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亜人連合軍との大規模な戦闘が終了して次の日。
後ろにエントマとネイアとオスカーを従えたウルベルトは、腕を組みながら目の前の三体の亜人を見つめていた。
エントマたちの更に後ろでは、野次馬よろしく多くの聖王国の民たちが人だかりを作って遠巻きにこちらを見つめている。多くの視線に晒されながら、しかしウルベルトはそれらを無視して、ただ真っ直ぐに目の前の亜人たちを見据えて内心で唸り声を上げていた。
彼らの目の前にいるのは、未だ鳥の石像の中に囚われている三体の亜人。“魔爪”ヴィジャー・ラージャンダラーと“氷炎雷”ナスレネ・ベルト・キュールと“白老”ハリシャ・アンカーラの三体である。
何故彼がこんなにも目の前の亜人たちに対して悩んでいるのかというと、それは昨夜やってきたカスポンドの依頼が全ての原因だった。
当初、ウルベルトは目の前の亜人たちをそれほど重要視してはいなかった。配下にした方がメリットになるのであれば配下にするし、逆にデメリットになるのであれば情報だけを引き出してさっさと処分するつもりだった。しかし昨夜のカスポンドからの依頼により、そう簡単に済む話ではなくなってしまったのだ。
カスポンドの依頼は、亜人軍が布陣跡に残していった食料……特に肉の識別作業。
話を聞くところによると、人間の物かそうでない物かも分からない肉が大量に残されているらしい。食料難が続く現状において無闇に大切な食料を処分するわけにもいかず、まだ識別が出来そうなこちらに話が回ってきたのだった。
ウルベルトとしても、彼らの考えは大いに理解できるし納得もできる。しかしそうなると、一定期間は目の前の亜人たちを所有しなくてはならなくなり、彼らが自分の言うことを大人しく聞くかが最も大きな問題だった。
魔法で精神支配して強制的に従わせることは勿論可能だが、聖王国の民たちの目がある中でそれはあまりしたくない。
精神支配の術があるというのは、それだけで他者に恐怖を与えるものだ。
もしかしたら自分も支配されるかもしれない。または、自覚していないだけでもう支配されているのかもしれない。
聖王国の民たちがそんな疑念を持てば、その時点でこれまで積み上げてきた信頼が一気に泡と消えてしまう可能性が大いにあった。
ではどうすべきかと考えた時、一番良いのは亜人たちが自ら進んで協力的な態度を取ってくれることだった。もしそうできれば余計な時間もかからずに済むし、二つ名持ちの亜人までもがひれ伏すのだというアピールにもなる。
しかし今までずっと彼らを観察する中で、どうにもそれは望み薄だと判断せざるを得なかった。
少々骨が折れそうだな……と内心で大きなため息を零す。
ウルベルトはゆっくりと組んでいた腕を解くと、覚悟を決めて一歩亜人たちへと歩み寄った。
「さて……、君たちは自分たちの状況は理解しているね? 私が君たちに尋ねたいのは一つだけだ。私の配下となるか、それとも拒むか……、どちらにするかね?」
三体それぞれに視線を向けながら、まずは単刀直入に問いかける。
誰もが固唾を呑んで見守る中、まず口を開いたのは
「……わしは、ヤルダバオト様を裏切っておぬしの配下になるつもりはない」
「ほう、そこまでヤルダバオトに忠誠を誓っていると?」
ハリシャからの返答に、ウルベルトは少々意外に思って片方の眉部分を吊り上げるように動かした。
バフォルクのバザーと違い、彼らは既にある程度ウルベルトの力を知っているはずだ。それでもなお自分の下につくことを拒むということは、それなりの理由があるということなのか……。
もしやヤルダバオトの力に魅せられて忠誠を誓っている亜人の一人なのだろうか……と内心で首を傾げる中、しかしハリシャは小さな笑い声を上げて緩く頭を振ってきた。その笑い声にも、長い頭髪に殆ど隠れた顔にも、どこか苦笑めいた諦めの色が浮かんでいるように見えた。
「……ヒヒヒ、忠誠とはちと違う。わしはただ、少しでも楽な方を選んだに過ぎん」
「それは……、一体どういうことかな?」
「ヤルダバオト様は恐ろしい御方じゃ。裏切りを決して許しはせんじゃろう。わしがおぬしの配下に下れば、残ったわしの部族のモノも、そしてわし自身もただではすまん。恐らく今捕虜となっている人間たち以上の苦痛を味わうことになるじゃろう。そうであるならば、ここで潔く死んだ方がまだ何倍もマシだとは思わんかね?」
自嘲混じりに言ってくるハリシャの言葉に、またもやウルベルトは意外に思った。
まさかここまで考えていたとは……というのが正直な感想だった。同時にウルベルトの中でハリシャの評価が数段上がる。
この亜人は合格だな、と内心で呟くと、山羊の顔にニヤリとした笑みを浮かばせた。
