おはよう琲世   作:おんぐ

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終わらない。もう少し続きます。


さく☆らん☆


中2

 

 

 

 

 

 

 「初恋です」

 「…………は…ぁ?」

 

 何故、僕は……今何を言った?あれ、何でこんな…ここ、どこ。赤くて、眩しい。

 

 世界が揺らいでいる。地に足がついている感触がない。聞こえる音は緩やかに流れて、視界の隅々では、嫋やかなベールが現れては消えていく。

 それが、僕が今判断できる全てだった。

 そしてトドメに、ベールの隙間から覗いたものによって、僕の思考は抵抗することなく、不可思議な奔流に流されたのだ。

 流される途中で、クラクラするほど甘ったるい籠の中に引き摺り込まれ、重要な何かが形を崩した。

 

 ーー目と鼻の先にあるもの。いっぱいに広がる霧嶋さんの顔。揺ら揺らとたなびく髪から香る、爽やかな匂いが、無防備な脳髄を優しく撫で上げた。触れてはならないものに手を出したかのような背徳感が、血潮を熱くさせ、それが全身へと巡る。

 とろとろ、とろりとろりと、知的な部分が溢れ落ちていくーー

 

 ーーああ、なんだ。これ夢だ。

 

 

 現実感のない光景を前に、僕はこれを夢なのだと理解した。

 これが現実ならば、霧嶋さんがこんな至近距離にいるはずがないし、僕がこんな近くにいる彼女と目を合わせられる訳がない。

 これは、紛れもなく夢だ。

 だから、どうせなら。絶対に口にも出来ないことを伝えようと、僕は想ったのだ。

 開き直った瞬間には、既に僕の舌は言葉を並べていた。

 

 「ひと目見たあの瞬間に、僕は霧嶋さんに恋をしました」

 

 自己確認するように、ゆっくりと。カネキケンのモノではない、僕だけの感情。

 あの日、コーヒーを飲んだ時の涙は、カネキケンのモノだったとしても、ハンカチを受け取ったのは、僕だ。霧嶋さんを見ていたのは、僕なんだ。

 

 「何時も僕を満たしてくれたのは、霧嶋さんと会って、声を聞いて、貴女が淹れてくれたコーヒーを味わえる、《この》時間だった」

 

 ショックを受けた時、あの店に行った。何もない時でも、あの店を求めた。

 

 「気づけば自然と、あのカフェに足を運ぶことが多くなりました。貴女がいるあの場所は、こんな僕にも幸せをくれた」

 

 ああ、これが夢じゃなければいいのに。本当にこんな風に、霧嶋さんを間近で見ていられたらいいのに。

 

 「貴女がいる時間を終わらせたくなくて、貴女が淹れてくれるコーヒーを出来る限り飲んでいたくて、でも引かれたりキモがられたりしたら嫌だから、おかわりは偶にしかできなくて。…あの時の二杯目、少しだけ違う淹れ方をしてくれる貴女の心配りが、本当は飛び上がりたいくらいに嬉しかった」

 

 なんて、幸せな夢だろう。まだ終わるな、終わるなと、夢の中にいることを、僕は強く願う。

 

 「もっと、話したい。できれば一緒にいたい。貴女のことを沢山知りたい。

 僕は、霧嶋さんのことが好きなんだ」

 

 声に出して、耳に帰ってくる自分の想いを、僕は改めて自覚した。

 ああ、それと。

 

 「……ロい」

 「………………?」

 「あ、いや、いかがわしい訳じゃなくて透明感のある色気と言いますかそれも霧嶋さんの魅力で…いやでも本読んでる時に覗き込まれた時の胸の谷間はーー」

 「ーーーーざっけんな!!!」

 

 「ごゔぇッッ!」

 

 そして夢は覚めた。

 衝撃を受けて力を失った身体は、糸が切れた人形のように四肢を投げ出し宙を舞い、壁にぶつかって崩れ落ちる。壁を擦りながら頭から落ちて、冷たいコンクリートの地面に、頬を強かに打ちつけた。

 息が出来ない。

 お腹に穴が空いたんじゃないかってくらいの激痛と、それがピタリと止む無痛の状態がグルグルと回っている。

 

 「げぇ…げふぉ」

 

 せり上がってきた熱が、口からびしゃびしゃ吐き出された。喉が焼ける感覚に混ざって、濃い鉄錆の味がいっぱいに広がる。

 改めて口にするーーいや、口から流れ出る自分の血は、ほろ苦く、甘みがあった。

 

 「ゔぁ…ぁ」

 

