詰め詰めです。
「チッ、(ぁ"〜クソうぜえなもう)……ごめんねダーリン。売れっ子作家もなかなか辛いものでして…急用ができてしまったぜ」
たはは、と高槻さんは困ったように笑った。僕も釣られて笑ってしまう。
すると、彼女の笑みが悪戯っぽくなった。目と鼻の先まで、無遠慮に顔を寄せてくる。
「でもあなたの匂い、私ちゃんと覚えたから…会いたくなったらいつでも会えるわ!うふふふーー逃げようなんて考えてないよな、もし?」
「 」
「うーん、お返事聞こえないなぁ」
「はい」
「うんいい子、いい子よ」
店を出て別れた後。高槻さんは数歩先で振り返って、見た目相応に可憐に笑って小さく手を振ってきた。
体感で、一時間は話したような気がする。彼女は話し上手で、その上聞き上手な人だった。特に相槌のタイミングがよくて、何も知らずにいれたのならば、心から楽しく会話が出来ていたと思う。
表向きの性格の相性が悪くなかったことは認めよう。しかし時折、一瞬だけ高槻さんが見せる無機質な目が、僕をその度に現実へと引き戻した。
と、現実逃避はこれまで。
僕は高槻さんと交際する気なんて微塵もないのだ。できるわけがない。
ーーこれから、どうしたらいいのだろう。
考えても、考えても、考えても、何も浮かばない。
生け垣のブロックに腰を下ろして頭を抱えていると、地面に影が射した。頭を上げる。目と鼻の先に、人の顔が迫っていた。
「忘れもの」
そう言って、彼女は髪をかきあげて、僕の額に唇を堕とした。湿った感触。次に、吸い付かれる感触。最後にまた、ぬるりと湿った感触。壊れ物を扱うかのごとく、丁寧に行われたその一連の動作は、一つ一つ全てが鮮明に感じられた。
「しるし、つけちゃった」
「 」
目を細めて薄く笑うその顔は、僕が今まで目にしたどんなものよりも淫らで、ぺろりと口の端を舐め取る仕草は、まるで蛇のようだった。
小さく「おいし」と彼女の口からの音を、僕の耳が拾うーー。
僕は、かえる。
一旦、家に帰るかどうか迷った。まだ、待ち合わせまでにも時間がある。
喫茶店に入るまでは、新鮮さに心踊った風景も、今では何も感じられない。両肩に鉛の塊が乗せられたかのように、気が重くなっていた。
ーーふいに、雨の匂いが鼻腔を通り抜けた。
空を見上げれば、所々にどんよりとした雲が浮かんでいる。
ひと雨、来るのかもしれない。
そう考えて足早に歩いていたら、雨粒が手の甲を打った。慌てて折りたたみ傘を差す。それ以降、雨足は増すばかりだった。
確か…何だっけ…驟雨かな?早くやめばいいけど…。
「あんな親子がグールだったなんてな。いやー、初めて見たけど…バケモノになってからはヤバかった」
「ああ俺、目も見たんだけどさーー」
すれ違った、二人組のそんな会話。
ここの担当誰なんだろう、優秀だなあというのが感想だ。一般民の誘導も出来ているようで、何より。
しかし、区間封鎖はされていないみたいだ。サイレンが聞こえない。レート指定されてないような、力のない喰種相手だろうか。もしくは緊急時なのかもしれない。
っと。何か、踏んだ感触。
足を退けて下を見れば、一冊のノートがあった。雨に打たれて、水を吸い込んでしまっている。目に入ったのは、表紙に貼られている動物もののキャラクターのシール。そして、その下。
ピキリと、耳の奥が鳴った。
吸い寄せられるように、僕はノートを拾う。
一ページ、二ページと捲る。まだ内側は、それほど浸水していなかった。ページを捲る速度が増していく。
頭の中で飛び交っているのは、先刻の二人組の会話、親子、名前、一人の少女ーー。
半分ほど過ぎたところで、それ以降は白紙だった。ノートをバックに詰め込む。
そして、僕は歩き出した。自分が何をしたいのかをよく理解しないままに、衝動的に動き出した。
少女の慟哭は、雨音に打ち消されておらず。混ざるように、苛立ちの声、歓喜の叫び、呻き声。
周囲の建造物や地面のコンクリートを破壊しながら無造作に暴れ回る、二種四本の赫子。記憶にあるよりも頼りないけれど、間違いなく、僕を救ってくれた少女のものだった。
その中心に、小さな影が蹲っている。何かをかき抱いてーーその横に、首のない身体が一つ、横たわっているのが見えた。
そしてーー少女の一種類の赫子と、同じ姿をしたクインケ。…アキラさんが愛用していた、フエグチだ。使いこなすのに、とても苦労していた。しかし彼女はめげることなく、亡くなった父親から受け継いだものだからと、真剣に訓練を続けていた。それが、今ここにあった。
