災厄の悪魔は正義を嗤う   作:ひよこ饅頭

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今回はいっぱい視点が変わります!
その数……何と四つ……(汗)
読み辛くなってしまっていたら申し訳ありません……(土下座)


第9話 狂いだす歯車

 小さく肩を竦ませる動作をする黒い背中を見つめながら、ネイアは未だ息苦しい胸で必死に呼吸を繰り返していた。

 正に圧倒的な光景だった。

 ウルベルトが相手にしていた豪王バザーは名の知れた亜人であり、聖王国最強と謳われるレメディオスと同格とされる亜人でもあった。そんな存在を、ウルベルトはまるで赤子の腕を捻るかのように容易く倒してしまったのだ。

 加えて今でも感じられる圧倒的な存在感。

 彼が一つの指輪を外した瞬間、一瞬で世界が死んだのかと錯覚を覚えた。

 空気が死に、呼吸が出来なくなった。

 太陽が消滅し、視界が闇に染まった。

 地面が絶望に震え、立っていることすら困難になった。

 しかしそれは、ある意味間違っていた。

 呼吸が出来なくなったのは、ネイア自身が威圧感に耐え切れず呼吸を忘れてしまったから。

 視界が闇に染まったのは、圧倒的な力に本能的に絶望し、ネイアの視界が見ることを拒絶したから。

 立っていることすら困難になったのは、ネイア自身の両の足が震えていたから。

 勘違いを一つ一つ正していけば一見大したことがないようにも思えるが、しかしそれらの錯覚を他者にもたらすこと自体が信じられないことだった。

 ネイアは一つ大きく生唾を呑み込むと、じっと一心にウルベルトの背を見つめ続けた。

 これがウルベルト・アレイン・オードル災華皇(さいかこう)

 いや、これこそが(・・・・・)と言うべきか……。

 ウルベルトが戦っているところを見るのはこれで二回目になるが、一回目の時も、そして戦っていない普段の時も、今のような恐怖を伴う絶対者の威圧を感じたことはなかった。ウルベルト自身がバザーに語っていたように、自分たちを怯えさせないようにずっとそれらを抑えてくれていたのだろう。

 改めて感じる畏敬の念。そして更に高まる尊敬と強さに対する羨望。まるで世界の全てが彼を“支配する者()”だと認め平伏しているかのような錯覚に陥り、ネイアは身体の震えを止められなかった。

 

 

 

「………さて、戦闘は終わった。そろそろ解放軍を呼びに行こうか」

 

 不意に聞こえてきた柔らかな声。

 知らず自身の思考に沈んでいたネイアは、ハッと我に返ったと同時に気が付けばその場に跪いて深々と頭を垂れていた。横でも同じような気配を感じ、恐らくオスカーも自分と全く同じなのだろうと理解する。いつの間にかこちらを振り返って柔らかな笑みを浮かべるウルベルトには、それだけの迫力と壮大さがあったのだ。

 しかしウルベルト自身は、どうやら怖がらせたと勘違いしたようで、ピタッと動きを止めたと同時に少し慌てた様子で血濡れたグローブを外して再び指輪を填め始めた。

 

「……ああ、すまない。これで大丈夫かな?」

「……あっ、は、はい! お気遣い下さり、ありがとうございます!」

「それでは早く立ちたまえ。解放軍を呼びに行くとしよう」

 

 ウルベルトに促され、ネイアとオスカーは慌てて立ち上がる。

 こちらに背を向けて、行きとは違い、ゆっくりと歩を進める山羊頭の悪魔。

 ネイアはバザーだった黒い煤やアイテムなどが転がっている地面に伏せている魔界の番犬(ガルム)を振り返るも、すぐにウルベルトへと視線を戻して追いかけるために勢いよく足を踏み出した。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ネイアとオスカーを連れて門へと戻ったウルベルトは、大人しく待っていた解放軍へと声をかけて中に入るように促した。彼らは最初こそ少し半信半疑のような表情を浮かべていたが、しかし数秒後には聖騎士を先頭に次々と街の中へと入って行く。

 ウルベルトは彼らの多くの背を見送りながら、内心では安堵の息をついていた。

 最初はどう対処しようかと頭を悩ませたが、何とかうまくいって一安心だ。影の悪魔騎士(シャドウナイトデーモン)たちも上手くやってくれたようで、この戦闘で死んだ人間はゼロ。重軽傷者も少数であるとスクードから〈伝言(メッセージ)〉で報告を受けていた。

 これで少しは自分たちへの評価が上がれば良いのだが……と思考を巡らせ、しかしここで更に駄目押しをすることにした。

 ウルベルトは徐に踵を返すと、ネイアとオスカーを引き連れてバザーと戦闘を行った広場まで引き返した。

 そこには既に解放されて消耗しきった聖王国の民たちが、血に濡れた地面にも構わず頽れるように座り込んでいた。広場の隅には未だガルムが目を閉じて伏せており、そこだけが人っ子一人おらず不自然な空間が出来上がっていた。

