私がもっともっと子供だった頃。
もう殆ど覚えてないけど、お姉ちゃんのそばに、もう1人男の子がいてくれた気がする。
「ルビィもぼくもなき虫だもんなぁ。いっつもダイヤに助けてもらってばっかりで……」
その人はそう言ってたけど、私はそう思わなかった。あなたは私とは違う、本当はずっと強いんだって。
原っぱで遊んでても、転んだらすぐに助けてくれたし。意地っ張りで真面目だったせいで他の友達から誤解されがちだったお姉ちゃんの事だって、いつも気にしてあげてた。
きっと、困ってる人や悩んでる人がいたらほっとけない、とっても優しい人なんだって……そんな人が弱いわけないって、心のどこかでわかってたから。
昔の事だけど、お姉ちゃんに勇気付けられたのと同じくらい、大切な思い出。物心ついてからはあった記憶はないけど、私の人見知りが酷くなったから、お姉ちゃんが会わせてくれなかったのかな。
それともお姉ちゃんが……
自分だけ、逢いたかったのかな……。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「え、ルビィちゃんのお姉ちゃん……最近元気がないずら?」
「そうなの花丸ちゃん。何日か前から凄く悩んでるみたいで……心配だよぅ……」
華の女子高生たちの会話が耳に入ってくるここは、沼津の商店街にある本屋。アーケードな商店街の中にあるということもあって、土曜日の今日はお客さんで賑わっていた。
ダイヤに、松浦さんに、そして東京から来た桜内さん……だったか?の3人に厳しい視線を向けられた入学式の日から、既に数日。
用務員としての仕事が本格化する前に、俺は今日も日雇いのバイトに勤しんでいる。この本屋のレジ係だ。
店内は賑わっていると言っても、なんだか久しぶりに千歌と一緒にいない日なので、これはこれで静かだと感じるんだけどね。
「以上で、1990円になります」
……しかし、このレジ打ちや接客の仕事というのはなかなかに大変だ。
シンプルゆえの大変さというよりは、十千万みたいな旅館もそうだろうけど、誰かと顔を合わせて商売するというのはそれだけで気力を使う気がする。2年間俺が何をしていたのかは謎だが、接客業の経験がないのは間違いない。たぶん。
とかなんとか物思いに耽りながら突っ立っていると、見覚えのある顔が近づいてきた。俺にこのバイトを紹介した張本人、渡辺曜が。
「お、翔くん土曜の朝からやってるねー。感心感心♪」
「なんだ曜か。人のバイト先に来るとは趣味が悪いな」
「そう固い事言わない♪ ……って、人の学校にバイトに来てるのに何言ってるの。しかも女子校の」
うぐぐ、冷やかしに来たと思ったら、精神攻撃まで仕掛けてくるとは……なかなかやるな曜。
……あれ以来、千歌はどうすればダイヤに認めてもらえるのか頭をひねっている。部員の人数の問題でもない、俺の存在だと言われて、しかも詳しい理由が分からないときてる。誰だって混乱しても仕方がない。
「それにしても、生徒会長にも困るよね。翔くん、本当に心当たりとかないの?」
「全くない、皆目ない。全然ない!……おおかた、男子がスクールアイドルに絡んでると変な奴に目をつけられないと心配してるんだろう。ただでさえ小さな高校なんだし」
「そうなのかなぁ……それだけじゃないように見えたけど。まぁ、ここで悩んでも答えは出ないんだけどね」
過去の出来事やダイヤとの関係ついては、まだ詳しく話すことはできない。
俺自身が知らないのもあるけど、下手にスクールアイドル絡みで俺に落ち度があったのだとしたら、千歌と曜がやっていくのにも変な負い目を作りかねないから……という配慮だ。
「って、曜よ。レジで立ち話もほどほどにしなさい。買うなら買う!買わないなら買わない!」
「ちぇ、了解であります。じゃあ私からは……ほらコレ!」
なんだ、ちゃんと商品持ってきてたのかよ紛らわしい……。
……ん? コレ、スクールアイドルの特集雑誌じゃないか。こんなものまで出てるのかよ?
綺麗なウェディングドレスの女の子が表紙だ。確かこの人も『μ's』、だったよな。確か、星空凛って人。
あれから何度か調べてみると、μ'sは結構前のスクールアイドルだったと知ることができた。にも関わらず、未だに当時の写真が表紙を飾るのだから、千歌が影響を受けたのも然り、そのパワーは図り知れない。
「曜の事だから、まーたコスプレ本かと思ったけど、本当にスクールアイドルって大人気なんだな。仮にも高校生の部活が、雑誌まで売られてるなんて……甲子園球児も顔負けだよ」
「コスプレや制服が好きで何が悪いの、翔くんも好きなくせに。……スクールアイドルのことを私も勉強しなきゃ、って思ってね。読み終わったら翔くんにも貸してあげるね?」
うぐ、いつのまにそれを見破られてたんだ……!?どうせ、この前そんな話しちゃったのを、千歌が話したんだろうが……
でもしょうがないだろ!得意げに美少女sのコスプレ写真見せられたら、大抵の男子はオチるって!堕天だ堕天!
