おはよう琲世   作:おんぐ

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中3

 

 

 

 

 

 「…ヒデ、あのさ…」 

 「どした、カネキ」

 

 前を歩いていた永近君は、振り向くことなく僕の言葉を遮った。

 

 「いや、なんでもないよ」

 「そっか」

 

 あの時、ドアの向こう側で知った気配があった。西尾錦は気づいていなかったみたいだけど、僕は気づいていた。

 

 僕は、西尾錦と約束をした。今後、二度と人間を襲わないことを、彼女の西野さんを交えて約束した。

 喰種相手に何の意味もない約束だけれど、彼は守ってくれると信じている。西野さんを抱きながら言ったのは、彼なりの意思の表れだった。

 僕は、許容したのだ。西尾錦にではない。僕自身にだ。

 人間を襲わないからと、西尾錦(グール)が人間を食べることを、認めてしまった。

 ーーありえない。

 そんな、まだ心にしがみついている捜査官の部分の声が僕を責めた。

 でも、じゃあどうすればよかったんだ。通報して、西野さん共々葬られることが、果たして正しいことだったというのか。

 そうは、思わなかった。思うことなんて出来なかった。

 だから、せめてもと、約束をしたのだ。

 僕は、醜さを認める。僕は自分を慰撫するために約束をした。これは正しいことだと、理屈ではない、感情論で通した。

 西尾錦は、僕の素性を一言も聞きはしなかった。僕も、それ以上を彼に聞かなかった。

 あの二人と関わることは、もうこの先一生、来て欲しくはない。

 

 

 今の僕は、どちらの社会でも生きていける。

 カネキケンは、この時点で喰種の世界を取っていたのだろうか。それが、全部なのか半分だけだったのかは、僕には知る由もない。

 だから、想像する。

 喰種の世界を取っていたとしても、カネキケンは人間の生活の全部を捨てきれはしなかった。食事の問題から、やはり喰種に関わるざるを得なかったのだ。

 そうだといいな。

 

 そして、気づいたことがもう一つ。

 僕は、喰種の世界に関わりたくないんだと、自覚した。

 人間として生きたい。

 その想いが、僕の根幹にある。

 諦めてもいるけど、しがみついてもいる。

 例え、喰種にどれだけいい人達がいようとも、僕はもう二度と喰種と呼ばれたくない。

 喰種を否定する意味ではない、僕自身を肯定したいのだ。

 

 

 

 

 

 さあ夢のキャンパスライフ。とはいかなかった。この一週間は、講義内容の把握や、特別に出された課題に時間を費やした。それこそ、寝る間も惜しんだ。

 提出期間はまだ先だったけど、こういうものは早目にしてしまう癖がついている。捜査官に成り立ての頃、アキラさんに、みっちりとご教授されたのだ。作業的なものは早く終わらせ、思考が必要なものに時間をかけろと何度も言われた。時間の活用は効率的に、だ。元気かな…。

 

 

 金曜日、午後に二コマ受けて大学を出た僕は、一人外をぶらぶらと歩いていた。

 永近君は午前で終わって、今はバイト中。夜、映画のレイトショーを観に行く約束をしている。

 それまでは時間潰しだ。

 

 思えば、こんな心境で一人歩くことなんて今までなかったかもしれない。心が広がるような開放感が気持ちいい。外出する時は、いつも誰かと一緒だった。

 何の目的もなく、目新しい街並みを進む。時折興味を惹かれては、ショーケースを眺めたり、店内に入ってみたり。書店でも、今まで手を出さなかったものを買ってみた。

 ふと、一つの喫茶店が目に入った。

 壁がガラスになっていて、店内が見渡せるようになっている。至る所に、本棚や雑誌が置かれている。

 よし、ここに入ってみよう。

 あの日から、インスタントのコーヒーしか飲んでいなかった。久しぶりのコーヒーの深い香りに惹かれた。

 

 店内に入る。二階席もあるらしい。

 どっちにするか迷って、やっぱり一階の席に決める。窓側の席は抵抗があったから、少し奥の席に座った。注文は、ホットコーヒー、砂糖ミルクなし。

 席を立つ。目指す場所は本棚だ。さっき買った文庫本を読むのもいいけど、ここはあの棚から選ぶべきだろう。店内に入った時に香った、古書の匂いがそそっていた。

 二、三冊興味のあるものが見つかった。本当は全部持っていきたいけど、そんな時間はないし、マナーも悪い。

 少し悩んで決めた。手を伸ばして本の背表紙に触れたところで、小さな手とぶつかった。なんだこれと、妙な既視感。ベタな展開に感動すら覚える。

 手を引いて、条件反射で謝ろうと横を向けば、ぶつかった人物と目があった。

 ひっ、と。風が鳴る音がした。

 息が止まる。

 目の先にいるのは、小首を傾げた女性だ。小柄な体躯。アップで纏めた髪。丸眼鏡。

 別人だ。

 あの時も、意識が錯綜していたのだ。顔だってぼんやりとしか記憶していない。違う、こんな場所にいるはずがない。

 しかし、全身が警報を鳴らしている。こいつは、あいつだと心が怯えている。

 

 「隻ッーー」

 「せき?」

 「ーーーー」

 「??」

 

 外に出そうになった言葉を飲み込む。

 僕は、何を言おうとしたんだ。この女性がそうだとしても、こんな場所で…そもそも、気づかれていいことなんて何一つない。

 しかし、出かかった言葉は取り消せない。女性の目が、スゥと不審なものに変わる。

 

