大勢の人が集まる発表会で、音一つ鳴らさずに、私はピアノを後にした。
涙さえ、出なかった。両親にも、小さく『ごめん』とだけ。
……それは私自身、心のどこかで分かっていたからだと思う。
あの椅子に座るよりも、ずっと前から。
『私は、もうピアノが弾けないんだ』ってことを……。
そうして引越ししてからの私の生活は、何もかもが変化の連続だった。
『スクールアイドル』。
今、私の目の前で……そのスクールアイドルを。『新しいこと』を始めようと頑張っている人たちがいる。
私のいた高校で有名だったらしいソレは、ピアノだけに打ち込んできた私には新鮮なものだった。
「歌詞にできそうなスクールアイドルのキラキラしたところ、かぁ。まず、ダンスでしょ?それと———……」
千歌ちゃんは歌詞を一生懸命ノートに書きこんでいく。それを微笑ましく眺めながら、翔くんと曜ちゃんは衣装やダンスを考え始めた。
「なぁ曜。もうちょっとこう……アイドルらしい衣装ってないのかな? これじゃ踊れないだろ……」
「えっ、ダメ!? 『制服系スクールアイドル』が理想なんだけど」
「それは曜の趣味じゃないか! ……俺の趣味じゃないぞ、断じて!!」
……みんなであれこれ考えて、楽しく明るく、次々といろんな表現や考えをぶつけあって。
そんな中で作り上げていくモノ……。それは、今までの私になかったことで、新鮮なだけじゃなくてとても眩しい。
でも、もう一つ何がすごいかって言われったら、これはまだまだ未完成だっていう事実、かな。
こんなに楽しく作ったものを、みんなでステージに立って、本当に踊った時……それは、どんなに素晴らしいモノになるんだろうと、息を飲んでしまった。
千歌ちゃんたちは、例え経験がなくったって、こんなに凄いことを始めようとしてる。
翔くんが言うように、たくさんの人を笑顔にしようとしている……。
—————じゃあ、私は?
私がピアノを始めた時って、どうだったっけ……
『梨子ちゃん、とっても上手ね!』
お母さんは、笑顔でいてくれた。
『りこちゃん、すごい!』
『こんど、はっぴょうかい行くね!』
周りの皆もそう。応援してくれたのがうれしかった。
じゃあ、お母さんや周囲が褒めてくれるから、私はピアノを始めた……?
『だって、ピアノを弾いてると空飛んでるみたいなの。自分がキラキラになるの!お星様みたいに!』
……ううん、違う。
私自身も、楽しかったはず。
ちょうど今の千歌ちゃん達と同じようなことを言ってた。
キラキラしたい。……輝きたい、って。
それでも、たまにうまくいかなくて、落ち込んでた時もあったけど。
なんだったっけ……真っ青な海に、真っ青な空。綺麗な太陽に、気持ち良い風。
ここみたいに綺麗なところで、誰かに勇気付けて貰った記憶がある。それがきっと私の中の海とか、思い出とかの原点……なのかな?
だから私はここに来れば、またなんとかなると思った。私を心配して引っ越してくれた両親に、『海の綺麗な場所がいい』って言ってまで。
「……梨子?」
そして実際に、新しい友達と出会って……海の音を、この綺麗な場所で奏でられた『歌』を聴くことができた。その事には凄く感謝してるし、そんなにかからずに曲も完成するはず。
……でも、それはまたピアノを弾けるって意味じゃない。
私がピアノを弾けなかったのは、スクールアイドルや千歌ちゃん達に出会う前。
その原因をなんとかしなきゃ、きっと同じことの繰り返し……。
「梨子、聞いてる?」
翔くんの声まで、空耳で聞こえてきちゃう。
私、どこまで悩んでて……これから、どうするべきなんだろう。
ううん、心の中では答えは出てる。
私は、スクールアイドルをやりたがって……
「……梨子、どうかしたの?」
「あっ、翔くん……!?」
こっちを心配そうに覗き込んでる彼と、曜ちゃんの視線の事にも気が付かないくらいに。
空耳じゃなかった。やっぱり、優しい彼に心配かけちゃってた……。
「……ちょっと、休憩しよっか」
曜ちゃんに一言言ってから、私は翔くんに連れられて部屋を出た。
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「まだ……なにか、悩んでる?」
腕を組んで、じっと私を見つめる翔くん。『海の音』は聞けたはずなのに、ここにきて悩んでるのは確かに不自然だよね……。
……この、何の変哲もない男の子が、私をこの短い間に何度も助けてくれた。まるで、ずっと前から私のことを見ててくれたみたいに。
そして、今も……。
その優しさが嬉しくて、翔くんなら……って思って。私は、簡単にしか説明してなかった、ピアノを辞めて引っ越してきた顛末を話す。
そして、今の素直な気持ちも。
