災厄の悪魔は正義を嗤う   作:ひよこ饅頭

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第13話 戦場の駒

 時は少々遡り……――

 亜人軍が漸く動き出した頃、ウルベルトはカスポンドと共に都市の奥にある指揮官詰め所にいた。

 室内にはウルベルトとカスポンド以外の者は誰もおらず、聖騎士が一人だけ部屋の外で護衛として控えているのみだ。

 既に〈静寂(サイレンス)〉の魔法をかけていることもあり、ウルベルトとカスポンドは取り繕うこともなく自然体でそれぞれ椅子に腰かけていた。

 

「……そういえば、この部屋に案内された時から思っていたのだがね。戦の真っ最中に我々が二人だけでいても良いのかな?」

 

 通常であれば、戦時中であれば総指揮官は側近となる貴族や幾人かの聖騎士や神官たちと共に、刻一刻と変わる戦場の状況に合わせて話し合いを行い、新たな指令を各部隊に命じていくものであるはずだ。少なくともウルベルトはそう考えている。

 しかし問われたカスポンドの方は一切慌てる様子は見せず、変わらぬ柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 

「お気遣い下さり、感謝いたします。しかし、どうかご安心ください。貴族たちは未だ心身ともに休養が必要ですし、聖騎士や神官は何人いても足りない状況です。このような場所に待機するよりも、一人でも戦場に出した方が良いでしょう」

「なるほど。まぁ、どこも人手不足らしいからな」

 

 カスポンドの言葉に、ウルベルトはワザとらしく肩を竦ませてクツクツと小さく喉を鳴らす。聖王国の人間が見れば不快に感じるであろうそれに、しかしカスポンドは不快に感じるどころかうっとりとした笑みすら浮かばせた。

 ウルベルトは一度大きな息をついて笑い声をとめると、ゆっくりと足を組みながら黄金色の瞳をカスポンドへと向けた。

 

「それで……、お前は私のシモベであると考えて良いのかな?」

 

 ウルベルトの問いに、カスポンドはキョトンとした表情を浮かべる。

 しかしすぐにウルベルトが何を言いたいのか理解すると、次には先ほどと同じく柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 

「勿論でございます。ですので、如何様にもお使いください」

「だが、お前はそもそもデミウルゴスによってこの場に寄越されたのだろう。普通であれば、“ヤルダバオト”のシモベとして動いた方が良いのではないかな?」

「はい。ですので、ここは“真の支配者に魅せられてウルベルト様の支配下に下った”ということにしては如何かと愚考いたします」

「フフッ、そうか。では……解放軍に潜伏している影の悪魔(シャドウデーモン)たちに対しても同じように考えて良いんだな?」

「御意にございます、ウルベルト・アレイン・オードル様」

 

 ウルベルトの言う“解放軍に潜伏しているシャドウデーモン”とは、言葉通りデミウルゴスが秘密裏に解放軍に潜伏させているシャドウデーモンたちのことである。

 これまでの彼らの任務は解放軍の動向を監視して逐一デミウルゴスに報告することだったが、これからはデミウルゴスの手札としてではなく、ウルベルトの手札として動くつもりらしい。

 新たに加わった手札に内心笑みを浮かべながら、しかし面ではそんな気配などおくびにも出さずにウルベルトは鷹揚に頷いてみせた。頭を下げているカスポンドに顔を上げさせながら、それでいてチラッと大きな窓から外へと目を移す。

 あんなにも聞こえていた太鼓の音も破壊音もいつの間にか既に消えており、ウルベルトは黄金色の片目を小さく細めさせて徐に椅子から立ち上がった。

 

「……ウルベルト様、どちらへ?」

 

 漆黒のペリースを靡かせながら窓へと向かうウルベルトに、こちらも椅子から立ち上がりながらカスポンドが問いかけてくる。

 ウルベルトは窓の前まで歩み寄ってからクルッとカスポンドを振り返ると、その山羊の顔にニヤリとした笑みを浮かばせた。

 

「なに、やはり少々聖王国の人間たちに手を貸してあげようと思ってね」

「それはそれは。ですが、我々としては有り難いことですが、閣下の魔力は大丈夫なのですか?」

「正直に言って大丈夫ではないが、それでも解放軍が完全に滅んでしまっては意味がない。君のところの一人の神官に言われて感銘を受けたのだよ」

「ああ、何と慈悲深い御心でしょうか。我が聖王国は心からの感謝を申し上げます」

 

 カスポンドの正体や彼らの繋がりを知っている者から見れば、これらは非常にワザとらしい会話であったことだろう。

 しかし室内にはウルベルトとカスポンドの二人しかいない。

 ウルベルトは両開きの窓を開け放って窓の淵に足を掛けると、頭を下げるカスポンドの見送りを背に勢いよく外へと飛び出した。すぐに〈飛行(フライ)〉の魔法を自身にかけて宙に浮かび、まずは全体の戦況を見るべく、そのまま遥か上空へと上昇する。それでいて地上から500メートルほどの高さで漸く停止すると、ウルベルトはザッと都市全体を見回した。

