会社辞めてマリア・カデンツァヴナ・イヴのヒモになった   作:雨あられ

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第1話

「今日も良いライブになったな、マリア」

 

「そうね」

 

わたしは観客たちの熱気を思い出し、興奮醒めやらぬ気分であった。

今日は歌もパフォーマンスも完璧、というのはにわかに自惚れが過ぎる気もしたが、そう思えるほどに素晴らしいライブだった。

 

特に今回の立役者はそう、目の前にいる彼女、マリア・カデンツァヴナ・イヴで間違いがないだろう。

 

自分も最高の歌を披露した自信があるが、今日の彼女はいつも以上に最高だった。歌を歌えばその声は山紫水明の如き澄み渡り、パフォーマンスではあのノイズたちと戦っていた装者としての彼女のような鬼気迫る迫力があった。

 

そんな彼女なのだが、カコカコと、先ほどからしきりに携帯をいじっており、話しかけてもどこか気の抜けた生返事しか返ってこない。何やら表情を緩めてすまーとふぉんを覗き込んでいるが……。

 

「聞いているのか?マリア」

 

「え?えぇ、聞いているわよ。あなたも素晴らしかったわ、翼」

 

そういってこちらを見て微笑んだのもつかの間、再び、ぴこん、というすまーとふぉんの音を聞き、画面に釘付けになったかと思えば顔を綻ばせるマリア……。ふむ、いつもライブ後は、喜びはするが課題点なども洗い出している厳格な彼女にしては珍しい光景だ。連絡先の相手は、暁と月読だろうか。

 

コンコンと控えめなノックの音が響く、私が気づかないほどの足運び……緒川さん。短く返事をすると楽屋のドアが開かれる。

 

「ライブ、お疲れ様です。翼さん、マリアさん。お二人はこれからライブ後のおまけ映像の撮影に映りますので、準備を始めて……マリアさん?」

 

と、緒川さんが説明している間、すまーとふぉんを握りしめ、体を震わせるマリア。どうかしたのだろうか。まさか、暁たちに何か……?

 

「マリア、どうかしたのか?」

 

「い、いえ、大丈夫よ」

 

ふぅー!と大きく息を吐いて呼吸を整えると少し赤くなった顔でこちらを見るマリア……その後、緒川さんの説明を聞いている間もマリアはしばし携帯の様子を気にしていたようであった。

 

 

 

 

 

 

 

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「今戻ったわッ!!」

 

バンと勢いよく扉が開き、そんな声が家の中へと響いてくる。

俺は料理を作っていた手を休めて、玄関の方へと向かうと案の条、彼女が帰ってきたらしい。俺と目があうと、ぱっと笑顔が咲いた。しかしすぐに目を閉じて少しキリリとした雰囲気に戻ってしまう。まだ仕事モードが抜けきってないらしい。

 

「お帰り。あれ、もう少し遅くなるんじゃ……」

 

「ただいま。す、少し早く帰ってこれたのよ」

 

手渡された荷物を受け取ると、彼女はズンズンと洗面台へと向かっていく。画面の向こう側で見ていた彼女が、今はここに居る。何とも不思議な気分だ。そこで、はたと料理の途中だったことを思い出して、スーツケースをリビングへと置いて台所へと戻ることにした。疲れた彼女に、最高の料理を振舞ってあげないと。

 

 

 

 

「メッセージで送ったけど、ライブすごかったよ」

 

「えぇ、出来れば生で見て欲しかったわね」

 

「いや、海外まで行くのは流石に」

 

作ったシチューを食べながら見ていたライブ中継の話をする。

彼女の名はマリア・カデンツァヴナ・イヴ。力強い歌声で世界的に活躍している女性アーティストである。本来なら俺のような一般人がこうしてお昼を食べることさえ違和感を覚える光景なのだが……。今ではそれが当たり前のようになってしまっている。

 

「でも本当にすごかったよ、特に火柱がドカンって上がって、マリアが炎の中から出てくるあの演出。かっこよかったなぁ」

 

「そ、そうかしら」

 

「そのあとに空を飛びながらの儚いバラード。いや、夢でも見てるようだったよ」

 

「そんな大げさよ」

 

しかしそう思ったのは事実だ。あの激しい炎の中を平然と歩き、落ちたら骨折じゃすまないような高度を凛々しいドヤ顔で浮遊する。俺だったら泣き叫ぶかもしれない。

 

