「——……ダイヤとは、キスしたのに?」
突然放たれた果南の言葉が、胸に刺さる。それに何を反応する間もなく、俺の唇は塞がれていた。
(ダイヤ……いや、果南……? やわらk——)
そして、何をされたのか理解した時には既に離れている。俺は止めるという発想すら失念していて、数十秒経ってからようやく慌てるのが精一杯だった。
「かっ……かな……!?」
「初めてだったけど、相手が翔でよかったよ。……ちょっと、飲んでたジュースの味がしたね♡」
「そういうことじゃあ……」
何か反論しようとはするけど、何にどう言えば良いのかすらも分からない。デジャヴュを感じる光景に対して、俺はあの時と同じくどうしたら良いのかも分からず、ただ慌てふためいていた。
そして、同じように目の前の女性に、心臓が早鐘を打っている……男ってものの都合の良さに、自分が少し嫌になる。
そんな俺とは対照的に、果南は非常にに上機嫌な様子だった。こんなところまでデジャヴュだなんて……
「……さっきも言ったけど、さ。ダイヤとはもうキスしたんでしょ?しかも、告白までしたって」
「そ、それは……」
「隠しても意味ないよ。本人から聞いたし」
ただ、それもダイヤの話に戻ると、急激に不機嫌になるのを察する。カマかけの可能性も考えたけど、果南の言葉には確信がこもっているし、それが真実であることは、俺が一番よく知っていた。
(なんだな、妻に浮気を問い詰められる夫のような気持ちになってしまっている気がするな……)
ダイヤとは付き合っている訳じゃなくても、彼女に押され、惹かれていた俺はそう感じざるを得なかった。
完全に意識しておらずノーマークだった分、ダイヤ以上の不意打ちを前に、俺は果南の顔もマトモに見ることができない。先程まで繋がっていた自分の唇に触れる果南から、慌てて目をそらして話を戻す。
「そ、それがなんの関係があるんだよ。今は昔の話の最中だろ……!」
「バレバレだよ、私のキスで反応してくれたんでしょ?……ダイヤより、良かった?」
「よしてくれ! ダイヤは関係ないっ……」
……自分でそう言ってても、関係ないとは思ってはなかった。それすらも見透かされていたとは思うが、果南の方は余裕をもって、逆に見逃してくれたようだった。
情けをかけられたみたいで悔しいけど、過去の真実を聞くのが本来の目的だと、無理矢理自分を抑え込んだ。……抑え込めて、なかったと思うけど。
「関係あるんだよ、私たち3人がスクールアイドルだったって言ったでしょ? 翔も鞠莉あたりから聞かされてるんじゃないかな、『翔がそれを裏切った』……ってさ。実は、私もそう思ってたんだよ。『翔がそんな事考えてるわけない』って……心のどこかで疑ってもいたけどね」
「……でも、ダイヤだけはそう思ってなかった。そう言いたいの?」
「そう。ダイヤはね……本当のことを知ってながら、ずっと私たちを騙してたんだよ!もし翔が帰ってきた時に、自分が真っ先に翔の恋人になるために……!」グシャッ‼︎
「っ……!」
突然、だった。果南のどこか含みのあった笑顔が、『憎悪』へと染まったのは。そして、彼女の手の中にあったアルミ缶が勢いよく潰され、少し残ったジュースが吹き出して、地面にこぼれる。
純粋で……とてつもなく激しいその感情が、しずくと共に彼女の口から吐き出されていく。信じられないものを見る俺の目も気にせずに、彼女の言葉が続いた。
「……ここまで言ったら、もうわかるよね? 私も、鞠莉もダイヤも、翔のことが男の子として好きだった、愛してた!ううん、今だって……鞠莉ですら、心の中ではきっとまだそのはず」
「そんな……でもそれじゃあ、まるで」
「『少女漫画みたい』って? ……ふふ。そうだよね、幼馴染3人の女の子が、男の子1人を取りあうんだから。だからこそ……3人とも、関係が壊れるのが怖くて、気持ちを押し殺してた。それがちょうど、スクールアイドルを始めた時とかぶっちゃったんだよ。それだけならまだ、よかったけど……」
今日、すでに何度目とも知れない驚き……それは、果南からの告白。そして、ダイヤが『みんなや俺のことを騙している』と……いったい、どういうことなんだ?彼女の憎悪に染まった瞳とその勢いに、俺は反論の術を持てない。いや……反論するための記憶が、そもそもなかった。
「活動は順調だった。みんな翔への気持ちを我慢して、廃校を阻止するためにスクールアイドルを頑張ってた。楽しかった……それが、あるイベントの時にね、とても大きな失敗をしちゃったの。それを翔が『自分のせいだ』って嘘をついて、私たちをかばったんだよ」
「俺が、嘘をついてみんなを?確かにそう聞いてたけど、それをダイヤが利用したってことなのか……」