 都市を囲む市壁に群がる黒い群れと攻撃を受けている四方の門。その中でもやはりと言うべきか、西門周辺での戦況が一番悪く思われた。

 門の鉄格子は既に破られ、市壁の上にも多くの亜人が上り始めている。市壁の上に至っては、今は何とか持ち堪えているものの、いつ決壊するとも限らない状態だった。

 しかしウルベルトの視線は西門付近に向けられていた。

 彼の視線の先にいたのはレメディオス・カストディオと四人の聖騎士。盾と槍を持って四列に固まって整列している民兵たち。そして、この世界では強者の分類に入るのではないかと思われる三体の亜人たちだった。

 彼女たちの姿を見つけ、ウルベルトは思わずニヤリとした笑みが浮かばせた。

 何と都合が良いことだろう、と思わずにはいられなかった。

 レメディオス・カストディオという人物は、デミウルゴスやアルベドが言う所によると欠陥品であるらしい。

 彼女の元へ向かったなら、どんなに愉快な事になるのか、考えただけでも笑いが止まらない。自分よがりな正義を堂々と掲げている彼女の事だ、さぞかし自分の期待に大いに応えてくれることだろう。

 ウルベルトは顔に浮かんでいるあくどい笑みを何とか引っ込めると、代わりに頼りがいのある凛とした優しい笑みを顔に張り付けて再び宙を駆け始めた。

 向かうのはレメディオスたちのいる西門付近。

 とはいえ、すぐに彼女たちに姿を見せるつもりは全くなく、ウルベルトはある程度彼女たちに近づいた後に空中で停止すると、アイテムボックスから〈完全不可知化〉の魔法が宿っているネックレスを取り出して素早く身に着けた。これでどんなに彼女たちに近づいたとしても、こちらの存在に気が付かれることはないはずだ。どうせ姿を現すなら、彼女たちが命の危機に瀕した頃合いを見計らって颯爽と助けに現れた方が効率が良いだろう。それまではレメディオスや他の聖騎士、三体の亜人たちの戦闘方法や能力について観察することにした。

 ウルベルトは四列に並んで待機している民兵たちの頭上二メートルほどの高さで停止すると、まずはマジマジと三体の亜人たちを見つめた。

 雑魚だと思われる多くの亜人たちを後ろに従えた三体の亜人は、それぞれ違う種類の亜人のようだった。

 一体目は獣身四足獣(ゾーオスティア)

 虎のような肉食獣の顔に、人間のような骨格の上半身。しかし腰から下は肉食獣の四肢となっており、まるで獣版のケンタウロスのようである。

 もう一体は魔現人(マーギロス)

 姿形は人間とそれほど変わらない。ただ、腕の数が人間と違って四本あることが一番人間とは違う部分であると言えた。身体中には刺青が刻まれており、生来の魔法行使能力を持つ亜人故か、全体的に細身である。声の響きからして、この亜人はどうやら雌であるようだった。

 そして最後の一体は石喰猿(ストーンイーター)

 頭髪のような白い毛が長く垂れ下がり、毛の間から覗くのは三日月型に歪んだ大きな口のみ。全身に装身具を身に着けており、亜人にしては珍しいことのように思われた。

 彼女たちが今何をしているのかというと、戦うでもなく呑気に自己紹介をしている。

 どうやら亜人たちの名は、ゾーオスティアはヴィジャー・ラージャンダラー、魔現人はナスレネ・ベルト・キュール、ストーンイーターはハリシャ・アンカーラというらしい。

 三体ともが二つ名持ちらしく、ウルベルトは彼らの名を第七階層での大晩餐会の時にデミウルゴスやアルベドの口から聞いていたことを思い出した。

 デミウルゴスやアルベドは三体に関しては生かしても殺してもどちらでも構わないと言っていたが、しかしストーンイーターについては変異種ともいえる能力を持っているとも言っていたはずだ。もしかすれば、正式に手中に引き入れられれば、レア好きのアインズは喜ぶかもしれない。

 ストーンイーターをマジマジと見つめながら、つらつらと思考を巡らす。

 ウルベルトの目の前では、三体の亜人がレメディオスの名を聞いて驚きの表情を浮かべたり喜色の笑みを浮かべたりしているところだった。

 

「――……お前が、か。お前が、レメディオス・カストディオか。この国最強と言われる聖騎士。はは! これは良い! お前を殺せば俺の名は広く知れ渡るだろう。聖王国最強の聖騎士を倒したゾーオスティア。魔爪の名を新たに継いだモノとしてな!」

 

 ヴィジャーが獰猛な笑みを浮かべて、嬉々とした声を上げる。

 どうやらこの亜人は強さを非常に重視しており、名を知らしめることにひどく固執しているようだった。

 

「ふーむ。ならばそれが聖剣か。ふーん。……のぉ、ヴィジャー殿。相手を代わる気はないか? もし代わってくれるなら、おぬしの勲、我が部族のモノの手を使って、大きく広めても良いぞ?」

 

 ナスレネがマジマジとレメディオスの持つ聖剣を見やり、まるで軽い提案をするかのようにヴィジャーに声をかける。

 ウルベルトはレメディオスの聖剣について“そこまで貴重なものなのか?”と首を傾げ、しかし次に耳に飛び込んできた会話に度肝を抜かれることになった。

 

