災厄の悪魔は正義を嗤う   作:ひよこ饅頭

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第15話 勝利の裏の闇

 小都市ロイツでの解放軍と亜人連合軍との戦いは、ウルベルト・アレイン・オードル災華皇(さいかこう)の介入によって解放軍の勝利で終わった。

 圧勝ではなく辛勝であり、こちらの被害も多大なものにはなったが、それでも今回の勝利は大きな前進であると言える。

 民兵たちは勝利に湧き、互いの無事を喜び合い、踏み躙られてきた尊厳を涙を流しながら癒し合った。

 しかしいつまでもお祭り騒ぎでいるわけにもいかない。聖騎士や神官たちの号令のもと、民兵たちは未だ喜び合いながらも戦闘の後始末作業を始めていった。

 ある者は死体を運び片付け、ある者は地面を染める血を洗い流し、ある者は人間も亜人も問わず死体から使えそうな装備類を剥ぎ取り、ある者は負傷者を運び、ある者はその負傷者の治療を行う。

 誰もが激戦で疲れ果ててはいたが、誰一人として文句を言うこともなく黙々と作業を進めていく。彼らの表情は今までになかった希望と興奮に明るく光り輝いているようだった。

 そんな中、街中を駆け足で走り回る一つの影。

 戦場で共に行動していた民兵たちと別れたネイアは、現在必死にウルベルトを探していた。

 民兵たちと戦いながら見た市壁の外の光景を思い出し、思わずブルッと小さく身体を震わせる。市壁の中で戦っていたため上空の様子しか見えなかったが、それでもこちらまで圧倒される光と音と衝撃。空から降ってきた巨大な光の塊を目にした時などは、ネイアは言葉の綾ではなく本当に息が止まってしまっていた。

 あんな壮絶な戦闘を繰り広げて、果たしてウルベルトは無事なのか……。

 彼の王が負けるはずがないと信じてはいるものの、それでも無事な姿をこの目で確認しなければどうにも不安で仕方がなかった。

 聖騎士や神官たちから声をかけられて何かしらの役目を言い渡されないように、急いで移動しながらひたすら漆黒の姿を探す。

 西門付近に足を踏み入れ、すぐに聞き覚えのある声が鼓膜を打って反射的にそちらを振り返った。

 

「は~い、一列に並べ~。こら、中身は動かない! 大人しくしていたまえ!」

 

 どこかのんびりとした声音と共に、不自然な人だかりが視界に飛び込んでくる。中心を広く開けて遠巻きに何かを見つめている人だかりに、思わず訝しげに首を傾げさせた。

 何を見ているのかと彼らの視線を辿り、人だかりの奥に求めていた漆黒を見つけてネイアは嬉々とした表情を浮かべた。すぐさま駆け寄ろうと一歩大きく足を踏み出す。しかしその足はすぐに踏み止まることになった。ネイアの鋭い双眸がウルベルトの目の前にどっしりと佇んでいる三つの巨大な影と、ウルベルトの傍らに立っている小さな人影に釘付けとなる。

 ウルベルトの目の前に佇む巨大な影は、小さな翼に大きな嘴を持った鳥の石像のような物だった。しかし唯のどこにでもあるような石像ではないことは明らかで、一つの石像の中に一体ずつ亜人が閉じ込められているようだった。鳥の胸から腹部分にかけて大きな穴が開いており、嵌められている鉄格子越しに中で暴れている亜人の姿が見てとれる。ウルベルトはどうやら中で暴れている亜人たちに、大人しくするように声をかけているようだった。

 そして彼のすぐ横。傍らに控えるように立っている小さな影に、ネイアは思わずゴクッと生唾を呑み込んだ。

 こちらからは後ろ姿しか見えないが、それでも見間違えるはずがない。ウルベルトの傍らに立っているのは、ヤルダバオトの配下であり、今回の戦いで悪魔軍を率いて現れたメイド悪魔だった。

 何故メイド悪魔がこんなところに! と思わず恐怖と殺意が同時に湧き上がってくる。

 その気配に気が付いたのだろうか、不意に人だかりの隙間からチラッとこちらを振り返ってきたメイド悪魔に、ネイアはゾクッと背筋に冷たい衝撃が走り抜けるのを感じた。強すぎる緊張に身体が強張り、胸が苦しくて呼吸もし辛く感じられる。

 ビシッと固まって身動ぎ一つできなくなったネイアの視線の先で、メイド悪魔は顔をウルベルトへと戻して何やら声をかけたようだった。ウルベルトがメイド悪魔を見下ろし、次にはネイアを振り返ってくる。

 人だかりを越えて向けられた金色の瞳に、その目と視線がかち合った瞬間、ネイアは一気に緊張が解けて息苦しさから解放されたような気がした。足が小さく震えてはいるものの、意を決して一歩足を前へと踏み出す。そのまま勢いに任せてウルベルトへと駆け寄り、人だかりをかき分けてウルベルトの目の前で漸く足を止めた。

 

「……ああ、バラハ嬢。無事なようで何よりだ」

 

 ウルベルトが柔らかな笑みを浮かべ、優しい声音で声をかけてくれる。

 相手は山羊の顔だというのに何故柔らかな笑みを浮かべていると分かるんだ……と他の者たちからは言われるかもしれないが、しかしネイアはこれまでウルベルトと共に行動してきて、ある程度ウルベルトの表情を読み取ることが出来ると自信が持てるようになっていた。それがとても嬉しく、どこか誇らしくも感じられる。

 今もその嬉しさとウルベルトの優しさに心を浮足立たせながら、しかしネイアは必死に表情筋を引き締めさせて一度大きく頷いた。

 

「はい、閣下もご無事なようで安心いたしました! ですが……」

 

 不意に言葉を切り、チラッと目だけでウルベルトの傍らに立つメイド悪魔を見やる。

 

