修羅場れ……もっと修羅場れ……
「お茶は、また今度……のようですね」
「千歌、みんな……!?」
鹿角さんの、見つめる先……。
その手前にいるのは俺だが、見ているのが俺ではないことは明白だ。彼女が見ているのは、さらにその奥……俺にとっては、見覚えのありすぎる女の子達。今更、誰だと言う必要もない、Aqoursのみんながいる。
どうしてみんながここに……なんて、そんな話をしていられる空気じゃない。
「———……しょーくん、その女の人、だれ……!?」
「知らない、人だよ……たぶん、沼津の人じゃないと思うけど」
「それじゃ、曜ちゃんと別れてからってこと……?」
俺も衝撃を受けてるが、向こうも衝撃を受けている。恋愛関係で複雑な状況に、全く知らない女性が入ってきているのだから、それも無理はない。千歌も梨子も焦燥しきった表情で……それに曜とは、ついさっきあんなことがあったばかりだ。
事実、その視線は反対側から、俺を通して鹿角さんを射抜いている。もちろん、友好的なムードは一切ない。1年生のみんなも、行きの電車の時に感じたのと同じような雰囲気を纏っていた。
「……なんなのアレは?やけに距離が近いじゃない、私の翔とさ……」
「先輩は善子ちゃんのものじゃないずらよ。……でも、すっごい美人さんだよね、2人きりで何してるのかなぁ~?」
「ちょっと待って。ほら、奥にもう一人いるよ。私と同じ、ツインテールの娘……誰なんだろうねぇー……?」
時に憎しみをこめて、時に愛情をこめて。その目は俺を恐れさせてきた。
そして、鹿角さんに今向けられているその十二の瞳に、どちらの感情が込められているか、わざわざ説明するまでもないだろう。俺は、もう気がつき始めている。曜との出来事が、決定的すぎた。
個人ごとに、その程度は大なり小なりあれ……
(みんなは俺のことを……好きでいてくれるんだ)
そして、それ故の女の子の嫉妬というものは、俺みたいな男のものとは比べ物ならないエネルギーを秘めているのだとも、理解させられる。
俺だって一応、男のつもりだ。だけどその俺が、女の子の纏う雰囲気には、竦みあがっているのが現実なのだから……
だけど、そうさせる原因はAqoursのみんなだけじゃない。
(鹿角さんだ。彼女にだってこの雰囲気は伝わってるはずなのに、怖がるどころか、挑戦的な雰囲気に見える……)
それが、何故なのかはわからない。
だけど。狼狽える俺と訝しんでいる妹の理亞さんとは違って、鹿角さんは笑みを浮かべて、余裕の挨拶まで始めた。
「初めまして……ですよね? 『Aqours』の皆さん。私の名前は、鹿角聖良と言います。翔さんを少し借りていましたよ」
「ッ…… 翔くんのこと、呼び捨てに……!」
彼女の意図がどうあれ、そういう態度やセリフが、余計にみんなの癪に触っているのは確かだ。
本来は、Aqoursのみんなが怒るのは、まったく理不尽ではあるのだけど。彼女は、それをわかってなくて……いや、まさか『わかっているから』なのか……?
それに、今の言葉の意味って……
「!? オラ達の事……知ってるんですか?」
「ええ、勿論です。私もスクールアイドルが好きで……あのランタンのライブ動画は、楽しく見させてもらいましたから!」
「……動画見てくれてありがとう、ございます」
少し不満げに、ルビィちゃんが一応御礼を言った。
鹿角さんは……みんなのこと、『Aqours』だって分かってたんだ。よく考えたら、それは不思議なことじゃない。
Aqoursは今週、全スクールアイドルの中で、一番のランキング上昇率だったんだ。スクールアイドルに並々ならぬこだわりのある鹿角さんが、それを一切チェックしていない……ということはないだろう。あのライブ動画だって、一度くらいは見ていてもおかしくない。
でも……そうだとすれば、鹿角さんの中では、さっきまで話していた俺の『悩み』が……全部Aqoursのことだってバレてることになる。なんだか、身内の恥をさらしてしまったみたいだ。
「むしろ、お礼を言うのはこちらです!素晴らしいライブを見せてもらったんですから。それで、気になったんですけど……ひょっとして、『明日のライブイベント』で来られているんですか?」
「初対面の人に、そんなことまで話したの?翔くん……」
「いえ、私の推測ですよ?あのイベントは、スクールアイドルのチャンネルで配信される大きなイベントですし、私も楽しみにしていますから!」
みんなからの厳しい視線が再び俺に突き刺さるが、これに関しては鹿角さんの勘の良さを褒めるべきだと思う。彼女にそれを類推させるような話をしたのは俺とはいえ、アレだけの情報であっさりと繋げてしまえるのは、彼女の能力だ。
「……」
不審そうにしているみんなも、それを本能で感じ取っているのだと思う。俺の隣にいるから……という以上に、鹿角さんの態度を警戒しているように見える。
しかし、警戒よりもまずは俺のことを気にかけてくれたのだろうか。近づいてきて、千歌が唐突に俺の右手をとって引っ張ろうとする。つい今朝まで避けてたくらいなのにと、喜べはしない。その手はとても強い力で握られた。
「そう言ってもらえるのは、嬉しいですけど。早くしょーくんから離れてください。私たち、これから彼とお話しないといけないんです。大事なお話を……」
その力の込め具合と、大事なお話という言葉に、また少し背筋が寒くなる覚えがした。
天真爛漫な千歌とは思えないくらい、彼女にかける言葉にも棘があって、冷たい声だったからだ。だけど、鹿角さんはまだ怯まない。興味があって話しかけているというよりは……少し、ケンカ腰にも見えるようなムードにも見えてきた。
(いったいなんでだ? スクールアイドルのAqoursだと分かっていて、なんでそんな態度を……?)
