第40話 過ぎ去った日々
ライブが終わり、俺がカメラの録画を止めた時……唐突に後ろから声をかけてきたのは、あの松浦さんだった。ここのところ濃い日々を送ってたから、なんだかすごく久々に会った気がする。
「……この前のライブ以来だよね、会って話すの」
「あ、ああ。もうそんなに経つんだ。なんだか短いような、長いような……」
「そうだよね。私も、自分の気持ちに整理をつけたくって悩んでて……1月も経ってないのに、もう何年も過ごした気分たよ」
彼女に連れられるまま、ちょっぴり山の方に入っていくと、確かに目立たないベンチがあった。それでいて小さな灯りがあって、こっそり話すには最適な場所だ。
このあたりは前は海、後ろは山だから、こういう穴場もあるんだ。(本来は俺もだけど)地元の人はさすがだな、と感心する。と同時に、俺の頭の中はこの状況に対して、疑問符が多く産まれてもいた。
(そもそも、松浦さんは俺と何を話したいんだ? それも、こんなタイミングで……)
直接、こっそりじゃないとできない話……というのは察しが付く。
だけど普通なら、ライブの直後なんて大事な話には適してないと思う。ここのところの俺は一人になる機会が少なかったのは確かだし、実際久々に俺の周りにAqoursのみんながいなかったわけだけど、それなら電話とか呼びだしてくれればよかったのに。
……それすらも、みんなに知られたくなかった?まさかな。
斜めにある2つのベンチにそれぞれ座って、道中の自販機で買ったジュースにお互い口をつけた。
「そうそう、千歌達のグループ名は『Aqours』っていうんだね。……『前』から思ってたけど、いい名前じゃないかな。翔がつけたの?」
「前って……あ、最初のライブの時はそんな話してなかったか。それは、ダイヤから貰ったんだ。以前ここで同じようにスクールアイドル部があったらしくって、この名前で結果を出してさ。彼女たちが上手くいかなかったジンクスとかを、吹き飛ばしてほしいって」
「……ふーん、そうだったんだ。ダイヤが。でも、今日のライブも良かったし、確かに千歌達ならやっていけるかもしれないね? 翔もついていてくれるし」
これだけなら何気ない、どこにでもありそうな話。違う点があるとすれば、夜のランタンと、今上がっている花火と……それが照らすことで凄くきれいに見える松浦さんの横顔。そんな綺麗な娘が、俺のことをじっと見て話している、というだろう。
彼女の元々の顔立ちのせいか?それとも、2人だけのこの空間がそうさせてるのか……
(ダメだダメだ、俺は何考えてるんだ……ダイヤとルビィちゃんに告白されておきながら、他の女性に……そんなのは不誠実だ)
そう……以前にもちょうど、Aqoursの名前の話の時に、砂浜でダイヤとこんな状況になった。あの夕焼けの告白の時。今この空間は、あの時になんだかムードが似ている気がする。松浦さん自身の、何処か上気している健康的な肌も。ただでさえ美人なのに、ますますそう見える。
あの時は夕焼けの効果で、今はお祭りの効果なのかな?彼女が着てるのは普段の、ただの学校指定のジャージだっていうのに……。
「いや。やっていける、って思うのは俺もだけど……俺がついてるからじゃなくて、みんなの実力だよ。ちょっとは力を貸してるつもりだけど、むしろ記憶喪失で居場所のない俺にとっては、やり甲斐みたいなのを感じてるし。前からの夢にもつながって一石二鳥だ」
「いけるって……ひょっとしてあの『ラブライブ』で優勝、とか? μ'sみたいにさ」
「それは流石に、夢のまた夢だけど。でも、諦めずにこうしてライブを続けていけばさ、もしかしたら本当に行けるかもしれないよ。そしたら、Aqoursはもっとたくさんの人を笑顔にできるし、浦の星の廃校もなんとかできるかもしれない」
「そうだね。翔は誰かが困ってても、簡単に諦めたり挫けたりしないもんね。……昔から」
まったく、また昔の話か。ダイヤも……って、さっき反省したばかりだろ。ダイヤの事ばっか考えちゃあ……
……あれ?