「恐れながら、何故敵であるはずのメイド悪魔がここにいるのでしょうか……?」

 

 尋ねたネイアの声音は、感情が抑えきれておらず少々刺々しい。しかしメイド悪魔の方はと言えば全く気にした様子もなく、ただじっと観察するようにネイアを見つめていた。その歯牙にもかけていないような態度が気に食わなくて仕方がない。

 思わず視線が鋭くなる中、ウルベルトが不思議そうな表情を浮かべて小首を傾げてきた。

 

「ふむ、何故と言われてもな……。君は、私がこの地に来てヤルダバオトを倒す見返りにアインズが出した条件の内容を知らないわけではないだろう?」

「それは! ……勿論、存じてはおりますが……」

 

 ネイアは途中で言葉を切ると、再びチラッとメイド悪魔を見やった。

 使節団としてネイアたちが魔導国に赴いた際、アインズが出してきた条件の内容ならばネイアも当然知っている。その中に“ヤルダバオトの配下であるメイド悪魔を貰い受ける”という内容があったことも当然覚えてはいた。しかし、いざこのように目の前に突き付けられては、ネイアとて“何故?”と思わずにはいられなかった。直接メイド悪魔と対峙したことは無くても、ヤルダバオトの配下の悪魔だという認識が憎しみを湧き上がらせてしまう。

 無言のままメイド悪魔を睨むように見つめるネイアに何を思ったのか、ウルベルトも自身の傍らに立つメイド悪魔を見下ろした。漆黒の革手袋に包まれた手がそっと伸び、メイド悪魔の紅の頭に柔らかく乗せられる。

 

「心配しなくても、既にこの子は私の支配下にあるから君たちに危害を加えることはないよ。……さぁ、自己紹介をしたまえ」

 

 ウルベルトに促され、恥かしそうな素振りを見せながらも大人しく頭を撫でられていたメイド悪魔が改めてネイアに視線を向けてくる。

 ひどく整ってはいるが少しも動かない表情に、ネイアはどこか不気味さを感じた。

 しかしメイド悪魔はそんなネイアの感情に気が付いているのかいないのか、やはり一切表情を変えることなくぺこりと可愛らしくお辞儀をして見せた。

 

「……エントマ・ヴァシリッサ・ゼータと申します。どうぞ、お見知りおき下さい」

 

 動いたようには見えない唇から零れ出たのは、とても可愛らしい少女の声。

 ネイアは反射的に顔を引き締めさせると、まるでメイド悪魔に対抗するようにピシッと背筋を伸ばして今までで一番綺麗にお辞儀をして見せた。

 

「私はネイア・バラハと言います。聖王国の聖騎士見習いですが、今は災華皇閣下の従者としての役目を与えられております。よろしくお願いします」

 

 互いに頭を下げ、そしてほぼ同時に頭を上げる。そのまま牽制し合うように互いに無言のまま見つめ合う中、ネイアたちの様子に気が付いているのかいないのか、ウルベルトは変わらず呑気に再びメイド悪魔の頭へと手を乗せた。優しい手つきで頭を撫でてやりながら、『お前にも赤い布をあげなければならないねぇ』と声をかけている。

 何とも和やかで仲睦まじい様子に、ネイアは思わず複雑な感情のままに表情を翳らせた。

 数時間前までは敵だったというのに、何故そんなにも優しく接することが出来るのか……。

 ウルベルトへの疑問と戸惑い。そして何よりメイド悪魔に対する嫉妬のような感情が湧き上がり、胸の中で渦を巻いて、どうにももやもやとした感覚が止まらなかった。

 何か言わなければと訳もなく焦り、言葉もまとまらないまま思わず口を開く。

 しかし言葉を発するその前に、こちらに近づいてくる足音と男の声が聞こえてきた。

 

「――……災華皇閣下…!」

 

 聞き覚えのある声に振り返ってみれば、人混みをかき分けてこちらに駆けてくる一人の男。

 すっかり漆黒の鎧姿が馴染んできたオスカーが、少し息を弾ませながらウルベルトの目の前まで駆け寄ってきた。

 

「……おや、オスカー。君も無事なようで何よりだね」

「ありがとうございます。閣下もご無事なようで安心いたしました」

 

 まずは挨拶とばかりに短く言葉を交わし合い、次にオスカーの視線はエントマへと向けられた。

 

「……このモノが、悪魔の軍勢を率いていたという悪魔のメイドですか」

「ああ。とはいえ、今は既に私の支配下にあるがね。名をエントマ・ヴァシリッサ・ゼータという。君の……まぁ、同僚のようなものだから仲良くするようにな」

 

 ネイアからしてみれば無理難題で抵抗のある言葉であり、とてもではないが素直に頷けない命令である。しかし信じられないことに、オスカーは少しだけエントマを凝視した後、無言のまま一つ頷いた。

 その顔には一切の憎しみも怒りも浮かんではいない。ただ真面目そうな色が宿った無表情で、じっと小さなメイド悪魔を見下ろしていた。

 

「初めまして、エントマさん。私はオスカー・ウィーグランと申します。これから共に行動することが多くなるでしょうし、よろしくお願い致します」

 

 頭を下げる様子も物腰柔らかで、エントマに対する負の感情は一切見てとれない。

 再び“何故?”と心の中で呟く中、ネイアの様子に気が付いていないオスカーは、次には鳥の石像の中に囚われている亜人たちへと視線を移した。

 亜人たちは今は暴れることはなく、ただ警戒するようにじっとこちらを睨み付けている。

 

「………それで…、こっちが閣下が捕えたという亜人たちですか」

「そうだね。見たところ一軍を率いる程度のモノたちのようだったから、色々と使えるかと思って捕らえてみたのだよ」

「それでは、このメイド悪魔のようにご自身の配下にする訳ではないのですか……?」

「う~む……、それは今後の状況や彼らの態度にもよるな。もし今後、彼らに利用価値を見出すことが出来れば、この子のように配下に加えることも吝かではないし、その逆であれば処分するだろうねぇ」

