プロローグ 遠い誰かの想い出
……これは、誰かの遠い記憶。
忘れ去られたかもしれない、消えてしまったかもしれない。古い、古い記憶。その僅かな断片。
「もう!かけるくんがへやの中で紙ひこうきとばすから、みとねえちゃんにおこられちゃったじゃん!」
「だって、あそぶとこなかったじゃん。よーちゃんカゼひいちゃってひまだったし。そとだって、さっき雨がやんだばかりだし……」
「きのう雨のなかでうみであそぶからだよー!」
「あとでよーちゃんのパパにあやまらないとかな。うーん……そうだ、いまからそとでとばせばいいんだよ。あ、にじもでてるよ!」
「ほんと!? ……って、どうするのかけるくん?まどあけて……」
「とりあえずここからとばしてみるんだ!それ、ちかとってこーい!」
「ちょっと、わたしはしいたけじゃないよー!?」
「こら千歌に翔ー!お客さんいるのに騒ぐなー!」
古い記憶は、完全に消えてしまったように思えても、身体のどこかに残っていると言われている。
これもおそらく、その一つなのだと思う。
それでも、本人にさえ思い出せない記憶を、他の誰がそうだとわかるのだろうか?
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「このかみひこうき……あなたの?」
少しお洒落をした少女が、足元に落ちた紙飛行機を見てそう言った。
それを飛ばしたのは、先ほどの地元の少年と少女の2人。勢いよく飛ばし過ぎて、砂浜に立っているこの少女のところへと落ちてしまったようだ。
「そうだけど……きみは、だれなの?」
「うちのがっこうじゃないよねー?」
2人は、彼女に対して見覚えがなさそうにしている。それでも、洒落ていて見慣れない服装のこともあり、きっと観光客なのだろうということだけは、すぐにわかった。
外から来た少女の方も、突然落ちてきた紙飛行機とそれを飛ばした2人が、地元の子供だとすぐにわかったようだ。そして、子供というものは、何かのきっかけで、あっという間に仲が良くなるものである。
それは今回も例外ではなく。10分も経てば自然と一緒に遊ぶ流れになっており、悲しそうにしていた女の子からも、笑顔が溢れ始める。
「へぇ~……きみ、『とーきょー』からきたんだ!テレビでやってるとこだよね、かっこいー!」
「でも、どうしてこんなところにいるの? 『まいご』?」
「……ううん。おとうさんとおかあさんから、にげてきちゃったの……」
服装こそ一見、お淑やかそうな女の子だが、意外に行動的な一面もあるらしい。
このくらいの歳の子は、まだまだ親や学校が世界の全て。見知らぬ土地で、自分から意図して親元を離れるというのは、なかなかできることではない。
にもかかわらず、この子はそうした。それは同じく幼い2人からしても、何か特別な事情があったのだと感じさせた。……同時に、それこそが最初に悲しい顔をしていた理由なのだとも。
「いつもピアノをやりなさいってばっかりで、ちっともたのしくない。りょこうにきても、つぎのコンクールのはなしばっかりするから、ついカッとなったの……」
「ピアノひけるんだ、すごい! ……でも、それでひとりだったんだんなら、うれしくないか。ごめん」
「なんだか悲しそうだったもんね。ね、かけるくん。なにかはげましてあげられないかな……?」
何か、彼女を励ますことはできないか。そう少女は知恵を絞るが、肝心の彼女はもう、親のことを思い出して少し泣きそうになっている。
「どうしよう、こんなときに『よーちゃん』がいてくれたら……」
その顔を見て地元の女の子は慌てるが、少年の方は何かを決意した顔をしてすっと立ち上がると、足元の紙飛行機を拾って言った。
「よし、じゃあいいものみせるよ。ぼくがこのかみひこーきをあの『にじ』までとばしてみせる!」
その言葉通り……確かに今ちょうど、海の向こうに虹がかかっている。
何を隠そう、当の観光客の少女が、つい先ほどまで一人で眺めていたのも、この海と虹だった。綺麗な波と砂浜、輝く太陽と相まって、小さくとも幻想的な風景を醸し出している。
これがこの、沼津の……内浦という町の美しさ。
少年は、そこに紙飛行機を飛ばす光景を見せると言い出したのだ。突拍子のない言葉に、彼女の涙が止まりかける。
「にじを?……むりだよ。そんなにとぶわけない。どのくらいとおくに見えてると思ってるの」
「いーや、きっとできるよ!父さんのことばをかりると、きょうはいいかぜがふいてるし……もしかしたらうまくいくかも!」
きっと少年も、虹まで本当に届くとは思ってない。虹がどこから『生えて』いるのかはわからなくても、いくら追いかけても超えていけないことはそろそろ、知っている年齢だ。
つまり。あくまでも、この綺麗な景色に思いっきり飛んでいく紙飛行機を見せて笑顔にさせたい、という一心でいる。
