そんなてんこ盛りのVSセシリアさんです。
放課後に行う予定であった一夏とセシリアの勝負は、アリーナの使用状況により翌日に延期となった。そのことを聞いたセシリアは余裕を崩すことなく頷いたが、対する一夏は不完全燃焼気味であることを隠そうともせずにぶっきらぼうに返事を行う。そんな表情のまま、予定も潰れたんで帰りますと言いながら自身のカバンを掴んで足早に教室から出て行ってしまった。傍から見ていると完全に拗ねた子供のそれである。
「しかし織斑先生、放課後直前になってその報告と言うのもいささか遅いのではないですか?」
そんな拗ねた子供を目で追っていた箒は、視線を外から目の前の担任教師に戻すとそう問うた。アリーナの使用状況が原因ならばもう少し早く報告出来たはず、そう彼女は考えたのだが、それを読んでいるかのように千冬は首を左右に振った。
「昼まではそうでもなかったんだが、どうやら使用許可の書類がどこかで止まっていたらしくてな。先程もう一度確認したらこの様だ」
「それでも、こちらも朝に使用許可を出したんですよね?」
「ああ、出したとも。だが、止まっていた書類はそれ以前に出されたものだったそうだ」
号外を見た時点でアリーナに使用許可を求める書類が殺到していたらしい。朝のホームルームが終わった後では早さでそれらに敵うはずも無く、というわけである。成程と納得したように頷いた箒は、では私も帰りますと席を立った。特に目的地を述べていたわけではなかったが、向かった方向から大体予想は可能である。結局、彼女は拗ねた子供が気になるらしい。
そしてそんな彼女を見ていたクラスメイトも、それをきっかけにそれぞれ教室から姿を消していく。予定を変更して明日は絶対に放課後を空けなくては、などという会話が聞こえてくることから、一夏とセシリアの対決を見逃す者はいなさそうであった。
「それで、お前はここで何をやっているのだ?」
IS学園学生寮の一室、織斑一夏と篠ノ之箒の部屋で、彼は布団に包まって不貞腐れていた。見て分からないか、と箒の顔を見ることなく答えている様子から、完全にへそを曲げているのが分かる。
やれやれ、と箒は溜息を吐いた。こんなことで本当に明日の勝負で勝てるのだろうかと思いながら、彼女は一夏の包まっている布団を引っぺがす。
「何すんだよ箒」
「たるんでいる一夏に喝を入れている」
「たーるーんーでーまーせーん」
「……もう高校生なんだぞ、一夏」
「可哀相な者を見る目はやめて!」
しみじみと溜息付きで言われたのは堪えたのか、一夏は寝転んでいた布団から体を起こした。渋々ながらも、箒の方を向いて話の続きを促している。それで、どうやって俺に喝を入れるんだ? そんなことを言いながら彼は彼女の次の言葉を持った。
だが、彼女が出したのは声ではなく、物。一枚の紙を読めと言わんばかりに一夏の前に突き出す。何だよこれ、などと言いながら彼はとりあえずその紙を受け取った。
そして、そこに書かれているものを見た途端に目を見開く。その顔に浮かんでいるのは、驚愕だ。
「何だよこれ」
先程と全く同じ言葉。しかし、そこに込められている意味は全く違うものであった。それを分かっているのか、箒も渡した紙を覗き込みながら言葉を紡ぐ。
「少しは一夏の刺激になるだろうと思って調べたんだが」
そこに書かれているのは、セシリア・オルコットの簡単なパーソナルデータ。インターネットで検索すればそう時間も掛からず閲覧することが可能な、大して重要ではない情報。だが、二人にとっては何より重い情報であった。
「セシリア・オルコットは、公式非公式を含めて記録に残っている限り、一度しか敗北していない」
「ってか、国内公式試合全戦全勝無敗じゃねぇか。何だこの化け物」
二人が見詰めているのは、そのデータの戦績部分である。ある程度記録されている試合の結果を纏めたものがそこには載っているのだが、二百戦以上の試合の中で黒星が付いているものは唯一つのみ。非公式での立会いだったらしいそれは、対戦相手の欄に『織斑千冬』と書かれていた。
「セシリアに勝ったのは、千冬姉唯一人……」
「一応引き分けの試合もあるにはあるが、これはイギリスの国家代表相手のようだな」
「……何でまだ代表候補生やってんだよあいつ」
「まあ、記録に残っていない部分では負けていたりするんだろう、きっと」