 

 まるで他人事のように軽い口調で話すウルベルトに、オスカーは無表情だった顔に小さく不思議そうな表情を浮かべる。再び囚われている亜人たちを見やり、次にウルベルトへと視線を戻して小さく首を傾げさせた。

 

「……以前も申し上げましたが、何故閣下はそこまで力を求めていらっしゃるのでしょうか? 閣下は自身よりも強い者がいる可能性を仰られていましたが、私には閣下以上に強い者がいるとは到底思えません。恐らくここに囚われている亜人たちは二つ名持ちのモノたち……。彼らを三体も同時に捕らえることが出来る者など、聖王国にはいないでしょう」

 

 オスカーの言葉に、ネイアも無言のまま大きく頷く。

 彼の言う通り、ネイア自身もウルベルトよりも強い者がいるとは到底思えなかった。

 しかしウルベルトはそうは思っていないのか、どこか呆れたような表情を浮かべて軽く頭を振ってくる。

 

「オスカー、“驕りは身を滅ぼす”と忠告しておこう。……少なくとも私は、私よりも強い存在が一人いることを知っているのだよ」

 

 オスカーに言い聞かせるように話すウルベルトの声は、どこか不満そうで苦々しい。しかしネイアとオスカーは、ウルベルトの声音よりもその言葉の内容の方が衝撃だった。一体どこに目の前の悪魔以上に強い存在がいるというのか……と恐怖すら湧いてくる。

 しかし、ふとある一人の存在を思い出して、ネイアはハッと大きく目を見開かせた。

 

「……もしや、閣下が仰られている“閣下よりも強い存在”というのは、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下のことでしょうか?」

 

 言葉はあくまでも疑問形ではあったが、ネイアは自分の考えに自信を持っていた。ウルベルトと同等の地位にいる魔導王であればウルベルト以上の力を持っていても不思議ではないし、それ以外にウルベルト以上の力を持った者がいるなど、やはり考えられなかった。

 しかし、あろうことか目の前のウルベルトは複雑そうな表情を浮かべて首を捻らせていた。

 

「う~ん……、確かに習得している魔法の数は私よりもアインズの方が圧倒的に上だ。しかし、純粋な火力であれば私の方が勝る。それに過去にPVP……あー、つまり手合わせを何度かしたことがあるんだが、その時も私の勝ちだったしねぇ……。それで言えば、一応私の方が強いと言ってもいいのかな。私が言っている存在はまた違う奴のことだ」

 

 小さな苦笑と共に肩を竦ませるウルベルトに、ネイアは再び目を見開かせた。

 魔導王以外でウルベルト以上の力を持つ可能性のある者など、一体どこにいるというのか……。

 ネイアは言葉もなく驚愕の表情を浮かべて固まり、遠巻きに聞き耳を立てていた周りの人だかりも驚いたようなざわめきを響かせ、オスカーも信じられないといった表情を浮かべて一歩ウルベルトへと身を乗り出していた。

 

「そ、そのような存在が一体どこに……!?」

「正確に言えば“いた”という話だ。私が口に出した男は、今この世界には存在しない。しかし、奴以外に私よりも強い存在がいないとは限らないだろう? 自身の力に驕って対策を講じないなど、それは唯の愚か者のすることだ。………言っておくが、私が口に出した男にだって完全に負けた訳ではないんだぞ? 何回かは勝ったこともあるし、仲間たちには『それは実力じゃなくて、執念のなせる業だ』とか言われたが、あれは断じてそう言う訳ではなく俺の力があいつに勝ったってことだろうし、それに“運も実力のうち”とかいう言葉もあるわけで……――」

 

 後半から何やらブツブツと捲し立て始めたウルベルトに、しかしネイアは右から左へと流れてしまってきちんと聞いてはいなかった。そんな事よりも、ウルベルトの前半の言葉の内容の方が衝撃的過ぎて頭がついていかない。

 ウルベルトの言葉が正しければ、ウルベルトよりも強い力を持った存在がいたのはあくまでも過去であったらしいが、それでもそんな存在が実際にいたという事実だけで大きな衝撃である。

 それと同時に、何故ウルベルトがここまで力を得ることに固執しているのかが分かったような気がした。

 過去とはいえ、実際に自分よりも強い存在がいたなら、新たな存在に備えて力を求めるのも理解できる。事実、今現在ヤルダバオトという存在がすぐ側にいるのだ。ヤルダバオトがウルベルトよりも弱いとしても、より多くの力を得ていれば、それだけ対処は簡単なもので済ますことが出来るだろう。

 目の前にいる囚われている亜人たちを見つめ、ネイアは思わず一つ頷いた。

 そんな中、不意に再び聞き覚えのある声が聞こえてきて、ネイアたちは反射的にそちらを振り返った。

 

「……災華皇閣下っ!!」

 

 オスカーの時と全く同じように、人だかりをかき分けながら駆け寄ってくる一つの影。

 しかし身に纏っているのは純白の全身鎧(フルプレート)で、その顔にはオスカーとは違って多くの感情が複雑に混ざり合ったような表情が浮かんでいた。

 

「……おや、ノードマン君。そのように血相を変えてどうかしたのかね?」

 

 未だブツブツと何事かを一人呟いていたウルベルトが、こちらに駆け寄ってきたヘンリーの存在に気が付いて小さく首を傾げさせる。

 ヘンリーは乱れた呼吸を落ち着かせるように一つ大きな深呼吸をすると、次には険しく顰められた表情のままウルベルトを真っ直ぐに見つめてきた。

 