「……鞠莉はそれを完全に信じちゃって、見たことないほど怒ってたよ。私も信じたくなかったけど、否定もしきれなかった。だけどダイヤだけは、何かきっかけがあってそれに気づいて……翔を問い詰めて、本当の事を知ったんだよ。そして、口止めした!スクールアイドル部がなくなっても、自分だけが翔のそばにいられるようにね!……記憶喪失になって帰ってくるなんて、流石に予想外だったろうけど」
それは……きっと違う。
今日までのダイヤのいろんな言葉が、嘘や演技だったとは思えない。
『私が言わないようにしているのは……貴方自身が以前、口止めしたからなのです。「本当のことは黙っておいてくれ」と……。相も変わらず、いつも誰かのためにばかり動く貴方らしいお願いでした。「ウソをついておけばいい」というようなことをいったのは、あれが最初で最後でしたけれど……』
『……いつまでも、隠し通せる訳ではないと言うことでしょう。ましてや、翔さんが彼女たちスクールアイドル部に……Aqoursに関わり続ける限り。いつか過去のことと向き合わなければならなくなると』
『貴方はまたそうやって自分を犠牲にして!! ……私が、私が親友である貴方をどんな気持ちで待っていたか……貴方に何もかも押し付けて、結局何も守れなかった私の気持ちも考えてください!!きっとなんとかなるって自分を誤魔化して、楽な方に逃げたのは私なのですよ!? なのに、なのに貴方は……』
だけど、彼女の豹変と、果南の確信のこもった言い方は、俺に一抹の疑いを生じさせてもいた。
もし……もしも、俺が記憶がなくてダイヤのことを分かってないだけで。あの強引にキスと関係を迫られたような、あの時のようなものが彼女の本性だったのなら。ずっと俺の味方をしていてくれたのも、何かの計算づくだったのだとしたら……。
そう思いたくはない。彼女がノートを託してくれて、Aqoursの名前も預けてくれたんだ、ルビィちゃんのことだって、結局は認めてくれた。本当にそういう思惑があったのなら、自分もスクールアイドル部に入ってきててもおかしくないはずだ。そうだ、きっとそのはずだ!
「果南……それが本当ならキミが怒るのはもっともだと思う。だけど、何か証拠があって言ってるのか? 流石に、信じにくいよ」
「疑ってるんだ?相当ダイヤに毒されちゃってるんだね……じゃあ逆に聞くけど。そうじゃないなら、なんでダイヤは真っ先に本当の事を話して、私と鞠莉の誤解を解こうとしてないの?独り占めしたいからじゃない?」
「う……そ、それなら、スクールアイドル部にまた入ってるはずだろう!? それが一番俺に近しいはずだ」
「そんなの、千歌達に邪魔されないポジションだとか考えてたなら、どうとでもなるよ。実際、一番頼られてるのはダイヤじゃん。……なにより、本人がそう言ってたんだよ。『私こそが翔に相応しいんだ』ってね……ああ、思い出したらまたムカついてきちゃったよ!」
まだ彼女は俺のすぐ隣に座っていて、その彼女の苛立ちと憎しみは、俺にはすごく直接的に感じられてしまう。果南は……本気だ。本気で、俺のことを好きでいてくれて……そして、ダイヤが俺たちを騙していると、本気で信じてもいる。
恐怖し、思わず怯んでしまう自分の気持ちを抑える。ここでしっかりと聞かなきゃ……本当の事を見失ってしまう気がしたからだ。なにせ、これは果南の一方的な言い分でしかない。ダイヤからしっかり話を聞かない限り、判断するのは早計だ。
誰かを笑顔にしたいなんて言いながら、彼女にこんな表情をさせてていいわけない、とも思った。
「ダイヤから聞いたって言うのは……ファーストライブが終わった後に『確かめる』って言ってたことなのか?」
「……ごめんね、1人で勝手に不機嫌になっちゃって。そうだよ。最初の違和感は、転校生の桜内さんを助けに海に潜った時だったね。そして、確信を持ったのが、この前のファーストライブの時。翔が裏切ったって言われてた時の失敗と、あの停電がダブったんだ。……でも翔は、諦めなかった。2年前と変わってなかったって、ハッキリわかった。だからダイヤがウソをついてたって分かったんだ」
「それについて、本人と話して、確かめた……っていうのか。ダイヤが本当に、そんなことを言ったのか」
「少なくとも、あの時ウソをついてたことは暗に認めたよ。そして、キスしたってこともね……翔に一番ふさわしい女の子は自分なんだって、彼女面までしてたんだから」
『あのダイヤが』という気持ちと、『今のダイヤなら』という相反する気持ちが、俺の中でぶつかる。ただどちらにしても、彼女に本気で怒っている果南の方は、これ以上その話をする気はないらしい。実際、過去に起きた俺の『裏切り』で、何が起こったのかは話が逸れてしまっている。