 広場に足を踏み入れたウルベルトの存在に気が付いて、聖王国の民たちが次々と視線を向けてくる。悲鳴こそ上げなかったものの見るからに恐怖の表情を浮かべる彼らに、しかしウルベルトは一切気にすることなく足を踏み出していった。

 まるで波が引くように腰を下ろした状態で這うように後退って道を開ける人間たち。

 ウルベルトは自然とできる道を進んで未だ地面に伏せているガルムの元へと向かうと、次には召喚魔法を唱えて複数の悪魔を出現させた。

 周囲から大きなざわめきと小さな悲鳴が聞こえてくるが、それも全て無視をする。

 ウルベルトの視線の先には、五体の拷問の悪魔(トーチャー)が一様に跪いて頭を下げていた。

 

「この場で人間たちに治癒魔法をかけて治療せよ。しかし決して無理強いはするな。治癒してほしいと願い出た者のみを治療せよ。……何か不満はあるか?」

「いいえ、一切ございません。全て召喚主たる御方様の仰せのままに」

 

 念のため最後付け加えるように確認をとれば、ウルベルトの杞憂を拭い去るようにトーチャーは迷いなく答えてくる。

 ウルベルトは一つ頷くと、次には周りで恐々とこちらの様子を窺っている聖王国の民たちへと目を向けた。

 

「聖王国の民たちよ! 私は、お前たちの統治者たちから救援を乞われアインズ・ウール・ゴウン魔導国から来た、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇である! この者たちは悪魔だが、私の配下であるため心配は無用だ。この者たちならばお前たちの傷を完璧に癒すことが出来る。……もし苦痛から救われたいのならば、この者たちに治療してもらうがいい」

 

 ウルベルトの言葉に聖王国の民たちの瞳に困惑の色が宿るが、しかし恐怖の色がなくなったわけではない。

 未だなお微動だにしない彼らに、しかしウルベルトはこれ以上何も言わず、また何もしようとはしなかった。

 これ以上無理強いをしては逆効果になりかねない。彼らが自主的に歩み寄ってくることが重要なのだ。

 ウルベルトはなるべく威圧感を与えないように何も気にしていない素振りでガルムの上へと腰を下ろすと、そのまま地面に散らばっていたバザーの装備品やアイテムを調べることにした。ネイアやオスカーには装備品やアイテムを順に拾って持ってきてくれるように頼む。ウルベルトはネイアやオスカーから装備品やアイテムを受け取っては魔法で調べ、それを袖の中に出現させたアイテムボックスにしまうのを繰り返した。

 剣の“砂の射手(サンドシューター)”に盾の“ランザの勲し(ランザズ・メリッツ)”、緑の鎧の“亀の甲羅(タートルシェル)”。角に嵌めていた装飾アイテムである“迷いなき突撃”に“第二の眼の指輪(リング・オブ・セカンドアイ)”と“疾走の指輪(リング・オブ・ラン)”などなどなど。

 ユグドラシル産に比べれば見劣りするのは否めないが、それでも魔法のアイテム自体が高価であるこの世界においては十分に貴重な品だと言えるだろう。こんな物でもアインズの土産の一つくらいにはなるはずだ。

 それにこの角に嵌める形の装飾品は中々に厨二心を擽るものがある。

 良いな~、俺も着けようかな~……と無言のまましげしげと全方向から眺めた。

 しかし“迷いなき突撃”をそのまま自分が着けてはナザリックのシモベたちから『このような粗悪な品など、御方に相応しくありません!』と苦言が来そうでもある。となればナザリックに貯蔵している素材を使って自分で一から作る必要があった。良い素材があったかな~……とナザリックの自室に置いてある保管庫の中身を思い浮かべる。

 しかし不意にこちらに近づいてくる細い影に気が付いて、ウルベルトは思考を中断してそちらへと目を向けた。

 ウルベルトの黄金色の異形の瞳と、茶色の人間の瞳が真っ直ぐにかち合う。

 恐る恐る近づいてきたのは痩せこけたみすぼらしい一人の女で、彼女はウルベルトと目が合った瞬間にビクッと大きく身体を震わせた。

 しかし何かを決意したような表情を浮かべると、再びこちらに歩み寄ってきた。

 

「……あ、あの……わ、私はどうなっても構いません……! ですから……ど、どうかこの子を、助けて下さい……!」

 

 必至な表情と共に差し出されたのは幼い子供。

 歳は四歳か五歳くらいだろうか。赤黒い大きなシミの着いた布を身体中に巻き付けており、意識がないのか女の腕の中でぐったりと脱力している。

 ウルベルトは持っていた“迷いなき突撃”をアイテムボックスへと収めると、ガルムから滑り降りて女の前へと進み出た。

 決意はしてもやはり恐怖は感じるのだろう、女の表情に怯えの色が宿る。しかしここで微笑んでは逆効果になる気がして、ウルベルトは敢えて無表情のままにそっと腕に抱かれた子供へと手を伸ばした。

 グローブを嵌めていない、山羊の短い毛に覆われた黒く鋭い鉤爪と五本の指を備えた異形の手。

 なるべく怖がらせないように、また傷つけないように細心の注意を払いながら、ウルベルトはゆっくりと布に手を掛けて子供の身体を露わにした。

 