そうは言ったものの、逆に考えれば記録に残るような試合ではほぼ確実に勝ちを上げているということにもなる。それだけの実力と、プレッシャーに負けないだけのメンタルを持ち合わせた人物、それがセシリア・オルコットという者なのだろう。そう考えると、彼女を相手にする人間には一体どれほどの実力が必要になるのか。箒はそんなことを思いながら隣の人物を眺めた。どんな表情をしているのかと確認した。
「は、ははははっ」
件の人物は、笑っていた。先程までの拗ねた表情など何処かに追いやり、一夏は心底楽しそうに笑っていた。誕生日に好きなものをプレゼントされた子供のように、嬉しそうな声を挙げた。
「成程な。これだけ強ければあの態度も納得だ」
常に余裕を崩さず、自分が上であるという自信に満ちた態度。それを取れるだけの背景がしっかりと存在しているのだ。妙に納得出来てしまった一夏は、そのまま暫く笑い続けた。
そうしてひとしきり笑った彼は、隣で自身の様子を眺めていた幼馴染の少女に声を掛ける。サンキュー箒。そうお礼を述べて一夏は勢い良く立ち上がった。
「やる気になったか」
「ああ。この勝負、絶対に勝ってやる」
「その意気だ一夏」
「よし、そうと決まれば特訓だ!」
「それは良いが、アリーナは使えんぞ」
「ISに乗るだけが特訓じゃないさ。とりあえずグラウンド走ってくる!」
言うが早いか部屋を飛び出していった一夏を見て、箒は仕方がないなと肩を竦めた。そして、部屋の机に立てかけてある竹刀二本を掴むと彼と同じように部屋から外に出る。
この際だ、とことん付き合ってやろう。そんなことを呟きながら、彼女も後を追うため駆け出すのだった。
翌日。無駄に広いIS学園のグラウンドを走り回った挙句箒と一晩中剣道場で打ち合っていた一夏は、ものの見事に昼休み直前まで爆睡していた。目が覚めて時計を見ると短針が十二を指していたのを見た彼の心境は如何程だったのか。それは彼にしか分からない。勿論箒は普通に起床し普通に学園に向かった。
慌てて教室に向かったのはいいが、運悪くその時間の担当教諭は担任である織斑千冬その人であり。とりあえず理由を聞く前に出席簿で頭部を殴打された一夏は、瞬時にして眠気を吹き飛ばされるに至ったわけである。ちなみに理由を聞いた千冬は盛大に溜息を吐きながら彼を席に促した。
そんなクラスメイトに爆笑されるような姿を晒しつつ、時間は過ぎていく。六時限目が終わり、いよいよ一年一組全員がお待ちかねの時間の到来だ。
「さて、双方準備はいいか?」
予約により貸し切られた第三アリーナにて、千冬の声が響く。それに答えるように、アリーナの左右のピットから二つの影が飛び出してきた。一つは白、そしてもう一つは青。そのどちらもが、お互いを真っ直ぐに見詰めていた。
「体力は回復いたしましたか?」
「ああ、バッチリだ。有り余ってるくらいさ」
「それは良かった。全力を出せずに負けてしまったとなれば、お互いに禍根が残るでしょうから」
「その点は大丈夫だ。後な――」
軽口を叩きながら、戦闘開始の合図が出るまでに距離を計る。一夏はセシリアを睨みながら『白式・雷轟』の実体盾と銃を取り出し、それを構えた。
「勝つのは、俺だ!」
その言葉と同時、試合開始のブザーが鳴り響いた。既に銃を構えている一夏は引き金を引きさえすれば攻撃が出来る。対して、セシリアは無手のまま悠然と佇んでいる。状況はどう見ても彼の方が有利。彼女が攻撃動作に入る前に、銃口からビームが放たれる。
「……っ!?」
そのはずであったが、一夏は言いようの無い悪寒を感じ、咄嗟に盾を前面に展開していた。それと同時、左手に衝撃が走り、体が一瞬後ろに泳ぐ。コンソールからは盾の耐久度が減少したことを伝えてきた。
彼が自身の盾で塞がれてしまった視界を広げると、目の前には先程と同じように悠然と佇んでいるセシリアの姿がはっきりと確認出来た。ただし、その右手には機体と同じ青く塗装された一丁のライフルが握られている。恐らく先程の衝撃はあの銃から放たれたものであろうということを予想したが、しかし。
「お見事」
「……よく言うぜ。反応出来るように手加減しやがったな」
明らかに自分の方が早かったにも拘らず先制された。その状況で防御が間に合うということは、つまりそういうことである。彼女はわざと一夏が反応出来る程度に抑えて攻撃を行ったのだ。そのことを理解した一夏は奥歯を噛み締めた。
