視界が戻る。エラーログと周囲の状況を照らし合わせ、自分が今どうなっているのかをざっと確認したナターシャは答え合わせも兼ねて目の前の相手に問い掛けた。ここはどこだ、と。
「お前はナターシャだ」
「別にJAPANの記憶喪失ゴッコをしたいわけじゃないの」
「こっちは余計な仕事を増やされストレスが溜まっている。それくらいの軽口を言っても許されると思うが?」
「……ええ、そうね。それで、最初の質問の答えは?」
ふん、と鼻を鳴らした千冬は、海上ど真ん中だとぞんざいな返答を行う。それに別段文句を言うことなく、ナターシャはそうと短く頷くに留まった。
四肢を動かす。先程までの何もかもの自由を奪われていた状態が嘘のように軽快に動くそれを目の前の相手に見せつけるように行いながら、彼女は大きく溜息を吐いた。どうやら随分と盛大な居眠りをしていたようだ。そんなことを思わず呟く。
「ああ、随分と派手な夢遊病だった」
「……眠気覚ましにコーヒーでもあればいいんだけれど」
「戻ったら缶コーヒーでもくれてやる」
ケチね、とナターシャは笑う。むしろこっちが奢って欲しいくらいだ、と千冬も笑う。
そうしてひとしきり笑いあった二人は、視線をお互いから海の向こう側へと向けた。戻ろう、そう口にしたわけではなかったが、分かっているとばかりにそちらへとスラスターを吹かした。
その途中、千冬は言い忘れていたとばかりに隣のナターシャへと声を掛ける。
「缶コーヒーでない上等なものが欲しいのなら」
「ん?」
「戻ったら続きだ。お前が勝ったら奢ってやる」
「あら、いいの? 夢遊病患者の世話で疲れているでしょうに」
「そのくらいでなければ、お前が缶コーヒーしか飲めなくなるからな」
言ってくれるわね、とナターシャの目が細められる。その口元は笑みが浮かべられていたが、纏う雰囲気は獰猛な獣のそれであった。そんな状態であっても、彼女の冷静な部分は千冬に感謝を述べている。こちらが気に病まないようにその態度なのだろうな、と結論付けたからだ。勿論口には出さない。
千冬はそんな彼女の内心を気にしない。ぶっちゃけさっきの続きが気持ちよく出来ればそれでいいとさえ思っていたりもする。だからナターシャの感謝など受け取らない。
その途中、千冬はああそういえばと通信を繋いだ。報告が遅れたな、と束に前置きすると、『銀の福音』はウィルスによる暴走状態が解除されたことを報告する。顔の見えない彼女の親友は、はいはいの一言でそれを流した。
「やはりもう把握していたのか」
『んー、別にそういうわけじゃないよ。ちーちゃんならまあそんなもんでしょって思ってただけ』
「ふん。……ん? 一夏達が向こうを始末したんじゃないのか?」
『びみょー』
なんだそれはと千冬は顔を顰める。こちらで戦闘不能にさせる前に正気に戻ったためそう考えていたのだが、束の反応からすると違うのだろうか。そんなことを考えつつ、とりあえずその続きの言葉を待った。
『いや、多分ウィルスの発生源はいっくん達がどうにかしたと思うよ』
「なら何が問題だ? 一体向こうはどうなっている?」
もったいぶるな。そんな意味合いを込めた千冬のその問い掛けに、束はどう答えようか一瞬だけ迷った。どう答えても結局千冬は文句を言う。ならば思うがままでいいじゃないか。その一瞬でそう結論付け、彼女はどうなっているかと言われれば、と口角を上げた。
『盛り上がってきたんじゃないかな』
一夏と『ラブ・レイター』との間を遮るように乱入したその機体は、彼にとって随分と見慣れた相手であった。学園のアリーナで一回、電脳空間でもう一回。都合二回勝負をしたことがあり、そのどちらも勝負はつかなかったものだ。
そして同時に、今ここにいないもう一人の方も合わせてどこか憎めない奴だと思ってしまった相手だ。こちらは『しののの』、向こうは『亡国機業』、仲良くは出来ないはずなのに。
「……お前がいるってことは、やっぱりそこのは『亡国機業』か」
「まさか違うと思ってたの?」
「んなわけあるか」
「というかそれ以外頭に浮かんでなかっただけよね、一夏は」
「お前に言われたかねぇよ鈴」
「まったく、単純だな一夏は」