「……ふむ、なるほど。ならば、もし君と君の部族のモノたちの安全を保証すると言ったらどうする? そうであれば、私の配下になるかね?」
「いくらおぬしでも、この場にいないモノを救うことはできまい……。それほどまでに、わしの忠誠とやらが欲しいのか?」
「それほど頭が回るのであれば、君には十分価値がある。そして私は、私の配下が大切に想うモノは全力で守ってやる主義なのだよ」
「……………………」
ウルベルトの言葉に、ハリシャは三日月型に歪んでいた口を真一文字に引き結んで黙り込んだ。どうやらひどく迷っている様子に、ウルベルトは内心で意地の悪い笑みを浮かべる。もうひと押しと思いながら、しかしある程度の時間も必要だとすぐさま考え直した。
「まぁ、少しだけ考える時間をやろう。悔いの残らないよう悩んでいたまえ。……さて、その間に次は……」
取り敢えずハリシャは保留にし、次の亜人へと目を向ける。
彼の視線の先には
「……そういえば、君は確かヤルダバオトとの子供を欲しがっていたそうだな。であるなら、私の配下になるというのは良しとはしないか……」
まさかウチのデミウルゴスに求婚しておきながら、あの子を裏切るような真似はしないよな……という思いを込めて問いかける。
ナスレネとしてはただ単に今後の種族繁栄のためにヤルダバオトとの子供を願っただけであり、すなわち求婚した覚えもなく、彼女からすれば完全に言いがかりも甚だしいものであるのだが、しかしウルベルトは全くそれに気が付いていない。ただ親馬鹿全開で妙な威圧感を全身から溢れ出させている。
正にナスレネにとっては圧迫面接。彼女としては、何故自分に対してはこんなに圧力をかけてくるのか理解できなかったことだろう。
しかし彼女にとって幸いなことに、意外なところから意外な助け舟がポツリと呟かれた。
「ヤルダバオト様はぁ、亜人の女の子にモテモテですぅぅ」
声の主は、ウルベルトの背後で無言で控えていたエントマ。
彼女の独り言のような言葉に、ウルベルトはピタッと動きを止めた。全身から溢れ出していた威圧感も一気に霧散する。
「……そうか、ヤルダバオトはモテモテなのか」
ポツリと零れ出た言葉。
抑揚がなく静かすぎるその声音は聞く者を不安にさせるものではあったが、しかしウルベルトの内心は全くの真逆だった。
(……そうか、俺のデミウルゴスはそんなに女の子にモテモテなのか……。………うん、悪くないな!)
正に完全な親馬鹿である。
しかし一方で、ウルベルトの反応も仕方がないとも言えた。
ヤルダバオトに扮しているデミウルゴスは、ウルベルトがユグドラシルでの情熱や自身の趣味趣向などありとあらゆるものを全て注ぎ込んで創り上げた最高傑作とも言うべき存在。つまり、自分がカッコいいと思う全てを詰め込んだ存在がデミウルゴスなのである。そんな彼が女子にモテモテだという事実は、創り出したウルベルトにとっては非常に誇らしく、とても鼻が高いことだった。
無言のまま悦に入るウルベルト。
そんな彼に何を思ったのか、不意に背後に控えていたネイアが勢い良くこちらに進み出てきた。
「閣下はヤルダバオトなどよりも素晴らしい御方です! 閣下の方がおモテになるに決まっています!!」
全力で力説してくるネイアに、漸くウルベルトの意識が戻ってくる。
キョトンとした金色の瞳でネイアを見下ろし、思わず何度か目を瞬かせた。
「うん? あ、ああ……、ありがとう、バラハ嬢」
怖いほどの眼力で見上げてくるネイアに、少々戸惑いながらも何とか礼を口にする。それでいて一つ咳払いを零して気を取り直すと、改めてナスレネへと目を向けた。
「……それで、どうするのかな?」
大分柔らかな態度になったウルベルトからの問いかけに、しかしナスレネは答えない。先ほどの圧迫面接が効いているのか、ひどく迷っているようだった。何かを言いかけては止めるという動作を繰り返し、小さく視線をさ迷わせる。
「……一つ聞きたい。もし仮に貴殿の配下となった場合、どういった立ち位置になるのだ? 奴隷になるのか、はたまた臣下となるのか……」
「ふむ……、それは中々に難しい質問だねぇ。それは君たち次第としか言いようがない。君たちだって、使えぬ者を腹心とはしないだろう?」
「つまり……、働き如何によっては奴隷にも臣下にも成り得ると?」
「使えるかどうか判断するのは、あくまでも私だがね」
一言釘を刺しながらも頷くウルベルトに、ナスレネは再度考え込む。恐らく彼女の中ではありとあらゆる思考が目まぐるしく動いているのだろう。
まぁ、自分たちの生死がかかっているのだから仕方がないか……と内心で一つ頷くと、ウルベルトは彼女からの返答をのんびり待つことにした。
しかし予想に反して、ナスレネが答えを出すのは早かった。