「確かに少しだけ遅くしましたが、通常はあれくらいでも反応されないものですわ」
「そうかいそうかい。じゃあ、俺はとりあえず合格ってことか」
「ええ。では早速、わたくしと一曲、踊っていただきますわ」
言うと同時に持っていたライフルを左手に持ち替え、セシリアは連続で引き金を引く。正確に一夏の急所を狙ったその射撃は、しかしスラスターを吹かした彼の機動により躱された。そんなことは気にせんとばかりに彼女は尚も射撃を続ける。それを時には躱し、時には盾で受けながらも、一夏は反撃の糸口を探そうと同じく射撃で応戦をしていた。
しかし、彼の射撃はほとんど命中しない。単純に、射撃の量が違うのだ。一夏が一発撃つ間にセシリアは四発以上放つ。圧倒的に手数が足りない。
「まだ前奏ですわよ一夏さん。もう限界ですか?」
「はっ! 嘗めんな! まだまだ余裕だっての!」
沈みかけていた気分を打ち消すように叫ぶと、一夏はセシリアと距離を詰める為に前へとスラスターを吹かした。射撃戦では勝ち目が薄い。ならば、多少の被弾を覚悟してでも接近戦に持ち込むべきだ。そう判断したのだ。
無論、そんな彼の意図が分からないセシリアではない。先程より正確に予測射撃を行い、近付こうとするタイミングをことごとく潰していく。それでも、覚悟を決めた一夏の突進の方が僅かに勝った。ほんの一瞬ではあるが懐にもぐりこんだ彼は、持ち替えていたビームブレードを袈裟切りに薙ぐ。盛大な激突音が響き、二つの影は再び左右へと散っていった。
「近接攻撃を受けたのは久しぶりですわ」
「そうかい。なんならもう一回やってやるぜ」
ビームブレードを構え直した一夏が不敵に笑ったが、セシリアは「遠慮しておきますわ」とあくまで余裕の態度を崩さない。機体にはしっかりと先程の斬撃の痕が残っているのにも拘らず、である。彼はそんな彼女の雰囲気に緊張を高めた。
「ふふっ。申し訳ありません一夏さん。わたくし、少々貴方を見くびっていたようですわ」
「知ってるよ。とっくに知ってる」
「あら、それは失礼。……ではそのお詫びに」
セシリアのIS『ブルー・ティアーズ』の左右に浮かんでいた部分から、刃のような四つのパーツが飛び出してくる。それら一つ一つが意思を持つように縦横無尽に動き、そしてその先端に付いている銃口が一斉に一夏へと向けられた。
「本気で、やらせていただきますわ!」
それぞれの銃口からビームが放たれる。その射撃の早さは今までと比べれば幾分か劣るものであったものの、四方八方から放たれるその厄介さは比べ物にならない。上下に避ければ左右から、左右に避ければ上下から。一夏の回避に合わせてカウンターの射撃が飛んでくるのだ、反撃どころか回避すらままならない。
「ちぃ!」
避けきれない部分を盾で受け流して尚、その射撃は機体のシールドエネルギーを削り取っていく。それでもまだ動けるのは、致命の一撃だけは何とか避けていることと。
「セシリアっ!」
「どうかなさいましたか?」
「本気でって言った割に、ビットしか使わないってのはどういうつもりだ!」
現在のセシリアの攻撃が、全てBT兵器『ブルー・ティアーズ』のみでしか行われていないことにあった。本気で、と宣言しておいてその状況では、一夏でなくとも馬鹿にされていると感じるだろう。
だが、そんな彼の叫びも彼女は涼しい顔で受け流す。クスクスと笑いながら、左手に持っていた銃を一夏に向けた。
「BT兵器は操縦系統がとてもデリケートなのです。ですから、そちらに意識を集中させないと縦横無尽に扱えないのですわ」
「……こいつを使ってる間は、自分からの射撃は出来ないってことかよ」
「はい、その通りですわ」
笑みを崩さず、彼女は自分で自分の装備の欠点を述べる。そしてその通りならば、この状態での活路は一夏ならば容易に導き出せる。難しいことはなく、実行するのはとても簡単なその方法は、BT兵器に狙いを移せばいいという単純なものだ。本体からの射撃が無いのならば、それが一番手っ取り早い。
そうと決まれば話は早いと、一夏は即座に行動を起こした。四つあるうちの一つに狙いを絞り、先程のセシリアに肉薄したように最小限の回避をしながらBT兵器の一つに近付く。ブレードの間合いに入ったのと同時、彼はそれを振り下ろした。下ろそうとした。
「やっぱりな!」
「あら?」