「お前にはもっと言われたくねぇよ箒!」
いいから話続けるぞ、と一夏は目の前の相手を見る。はいはい、と苦笑しながら肩を竦めたデゼールは、それで何が聞きたいのと彼に尋ね返した。
その質問に、一夏は無言を貫いた。語ることなど何も無い、というわけでは決してない。ただ思い付かなかっただけである。
「……聞きたいこともないのなら、もう私達は帰るけど」
手をヒラヒラとさせたデゼールを見て我に返った一夏は、そういうわけにはいかないだろ下ろしていた太刀を再び構えた。お前達の目的も聞いてないからな。そう続けて不敵に笑った。
「どうしてさっきそれを聞かなかったの?」
「出てこなかったんだよ!」
「馬鹿だな」
「バカね」
「うるせぇよ!」
それでどうなんだと強引に質問を続けた一夏に向かい、デゼールは大したことじゃないと苦笑する。『銀の福音』を暴走させ適当な街に被害を出せればそれでよかったと軽く語った。世間話のようにあまりにも軽いその物言いに、一夏も聞いていた箒や鈴音も一瞬だけ呆気に取られてしまう。
「……人が、死ぬぜ」
「そうだね。そういう作戦だからね」
「ISで……姉さんの翼で、無差別殺人、だと……?」
「そうだね。他人の夢を踏み躙るのが『亡国機業』だからね」
「何よアンタ……ゴーレムの時は気に入らないって言ってたくせに、こっちは気に入ったっていうの? 責任者同じ奴でしょ?」
「……そうだね。勿論嫌いだよ」
ヘルムとバイザーで覆われたその顔は、口元しか見えない。しかし、その口元が真一文字に結ばれるのを鈴音は確かに見た。箒と一夏もそれを目にし、ああ成程なと目を細める。
じゃあもう一つ質問だ。そんなことを言いつつ、箒はデゼールに自由になった指を突き付けた。
「今回の作戦は、失敗だな?」
「――そうだね。『銀の福音』、制御取り返されちゃったみたいだ」
そう言ってデゼールは楽しそうに笑った。まるで作戦が失敗したのを喜んでいるかのように。事実、一夏達にはそうとしか見えなかった。
『ラブ・レイター』は笑い事じゃないと彼女に叫ぶ。が、デゼールはそっちの失態だろうと軽く流すと二つのパックを投げ渡した。一つはエネルギーパック、もう一つは武装のリペアパック。これで応急処置をして撤退だ。そう続けると再度目の前の相手へと向き直る。
「そういうわけだから、どいてもらっていいかな?」
「しょうがねぇな、って言いたいとこだが」
少なくともそっちはお縄についてもらう。切っ先を『ラブ・レイター』へ向けた一夏は、視線でデゼールに帰れと促す。その意図に気付かない彼女ではないが、当然のことながらそれは出来ないと首を横に振った。
自由になった箒や鈴音も戦闘態勢に入るのを見つつ、デゼールは左手にマウントしてあるロングライフルを展開させた。右手にも射撃武装を取り出し、口にはしないが視線だけでそういうわけだと語る。
無理矢理押し通る。
「やれるもんならやってみろ!」
「そう? なら、お言葉に甘えて」
左手のロングライフルを撃ち出した。杭打ちのような直線と貫通を伴ったそれは流れるように一夏へと叩き込まれ、しかし寸前で回避される。現在の一夏は『白式・金烏』、三つのパッケージを一つに纏めて最適化したその装備はある意味二次移行に匹敵するため、普段ならば出来ない機動も可能となる。
そうだろうな、とデゼールは笑った。そうでなければ駄目だ、と笑みを浮かべた。
「ん? 何だ!?」
「しまった、そういう目的か!」
「え? 何がどうしたの?」
パラパラと砂粒が降り注ぐ。ミシミシと軋む音がする。それが何を意味するかは少し考えれば分かることで。
先程の砲撃で、洞窟のこの空間の壁に大穴が空いたのだ。今はまだ大丈夫のようだが、この調子ではもたもたしていると崩れる可能性だってある。
「さて、もう一度言うけど――どいてもらっていいかな?」
「この野郎……」
手段の選ばなさは流石『亡国機業』といったところか。そんなことを思いながら、一夏はやなこったとスラスターを吹かした。崩れる前にぶっ倒す。とりあえず彼の出した結論はこれである。
「はぁ……まったく、一夏らしいや」