もう一人が手にするのは、円筒状の重量感のあるクインケ。その持ち手もまた、人並み外れた体躯だ。操術に優れているのか、少ない動作で対処している。
少し離れたところで、座り込んでいるのが二人。携帯を片手に、どこかに連絡をとっているのが見える。負傷しているようだが、大きな傷は見えない。
鼻の奥が、ツンとする。
母親を葬られ、父親のものだろう赫子で、今まさに亡き者にされんとする少女。
それを、歓喜の表情で、少女を追い込んでいく捜査官ーーあれが、アキラさんの父親。
その赫子をよこせ!よこせ!と狂気を滲ませながら叫んでいる。
亜門鋼太郎の手記によれば、アキラさんの父親はーー…そうか、あの人が亜門鋼太郎なのか。
あの時に閲覧した手記によれば、アキラさんの父親の死に関与しているのは、ラビットとフエグチ。
そして、現場に向かう亜門鋼太郎を妨害して、関節的に関与していると思われるーー眼帯の喰種、カネキケン。
ここに、ラビットはいない。つまりこの場で、アキラさんの父親は殉職しない。ここは彼が殉死した重原河川ではないのだ。
フエグチヒナミさんもまた、ここで死なない。何故なら、彼女は未来において、アオギリの構成員として生きていたから。
だから、きっとーーーー本当に?
何か…何か、ピースが足りない。足りないのは、何だ。彼女が死なないためのピースは……ラビット?アオギリ所属の彼、もしくは彼女は何処かにいるのか。
違う。
違うと何かが必死に叫んでる。
このままだと、フエグチさんは掃討されてしまう。彼女は、生き残れないと。
…彼女は、どうやってこの場を乗り切ったのか。
嘘だ。
気づいていた。その可能性に、本当はとっくに気づいて、見て見ぬふりをしていたんだ。
残るピースは一つしかないーー眼帯の喰種だ。カネキケンしかいない。
足りないピースは、僕なんだ。
僕はこれから、人として、間違ったことをする。対策法を真っ向から無視するこの行為は、死刑に相当するものだ。前のように、所有権を主張するのとでは、まるで違う。あの屋上の、虚偽の報告よりもずっと重い罪だ。
でも、僕はそれを自覚した上で、彼女を救う。
僕は明確な意思を持って、喰種捜査官に、彼らに敵対する。
不思議と迷いはない。いけないことなのに、後ろめたさもなかった。有馬さんや、アキラさん、シャトーのみんなが今の僕を見たらどう思うだろうか……。縁を切られるのは当然か。
フエグチさんは、僕を救ってくれた。だから、僕も彼女を救う…なんて、殊勝なことではない。その気持ちもあるけれど、それが一番じゃない。
ーーなんで、どうしてあんな子がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
あの時の、面会後の懐疑を、今はもっと強く思う。
こんなことは、あんまりだ。この世界はどこかおかしいんだと、そう思った。
僕は、あの子を殺させない。死なせたくないのだ。
顔を隠して、いざ飛び出そうとした時に、有馬さんの声が聞こえた気がした。
彼は、いつもの表情で、喰種と会話をするなと、僕を咎めている。
ーー口から、笑みが漏れた。
何故でしょうかーー。
暗い、暗い場所に、光が差し込む。鍵を閉めていなかったことに、今更ながらに気づく。
部屋の隅でビクリと動く影を横目に、僕は警戒しながら玄関に向かう。途中、全身に鈍い痛みが走ったが無視をした。
パチリと、電気がついた。突然目に入った光によって、チカチカと視界が揺れる。
「うおっカネキ!」
「…永近君」
「は?永近君って、おま…って、なんで真っ暗?ケータイにも出ねえしッッ!?……え、お前誰あの子…俺の幻覚、じゃねえーよな…」
僕は、その場に膝をついた。安心して、声も出せなかった。永近君の声が鼓膜を揺らす度に、僕の目から涙が溢れ落ちた。
ーー嗚呼、なんて醜い。
ずっと、誰かに話してしまいたかった。誰かに聞いて欲しかった。縋って、慰めてもらいたかった。
今まさに、我慢という水が容量を超えて溢れて、理性という壁が崩れていく。
ーーそうして、僕は自分勝手にも、未来に於ける全てを白状してしまった。
何年も前から溜まっていた感情の全てを、八つ当たりするように、吐露したのだ。
いつしか、カーテンの隙間から眩しいほどの光が差し込んでいる。
僕は、永近君のほうを見れなかった。