「閣下、お忙しい中に申し訳ありません。しかし、閣下のお力をどうしても貸して頂きたいことがございまして……」

「ほう、また面倒事かね?」

 

 ウルベルトの声音はどこか悪戯っぽく、少し皮肉的にも聞こえる。

 しかしヘンリーは表情を一切変えることはなく、ただ真っ直ぐにウルベルトを見つめ続けていた。

 

「今回の戦いで負傷者が多く出ており、神官たちの数も足りないため治癒の手が回っておりません。このままでは半分以上の負傷者が間に合わずに命を落としてしまう可能性があります。……閣下の魔力量などの問題もあることは重々承知していますが、どうか彼らを救うために治癒魔法が使える悪魔をお貸し頂けないでしょうか?」

 

 深く頭を下げて懇願するヘンリーに、この場にいる人間すべての視線がウルベルトへと向けられる。

 ウルベルトは無言のまま暫くヘンリーを見下ろしていたが、次には小さく金色の瞳を細めさせて一つ息をついた。

 

「……“面倒事”等と言って、すまなかったね。頭を上げたまえ、ノードマン君」

「災華皇閣下……」

「今すぐに向かおう。治療を行っている場所に案内してくれたまえ。……オスカー、この亜人たちを私の代わりに運んでおいてくれるかね? エントマは私と共に来たまえ」

「畏まりました、閣下」

「畏まりました」

「あ、ありがとうございます、災華皇閣下!」

 

 ウルベルトからの命令にオスカーとエントマが深々と頭を下げ、ヘンリーが笑顔を浮かべて感謝の言葉を述べる。

 まるで蚊帳の外のような状態にネイアは寂しさを感じると、ウルベルトが鳥の石像に向けてオスカーの言葉に従うように命じている中、タイミングを見計らって意を決してウルベルトへと声をかけた。

 

「……閣下、私も閣下に同行させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「うん? ああ、私は構わないよ。もし何も役目を言い渡されていないのなら、着いてくるが良い」

「ありがとうございます!!」

 

 ウルベルトに追従の許可をもらっただけで心が弾むほどの喜びを感じる。ネイアは嬉々とした笑みを浮かべると、オスカーとはここで分かれて、ヘンリーの案内で歩き始めるウルベルトに付き従ってこの場を後にした。隣にはエントマが同じようにウルベルトに付き従っており、ネイアはチラッと視線だけでエントマを観察する。

 先ほどまでの憎悪は既にネイアの心からは大分なくなってきてはいるが、それでも複雑な感情は全くなくなったわけではない。とはいえ、ネイアもウルベルトの従者を命じられている以上、他の者よりもエントマと接する機会は多くなるだろう。

 どう接していけばいいのかと思案する中、しかし目的の場所に到着したことに気が付いてネイアは取り敢えず考えるのは後回しにすることにした。

 ヘンリーに案内されたのは、建物ではなく広場に設けられた大きな天幕。また、天幕は一つではなく、同じような天幕が幾つも横並びに何列も並んでいた。

 ここは小都市ロイツの中心部にある大きな広場で、天幕と天幕の間には大きな噴水も設置されている。しかし今は観賞用ではなく治療のための水源として利用しているようで、噴水の水は濃い赤色に染め上がってしまっていた。所狭しに並べられた天幕のせいか、広場全体の空気はひどく淀んでいるようで、濃い鉄のにおいが充満している。

 ネイアが思わず顔を顰めさせる中、ヘンリーは一番近くにある天幕へとウルベルトを促した。ヘンリーの手によって捲られた入り口の布に、ウルベルトは迷うことなく潜って中へと足を踏み入れていく。ネイアも慌てて後に続き、天幕の中の光景を見た瞬間、鋭い双眸を大きく見開かせた。

 そこはある意味“戦場”という言葉が相応しい場所と化していた。

 地面に何列にも並べられた人々。歩けるスペースは殆どなく、数少ない神官たちがまるで縫うようにそこを歩いている。広場以上に濃くかおる血のにおいと、途切れることのない複数の呻き声。治療の方法は魔法だけではないため薬草の匂いもしていいはずなのだが、ネイアが感じ取れるのは血のにおいと死臭のみ。治療している神官たちの顔色もひどく悪く、まるで死神が獲物を探して練り歩いているようにネイアの目には映った。

 

「――……アルバっ!?」

 

 あまりの光景に立ち尽くしているネイアの耳に、不意にヘンリーの驚愕と怒気が入り混じったような声が飛び込んでくる。

 聞き慣れた名に咄嗟にそちらへと視線を走らせれば、いつもと少し違った姿ではあるものの確かに神官の男がそこに立っていた。

 いつもの神官用の純白の法衣を真っ赤に濡らし、何故か頭に巻いた布の端を顔に垂れ下げている。垂れ下げた布が顔の右半分を隠し、まるで今のウルベルトと同じような格好になっていた。

 アルバは動きを止めてこちらを振り返ると、途端に不機嫌そうに大きく顔を顰めさせてくる。

 しかしヘンリーはそんなことはお構いなしに、肩を怒らせながら足早にアルバへと歩み寄っていった。

 怪我人を踏まないように気を付けてはいるのだろうが、その足取りは神官たちに比べればひどく荒く、非常に危なっかしい。アルバもそう感じたのか、顰めている顔を更に歪ませると、軽く手を挙げてヘンリーの動きを止めさせた。流れるような足取りで自分からネイアたちの元へと歩み寄ってくる。

 

「……何故お前がここにいるんだ。それに、何故災華皇閣下をこんなところに連れてきているんだ」

「治療の手が足りないと聞いたから、閣下に頼んで来て頂いたんだ。そんな事より、何故お前が働いているんだ! 安静にしていろと言われただろう!」

「死ぬわけでもあるまいし、安静になどしていられるか。俺は神官なんだぞ。人々を癒すのが俺の役目だ」

 