「……っ!!」

 

 すぐ隣でこちらの様子を窺っていたネイアから息を呑む音が聞こえてくる。目の前に曝け出された子供の状態はそれだけ酷いものだった。

 痩せ細ったガリガリの身体に大きく走った深い切り傷。まるで手術をしたように鎖骨の中心から臍にかけて一直線に赤黒い線が走っていた。傷口は乱暴に縫われているようだったが未だに血は流れており、所々に膿がこびりついている。

 今息をしているのが不思議と思えるほどに悲惨な状態。

 ウルベルトは暫く静かに子供を見つめると、次には一体のトーチャーを呼び寄せた。反射的に逃げるように後退る女の腕を掴み、半ば強引にトーチャーへと子供を差し出すように引き寄せる。

 トーチャーはウルベルトの意を汲んで子供の身体へと両手を翳した。

 

「〈大治癒(ヒール)〉」

 

 悪魔の恐ろしい声と共に淡い翠色の光が子供の小さな身体を包み込む。

 瞬間、見る見るうちに大きな傷が塞がっていき、最後には傷跡もない綺麗な肌だけが残った。

 目の前で起こった奇跡に、女は驚愕に目を見開かせて愕然とする。子供を抱いている腕を慎重に動かして身体を撫で、傷が完全に癒えていると分かった瞬間、見開かせた目からぽろぽろと涙を流し始めた。

 女は大事そうに子供を抱え直すと、未だ涙を流しながら深々と頭を下げてきた。

 

「……ありがとうございます…! ……ありがとうございます…っ!」

 

 何度も何度も頭を下げる女に、ウルベルトはここで初めて柔らかな笑みを浮かばせた。

 

「そんなに畏まらずとも結構だよ。君たちを助けるのは、先ほども言ったように君たちの統治者たちからの救援要請に応えての延長線上に過ぎない。少なくとも、この戦闘に介入すると決めた以上、最後まで責任を持たなくてはならないからね。私への感謝よりも、子供を助けるために悪魔にすら頭を下げた君自身の勇気を誇ると良い」

 

 ウルベルトの言葉に、女は下げていた頭を勢い良く上げて呆然とこちらを見つめてくる。他の人間たちも呆然とした表情を浮かべており、ウルベルトは小さく肩を竦ませると、踵を返して女から離れていった。

 バザーが残したアイテムの鑑定の続きをしようとガルムの元へと歩み寄り、しかし不意に聞こえてきた声にウルベルトは足を止めてそちらを振り返った。

 

「災華皇閣下! こちらにいらっしゃったのですね!」

 

 どこか弾んだ声と共に駆け寄ってきたのは見覚えのある一人の聖騎士。

 ウルベルトはぱちくりと目を瞬かせ、マジマジと聖騎士を見つめた後に漸く思い出して小さな声を零した。

 

「………あぁ、君は確か……マクラン・ペルティア、だったかな……?」

 

 ウルベルトの確認の言葉に、駆け寄って来た聖騎士――マクランは驚愕の表情を浮かべる。

 彼はウルベルトの言葉通り、オスカーが重傷で寝込んでいた時、ずっと彼が匿われていた物置小屋の扉を守っていた聖騎士だった。

 

「……は、はいっ! 私のような者の名を覚えていて下さるとは、とても光栄です!」

「まぁ、記憶力は良い方だからねぇ……。それよりも、何か私に用事があったのではないのかね?」

 

 小首を傾げながら尋ねるウルベルトに、マクランはハッと我に返ったような表情を浮かべた。

 

「そっ、そうでした! 失礼しました、災華皇閣下! 団長と副団長がお呼びです。ご同行願えますでしょうか?」

 

 慌てて言ってくるマクランに、ウルベルトはふむ……と少しだけ考え込んだ後、チラッと後ろにいるガルムや五体のトーチャーたちを見やった。

 彼らをこの場に置いておいても良いものか……と頭を悩ませ、しかし妙案を思いついて視線をマクランへと戻した。

 

「了解した、今すぐ向かおう。……オスカー、この場はお前に任せる。トーチャーたち、お前たちはこの者の命に従うように」

「「「はっ」」」

「……畏まりました、閣下」

 

 トーチャーたちは全員が跪いて頭を下げ、オスカーも同じように臣下の礼をとる。

 オスカーは聖王国の聖騎士からウルベルトの臣下へと変わったため、未だレメディオスや同僚だった聖騎士たちとは顔を合わせ辛いだろう。その予想は的中したようで、どこかホッとしたような雰囲気を帯びるオスカーに少しだけ笑みを浮かべると、ウルベルトはネイアを引き連れてマクランの後に続いた。

 今回、解放戦の被害が少なかったこともあり、街の中には解放された聖王国の民たちが至る所に溢れている。

 時折悲鳴を上げられたり凝視されたり驚かれたりしながらも、ウルベルトはマクランの案内で大きな建物へと連れてこられた。

 入り口の前に二人の聖騎士が左右に立って守護しており、そこには何故かグスターボの姿もあった。

 

「災華皇閣下! ご足労頂き、ありがとうございます!」

 

