異次元の逃げも、エルちゃんの世界に挑んだ走りも、グラちゃんの復活からの激走も、スぺちゃんの日本の代表としての走りも、オペちゃんの1年を彩り続けた走りも、ドトウちゃんの乾坤一擲の走りも、デジタルちゃんの外野の声を一掃した走りも全部私は同じターフの上で見て来た。
私が走ってきた時代。それはきっと金色に輝いている。
ドバイで私の名前を英語表記にされた『Stay Gold』。直訳すると『輝き続ける』。私の旅程が金色に輝き続けるか、その評価は今の私ではなく何年後かの私やファンの皆さんがする事だ。今の私は区切りの50戦目、年末の香港で行われる『香港国際競争』の一つで最長の香港ヴァーズに集中して、初G1を海外で飾らせていただきましょう!
割と真面目に書きすぎた。元ネタのステイゴールドはゴルシの親父だから、もっとフリーダムでも良かったなあ。
このレースの結果を知りたいウマ娘から競馬に興味を持った人は『ステイゴールド』で検索すればレース映像が出てくると思うのでぜひご覧ください。