 いつになく声を荒げるヘンリーと、こちらもいつになく粗野な口調で言い返すアルバ。

 二人の口論にネイアは戸惑った表情を浮かべ、他の神官たちもネイアたちの存在に気が付いて驚いたような表情を浮かべてこちらを見つめてくる。

 今も尚口論し続ける二人をオロオロと見つめる中、不意にウルベルトが二人へと歩み寄っていった。

 

「……ユリゼン君、どうやら君も怪我をしているようだね。ノードマン君の言う通り、安静にしていた方が良くはないかね?」

「御心遣いには感謝します。しかし人手が不足している以上、死ぬわけでもない怪我程度で休んでいる訳にはいきません」

「ほう、そんな状態でそこまで言えるとは大したものだ」

 

 ウルベルトの全て理解しているような口調に、ネイアは思わず小さく首を傾げさせる。一体どういうことかと口を開きかけ、しかしウルベルトが動いたことによってそれは言葉になることはなかった。

 ウルベルトがアルバへと手を伸ばし、右側の顔を覆い隠している布をひょいっと捲り上げる。

 瞬間、視界に飛び込んできたアルバの顔に、ネイアは思わず大きく息を呑んだと同時に顔を歪ませた。

 アルバの顔右半分は、それだけ酷い状態だった。

 額から顎にかけて走った大きな傷。頬から顎にかけての皮膚や筋肉は大きく抉られ、右目も瞼は閉じられているものの血を涙のように垂れ流している。恐らく眼球も傷つけられ、失明もしているかもしれない。

 また、よく見ればアルバが着ている法衣もボロボロだった。法衣を濡らしている血は決して治療中に散ったものだけではなく、その大部分はアルバ自身から流れたものだった。その証拠に、アルバの首には大きな爪で切り裂かれたような傷が走っており、脇腹にも大きく抉られたような傷が法衣の破れた布の隙間から見てとれる。

 今、平気な顔をして立っていることが信じられないほどの悲惨な状態だった。

 

「最低限の治癒魔法はかけたので死ぬことはありません。血も大分止まってはいますし、麻痺効果のある薬草を煎じて飲んだので痛みもあまり感じません。今は一人でも治癒魔法が唱えられる人手が必要なのです。魔力が底をついているならいざ知らず、そうでもないのに寝込んでいる訳にはいきません」

 

 一歩後ろに下がってウルベルトの手から逃れながらきっぱりはっきり言い切るアルバに、ネイアは開いた口が塞がらなかった。

 ここまでして職務を全うしようとする者もなかなかいないのではないだろうか。とはいえ、度が過ぎているのは誰の目から見ても明らかで、ネイアとしてはヘンリーやウルベルトの言い分の方が正しいように思えた。

 どうにかしてアルバを安静にさせる方法はないものかと頭を悩ませる。

 そんな中、不意に大きなため息の音が聞こえてきて、ネイアは咄嗟にそちらを振り返った。

 

「……君の覚悟は感心するがね。何事も限度というものがあるのだよ?」

 

 呆れた声音と共にウルベルトが小さく頭を振る。それでいて短く詠唱を唱えると、空気が揺らめいて複数の影がどこからともなく姿を現した。

 影の正体は、これまでもウルベルトが何度か召喚していた治癒魔法を唱えられる悪魔、拷問の悪魔(トーチャー)

 ウルベルトは再びアルバに手を伸ばして無傷な左腕を掴むと、少々強引に引き寄せて一体のトーチャへと差し出した。

 

「人々を癒すのが役目だと言うなら、まずは万全な状態で治療にあたれるようにしたまえ。……トーチャー、この男の傷を癒せ」

「はっ、畏まりました」

 

 ウルベルトの命に従い、早速アルバへと治癒魔法をかけ始める悪魔。

 みるみるうちに癒えていく多くの傷に、しかしアルバは何十匹もの苦虫を同時に噛み潰したような表情を浮かべた。

 

「……閣下、治癒をして頂けるのは嬉しいのですが、できれば私以外の者たちを治癒するように命じては頂けませんか?」

「いい加減にしたまえ。私の言葉を聞いていなかったのかね? 第一、トーチャーたちの魔力量は君たち人間に比べて非常に多い。治療する対象が一人増えたところで、魔力がすぐ枯渇するようなことにはならないから大人しく治療を受けたまえ」

 

 まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように言い放つウルベルトに、アルバも不満な表情は変わらないものの口を閉ざして大人しくなる。

 何故こんなに頑なだったのだろう……と疑問に思う中、ウルベルトが周りを見回していることに気が付いてネイアは小首を傾げさせた。

 

「……ふむ、ここは少々狭いな。トーチャーたち、端から順々に治療を開始せよ。だが、中には悪魔に拒否反応を起こす者もいるだろうから、その場合は無理強いはせずに次の者の治療に移れ。拒否した者に関しては引き続き神官たちに治癒作業を行ってもらうことにしよう」

 

 ウルベルトの指示に、アルバを治癒しているモノ以外の他のトーチャーたちが傅いて頭を下げる。遠巻きにこちらの様子を窺っていた神官たちも慌てたように頷き、恐々ながらもトーチャーたちに続いて治療に戻っていった。

 しかしトーチャーたちが治療に加わったからと言って人手不足であることは変わらない。

 未だ治療中のアルバを監視しているウルベルトに、ネイアは歩み寄って声をかけた。

 

「閣下、私も神官たちの手伝いをしたいと思いますが、よろしいでしょうか?」

「ああ、そうだな。……エントマ、お前もトーチャーたちの補佐をしてくれ」

「はっ、畏まりました」

 

