導入部なので少し短め、かつ一夏が若干壊れ気味です。
来客を知らせるチャイムの音が響く。その音を聞いた住人の一人、長めな赤毛の髪をした少年は呑気な声を出しながら玄関先まで向かい、そしてその扉を開けた。
そこに立っていたのは一人の少年。赤毛の少年の知り合いだったらしい彼は、「よう、弾」などと言いながら笑顔を見せた。
「一夏ぁ!? 何でいきなり」
「いきなりとは失敬な。ちゃんと遊びに行くって伝えたぞ」
赤毛の少年の驚いたようなその言葉にさらりと答えた一夏は、二人の会話を聞いて玄関先までやってきた一人の少女を指差した。気合の入ったワンピースに黒いオーバーニーという兄からすればそうそうお眼に掛かれない服装をしていた彼の妹を指差した。そしてそれはもう満面の笑みで言葉を続けた。
「――蘭に」
「俺に言えよ!」
そんな叫びを上げたのは五反田弾、織斑一夏の中学時代からの悪友である。
「で、どうなんだよ」
玄関先で騒ぐのも何だし、という一夏の言葉に従い弾は自分の部屋へと招き入れた。どこかおかしい気もするが、彼等にとっては日常風景なので何の問題もない。
そんな二人が部屋で対戦ゲームをやり始めて暫く経った会話の始めがこれである。一体全体何がどうなのかさっぱり分からない一夏は、弾の言葉に何のこっちゃと首を傾げた。
その一夏の行動を見た弾は、とぼけるなと彼を睨む。IS学園での生活の話に決まっているだろうと続けながらゲームで一夏のキャラにトドメを刺した。
「女の園だぞ女の園。絶対ラッキースケベ的な何かがあったに決まってる」
「頭にウジ湧いてんのかお前?」
「湧いてんのはお前だろ! 何か? まさかこの一ヶ月何も無かったとか言う気か?」
「箒の裸は見たぞ」
「おい」
思わず手を止めてしまった弾に隙ありと一夏はコントローラーを操作した。さっきのお返しとばかりに一夏のキャラが弾のキャラを蜂の巣にする。リザルト画面が映し出される中、画面に目もくれずに二人の少年が胸倉を掴み合っていた。別に剣呑な空気をかもし出しているわけではないが、しかし光景としてはいささか物騒なものであるのには間違いない。
「お前篠ノ之と遂にそういう関係になったのかよ!」
「んなわけあるか。あいつと同室だったから、部屋に入ったら着替え中だったんだよ」
「待て」
聞き捨てならない言葉が聞こえた、と弾は一夏の言葉を遮る。彼の記憶が確かならば一夏の幼馴染である篠ノ之箒は女性だったはずだ。それも、中学の時点で素晴らしいプロポーションを誇る美人。そんな少女と同室。そのことを理解した弾は、奇声を発しながら一夏へと飛び掛った。
貴様は全俺を敵に回した。辛うじて理解出来る単語はそれだけであった。
「落ち着け弾。俺は何もやましいことはしていない!」
「裸見てんだろ! 思い切りやましいわ!」
「事故だ事故! その後ボディーブロー食らって蹲った所に追撃のサッカーボールキック鳩尾にねじ込まれたし」
「そりゃそうだろ。年頃の女性の裸見たんだ。万死に値する」
一夏が弁明しながら攻撃を回避している内に落ち着いてきたのか、弾はクッションに腰を下ろすとうんうんと頷きながらそう述べた。若干乱れた服を正しながらやれやれと肩を竦めつつ、一夏はそんな彼に話を続けた。
「そんなアホな会話より、鈴だよ鈴。帰ってきたんだぜ」
「あぁ、鈴か。どうなんだあいつ。変わってなかったのか?」
弾の言葉に一夏は暫し考える。言動、行動、そして感触。あの『事件』以来少し歪になっていた節もあったが、結局のところ彼女は彼女のままであり、今はもう彼の記憶の中にある凰鈴音そのものである。そう結論付けた一夏は、彼の言葉に肯定の頷きを返した。