 目が合った瞬間、まるで駆けるようにこちらに歩み寄ってくる。彼の表情は今までにない程に明るく輝いているようだった。

 何やら良いことでもあったのかもしれないが、一体何があったのだろうか……。

 内心で小首を傾げるウルベルトに気が付いているのかいないのか、グスターボは変わらぬ明るい表情で小さな笑みすら浮かべていた。

 

「閣下に是非会って頂きたい御方がいるのです! さぁ、どうぞこちらへ」

 

 嬉々として促してくるのにウルベルトは尚も内心で首を傾げてしまう。しかし断る理由もないため、ウルベルトはマクランに礼を言って次はグスターボの後へと続いた。

 二人の聖騎士が守っていた扉を潜り、長い廊下を進んで一つの部屋へと案内される。

 幾つかの質素な木の椅子しか置かれていない殺風景な部屋。室内にはレメディオスと見知らぬ一人の男が向かい合うような形で椅子に腰を下ろしていた。

 二人はウルベルトたちの存在に気が付いたと同時にすぐさま椅子から立ち上がる。

 グスターボは向かい合うウルベルトと男の間に進み出ると、順々に互いを紹介してくれた。

 

「こちらは我が国、聖王家の血を引いておられる王兄、カスポンド様です。カスポンド様、こちらは我が国にお力を貸して下さる、アインズ・ウール・ゴウン魔導国のウルベルト・アレイン・オードル災華皇閣下です」

 

 紹介された男は、痩せ細っているせいか正直に言って気弱で幸薄そうに見えた。

 肩より少し長い金色の髪に蒼色の瞳。この世界の水準で見ても整った顔立ちであり、威厳や気品も感じられなくはない。しかしどうにも争いを好まなさそうな雰囲気が目立ち、どこか頼りなさそうな印象を受けた。

 マジマジと見つめながら内心でそんなことを考えているウルベルトに気が付かず、カスポンドは柔らかな笑みを浮かべて一歩前へと進み出てきた。

 

「話はカストディオ団長やモンタニェス副団長より聞いています。誠に感謝の言葉もありません。お初にお目にかかります、カスポンド・ベサーレスと申します」

「……こちらこそ申し遅れた。アインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者が一人、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇という」

 

 そこで言葉を切り、カスポンドやグスターボやレメディオスの反応を窺う。

 正直、ここからどう動いていいものか分からなかった。

 

(……こっからどうしたら良いんだよ。普通椅子とか勧めるんじゃないのか? なんで何も言わないんだ……。あれか? 握手でもすれば良いのか?)

 

 内心汗をダラダラと流しながら、この場にいる全員の様子を窺いながら恐る恐る手を差し出す。一拍後、カスポンドも手を握り返してくれてウルベルトは内心で大いに安堵の息を吐き出した。

 そのまま椅子を勧められ、カスポンドとレメディオスとグスターボと向き合う形で椅子に腰かける。

 まずは前置き代わりに労いと感謝の言葉をそれぞれ交わすと、次には早速とばかりに本題へと入っていった。

 カスポンドによって話されたのは大きく分けて二つ。

 この都市でどういったことが行われてきたのか。そして今後取ろうと考えている大まかな行動方針についてだった。

 彼の話によると、どうやらここはただの捕虜収容所なのではなく、悪魔たちの実験施設としても使われていたらしい。彼自身もここまで逃れてきたは良いものの、結局は悪魔たちに見つかって捕まり、それからはずっとこの都市で拷問を受けていたのだと言う。

 悪魔の拷問内容や実験内容は様々。しかし、どうやら人体に関するものが殆どであったようだった。

 例えば、腕を切り落とした後に他の生物の腕を神経まできちんと繋げてくっつけた場合、その腕はちゃんと機能するのか。

 例えば、傷は与えずに痛みだけを与え続けた場合、人間はどこまで耐えることが出来るのか。

 例えば、複数の手足や感覚器官をくっつけて神経も繋げた場合、それらはきちんと機能し、操ることはできるのか。

 例えば、例えば、例えば、例えば、例えば………――

 悪魔たちの探究心とも言うべき思考と重ねられる実験には終わりが見えず、その実験内容や結果が書かれた書類や実験の被害者たちもこの都市に溢れ返っている。尤も、件の書類はレメディオスやグスターボたちには読み解けぬ言語で書かれており、実験内容や結果が書かれたものだと判断したのは、書類が置かれていた部屋の状況などから推測しただけではあるのだが……。

 

「そういえば……、閣下に一つお伺いしたいのですが……」

「うん? なんだね?」

「実は、悪魔たちの中に捕虜たちの皮膚を剥ぎ取るモノが複数いたと民たちから聴取したのです。今まで解放した二つの捕虜収容所でも同じ情報を入手しておりまして……。これについて、災華皇閣下は何かご存知でしょうか? 例えば、悪魔特有の儀式の材料であるとか……」

「……………………」

 