だがまだ、カマ掛けの可能性もある。悟られないようにしなくては……
「……そ、そそそそりゃ、有難いな! ハイ、会計は890円でございますです」
「動揺しすぎでしょ……てか、まけてくれないの!?せっかく脅したのに!」
「社会通念上、レジ打ちにそんな権限があると思うか!?それも私的な脅しで!常識で考えてくれ!」
くっ……やはり、ばれている!?
商店街のおばちゃん達も微笑ましく見守る痴話喧嘩。勿論、本気の喧嘩じゃない。お互いの顔も笑っている。
まだ、『今の』俺にとっては短い付き合いだけど、だからこそ曜みたいな友達が命綱でもあるんだ。何より、今は同じ部活を立ち上げようと頑張る仲間なんだし。
……仲間、か。
「……ちなみに、聞いてみたいんだけどさ。曜はどうしてそこまで千歌を助けるんだ?」
俺と曜のことは聞いた。千歌と俺のことも、この前少しは聞けた。だけど、千歌と曜のことはあまり聞いてない。
「あっ、そっか。この前は翔くんのだけ聞いちゃったもんね。私の場合は……うーん、一言では難しいけど、『親友だから』?」
「親友……?」
「うん。親友ってさ、やっぱ色々いっしょにやってみたい!って思うものでしょ? 私は水泳で、千歌ちゃんはピンと来るものがなかなかなくって、そういう機会がね……」
親友。
『私とあなたは……親友、でしたわ』
ダイヤはあの時、確かにそう言った。あれがウソだったとは、とても思えない。
俺とダイヤも、親友なのなら何か一緒にやってたのかな……?
「だから、千歌ちゃんが『スクールアイドルをやりたい!』って言って、誘ってくれた時……すっごく嬉しかったなぁ。やっと一緒にできるって、ね!」
「……曜は、本当に千歌のことが好きなんだな。俺と違って一緒にステージに立つんだろうから、よく見てやってくれよ?」
「翔くんも用務員さんなんだから、しっかり見ててよ~? 顧問の先生がつくかも怪しいんだし、元気な時の千歌ちゃんは私一人じゃ荷が重いからねっ」
そういえば、部としてやっていくなら顧問の先生も必要なのが普通なんだけど。浦の星は大半が兼部でたくさんの部を維持している状態なので、明確に監督や指導が必要なところ以外は、顧問の先生もいないも同然だ。
おそらくスクールアイドル部が設立されても、先生は名前だけだろうなあ。……私立の自由度を活かして、実質同好会のまま俺が顧問代わりとか、やらされないよな?
「そうだな、なんとか頑張ってみようか。それでも、親友で同じ女の子の曜なんだから、一番見ててもらわなきゃ困るよ。千歌を取ったりしない程度にさ」
「そうそう、用務員になって手伝う!って言い出した時は心配になっちゃったよね。翔くんが千歌ちゃんに取られちゃうー!……って?」
「おいおい、テンション上がりすぎだ。逆だろ逆」
「……えっ、あ! ああ、そ、そうだね。言い間違えちゃった!あはは……」
曜があんまり言い間違いを恥ずかしそうにしているから、指摘したことを少し後悔してしまう。そんなに顔を背けることないだろうに、どうしたんだろう?
実際、別に俺は千歌を取ったりはしないよ。こんなに千歌のことを心配してくれてる親友がいるのなら、俺なんか出る幕はないさ。
……だからこそ、俺のことを親友と呼んでくれたダイヤとは、きちんと話をつけないとならないのかもな。全部思い出して、俺自身で……。
「あ、あの〜……レジ、良いですか?」
と、仲良く話しすぎていて、すっかり仕事を忘れかけていた。
見ればそこには、いかにも文学少女という雰囲気を持つ女の子が、大量の本を持って待っている。年齢を考えれば、大学生って事はないだろうし。たぶんご家族で読む分も含めてお金を預かっているのだろうか?
持って帰れるのか、さすがにご家族が車で来てるだろうとか心配しながら一つ一つバーコードを読み込んでいくと、途中で見覚えのある雑誌が目についた。今さっき曜が買ったスクールアイドルの雑誌だ。
(この娘もスクールアイドルに興味があるのか、凄いんだな……)
そんなことを考えながらまた一つ値段を加えた時、唐突に曜が声を上げた。
「あーっ!翔くん、この子だよ! この前の入学式で、私達の話を聞いてくれたの!!」
いきなり何を言ってるんだ、入学式?