 ネイアに続いて、エントマも頭を下げてウルベルトの言葉に従う。

 踵を返してトーチャーたちの元へ歩き始める小さな背に、ネイアは対抗心を燃やしながら神官たちを手伝うべく天幕の奥へと足を進めていった。

 そんな二人の背をウルベルトがまるで観察するようにじっと見つめていることに、ネイアは気が付くことはなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 時を同じくして、小都市ロイツの中心部。指揮官詰め所では四人の人物がテーブルを囲むようにして顔を突き合わせていた。

 聖騎士団の代表である団長レメディオス・カストディオと副団長グスターボ・モンタニェス。

 神官のまとめ役であるシリアコ・ナランホ司祭。

 そして、この解放軍の総大将とも言える立場となった王兄カスポンド・ベサーレス。

 突き合わせた四人の顔は勝利した軍の者とは思えないほどに翳っており、ある者は憂鬱とした表情を浮かべ、ある者は苦々しい怒りにも似た表情を浮かべていた。

 

「……さて、では報告を聞こうか」

 

 重苦しい空気の中、カスポンドの声が静寂を破る。

 王兄に促され、まず初めにシリアコが口を開いた。

 彼の口から語られるのは、今回の戦いによるあらゆる報告。

 被害状況に始まり、戦況の一通りの流れについて。また、亜人軍が布陣していた場所から回収した物資や食料についてなどなど。

 時折グスターボが補足を入れ、レメディオスは口を引き結んで黙り込んでいる。

 シリアコとグスターボの口から語られる報告内容に、誰もが頭が痛む思いだった。

 まず被害については、民兵約七千人に対して死傷者が約三千五百人。その内、約二千人ほどが重軽傷で現在治療用の天幕に運ばれているとのことだった。因みに聖騎士は約半数が死傷し、神官は六人の死者が出たという。

 亜人軍や悪魔軍との戦力差を考えれば、むしろこの程度の被害で済んだことは奇跡に近い。しかし、その奇跡をもたらしたのが自分たちではなく災華皇であることが一番の問題だった。

 加えて戦況の流れについて、懸念すべきことが一つ存在した。

 

「……では、間違いないのだな? 災華皇もヤルダバオトと全く同じ力を使ったと?」

「はい。ヤルダバオトが中央砦の城壁を打ち破り、都市カリンシャでも発動させた未知なる力……。恐らく災華皇閣下も使用したことから魔法であると推測できますが、カリンシャでの生き残りの者たちにも確認を取り、全く同じものであることに間違いありません」

「ふむ……」

 

 グスターボからの返答に、カスポンドは難しそうな表情を浮かべて小さな唸り声を上げた。顎に指を添えて顔を俯かせながら何事かを考え込んでいる様子に、レメディオスは無言のまま目の前の男の表情を見つめた。

 王兄の姿に記憶の少女の面影が重なり、やはり兄妹なんだな……と現実逃避のように内心で呟く。同時に“何故?”という疑問が幾つも浮かんできた。

 何故こんなことになったのか。

 自分たちが何をしたというのか。

 何故、カルカもケラルトもここにはいないのか。

 二人とも一体どこにいるのか。

 何故、思い通りにならないのか。

 どうすれば憎き亜人や悪魔を根絶やしにできるのか。

 どうすれば、ヤルダバオトを倒せるのか。

 どうすれば……、あの山羊悪魔(・・・・)を消せるのか……――

 

 

「――……ということは、亜人たちが持ち込んでいた食料の約半数が得体の知れない肉だというのか? だが、いくら何の肉か分からないとはいえ、この状況下で全て破棄するというのもな……」

 

 レメディオスが思考の渦に呑まれている中、彼女の様子に気が付いていない三人が次の問題について話し合っている。

 どうやら人間のものなのか違うものなのかも分からない肉の対処に迷っているようだった。

 しかしレメディオスからすれば、何故迷うのか、それ自体が理解できなかった。

 

「死者は安らかに眠らせるべきだ。人の肉が混ざっているというのであれば、全て地に返すのが正しいと思う」

「……団長殿、そうは言うが、食料が不足しており今後手に入るかも分からない現状で食料を無駄に破棄するのはあまりに惜しいのではないか?」

「……では、この件は災華皇に相談してみよう。幸い、彼はメイド悪魔と亜人を何体か捕らえたらしい。それらを使えば人肉かそうでないか選別することが出来るかもしれない」

 

 カスポンドの提案に、レメディオスは思わず大きく顔を顰めさせた。

 また奴の名前だ……と思わずにはいられなかった。

 何故、いつもいつもあの悪魔の存在が出てくるのか。

 悪魔に頼らなければならない現状に、レメディオスはもどかしくて腹立たしくて仕方がなかった。

 しかし、どんなに憤ったところで、レメディオスには他の解決策が浮かばない。こんな時に自分の代わりに意見を言うはずのグスターボでさえ、口を閉ざして黙っている。

 レメディオスが苛立ちを抑え込んでいる間に話は決まってしまったようで、食料問題については災華皇に相談することになった。

 部屋中にカスポンドのため息の音が大きく響く。

 

「……また災華皇に頼ることにはなるが、今のところ何とかなりそうだな。今回の戦いで災華皇が考えを変えて参戦してくれたことも助かった。……災華皇の力でこの都市の陥落は防がれた」

 

 カスポンドの言葉がズシリと重くのしかかってくる。同時に大きな不快感が一気に込み上げてきて、レメディオスは咄嗟に強く奥歯を噛みしめた。ギリィッと歯が鳴り、顎が鈍い痛みを伝えてくる。しかしレメディオスは少しも力を緩めることが出来なかった。言葉で表すことの出来ない激情が競り上がり、少しでも力を緩めれば喚き散らしてしまいそうだった。

 必死に自身を抑え込もうとしているレメディオスに、しかし他の三人はそれに気が付かない。誰もが自分のことだけで精一杯なのかもしれない。

 そのため、何気ない言葉がレメディオスの激情を抑え込んでいた壁を鋭く打ち付けた。

 