そういえば、ライブの事で頭がいっぱいになってたけど。小原さんはまだしも、ダイヤがどうして俺のところに来てないんだろう? 彼女の今の行動は謎が多いとはいえ、ルビィちゃんの事もあるし。さすがにライブ後くらいは、声をかけに来そうなもんだけど……まさに、この松浦さんくらいのタイミングがベストだったはず。
(そういう意味でも、松浦さんのタイミングは、ピンポイントだったわけだけど……ただの偶然かな)
そうして、また考えても埒が明かないことを気にし始めた俺を見かねたのか。気づいたら俺は、松浦さんにほっぺたをつねられてしまった。痛い。
「ふヴぃっ!? い、いらい……」
「……ねえ、翔。私が目の前にいて話してるのに、他の女の子の事ばっか考えてたでしょ!」
「ご、ごめん……最近気になることが多くって。決して松浦さんを蔑ろにしたいわけじゃ」
幸い、ほっぺたの方はすぐ開放してもらえたが、松浦さんは『つーん』という擬音が聞こえてきそうなくらい、わざとらしくそっぽを向いている。あちゃあ、機嫌を損ねてしまったか……美渡姉さんにプリン食べられて拗ねた時の、千歌みたいになってる。
「松浦さん、俺が悪かった!」
「……」
「この通りだ、許してくれ松浦さん!」
「…………」
だ、ダメだ。取り付く島もないとは、まさにこのことだ。身から出た錆とは言え、どうしたものか。
「…………『果南』」
「え?」
「昔みたいに、『果南』って呼んでくれなきゃ、返事してあげないっ」
腕を組んでそっぽを向いたまま、そう言った松浦さんの顔は、少し赤くなっていた。『昔みたいに』……十中八九、俺と松浦さんが友達であったという頃の事を、気にしているんだろう。
まさかこんな可愛い頼まれ方をするとは思っていなかった俺は、不意を突かれた形となって、また少し心臓の鼓動が早くなるのが分かった。この松浦果南という女性、一見サバサバしているように見えて、情に厚いとは思ってたけど……それだけじゃなく、抜群のスタイルとか、自分の魅力を最大限に活かす仕草を無意識にやれるのかもしれない。ダイビングにきた男の子は、みんな惚れてしまうんじゃないか?
以前、船の上で昔の出来事をからかわれた時のことといい、色んな意味で要注意だ……。とにかく、ここは素直に名前呼びに変えてあげようか。減るもんじゃないし、何より俺も、彼女とまた仲良くなりたいと思ってる。
つい最近花丸ちゃんにもやったように、一つ咳払いをして意識して……
「う、それじゃあ……『果南』。改めて、さっきはごめん」
「! ……うん、やっぱり翔からはそう呼んでもらわないとね。帰ってきてからずっと『松浦さん』で、本当にむず痒かったよ。ダイヤは最初の頃から名前呼びだったのに」
「あ。そういえば最初の頃、そんな話したっけ。なんだか懐かしいなぁ」
松浦さん……じゃなかった、『果南』とはゆっくり話す機会が少なかったから、ずっと訂正させる機会を逃したんだな。果南、ただでさえこういうのは結構恥ずかしがるタイプみたいだし、そう思うと悪いことをし続けてたんだな。
(しかし、名前呼びのお願いといい、今日の果南はすごく話しやすいな)
最初に再会(?)した時の、記憶喪失から来るぎくしゃくした会話。
次の、船の上でのお互いを知り合うための会話。
そして、『確かめる』と言っていた、ファーストライブの時の衝突……。
確かに今までは、どこか話しづらいムードがあったのだと思う。それが俺の言葉に原因があったのか、彼女が何か悩んでいたのかはハッキリとしないけど、少なくとも今日はそれを感じないのは確かだった。
「なんだか今日の果南、緊張してるけど話しやすいな。……だから、そろそろ」
その事をなんとなく伝えるとともに、本題を促す。
彼女が何を話そうとして、1人の時を狙ってか俺を連れだしたのかは分からない。だけど、少なくとも名前で呼んでくれと言うために、そうしたのではないとわかる。すると果南は、『話しやすい』のところで少し顔を赤くしたのちに、真剣な表情になった。
「……実はね、それについてなんだ。話したいことって。翔の、過去について」
「俺の……? じゃあそれって、果南に何か深く関係があったってことか?」
「うん、記憶喪失になった原因とか、そっちは全然分からないけど……元あったスクールアイドル部と、翔と、私たちに何があったのかは話せる。今の翔がどこまで知ってるのか、どこまで思い出してるのかは、知らないけど……」
——————それは、追い求めていた過去。
今の俺が知らない、かつての俺の記憶。それを、果南が知っていて、話すことができるという。
だけど、それは……
「驚いてるよね……苦しい話でもあるから、翔が絶対聞きたくないっていうなら、言わない。でも私は……全部とは言わなくても、知っておいた方がいいと思う」
俺は、ダイヤに啖呵を切ったはずだった。話したくないと、誰にも言わないと約束をしたというダイヤからは聞かない、できるだけ自分で思い出して見せるって。
それは改めての約束、とまではいかなくとも……それなりに、強い決意を込めたつもりだった。
しかし、今回のPVについての小原さんとの騒動と、ダイヤが明らかに変であることを考えると、それを守り続ける事に、心の中で躊躇いも生まれ始めていた。
(こっちに戻ってきて何か月たった? こんなにお世話になり続けても、未だに、ほんのわずかだって記憶が戻っていないじゃないか)
ヒントすらない過去の出来事について、俺はいつまでAqoursのみんなや居候で高海家に迷惑をかけるのだろうか?自分で思い出したいだなんて……いったいいつになるのか、見当もつかない。
それらは、いつか記憶が戻るだろうとかいう希望的観測や、失敗した過去を知りたくない、知るのを先延ばしにして今の生活を守りたいという……俺の『甘え』で、ただの『自己満足』なんじゃないだろうか?