「本当、普段から炎とか空中浮遊に慣れてるんじゃないかと思うくらいだった」

 

「そ、そんなわけないじゃない!?」

 

慌てて否定してくるマリア。まぁ、そうだよな。マリアの胆力あっての演出なのだろう。

 

「でも、でも本当、最高だったよ」

 

「……ふふ」

 

穏やかな表情で追加のシチューを更によそいながらどこかご機嫌なマリア。まぁ、あれだけのパフォーマンスが成功したのだ、嬉しくないわけがないか。

 

「そういえば、一緒に出てた翼さんも綺麗だったな~」

 

ピタリと、マリアの動きが止まる。

 

「翼?」

 

「うん、スラっとしてて美人だし、こうマリアとは違った歌声の良さがあってカッコいい……し……」

 

言いながら、徐々にマリアの顔色が暗くなっていくのがわかる。や、やばい!

 

「い、いや!それでも、やっぱりマリアの方がダントツで良かったな!俺は断然マリア派だよ。マリアの方が好きだ」

 

「な、何を言って」

 

「あぁ、ほ、ほら、シチューまだまだいっぱい作ったから冷める前に食べてくれよ。一応、マリア好みに作ったんだ……」

 

「私の為に……うふふ、そうね、ありがとう。とても美味しいわ」

 

マリアの機嫌が戻ったのを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。

危なかった、危うく家を追い出されるところだった。なんせ、今の俺は彼女の……

 

ヒモなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会社辞めてマリア・カデンツァヴナ・イヴのヒモになった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、特に目立った特徴のない人間だったと思う。

仕事は普通にこなし、荒っぽいこともしたことがない。月並みに言えばどこにでもいる普通の会社員であった。

 

そんな普通のある日のことだ。俺は日ごろの頑張りが認められ、大きなプロジェクトに参加できることになった。社長が直接打ち合わせに出張るような、そんな大型案件である。俺はやる気に満ちていた。優しい先輩は、冗談なんか交えて緊張をほぐしてくれたりした。

 

その出先の大きなビルの中で、やつらは、ノイズは現れた。

 

ノイズは認定特異災害として、この世界に現れた人類共通の脅威であった。教科書にも載っていたし、その存在自体は俺もよく知っていたが、実際に見るのはあの時が初めてだった。

 

絶対にかなわない恐怖。触れただけで、人生ゲームオーバー、それがノイズ。

目の前で、必死に椅子を振るったどこかの会社のハゲ社長は、一瞬でこの世界から消えてなくなった。

 

次々と灰のように消えていく重役たち。会議室は瞬く間に大混乱となった。そして、それは俺も例外ではなかった……とにかく、生きたいと、それだけを強く思っていた。ひたすらに出口を目指して走ったのを覚えている……崩壊するビルの中、俺は、なりふり構わず生き残ったのだ。先輩や社長は、この日亡くなった。

 

だが本当の地獄は生き残ってからであった。会社の人々からは、何故先輩や重役の人を置いて一人で逃げたのかと罵声を浴びせられ、減給の処分が出た。同時に、案件を逃した会社は大きな損失を招き、社全体の給与も下がった。

 

元はと言えば、全てノイズという脅威が悪い。

しかし、ノイズなんてものに難癖をつけることはできない、そんな存在よりも、ちっぽけな俺という存在の方が当たりやすかったのだろう。俺に同情してくれる人もいたが、いつもどこかから影口が聞こえて、気が付けば俺は会社で孤立していた。

 

先輩の残った奥さんや子供達に先輩の最期を伝えたのが、また辛かった。彼女たちからも、てっきり罵声を浴びせられるものだと思っていたが、逆に彼女たちからはお礼を言われてしまったのだ。そして、先輩の分も生きて欲しいと、優しく肩を叩かれた。

 

どうせなら、罵ってくれればよかった。なんで自分だけ助かったのかと。なのに、なのに、彼女たちは……。

 

様々な感情が毎日渦巻いていて、俺は心も身体も限界だった。会社を辞め、酒に溺れる日々が続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなある日のことだ。彼女に出会ったのは。

 

「ここは危険よ!?何をやっているの!!」

 