 無様に地面で蹲りながら呻く僕は、救いを求めるように天を見上げた。

 霧嶋さんは、驚愕と軽蔑、疑問が混ぜこぜになったような目で、僕を見下ろしていた。

 そして、次に瞬きをした一瞬のうちに、その姿を消してしまっていた。

 

 

 どれくらいの時が過ぎたのか。霧嶋さんがいなくなった路地裏で、僕は、一人地面に寝転がりながら、自分がやらかしたことを自覚した。もっと不味い事を言ってしまった気もするけど、それはきっと気のせいだ。

 いや、それはいい。全然良くないけど、まあまだいい。そう、それよりも。

 

 ーーああ、霧嶋さんが喰種だったなんて。

 

 今でも信じられない。

 嘘だ嘘だと、心が喚いている。

 

 でも、別の一片が自棄な調子で、やっぱりねと囁いた。

 

 

 

 

 

 

 僕は、迷いに迷った挙句に、霧嶋さんにメールを送ることをやめた。何て打てばいいのかも、分からなかった。でも、一度登録したアドレスは消せなかった。

 霧嶋さんは、僕を呼び出して何をするつもりだったのか。僕は聞くことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「どうだ?なんか見覚えあったりしねえ?」

 「ごめん、ない。でも…すごいね」

 「そうか?」

 

 僕は、心がちゃんと地面について無いような、フワフワとした心情でキャンパス内を歩いていた。

 自分が大学生だという自覚は、全然ない。けれど、これから大学生になるんだという思いが、心を浮つかせていた。

 すごく、楽しみ。

 

 「どした?ニヤニヤしてよ…大丈夫か」

 「あ、うん。大丈夫大丈夫、何の問題もないよ」

 「ふーん」

 

 そういう永近君も、ニヤニヤと僕のほうを見ている。見透かされているようで、恥ずかしくなる。

 カネキケンもこんな感じだったのかな…。

 

 「前からお前はそんな感じだよ。むっつりな奴だった」

 

 何故わかったんだ。エスパーか。

 そんな風に聞けば、顔に描いてあるぜと返ってくる。

 僕は、これでも結構内心を隠すのは得意だったはずなんだけどな…。

 釈然としないものを感じつつも、この空気は、心地よかった。

 

 

 

 ーー昨日の夜、自宅に帰り着いて玄関の扉が閉まった音を合図に、目から涙が溢れ出した。

 さめざめと、時間にして一時間は泣き続けた。

 何に対して涙したのかは、自分のことだと云うのによく分からない。振られたショックか、それとも彼女が喰種であったことか、はたまた僕の知る霧嶋さんにはもう会えないことへ対してなのか。自分の情けなさに対して、というのもあり得る。いや、むしろ全部といったほうが納得できるかもしれない。

 ああそれに、あんな恥ずかしい言葉の羅列をよくも言えたものだ。本当にどうかしていたんだ。

 

 この短期間で僕は泣いてばかりだ。きっと、こんな不思議な体験をしたせいで、涙腺が異常をきたしてしまっているのだろう。

 でも今回は泣き終わった後、妙な爽快感に包まれた。変にすっきりとした気分になった。未練が全く無いと言えば嘘になるけれど、僕は失恋を乗り越えた…と、ああやっぱりまだ無理だ。泣きそうになる。

 

 

 「なんだよ。今度は、んな神妙なツラして。変なやつ」

 「えー…」

 

 僕は、心外とばかりに、視線で永近君に反論した。彼は、サッと目を逸らしてワザとらしく後頭部で手を組んだ。

 その仕草から不意に、才子ちゃんを連想してしまった。彼女も、誤魔化す時は、あからさまな態度を取っていたな、と。

 

 

 「お、悪いカネキちょっと」

 「あ…うん」

 

 永近君の目の先を追えば、数人の学生が手招きしていた。僕に仲の良い人はいないらしいので、永近君の知り合いだろう。

 

 「学祭の委員会の先輩でさ。ちょい時間かかると思うんだけど、見てくか?」

 

 どうしようか。

 少し興味はあるけれど、僕がいたら永近君も僕に気を遣ってしまうような気もする。

 

 ふと、先輩という言葉で一人の顔が思い浮かんだ。あの人は、カネキケンの何時の頃の先輩だったのだろう。

 

 「ううん、少し歩いてくるよ」

 「…そっか、悪いな。終わったら連絡するから、迷子になんないよーにな!」

 「その時はよろしく」

 「いや、そこは迷子にならないようしろよ」

 

 自信満々に応えた僕に、永近君は呆れた顔をしていった。

 

