「————それで、ウチに来たんだ?」
桜内さんの悩みを聞いてから、幾日か。
俺と千歌、曜と桜内さんは、松浦さんのダイビングショップに来ていた。この前学校帰りに立ち寄った、淡島のあのお店だ。
「そうそう、なんたって『海の音』を聞かなくちゃいけないからね!」
「あ、紹介しないとね。果南ちゃん、この子が転校生の桜内さん! あの伝説のμ'sがあった東京の音ノ木坂学院から来たんだって!」
「あのμ'sの? ……スクールアイドルで有名だったよね、確かに」
松浦さんは俺の過去の件との絡みか、スクールアイドルに多少知見があるようだし、名前くらいは知っているようだ。
ところで……そう、俺たちが彼女の店を訪れた理由。それは『海の音』を聞くためだ。
桜内さんの話を聞いてから、俺はすぐに千歌達に相談したところ、『それならいい方法があるよ!』と喜び勇んで連絡を取り始めたのだが。なるほど確かに、記憶を失っている俺には、地元ならではの発想は盲点だった。
—————そうして、あっという間に話が進んで3人は海に潜っていく。
残されたのは、船の上の俺と松浦さんだけだ。
……この前のことがあるから、どことなく気まずい。別にケンカだったわけじゃないけど。だから、彼女の方から話題を振ってくれたのはちょっと有難かった。
「でも、どうして翔までついてきてるの? スクールアイドルの手伝いしてる、っていうのは、この前聞いてるけど」
「桜内さんと約束したのは俺だからさ。『海の音が聞こえて、新しい曲のキッカケになれたら、スクールアイドル部の曲を作ってもらう』って。肝心のソイツが不在じゃ、ダメだろ」
「スクールアイドルの曲……ああ。私も曲が必要だって聞いたことあるよ。ふふ、約束した割には、千歌達や私頼りみたいだけどねー?」
なんとなくからかうように笑われてしまった。ちくしょう、言い返せない。
なんでも、昔は体力がないこととか背が低いことを松浦さんにからかわれていたらしいから、そのときからイジられているんだろうな……。想像できてしまうと、記憶がないのに、なぜか昔の事まで悔しいような。
「おあいにく様。海の曲を完成させて、桜内さんを笑顔にするのに俺の名誉なんてどーでもいいよ。昔は松浦さんについていく子供だったかもしれないけど、俺だって大人になったの!」
「そんなにムキにならなくっても。それにしても、『誰かを笑顔にする』って……記憶はないのに、夢だけは覚えてるんだね」
うぐ。素直に返されても、それはそれでなんか負けた気がする……。勝てっこないよなあ、向こうは俺のことよく知ってるのに、こっちは向こうのこと知らないんだもんな。……一応、同い年だよな!?
「『何もかも無くしても、記憶だけは残ってた!』……って言うとカッコいいけど、他のみんなの中には『俺の知らない俺』がたくさん残ってるんだから、カッコつかないよなぁ」
なんせ、俺が勝手に無くしてるだけ。
松浦さんの中にも……千歌にも曜にも、ダイヤにも小原さんの中にも残ってる、『かつての俺』……その正体は、ここ2年間に限ってすっかり謎に包まれている。本来なら、たった2年間のことなんて、そんなに気にすべきことじゃないかもしれない。
だが、新しいスクールアイドル部の妨げになっているのだから話は別だ。結局先日はダイヤには会えなかったけど、やるべきことは変わらない……。
「『海の音』か……私は、何となくだけどわかる気がするな。海に潜ると、色んな声が聞こえてくるんだよね。お魚が喋ってるわけじゃないけど、何だかそんな気がしてくるくらいにさ」
「そうかもしれないな……俺はこの前は溺れて打ち上げられてたんだから、聞く余裕がなかっただけか。楽器もリコーダーくらいしか弾けないセンスのなさだし」
「ふふ……昔も同じようなコト言ってたよ? 泳げないのもそうだし、音感とか楽譜とかサッパリだったからね、翔は」
ま、まさか水泳に加えて音楽の授業まで把握されてるのか……!?
く、くそう。さっきから、同い年なのにお姉さんっぽく振る舞いやがって。負けっぱなしは悔しいからひとつ、反撃してやろう。
「……なんだ、俺と一緒に潜ったことあったの? まるでデートじゃないか。前の俺も結構やるなあ、松浦さんみたいな美人となんて」
「でっデート!? ……あ、ああうん……潜ったことはあった、よ? 泳げなかった翔も、少しのダイビングならできたから……夏休みとかよく2人で、手とか繋いで……///」
よし。ちょっとこんな風につつけば、ウブな松浦さんはすぐ顔を赤くして俯く!俺だって、いつまでもやられっぱなしじゃないぜ!