 表情を翳らせながら問いかけてくるグスターボに、ウルベルトは考える素振りを見せながらも内心ではダラダラと冷や汗を流していた。

 もしかしなくても、これは間違いなくデミウルゴスの指示だ。加えて述べるのであれば、それは悪魔特有の儀式の素材でも拷問のためでも実験のためでもなく、偏に巻物(スクロール)作製のためだろう。

 ウルベルトは時間を稼ぐために足をゆっくりと組みながら、内心では大いに頭を抱えて思考を働かせた。

 デミウルゴスと彼率いるナザリックの悪魔たちは、魔法を宿す巻物(スクロール)を作製するために、聖王国両脚羊(アベリオンシープ)と名付けた“シープ”の皮を剥ぎ取っては羊皮紙として加工して活用している。アインズはそのシープをキマイラか何かと勘違いしているようだったが、しかしウルベルトはデミウルゴスたちと同じ悪魔であるということもありシープの正体を正確に理解していた。

 聖王国両脚羊(アベリオンシープ)の正体……、それは聖王国(アベリオン)に棲む人間。

 悪魔たちが捕虜となった人間たちの皮膚を剥ぎ取っていたのは、偏に巻物(スクロール)の原材料である羊皮紙を手に入れようとしてのことだろう。

 しかし、これは決して正直に口にしてはならない事柄だった。

 もしここで人間の皮膚が魔法の巻物(スクロール)の羊皮紙に使用されていると知られ、今後魔導国が巻物(スクロール)を国の特産品として世に出回らせた場合、万が一魔導国の巻物(スクロール)の原材料も人間の皮膚だとバレた時、魔皇ヤルダバオトとの繋がりを勘付かれるとも限らない。少なくとも人間の皮膚の使い道を別のものとして認識させ、巻物(スクロール)も世に出回らせないように徹底しなければならないだろう。

 ウルベルトは瞬時に考えを纏めると、まずはこの場を誤魔化すべく漸く閉じていた口を開いた。

 

「……ふむ、私も詳しくは知らないが……。君の言う通り、悪魔の中には生き物の皮膚を剥ぎ取って儀式に使用するモノもいる。今回もそうであるとは限らないが……まぁ、あまり深刻に考える必要はないだろう」

「えっ……、い、いや…しかし……。本当に何らかの儀式を行っているのであれば、危険ではないでしょうか?」

「儀式と言ってもピンからキリまで様々だ。代償が皮膚程度であればそれほど大掛かりなものではないだろう。それよりも……私は、ここに悪魔がいたこと自体が注意すべき点だと思うがね」

「それは……、一体どういう意味でしょうか……?」

 

 困惑の表情を浮かべ、グスターボが恐々と問いかけてくる。

 カスポンドは変わらぬ表情ながらも真剣にこちらを見つめており、レメディオスは警戒しているのか睨むように表情を顰めさせていた。

 

「悪魔の中には人間に変身できるモノや幻術を使うモノもいる。そういったことを見破る方法が君たちにあるのであれば別だが、そういった対処方法がない場合、解放した者たちの中に敵が紛れ込んでいないか注意する必要があるだろう」

「「「……っ!!」」」

 

 どこか淡々とした声音で忠告するウルベルトに、目の前の三人が一様に驚愕の表情を浮かべる。

 しかしカスポンドの目に一瞬問うような光が過ったのを見止めて、ウルベルトは内心で苦笑を浮かべた。

 “彼”からしてみれば、先ほどのウルベルトの忠告は疑問が浮かぶ行動と発言だったのだろう。しかしウルベルトは一応聖王国を救うために来たのだから、少しくらいはヒントを与えてやらねば(・・・・・・・・・・・)礼儀に反するような気がした。

 とはいえ、あまり悠長に構えている訳にもいかないのも事実。

 どこか焦りの色を浮かべるグスターボやレメディオスに気が付いていない振りをして、ウルベルトはさっさと次の話題に移ることにした。

 

「まぁ、人が変わったような者や見知らぬ者がいないか後で調べてみたまえ。……それで、次の話に移るが……南の勢力と合流して全軍で攻め込むと言っていたが、ここには既に大きく膨れ上がった手負いの聖王国の民たちがいる。移動するだけでも大変な困難を伴うだろう。具体的にはどう合流するつもりだね?」

「未だきちんとした考えがあるわけではありませんが……。私と同じように囚われていた貴族が何人かおりましたので、その者たちから詳しい話を聞き、連絡を取る者や方法なども加味しながら作戦を練りたいと考えております」

「……なるほど。まぁ、私はあくまでも魔導国のモノで部外者も同じだ。大まかな行動方針は君たちに任せるとしよう」

 

 ウルベルトはそう言葉を返すと、徐に座っていた椅子から立ち上がった。

 自然な動作で汚れを払うようにマントを払い、未だ椅子に座っているカスポンドへと柔らかな目を向ける。

 

「それでは、私はそろそろ退席させてもらおう。今回の戦闘で少々魔力を使い過ぎた……。魔力の回復のためにも、今日はもう休ませてもらおう」

「それは気が付かず失礼しました。また方針の詳細が決まりましたら報告に伺いましょう」

「気にする必要はないとも。それでは、失礼させてもらう」

 