「ヒヒヒ。それを差し出し、代わりにヤルダバオト様に子供をおねだりするっていう寸法かね?」

「ふん。俺がやるということになっていただろう。お前の出番はないぞ」

「……悪魔の子種をねだるのか? 吐き気がする」

 

 笑い声を上げるハリシャの言葉を皮切りに、ヴィジャーやレメディオスまでもがそれぞれ言葉を吐き捨てる。

 しかしウルベルトはそれどころではなかった。金色の瞳を大きく見開かせ、口もだらしなく半開きになっている。ウルベルトの瞳には何も映っておらず、先ほどからハリシャが口にした爆弾発言がエンドレスで脳内に繰り返し鳴り響いていた。

 ハリシャは『ヤルダバオト様に子供をねだる』と言っていた。ナスレネも否定の言葉を口にしなかったため、恐らく無言という名の肯定なのだろう。

 それでは、“ヤルダバオト様”とは誰か……。

 言われるまでもない、彼の忠実なるシモベにして、愛する息子とも言えるデミウルゴスだ。

 

(――………ということはつまり、この魔現人の雌はデミウルゴスの子供が欲しい、と……?)

 

 頭にフッと浮かんだ自分の考えに、ウルベルトは思わず小さく息を呑んだ。ドクンッと心臓が大きく鼓動したような気がする。

 フッと脳裏に浮かぶのはナザリック地下大墳墓の玉座の間。

 玉座に腰掛けているウルベルトの目の前には、デミウルゴスと魔現人の雌が仲良く横に並んで地面に正座している。デミウルゴスはどこか不安そうな表情を浮かべながらそわそわと落ちつきがなさそうにしており、その横で魔現人の雌が勢いよく四本の腕を地面についた。まるで土下座するような姿勢で力強くこちらを見上げてくる。

 そしてクワッと口を大きく開いて一言。

 

 

『息子さんを、私にくださいっ!!』

 

 

(お父さんは許しませんっ!!)

 

 

 自分自身の想像に、ウルベルトは思わず心の中で声を上げていた。咄嗟に声に出さなかった自分を褒めてやりたい気分である。

 それほどまでに想像した光景は衝撃的であり、許し難いものだった。

 自分が勝手に想像したものだというのに、沸々と怒りにも似た感情が湧き上がってくる。

 

 実はウルベルトは予てより、ナザリックに属するモノたちが関わる存在に対して、一つ思う所があった。

 それは“彼らに関わる存在は、それ相応の価値ある者であるべきだ”と言うもの。

 僕や配下にするのは何ら問題はない。友人にするというのも、百歩譲って良いだろう。しかし、恋情や愛情を交わす関係に関しては半歩も譲れなかった。

 ナザリックに属するモノたちを特別に想うのは何もアインズだけではない。ウルベルトにとってもまた、ナザリックのモノたちは特別な存在であり、とても大切に思っているのだ。

 自分の自慢であり、大切な息子であるデミウルゴス。

 仲間たちの大切な子供たちである、仲間たちが手掛けたNPCたち。

 そして子供たちを支える他のシモベたち。

 ナザリックのもう一つの宝とも言うべき彼らと関わる存在は、それ相応の価値ある者――それこそ“アインズ・ウール・ゴウン”に相応しい者のみであるべきだ。

 逆を言えば、それ以外の存在たちに関しては、一切関わりを持ってほしくない。まるで甘い蜜に群がる虫のように、大切な彼らに群がってほしくなどなかった。

 実を言えば、リ・エスティーゼ王国でのセバスの時も、ウルベルトは全く納得していなかったのだ。

 件の少女は優れた戦闘能力を持っているわけでも深い叡智があるわけでもない。どこにでもいる様な、唯のか弱い人間種の少女だ。お世辞にも、“アインズ・ウール・ゴウン”に相応しい存在とは言えない人物である。

 ただあの時は、アインズの死者への義理立てや状況など諸々の原因によって反対しきることができず、少女を受け入れるしかなかった。

 ウルベルトにとっては、この世界に来てからの数少ない苦い出来事の一つだった。

 

 ウルベルトは湧き上がってくる激情を大きなため息と共に吐き出すと、目の前で繰り広げられている戦闘に目を向けた。

 視線の先ではレメディオスがヴィジャーと刃を交わしており、二人の聖騎士がそれぞれナスレネとハリシャと一騎打ちを行っている。曲がりなりにもこの世界では強者に分類される聖騎士を相手に余裕を見せているあたり、ナスレネやハリシャも相応の実力を持っているのだろう。

 しかしナザリックやユグドラシルの基準で言えば雑魚に等しく、珍しい能力なども見られない。やはり“アインズ・ウール・ゴウン”には相応しくないと判断せざるを得なかった。魔導国の一部として迎え入れることはできても、ナザリックのモノたちと深い関わりを持つなど論外だ。

 しかしそう思う一方で、デミウルゴスの事が頭を過ってウルベルトは思わず困ったように眉間にしわを寄せた。

 “ナザリックのモノたちに関わる存在は、それ相応の価値ある者であるべきだ”という考えを変えるつもりはない。しかし、デミウルゴスが本当にナスレネという亜人を気に入っていたらという可能性が浮かび上がり、ウルベルトは二の足を踏んだ。