ククク……(っていうと、なんだか某不登校堕天使が頭をよぎるが)彼女はサバサバしてるくせに、こういう恋愛系の話題には強くない。千歌や曜もそうだけど、からかってくるみんなの弱点だって、何日も見てればわかってきた。
ここからが俺の時代……
「ほ、本当に2人で入ってたのか!? しかも、て、手を繋いで……なんだか、恥ずかしいな//」
……は、来ない。
問題があるとすれば、俺もこういう話は恥ずかしいからあんまりできないところ。巻き込み自爆じゃねーか!!
千歌との関係を高海家のお姉様方にイジられてるときもそうだけど、内浦の女の子はみんな美人だから、結局こっちも耐えられない。 何か不思議な力が働いてるとしか思えないぞ。
「と、ところでさ。スクールアイドルの方はどうなの? 部員もそうだけど、あのダイヤとかさ……」
……かといって、船の上にいる時間もそれなりに長い。どうしても話題はこういう方向にも行く。心の中で美人だと褒めた相手は、表情に少し不安の色を交えて語りかけてきて、また少し空気が緊張した気がした。
この前のこともそうだけど、松浦さんは、ダイヤとは別ベクトルで俺達の活動を不安視しているように見える。
こんな顔、させたいわけじゃないのに……。
「あー……よしんば桜内さんが入っても、部員3人ってとこかな。ダイヤも俺を関わらせまいと必死だし、新理事長も色々企んでるみたいだ。前途多難、だな」
「新理事長って……ああ、鞠莉だよね。私のとこにも連絡きたけど、翔にも話してたんだ。来週から生徒兼理事長なんだっけ」
何気なく、3年生3人の名前を絡めたつもりだったんだけど、特別な反応はない。
だが、これはちょっとしたカマかけだ。俺はダイヤについて、松浦さんとは殆ど話していない。小原さんとの接触についても、詳しく話をしてはいない。
——————となれば自然と、ダイヤと小原さんと松浦さんの3人は結構な親友だったんだって予想も、確信に近づいていく。
そして、俺も『そこ』にいた。決して浅くない関係で。
「記憶喪失なんでしょ……? 鞠莉について聞きたいこととか、あるんじゃない?」
「大丈夫だよ。……難しいことなんだろ、過去の事って」
「……そうだね。私だって、全部知ってるわけじゃないし」
……だけど、少なくとも今に限っては、彼女達は一枚岩と言うわけではないらしい。心配して止めようとするダイヤ、不敵に挑戦状を叩きつけてくる小原さんに対して、松浦さんは距離を置きつつ、様子を見ている……といったところだろうか。
今日のところは、世間話だけで、突っ込んで聞くことはしないでおく。
「いやー、それにしても漫画でもありえない設定、だよな!……松浦さんが復学するまでに、何事も無ければいいんだけどね」
「鞠莉は昔っからトラブルメーカーだもんね。……って、もう巻き込まれてるから遅いんじゃない?」
我ながら下手な誤魔化し方だけど、勘弁してほしい。この前のダイヤの反応があってから、自分の過去には少し臆病になってるんだ。
『貴方は!貴方はまたそうやって自分を犠牲にして!! 』
『……私が、私が親友である貴方をどんな気持ちで待っていたか……』
『貴方に何もかも押し付けて、結局何も守れなかった私の気持ちも考えてください!!』
本当は、松浦さんと何か話したいなと思ってた。見つけてしまったあの『部室』についても、ダイヤと小原さんと……俺との関係についても。
それでも、この前の事を考えると、面と向かっては何も聞けなくなってしまった。松浦さんにも、ダイヤと何か同じ気持ちがあったらって思うと……。
自分の過去は自分だけの問題ではないけど。急いては事を仕損じるっていう言葉もある。無理をすればそれこそ、かえって周りの笑顔を奪うだけだろう。
松浦さんは『忘れてるならもうそれでいい』って、言っていた。きっと、触れられたくないことがあるんだ。
……だから、今日は大人しくしておく。
あの3人が、海の音を聞けることを信じて待つ。一応ダイバースーツと装備だけ着て、船の上でのんびりと、2人だけで話を……
「そ、それでさ。もしよかったら……3人が戻ってきたら、私たちも久々に海に入ってみない? また、2人っきりで—————」
————なにか、松浦さんが言いかけた時だった。
「果南ちゃーん、しょーくーん!ちょっときて! 梨子ちゃんが深いところまで潜ろうとしててー!」
水面に上がってきた千歌の叫び声。
それを聞いた瞬間、俺は考えるよりも先に身体を動かしていた。……後ろからの松浦さんの止める声も聞かずに。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
千歌は水面で俺たちを呼んでたが、曜の方は一時的に彼女を見失ってしまったのか、少し浅いところを探しているのが見えた。
潜りながら、考える。
桜内さんは初心者ということもあるから、今回は深くは潜らないようにと話していたはずだ。エアもきちんと管理されているから、十分にあるはず。松浦さんの腕前や安全管理は信頼している。この辺りの海だって、何も人食いザメが出るわけじゃない。
……なら、俺が行く必要はないという人もいるだろうけど。目の前で大変なことが起きるかもしれないって言うのに、黙って船の上になんていられやしない。
それに、桜内さんが深く潜っていったのが、何らかのミスなのか? それとも、機器の事故なのか? どちらにしても、俺が早めに見つけて連れ帰るか、その場所をマークしておけば松浦さんも助けやすいはず。
俺が聞かせるといった音のために、彼女を危険に晒すわけにはいかない……!
