すっかり日は落ち、照明にさらされ続けるマトウは床に転がり、うめき声をあげていた。
「……」
「ん?」
檻を管理する兵士が、転がっているマトウが小声で何かを呟いていることに気づく。
「……」
「?」
聞き取ろうとして、兵士はだんだんと檻に近づいていく。そしてついに二人の距離は檻を挟んで10数センチほどに迫った。
「わあああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「うわああああぁぁぁ!!!」
「ホワァ!」
突如奇声を上げて飛び起きたマトウに兵士は驚愕し、顔面にパンチを食らって気絶した。マトウはそこに崩れ落ちた兵士の体を檻越しに窮屈そうに引きずり、懐に隠されていた鍵を取り出す。まんまと檻から抜け出し、照明を破壊した。
「ふぅ」
暗く涼しげな夜を取り戻したマトウは一つ息をつくと、無数の蝙蝠に姿を変えて森へ帰っていった。
薄暗い、光の入らない洞窟にリリィが運び込まれると、蟲たちはゆっくりと地面に降ろした。
「ようやく来てくれたね」
手をついて体を起こすリリィに対し、洞窟の奥から現れた男が優しい声で呼びかける。
「やっと…二人きりになれた…」
差し伸べられた手に引っ張られてリリィは起き上がる。仄かに入り込む月の明かりを頼りに、二人は見つめあう。
「あの二人はもう生きてここから出ることはないでしょうね」
「僕たちを脅かすものはなくなるんだね…」
背後に蟲達は見えなくなったが、ミヤマたちは休まず逃げ続ける。
「どうするんですかシャウラさん、地図もなしにリリィさんを助けに行くどころか…」
「ったって…私達じゃあの数はどうにもならないぞ!くそ、こんな時にデニスさんやセッツさんがいれば…」
その時、森の上を大量の蝙蝠が同じ方向に飛んでいった。
「っな、なんだ!?」
「…!」
「おいちょ、ミヤマ何処へ行く!?」
ミヤマが突然蝙蝠を追いかけ始め、シャウラもそれを追う。蝙蝠が向かった先に走り続けると、森の中に仄かな明かりを見つけた。さらに明かりに近づいていくと、あの屋敷にたどり着いた。
「明かりがついてる…」
ミヤマはドアを激しくノックする。
「マトウさん!いるんですか、マトウさん!」
「お前、いるわけないだろう。あの吸血鬼は城の門を使って厳重に」
ドアが開き、マトウが顔半分をのぞかせた。
「なんでいるんだ」
「…何しに来た。俺は引っ越すんだ、屋敷が使いたけりゃ勝手にしろ!」
「マトウさん、力を貸してください」
「イヤだね!」
マトウは乱暴に扉を閉めた。
「血がたらふく吸えるかもしれませんよ」
あっさりと扉は開かれた。
「おいミヤマ、早くしないとリリィさんが…!」
「小娘、とっとと本題を話せ」
「ちょっと待ってください、もう少し…」
屋敷に置いてあった、元の住人のものと思われる日記をミヤマはめくっていく。
「…やっぱり」
「ん?」
「いくら迷子になったとはいえ、地図にはない川にたどり着くほど遠くまで歩いていたとは思えなかったんです。あの地図はちゃんとした機関から出された公式なものだし、地図にはない川がもしあるのなら、大規模な災害…大雨とか。それを示すものがないか探していたんです。この日記見てください」
それは、ミヤマが初めてこの屋敷を訪れたときに読んだ日記だった。数ヶ月前に起こった大雨による土砂崩れについて書かれている。
「推測ですけど…この土砂崩れで、あの新しい川ができたんじゃないでしょうか。そして土砂とともに、もっと上流で暮らしていた蛭やボウフラ…蚊が運ばれてきた。地図を頼りに森に入った人や、大雨以前の森しか知らない人たちが蟲の餌食になった…」
「…だが、そんな噂、すぐに広まってもおかしくないと思うんだが…」