右手の射撃で牽制をしつつ、『高速切替』でブレードを取り出す。相手の斬撃に合わせてそれをかち当てると、こちらが押し負ける前にもう一発と左手のマウントライフルを構えた。
「させるかよ!」
太刀から手を離す。そのまま右手を広げると、翼を装甲展開させそこに集中させた。至近距離で防がれた砲撃は双方を弾き飛ばし、お互いの体勢を大きく崩す。
二人が立て直すのは同時。そして射撃を打ち込むのも同時であった。一夏のビームランチャーとデゼールのマウントライフルがぶつかり合い、強烈な閃光を発する。
その隙を突いて、『ラブ・レイター』は機体を回復させ行動を起こしていた。先程まで操っていた二人、応急処置で回復したウィルスを使えば、再度操ることも可能なはずだ。そう判断し、素早く非固定ユニットを起動させる。
が、彼女の目の前にいたのは箒一人。どういうことだ、と目を見開いた『ラブ・レイター』に向かい、貴様の考えなどお見通しだと箒は笑った。
「それでアンタが操られたら何にもならないでしょうが!」
「そうか? お前が自由なら、どうとでもなるさ」
再度『ラブ・レイター』の武装となった箒が笑う。この状態で再度散布しもう一人操るのは機体の状態から厳しいだろう。首だけを動かしそう述べた箒を『ラブ・レイター』は睨み付けることで返答とし、まあいいと鈴音に向き直った。同士討ちで始末すれば何の問題もない。そう判断した。
「ははははっ。やってみろ『亡国機業』。私の昔馴染は手強いぞ」
ハードル上げるなぁ、と苦笑しながら、しかしやる気は満々で。『紅椿』を操り攻撃を開始した『ラブ・レイター』を真っ直ぐに『視』ながら。
「いいわよ。やってやろうじゃない!」
その両手に『双天牙月』を構え、鈴音は一気にスラスターを吹かした。
「あの、馬鹿……撤退だって言ったのに」
「何だ、嫌われてんのか?」
一夏の軽口にデゼールは少しだけ苦い顔を浮かべる。まあね、と短く答えると、一気に肉薄しブレードを振りかぶった。勿論近距離は一夏の方が勝る。だというのにその行動を取ったということは。
ピン、と何かを外す音がした。それがグレネードだと気付いた時には既にそれは炸裂している。閃光が洞窟の空間を包み、一瞬視界が奪われる。その隙を縫ってデゼールは『ラブ・レイター』と合流を。
「させるかよ!」
「さっきも聞いたよ」
やっぱり駄目か、と溜息を吐きながら彼女は一夏の追撃を横にステップすることで躱す。右手のアサルトライフルの銃弾をばらまきながら、さてどうしたものかと思考を巡らせた。
現在の状況では合流は難しい。加えて合流したところで向こうは撤退する気がほぼないと言っても過言ではない状態だ。出来ることならばそのまま見捨てて帰りたいほどである。
「どうした? 帰る気にでもなったのか?」
「そうだね。大分なりかけているよ」
そう言いつつも銃口は一夏に向けたまま。それが意地から来ているのか、それとも別の理由かは分からない。どちらにせよ、彼女は戦意を失ってはいない。
一夏はちらりと向こう側を見た。操られている箒とそれを迎撃している鈴音。大丈夫だ、と至極あっさり結論付けた彼は、迷いなどないとばかりにデゼールへと突っ込んだ。
「そうだよね、そうなるよね……ああもう!」
飄々とした態度を出来るだけ崩さぬように努めていたデゼールが吠える。右手で斬撃を受け流すと、左手のロングライフルで一夏の顎をかち上げた。くるりとそれを回転させると、まるでトンファーのように使い追加の打撃を叩き込む。体勢を崩した相手に向かい、今度こそ必殺の貫通射撃を撃ち込んだ。
「これも避けるんだ、やっぱり」
「っぶねぇ!」
考えた動きではない。ウィングスラスターをとにかく全力で吹かしていた、ただそれだけの行動である。だが、それで彼女の射撃をずらし直撃を避けることに成功したのだ。普通の相手ならばその突拍子もない動きで躱されたことが理解出来ない。何故そんなことが出来るのかと程度の差はあれど動揺する。
が、デゼールはそんなこと分かりきっていたとばかりに追撃に動いていた。急上昇で開いた距離を再度詰めながら、マウントされたロングライフルをポンプアクションでするようにスライドさせリロードする。
「珍しいな」
「……何が?」