……その直後に、その予感が正しかったと思い知らされる。
「あら……それはお邪魔をしてしまいましたね、ごめんなさい。大事なスクールアイドル活動のために、翔さんにはまだまだ働いてもらわないといけないんですよね?」
「……どういう、意味ですか。翔くんは大切な仲間なんです。何が言いたいんですか……?」
「いえ……別に、大したことではありませんよ。ただ、こんなに仲間想いで、Aqoursの皆さんの活動を支えてくれている人に対して、心身ともにどれだけ負担をかけているのかなぁ……って、思ってしまったんですよ」クスッ
冷たさは、反対側からも来た。
鹿角さんが、空いていた左手の方を握って……こんなことを言ってしまったから。
「「「「「「——————!!」」」」」」
「っ、鹿角、さn……!?」
———それは、明確な挑発。
わざとではあるけど、嘲笑にも近い。
つまるところ、彼女は真正面から……確信犯的にAqoursにケンカを売っていたということだ。
「どういう……意味ですか?」
千歌が見たことのない程無表情になって、右手に込められた力が強くなった。おとなしい梨子からも、理事長に怒った時以上の怒りを込めた言葉が飛ぶ。だが、鹿角さんも相変わらずだった。それどころか、みんなが俺に執着していると理解したうえで、わざわざそれを煽るようなことを言っている。
俺はこの、何もかも予想外で異様な雰囲気を前に、ロクに言葉を挟むことができないでいた。当然、舌戦は止まる気配を見せない。鹿角さんは、止まらない……。
「———あら、よく聞こえませんでしたか? ならわかりやすく言ってあげます。せっかく、皆さんのためにと心を砕いて、裏方で必死に頑張ってくれている人がいるのに……その人をこれだけ苦しめてしまっているなんて、『スクールアイドル失格』だということです」
「か、鹿角さん。俺はいいから、それ以上は———!」
「翔さんは何も言わないでください! ……私は、スクールアイドルを愛する一人として、ちょっと腹が立っているんです。ガッカリしてるんですよ、話題のAqoursの人たちが、こんなレベルだったなんてことに……」
みんなの表情と瞳は、ますます怒りに染まって、手が付けられなくなっていく。みんながこんなに怒っているのを見るのは初めてで、理事長相手の時とは比べ物にならない。流石の俺も絶句してばかりはいられず、間に割って入ってでも止めようとするけど、それすらも鹿角さんは一蹴してしまった。
張り詰める空気と、明らかになにか危険なスイッチの入っているAqoursのみんな。
「あ……貴女に!何がわかるって言うんですか!?私たちの関係に……」
「そうですね、所詮『ある程度』でしかありません。ですが……逆に、貴女達にはスクールアイドルの何がわかっているんですか?」
……だけど、鹿角さんの言葉は対照的に、怒っていると言いつつも冷静だった。単なる挑発じゃない。スクールアイドルを真剣に愛しているであろう彼女の、鋭い指摘でもあった。
「スクールアイドルは……見てくれる人みんなに、夢と希望と、笑顔を与えてくれる素晴らしいものです。少なくとも、かつてこの神田明神に通ったμ'sはそうでした。ですが、今の貴女達はなんですか?」
「何って……」
「彼は、一番身近にいて助けてくれている、大切な人なんでしょう?……好きだからと言って、その彼をこんなにも悩ませて、苦しめていて。一番近くの人さえ喜ばせてあげられないで、何がスクールアイドルだというんですか!?」
小原さん達にPVを酷評された時よりも、より、厳しい言葉が突き刺さる。みんなの顔色が、変わり始めるのが分かった。ショックと言っても、さっきまでの怒りによるものじゃなく……失意。
言われているのがみんなであっても、俺もその一端で、責任がある。
俺がもっと早く、態度をはっきりさせてたり、曜や千歌の気持ちに気づいてたり、色んな事をしてあげられてたら……今、鹿角さんにこんなことを言われるような事態には、なってないんじゃないか。
「わかりますか? 貴女達は、スクールアイドルを侮辱していると言われても、否定はできませんよ。それでいて、μ'sに憧れたのか……ここに来るような資格があると思いますか?」
「っ、そうならないために、これから私たちで……!」
「……そうですか。では、明日のライブを楽しみに見させてもらいます。そこで貴女達のパフォーマンスを見て、判断させてもらうことにしましょう。それでもダメなようでしたら……」
———それ以上、彼女は言うことを辞めた。
俺とAqoursのみんの表情から、凄く痛いところをついてしまったのだとわかったのだろう。そして、それ以上言う必要がないのだということも。
いつの間にか、千歌の手は力を失って、解けかかっていた。鹿角さんはそれを見て、俺の手を放して頭を下げる。