自身の視界とは別に、ハイパーセンサーで常にセシリア本体を捉えていたのが功を奏した。こちらの攻撃タイミングで放たれたビームを、一夏は紙一重で回避したのだ。避けたことで無防備となったBT兵器を破壊しようと思ったが、向こうも回避された時点で自身の周囲へと戻していた為に不発に終わってしまった。
「縦横無尽に使うには集中しなきゃいけない。ってことは、そうじゃなきゃ別に射撃出来るってことだろ?」
「……意外と頭の回転は速いのですね」
「さりげなく俺のこと馬鹿だと思ってたっていうカミングアウトだよなそれ」
「ええ」
「そこは少しでも否定しろよ!」
そんな軽口を言いつつ、視界は決してセシリアから外さない。彼女の一挙一動を見逃すまいと、全神経を集中させて睨むように観察する。
そんな彼の視線を受け、セシリアは笑った。先程までの笑みではなく、獲物を見るように、舌なめずりをするように。
「さて、そろそろダンスを再開いたしましょう」
「生憎だが、ダンスなんかマイムマイムが限界だぞ」
「では、これから学んでいただきますわ。わたくしセシリア・オルコットと、この『ブルー・ティアーズ』の奏でるワルツで!」
彼女の周囲を停滞していたBT兵器が一斉に一夏へと向かう。それぞれ彼の回避ルートを潰すように展開されているそれは、彼女が集中して操作している証拠だ。となれば、今度こそBT兵器を片付けるチャンスが生まれるかもしれない。回避を優先しつつ、彼は破壊するべきBT兵器を一つ絞る。
「――え?」
その瞬間、彼の顔面に一筋の光が突き刺さった。
「一夏っ!」
観客席で見ていた箒の叫びがアリーナに響く。周囲のクラスメイトも同じように悲鳴を上げていた。
その中で一人、表情を変えずに二人を見詰めていた生徒がいた。
「あら、布仏さんは知っていたみたいですね」
そこに気付いた山田教諭は、その生徒――布仏本音へと声を掛ける。振り返った彼女はえへへと気の抜けた笑みを浮かべながら、当然ですよと胸を張った。
「私はかんちゃんのアドバイザーですからね」
「かんちゃん……? ああ、四組の更識簪さんですね」
日本の代表候補生にして、専用機『打鉄弐式』のパイロット。そのアドバイザーをしているのならば、確かに知っていてもおかしくは無い。果たして本当にアドバイザーなのかどうかは別として。そう判断した真耶は納得したように頷いた。
「布仏、今何が起きたのか知っているのか?」
そんな会話を聞いていたのだろう。箒が彼女の方へと振り返り尋ねた。知っていることを教えてくれ、と。
驚いたのは一瞬だけで、既にいつも通りの無愛想に戻っている彼女を見ながら、本音は少し考える素振りをする。ここで教えたら一夏の肩を持つ形になり公平ではなくなってしまうのではないだろうか。後々自分の大事な親友に不利にならないだろうか。そんなことが頭をもたげたが、しかしすぐに振り払った。そのどちらも、別に問題は無い。そう判断したのだ。
「せっしーの本当の強さは、BT兵器なんかじゃないんだよ~」
「本当の強さは、BT兵器ではない?」
一体どういうことかと箒は首を傾げた。本気を出すと言ってあの装備を使ったのだから、本当の強さでなければ詐欺であろう。しかし、彼女が嘘を述べているようにも見えない。
答えの出ないループに陥っている箒を見かね、真耶は本音の言葉を補足するため篠ノ之さん、と声を掛けた。その言葉に顔を上げた彼女に向かって、教師らしい表情で言葉を紡ぐ。
「今彼女が使用しているIS『ブルー・ティアーズ』は、最近受領されたBT兵器の試験運用機です。そして恐らく知っているでしょうが、彼女の国内公式戦無敗の記録を打ち立てた機体には装備されていませんでした」
「セシリアが勝ったのは、BT兵器の力ではない……?」
呟いた箒の言葉に、真耶はその通りです、と笑顔を向けた。
「『クイックドロウ』。それが彼女の真骨頂です」
セシリア・オルコットはたった一つの技能のみで無敗を打ち立て、そして代表候補生となった。誰よりも速く撃つ、ただそれのみで。
「彼女は、収納領域から呼び出すのと撃つのを同時に、しかも無意識下で行っているんです。だから普段は無手で構えているし、BT兵器の使用に集中していても銃撃が行える」
そのことを知らなかった一夏はまんまと彼女の策に嵌り、そして顔面に銃撃を受けてしまったというわけである。
「知っていれば織斑君ならば対処出来たかもしれませんが、初見では流石に厳しかったみたいですね」