「……今だから、思うの。私って『ピアノが本当に好きだったのかな』って」
「なんでそんなこと。好きだったから続けてたんじゃ?」
「ううん。最初はそうだったのかもしれないけど、続けたのは……両親の期待とか、周りが褒めてくれたからとかだったのかもしれない、って思い始めたの。悪い言い方をしたら、惰性だったのかな」
最初は、キラキラした気持ちを持ってた。きっと間違いなく、ピアノが好きだった。失敗しても、励ましてくれた人がいたから続けられた。
でも、楽しくて、大好きだったはずのピアノが……いつの間にか重荷になってた。
「……そりゃ、気持ちはだんだん変わっていくものだろうけど。そこまで……」
「自分でも、はっきりと理由はわからないんだけどね。どうしてそうなったのか」
でも、今なら少しだけ予想がついちゃう。
この内浦に来て。千歌ちゃんや曜ちゃん。
……そして、貴方と出会って分かってきたこと。
「ピアノを続ける中で、私には……翔くんみたいに『誰かのために』っていうような目的がなかったの。千歌ちゃんや曜ちゃんみたいに、『やりたい』って言う気持ちも、一緒にやっていく『友達』もなかった……」
「……立脚点、みたいなのが無いって?」
「そんなところなのかな。だからきっと、『弾けなかった』んじゃなくて……『弾きたくなかった』んだね」
ピアノをしてた時の私があんな笑顔だったのは遠い昔。
ピアノで『どうしたかった』『どうなりたかった』なんて、なんにもなかった……。
「疲れてたのか、ただ単に行き詰まってただけなのか、本当に嫌になっちゃってたのかも……もうわからない。それでも、その中の一つでもあれば……あの日も、弾けたんだと思うの」
——————それはもう、ほとんど私の独白。
自嘲気味に、素直な気持ちを吐き出しただけ。ぐちゃぐちゃで、自分の中であんまり整理もできてない。
じゃあどうして話したのって聞かれたら、さっきも言った通り。翔くんなら——————
「……そうでも、ないんじゃないかな」
———————翔くんなら、『私の知らない気持ち』にもきっと気が付いてくれる。そんな気がしてたから。
このモヤモヤした気持ちにも、答えを出してくれるんじゃないかって、そう思えたの。
「大きな意味での目的を見失ってたのは、本当かもしれない。……でも、もしもピアノや音楽がイヤになってたなら、あそこまで必死に海の底に潜ろうとなんてしないだろ?」
「それって、この前のこと……?」
「そ、松浦さんのお店でダイビングしたときのことだよ」
……あの時は、凄く助けてもらっちゃった。
『あそこなら海の音が聞けるかも』って思ったら、どうしても我慢できなくって勝手に深く潜っていって、後で松浦さんに怒られちゃった。『翔みたいなお人よしまで巻き込むの!?』なんて。軽率なことをしたけど、翔くんが来てくれたのはなんだか嬉しかった……。
「キライなだけなら、無理してまで海の音を聞いて……曲を完成させたいだなんて思わないだろ? それは、梨子が大好きなことだったから。一生懸命になりたいことだから……諦めたままに、しておきたくなかったんだよ。きっと」
「そ、そうなのかな……確かに、諦めたくなかったけど」
ピアノのことが嫌いなら、海の音は聞く必要はなかったはず。
でも私は、危険を無視してまで、必死にそれを聞こうとした。
それが、自分でも気づいていない気持ち……。
「なによりさ、もう『今』はそうじゃない。ピアノを見てくれる『友達』も、それで『笑顔』になるやつも、その人たちのためっていう目標もあるって……」
「そ、それって……?」
「……恥ずかしいんだから、言わせないでくれよ。俺たち4人が、もうそういう関係の友達だってこと!」
—————……ああ、そうだよね。
わかってて、期待して聞いたくせに。まだ短いお付き合いで、こんなこと相談しちゃったのに……。
私ったらトキめいてる。
翔くんって、こんなにカッコいい人なんだ……って。
「そうそう、もう私たちは友達なんだから!」
「μ'sみたいに……みんなを笑顔にするのが、スクールアイドルだもんね。梨子ちゃんだって、そうやって笑った方がかわいいよ! ステージの上にたっても大丈夫なくらい!」
千歌ちゃんと曜ちゃんも、いつの間にか部屋から出てきてる。
辛かったはずなのに……私は、知らない間に笑ってたみたい。
「千歌ちゃん……。私、何やっても楽しくなくって。変われなくって……でも、こんな私でもステージに立っていいのかな……?」
彼女の言葉は、間違いなくスクールアイドルへの誘い。
でも、もう私は自分の中の気持ちに素直になることができる気がする。
新しいことを始めたい。
スクールアイドルをやって……私も、輝いてみたい!