「果南の言うことは、分かった。じゃあ、教えてくれ。その『失敗』っていうのが、具体的に何が起きたのか……」
「……いいよ、何度かライブをした私たちはね。東京から———」
もっと聞かなきゃいけない、勇気を出して……。果南にも、ダイヤにも。みんなのために、俺自身のために。
———そう思って、一歩踏み込んだ瞬間だった。いつも俺の身近にいてくれたアイツの声が、俺を引き戻したのは。
「しょーくーん! どこにいるの、そろそろ一緒に片付けしようよー?」
千歌だ。
俺がカメラとかだけ置いていなくなっていたから、不審に思って探しているのだろう。十千万に帰ってないのはすぐにわかるだろうし、この後の事を考えれば探しに来るのも当然だ。なにせ、既にあれから30分近く経っている。
おそらくだが、この場所も知っているのかもしれない。此方に向かって声と草を踏む足音が近づいてくるのがわかる。
「どうやら、今日はここまでみたいだね……。ごめんね、びっくりするような話ばっかりしちゃったからさ、私。続きは今度にしよっか。いつも邪魔が入るよね」
果南もそれは察したようで、先ほどまでの怒りは鳴りを潜め、つぶれた空き缶をもってスッとベンチを立っていた。その瞳には先程までの憎悪はない。
……彼女の言う通りかもしれない。俺もちょっと熱くなって、焦ってたのかも。
『いつも』というのは、俺が記憶を失くす前の話だろうか。あ、そういえば船の上でのこの前の会話も、梨子を助けに入るのに中断したっけ。
「……ライブの直後だって言うのに。名前呼びして、みんなと一緒にスクールアイドルしてて、果南が俺のことを好きでいてくれて、キスもされて、しかもダイヤがウソをついてる、だなんて言われればね。……驚いたのは確かだけど、話してくれたことは本当にありがとう」
「どういたしまして。私も……気持ちを伝えられてよかったよ」
「俺も……果南の気持ちが聞けて、嬉しかった。こんな状況だから、すぐにどうこうとはいかなくて悪いけど……」
「いいんだよ、むしろ私こそ、ムードも何もない状況でだったし」
感謝の意をお互いに述べて、俺も立ち上がる。大事な話ではあるけど、みんなをこれ以上放っておくわけにもいかないだろう。片付けは待ってくれないが、果南と話す機会はきっとまだあるはずだ。情報も整理したいし。
ダイヤと彼女がどんな話をしたのかという、新しい謎も生まれたが。……待てよ。あるいは、ダイヤの豹変は、果南と話したことが原因、だったりするのか?
……いや、考えるのは後だ。千歌の声も近づいてきたし、そろそろ……
「それに……ムードはこれから作ればいいんだから、ね」
……え、という声を、今度は上げる暇があった。だが、しょせんそれだけで。ただでさえ近くにあった俺の肩が強引に引き寄せられ、また視界いっぱいに彼女の顔が写る。そして、また唇と唇が重なった。
(!? や、やめっ……、)
今回は俺が反応したからすぐに離せたけど、相変わらず両肩は掴まれたままで、話すだけでまたキスしてしまいそうな距離のままだった。
「っは……♡ やっぱり何回やってもいいね、これって。ねえ……最後に一つ、私の方から聞かせてもらっていいかな? どうせ向こうから無理矢理したんだろうけど……ダイヤとはさ、どっちから?何回キスしたの?」
「無理矢理は……今の果南もじゃないか!? 回数なんて……」
「ふふ、いいんだ?そんなこと言って……もうすぐ千歌が来ちゃうのに、答えてくれなきゃまたキスしちゃうよ?」クスクス
そう言われて、思わずビクッと体を震わせてしまった。それは果南にも伝わっているだろう。
Aqoursはやっと軌道に乗ろうかと言うところで、小原さんはもちろん、ダイヤの事もルビィちゃんの事も大きな爆弾になってしまっている。
(この上、俺がさらに果南との事までだなんて、みんなになんて言えばいいんだよ……!?)
せっかく6人が1つになったAqoursを、俺が……ダメだ、時間が経てばたつほど、果南の思い通りになってしまう!千歌がこちらに気づくかは未知数なんだ。なら、早ければ早い程————……
「……に、2回だよ。どっちも、ダイヤからだったけど……」
————そう答えて、果南の次の言葉が聞こえてから。再び俺と重なるるまで、数秒もなかった。
そして、千歌が茂みから俺たちのすぐ横に出てきたのも。
「じゃあ……これで回数も私の勝ち、だね?」
「果南ちゃん? しょーく、ん…………?」
いつもながら、書いてる私自身の胃が痛いですね……
42話、43話はダイヤと果南の変わりようについて、彼女たちの交わした会話について、彼女たち視点で少し時間を前にさかのぼります。