その時は、へべれけに酔っていて頭の中はぐわんぐわんと揺れていた。

公園のベンチに座ったまま改めて状況をぼんやり把握する。周りが騒がしいと思ったが……なるほど、また奴らが現れたのか……。

 

「別に、関係ないだろ」

 

次の瞬間、胸倉を掴まれて、バチっと、思いっきり頬をぶたれた!女とは思えない、すごい力だった。俺が目を白黒させていると、まっすぐに俺を見る水色の瞳。

 

「……生きることを諦めるなッ!」

 

ドンと、心臓を叩きつけられたかのような衝撃。久々に心が揺れた。

しかし、この混乱が、状況が、思い出させる、あの時の事を……。

 

「……別に死んでもいい」

 

「っ!!あなたッ!」

 

再びバシッと、今度は手の甲で頬をぶたれる。だが、俺は怒る気にも何にもならなかった。ただひたすらに気だるく、そして疲れていた。

 

『マリア君!急いでくれ!』

 

「……!」

 

俺の事をにらみつけて、走り去っていくピンク色の影。

そう、それでいい、俺に関わらなければいい。俺は、何もしなくていい……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バシャッと、水をぶっかけられて目が覚める。

何が起こったのかと慌てて飛び起きると、目に入ったのは水色の瞳にピンク色のネコミミ風ヘアースタイル、そして抜群のプロポーションを誇る長身の女性であった。

 

「あなた、家はどこ?」

 

「おい、何する……」

 

「家はどこ?」

 

ぐっとすごまれてしまい、言葉を失う。ヒリヒリと、ぶたれた頬が痛みだす。

 

「家は、なくなった」

 

「え?」

 

「仕事も、家も、何もかんもなくなったよ!!」

 

「っ!?」

 

そう吐き捨てると、相手は黙った。見慣れた反応であった。

実際、ここ3日、俺は公園で寝泊まりしていた。お金はまだ少しあったが、家賃を払うほどの余裕はなくなっていた。

 

「……わかったわ、じゃあ、ウチに来なさい」

 

「はぁ?何言って……」

 

「黙ってついてくるッ!!」

 

「は、はい!」

 

そう力強く叫ばれて思わず背筋を正す。

今思えば、あの時マリアは俺のためにかなり思い切った提案をしてくれたのだ。素性もどこの誰かも知らない相手を女の一人暮らしの家に泊めるだなんてこと、相当勇気が必要だったはずだ。俺は、そんな彼女の勇気に今も感謝している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ごめんなさい、少し耳の奥が痒くって……その、またお願いできないかしら」

 

「ん、ああ。おいで」

 

そういうと、猫のように嬉しそうにピンと耳を立てるマリア。

初めこそ、しみったれるな!とか言って喝が飛んできていたが、俺が事情を話し、本当に辛いということを伝えると、彼女は俺に親身になってくれて、優しくしてくれるようになった。そればかりか、行くところがないなら、どこか仕事が決まるまで家に居て良いとさえ言ってくれたのだ。

 

それからは、暫く彼女に甘えるように、引きこもり、彼女から衣食住、全てを与えられた。与えられるだけであった。

 

だが彼女の歌を聞き、頑張っている姿を見て、少しずつではあるが、頑張ろうという元気が湧いてきていた。彼女のために次第に家事や炊事をするようになり、今ではこういった耳かきやマッサージなんてこともやるようになった。

 

コリコリと、耳かきで彼女の耳をこすり上げると、んっと甘い声が聞こえてくる。はじめはムラムラしっぱなしでやばかったが、毎日人間はマリアしか見ていなかったので、次第に慣れてしまった。

 

「そこはッ!」

 

「ほら、あんまり動くと危ないぞ」

 

「ふぅ、ふぅ……」

 

ぐりゅんと耳かきを回転させると、ビクビクっと大げさに体を震わせる。大きいのが、取れそうだ……。

 

「はぅ……」

 

「見ろ、すげー大きいのが取れたぞ」

 

そういって見せてみたが、トロンとした目をしたマリアはあまり焦点があっていないようだった。

マリアは初めこそ、凛々しく、どこまでも強い女性なのだと思っていたが、実はそうではなかった。一緒に暮らしていると徐々に彼女にも弱い部分があり、普通の女性と何も変わらないということを知った。