 大晩餐会の時にデミウルゴスは何も言ってはこなかったため、少なくとも彼はナスレネという亜人に対して何の感情もないはずだが、忠誠心の塊であるデミウルゴスが、その忠誠心故に私情を挟むのは良くないと敢えて言ってこなかった可能性も否定できない。そしてもし仮にそうであった場合、ウルベルトがナスレネの命を奪おうものなら、デミウルゴスは誰も知らないところで気落ちするのではないだろうか……。

 誰の目も届かぬ部屋の片隅の闇の中でデミウルゴスがしゅんっと肩を落としている姿が頭に思い浮かび、ウルベルトは思わず焦りの表情を浮かべた。

 まずい……と反射的に思う。

 いくら彼らの事を大切に想っての行動だとしても、悲しませては元も子もない。それに考えてみれば、いくら主人や親のような存在であっても、彼らの交友関係に口を出すのは些かやり過ぎなような気もする。何より、愛する息子であるデミウルゴスに嫌われてしまっては立ち直れない気がした。

 ウルベルトは大きく肩を落とすと、俯かせた頭を両手で抱えた。

 もしここにアインズがいたなら、『何言ってんですか、あんた』と呆れたことだろう。『デミウルゴスの思い込みの激しさは、ウルベルトさん譲りだったんですね……』とため息すらついたかもしれない。

 しかし幸いなことに、ウルベルトは厨二病であろうと思い込みが激しかろうと年頃の娘を持った父親のような反応をしようと、一回踏み止まって自身を落ち着かせて考えをまとめられる冷静さをも持ち合わせていた。

 今回も例に漏れずウルベルトは大きなため息と共に何とか自身を落ち着かせると、取り敢えず目の前のことに集中することにした。

 思えば目の前の亜人たちは二つ名持ちであるため、十傑と呼ばれる存在であるはずだ。十傑に数えられる亜人に関しては捕縛するように事前に決めていたため、取り敢えずは捕縛してから今後の事を考えればいいだろうと結論付ける。

 ウルベルトは考えをまとめて一つ頷くと、思考を止めて改めて前方に目を向けた。

 目の前では既にレメディオス以外の聖騎士は全員が地面に倒れ伏しており、まともにナスレネとハリシャの相手が出来る者はいなくなってしまっている。レメディオスは未だヴィジャーにかかりきりになっており、ナスレネとハリシャの相手が出来るのは民兵のみとなっていた。

 しかし、どう考えても民兵たちだけでは二体の亜人たちの相手など十秒も務められないだろう。

 レメディオスもそう思っているのか何とか民兵たちの元へ向かおうとしているようだったが、目の前のヴィジャーに阻まれて上手くいかないようだった。

 ナスレネの魔法を宿した三本の腕が民兵たちに向けられ、民兵たちは恐怖に身体を強張らせて立ち尽くしている。

 待ち望んだ展開に、ウルベルトは浮かびそうになる笑みを必死に抑え込んだ。金色の瞳でナスレネの動きを注視し、タイミングを計りながら徐々に前屈みになっていく。そしてナスレネが〈火球(ファイヤーボール)〉を放った瞬間、ウルベルトは〈完全不可知化〉のネックレスを外しながら民兵の前へと勢いよく舞い降りた。まるで民兵たちを背に庇うように地面に降り立つと、左手でネックレスをアイテムボックスに放り込みながら右掌を前方に突き出す。

 瞬間、右掌に衝撃を受けたとほぼ同時に激しい轟音と共に炎が炸裂した。四散した炎が空気を焼き、熱と光がウルベルトを包み込むように通り過ぎて消えていく。

 

 

「………かっ…か……?」

 

 背後から呆然とした声が聞こえてくる。

 ウルベルトは突き出していた右手をゆっくりと下ろすと、そのまま顔だけでチラッと背後の民兵たちを振り返った。

 金色の瞳に民兵たちの無事な姿を映し、柔らかな笑みを意識して山羊の顔に浮かばせる。

 

「……どうやら無事のようだね。何よりだ」

 

 どこまでも優しい、柔らかな声音。

 民兵たちは驚愕の表情でウルベルトを見つめており、しかし漸く状況が呑み込めてきたのだろう、青白かった顔が徐々に赤みを帯び始めて歓喜と興奮の光を瞳に宿し始めた。

 

「「「おおぉぉおおぉぉおぉおおぉぉおおおおおぉぉぉおぉおおぉっ!!!」」」

 

 一拍後に響き渡る、民兵たちの雄叫びのような大歓声。

 槍や盾を持つ手を掲げてウルベルトに喝采を上げる民兵たちに、ウルベルトはクスッと小さな笑みを零しながら改めて前方へと目を戻した。

 呆然とした表情を浮かべた三体の亜人たちを順々に見やり、最後にレメディオスへと視線を移す。

 瞬間、ウルベルトは心の中で高笑いを上げていた。顔がにやけてしまいそうで、必死に顔の筋肉を引き締めようと苦心する。

 それだけ、今目の前にいるレメディオスはひどい状態だった。

 つり目がちの目尻は更につり上がり、眉間には何本もの大きく深いヒビ。表情は全体的に強張り、こめかみには大きな青筋が浮かんでいる。全身からは大きな怒気と殺気が放たれており、心なしか短い髪が威嚇する動物の毛のように膨らんでいるように見えた。