「前回もその前も、お前そんなにその武器使ってなかっただろ?」
「私一人だからだよ。自分で相手に致命打を叩き込まないといけないからね」
分かったなら墜ちろ。言葉にせずにそう続けると、デゼールは更に貫通射撃をぶっ放す。焦りか、やる気か。どちらにせよそんな単調な攻めでは流石の一夏も対応が慣れてくる。翼を前面に装甲展開、エネルギーを纏わせ防御力を上げると、そのまま無理矢理射撃を防ぎ前進した。のほほんさんの真似、と身内しか分からないようなことを叫びながら、そのまま彼はデゼールへとぶつかっていく。
二人揃って壁に激突する音を耳にした箒は、向こうは随分と派手にやっているなと苦笑した。言いながら、まあこちらも負けていないかと目の前の相手を見る。真っ直ぐに自分を、否、その背後で糸を垂らしている敵を『視』ている鈴音を見る。
「な、何でよ……!? どうしてよ!? さっきはあんなに一方的だったのに!?」
『ラブ・レイター』の焦ったような声が聞こえてくる。先程より若干拘束は緩く首は自由に動かせるようで、箒がそちらに目を向けるとそこには糸繰りをしながら少しずつ後退している相手の姿が。
「鈴」
「何よ」
「随分と驚かれているな」
「そうみたいね」
ふふん、と軽く笑いながら鈴音はスラスターにエネルギーを込める。爆発するかのように一気に間合いを詰めた彼女は、箒ではなく本体である『ラブ・レイター』にその刃を向けた。
来るな、とその間に箒を割り込ませ盾にする。操られるがままに動く箒の『紅椿』は、二刀を振り被ると鈴音に向かってそれを振り下ろした。
勿論そんなものが彼女に当たるわけがない。軽く弾くと、回し蹴りによりかなりの距離まで吹き飛ばした。盾を吹き飛ばされた『ラブ・レイター』は、驚愕の表情のまま逃げようとスラスターを吹かすが、遅い。
「一応、さっきの質問に答えてあげるわ」
『双天牙月』を連結させ、くるりと回転させる。そのまま袈裟斬りを叩き込むと、おまけとばかりに『龍咆』を撃ち込んだ。箒とは反対方向に吹き飛び壁に激突した『ラブ・レイター』は、本日二回目の壁のオブジェとなる。
「アンタの操り、中の人間の動きが出来てないのよ。機体のデータからそれっぽい動きをしているだけ」
まあつまり、と分割した『双天牙月』を両手に構え、そして切っ先を彼女に向けた。
「猿真似であたしを倒せると思ってるの? ってやつよ」
「あーあ。言わんこっちゃない」
ぶつかった壁から脱出したデゼールは、その代わりに壁にめり込んだ『ラブ・レイター』を見て溜息を吐いた。一夏達を甘く見るからそういうことになるのだ。そんなことを思いながら、さてどうするかと目の前の相手を見る。シールドエネルギーをガリガリと削られているにも拘らず、未だやる気満々で武器を構えている一夏を。
「今からでも帰るって言ったら、見逃してくれるかな?」
「置いてくのか?」
「こっちの忠告聞かないで再度やられるようなのは、流石に見捨てても文句は言われないと思うからね」
やれやれ、と肩を竦めた彼女はそれでどうだろうかと問い掛ける。一夏はそんな提案にほんの少しだけ迷う素振りを見せ、まあ仕方ないかと息を吐いた。
何より、目の前の相手には結果的に一度助けられている。受けた恩を仇で返すほど、彼は薄情ではないつもりなのだ。
「分かった。じゃあ――」
ふざけるな、と言う叫びが聞こえた。壁から這い出した『ラブ・レイター』が、満身創痍の状態で今この場にいる全員を睨み付けていた。己の残っているエネルギーを注ぎ込み、一点集中でウィルスを流し込むと左手を思い切り引き寄せる。
「お前っ!」
「先に見捨てたのはそっちよ!」
狂気を感じるほどの笑いを浮かべながら、『ラブ・レイター』はデゼールの左手を操り、動かす。狙いを碌に付けることもなく、ロングライフルをただただ撃ち続けた。貫通射撃が洞窟内の空間のいたるところに叩き込まれ、回避に専念していた一夏や箒、鈴音にもこから起こる結末が用意に想像出来るようになっていく。
「あははははは! 崩れろ! 全て潰れてしまえ!」
「くっ、この!」