 一人になって、急に心にぽっかりと穴が空いてしまったような喪失感。永近君はまだ目の届く範囲にいるのに、まるで世界に僕一人だけしかいないように錯覚する。

 ーーやばいこれ。

 もう末期だと自分の精神状態に引きながらも、小さく背伸びをして、ゆっくりと息を吐く。

 ボソボソと陰鬱としていたものが、少しだけほぐれた気がした。

 

 

 

 

 見慣れない造りの建物。行き交う学生達のざわめき。

 何度か捜査官として、大学に足を運んだことはあったけれど、今歩いている心境とはまるで違った。

 あの時は、羨望の意があった。僕が大学生だったらと妄想して、その後直ぐに、そんなことは有り得ないと考えて、少し沈んだ。

 でも、今は違う。

 僕は大学一年生、つけ加えると後半。心は、当たり前だけど新入生。

 足が軽やかに進む。そんなに上手くない鼻歌を奏でる。口元がゆるんだまま、戻らない。

 

 そんな浮かれ気分の僕の横っ面を、ある光景が、ガン!と殴りつけた。

 

 三十メートル程先の、自動販売機の前の二人の男女。仲よさそうに笑い合っている横顔が見えた。女性は男性の左腕を抱いて、男性は自動販売機に小銭を入れた。

 その男女は、缶コーヒーと炭酸ジュースを購入して、建物の一つの中へと消えていった。

 

 僕は、ひっそりと気配を消しながら、その後を追った。

 違ってくれと祈りながら。

 

 その建物の中は、薄っすらと薬品の匂いが漂っていた。換気しても取れないような、建物自体に染みついた匂い。

 ランチタイム中頃の時間帯であるためか、人の声は少なく、エレベーターの表示を確認して、階段から階を二つ上がる途中にも、人とすれ違うことはなかった。

 一段、一段と登る毎に比例して、緊張が蓄積されていく。

 最悪の展開を想起してからは、一瞬足りとも気を抜けなかった。

 三階のフロアにたどり着く。どこの部屋に入ったのかまでは、分からない。

 意識を集中させーー

 

 ーー女性の微かな悲鳴を耳が拾った。

 

 刹那。

 僕は一つの部屋のスライドドアを開けて、中へと飛び込んだ。表札を見る暇はなく、アルファベットが二文字、見えただけだ。薬品類が保管されていない場所であることを願おう。

 

 僕は、目に入ってきたものに、一瞬だけ息を飲む。一つの椅子の上で、男女が抱き合っているように見えたからだ。

 音を立てたのだ。当然だが向こうも気づくーーが、その前に、僕は青年の襟首を掴み上げ、女性を解放して、青年の顎を右足で蹴り抜いた。

 身体を半回転させ、崩れかけた青年に追撃の蹴り。三撃目は、空中で重心を無視した体勢でーー本当はクインケか赫子でバランスを取るんだけどーー胸につま先を突き刺した。

 砕く感触が、足の先から伝わる。青年は、ソファーの上を跳ねながら上を越えて、部屋の端にあるホワイトボードを巻き込んで止まった。

 弱い。

 彼がではない。僕がだ。

 身体能力が、段違いに低い。有馬さん相手ならば、今の間に何回やられているだろう。

 加えて、この身体にとって無理な動作をしたためか、引っ張られるような痛みが至る所で起きている。

 

 両肩をはだけさせた女性を後ろ手に庇う。

 極度の緊張を感じながらも、何とか間に合ったという実感。女性は無事だ。そうだ、女性を安心させなければ。

 

 「っ!錦くーー」

 「僕は喰種捜査か…!!っ…安心して下さい、もう大丈夫です。彼は、喰種です。少し離れて下さい」

 

 後ろから、息を飲む音。

 それと同時に、部屋の端に転がる、青年が起き上がった。彼はまさに、(カタキ)を見るが如く、僕を睨み付けていた。

 クインケは、当たり前だが手元にない。赫子もこんな場所では出せない。そもそも出せるのかわからない。武器は、脆弱な己の肉体だけだ。

 だけど、それでも負けるつもりはなかった。接触した時の感触で理解した。この青年もまた、Sレート喰種'オロチ'のレベルに、未だ至っていない。

 僕は、追撃をかけるべく、踏み出そうとしてーーーーゴン、と思いもよらぬ方向から、衝撃を受けた。その勢いに押されるがままに、僕は受け身も碌に取れずに地面を転がった。

 決して、身体的ダメージを受けたわけではない。その一撃は、あまりに非力で、それこそ避ける意思さえあれば、容易に避けることができた。

 では、なぜできなかったのか。

 保護するはずの女性から、角材で頭を殴られるなんて誰が予想できただろうか。いや、できるわけがないよ。

 