「翔さん、不快にさせてしまってすいませんでした。お仲間の方々のこと、悪く言ってしまって……それでも、スクールアイドルを愛する一人として、どうしても言わなければ気が済まなかったのです」
「……鹿角さんの言いたいことはわかった。でも、それなら俺がこれからそうさせなきゃいいんだろ。それに、明日のライブでも……」
「ええ。私が言うことでもないかもしれませんが……期待していますよ。恩人の貴方がサポートしている、ランキング急上昇中の新グループ、ですからね」
「その名前に恥じないライブに……するさ」
強がり、そして自信のない言葉。それが今の俺に出せる精一杯だった。
さすがにみんなもトーンダウンして、冷え切った空気も霧散し始めたように感じる。周りの参拝客もちらほらと現れ始めて、このままここに留まることは、できなくなってきた。
お互いにその気もなかったようだし、帰ろうとする鹿角さんと妹を、誰も止めることはしない。……できない。
「それでは皆さん、失礼なことを言ってすいませんでした。……明日、楽しみにしていますね。あのPVを撮った……『Sさん』?」
「そこまでバレてたか……あ、待ってくれ。見たって、どこで感想言う気なんだ? ここまで言われて、勝ち逃げされるみたいなのはこっちも……」
「いえ、いいんです。……きっとまた、すぐにお会いできるでしょうから」
俺がその意味を問う前に、鹿角さんは去っていく。そして、それについていく妹の理亞さんが、俺の隣を通り過ぎる時に一言だけ、小さくつぶやいていった。
「———今日の御礼は言うけど、明日は手加減はしないから」
♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢
「しょーくん!さっきの人、どう言うことなの!?」
彼女たちが、神田明神の階段を下りていって帰ってからすぐに、みんなが俺のところに駆け寄ってくる。
「いや……アレは多分、彼女なりの忠告のつもりなんだ。真摯に受け止めなきゃ」
「そういう問題じゃないよ!どういう人で、どういう関係で……ああもう、どこから聞けばいいのー!」
「通りすがりに助けた、ただのスクールアイドル好きの観光客。俺も、そう思ってた……」
……つい、さっきまでは。
千歌の抗議の言葉も、今の俺には遠く聞こえる。何でもっと早く気がつかなかったのかと、心ここに在らずだったからだ。
これまでも感じていた不安が、俄に大きくなってくるのを感じた。もう勝負の場は、今までの沼津の中じゃない。鹿角さんと同じくらい、スクールアイドルにこだわりのある人がいっぱいいる。しかも、それは『ファン』のみならず……。
「……大事な話、あるんだろ? 曜、さっきはゴメン。とにかく、もう暗くなるし……宿に帰って明日に備えようぜ」
「あっ、ま、待ってよー!」
「待たない。俺、色々悩んでお腹すいちまってるんだ。お茶も逃したしな」
話をするにも、腹を満たすにも、宿に帰らないといけない。俺を速足で次の行動に急かしているのは、大きくなり続ける不安だ。
Aqoursのライブは、全国からスクールアイドルの集まるライブで、目の肥えたファンたちに通用するのか?μ'sや、A-RISEを見てきた人たちに。
そして……『プレイヤー』も。
(彼女のこのプライド、そしてこだわりは、『ファンだから』だけで培われるものじゃない)
俺には確信があった。鹿角さん達姉妹が、夏休みの前だっていうのに、なぜ函館から俺達と同じタイミングで、東京に来たのか。
彼女たちは————……
千歌達の言葉を、昨日と同じ調子でいなす女性。そして、相変わらず無言でこちらを睨みむ彼女の妹。
身にまとっているのは、ステージ衣装。
ここまでくれば、彼女たちと直接話した俺じゃなくても、理解させられてしまうというものだ。
「……スクールアイドル、だったんですか」
「ええ……あ!そういえば言ってませんでしたね?ごめんなさい、私たちは函館から来たスクールアイドルなんですよ」
「別に……どこから来たかなんて……!」
彼女が昨日言った言葉の意味。そのすべてが、今ならわかる。
たくさんの見ず知らずのお客さんがいるステージに向かって、一歩一歩、自信と勇気に満ち溢れた歩みを進めている……それは、俺達のような一朝一夕にできるものじゃない。たくさんの練習と、お客さんを楽しませようというある種のプロ意識と、ライブ経験に裏打ちされた自信。
俺は……Aqoursのみんながステージに立つ前から、このライブイベントの結果を思い知らされた気がした。
「……翔さん。これからのライブを良く見ててください、私たち『Saint Snow』のステージを!」
真打登場。
これ、お互いにジェラってます。Aqoursは恋愛で、聖良はスクールアイドルにかけるプライドと(翔へのやや一方通行的な)友情です。
そういえば、450,000UAを突破しました!!いつもご愛読ありがとうございました。