「それは…」
シャウラの指摘に答えられないミヤマを、マトウが鼻で笑う。
「その通りだ」
「マトウさん…」
「こいつらは川の存在を知ったものを徹底的に排除しているのだろう」
「蟲にそんな知恵があるのか…!」
「ない」
即答され、シャウラはずっこける。
「だが、こいつらが誰かに使役されているとしたら?こいつらはそのエルフとやらを殺さずにわざわざ攫っていったんだろう?」
ミヤマは何かを察したようだが、シャウラはついていけずに二人の顔を見回している。
「エルフの血は直接吸うのが一番美味い」
「ほら…あなたが欲しくてやまなかったもの」
男に抱きかかえられたリリィは右腕を上げると、手首にナイフを立てる。丸い血の粒が肘まで伝い、男の口元に滴り落ちた。男は口元の血をなめとった後に、リリィの肘に舌を這わせる。
「素晴らしい…」
「これからはずっと、あなたのモノになるの…」
「リリィさん」
呼びかけられたほうを見ると、シャウラにミヤマ、それに閉じ込められていたはずのマトウが立っていた。マトウのことを知らない男が疑問を投げかける。
「なぜここがわかった…」
「チッ…」
「リリィさん…どういうことなんですかこれは…」
「お前らが知る必要はない」
男が腕を振ると、洞窟の奥、外から大量の蟲が沸いてきた。
「イグルッグ!だめ!」
リリィがイグルッグと呼ばれたその男に制止を呼びかけるが、イグルッグは構わずに蟲を操り続ける。
「う、うわぁぁぁ!!」
ミヤマたちの体が蟲で埋め尽くされていく。その時、マトウはその姿を真っ黒い影に変化させ、瞬く間に洞窟全体を覆っていった。蟲を操っていたイグルッグはその様子にへたり込む。
「あ…青血族…!」
ミヤマたちを覆っていた蟲たちは影に攫われていき、イグルッグの背後で再びマトウの姿に戻った時には跡形もなくなっていた。イグルッグが振り向こうとしたとき、すでにマトウの手が心臓をねじ切っていた。
「う…あ…」
「雑魚ヴァンパイアが」
マトウが手を引き抜くと、イグルッグはどす黒い血を胸から吹き出しながらその場に崩れ落ち、その光景に思わずミヤマは目をつぶり、シャウラは目を丸くする。
「イグルッグ!!!」
リリィが亡骸を抱き上げ、悲鳴と嗚咽を漏らしながらその胸に顔をうずめた。目の前の光景を受け入れられない様子のシャウラを置いて、ミヤマは苦い顔のままリリィに近づいていく。
「リリィさん…説明してくれますか」
「…」
「あなたがデニスさんに手向けた花…調べたら、飾り方で花言葉が逆転するそうですね。つまり…『愚か者』」
「そんな…」
ミヤマの推理にシャウラが情けない声を漏らす。
「セッツさんを唆したのも、貴方ですか」
「あんたがいなければ…」
ぞっとするほど恨みのこもった声とともにリリィが、ミヤマをにらみあげる。
「…!ミヤマ離れろ!」
え?という声を漏らす間もなく、リリィの腕がミヤマの鳩尾を貫いていた。何が起こったのかわからない顔のままミヤマの体は傾き始め、リリィに髪をつかまれて持ち上げられる。ミヤマを盾にした状態で、口元についたイグルッグの血を舌で舐めとりながらシャウラとマトウを見回す。
「リ、リリィさん…デニスさんとは…今の男は…」
「私もあの男も…とうの昔に冷めてたのよ」
か細い声でミヤマが話しかける。
「やっぱり…あな…が…」
「夫も吸血鬼ハンターも青血族もあんた達もみんな死ぬ!私とイグルッグがいつまでも静かに…とんだ誤算だったわ、この子」
「…!」
リリィが体を揺らすたびにミヤマの腹から血が溢れてくるのを見て、シャウラが思わず一歩踏み出す。
「動かないで!!」
そこで、リリィもミヤマの出血の量に気づく。