視線を箒達から再びアリーナ内の二人に向けながらそう呟いた真耶だったが、しかし次の瞬間に目を見開いた。え、という呟きが思わず漏れる。
『絶対防御』の発動でシールドエネルギーが尽きているはずの『白式・雷轟』は、まだその場に佇んでいた。頭部から煙を発している以上そこに命中したのは確実のはずなのに、である。
そしてそんな真耶とは対照的に、箒はニヤリと笑みを浮かべた。心底嬉しそうに笑った。
「山田先生。あいつを、一夏を嘗めてはいけません」
視線を審判席にいる千冬に向ける。むしろ当然とばかりに平然としている姿が目に入った。
「あいつは勘だけで、入試の時千冬さんの攻撃を全て避けたんですから」
常に余裕を崩さなかったセシリアの表情が、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ歪んだ。今のタイミングで回避されるとは思ってもみなかった。そんな感想を浮かべた彼女は、小さく息を吐くとざわつく心を一瞬にして沈める。
「お見事」
「……今度は、素直に褒められとくぜ」
ビームが掠った頬から煙を上げながら、一夏はニヤリと笑う。眉間に当たり『絶対防御』を発動させて試合終了、そんな予想を覆した彼は、頬を指でさすりながら体勢を立て直した。
命中自体はしているのでシールドエネルギーは減少している。だが、致命傷には至らなかった為に『絶対防御』は発動していなかった。だから、一夏はまだ戦える。戦うことが出来る。
「ですが、どうします? 回避が出来るだけでは、わたくしは倒せませんわ」
「分かってるよ」
右手の銃を再び収納領域に戻し、左手で持っていたライフルの銃口を向けながら、セシリアはそう述べた。避けるだけでは相手は倒せない。勿論当てはまらない場合もあるだろうが、今回はまさしくその通りであった。一夏が何かしら彼女にダメージを与えることが出来なければ、結局敗北するのは確定事項となってしまう。だが、今の状況では攻撃を掻い潜り肉薄することも出来なければ、射撃で勝ることも出来ない。
「一夏さん」
「何だよ」
「もしも何かを出し惜しみしていると言うのであれば。わたくしを馬鹿にしているものと判断いたしますわ」
「……言いたいことは分かるが、別に出し惜しみしてるわけじゃないぞ」
そんな都合の良い秘密兵器を持っているわけではない。そんなことを言いながら一夏はスラスターを吹かしセシリアから距離を取った。望みとあらば見せてやるけど、そんなことを言いながら一度アリーナの地面に降りる。
「ぶっちゃけ、俺は今の状態で戦うのが一番の本気なんだけどな」
「ご謙遜を」
「本気だよ。未だに使いこなせないんだよこれ」
お前のBT兵器と一緒にしないでくれ。そう続けると、一夏は右手を前に突き出した。
次の瞬間、背中のウィングスラスターは分解され、彼の前面に装甲のように再構成される。代わりに四角いスラスターが背中に装着され、左右の肩部には非固定武装としてミサイルポッドが出現。全体的に曲線を描いていた四肢のパーツは、無骨な四角い装甲へと姿を変えた。そして突き出した右手には、巨大なビームランチャーが一つ。
「『白式』遠距離砲戦用パッケージ『真雪(さねゆき)』。……はっはっは、射撃じゃ勝てる気しねーっての」
「ならば何故それを?」
「お前が見せろって言ったんだろ。こんな装備俺に渡されても困るんだよ!」
言いながらビームランチャーを両手に構えて発射する。先程の『白式・雷轟』の時に持っていたビームガンとは比べ物にならないほどの巨大な光がセシリアを襲うが、弾速そのものはそれほど速くは無い。彼女は特に危なげなくその攻撃を回避した。とはいえ、流石に大経口のビームを前にして少しだけ笑みが曇る。
「こうなりゃ自棄だ! どんどんやってやるぜ!」
肩口のミサイルポッドから全弾発射。それを目くらましに再びビームランチャーを放つ。通常の相手であれば何かしら命中するであろうその攻撃だが、生憎と相対しているのはセシリア・オルコットその人である。ミサイルの弾幕をBT兵器で打ち落とし、後から来るビームも弧を描くような機動で掠ることなく躱す。そのタイミングで無防備な一夏へと射撃を放った。一発、二発と銃口から放たれたビームは彼の機体へと命中するが、しかし。
『白式・真雪』はぐらつくことなくその場に佇み、第二撃を照射した。
「くっ!」