「そうか、あいつも相変わらずか。それがいいのか悪いのかは分からんが」
「まあ、いい部分もあるし悪い部分もあるって感じだろうな。ぺったんこのままだったし」
「……今、なんつった?」
「鈴の胸は成長してなかった」
「……何で知ってんだ?」
「え? そんなもん見りゃ分かるって。後は……あいつと絡み合ったし」
「死ねぇぇぇぇ! 一夏ぁぁぁぁ!」
「何でキレてんだよ! ……あ、いや、違う! そういう意味じゃない!」
盛大に誤解を招く発言をしてしまったことに気付いた一夏は慌てて修正するが、しかし既に修羅と化した弾を止めるには至らない。狭い部屋で逃げ場も無いこの状況で、彼は修羅の拳を上半身の動きだけで何とか躱す。一歩間違えると直撃コースの紙一重だが、それでも何とか説得を試みながら一夏は避けきった。
「つまり、戦ってる最中にぶつかって絡まり合った、と」
「そう、そうなんだよ。分かってくれたか弾」
「うんまあお前死ねよ」
「酷ぇ!?」
説得終了し修羅から弾に戻ったものの、結局一夏に掛けられる言葉は一緒であった。誤解だろうが何だろうが、彼の評価は変わらないようである。がくりと肩を落としながらゲームを再開しようとコントローラーを持った彼に、弾は意地悪そうな笑みを浮かべてバンバンと背中を叩いた。
まあ、そんなうらやましい思いをしている一夏にはきっと天罰が下るな。物凄く嬉しそうな顔でそう語る弾の顔を見て、一夏はこいつ本当に俺の親友だろうかと割と本気で頭を悩ませた。
「お引越しです」
そんな弾との会話を、一夏は真耶の唐突な一言を聞いた時に思い出した。あまりにも唐突過ぎて一体何のことか思考が追い付かない。単語も会話の意味も両方分かるのだが、しかし、主語が無い所為で納得する答えが出ないのだ。
「山田先生、いきなり生徒に自身の引越しの手伝いを強要しに現れるのはどうかと」
「違いますよ!」
そんな一夏とは裏腹に、同じくその単語の主語を考えていた箒がいち早く答えを導き出していた。が、返ってきた答えは否定。何だ違うのかと頬を掻く彼女を見ながら、一夏はもう一度考えを纏めた。
どうやら山田教諭の引越しではない。となると、この場にいる他の誰かの引越しだと考えるのが妥当であろう。つまり、自分である一夏と、ルームメイトである箒。そのどちらかが引っ越すのだ、という結論を彼は出した。
「いや、ここはあれか。俺と箒の部屋がここじゃない広い場所に変わる」
「おお、それはいいな。出来れば剣道場が内蔵されている部屋がいい」
「フローリングか。じゃあ先生、そこで」
「そんな場所ありません! っていうか何でそんなぶっ飛んだ思考になるんですか!」
肩で息をする真耶を眺めつつ、だって先生会話の主語が無かったし、と彼等は平然と述べた。勿論、だからと言って好き勝手な答えを出してもいいというわけでは無い。
どこか疲れたように溜息を吐いた彼女は、もう一度先程の言葉を発した。今度はちゃんと主語を付けて、である。篠ノ之さんのお引越しです。そう言ってどうだとばかりに二人を見た。
「……どうしてですか?」
「え?」
ところが、そんな真耶の耳に届いたのは純粋な疑問の声であった。その質問を放った張本人、箒は真剣に理由が分からないようで首を傾げている。そんな彼女を見た真耶は、一体何が分からなかったのだろうかとこちらも首を傾げた。
そして一人一夏が取り残された。事情を察した少年だけが取り残された。
「そういや、確か男子生徒専用の部屋を用意するまでの繋ぎって話でしたっけ」
「そうだったのか!?」
「何で素でビックリしてんだお前」
「いや、私は何も聞いていなかったからな」