 

「………何をしに来た」

 

 まるで唸るように、レメディオスが苦々しく声をかけてくる。

 ウルベルトは殊更ゆっくりと埃を払うように肩や腕を払いながら、柔らかな笑みを浮かべて金色の瞳を細めさせた。

 

「何をとはご挨拶だね。勿論、助けに来たのだよ」

 

 小首を傾げながら、ひょいっと軽く肩を竦ませる。

 どこまでも優雅で、それでいて少しだけ剽軽さが感じられる仕草。

 それは好意的な者が見れば安堵にも似た笑みを誘い、しかし好意的でない者が見ればひどく癪に障るものだろう。

 案の定、目の前のレメディオスの表情が見るからに強張ったのが見てとれた。恐らく彼女の中では、ウルベルトに対する罵詈雑言が嵐のように飛び交っていることだろう。

 先ほどの態度や行動とも相俟って、誰が見ても、彼女がウルベルトに対して良い感情を持っていないことは丸分かりである。もしここにナザリックのモノたちがいたなら、間違いなく彼女は問答無用で地獄に突き落とされていたことだろう。

 しかしウルベルトの内心は全くの真逆で上機嫌になっていた。

 彼女が自分に対して悪い言動をとればとるほど、それがウルベルトとの対比となり、よりウルベルトに対する高評価へと繋がる。ウルベルトにとっては正に大歓迎な状況となっていた。

 

(おいおい、酷い顔じゃないか、レメディオス・カストディオ。聖騎士ってのは腹芸もできないのかねぇ。俺が邪魔で憎くて仕方がないって顔だ。フフッ、頭が悪くて本当に助かるぜ。)

 

 レメディオスの思考が手に取るように分かって愉快で仕方がない。加えて、もっと醜態を曝してくれないかと意地悪な期待さえ膨らむ。

 ウルベルトがレメディオスの行動を観察する中、彼女は不意に無防備にもヴィジャーに背を向けてこちらに歩み寄り始めた。ヴィジャーをチラッと見やれば、彼は他の亜人と同様にレメディオスには目もくれず、怪訝と警戒の色を浮かべた目でこちらを見つめている。その間にレメディオスはウルベルトの近くまで歩み寄ると、厳しく顰められた顔はそのままに再び苦々しく口を開いてきた。

 

「………であれば、任せる」

 

 ポツリと独り言のような小ささで、しかし吐き捨てるように紡がれた言葉。

 心底腹立たしいとばかりに言ってくるレメディオスに、ウルベルトは更に煽るようにワザとらしく小首を傾げてみせた。

 

「ふむ、“任せる”というのは……?」

「だから! この場は貴様に任せる。……それとも、無理か?」

 

 一瞬声を荒げ、しかし次には冷静さを取り戻そうとするかのように殊更ゆっくりと言葉を紡いでいく。

 苦々しい声音と、まるでこちらを挑発するかのような表情に、ウルベルトは内心でフンッと鼻を鳴らした。

 しかしそれを決して面に出すことはしない。逆にレメディオスとの格の差を見せつけるように、優雅な微笑を浮かべてみせた。

 

「勿論、可能だとも」

 

 ウルベルトはペリースを後ろに捌いて大きく靡かせると、そのままゆっくりでいて大きく足を踏み出した。ゆったりとした動きでレメディオスの横を通り過ぎ、亜人たちへと歩を進める。

 

「――この場は災華皇(さいかこう)に任せる! 我々は戦局が切迫している所に援軍に向かうぞ!」

 

 後ろではレメディオスが民兵たちに新たな指示を飛ばしており、しかし民兵たちの反応はどうやらあまり宜しくないようだった。

 従わないのかと声を荒げるレメディオスに、思わず足を止めて顔だけで後ろを振り返る。

 民兵たちを見てみれば、彼らはどうやらウルベルトの存在をひどく気にしているようだった。レメディオス級の強さを持つ亜人が三体もいるこの場にウルベルトだけを残して良いのかと、彼らは心配そうな表情でチラチラとこちらを見つめていた。

 しかし彼らの心配と不安は、レメディオスにとってはひどく面白くないものであったらしい。怒りも露わに声を荒げるレメディオスに、ウルベルトは仕方なく口を挟むことにした。

 

「そのくらいにしてはどうかね? 声を荒げるだけでは何も解決しない」

「何だとっ!!」

「君たちも、私への心配は無用だ。ここは私に任せて、カストディオ団長殿の指示に従いたまえ」

 

 安心させるように優しい笑みを浮かべてやりながら民兵たちを促す。

 彼らは暫くウルベルトの顔を見つめた後に互いの顔を見合わせると、次には遠慮がちに頷いてレメディオスへと向き直った。レメディオスは苦々し気な表情で顔を顰めさせた後、民兵たちに改めて声をかける。