「後で聖王国を代表し、感謝を伝えに行かなくてはな。……とりあえず、災華皇のおかげで勝利できたことはめでたい」

「……我々の尽力あってのことだ。それを忘れるな」

 

 それでも壁が崩れず一気に爆発しなかったのは、レメディオスなりに最後の最後で感情を抑え込んだためだ。言葉は多少乱暴になってしまったが、カルカの兄ならばこの程度で怒ることはないだろう。これまでの経験が妙な確信となり、ギリギリの精神状態も相俟ってレメディオスの態度を歪なものにさせていた。

 しかし、レメディオス自身はそれに気が付いていない。思った通り冷静な態度を崩さないカスポンドに、やはりな……と心の中で頷くのみだった。

 

「その通りだな、カストディオ団長。君たちや民たちが死力を尽くさなければこの戦いに勝利することはできなかった。それは事実だ」

「そうだ。だから……」

「だが、災華皇がいなければ負けていたのも事実だ。そして、彼の力で勝利を収めたのも事実だ。違うかね?」

「っ!!」

 

 瞬間、カスポンドの鋭い言葉がレメディオスの心の壁を再度打ち、そのまま完全に砕き崩した。

 カッと勢いよく競り上がってくる激情。

 吊り上がった目を怒りに見開かせ、衝動のままにかぶっていた兜を脱いで、そのまま壁に投げつけた。兜は勢いよく壁に叩きつけられ、鋭い音を響かせて地面に落ちる。

 突然の音に外で扉を守っていた聖騎士が慌てて室内に入ってきたが、すぐさまカスポンドが宥めて事なきを得る。

 しかしそれらはレメディオスの目には一切映ってはいなかった。ただ不快な現実が目の前に容赦なく突き付けられ、頭を掻き毟って喚き散らしたい衝動にかられる。

 ここがどこで、目の前にいるのが誰であるのかももはや関係ない。

 今すぐにでもこの激情を吐き出してしまわないと狂ってしまいそうだった。

 横で宥めてくるグスターボの声も、今は不快で苛立ちを増長させるものでしかなかった。

 

「どうか落ち着いて下さい、団長!」

「これが落ち着いていられるか! ここに来るまでに会った民たちの殆どが災華皇と奴の悪魔にばかり感謝していたんだぞ! まるで奴らだけで勝利を収めたかのように!! 奴らなど、途中から出て来ただけではないか! そこに至るまでにどれだけの犠牲があり、手に入れた勝利だと思っている! 民も騎士も神官も……老いも若きも、男も女も、数多くの犠牲あっての勝利だぞ!! 奴だけの力での勝利など、決して真実ではないっ!!」

「団長!!」

 

 最後はカスポンドを睨み付けて吐き捨てるレメディオスに、グスターボが悲鳴のような声を上げる。

 しかし今のレメディオスにとっては雑音でしかない。

 目にも、今は何一つ映ってはいない。

 彼女の目に映っているのは、ここにはいない憎い山羊頭の悪魔の姿だった。

 

「……カストディオ団長。多くの民の死を目にして、心がささくれ立っているようだな。少し休んだ方が良い。そうだな……、負傷兵を見舞いに行きたまえ。前線指揮官としての責任があるだろう?」

 

 “責任”という言葉が思いの外強く心に突き刺さり、少しだけ冷静さが戻ってくる。

 目に悪魔の影が消えれば、代わりに映ったのは見慣れた三人の男の姿。

 焦燥したような表情を浮かべながら呆然とこちらを見つめているグスターボ。

 どこか呆れたような、冷めた表情を浮かべているシリアコ。

 そして、どこまでも冷静な表情を浮かべたカスポンド。

 しかしレメディオスは、何故か王兄の目がどこまでも冷静でありながら底冷えのするような冷たさを孕んでいるように見えた。

 その冷たさが、更にレメディオスの激情を冷めさせる。

 激情が抑え込まれた後に残ったのは、重苦しい虚脱感だけだった。

 

「………分かった……」

 

 もはや反論する気力も湧き上がってこない。

 レメディオスは一つ力なく頷くと、投げ捨てた兜を拾い上げて扉へと歩み寄った。扉を開き、外側に立っている聖騎士の横を通り過ぎてこの場を後にする。

 扉を守っている聖騎士から何か言いたげな視線を向けられたような気がしたが、そんなことは知ったことではない。

 暫くあてもなく足を動かし、ふとカスポンドに負傷兵たちを見舞うように言われたことを思い出して大きな息を吐き出した。足先の向きを変更しながら、多くの聖騎士や神官や民たちが忙しなく動き回っている街中を突き進んでいく。

 黙々と足を動かしながら、彼女の頭にあるのは過去の数々の光景。

 未だカルカもケラルトも側にいた、楽しく輝かしかった平和な日々。

 しかしヤルダバオトが現れ、都市カリンシャで繰り広げた屈辱の戦い。

 生き残った者たちを率いていた過酷な日々。

 使節団として王国や魔導国へ赴いた長い旅。

 災華皇が聖王国に来てからの激動。

 そして今回の戦い直前の作戦会議でのことを思い出して、ふとある考えが頭を過ぎった。

 ハッと目を見開き、動かしていた足も止まる。全身鎧(フルプレート)や胸の奥にある心臓が、ドクドクと煩いまでに鼓動を響かせていた。

 今回の戦いの際、実はレメディオスたちは災華皇の力を一切借りることなく勝利を掴もうとしていた。それは作戦会議の時、グスターボから民たちの災華皇への評判や影響を報告されたからだ。