虚を突かれた形になったセシリアは咄嗟に『ブルー・ティアーズ』のスラスターを吹かすことで直撃を避けたが、左足に大口径ビームが掠ってしまう。それだけで通常の射撃とは比べ物にならないほどシールドエネルギーが減るのを見て、彼女は思わず目を見開いた。
「威力はとんでもないのですね」
「普通にやったら当たらないけどな。その為の前面シールドだ」
相手の攻撃を受け止め、そして射撃のカウンターをお見舞いする。それが『白式・真雪』のコンセプトである。高機動で被弾を減らす『雷轟』とは正反対であり、成程一夏が積極的に使用しなかった理由もおおよそ想像が付く。
「こうなりゃ自棄だ! どんどんやってやるぜ!」
「先程も聞きましたわ」
「気にするな!」
叫びと共に、再び『白式』の形が変わる。前面装甲になっていたパーツは再び分解され、腰と脚部に装着されていく。鋭角なシルエットを描いたそれは、見るものによっては武士の袴のようでもあった。肩口のミサイルポッドは収納され、今度はくの字に曲がった刃のようなパーツが現れる。無骨な四肢の装甲は薄く鋭いものへと変わっていった。『真雪』のものとは違うスラスターが背中と腰部へと組み込まれ、一夏の手にはビームランチャーではなく一本のIS用に鍛えられた日本刀が。
「『白式』近接格闘戦用パッケージ『飛泉(ひせん)』! どうやって近付けってんだよこれ!」
「わたくしに言われましても」
自分で展開しておいて自分で文句を言いつつ、一夏は肩口に備えられていた刃状のパーツを手に取った。そのまま振り被り投擲すると、ただ投げただけではありえないスピードで一直線にセシリアへと向かう。とはいえ、やはりただ一直線に向かうだけの攻撃などに当たるはずも無く。体を少しずらすことでそれを躱すと、若干の呆れを含んだ目で彼を見ながら射撃を放つ。
「……っ!? あの形状!」
その瞬間に今飛来してきたものがどんな形であったかを思い出し、ハイパーセンサーを起動させた。彼女の予想通り、先程飛んでいったはずのそれは背後から斬撃を加えんと再び向かってきている。
ブーメラン。今一夏が投げ付けた武装の一般的な名称である。
「隙ありぃ!」
そして、その瞬間を待っていたとばかりに真っ直ぐにセシリアへと一夏は駆ける。現在彼女は背後に気を取られている。それならば、懐に飛び込んで斬ることが出来る。そう判断した彼の決死の行動であった。
それは勿論彼女も分かっている。分かっているが、前後からの攻撃を無傷で躱すには流石に時間的余裕が無い。ブーメランか、日本刀、どちらかは食らわなくてはいけない。
「『ブルー・ティアーズ』!」
彼女の叫びと共に、腰部に装着されていた棒状のパーツが前面に展開する。真っ直ぐ一夏に向けられたそれは、砲身。『ブルー・ティアーズ』に装備された隠し技。
通常のビーム発射型の四機とは別の、二機の弾道型ミサイルビット。それが、斬りかかろうとしている一夏に向かって放たれた。着弾の瞬間、彼の顔が驚愕に染まっているのを確認したセシリアは、ブーメランのダメージで顔をしかめつつもミサイルの爆風に巻き込まれないように素早く距離を取る。少しだけ肩で息をしながら、油断することなく真っ直ぐに前を見た。爆風で見えなくなっている彼を見た。
「……そういう、使い方をなさる装備ですのね」
「ちげぇよ」
煙の引いたそこでは、『白式・真雪』の前面装甲でミサイルを防いでいる一夏の姿があった。流石に即座に反撃を行えるダメージではなかったのか、手に持っているビームランチャーは彼女に砲身を向けることなく垂れ下がっている。
目の前で放たれたミサイルの回避が不可能と判断した一夏は『飛泉』を『真雪』に換装し、防御力の高さで無理矢理に耐えることを実行したのだ。通常のISでは決して出来ない芸当であり、これこそが『白式』の特殊兵装の目玉でもある。
「通常、パッケージの換装を即座に行えることは出来ませんが……先程の行動から考えて、それが貴方の機体の特殊装備ですのね」
「高速換装機構『金烏(きんう)』。束さん曰く、状況判断が適切ならばどんな戦闘にも対応出来る万能装備って話だけど」
俺には無理だ。そう言って一夏は肩を竦めた。だが、セシリアはそれを肯定することなく、真っ直ぐに彼を見る。ご冗談を、そう言って彼女は笑った。
「本当に無理ならば今の一撃で勝負が決まっているはずですわ」
「今のは状況判断とかじゃないぞ。ただの勘だ」