 彼らはレメディオスを先頭にこの場を後にし、ウルベルトはその背を見送った後に漸く亜人たちへと向き直った。

 こんな長時間、攻撃も何もしてこずに大人しく待っていてくれた亜人たちの行儀のよさに、ウルベルトは意外に思うと同時に少しだけ好印象を受ける。

 しかし何のことはない、彼らはウルベルトを警戒して攻撃できずにいただけだった。

 探るように鋭い双眸でこちらの一挙手一投足を観察している様子に、ウルベルトは納得と同時に少しだけ可笑しくなってしまった。

 元々は人間だったというのに、レメディオスや聖王国の人間たちよりもよほど亜人たちの方に親しみを覚えるのは、やはり悪魔になった影響なのだろうか……。

 頭の片隅でそんなことを考えながら、ウルベルトは目の前の亜人たちへと朗らかに声をかけた。

 

「……さて、待たせてしまってすまなかったねぇ。まずは自己紹介をするとしよう。私はウルベルト・アレイン・オードル災華皇。お前たちから聖王国を救うために、アインズ・ウール・ゴウン魔導国からやってきたモノだ」

 

 左手を腰裏に、右手を左胸の上に添えて、ウルベルトは軽くお辞儀をして見せる。

 しかし彼らの様子は一切変わることはない。ヴィジャーは顔を顰めさせて睨むようにこちらを見つめており、ナスレネとハリシャも探るような視線でウルベルトを凝視していた。

 

「………魔導国だと? 俺は聞いたことがないが……、お前たちはどうだ?」

「わしもないが……、しかし油断は禁物じゃろうな。なんせ、ナスレネ殿の攻撃を防ぐのではなく、諸に当たっても無傷じゃったのだからな」

「まぁ、放ったのは弱い魔法じゃったがの……。……しかし、それでも腹立たしいことよ」

 

 ここで初めて、ナスレネの双眸に警戒以外の感情の光が宿る。

 どうやらナスレネの放った〈火球(ファイヤーボール)〉を片手で受け止めてウルベルトが無傷であったことが余程予想外であったらしい。

 しかしウルベルトからすれば予想外でも何でもなかった。

 放たれた魔法は第三位階であり、加えてウルベルトとナスレネのレベル差も70近い。これでかすり傷でも負っては逆に驚きである。

 ウルベルトはフッと小さく笑い声を零すと、戦闘態勢に入っている亜人たちの姿を映している金色の瞳を笑みの形に歪ませた。

 

「まぁまぁ、そんなに戦う気満々にならずとも良いじゃないか。私はただ、君たちに大人しくしてもらいたいだけなのだからね」

 

「何……?」

「……それは、どういう意味かね?」

 

 ヴィジャーがピクッと獣の顔を反応させ、ハリシャが疑問の声を零す。

 一気に張りつめるこの場の空気。

 しかしウルベルトは一切それを気にすることはなかった。

 ただニッコリとした笑みを浮かべたまま懐に手を突っ込み、そこに開いたアイテムボックスからアイテムを取り出した。

 

「今の君たちに私が望むのは、取り敢えずは私に囚われてくれることだけだ。これだけだなんて、私はとっても優しいだろう?」

 

 何とも白々しく、ひどく浅い言葉。しかし山羊の顔に浮かべられた爽やかさすら感じられる笑みと合わさることで、ひどく不気味に感じられる。

 反射的に身体を強張らせる三体の亜人の反応に、ウルベルトは浮かべている笑みをニタリと深めさせた。

 ゆっくりと懐から引き抜いた手を、これ見よがしに掲げてみせる。

 漆黒のグローブに覆われた手に握られているのは、複数の小さな人形のようなもの。色は黒々としており、どうやら鉱石か何かでできているのか、微かな光にもキラキラと小さく輝いている。見た目だけで言えば唯の人形であり、脅威は全く感じられない。

 そのためか、一番血の気が多いであろうヴィジャーが一番に牙をむいてきた。

 

「俺たちを捕らえるだと……? やれるものならやってみろ。八つ裂きにしてくれるわっ!!」

 

 元々レメディオスとの戦いを邪魔されて少なからず苛立っていたのだろう。激情のままにこちらに突進してくる巨体に、ウルベルトは山羊の顔に悪魔らしい笑みを浮かばせた。手に持っている三つの人形の内の一つを持ち直すと、タイミングを見計らって目の前のヴィジャーへと放り投げる。

 瞬間、手のひらサイズだった人形が突如急激に膨張し、まるで意志を持ったようにヴィジャーへと襲い掛かっていった。

 体長も口の大きさもヴィジャーの体長以上。

 グワッと大きく開いた口で驚愕に目を見開くヴィシャーを咥え込むと、そのまま頭上を仰いで一気にヴィジャーを呑み込んだ。

 

「……なっ……!?」

「なんじゃ、あれは……っ!!?」

 

 突然の急展開に、ナスレネとハリシャも驚愕の声を上げる。

 しかし、今目の前で起こった事象は決してヴィジャーだけに限ったことではなかった。

 ウルベルトが残りの二つの人形を宙に放り投げると、瞬間、ヴィジャーを呑み込んだモノと同じモノが姿を現した。

 それは一言で言えば、口が異様に大きく羽根が異様に小さな漆黒の怪鳥だった。

 ウルベルトが使ったアイテムの名は“怪物の像(スタチュー・オブ・モンスター)鳥の檻(バーズ・ジールセル)”。怪物を召喚できるアイテムで、今回使った物は捕獲用のアイテムでもある。