聞いていなくても、普通男女が一緒の部屋にいるのは駄目だろう。そう説明しようと思った一夏であったが、しかし。目の前の彼女と自分の関係ではこれは当てはまらないのではないかと思い直しどうしたものかと首を傾げた。
首を傾げる人間が三人に増えた。
「いやいや。普通に考えて男女が同室っていうのはマズイですよ!」
「男女?」
「そこからなんですか!? 篠ノ之さんと織斑君ですよ!」
「私と一夏が一緒だと、男女が同室?」
「助けてください織斑くぅぅぅぅん!」
「おい箒、いい加減山田先生からかうのはよせ」
「む、そうか」
「わざと!? わざとだったんですか!?」
「半分くらいは本気です」
「もういやこの人達!」
涙目になった真耶を見た二人はやり過ぎたと若干反省。ごめんなさいと頭を下げ、なだめ落ち着かせてから話の続きを促した。わざわざ一ヶ月ほど経ってから引越しをさせるのには何の意図があるのか、という疑問の答えもついでに求めた。
「え?」
「元々男子生徒用の部屋の用意をするって話だったんだし、こんなゴールデンウィーク真っ最中になるまでもたつくっていうのも変な話だな、と」
「確かに。部屋の空きを作るだけなら一週間もあれば出来るはずだ」
何より、その頃に遅れて一人入学してきているわけだし。そう続けた箒の言葉に、真耶は一瞬たじろぐ。が、即座に持ち直すと何のことやらとあからさまに視線を逸らした。一夏から見ても箒から見ても、傍から見ても当然誤魔化せていない。
が、そこを追求していると話が一向に進まない気がしたので、とりあえず二人はもう一度話の続きを促した。
「こほん。というわけで、ここの部屋を男子生徒用の部屋にすることが決定しましたので、篠ノ之さんには別の部屋に移ってもらうことになります」
「……それは、どうしてもですか?」
「え? はい、そうですね。今回はどうしても、ですね」
普段の彼女らしからぬその質問に一瞬言葉が詰まったが、しかしこればかりは譲れないと真耶は言い張った。それを聞いた箒は悩むように顎に手を当て、そしてチラチラと一夏を見る。その視線の意味に気付いているのかいないのか、向けられている彼は我関せずを貫いていた。
やがて痺れを切らしたのか、箒は一夏に向かって声を掛けた。何だ、と彼女の方を振り向いた彼は、何故かとても嬉しそうな顔をしていた。
「窓側のベッドを、使うのか?」
「当たり前だろ! 遂に俺は窓側ベッドを手に入れたぞ! ひゃっほーい!」
一体何の話だろう、と真耶は首を傾げる。彼女が見る限り窓側のベッドは箒が使っているようで、会話を聞く限りでは彼女が引っ越すので一夏がそこを使うようになるらしい。それだけでここまでテンションが上がるのだろか、と彼女はどうにも納得がいかなかった。
彼女は知らない。入学初日の号外になった事件の発端は、彼等のどちらかが窓側ベッドを使うかで揉めたからだ、と。
「乙女が一ヶ月使ったベッドを前にして狂喜乱舞するとは、変態だな一夏」
「ああそうさ、俺は変態だ! 変態で結構だ!」
「そうか、じゃあ早速クラスの皆に伝えよう」
「待ってくださいごめんなさい俺が悪かったです」
「もう何なのこの夫婦漫才……」
何故簡単な連絡事項を伝えに来た筈なのにここまでグダグダになっているのだろう。自身の生贄属性を呪いながら、彼女は見えない空を仰いだ。
ちなみに、引越し自体はとてもスムーズに行われたことをここに記録しておく。
そんな連休も過ぎ、五月七日。再び学園が始まる日である。
一夏も箒もセシリアも、そして違うクラスではあるが鈴音も。それぞれが休みボケを矯正しながら教室に向かって歩いている時の話だ。やっほ~とのんびりした声に振り向くと、そこには簪を引っ張りながらこちらに走ってくる本音の姿が見えた。その後ろにはそんな二人を微笑ましく見守る癒子とナギの姿もある。