そんな彼女に、俺は努めて優しくするようにした。落ち込んだ時は側にいて、慣れない手料理を作り、彼女が快適に過ごせるように頑張った。そうすると少しずつ、マリアは俺に対して素直な心を見せてくれるようになり、仕事の愚痴をこぼして弱さを見せて甘えてくれるようになった。いや、些か甘えすぎな気はするが……。

 

「今日も、疲れたわ……」

 

「うん、頑張ったな」

 

優しく頭を撫でてやると、マリアは小さな少女のように目を細めて膝に顔を擦り付けた。

可愛いなぁとは思うが、俺は彼女に対して好きという気持ちは抱いていない。いや、抱いてはいけないのだ。何せ彼女は世界的に有名なトップアーティスト、一方、俺はホームレスのヒモ。釣り合うわけがない……。

 

「はい、こっちの耳終わり」

 

「え、そ、そう……もう少しだけ…」

 

「あんまりすると、中耳炎になるからな」

 

残念な顔をして黙って反対の耳を突き出す彼女の耳を再び覗き込む。

いつか、働いて、彼女に釣り合うような男になれば、その時に俺はきっと……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最近毎日が楽しい。

それもこれも、全て彼が家に来てからである。

仕事は彼が見てくれると思うと普段以上に頑張れる。ノイズとの戦闘でも、彼が家で待ってくれていると思うと不思議な力が湧いてくる。家に帰れば綺麗な部屋に温かい食事、優しい彼……もう、昔どんな生活をしていたのか、思い出せないほど今の私には彼が居るのが当たり前になってしまっている。

 

「……そういえば、今週のジュンプを買ってなかったわね」

 

たまたま通りかかったコンビニを見て思い出す。

昔、彼に買ってきて欲しいと言われたジュンプは月刊?スクエア?いまだに良くわからないが、別の物だったらしく、不貞腐れてしまったのを覚えている。あれからは週刊を間違いなく買うことにしている。店員への確認も怠らない。

 

そうだ、それからデザートも買って帰ろう。彼は甘いものに目がないのだ。嬉しそうにプリンやケーキを食べている子供っぽい姿を思い出して、更に顔が緩む。

軽い足取りでコンビニに足を踏み入れると、しゃーせーという、店員のやる気のない声が聞こえてくる。それと同時に……

 

「あれ、マリアじゃないデスか!偶然デス!」

 

「あ、本当だ」

 

「!え、えぇ、そうね、偶然ね」

 

目の前には現れたのは調と切歌。二人とも、買ったばかりのから揚げ君を手に持って嬉しそうに私に走り寄ってくる。

 

「マリアもから揚げ君を買いに来たデスか?」

 

「え、えぇ、まぁそんなところよ」

 

彼のために、ジュンプを買いに来た。とは言えない。

何せ自分が彼を養っているというのは未だに誰にも話せていないのだから……。すぐに彼が立ち直って出て行くと思っていたし。まぁ、今は出て行かれては困るのだけれど……。

 

「マリア。この後何か用事があるの?」

 

「え?」

 

「そうデス!今から調と二人でクリス先輩の家に顔を出そうって話をしてたのデスよー♪」

 

「良かったら、マリアも一緒に……」

 

二つ返事で良いわよ。と言ってあげたかったけれど、今の私には……

 

「ごめんなさい。この後、少し用事があって」

 

「そうデスか、残念デス……」

 

「私の分まで、二人で彼女を可愛がってあげてね」

 

「クス、うん」

 

そうして去っていく二人を見送り、ふぅと息をつく。彼と過ごす時間が増えた半面。最近、調たちと過ごす時間が減ってしまっていたかもしれない。どこかで時間を見つけて……。

 

「あ、そうだ!マリア!」

 

「ど、どうしたの?切歌」

 

「今日マリアの部屋に泊まりに行って良いデスか~!」

 

「絶対にダメよ!!!」

 

「「え?」」

 

「あ、その、最近外出が多くて。部屋があまり綺麗ではないの、だから」

 

「わかったデース!じゃあ、また今度にするデース!」

 

ほ。今度こそ去っていく彼女たちの背中を見送る。切歌たちには悪いけれど、彼の存在を知られるわけにはいかない。だって彼は……うふふ。浮かれた気分でジュンプを買ったが、家に帰ってから週刊ではなくスクエアを買ってしまったことに気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マリアの様子、絶対、怪しいデス!」

 

「うん、何かあるね」

 


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