 見た目はずんぐりむっくりな怪鳥で、ペリカンという鳥をモチーフにしたのではないかとギルドメンバーの死獣天朱雀が言っていたことを思い出す。

 この怪鳥は胸元が大きく開いており、皮膚や羽毛の代わりに鉄格子がはめられていた。対象を大きな口で捕らえて体内に捕獲し、胸元の鉄格子から捕獲した対象を見ることが出来る。その証拠に、一足先に呑み込まれたヴィジャーは怪鳥の腹の中で呆然としているのが鉄格子から良く見えた。

 そして、そうなるのはヴィジャーだけではない。

 ウルベルトが一つ指を鳴らすと、それを合図に二羽の怪鳥がバサバサと無駄に小さな翼を羽ばたかせながらナスレネとハリシャへと突撃していった。口を大きく開けながら奇声を上げ、地響きを鳴らして突進していく。ナスレネが慌てて〈火球(ファイヤーボール)〉や〈雷撃(ライトニング)〉を放つも、怪鳥たちはそれを全て弾き返して少しも足を緩めない。一分もかからぬ内に怪鳥たちはナスレネたちの目の前まで到着すると、そのまま何の迷いもなく大きな嘴で襲い掛かっていった。

 一際大きな下の嘴を掬い上げるように動かし、平べったい上の嘴を蓋のようにしながら獲物を捕らえる。

 ナスレネとハリシャも抵抗しようとするも成す術もなく、ヴィジャー同様にあっさりと怪鳥の腹の中へと収まった。

 

「よし、終わったな。いや~、すぐに終わって良かったなぁ」

 

 仲良く一体の怪鳥ペリカンの中に一体ずつ囚われた亜人たちを見やり、ウルベルトは爽やかなまでの笑みを浮かべる。

 ウルベルトは怪鳥たちに指示を出して横に綺麗に整列させると、頭上高くにある怪鳥の顔を見上げながら満足げな笑みを浮かべて一つ頷いた。

 

「お前たちはここで待機していろ。もし私以外の者が声をかけてきたりちょっかいを出してきても全て無視をしろ。良いな」

 

 ウルベルトの指示に、怪鳥たちは返事はしないまでもピクリとも動かなくなる。

 本当の石像のようになった怪鳥たちにもう一度頷くと、次はどこに援護に行こうかと思考を巡らせた。

 聖王国で支持者を増やすためには、今まであまり接点がなかった者たちの危機を救った方が効率的だと言える。しかし、かといってネイアやヘンリーといった既に支持者と言える者たちを放っておいて死なれてしまっては元も子もない気がした。

 はてさて、どこに行くべきか……と思い悩む中、不意に繋がっていた小さな糸がプツッと切れたような感覚に襲われて、ウルベルトはハッと知らず俯かせていた顔を上げて宙に視線を走らせた。小さな感覚を追って視線を巡らせ、市壁の方へと自然と視線が向けられる。

 視線の方向と覚えのある感覚に、ウルベルトは無意識に言葉をポツリと零していた。

 

「………スクード……?」

 

 何かが失われたようなこの感覚は、正に自身の眷族ともいえるシモベが命を落とした時に感じるものに間違いない。

 しかしスクードが死ぬ理由が全く思い至らなかった。

 確かにスクードはシャドウデーモンという弱小の悪魔ではあるが、しかしこの世界の水準では決して弱い分類には入らないはずだ。恐らく今目の前にいる囚われの亜人たちを相手取ったとしても決して遅れは取らないだろう。

 ならば何故スクードが死ぬような事態に陥ったのか。

 もしかしたらデミウルゴスが何か仕掛けたのかもしれないと思い至り、ウルベルトは一気に顔を引き締めさせた。こうしてはいられない、と自身に〈飛行(フライ)〉をかけて宙に浮かぶ。

 そのまま飛んでいこうとした瞬間、まるで引き留めるかのようにヴィジャーが声を荒げてきて、ウルベルトは反射的に動きを止めて顔だけで後ろを振り返った。

 

「おい、どこへ行くつもりだ! 俺様にこんな真似をして、ただで済むと思うなよっ!! 俺はこんな仕打ちは認めん! 認めんからなぁっ!!」

「……お前が認めずとも、現実は変わらん。そんなに喚かずとも後でその身にしっかり思い知らせてやるから大人しく待っていろ」

 

 デミウルゴスが動いている可能性がある以上、こんなところで油を売っている暇などない。

 ウルベルトは短く吐き捨てると、次には亜人たちには目もくれずに上空へと舞い上がった。先ほど感じた感覚を頼りに空を駆け抜け、一点だけ亜人たちが一体もいない空間に目が留まる。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、迷いなくその場へと舞い降りていった。

 

 

「――……災華皇閣下…!?」

 

 ウルベルトの存在に気が付いて、ネイアが驚きの声を上げてくる。周りにいた民兵たちも驚愕の表情を浮かべており、しかしウルベルトはそれに一切構うことなく、彼らに背を向ける形で市壁の地面へと着地した。地面に刻まれている傷や血痕、転がっている亜人たちの死体などを見回しながら、ふと少し離れた場所に落ちている物に気が付いてウルベルトはピタッと動きを止めた。少しの間だけ“それ”を凝視し、次にはゆっくりとした足取りでそちらへと歩み寄っていく。それでいてペリースや服の裾が血に濡れることも構わずに地面に屈み込むと、手を伸ばして“それ”を拾い上げた。