総勢八人となった登校風景は、連休中に何が起こったかなどというとりとめない話を交えながら賑やかに過ぎていく。少し変わったものを扱っているとはいえ、彼等彼女等は高校生、まだまだ青春真っ只中なのだ。
そんな会話の中、ふと思い出したように癒子が口を開いた。そういえば、転校生が来るんだって、と。
「転校生?」
「うん、何でもフランスからの留学生だって」
そう続けた癒子だったが、ナギはあれ、と首を傾げた。私が聞いた話だとドイツからの留学生だったけど。そう言うと何かを考えるように空を仰いだ。
「二人なのかな~?」
「それは豪勢だな」
「ふーん。つっても、フランスにドイツねぇ。セシリア、何か心当たりない? 代表候補生で専用機持ち、とかでさ」
鈴音の質問にそうですわね、と少し考える素振りを見せた彼女であったが、しかしゆっくりと首を横に振った。留学してくるような人物に心当たりは無い、そうはっきり言い切った。
「フランスの代表候補生はわたくし達より年齢が上ですし、ドイツの代表候補生は――年齢は問題ないですが、既に職に就いていますし」
それ以外で思い付く人物は普通にその国の専門機関に通っているはずだ。そう締めくくると肩を竦めた。
「というか、鈴さんの方こそ何か心当たりはないのですか? 一応専用機持ちの代表候補生ですわよね?」
「鈴に求めても無駄だと思うぞ」
「何でアンタが答えるのよ! いや、まあ、そうなんだけどさ」
その手の知識はとんと疎い。それを自覚している鈴音はバツの悪そうに頬を掻く。
まあ考えても仕方ない、という結論に達した一行は、出会ってから考えようと教室までの道を歩くのであった。
「んで、更識さん」
「ふぇ!? な、何!?」
「いや、更識さんは心当たりないかな、ってな」
とはいえ、それで諦めないのがこの少年である。あまり会話に加わらなかった代表候補生にして専用機持ちの一人、更識簪をロックオンするとそんなことを尋ねた。勿論急に話を振られた簪は若干パニックに陥り挙動不審に視線を彷徨わせる。暫くそんな動きを続けていたが、やがて少し落ち着いたのか大きく息を吐くとゆっくりと首を振った。
「私も……知らない、かな」
「そっか。代表候補生が知らないってことは、普通に留学生ってことなのか」
「何が普通かは分からないけど……。あ、でも」
ドイツの方は気になる話を聞いた。そう呟くと一斉に視線が彼女の方へと向く。注目されたことで再び慌てて縮こまってしまった簪だったが、本音が皆の視線を散らしたので先程より早く落ち着くことが出来た。
それでも少し恥ずかしさで顔が赤い状態のまま、さっきオルコットさんが言ってた人なんだけど、と述べた。
「学生を……やる、らしいよ」
「それでは、転校生を紹介します!」
そう言ってどうだ驚いたかと言わんばかりに胸を張る真耶であったが、一年一組の生徒は特に無反応であった。その光景が彼女は予想外だったのか、若干うろたえつつもそれでは入ってきてください、と教室の外にいる転校生を呼ぶ。
朝一夏達が話している情報はクラス中に広まり、既に転校生が来るという話は周知の事実であった。後はそのフランスの留学生とドイツの留学生とやらがどんな人物か、気になるのはそこだけなのである。だから山田教諭の最初の一言には特に反応を示さなかったクラスの皆も、ドアを開けて入ってくる人物には物凄い興味を示していた。
IS学園特有の白を基調とした制服、その服を纏った人物はゆっくりと教壇の隣に立つと、笑顔を浮かべたままゆっくりと会釈をした。それに合わせて後ろで結んでいる長めの髪が揺れる。