———————周囲をよく見ろ、翔。
今日の天候はまばらに雲が出ていて、海の中でも明るいところと暗いところがある。
魚は比較的多い。水温は……大して重要じゃない。
落ち着け。
思考と呼吸を整えて……そもそも今回の目的は何だった?
桜内さんに、『音』を聞かせるため。彼女が聞きたがってたのは海の音……。
『海に潜ると、色んな声が聞こえてくるんだよね。お魚が喋ってるわけじゃないけど、何だかそんな気がしてくるくらいにさ』
松浦さんの言っていた言葉。海には詳しくないけど、なんとなく魚や、波の集まる場所……。
……あそこだ!少しだけ遠くに、岩礁が見えた。そこにだけ日が差して、魚たちが戯れている。
そして、そこにいる桜内さんの姿も。どうやら落ち着き払っているように見えるし、事故でもミスでもないのだろう。自分の意思であそこに行ってるんだ。
追いついて上がるよう、上を指差して合図を送った。千歌と曜も追いついてくるし、程なくして松浦さんも追いつくだろう。万が一にも、事故るわけにはいかない。
だが、彼女は首を横に振った。そして、『静かに』と、口元のレギュレータに人差し指を立てて、目を閉じる。
一瞬、どういうことかわからなかったが、すぐに察した。
——————そうか。ここなら、聞こえるかもしれない。
千歌と曜を加えた4人で、はぐれないように、自然と手をつないで目を閉じた。
魚、波、太陽の光、植物、漂流物、渦、砂……。
ここでは、それらの全てが、音になってるんだ。でもこれは、音ってだけじゃない。
きっと『声』とか『歌』とか……、そういうものに近かった。
「ぷはっ!」
4人で同時に、海の上に頭を出す。心配した松浦さんがすぐに近づいてきた。
「みんな、大丈夫だった!? 翔のバカ、また無茶して! ……って、いつの間に泳げるようになったの?」
「ごめん、もし事故ってたら助けなきゃって……あれ?確かに泳げたな。それもそこそこ上手に……」
泳げるようになってたのも不思議だけど、何か重要なことを考えてた気がする。
……でも、霞がかったように思い出せない。
「松浦さんを待つべきだったのに、身体が先に動いてたよ」
「それ、答えになってないよ! ……みんな、何笑ってるの?」
記憶は気になるし、彼女は当然怒ってるけど……今はそれより重要なことがあるから、いいか。
「聞こえた、よね?」
曜の一言と笑顔ですぐに分かった。
「うん!……梨子ちゃんもでしょ?」
「ええ。あれが、海の音なのよね!」
千歌と桜内さんも続いて、大成功に終わったと確信できる。
そう、俺たちは聞けたんだ。
海の音。それが作り出す歌を……。
「やっぱり、変わってなんていないんだ……」
「……だったら、確かめなきゃ。試すみたいで悪いけど。記憶をなくしてる今なら、できるはず……」
「———————みんな、最初のライブの日付が決まったら教えてね。家はこんな状態だけど、『行けたら行ってみようと思う』から」
ラブライブ!
~ヤンデレファンミーティング~
Aqours長編
「10人目の名前を呼んで」
①「出逢いと始まり」 了
海のダイビングって、空からのダイビングより楽しいのでしょうか……?(個人的には空の方も良い思い出がない)
最後の果南の意味深なセリフといい、ダイヤの想いといい、ルビィちゃんの様子といい、花丸ちゃんといい……少しずつ動き始めていってますね。次回から、第2章『ファーストライブ』編スタートです。