アレは盛大に空ぶってたんじゃ……
「あっ、あの時の先輩ですか? たしか、『スクールアイドルやる』っていう……」
え、この少女も普通に反応してる。話が読めないのは俺だけ?
「ちょ、ちょっと待ってくれ。曜、俺はそれ初耳なんだけど」
「ああ、翔くんジュース買いに行ってたっけ! そのすぐあとに生徒会長が来たから……」
なんだそれ……じゃあ、あのジュース買いに行ってる間に1人は勧誘成功とまではいかずとも、興味を持ってくれてたのかよ。
やっぱ俺って要らないんじゃ……女子校でやっていけるのか、記憶喪失実質中卒状態用務員……。
「でも、もう1人いたよね。今日はあの娘は一緒じゃないの?」
「ああ、ルビィちゃんですか?それなら……」
「花丸ちゃん、お会計あとどれくら……ピギャっ!?」
1人どころか2人だったことまで知らされる。知らない間に部員候補が増えていて嬉しいやら悲しいやら……とか考えていた矢先。
俺を見たその子は本棚の陰に隠れてしまった。涙目で変な声まで出て、ビクビクされている。
……あれ? ここんとこ、俺に対する女子からの反応ってこういうの多くない? こっちの方が涙でてきた……。
「あー……、今の女の子がそう?」
「はい、ルビィちゃんっていうんですけど……見ての通りすごい人見知りなんです。って、どうかしましたか……!?」
「ああいや、ここんところ女の子に睨まれたり誤解される事が多くて……俺のせいじゃなかったら嬉しくてさ……」
「よしよし。翔くん、私が付いていてあげるから……」
彼女の説明によると、単に人見知りの女の子で、ましてや男の店員を突然見てしまったのが原因なのだろう。曜に慰められながら、俺が悪くなかったことに無駄に喜んでしまった。
「な、泣かないでください……。初めまして……く、黒澤ルビィです……。花丸ちゃんと同じ浦の星女学院の1年生です。よろしくお願いします……!」
かえって彼女の方も申し訳なさそうにしているし、向こうから挨拶もしてもらえた。と来れば、人見知りは本当なのだろう。こちらからも自己紹介をしなければならない。
見えるかどうかはわからない距離だが、一応バイトの名札を指しながら名前を告げる。
「俺の方はこのネームプレートにある通り翔(カケル)なんだけど、めんどくさいからみんなが使ってるあだ名でショウって呼んでくれ。齢は17か18。色々あって、浦の星女学院で用務員をしてるんだ」
「あ、そうだ。オラも自己紹介します。この春から、浦の星女学院に通ってます、1年生の国木田花丸です。用務員さんだったら、お世話になりますね!」
うんうん、礼儀正しい文学少女だなぁ……千歌にも少しは見習ってほしいものだ。あっちのルビィちゃんといい、こんな美少女が2人も入ってくれたら、美少女4人。部活の申請に必要な5人にもだいぶ近づくし、ステージも相当注目を浴びるんじゃないか?
……って、何か引っかかるワードがあったような……
「……『オラ』?」
「ああっ!? し、しまったずら。ま、また『オラ』って言っちゃったずらぁ……」
「…………『ずら』?」
咄嗟に自分の口を塞ぐ国木田さんと、ポカンとする俺。少しの沈黙が流れてから、曜に咎められてしまう。
「翔くん! なに後輩をいじめてるの!?」
「え、イジメだったのか!? なんかごめん……」
「き、気にしないでください。オラ……じゃなくて、私はコレが方言で、口癖なんです。お婆ちゃんっ子で、お家も古いところなので」
あ、そうなんだ。確かに山梨と静岡の間の方の方言が、こんな感じだって志満姉さんたちが話してた気がする。少なくとも、方言まで忘れちまってる俺よりはよっぽど親孝行で立派な事だから、恥ずかしがらなくていいと思うな。
「いや、俺はいいと思うけど。方言系スクールアイドルっていうのも可愛いと思うし。そっちの黒澤さんも、是非スクールアイドル部を考えてみてくれたら……」
「か、可愛い!?」
「ピギャッ!?」
「………………翔くんは歳下の方が好きなの?」
何気なく褒めただけなのに、各々の反応はひどくバラバラだった。
国木田さんは照れて、黒澤さんは視線が向いて驚き、曜は何やら不機嫌になっている。みんな表情豊かで忙しいな、と思いながら、またしても忘れかけていたレジの作業に復帰したが、その中にスクールアイドルの雑誌の2冊目を発見した。
俺が注目したのに気が付いたのか、国木田さんが説明を入れる。
「あ、その本はルビィちゃんのぶんなんです。2人で一冊ずつ買うので、間違いじゃありません。オラ……私はダンスとかしたことないんですけど。ルビィちゃんは昔からスクールアイドル大好きなんで、是非誘ってあげてください」
「そうなの? ルビィちゃん!」
「は、花丸ちゃんの言う通りです。お姉ちゃんと一緒に、昔からやってみたいなって思ってて……!」
曜の目も自然と輝いている気がした。まさか本当に部員が増えてくれるとは!しかもスクールアイドルに詳しい人間は実は周りにいない。これは強力な助っ人になってくれるかもしれない。
さらにさらに、今の言葉だけ聞くと、彼女のお姉ちゃんなる人もスクールアイドルに見識がありそうだ。これはそちらも期待して良いかもしれない!