「いいに決まってるじゃん! ……しょーくんじゃないけど。梨子ちゃんが笑顔になってくれるなら、私は嬉しい。そういうのって、すっごくステキなことだと思う」
「もし、ピアノのことを気にしてるなら……梨子ちゃんは焦りすぎだよ。大きな目標がないなら、むしろ今すぐピアノ再開しなくってもいいじゃない」
「曜の言う通り。もしも今ホントにピアノが嫌いでも……スクールアイドルの曲を作って、学校生活を好き勝手に生きてさ。……その後に、もう1度ゆっくり弾けばいいだろ?」
「もう、1度……?」
——————私にとっては、考えもしなかったことだけど……確かに、言われてみたら簡単なことなのかな。
『もう1度』。
……その言葉で、少しだけど思い出せた。
ずっと前の海岸で、なんで私がイヤな気持ちだったのか。どうやって励ましてもらったのか。
あの時の私は、ピアノを弾き始めて初めての失敗をしたはず。
そして、お母さん達から逃げ出して……今みたいな海辺に来た。
『ダメだったら、またやればいいじゃん!』
そう言って、そこに住んでいた男の子は、私の目の前で何度も挑戦してみせた。そして、最後には成功してみせた。
それが、私の勇気になった。失敗してもまたチャレンジしようっていう気持ちに、させてくれた……。
「うん。みんなの言う通りかも。……私、ちょっと気負いすぎてたんだね。こんな私だけど……スクールアイドル、始めさせてもらえる?」
「当然だよ! ……これ、頑張って作った歌詞。いい曲作ってね?」
「わかったわ、作ってみるから1週間くれないかな?」
今思えば……なんだか翔くんって、その子に似てる気がする。
……だから一緒にいると、安心するんだね……。
「おいおい、千歌みたいな変なヤツに合わせてたら身が持たないぞ。スクールアイドルするなら練習も始まっちゃうんだし、2週間でも3週間でも……」
「ちょっとしょーくん、居候させてもらってる幼馴染に向かってどーいうつもり!?」
「ああっ、また怒られちゃうよ!? 二人ともー!」
そう言って、ドタバタと追いかけっこが始まって、曜ちゃんが止めようとする。
それを、美渡お姉さんが怒って追いかけて、志満お姉さんが止めに入る。
……今までこんな風にトモダチと笑ったこと、殆どなかったかもしれない。
翔くん。私を笑顔にしてくれて、ありがとう……。
……まだ話してはいないけど、気が付いた気持ちは、スクールアイドルについてだけじゃないのよ?
たぶん、私。桜内梨子は……アナタに、恋しちゃったみたいです。
こうして楽しそうにじゃれる人たちに、ちょっぴり嫉妬しちゃうくらいには。あんなこと言われちゃったんだもん。……好きに、なっちゃうよね。『気負いすぎるな』って言われたんだから、こっちでも素直になっちゃうから、覚悟しててね?
「あー!もうこんな時間……梨子ちゃんは帰り大丈夫?」
「あ、あの。言い出せなかったんだけど実は私、引っ越してきたの隣の家で……」
「そうなの!? 確かに最近新しい人が来てたみたいだけど……それって梨子ちゃんだったんだ!?」
「それならその家って、元しょーくん家じゃん! ううう、これはもう奇跡だよ~!」
「えぇっ!? 俺が住んでた家って梨子の家になってんの!? ……あのさ、千歌の隣の部屋ってうるさいから、梨子の家に泊まらせt……ってひっかくな、千歌!」
「それはもう不純だよ!?そこは間をとってうちの家にさ!」
「くぉらー!!静かにしろって言ったでしょーが—!!」
「……あらあら、昔みたいに騒がしくなってきたのね? 懐かしいわ♪」
みんなの前で歌って踊るなんて、自信ないけど……翔くんたちがいてくれたら、とっても素敵な毎日になりそう。千歌ちゃんのいうとおり、これはきっと奇跡。
そうよ、きっと翔くんがいてくれたら……。
貴方さえ、私の傍にいてくれたら。私を見ててくれたら……。
変わることができて、スクールアイドルもピアノも……どんなことだって、楽しいよね……?
梨子ちゃんはAqoursで最初に好きになったキャラなので思い出深いですね。μ's編は各人の回想で描いた惚れるまでのドラマはしっかりやっていきたいです……。
ところで、先日のアンケート結果は、
(56) 長編に集中して
(28) 短編系も更新して
だったので、今後は(可能な範囲で)約2;1の割合で長編と短編を更新していきたいと思います。