 「錦くん!逃げて!!」

 

 女性は更に、信じられないことを言う。

 言われた青年も、先刻の憎々しげな雰囲気は何処にいってしまったのか、気の抜けたように唖然としていた。

 

 「…なんで」

 

 何で。そんなの僕の方が聞きたかった。

 動くはずの僕の身体は、動いてくれない。身体は勝手に、僕の意思を拒絶する。

 

 「そんなのいいから、早く!!」

 「ッ!!」

 

 女性の叫びに促され、西尾先輩ーーいや、違うーーオロチは、ここから逃走すべく、窓がある方へと跳んだ。

 そして、窓枠に足を掛け、チラリと女性を見てーー上げた足を下ろしたのだ。

 オロチは、俯きながら床に降り立って、首を投げ出すように膝をついた。

 

 「やるよ、クソ白鳩」

 

 僕は今、状況を全く理解できなかった。

 人間が、相手を喰種と知った上で、手を貸した。この行為は重罪だ。女性も理解している筈。

 だというのに、オロチは女性の必死の行動を無視した。この意味が、理解できなかったのだ。

 

 「どうして!錦くん…!?」

 

 女性が困惑の入り混じった悲鳴を上げる。

 

 「うるせーよクソ女。……あーあ、いつか喰ってやろうって思ってたのにな…。まあ、ヤる分には結構使えたけど」

 「…錦、くん?」

 「チッ…まだ分かんねーのかよ。お前は騙されてたんだよ、マヌケで根暗なクソ女が。お前さ、馴れ馴れしくてほんとウザかったよ」

 

 女性は、心無い言葉に俯いてしまった。

 オロチが顔を上げて、動きを見せない僕を怪訝な目で見てきた。僕を見てどう思ったのか、もう一度、彼は舌打ちした。

 

 「どうせ、俺はここで終わりだ。最期に一口くらい喰わせろよ、クソ女」

 

 流石に、身体が反応した。今度は、抵抗はなかった。ここから先を認めることは、決してできない。

 しかし、またもや僕は虚を突かれた。

 赫眼を発現させたオロチを前に、女性は引くことなく、オロチに差し出すように、首筋を晒していたのだ。

 

 「……おい、何の真似だよ…クソ女。頭、イカれてんじゃねえの?」

 「…いいの。錦くんになら…いいんだよ。錦くんに会えなくなるのなら、私はもう生きたくない。だから、食べてもいいから……もう、一人にしないで…喰種だなんてどうでもいいから、お願い…一緒…に、いて…」

 

 言葉を止めた女性は、呆然としたオロチを見とめて、涙を零しながら微笑んだ。

 フラフラと覚束無(おぼつかな)い足取りで近づいて、両手を僅かに広げて、オロチの頭を抱きしめた。

 

 「私ね、錦くんのことが好きだよ。最期まで…一緒に、いたい」

 「………ぁー…くそ離れろよ…馬鹿じゃねぇの、クソ女」

 「錦くん……クソ女って…言わないで」

 「………ごめん…貴未」

 

 女性が、静かに過去を語る。どれだけ彼に救われたのか、悲しい思い出なのに、彼女は時折しゃくり上げながらも、柔らかな口調で話をした。

 

 まだ空気はそれほど乾燥する時期でもないというのに、喉がカラカラに乾いている。指先を見れば、小刻みに震えていた。

 唐突に、とっても何かをぶん殴りたい衝動に駆られた。

 それに、考えてみたら、こんな目立つ場所で彼が人間を襲う筈がなかった。一部の喰種にはそういう人もいるのかもしれないけど、彼らがこの部屋でしようとしていたことは、多分違った。今になって気づいた。

 

 窓枠から覗く空を眺める。

 曇り空だ。よかった、落ち着く。

 そのまま僕は、何もできないままに、黙ってひっそりと動かずに、暫く二人分の嗚咽を聴くことになった。

 

 彼らを視界の端で眺めながら、僕は自覚した。もういつの間にか、喰種捜査官じゃ《無く》なっていたことを。

 いったい、いつからだろうか。

 

 人間と、喰種。

 目の前のーー指一本触れるだけで壊れてしまいそうな、儚くも美しい光景が、ささくれ立っていた僕の心を慰める。

 そして、別の一部分を蝕んでいく。

 

 霧嶋さんの姿が胸に浮かんだ。僕が知っているほうの霧嶋さんだ。

 エプロンをかけて、少し哀しそうに微笑んでいる。

 けれど、それは変化した。

 昨日の夜、最後に僕を見下ろした時の霧嶋さんの姿に、変わった。

 

 

 

 

 

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