右手で左手のロングライフルを掴むと、デゼールはそれを無理矢理折り畳んだ。同時に侵食していたと思われる装甲部分をブレードで削り取ると、そのままの勢いで『ラブ・レイター』に向かって投擲した。腹部に突き刺さったそれは彼女の『絶対防御』を発動させ、最低限の行動分を残し機能停止に陥らせる。ふらふらと落下していく『ラブ・レイター』を見ながら、とっとと消えろと吐き捨てた。
「悪いね。もう少し世間話でもしたかったけど、どうやら時間もないみたいだ」
「ああ、そうみたいだな。俺達もここからとっとと――」
そう言いかけ、一夏は動きを止めた。崩落しかけているこの場所から、一刻も早く脱出しなければならない。それは間違いない。一夏も、箒も、鈴音も、それは同様である。
三人、である。ここに来たのは四人であるのに、だ。
「そうだ、セシリア!」
「え?」
どこだ、と一夏は視線を動かし即座に周囲を確認する。ガラリ、と天井の一部が崩れた。もう時間はない、生き埋めになるか、押し潰されるか。ISがあったとしても、万全ではない状態では役には立たないのだ。
全てを使い果たし倒れているのならば、尚更。
「あそこだ!」
「動いてない……まだ気絶してるの!?」
箒と鈴音の声の方へ顔を向ける。時間がない、今すぐにでも彼女を回収しなければ。そんなことを思いながらスラスターを吹かした彼の目の前で、天井が更に崩れた。巨大な岩は、丁度気絶しているセシリアをミンチに出来るほどで。
『セシリアぁ!』
全力で飛んだ。岩を砕くために、己の持っている太刀が展開しビームブレードとの複合武器になったことにも気付かず、必死でそれを振るった。巨大な岩は両断され、遅れてやってきた箒と鈴音により粉々になる。
そして、地面に横たわっていたセシリアを抱きかかえ離脱したのは。
「何でお前が」
「……助けちゃ、いけないの?」
デゼールは静かに問い掛ける。表情は口元しか分からないが、そこにふざけている様子は何もなく、真剣で本気であるのだということが見て取れた。
「いや。ありがとう、セシリアを助けてくれて」
「……気まぐれだよ。気にしないで」
それはまるで自分に言い聞かせるようであった。気まぐれだから、仕方ない。他に理由などない。そう思い込もうとしているようであった。
「そうだよ。気まぐれだ」
同じクラスで、専用機持ちだからと何かと接点のあるあの面々の一人だから。何だかんだで笑い合ってきた相手の一人だから。マドカ以外に出来るはずがないと思っていたものの一人だから。
シャルルの、否、『シャルロット』・デュノアの『友人』だから。
だから、助けた。全力で、死なせないようにした。
「違う」
未だ目を覚まさないセシリアを一夏に渡すと、デゼールは踵を返した。せっかく助けたのに、このままでは皆生き埋めだ。そんなことを彼らへ顔を向けずに言い放つと、そのまま振り返ることなく去っていった。
「……あいつ」
ひょっとして、俺の知っている相手なのか。そんなことが一夏の頭を過ぎった。
答えは出ないまま、一行は崩れる洞窟から脱出する。月明かりは皆をよく照らし、心の中のしこりとはまるで正反対であった。結果としては作戦成功、犯人は逃してしまったが、まあ問題はない。
そうやって笑える者は、今この場にはいなかった。
家に帰るまでが臨海学習だ。そんなお決まりのセリフをのたまうのはクラス担任織斑千冬である。バスに乗り込む前の集会にて見たその姿は随分とボロボロであった。にも拘らず満足そうな顔をしているのは、恐らくそういうわけなのだろうと一夏達は思う。少し離れたところで、同じようにボロボロのナターシャがコクリコクリと居眠りをしていた。
「やっぱあのバトルジャンキーを『しののの』宇宙に上げる人物第一号にするのは駄目だと思うんだよな」
「ボロクソだな一夏」
「いやだって、あれ絶対知的生命体と出会ったらまず拳を交わすぜ? 宇宙戦争待ったなしじゃねぇかよ」
「いくらなんでもそんな……」
ない、と断言出来ない自分を誤魔化すように、鈴音はコホンと咳払いをした。まあそれはそれとして、と隣にいるセシリアに顔を向ける。
冷えピタと包帯で頭や腕をカバーされている彼女は、大丈夫ですわと笑みを浮かべた。今のところ後遺症もなし、単純に体力が回復していないだけだろうと微笑んだ。