「フランスから来た、シャルル・デュノアです。いきなりの転入で皆さん戸惑われるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」
そう述べた人物――シャルルの着ていた制服の下半身は、女子制服を改造したものとはまた違ったタイプのズボン。IS学園の生徒の中でも唯一人だけ着ていた『男子生徒』の制服であった。
そのことに気付いたクラスの生徒達はゆっくりと、その意味を確かめるようにぽつりと呟く。「男子?」、と。
「はい。実はその関係で今回の転入に至ったわけで――」
その辺りで彼の言葉は掻き消された。クラスの女子生徒が発する大音量に、である。何を言っているのか分からない叫びから、何故か神に感謝を始める言葉まで多種多様で、だがそれはほぼ全てがシャルルを歓迎しているものであった。そのことを分かっているのか、彼はその大音量に顔をしかめることなく笑顔のまま佇んでいる。
が、その反応が気に食わない人物も当然いる。うるさい、鬱陶しい。凡そ教師としてどうなのかと思うような言葉でクラスの連中を黙らせると、千冬はシャルルに席に着くよう促した。
「さて、では新しいクラスの仲間も増えたところで――」
「あ、織斑先生質問」
ホームルームを終わる。そう続けようとした千冬の言葉を遮るように、騒いでいなかった男子生徒、一夏は挙げた手をヒラヒラと動かした。その動きを見てあからさまに嫌そうな顔をした千冬であったが、しかし今この場では教師である以上無視するわけにもいかない。何だ織斑、と彼に向かって言葉を返した。
「ドイツの留学生は別のクラスなんですか?」
「……それを聞いてどうする?」
「挨拶に行くに決まってんじゃないですか」
「では、ホームルームを終わる」
「流された!? っていうかそこまで俺に挨拶に行って欲しくないのかよ!」
一夏の叫びに当たり前だと返した千冬は、どの道今日は無理だぞ、と机に突っ伏した彼に続けた。向こうでトラブルがあったらしく、二・三日転入が遅れるらしい。それだけ言うと、彼女は今度こそ終わりだと話を打ち切った。
教室を出て行く千冬の姿を目で追いながら、一夏はどことなく腑に落ちない表情で息を吐く。何かを隠しているような、そんな怪しさを感じ取ったのだ。勿論根拠など無い。
「ま、考えてもしょうがないか」
とりあえずは目の前の授業を片付けるとしよう。そんなことを呟きながら彼は今日の一時限目の準備を始めるのであった。
さて、授業が終わって最初の休み時間である。
「君が織斑君、だよね。僕はシャルル・デュノア」
「知ってる。朝聞いたからな」
「あ、う、うん。そうだよね」
にこやかな笑みで話し掛けるシャルルに対して、一夏はぶっきらぼうに返事を返す。その態度に少しだけ困ったように眉をひそめると、彼は右手を突き出した。これからよろしく、そう言って再び微笑む。
そんな彼の手を握り返しながら、一夏は真っ直ぐに睨んだ。睨み付けた。明らかに敵意の篭ったその瞳を見たシャルルは、笑みを潜めて目を瞬かせる。何か悪いことをでもしたかな、そう尋ねるが、睨んだ本人は別に何でもないと取り付く島もない。
「一夏、何拗ねているんだ」
「拗ねてない」
「どう見ても拗ねる子供そのものですわ」
「拗ねてない!」
「あー、デュノア君おりむーよりかっこいいもんね~」
「やかましいわ!」
言いにくいことをズバリと言ってのけた本音に向かってそう叫ぶと、一夏はシャルルに向かって指を突き付けた。ちょっとくらい美形だからっていい気になるなよ、そんなとてつもなく小物なセリフを言うと、彼は自身の机に突っ伏した。男は顔じゃない、男は顔じゃない、と呪詛のように呟く様はかなり醜い。