「お姉ちゃんも浦の星女学院の生徒なの? だったら一緒にスクールアイドル部に誘ってもらったりとかは……」
とすれば、国木田さんも含めて3人で入ってくれればいよいよ5人。ダイヤの奴も多少は認めてくれるかも……
「そ、それは難しいと思います。お姉ちゃんは3年生ではあるんですけど。昔と違って、スクールアイドルのことあんまり好きじゃないみたいで……」
———あえなく撃沈。
「そうなの? 翔くん残念だったね、新しい女の子が増えなくって……」
「女子校なんだから女子なのは当たり前だろ。その突き刺すような視線はやめてくれ……」
曜に女好きを見るようなジト目で咎められるのも束の間。次のお客さんも来たから、今日の課外勧誘はここまでだ。
「それじゃあ先輩。また学校でよろしくお願いします!」
「わ、私もお願いします……!」
「スクールアイドル部はいつでも大歓迎だからねーっ!」
完全に偶然だったけど、曜がいてくれてよかった。彼女がいてくれたおかげで、思わぬ新戦力の加入の可能性も出てきたんだから。
2人は会計を済ませて帰って行き、お客さんがはけて、レジの周りはまた俺たちだけになる(ちなみに国木田さんはあの本を風呂敷に入れて全部徒歩で持ち帰った、本当に全部自分用だった……)。
「……あの2人、スクールアイドル部に入ってくれないかな」
「ホントだよね、ああいう美少女が可愛い制服着て踊ってるところとかすっごく楽しそう!……翔くんがジロジロ見ると犯罪っぽいけど、私なら訴えないから私を見ておけば良いんじゃない?」
「だから人を性犯罪者みたいな目で見るなって!絶対楽しんでるだろまったく……」
国木田さんは運動神経が不安で、黒澤さんはたぶん積極性とかが不安でなかなか踏み出せないでいるのかもしれない。
俺じゃ無理でも、千歌ならこの2人を引っ張って入部させてくれるんだろうか? そのお姉さんっていうのも来てくれれば心強いのに……
「……『黒澤』さんの『お姉ちゃん』?」
なんだろう。
何かが盛大に俺の中で引っかかっている気がする。俺はその人を知っているような。
記憶を失う前? いやいや、もっと最近に……
「……この本、お願いします」
俺の思考を中断し、隣にいる曜をドン引きさせたのは、サングラスにマスクと帽子の怪しげな女性客。アンド黒魔術っぽい危ない本。いつもの事なのか、思わず見た他の店員さんもまったく気にしてない。なんか色々ぶっ飛んでるけど、誰も気にしていない。
……この本屋のバイト、今日限りでよかったかも……。
「ルビィちゃん、今日はどうしたずら? 確かに翔さんって人、男の人で慣れてなかったかもしれないけど。普段はもう少し話せるのに……」
「ううん、大丈夫。ちょっと緊張しちゃっただけだから……」
動揺してたけど、平気なフリをする。なんとか誤魔化せたみたいで、花丸ちゃんは安心してくれた。
……こんなこと、花丸ちゃんに言えないよ。私なんだかあの人のこと知ってる気がするなんて。
そして、それ以上に……あの人の仕草がかっこいいだとか、声が安心するとか。ちょっぴり涙目になってるところが『可愛い』だなんて思ってたなんて……。
なんだろう、この気持ち……。あの人のことが、頭から離れない。ルビィ、なんだかおかしくなっちゃってる。
「用務員の翔さん、かぁ。これからも、たまにあの本屋さんにバイトに来るのかなぁ……」
花丸ちゃんがその名前を呼ぶのにも……胸がざわざわして、落ち着かなかった。
シリアスが続くと胃がもたれるのでたまに明るい回を挟んでいくスタイル。最初嫌いな人とか抵抗があった相手ほど、好きになった時エグそうですよね(誰のこととは言ってない)
最後に出てきた娘はもちろん……?
xiaomさん、評価アップありがとうございます!