 椅子から立ち上がり気遣いの言葉と共に見送るカスポンドに、ウルベルトは柔らかな笑みすら浮かべた。

 あぁ、これではいけない……と思うが、どうにも偽れない。

 自分は意外と嘘が苦手かもしれないと内心で反省しながら、ウルベルトはこれ以上失態を犯さないようにネイアを連れて部屋を後にした。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 ……彼の方と離れて、一体どのくらいの時間が経ったのか。

 実際は一日も経っていない短い時間だというのに、ひどく長く感じられる。

 まったく、短慮で愚かで下等過ぎる者たちの相手は、言葉を交わすだけでもひどく疲れるものだ。

 薄汚れてみすぼらしい廊下を歩きながら、彼……カスポンドは内心で大きなため息を吐き出していた。

 しかしこれも大切な務めであり、至高の御方々のためだと思えばこそ疲れなど吹き飛んで活力すら湧いてくる。

 数時間前に別れ、また今から会うことが叶う彼の御方の姿を脳裏に蘇らせ、カスポンドは知らず柔らかな笑みを浮かべていた。

 胸に溢れてくるのは抑えようのない歓喜と興奮と尽きることのない崇拝の念。恐ろしくも美しいその御姿をこの目に映した時、勢い良く湧き上がってきた歓喜を忘れることが出来ない。あの時、もしほんの少しでも気を抜いていれば、衝動のままにその場に傅き、深々と頭を垂れていたことだろう。

 しかし、あの場でそんな行動を取れるはずもなく……。

 礼を失してしまったことに胸が激しく痛み、御方に不快に思われたのではないかと考えただけで全身に震えが走った。

 カスポンドはいつの間にか青白くなっていた表情を厳しく顰めさせると、意を決したように見えてきた目的の扉へと目を向けた。

 扉の前に人影はなく、容易に部屋の主を尋ねることの出来る状態であることが窺える。

 カスポンドは扉の前まで歩み寄ると、思いを込めて丁寧に扉をノックした。それとほぼ同時に室内へと伺いの言葉をかければ、すぐに室内から柔らかな返答と入出許可の言葉が返ってくる。

 カスポンドは胸の中で歓喜と不安に激しくなり始める動悸を感じながら、しかし面には決して出さずにゆっくりとドアノブに手を掛けて丁寧に扉を開いた。

 開かれた扉に従って視界に広がるのは、ここが打ち捨てられた建物の一室だとは思えないほどに豪奢に整えられた室内の光景。そして真正面に向き合うように置かれた寝椅子(カウチ)に優雅に腰かけた山羊頭の悪魔だった。

 カスポンドは室内へと足を踏み入れて扉をしっかりと閉めると、次にはその場に片膝をついて深々と頭を下げた。

 

「ウルベルト様には無礼を働き、誠に申し訳ありませんでした。平にご容赦ください」

「謝る必要はないよ。お前はお前の役目を果たしただけなのだからねぇ。私は無礼だとも思っていないし……、逆に演技が上手くて流石とすら思っていたよ」

「何と慈悲深き、寛大な御言葉……。心より感謝いたします」

 

 思ってもみなかった言葉に歓喜が溢れ、緩みそうになる頬を必死に引き締める。恐れ多さと言葉に表せぬ程の感謝にずっと頭を下げたい心境だったが、しかし頭を上げて立つように言われてしまえば従わないわけにはいかない。

 カスポンドは……――ローブル聖王国の王兄であるカスポンド・ベサーレスに姿を偽っていたドッペルゲンガーは、悪魔が命じるがままに頭を上げて立ち上がりながら、その姿を本来の卵頭へと戻していた。

 空洞のような穴となっている目と口。まるで尺取虫のように細長い三本の指。

 本来の異形の姿に完全に戻ったドッペルゲンガーは改めて立ったままの状態で軽く頭を下げると、次には最終的に決定した解放軍での行動方針とデミウルゴス率いるヤルダバオトの悪魔・亜人連合の動きをそれぞれ手短に報告していった。

 まず解放軍の最終的な行動方針は南の勢力と合流して総攻撃をかける……と見せかけて、一度ここに亜人たちの軍勢を誘い込み、ウルベルトの力を利用して亜人たちの勢力をできるだけ削るというものだった。また、デミウルゴス率いるヤルダバオトの悪魔・亜人連合はこの都市を襲撃し、解放軍の約八割を殲滅する予定となっている。

 ウルベルトは静かにドッペルゲンガーの報告に耳を傾けて一つ頷いた後、次にはじっとこちらを見つめてきた。何か考え込むように……、それでいて何か言いたげに見つめてくる黄金の瞳に、ドッペルゲンガーは思わず小さく首を傾げていた。

 

「……如何なさいましたか、ウルベルト様?」

「いや……。悪魔の中には人間に変身したり幻術を使うモノもいると忠告したのだが、あれから誰もお前を疑う者はいなかったのか?」

「はっ。解放した聖王国の民については調べているようですが、私や解放した貴族たちに対しては、調べの手は伸ばしていないようです」

「何とも手ぬるいことだ。わざわざ忠告してやったというのに、愚かにもほどがある」

 