 災華皇がこれまで民たちに見せてきた力によって、民たちは今や自分たちに対する以上の信頼を災華皇へ寄せている。このままでは災華皇を英雄視する流れが強まり、最悪の場合、災華皇を新たな聖王国の統治者へと望む者すら出てくる可能性があるというのがグスターボの見解だった。そのため、これ以上民たちが災華皇を英雄視しないように自分たちの力だけで勝利を収めようとしたのだ。

 しかし、結果は真逆であり、またもや災華皇の力によって辛くも勝利を収めたような形となってしまった。このままでは災華皇への民たちの感情は更に高まってしまうかもしれない。

 しかし、そう考えれば考えるほど、ある考えがレメディオスの中で膨れ上がっていった。

 “そもそも災華皇とヤルダバオトはグルではないのか”と。

 災華皇とヤルダバオトは同じ悪魔だ。加えて本当にグスターボの見解が正しく、災華皇の人気が高まって新たな聖王国の統治者へという声が出てくるのだとしたら、ヤルダバオトが勝つにしろ負けるにしろ、どちらにせよ聖王国は悪魔の手に渡ってしまうことになる。

 それこそが、奴ら悪魔たちの狙いではないのか……。

 

 自身の考えに囚われている中、不意に聞こえてきた多くの声にレメディオスはハッと意識を外へと引き戻した。

 一瞬敵の襲来かと身体を強張らせ、しかしすぐに、気が付けばすぐ側まで来ていた治療用の天幕から聞こえてくる声なのだと理解する。

 しかしその声は呻き声や叫び声などではなく、どこか明るい歓声のようなもののように聞こえた。

 一体何事かと天幕へと歩み寄り、躊躇することなく中へと足を踏み入れる。

 瞬間、見たことのない悪魔が怪我人の男へと手を伸ばしているのが目に飛び込んできて、抑え込まれていたはずの激情が再び勢いよく燃え上がった。

 

「何をしているっ!!」

 

 無意識に声を上げ、悪魔へと突撃する。

 歓喜し、涙を流して喜びあっていた民兵たちが驚いたようにこちらを見つめてきたが、それすらも目に入ってはこない。

 腰の聖剣に手を掛けながら突進していくレメディオスに、しかし不意に闇のように深い漆黒が前を遮ってきた。

 反射的に急ブレーキをかけて立ち止まるのに、癪に障るほどに冷静な声が話しかけてくる。

 

「落ち着きたまえ、カストディオ団長」

「邪魔をするなっ!! 悪魔を使って何を……っ!!」

「閣下の言う通りです。落ち着いて下さい、団長殿。あの悪魔は我々と共に怪我人を治療しているだけです」

 

 レメディオスの前を遮ってきたのは山羊頭の悪魔。

 激昂して声を荒げるレメディオスに、しかし次に声をかけてきたのは一人の神官だった。

 血みどろの法衣を身に纏ったその男は、レメディオスは彼の名を覚えてはいなかったが、しかし災華皇と行動を共にしていたことは覚えている。

 ネイアと同じく災華皇を妄信している連中か……と顔を歪ませ、反論すべく口を開く。お前たちの様な者がいるからこの悪魔が好き勝手をするのだと言ってやるつもりだった。

 しかし言葉を紡ごうとしたその時、先ほどの悪魔とは別の個体の悪魔が違う怪我人を魔法で治療している様子が目に飛び込んできて、咄嗟に開いていた口を閉ざした。

 悪魔の力によって怪我を癒された男が涙を流しながら悪魔に感謝している姿に、言葉だけでなく思考も散り散りになっていく。聖王国の者が悪魔に感謝している光景が信じられず、何か大切なものが自分の中で粉々に崩れていくような気がした。

 少し前から、災華皇が召喚した悪魔に怪我人を治療させているという報告自体はグスターボから聞いていた。しかし、実際に目にするのはこれが初めてだった。

 今までは、何とも小賢しい真似をするものだ……という思いしかなかった。

 しかし、今は違う。

 こんな事が許されていいはずがない、という危機感の様なものが胸の中に勢いよく湧き上がってきた。

 

「さぁ、もう大丈夫だ。安心したまえ」

「怪我が治ったようで何よりだ。とはいえ体力までは回復していない。もう少し休んでいたまえ」

「怖がる必要はない。彼らは君の苦痛を取り除くだけだ」

「助けるのが遅くなり、すまなかったね。だが、君が生きていてくれて良かったよ」

「この都市を守ったのは君たちの力だ。今はゆっくり癒しの力に身を任せたまえ」 

 

 レメディオスの傍を離れ、災華皇が民兵たちに優しく声をかけている。

 それに対しての民兵たちの反応はまちまちではあったが、それでもその殆どが好意的なものであることは間違いない。

 レメディオスは彼らのやり取りを見つめながら、しかし何もすることが出来なかった。

 同じように民兵たちへ声をかけることも、神官たちの手伝いを申し出ることも、悪魔たちを追い出すことも。何をするべきなのか、何をしたらいいのかも分からず、ただ彼らの様子を見つめている。

 際限なく湧き上がってくる悔しさや怒りや憎しみの感情を必死に抑え込みながら、ただ頭の中に鳴り響く警鐘に危機感を募らせるのだった。

 

 




話がなかなか進まない……(汗)
あと、これは賛否両論あると思うのですが、当小説……と言うよりかは、私が書くウルベルト様は一律アインズ様より強い設定になっております。
書籍版のアインズ様はユグドラシルプレイヤーでの強さは中の上くらいで、どちらかというとロールプレイ色強めらしいので、数少ないガチ勢の一人であり、たっち・みーと双璧ポチジョンをはれるワールドディザスターでもあるウルベルトさんの強さはアインズ様よりも上だと思うのです。
アインズ様もたっち・みーさんとのPVPでは勝てたことがないらしいですし、ウルベルトさんにも勝てなかったんじゃないかな~っと……。
ですので、この点に関しましてはご了承いただければと思います!
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