「えっと、どうすればいい、のかな?」
「ああ、放っておいていいよ」
「うん、織斑君のいつもの奇行だから」
「は? え? 奇行?」
図らずとも当事者となったシャルルは困ったように頬を掻いたが、そんな彼に返ってきた言葉は「気にするな」、であった。癒子とナギを筆頭に一年一組のクラスメイトは軽く流しており、そして煽った張本人である本音も既に何処吹く風で他の誰かと談笑をしている。
成程、これはこういう空気なんだ、と呟いたシャルルは、一夏を視界から外して箒とセシリアに向き直った。これからよろしく、と笑顔で握手を求めると、二人はこちらこそと笑顔で返した。
「誰かツッコミ入れろよ!」
「嫌だ」
「嫌ですわ」
そのタイミングで顔を上げた一夏が叫んだ。そして二人は即座に切り返した。箒はともかく、セシリアもこの一ヶ月で大分染まってきているようである。
不満げに二人を見る彼の顔は先程とは異なり、敵意を含んでいる様子は見られない。そのことに気付いたシャルルは、そういう意味かと手を叩いた。どうやらあの一連の行動は全て冗談だったのだ、と。
となると彼のやることは一つである。
「なんでやねん」
「ズレてる!? けど律儀だ! デュノア、俺と友達になってくれ!」
どうやら正解だったらしく、一夏は目を輝かせながらシャルルに向かって握手を求めてくる。先程行った行為と同じものであるが、その意味は全く違うそれを彼は快く承諾し、こちらこそよろしくと笑顔を向けた。一夏も同じように笑顔を返す。
「けどよかった。僕嫌われてるかと思っちゃったよ」
「……マジで?」
「うん」
「え?」
「こっちを見るな馬鹿者。当たり前だろ馬鹿者。もう少し初対面の人物とのノリを考えろ馬鹿者」
「……つまり、語尾が馬鹿者という新たなキャラ付けが秘訣か」
「とうっ」
「おぅふ!?」
突如始まった一夏と箒のドツキ漫才を見つつ、シャルルは視線を周囲に向けた。特に何の反応も見せていないところを見ると、これもいつもの光景らしい。それを認識した彼は成程、と顎に手を当て頷いた。
そんな彼を見たセシリアは少し意外そうにシャルルを見る。見た目からは考えられない順応性の高さに驚いたのだ。
彼は変わらず微笑を浮かべている。その光景に、彼女は少しだけ引っ掛かりを覚えた。それはほんの些細な違和感で、チャイムの音と同時にすぐに忘れてしまう程度のものであったが、しかし。
「まあ、考えていても仕方ありませんわね」
答えの出ない問題をいつまでも考えているほど好き者ではない。そう結論付けた彼女は席に戻り二時限目の教科書を取り出した。
三時限目は実習である。生徒はそれぞれISスーツに着替え専用のグラウンドに集合しなければならない。学園のほぼ全てを女子が占めている以上、そのための着替えは当然その場――すなわち教室内で行われる。
そしてそれは同時に、男子生徒が追い出されることを意味していた。
「まったく、理不尽だよな」
「いや、当然だと思うよ」
着替えの入ったバッグを担ぎながらぼやく一夏に向かい、シャルルが苦笑しながらそう返す。流石に男子生徒が女子と一緒に着替えたら問題だ。そう述べる彼の意見は至極もっともであった。
「そこは男女平等の精神でだな」
「……ひょっとして、織斑君ってスケベなの?」
「ド直球ですね」
そう言いながらも、男は基本皆スケベだと拳を振り上げて豪語する一夏を見て、シャルルは感心するように拍手をした。その建前をまるで用意しない姿勢は凄い、拍手をしながらそう続けた。
「褒めてるのか貶してんのか分からん」
「褒めてるよ、一応」
「一応かよ」