冷静になった今。彼に話してしまったことを本当に後悔している。どう考えても、彼には迷惑にしかならない。
そして何より、僕は恐れていた。
僕の…いやカネキケンの親友である永近君に拒絶されるのが怖かった。
僕は、永近君に親友の虚像を見ていたのだから。
「その子のさ、母親の…遺体は?」
永近君が最初に発した言葉は、フエグチさんへの気遣いの言葉だった。
「近くの、山に…埋めたんだ。…頭だけしか、持っていけなかった…」
簡易にだけど、お墓もつくった。その間、フエグチさんは、一言も発さなかった。
僕は今、自宅に着いて初めて、フエグチさんを正面から見た。彼女は、ベッドの上に座り込んで、音もなく眠っていた。目の周りは、痛々しいほどに腫れ上がってしまっている。強く握り締めている両手の中にあるのはきっと、母親の形見の指輪だ。
そっと寝かせて、布団をかけ直す。びくりと、一度だけ彼女は身じろぎした。
「…そっか。…うん、言いたいことも、聞きたいこともめっちゃあるけどよ…何つーか、頑張ったよお前」
永近君は、呟くように言った。その優しい声色が心に突き刺さって、ゆっくりと染みていく。
ああ、泣きそう。
その一言で、決して許されたわけでもないのに、堪え切れなくなる。
「前の…俺が知ってるカネキはさ…いや、前の前か。そうそれな。喰種として生きたカネキのことはな…未来のことだし、当たり前だけど俺知らんし。んであのさ、お前はさ…俺の知ってるカネキとそう変わらないぜ?」
「い…、でも…」
「あ、泣き虫にはなってるよな。年食って涙もろくなるとか、おじいちゃんかよっ!あ、でもそうなると…うーん、まあ…全く同じってわけでもねえけど…何つーか、記憶がねえってだけでさ、俺にとってのお前はなんも変わってねえってことよ。うん、これは同じだ。
お前は、一生俺の親友だぜ?これ絶対な」
途中から、自分の嗚咽でよく聞こえなくなった。でも、聞き逃しちゃいけないと思って、耳だけに意識を集中させた。
「しかし…お前昔からちょいちょい思ってたけど、表現が妙に厨二くせーのな…僕の中にいるカネキが囁くって、おまっ……想像したら結構面白いな……やべ徹夜明けのテンションかこれ!」
永近君は、何がツボに入ったのか、堪え切れない様子で笑った。僕は、泣き笑ったような情けない顔で見ていることしかできない。
「……ふー。笑わすなよな、カネキ」
「うん。…………ぁれ?」
僕は佐々木琲世。大切な人にもらった、僕だけの大事な名前。
でも、なんとなく。
今の"カネキ"はすんなりと受け入れてしまえた。
僕は、カネキケンとは違う。永近君は僕を同じと言ったけれど、やっぱり僕にはそう思うことは難しい。
でも、今までは感じていた違和感が、不思議と今の永近君の"カネキ"には、感じられなかった。だから、応えられたのかもしれない。
ーーお前は、お前だ。
アキラさんも言ってた。僕は、僕。
でも、あの時とは心境が変化している。あんなに悩んでいたのが嘘みたいで、変な笑いさえ込み上げてくる。
結局僕は、佐々木琲世であり、金木研でもある。それは変わらない事実。
それが、僕なのだ。
なんだか不思議な気分だ。清々しいわけでも、苦しいわけでもない。でも、打ち消し合ってゼロになったというわけでもない。
この感情を表す言葉は、何だろう。いや多分きっと、考えても見つからないやつだ。でも、それでいい。
「で、さっそく今後についてなんだが…まずは稼ごうぜ!せっかく未来のことわかってるんだし、これから物入りになると思うからよ。んで、とりあえずお前はその子を連れてーー今は東京から逃げろ!」
「あ…あは…は」
思わず、苦笑が漏れた。
ーー
それとも、僕が見ている夢に過ぎないのか。
まあ、どちらにせよ、いいことばかりではない。
でも、もし夢だったとしたら、もう少しだけでも見ていたいと思うんだ。
うん、夢でもいい。だから、もう少し。
僕の求めていたものが、確かに、ここにもあるのだから。
それから一週間後、僕とフエグチさんは公共の交通機関を使わずにーータクシーやレンタカーを乗り継いでーー東京から去るのだった。
完
おまけ
「なんであいつ来ねぇんだよ………好きって…いったくせに…」
「ん…?まさか、着拒?……ほうほぉう…」
ラビット ふすっふすっ
フクロウ ほーぅほーぅ
お付き合い頂きありがとうございました。
一話目の前書きの通りに、ハイセとヒナミで終わりました。(アニメ六話みたあと)
原作とは、ある意味逆かな?
ハイセメインで