「それが本当なら、尚更規格外ですわ」
左手のライフルを構える。同時に、BT兵器を自身の周囲に停滞させた。その銃口は真っ直ぐ一夏へと向いており、少しでも隙を見せれば蜂の巣にするという彼女の決意の表れでもあった。
それが分かっているのか、一夏も『白式』を『真雪』から『雷轟』に戻し、背中のウィングスラスターに力を込める。右手にビームブレード、左手にビームガンを構え、前傾姿勢を取ると睨み付けるように目を細めた。
否が応でも緊張感は高まっていく。一夏は元よりボロボロ、セシリアもそろそろ限界であろう。それが分かるからこそ、本人も、見ている者達も、一言も言葉を発しない。次の激突が決着だ。全ての者が、そう感じていた。
先に動いたのは、一夏。右にスラスターを吹かし、セシリアの左側面を取ろうと空を駆ける。同時に『雷轟』を『飛泉』に換装した。
それを読んでこそいなかったものの即座に反応したセシリアは、BT兵器を二機一夏へと飛ばし、そして自身は左手のライフルを構える。向こうがどう反応しても対応出来るように、精神は極限まで集中させた。
セシリアのライフルの発射に合わせるようにブーメランを投擲した一夏は再び『雷轟』へと換装。ブーメランを追い越すように加速すると、真っ直ぐ彼女へと斬りかかった。
瞬間、彼女の右手がぶれる。銃が手に現れている時には既に発射された後。今度こそ完璧に彼の眉間を打ち抜いたと確信を持ったセシリアは、しかし次の瞬間驚愕で目を見開いた。
射線上に、左手のビームガンが投げられていたのだ。ビームはそのまま銃を打ち抜き爆散させるが、肝心の一夏の体には届かない。彼はその隙を縫って、極端に姿勢を低くしたままスラスターを全開。持っていたビームブレードを真っ直ぐに突き出した。セシリア・オルコットの胴体へと、真っ直ぐに。
「ぐっ……まだっ!」
それでもまだ彼女は銃を一夏へと向け、BT兵器を操作し、後僅かのエネルギーを奪い取ろうと行動する。攻撃動作を終えた彼は無防備であり、何かしら攻撃を加えれば即座に倒れるであろうことは想像に難くない。
だが、一夏はそんな死に体の状態でも笑っていた。勝利を諦めずに、笑っていた。
「か、はっ……!」
彼女が引き金を引こうとしたその瞬間、彼女の心臓部に一本の刃が突き刺さる。それは、先程一夏が投擲し、そして追い越したブーメラン。彼の斬撃を食らったことで彼女の意識の外に追いやられてしまった、正真正銘最後の一手であった。
急所に叩き込まれたそれは『絶対防御』を発動させ、『ブルー・ティアーズ』のシールドエネルギーは敗北判定値へと至る。力を無くしゆっくりと地上に落下していく機体を纏いながら、セシリアは最後に一つだけ、と一夏に尋ねた。
「……わたくしの最後の射撃を何故躱せたのですか?」
「何回も食らったからってのはあるけど、結局はあれさ」
彼女の落下に合わせながら地面へと降りていく彼は、子供のように笑いながら、こう続けた。
「ただの勘だ」
「本当に……規格外ですわね」
彼につられるように、彼女もそう言って微笑んだ。
アリーナでの勝負も終わり、皆それぞれ寮の部屋へと戻っていった中、一人だけ更衣室で佇む人影があった。シャワーも浴び終わり、既にIS用のインナースーツから制服に着替えてはいるが、しかし自室に戻る気力が湧かなかったのだ。その人影の名は、セシリア・オルコット。
「負けて……しまいましたわ」
ぽつりと彼女は呟く。元々実力を測るものであるのだから、勝ち負けはそこまで重要ではない。何より、彼は強かった。敗北という結果で終わってもしょうがない。そういう思いは確かにあった。
だが、そんな理屈で感情を制御出来るほど、まだ彼女は大人ではない。それでも、彼女は平静を装う。大人であろうとする。
「お疲れ様です、お嬢様」
「チェルシー!?」
その仮面を、一人の乱入者が剥がそうとする。本来こんな場所にいるはずかない、彼女の実家に仕えるメイドにして親友でもある女性、チェルシーその人である。床を見詰めていたセシリアはその声に顔を上げ、そして柔らかく微笑む彼女の姿を見て思わず視界がぼやけた。慌てて袖で目元を拭うと、一体何故こんなところに、と問う。
「旦那様が仕事でミスをしたらしくて、私がその尻拭いで日本まで来ることになってしまいまして」