 ウルベルトの手に力なく収まったのは、聖王国に来る時にウルベルト自身がスクードに下賜した、ウルベルトのエンブレムと“アインズ・ウール・ゴウン”のエンブレムが刺繍された深紅の布。今は多くの血を吸ってじっとりと湿った布に、ウルベルトはスクードが消滅したことを嫌でも思い知った。

 何故……という疑問が頭を占める。

 スクードというシモベを失ったという悲しみも勿論あるが、それよりも、何故彼が死ぬような事態に陥ったのかという疑問が大きく頭を占めた。

 

「………災華皇閣下……、その……」

「……ネイア・バラハ。スクードは……どういった形で死んだんだ?」

 

 後ろから控えめなネイアの声が聞こえてくる。恐らくウルベルトのすぐ後ろに立っているのだろう。しかしウルベルトは一切彼女を振り返ることはない。ただ手に持った布を見つめながら手短に彼女に問いかける。

 ネイアは少し躊躇しているようだったが、しかし次には迷っているような声音ながらもスクードが死んだ時のことを手短に説明してきた。

 彼女の話によると、どうやらスクードはネイアと民兵たちを守るのを一番の目的として行動していたようだった。亜人側からの攻撃を全て引き受け、身を挺して人間たちを守って多くの亜人たちを葬った。

 彼女からの説明に、ウルベルトは無言ながらも内心で納得の声を上げていた。

 確かに防御力があまりないシャドウデーモンであるスクードであれば、多勢に無勢の状況で多くの攻撃を受ければ消滅は免れない。また亜人たちがこの場に一体もいないことにも納得がいった。

 しかしここで時間を無駄にしていては、いつまた新手が現れるとも限らない。

 そうか……とウルベルトは小さく呟くと、深紅の布を強く握りしめて漸く立ち上がった。一つ小さな息をついた後、気持ちを切り替えてクルッと踵を返す。後ろにいたネイアや彼女の後ろに佇んでいる民兵たちを見つめると、真剣な表情を浮かべてゆっくりと口を開いた。

 

「君たちが無事なようで何よりだ。しかし、戦いが終わったわけでは決してない。傷を負った者は中心部に下がれ。無事な者は……――」

 

 しかし、ウルベルトの言葉は途中で太鼓の音に遮られた。

 ネイアや民兵たちは勿論の事、ウルベルトも弾かれたように音の方向へと振り返る。

 太鼓の音は市壁の向こう側の奥から聞こえてきており、ネイアと民兵たちは慌てて崩れかけている塀へと駆け寄った。身を乗り出すような形で音の方角へと目を向ける。

 その先に漆黒の群衆が怪しく蠢いているのが目に入り、ネイアや民兵たちは小さな悲鳴を上げ、ウルベルトは小さく金色の瞳を細めさせた。

 彼らの視線の先にあったのは、亜人ではなく悪魔の軍勢。亜人軍に比べれば規模は格段に小さいものの、それでもその数は凡そ5000ほど。しかも相手が亜人ではなく悪魔となれば、その強さは桁違いであり、感じられる威圧感も雲泥の差である。更に悪魔軍の先頭を見てみれば、そこにはウルベルトにとっては見慣れた、そしてネイアや民兵たちにとっては見慣れぬ姿があって、一気に緊張が高まっていった。

 悪魔軍の先頭で多くの悪魔たちを率いているのは、和風のメイド服を身に纏った一人の美少女。

 突然の大物の登場に、ウルベルトは内心でニヤリとした笑みを浮かべ、ネイアは一気に血の気を引かせた。

 

(……いきなり大きな一手を打ってきたじゃないか、デミウルゴス。)

 

 予想外の愉快な流れに、思わず表情が笑みの形に緩みそうになってくる。気が緩めばクツクツと喉が鳴ってしまいそうだ。

 悪魔の軍を率いているのは、ナザリック地下大墳墓のプレアデスの一人、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。

 ナザリックやプレアデスの中ではレベルが低い方である彼女は、しかしこの世界の水準で言えば脅威の分類に入る。

 彼女をこのタイミングで出してきたということは、デミウルゴスが何かしらの手を打ってきたことに他ならない。

 この聖王国という大きな基盤にデミウルゴスがチェスの駒を動かしている姿が容易に頭に浮かび、ウルベルトは思わず一瞬だけ柔らかな笑みを浮かばせた。

 しかしすぐに表情を引き締め直す。

 ウルベルトは頭の中に大きな基盤を思い浮かべ直すと、こちらも応戦の駒を動かすべく大きく足を踏み出した。

 

 




*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“怪物の像・鳥の檻”;
怪物を召喚できるアイテムで、これは捕獲用のアイテムでもある。見た目はずんぐりむっくりなペリカン。胸元が大きく開いており、檻のように鉄格子がはめられている。対象を大きな口で捕らえて呑み込み、体内に捕獲する。捕獲された対象は、胸元の鉄格子から見ることが出来る。

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