 崇拝する主からの言葉に、ドッペルゲンガーは真剣な表情を浮かべながら同意するために頷いた。

 ウルベルトの言う通り、これがもしナザリックであったならば至高の主たちは徹底して調べたことだろう。いや、主たちが行う前に忠誠心厚い守護者たちが率先して徹底的に動いた筈だ。対象が誰だろうと構わない。少しでも疑いの範囲に含まれているのであれば徹底的に調べ、完全に安全だと分からなければ問答無用で処分することも厭わない。

 

 

「……そういえば、ウルベルト様の命に従ってこの場に捕らえていた豚鬼(オーク)たちですが、彼らはレメディオス・カストディオの判断と命により聖騎士たちの手によって全てが排除されたようです」

「………なるほど。見た目が人間の王族や貴族であれば疑うことすらしないくせに、相手が人間でなければ問答無用でその命を奪うか……」

 

 ウルベルトの金色の瞳が怪しく細められ、穏やかだった声も低められて冷ややかになる。

 ドッペルゲンガーが口にしたオークたちと言うのは、ヤルダバオトに反抗して囚われていた者たちのことだった。言うなれば人間たちにとっては一切害にはならない存在であり、同じ立場ともいえる存在ですらある。しかし、にも関わらず、彼らは問答無用で殲滅されてしまった。

 実は彼らは聖王国側の反応を調べるために、ウルベルトの命によりわざとこの都市に放置されていた者たちでもあった。

 このことでウルベルトが聖王国に対してどう判断を下すのかは唯のシモベに過ぎないドッペルゲンガーには推測することすらできぬことだったが、それでも少なくとも聖王国側にとっては良いものにはならないだろう。

 ドッペルゲンガーは愚かな聖王国の人間たちに対して内心で嘲りの笑みを浮かべながら、それでいて崇拝する主に対しては柔らかな問いの声をかけた。

 

「それで、ウルベルト様。これから行われる戦闘において、助けなければならぬ人間はどの者でしょうか?」

 

 これから行われる襲撃作戦において八割もの人間を殲滅するとはしたものの、しかし一方でウルベルトが価値ありと判断した存在に関しては必ず生かさなければならない。

 そのために投げかけた問いであるのだが、しかし返ってきた言葉は思わぬものだった。

 

「ああ、それは私の方から直接伝えるから問題ないよ」

「直接……で、ございますか……?」

「それよりも、君には一つ頼みたいことがあるのだけれど……」

 

 思わず首を傾げれば、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の闇に染まり始めた宵の頃。

 ローブル聖王国に存在する都市の中でも最も高い防御力を誇る城塞都市カリンシャ。

 しかし今は見る影もなく、大きく高く聳え立っていた城壁は大量の瓦礫の山と成り果てていた。

 代わりにあるのは幾つもの大小様々な天幕。形を保っている建物には多くの傷や赤黒い汚れが刻まれている。都市の中央に聳え立つ籠城のためだけに作られた堅牢な城も、今や所々がひび割れて崩れ落ち、まるで廃城のような不気味な佇まいへと姿を変えていた。

 都市の中に蠢くのは人間ではなく、多くの亜人と悪魔の影。いつもは煩く駆け回り騒いでいるのは亜人たちだというのに、今は何故か多くの悪魔たちが煩く騒ぎながら都市中を駆け回っていた。

 魔皇ヤルダバオトの配下の悪魔によって転移魔法でこの都市に連れてこられたヴィジャーは、いつにない悪魔たちの様子に思わず小首を傾げていた。

 しかし、こんなところで時間を浪費している場合ではない。

 ヴィジャーは悪魔たちから視線を外すと、目的地である一際大きな天幕へと足先を向けた。

 天幕の入り口の前には一体の亜人が緊張した面持ちで立っており、ヴィジャーの存在に気が付くと軽く頭を下げて入り口の布を捲り上げてくれる。目の前に広がった入り口に、ヴィジャーは軽く頭を下げて潜るようにして天幕の中へと足を踏み入れた。

 天幕の中には既に五体の亜人が揃っており、奥にある高座に向けて片膝をついていた。

 蛇王(ナーガラージャ)の“七色鱗”ロケシュ。

 魔現人(マーギロス)の“氷炎雷”ナスレネ・ベルト・キュール。

 石喰猿(ストーンイーター)の“白老”ハリシャ・アンカーラ。

 半人半獣(オルトロウス)のヘクトワイゼス・ア・ラーガラー。

 そして、ヴィジャーと同じ獣身四足獣(ゾーオスティア)である“黒鋼”ムゥアー・プラクシャー。

 ここにいるヴィジャーを含め、全員が亜人連合軍の十傑のメンバーである。

 彼らは一軍を率いる者であり、通常はヤルダバオトの命により各捕虜収容所や各戦場に散らばっていたはずだ。このように一カ所に集まることは非常に珍しく、彼らもヴィジャーと同じようにヤルダバオトに呼ばれたのだと推測できた。

 ヴィジャーは近くの空いているスペースに傅くと、一番近くにいたロケシュへと声をかけた。

 