そのまま取り留めの無い会話をしながら、二人は空いている更衣室までの道を歩く。とはいえ、授業開始まであまり時間は無いので少しだけ足を速めた。
途中物珍しそうに二人を見る女生徒がいたものの、一夏が傍らにいたおかげか包囲されて質問責めに遭うなどということは無かった。この一ヶ月で完全に珍獣扱いが定着した彼が、いい具合に隠れ蓑となったのだ。
「うし、到ちゃ――って時間ヤバイな」
辿り着いた第二アリーナの更衣室の扉を開け中に入ると、一夏は携帯を見ながらそんな声を挙げた。確かに着替えてグラウンドに向かうとなると余裕はほとんど無い。
手近なロッカーの扉を開くと、彼は急いで制服の上着を脱ぎ捨てた。下着も脱ぎ上半身裸になるとバッグの中のISスーツを取り出して身に付ける。
その過程でふと横を見た彼一夏は、シャルルがまだ着替え始めていないことに気付いた。どうした、着替えないのか。そう尋ねても、曖昧に頷くだけで服に手を掛けようとしない。
「遅れるぞ」
「うん。……その、出来れば着替えを見ないで欲しいんだ」
その言葉にそんなこと当たり前だと一夏は返す。普通に考えて男が男の着替えをジロジロ見る理由はない。
無い、のだが。しかし改めてわざわざ言われるとどうにも気になってしまうのが織斑一夏という人間である。早い話が捻くれ者である。変人とも言う。
勿論、それがいい方向に転がるとは限らない。
「ひょっとして……何か特別な事情があるのか?」
「うん、まあね……」
そう言うとシャルルは少しだけ迷う素振りを見せた後、自身の制服に手を掛けた。上着の下側を捲り上げると、そのまま腹部辺りが見える状態で動きを止める。これが理由だよ、と彼は肌を一夏に見せた。
「……っ!?」
白磁のようなシャルルの肌、その腹部に遠目でも分かるほどの巨大な傷跡が存在していた。下腹部から上に、胸部辺りまで伸びているそれは痛々しく、しかし古い傷跡であることを感じさせた。
「これが理由。だから僕、あまり人に肌を見られたくないんだ」
そう言って苦笑したシャルルは、そのまま上着を脱いだ。どうやら捲り上げた服の一番下はISスーツであったようで、彼の傷跡をすっぽり覆うデザインとなっているようである。そのままズボンを脱ぎ、同じように下に着ていたISスーツのズレを直すと、それじゃあ行こうかと一夏を促す。
ドアに手を掛けたシャルルの背中に、一夏は声を掛けた。ごめん、無神経だった。そう短く述べた一言は、彼の心からの言葉であった。
「別にいいよ。理由を聞かれるのは慣れてるから」
「それでも、ごめん」
「……真っ直ぐだね、織斑君は」
振り向かずにそう続けたシャルルの声は今までとは違う声色で、しかし次の瞬間には今まで通りの口調と声色で言葉を紡いだ。じゃあ、お詫びというわけじゃないけど。やはり振り向かずにそう続けた。
「僕のことはシャルルって呼んでよ」
「だったら、俺も一夏って呼んでくれ」
「分かったよ、一夏」
「おう、シャルル」
そろそろ時間がまずい、という一夏の言葉を皮切りに、二人はそのまま更衣室を出る。この場所から第二グラウンドまで、のんびり歩けば間に合わないが少し急げば充分間に合う。教師に怒られない程度に走りながら、ISスーツ姿の男子生徒二人は目的地まで急いだ。
これなら大丈夫だろう、そんなことを考えていた一夏は、隣に走っている人物の表情など気にしていない。同じように間に合う為に急いでいるのだから、同じような表情だろうと思い込んでいる彼は、その顔を確認していない。
先程までの物腰柔らかな少年とは思えないほどに、口を三日月に歪めていたことを。
転校生はブロンドスパイ、の巻。
導入部分過ぎて若干場面場面がぶつ切りになってしまった感が……。
あ、ちなみに、傷跡は変装用の偽装です。