……考えれば考えるほど。そう、思えてきてしまったんだ。果南の言う通りだと、頭で理解できてしまう。
「怖くて、不安になるのはわかるよ。実際、最初は私も忘れてるなら忘れてるならそれでいいと思った。でも、今の翔達が……スクールアイドルをすることに対して、昔の事でこれ以上鞠莉やダイヤに苦しめられる理由なんて無いと思う。だから、聞いてほしい……そして、役立ててほしいんだ」
そういう果南の言い分には、納得させられてしまうけど。その言い方には、何か違和感があった。小原さんのことはまだ分かるけど……なぜダイヤのことまで、そんな言い方をするんだろうか?もしかして、果南はなにかダイヤに思うところがあるんだろうか。
ただ、今そこを聞いても仕方ないとも分かっていた。俺は……他に聞かなくちゃいけないことがある。これ以上自分の都合でコレを聞くのを後回しにしていると、何か取り返しのつかないことになるんじゃないかと、そんな予感がしていた。
「……わかった、俺は果南の好意に甘える。教えてほしい、昔に何があって……なんで小原さんがああまで、俺を恨んでるのかについて」
「うん。……そうだね、自分から言っておいてなんだけど、何から話そうかな」
「それじゃあまず、俺たちの関係について、改めて聞かせてくれないかな。ほら、『果南』って、名前で呼ぶくらいだったんだし……それに、ダイヤと小原さん、あと元あったスクールアイドル部。その人たちも、何か関係があるんじゃないか?」
「そっか……確かに、そこからの方が話しやすいかもね」
この数か月間の中で、俺も少しずつだがみんなからいろんな話を聞いた。そして、自分で考える機会もあった。嫌という程。そして果南の反応は、それが事実であることを、話す前から物語っている。
「まず、私とダイヤと鞠莉……そして、翔は幼馴染だった。ううん、それだけじゃない。ずっと親友で、ずっと一緒にいたんだよ。何をするにもいつも4人で。ああ見えてダイヤも冒険好きだからさ、よくお嬢様の鞠莉を私たちが連れだしては、一緒に翔も振り回してた」
「やっぱり、そうなんだね。……うん、そこまではなんとなく、想像ついたよ」
小原さんがあれほどはっちゃけた性格なのは、俺たちが外に出してたからなのか。そう思うと、なんかちょっぴり罪の意識が……。
……罪、か。
『……親友、でしたわ。私たち4人は。貴方がいなくなって、バラバラになってしまった……』
『もしかして、俺と松浦さんと小原さんとダイヤは、4人で友人だったのか……?』
『私たちをあんな形で裏切っておいて……どの顔を下げて帰ってきたのデースか』
『忘れてるなら、私はそれでいいと思う。悲しいことをずっと覚えてる必要なんてきっとないんだよ。もう、誰も……』
こういう状況になると、今までにした会話が、脳裏に蘇ってくる気がした。そう、俺たちは同い年で……親友だった。4人で。そしてそれを俺が……壊してしまったという。
そして、そうなってくると、以前から聞いていた『元あったスクールアイドル部』との繋がりも、薄々感づき始めた。俺が関わって、不幸にも解散したという『Aqours』……。
『…………ええ。本当に、『素敵な名前』だと思います』
名前を貰った時の、ダイヤの噛みしめるような反応。ついさっきも果南は、同じような反応をしてたくらいだ。さすがに気づく。それでも遅かった気がするし、果南に言われなきゃなかなか気づかなかったかもしれない。
「もう、分かってると思うけど……言うね」
もしこの『2つ』が……『同じ出来事』なのだとしたら。答えは1つだ。
「2年前にあったスクールアイドル部……『Aqours』は、私と鞠莉。そして、ダイヤの……3人で始めたグループだったんだ。翔は友達として……マネージャー兼お手伝いの4人目ってとこ、だったかな」
そう、だよな……。
浦の星の3年生でスクールアイドル部に近かったのなら、もっと俺のことを知ってる人間がいてもおかしくなかったはずだ。だけど、スクールアイドルの話は聞こえてきても、俺のことを知ってたのは3年生ではダイヤと鞠莉、そして果南だけだった。それこそが逆に、最大のヒントだったんだ。