淡々とチェルシーはそう答えるが、セシリアはどうせ嘘なのだろうと心の中で呟いた。確かに彼女は実家の仕事の手伝いもしているが、そこまでのポジションではない。何より、そんな重大な仕事があるのにわざわざIS学園までやってくる余裕などあるはずがない。
だからきっと、父親の差し金なのだろうとセシリアは思う。昼行灯を地で行くあの男は、普段娘に情けない姿を見せることしかしないくせに、自分がどうしようもなくなった時は誰よりも早く手を差し伸べてくれるのだ。それがどうしようもなく嬉しくて、そして憎らしかった。
だからセシリアは男が嫌いだ。情けない男が嫌いだ。強さにかこつけ威張り散らしている男が嫌いだ。
本当は強いのに弱く見せようとする男が嫌いだ。
「セシリア。今日は負けてしまいましたね」
「……ええ。でも、いい勝負でしたわ。」
チェルシーの言葉にそう返す。別に嘘は言っていない。いい勝負であった、というのは自分の中で紛れもない真実だからだ。ただ、それ以外の感情が追加されているだけだ。そのことを口にしないだけだ。
それだけで言葉を止めたセシリアを見たチェルシーは、おもむろに彼女を抱き締めた。今この場には私しかいません。そう言って頭を撫でた。心の中に溜まっているものを出してもいい、と言外にそう述べていた。
「……同年代の方に、初めて負けてしまいました」
「はい」
「代表候補生でも何でもない、肩書きの無い人に負けてしまいました……!」
「はい」
「男性に……男にっ! 負けて、負けて……っ!」
そこで彼女は限界だった。言葉にならない嗚咽が口から溢れる。涸れることのない涙が溢れる。溢れて、止まらない。
悔しかった。結局彼女の感情の大部分を占めるのは、それだ。常勝を誇っていた自分が敗北した。自分の持っていたプライドがへし折られた。その事実が、どうしようもなく悔しかったのだ。
そんな彼女をチェルシーは優しく抱き留める。気の済むまで、落ち着くまで。セシリアが自分から離れるまで、彼女は大事な親友を抱き締め続けた。
「……醜態を晒してしまいましたわ」
「大丈夫ですよセシリア。今更です」
赤くなった目を擦りながらそう言って笑うセシリアに、チェルシーはそんな軽口を返す。もう大丈夫のようですね、という彼女の言葉に、セシリアは力強く頷いた。
「さて、では私は戻ります」
「あら? お父様の尻拭いをするのではなかったの?」
「はて、そんなことは存じませんね」
とぼけた返事を返し、チェルシーは更衣室から出ようと扉に手を掛ける。その途中で、一つ忘れ物をしていたとポケットからラッピングされた箱を取り出した。旦那様からのお届け物ですと言われ、怪訝な顔をしながらもセシリアはその箱を開ける。
「……ダイヤモンドのネックレス?」
「渡し忘れた入学祝、だそうです」
表情を変えることなくそう述べたチェルシーと自身の手の中にあるそれとへ交互に視線を移しながら、彼女は大きく溜息を吐いた。確かにオルコットは貴族の家系であり現在資産も潤沢にあるのだが、かといって娘にポンと渡していいものではない。そんなことを思いながら箱に再び仕舞おうとして。
「石言葉は『不屈』ですね」
その言葉を聞いて動きを止めた。それはつまり、そういうことなのか。あの男は、それも見越して手を回していたということなのか。そう考えると、思わず頬が緩んだ。普段ペコペコと頭を下げている男性が勝ち誇ったように笑っている姿を想像すると、無性に笑いたくなった。
「チェルシー、伝言を頼みますわ」
「はい」
「『帰ったら一発ぶん殴りますわ』と伝えて頂戴」
「かしこまりました」
丁寧にお辞儀をすると、今度こそチェルシーは更衣室から去っていった。後に残されたのはセシリア一人。だが、先程までの気分など何処かに吹き飛んでいた。よし、と気合を入れると、彼女も同じように更衣室から外に出る。その首には先程貰ったネックレスが掛けられていた。
「一夏さん」
寮に向かいながら、彼女は一人の男性の名を呟く。自身を打ち倒した男の名を口にする。
そこに浮かぶのは、笑み。淑女のような笑みと、獲物を狙う猛獣の笑みが混ざり合った、正真正銘のセシリアの笑みだ。
「次は、負けませんわ!」
セシリア・オルコット。彼女は男が嫌いだ。だが同時に、本当の強さを持っている男を無意識に好むのだ。
原作と重なっている部分があるのか不安になってきました。
えっと、セシリアさんの両親は健在です。
『白式』は『零落白夜』取っ払ったら物凄く色々入ったってことでこう、ご勘弁を……。