「どう見ても、大丈夫に見えない……」
むう、と唇を尖らせるのは簪である。心配したんだからと本音とともに抗議する彼女を、苦笑しながら申し訳ありませんと宥めた。が、その程度で引き下がるわけもなく。
何せセシリアが目覚めたのはついさっきである。あの後彼女は朝日が登るまで意識が戻らなかった。本来はセンサーの補助、それもBT兵器に類する最新式のビーム系統の武装を用いてようやく実践的になる発展途上の技術である『偏向射撃』を、通常のビームライフルでセンサーを用いずに、それも『クイックドロウ』でぶっ放したのだ。落石でミンチにならずともそのまま目覚めず脳が壊れていた可能性だって無きにしもあらず。友人が心配するのは至極当然であろう。
「確かに、皆さんに心配を掛けてしまうのは駄目ですわね。……次は、きちんと成功させますわ」
「次をやったら駄目なの!」
「おお~、かんちゃんが怒鳴った……」
涙目である。流石のセシリアもそこで我を通すわけにもいかず。分かりました、と溜息混じりではあるが首を縦に振った。仕方ない、しばらく封印しておこう。そんな結論なのは目の前の相手に覚られないように努めた。
「……私も、次はついていかなきゃ、駄目だ」
「じゃあ、私も~」
そのためにはどうするべきだろうか、と思考を巡らせ、まあこれが一番確実だろうと簪はスマホの通話アプリを起動させる。家族のカテゴリーに一応入れてあるその人物の画面まで移動させると、自身の要望を打ち込んだ。
「それ、おじょうさまちょうちょう心配すると思うんだけど」
「なら、本音も説得手伝って」
「ん~。りょうかい」
同じように通話アプリを起動させ、簪と件の人物との会話に乱入する。どこからか聞きつけたのか、そこに彼女の姉まで参加し。
その話し合いは、バスが学園に着くまで繰り広げられた。
「君は、混ざらないの?」
バスに乗り込むまでの暫しの自由時間。そこで一夏達を遠巻きに見ていたシャルルに、束はそんな声を掛けた。まさか彼女に話し掛けられると思っていなかった彼は、思わず姿勢を正しそちらを向く。
そんな緊張しなくていいよ。そう言って笑った束は、ちょっとだけ聞きたいことがあっただけだからと言葉を続けた。
「……何ですか?」
「だからそう身構えなくてもいいよ。私は君がどんな名前でも気にしないから」
「っ!」
目を見開く。それはそういう意味なのか。そんなことを一瞬だけ考え、目の前の女性は基本的に人の名前を覚えないらしいという彼女の妹からの情報を思い出し少しだけ安堵した。
いや、違う。そうシャルルは思い直す。目の前の相手が、篠ノ之束が分からないはずが。
「ねえ、君ってさ、今の世界は楽しい?」
「――え?」
束は笑みを浮かべたままだ。予想外のその質問を聞いて一瞬固まってしまったシャルルを見ながら、自身の質問の返答を待っている。
今の世界、とは一体どういうことだ。世界情勢か、暮らしぶりか、それとももっと身近なことか。
『亡国機業』のデゼールの世界のことか、それとも、シャルル・デュノアとしての学園生活のことか。
それらが頭の中をぐるぐると周り、しかし表情に出すことなく。彼はゆっくりと息を吐くとそうですね、と返した。
「多分……楽しいと思います」
「ふーん。そっか」
そうかそうか。そんなことを言いながら笑顔で頷いた束は、ありがとうと述べると踵を返した。一体何だったのか、と怪訝な表情を浮かべるシャルルを見ることなく、彼女はそのまま去っていく。
その途中、ああそうだ、と立ち止まった。振り向くことなく、指を一本立てるとそれを空に向ける。
「そう思うんなら、手放しちゃ駄目だよ。やりたくもないことより、楽しいことをやろう」
「――っ」
はっはっは、と笑いながら去っていく束の背中を見ながら、シャルルはギリリと拳を握りしめた。そんなことは分かっているとばかりに背中を睨み付けた。分かっているふりをし続けているのだと、大声で叫びたいのを必死で抑えた。
「僕は――私は――」
どうすれば、本当に楽しい世界に行ける? その答えを出してくれる相手は、どこにもいない。
原作でいう三巻部分はこれで終わり、のはず