「……おい、あの方はまだ来られていないのか?」

「ヒヒヒ、まだいらっしゃってはおられん。もし既にいらっしゃっていれば、おぬしは唯ではすまんかったじゃろうて」

 

 ヴィジャーの問いに答えたのは、ロケシュではなくハリシャ。

 白く長い頭の毛から覗く口が大きな三日月を描き、ヴィジャーは虎にひどく似た顔を大きく顰めさせてフンッと鼻を鳴らした。

 ヴィジャーとしてはヤルダバオトが自分たちを呼びつけた理由を少しでも知れればと思っての問いだったのだが、奇しくもまるで揚げ足を取るかのように頭が足りない言葉として取られてしまい、不快感が湧き上がってくる。

 しかし幸いなことに、それは長くは続かなかった。

 ヴィジャーが言い返そうと口を開きかけたその時、目の前の高座に突如闇の扉が浮かび上がった。

 楕円形に広がり波打つ漆黒の闇。

 まるで水面に浮かび上がるかのように朱色が姿を現し、ヴィジャーたちはすぐさま口を閉ざして深々と頭を下げた。

 全身に感じられる大きな威圧感とコツコツと言う硬質な音。気配が近づいてくるにつれ、全身が本能的な恐怖に凍り付いていく。しかしヴィジャーは勿論の事、この場にいる誰もが無様に身体を震わせるようなことはしない。傅いて頭を下げ続けながら、唯ひたすらに彼が口を開くのを待った。

 

「……頭を上げなさい」

 

 聞こえてきたのは冷ややかな声音でありながらも耳に心地よい音色。

 言葉に従って顔を上げれば、奇怪な蒼の仮面と民族衣装のような朱色の服を身に纏った悪魔が銀色の尾をゆらりと揺らめかせながら高座に立ってこちらを見下ろしていた。

 仮面によって表情は窺えなかったが、揺れる尾の動きと相俟って、どこか機嫌が良さそうに見える。

 しかし彼の口から出てきたのは予想外のことだった。

 

「バフォルクに管理を任せていた小都市ロイツが人間たちの手によって解放されたと報告が来ました。お前たちは各々の軍を率いてロイツへ向かいなさい」

「「「……っ!!?」」」

 

 小都市とはいえ、都市規模の捕虜収容所が人間たちに奪い返されたとは驚きだ。それも小都市ロイツを管理していたのはヴィジャーたちと同じ亜人連合軍の十傑の一人である“豪王”バザーだったはずだ。彼の小都市が落とされたということは、必然的にバザーも倒されたということになる。

 しかし、そうであるならば何故彼がこんなにも機嫌が良いのかが分からなかった。

 

「軍の総勢は四万、総指揮権はお前に与える。軍を率いてロイツに向かい、布陣しなさい。しかし、私の合図があるまでは決して出撃しないように」

 

 ヤルダバオトが指さしたのは“七色鱗”ロケシュ。

 畏まって頭を下げる蛇王に内心で顔を顰めさせながら、それでいてどうにもヴィジャーは多くの疑問が拭えなかった。

 先ほどのヤルダバオトの機嫌の理由もそうだが、わざわざ自分たちをここに呼んだのも解せない。軍を整えて出撃するにしても、そんなことはシモベの悪魔たちに言伝すれば済むことだ。自分たちをわざわざここに集める理由が分からなかった。

 しかし、その理由はすぐに知らされることとなった。

 

「我々は急遽ローブル聖王国を出て明日の朝まで戻りません。その間に不測の事態が起こらぬように、くれぐれも管理を怠らぬようにしなさい」

「「「……っ!!?」」」

 

 先ほどと同じように……いや、先ほど以上にヴィジャーたちは驚愕の表情を浮かべる。

 ヤルダバオトの言う“我々”とは、ヤルダバオトを含む、彼のシモベである悪魔たち全てを指す。ヤルダバオトのみが聖王国を留守にすることは時折あったが、しかし悪魔たちまでもがいなくなることなど今までなかったことだった。勿論全員がいなくなるわけではないだろうが、それでもヤルダバオトの口振りから殆どの悪魔が聖王国を留守にするのだろう。

 一体、何があったのか……と大きな困惑と疑問が渦を巻く。

 

「それは……、何故かお伺いしても宜しいでしょうか……?」

「お前たちに教えることは何もありません。大人しく我が言葉に従っていなさい」

「そ、それは勿論にございます。……出過ぎた真似をいたしました」

 

 同じ疑問を持ったヘクトワイゼスが恐々問いかけるも、返ってきたのはあまりに端的でいて冷たい声音。

 慌てて頭を下げる半人半獣に、ヤルダバオトは機嫌良さそうに一度銀色の尾を大きく揺らめかせた。

 

「……それでは、そろそろ私はここを出ます。お前たちは行動を開始しなさい」

「「「……はっ……」」」

 

 素っ気ないまでの声音に、それでもヴィジャーたちは深々と頭を下げる。

 一瞬の後に消え去る強大な気配に顔を上げれば、そこには既に朱色の悪魔の姿は何処にもありはしなかった。

 

 




“迷いなき突撃”のみルビが上手くいかないため、断念……。
無念……orz
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