「そんなのむりだよかけるくん、いままでだってダメだったじゃん……」
「ちかはそうやってすぐあきらめるからダメなんだよ。ぜったいぼくよりすごいのに、いっつもとちゅうでやめちゃうから。まあ、見ててって!」
「だって、わたし……」
『ちか』と呼ばれた少女は何か言いたそうにしているが、また口ごもってしまう。何か理由があるのだろうが、『かける』と呼ばれた少年はいつものことなのか、気にせずに観光客の少女に頷く。
そして、紙飛行機を投げた。
———————そこの先を見る前に、少しだけ。これを見ている人間の意識が覚醒した。
どうやら、この記憶の持ち主は眠っており、かつ走馬灯に近いものを見ているらしい。普通なら思い出されないような事も、断片的に掘り起こされては、消えていく。だから、この先のことは今はわからない。
一つ確かなのは、この日の光景は3人の記憶にずっと残っていったということ。
想い出を飛ぶ紙飛行機は、それぞれにその意味を変えて。少年に限っては、夢の始まりになった。一緒にいた女の子にとっては、一つの衝撃になった……。
そして、観光客の少女には、しばらくの元気と、未来のある曲のイメージになった。
それからも、時は進み続けたのだろう……また別の記憶が甦る。
「しょーくん、いい加減『将来の夢』の作文、どうするか決めた? 間に合わなかったら、また先生と美渡ねえ怪獣に絞らられちゃうよ~……」
「怪獣って……確かに怖いけど。あと千歌、だから僕は『かける』だってば。僕たちも大きくなってきたんだから、そろそろ慎みとか色々さ」
「中学なんてまだまだ子供でいーでしょ? それに、いくつになってもこっちの方が呼びやすいからいーのっ♪」
中学生になった少年と少女は、昔から家が隣同士。だから家族も同然で、今日もこうして一緒に帰っている。
「やっぱり僕は……、誰かを笑顔にする仕事がしたいな。みんなが笑って暮らせるなら、それ以上のことはないって思うんだ。 まぁ、具体的には何にも決まってないんだけど、母さんのこともあるしさ……早めに仕事に就きたいよね」
「しょーくんは変わらないね~。あっそうだ!それなら、十千万に永久就職しちゃえばいいんだよ。おばさんも安心、私も安心だよ♪」
「何が安心なのそれ、将来が心配な成績なのは千歌の方だし……。でも十千万のお客さん、いつも笑顔だもんね。僕もあんな風に……」
少女の言葉には、おそらく言葉以上の想いが含まれているのだろうが、少年はそれに気が付いていない。
それは幼馴染という関係がそうさせたのか。それとも、彼が鈍感なのか。この『夢』の内容からすれば、おそらく後者である。
「あっ、そういう千歌の方こそ、何か決めたの?将来の夢」
「ほぇ? わ、私は……しょーくんが十千万に来てくれるなら私も……」ゴニョゴニョ
「千歌、何か言った?」
「ううん、なんでもないよ! 私の夢、かぁ……」
少年は齢にしては少々子供っぽい理想を口にし、少女は逆に少し大人のような理想を抱く。だが、なんにしてもこの2人には、将来はまだまだ先のこと。
一緒に歩んでいくこんな日常が、なんとなく、ずっと続くと思っている。この若さではまだ、人生でこれから待ち受ける良いことも悪いことも、想像なんてできるわけがない。
……お互いの別れも、再会も。なにひとつとしてわかる齢ではなかった。
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海の中で溺れているような感覚……。
いや、実際溺れていたのか。
どこからか海に落ちたのか……それとも、初めから海の中だったのか。どちらにせよ、真っ暗な水の中で手足を上手く動かせずに沈んでいった記憶が、たしかに残っていた。
こういう時は、どうすれば助かるのか?なぜこうなったのか……それをひたすら考えるのが、普通なのだと思う。でも俺の頭はそれよりも、さっきからの走馬灯の内容について考えることを優先している。
「よし、じゃあいいものみせるよ。ぼくがこのかみひこーきをあの『にじ』までとばしてみせる!」
紙飛行機が虹まで届くなんて不可能だってことは、多分この幼い子たちもみんなわかっているのだろう。
でも、そのくらい飛んでいく姿を見せたい。そして、泣きそうだった彼女に笑ってほしい。その一心できっと、少年は約束した。
「そんなのむりだよかけるくん、いままでだってダメだったじゃん……」
……そういえば走馬灯とは、死に瀕して脳が生き残る方法を過去の記憶から必死に見つけ出そうという現象なのだと聞いたことがある、気がする。
だとしたら、今見えているのはそれなりに理に適っているのか。
ならこれはいつの記憶で、誰といたものなのだろう?
そもそも、本当に俺の記憶なのか? ただの幻覚じゃないのか?
走馬灯なのだとしたら、助かるための何を見つけ出せるというんだろうか……?