「ああ、貧血の薬を飲んでるんだったかしら、失血死するのも時間の問題ね。早くここから立ち去りなさい!この娘を助けられるのはこの場に私だけよ!」
「嘘つけ。お前もう治癒なんてできないだろう」
マトウが冷たく言い放つ。リリィの瞳、肌、歯はすでに変貌を始めていた。
「それにそいつとは2,3日前にまだ会ったばっかだ」
ミヤマの鳩尾ごと、リリィの腹を貫く。リリィは衝撃でミヤマから手を放し、地に転がる。
「お前何を…!」
「空いてる穴に手ぇ突っ込んで問題あるのか。こっちの女はもう吸血鬼だ」
口調が変わるほど不機嫌になっているマトウに、シャウラは思わず黙り込む。リリィの傷跡は再生を始めていた。が、マトウは襟をつかんで洞窟の入口へ引きずっていく。
「生まれたての赤ん坊が盾突いてんじゃねえよ」
「ぐ…」
リリィは爪を立てたりして抵抗するも、マトウは気に留める様子もない。入口にたどり着き、リリィを突き出す。外は、今まさに朝日が昇るところだった。日に当たった部分から、リリィの体が消滅を始めていく。
「あ…あぁあぁぁあぁあああああああああ!!!」
完全にチリと化し、マトウはつかんでいた衣服を投げ捨てた。
「ミヤマ!ミヤマ!」
シャウラが顔を近づけて呼びかけるも、呼吸はすでに口から漏れるようにか弱くなっていた。
「シャウラ…さ…」
「喋るな!」
いつの間にか傍らに立っていたマトウに気づく。
「マトウさん…寒いです…マトウさーん…」
マトウはただ、黙って見下ろしている。
「救急セットじゃ足りん…森を出れても近くの村まで1時間以上…!」
「助かる方法はある」
マトウは座り込むと、ミヤマの体を抱き上げた。
「まだ生きたいか」
「マトウさん…怖くて…いやです…まだ…まだ…」
その言葉を聞くと、首元に噛みついた。
街の流通は回復し、商店が一つ減ったこともほとんどの人は気に留めることもなく、暮らしは落ち着きを取り戻し始めているようだった。
大きな通りを辿っていくと見えてくる、巨大な建造物。この街で義勇軍から国のお抱えにまで成り上がった彼らの本拠地。その一室で、シャウラは机を挟んで上司と向かい合っていた。
「降格処分に一か月の謹慎…ですか」
「不満か?」
「いえ…むしろ…思ったよりも軽いなと…」
シャウラは困惑した様子で頭を傾ける。
「だな。俺もそう思う」
「え…」
「だが、上の決定だ。俺には覆せん」
「そうですか…」
少し躊躇いながら、シャウラは上司に尋ねる。
「あの、お願いしていた調査は…」
「…夫人が半年ほど前から、しきりに郵便局を利用していた記録が残っていた。彼女程の魔導師なら、数度みればそれがどういう方陣なのかも把握できたのだろう」
上司が窓の外を遠く見つめる。
「惜しい人を亡くしたもんだ」
玉座に座る年老いた女性に、男が語り掛ける。
「…陛下、なぜあのような判断を?」
「そんなに気になりますか?」
「ええ。とらえた吸血鬼の管理不行き届き、同行した夫人の死亡、それに要観察人物の失踪…」
「夫人については言いっこなしです。我々も見抜けていなかったのですから」
「そうですか…」
男は女性の表情をじっと見つめる。
「なにか、良いことでもありましたか」
「フフ…そうね」
女性は嬉しそうに口角を上げた。
「元気そうで何より」
女性の手には、イノシシの牙に糸を通した簡素な飾りが握られていた。
森の中を、男が生け捕りにしたイノシシを引きずって歩いていく。
「ん…?」
薄暗い部屋のベッドの上で、ミヤマは目を覚ました。体を起こし、周りを見渡す。
「なんでこんなところに…。シャウラさーん。マトウさーん」
不思議そうに頭をかき、ベッドから降りて部屋を歩き回る。
「…?なんか…体の調子が…」
ふと、部屋の中に化粧台を見つける。ミヤマはその鏡を覗き込んだ。
そこには、自分の姿が
完