 「せ、席、どこですか…?」

 「………へ?……うわー、ナンパって初体験…」

 「な、ナンパ…!?」

 「え、違うんですか?このトキメキはどこに向かえば…」

 「あっ…やっ……そっの……ナン…パです」

 「…ふっふー。おいでおいで」

 

 手を取られたとき、振り払ってしまいそうになるのを、必死に我慢した。

 僕が座っていた席より奥に案内されて、向かい側に座った。

 

 「お兄さん、お名前は?」

 「さ…佐々木ハイセです」

 「学生さん?」

 「…はい、大学の一回生です」

 「ふむふむ…あれ、これなんか私がナンパしたみたいじゃね」

 

 明るい感じの女性だ。こんな人が、あんな…。

 

 「私は高槻泉、年齢は聞いてはいかんぞ」

 

 高槻泉…どこかで聞いた名前だ。

 

 「おや、その様子だと私のことは知らないな君。こう見えて物書きやってるのだよ」

 「あっ」

 「私の本は購読済みかな?」

 「あ…はい」

 

 この女性があの高槻泉であることよりも、なぜこの場で自分のことを明かしたのかを疑問に思った。普通、こういうことは言わないんじゃ。

 …隻眼の梟。青桐の首領。ベストセラー作家…。

 

 「ほら、私可憐な容姿だから、追っかけとかあるわけだ。なので、カマを掛けてみた」

 「はは…」

 「ちょ、引くところじゃないですよ」

 

 やっぱり、明るく気の良さそうな女性だ。話せば話すほどに、繋がらなくなる。

 

 「ねえ、私の本好きじゃないでしょ?」

 「え、いやそんなこと…いつも、引き込まれてます。気づけば時間を忘れてしまうほど…です」

 「そう。でも、それだけじゃないよね」

 

 高槻さんは、じっと覗き込むように僕を見てきた。

 

 「うーん、あのね。クセって、誰かに指摘されたことある?」

 「…いえ」

 「ふっふ。ぼかァ、それを見つけたのさ。で、本音は?どんと言って。君が私の本を苦手にしてるのはもう分かってるからね」

 

 これ、なんて返せばいいんだろう。

 まず癖って何。そんなこと誰にも言われたこともないし、当然自覚もなんてものはない。

 しかし事実、高槻作品を苦手にしていることを知られた。作家の勘と言うものだろうか。

 他にも、この人の瞳には、何もかもを見透かされているようで、落ち着かない気分にさせられる。

 それに、僕なんかの批評を偉そうに並べられるわけがない。それも、本人に向かってなんて論外だ。

 

 「しりたいなー。しりたいなぁ」

 「いえ、その…」

 「言ってくれないと…大声出しちゃおうかな。私この喫茶店の人には知られてるし、君の立場悪くなると思うけど?」

 

 何を言っているのか、すぐに理解できなかった。しかし、高槻さんの含み笑いで理解する。この人は本気でやる。本当に訳がわからない。

 むかむかと腹が立ってきた。

 この人は、あの隻眼の梟だと、確証はないけどそう思ってきた。

 

 「そうですね…」

 「おお、その気になってくれた?わくわく」

 「実は…少しだけ苦手です」

 「おう」

 「短編以外…大事な人か主人公が亡くなりますよね…それが苦手…辛くて」

 「ふむふむ。ハッピーエンドをお望みと」

 

 興味深そうに頷いている。その仕草は酷く嘘っぽかった。

 

 「…上手く言えませんが…暗い感情が、読み手を引き込む文体の裏で見え隠れしていて…」

 「…ふむ」

 「でも一度気づけば途端に立体化する…哀しみ、怒り、空虚な感情……特に顕著だったのが……五作目でした」

 「……」

 

 高槻さんの表情が無くなった。僕は、一度目を逸らしてーーもう一度目を合わせた。

 ゆっくりと、この人に言い聞かせるように言葉を並べる。これくらいはいいだろうと、開き直っていた。

 

 「全部、壊してしまいたい」

 「……ふ」

 「すべてに絶望して、誰にも期待しない。だから、最後は全部を壊すように書かれて…ます」

 

 隻眼の梟は、その経歴を辿れば、わかりやすく破壊者である。CCGを襲い、喰種捜査官を殉職させたのは数えきれず。

 そしてこの人は、自分の書いている小説でも破壊者だったのだ。

 

 言い過ぎた。そう思ったのは、終わった後。僕は言いたいことを全て言った。

 よし帰ろう。

 あくまで、これは一読者の意見の一つに過ぎないのだ。批判なんて、世の中どこにでもある。こんなこと、この人は聞き慣れているだろう。

 まだ温かいコーヒーを、一気飲みする。

 

 「…失礼します」

 

 高槻さんの反応を待たずに、僕は席を立った。

 僕の思考は、この人を通報しようかしまいかの葛藤で占められていた。

 ただ通報してそれで解決ではないのだ。どうすれば…。

 

 「待て」

 

 高槻さんの隣を通り抜けていこうとした時、ギシリと、強い力で腕を掴まれた。

 逃がさないとばかりに掴まれた僕の腕は、冗談抜きに悲鳴を上げている。

 

 「ナンパ、したよなさっき」

 

 店員の一人が怪訝な目で見ている。それに気づいたのか、高槻さんの力が少しだけ弱まる。

 

 「おつきあい、しようか、佐々木くん。いや…ハイぃセくん。しようか」

 

 高槻さんは椅子から立ち上がった。僕の服の襟を掴み、嘘か本当かわからない調子のまま、耳元で囁く。

 

 「私、あなたのことが好きになってしまったわ」

 

 続く言葉は、聞かずとも想像できてしまった。

 

 

 




エト→ハイセのパターン。

あと一話で終わる予定です。ありがとうございました。
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