紙飛行機なんかと、この海で……
……だが、幸か不幸か。この走馬灯は唐突に終わりを告げた。重苦しさもどこか軽くなった気がする。どうやら地上に打ち上げられたらしい。
目が覚めて、最初にわかったのは太陽の輝き。しばらく閉じていたであろう目は、急な強い光に耐えられずに思わず瞑ってしまぅた。
次に、耳に入ってきたのが静かな波の音。潮の匂いと、砂の感触。そして濡れた身体の冷たさも感じてきた。どうやら俺は、砂浜にいる。
だとすると、本当に海の中にいたが、なんとか溺れ死ぬことだけは避けられた……というところなのだろうか?
一安心して、とりあえず身体を動かそうとするが、流石に体力を消耗しているようで、上手くいかない。海水はあまり飲んでいないが、一時的な酸欠と身体の痛みやだるさを感じる。
だが、動かなくても動かなくてはならない。
季節はまだわからないが、暑くはないし、空腹も感じる。体が冷えたまま砂浜に居続けたら、もし誰かに見つけてもらえても、後で体調を崩してしまうだろう。せっかく助かったのに、それは避けるべきだ。
……周りには船が見えてきて、建物もあり、車が通る音もしている。無人島じゃないあたり、どうも俺はツいていたようだ。
そうして……5分ほどだろうか? フラフラだから時間は不正確だがどうしようもなく唸っていると、誰かが近づいてきたのがわかった。
一人分の足音と、声だ。それも、どこか懐かしさを感じるような————
「あのー、どうしてこんなところで寝てるんですか?」
それは、オレンジ色の髪の毛と、くりくりっとした可愛らしい目が特徴的な少女。俺は今、見覚えがないはずなのに、この少女に懐かしさを感じていた。
————彼女とは、どこかで会ったのだろうか?
「……って、身体すっごい濡れてるよ。もしかして溺れちゃった!? でもまだ海は寒いし……あ、だから溺れたのかー! い、意識とかあるのかな……あのー、生きてますかー?」
俺は俺で困っていたが、彼女も彼女で困っている。
どうも、俺のことを哀れな水死体か、その一歩手前だと思われてしまったようだ。人を呼んでくれるならありがたいが、死体扱いで騒ぎになるも避けたい。なんとか倦怠感を振り切って、口を開いた。
「……死んでたら、返事できないでしょ」
「わあ、死んだ人が喋った!? ……ってあれ? よかったぁ、生きてて……」
やっぱ、死んだと思われてたのか。
この娘はおっちょこちょいで早とちりなところがあるみたいだ。でも心配してくれてるあたりは、優しい娘なn……
「いくらなんでもウチの前で人が死んじゃったら旅館の経営大ピンチだったよ~……」
……おいおい、仮にも人がこんな状態なのに自分の旅館の方の心配か。前言撤回。生きてたからこその反応なんだろうけど、なかなかタフな娘だったらしい。
(まったく、『久々』に会っても変わってな————)
ん?俺、今何を考えて———……
「って、あれ? もしかしてキミ……翔(カケル)くん?」
———彼女が唐突に、『俺の名前』を口にした。
それは確かに俺の名前だ。そして、それを知っているということは……
「ってことは、翔(しょう)くんだよね!? わーっ、久しぶり!!」
やはりそうだ。向こうは俺のことを知っているらしい。確かに、俺の名前は翔(カケル)だ。みんなにはだいたい、今みたいに呼びやすいからと『ショウ』と呼ばれるんだが。
……って、『みんな』って誰だ? それに、苗字は……?
「え、えっと……君は誰かな? そしてここは……どこ?」
何も、思い出せない……名前は覚えてるのに?
「えぇーっ!? こ、これって記憶喪失ってやつなの!? 『しょーくん』に忘れられちゃったよぅ……」
俺の質問で、だいたい状況を察してもらえた。俺は自分の名前以外何も思い出せない、記憶喪失の状態だったんだ。そして、旧知の仲を自称する彼女は、タオルを取ってきて俺の体を拭きながら名前を教えてくれる。
「忘れちゃったなら仕方ないよね、何度でも言ってあげるから♪」
だが、不安は感じなかった。彼女の笑顔があまりにも眩しくて素直で、『ああ、きっと大丈夫なんだろう』と思ってしまったからだ。
「私は高海千歌!高校2年生!! 『しょーくん』と私の仲だし、『ちかっち』って、呼んでくれていいよ!」
それが、『最初』の出会い。自称『普通の少女』と『記憶喪失の俺』との間に訪れた、奇跡の始まり……。
「記憶はないけど、それは辞めとく。なんか、誰も呼んでなさそうだし」
「えーっ!?なんでわかったの!?しょーくん超能力者……?」
……だった、のかもしれない。
ラブライブ! ~ヤンデレファンミーティング~
Aqours長編
「10人目の名前を呼んで」
プロローグ 了
μ's長編完結から、長らくお待たせしました。ここからAqours長編スタートです。