ダイヤがスクールアイドル大好きだったのも、その片鱗と見るべきだったんだろう。
(……にしても、今とあんまり変わらないな、俺の役回りだけは)
記憶には無いけど、今と同じでおせっかいな俺のことだ、巻き込まれたのか自分から突っ込んでいったのかは、知らないが……。
「親友で、一緒にスクールアイドルを始めた……俺たち4人で。それが2年前。解散したのもその年か……でもルビィちゃんは、姉のダイヤがやってたことを知らなかったみたいだけど」
「ああ、それなら……他には千歌も曜も、私と翔がやってたことを知らなかったでしょ? あの時ね、まだ周りには秘密にしてたんだよ。上手くいくか不安だったし、ルビィちゃんの誕生日が9月、そこにサプライズでライブに呼ぼうとか、色々考えててね」
「そういう理由だったのか。うん、それならちょっとずつだけど確かに、繋がってきた気がする……」
「あの時は本当に楽しかったよ。親友4人で、毎日バカ騒ぎしながら練習して、衣装作って、作曲して、カッコつけてノートまでつけてた。……7月の初めころに解散しちゃったから、さっき言った事は結局、果たせなかったんだけど」
そう語る果南の表情。『笑顔』は、今まで見てきた中で一番、柔らかいものだった。……本気で、思っててくれたんだ。俺達と過ごした日々が、最高のものだったって。俺も思わず一瞬、見惚れてしまった。そんなこと考えてる場合じゃないのに……今日何度目だよ。どうも果南に弱いな、俺。
……それとも名前で呼び始めて、初めて過去を明かしてくれる人が現れて、それで意識しちゃってるのか。
(だけど、本当に大事なのはきっとここからだ)
ここまで果南が明かしてくれたことは、時間や情報があれば、いずれ気づくことができたかもしれない。あるいは、察することもできた。だが、一番重要なところ……
……『解散した理由』がまだだ。
そしてそれが……俺の忘れてしまった『翔の罪』であり、小原さんに憎まれる理由であり、ダイヤがかつて約束して、隠し続けている『真実』そのもの。
俺が本当に、知らなくちゃいけない事のはず。
「それなら……きっと、素敵な時間だったんだろうね。それなのに、俺は一体なにをしたっていうんだよ?」
「そこなんだよ、私がずっと引っかかってたこと。そして、前に『全てを知ってるわけじゃない』、って言ってたことでもあるの。今は、殆ど分かってるんだけどね」
ファーストライブの時に、『確かめる』とか俺やダイヤに言ってたことかな?『殆ど』分かってるっていうのもなんだか引っかかる言い方だ。
……それに、なんだろう。この感じ。ちょっと前にも……
「ふふ……そうだね、それじゃあ教えてあげようかな」
そういうと果南は、向かいのベンチから此方のベンチの隣に座ってきて、身体を近づけてきた。俺は突然のことに反応もできずに、彼女の肩と自分の肩があたり、サラサラとしたポニーテールが触れるのを止められなない……お手伝いでのものか、少し汗の混じった女性の香りが、鼻腔をくすぐる。
「か、果南は……」
「ん、なぁに? ひょっとして……意識してくれてる?」
「そ、そういうことじゃ、なくて。大事な話な最中だろ」
「? だから近くに来たんでしょ、普段女の子に囲まれてるのに、相変わらずなんだね」
真剣なはずの状況、その空気が変わったわけじゃない、話してくれていることに感謝もしている。……だけど、果南は何か企んでいるような気がしてきてしまった。
気づいてしまったんだ。
真面目な中で、どこか嬉しそうな表情。だんだんと『思い通りに行っている』というペースの握られ方、距離の詰め方。翻弄されるだけの俺。何かが不味い、何がとは言えないけど、何かがと予感はする。
これって。この前の、ダイヤの——……
「——……ダイヤとは、キスしたのに?」
その言葉に、何か返そうと思うことすら考える前に
俺の唇は、彼女の唇に塞がれていた。
過去はバラバラになっても石の下からミミズのように這い出てきます。過去も夢も、愛も消えません。少なくとも2年程度では。記憶も本来は……(ネタバレ防止)
それにしてもこやつ、他に交友関係や記憶がないとはいえ、何時も他の女の事を考えてますね