「……もし、ハリシャ殿に言った言葉が本当ならば、わらわはあなた様の配下になりましょう」
ハリシャに言った言葉とは、配下になれば自身とその部族を加護下に置くという言葉のことだろう。さり気なく条件付きで配下になることを承諾する辺り、ナスレネという亜人もそれなりに頭が回る分類には入るのだろう。
しかし彼女は一つ勘違いをしているようだった。
先ほども述べたように、配下には奴隷や臣下といった多くの分類が存在する。臣下や腹心であればいざ知らず、唯の奴隷でしかないモノの存在やその部族に対してなど、普通は気に掛ける必要性もない。もし本当にウルベルトの加護が欲しいのなら、それ相応の価値をウルベルトに示す必要があるのだ。
しかし、ウルベルトはそこまで教えるほどお人好しではない。ただひょいっと肩を竦ませて、無言でナスレネの言葉を受け入れるだけだった。
「……なるほど、理解した。君の意思を受け取ろう。……これから君の全ては私の物だ」
「……………………」
「さて、最後は君だな。君はどうするかね?」
無言で頭を下げてくるナスレネから視線を外し、最後の亜人である
こちらを威嚇するかのように威圧感を放つ虎のような顔を、ウルベルトはどこまでも静かな双眸でじっと見据えた。
「……俺は、俺よりも弱い奴につくつもりはない」
「ふむ。そこにそうやって囚われている時点で、君は私よりも弱いということにはならないかね?」
「違う! 強者の座とは正々堂々と戦って勝つことで得るものだ! このような小細工で勝ち得るものではない!!」
怒りを露わに吠えるヴィジャーに、ウルベルトは思わず唖然としてしまった。何とも真っ直ぐ過ぎて熱過ぎる性格だと、半ば呆れが込み上げてくる。
純粋なのか、はたまた唯の馬鹿なのか……。どちらにせよ、呆れの感情が消えることはない。
策略も計略も謀略も、それらは全て勝つための手段であり、れっきとした技術であり力である。この世界に存在するありとあらゆるものは決して真正面から挑んで解決できるほど簡単なものばかりではなく、故に先ほどの亜人の言葉は――少なくともウルベルトにとっては――馬鹿丸出しの雑音でしかなかった。
とはいえ、そういった考えが嫌いと言う訳でも決してない。
正々堂々の力比べが全てだというのなら、真正面から力でねじ伏せるのもまた一興。
ウルベルトはニヤリとした笑みを浮かべると、ワザとらしく小首を傾げてみせた。
「ふむ、なるほど……。では、正々堂々と勝負して私が勝てば、君は大人しく私に下ると?」
「そうだな……。もし仮に俺様に勝てたなら考えてやってもいい」
どこまでも不遜な物言いに、後ろに控えているエントマとネイアとオスカーから不穏な気配が伝わってくる。しかしウルベルトは更に笑みを深めさせた。
良い度胸だ……と内心で舌なめずりをする。
悪魔らしい残虐性や加虐心に心を躍らせながら、ウルベルトは必死にそれらが顔に出ないように抑え込んだ。
「良いだろう。では、一勝負やろうじゃないか」
右手を軽く挙げ、パチンっと高く指を鳴らす。
瞬間、ヴィジャーを体内に捕えている鳥の石像が一つ甲高い声で鳴いた。
小さい翼を命一杯広げて胸を張り、嘴を大きく開けている様はどこか愛嬌があって可愛らしい。
鳥の石像はその姿勢で動きを止めると、胸から腹にかけて嵌められている鉄格子がゆっくりと上へと引き上げられ、体内に囚われていたヴィジャーが解放された。のっそりと鳥の石像の中から出てくるヴィジャーに、途端にウルベルトの後ろにいる人だかりから恐怖の悲鳴が小さく上がる。
「……か、閣下……っ!」
オスカーからも焦ったような声音で名を呼ばれ、しかしウルベルトは振り返ることもしない。ただ山羊の顔に淡い微笑を浮かべ、じっとヴィジャーを見つめていた。
ヴィジャーはのっしりとした足取りでゆっくりとこちらへ近づいてくる。
戦闘時に捕えてからずっとそのままにしていたため、その身には変わらず金属鎧が装備されており、その手にも両手用のバトルアックスが握り締められていた。
全身から溢れ出る強者の迫力とも相まって、ウルベルトとエントマ以外の全員はすっかりヴィジャーの気に呑まれてしまっている。
オスカーとネイアが思わず自身の得物を握りしめ、周りの人だかりの人間たちが後ろに後退る中、ウルベルトとエントマだけが一歩も動くことなく目の前まで来たヴィジャーを見上げていた。
「……さて、ではまずはルールを説明しようか。基本、君に関しては何でもありだ。真正面から来るも良し、魔法や武技や
「っ! ……ほう、悪魔であるくせに随分と人間を庇うんだな。こんな弱い奴らになど、何の価値もないだろうに」
「君が勝手に彼らの価値を決めるでないよ。それに……、その者の価値など、決める者によって千差万別。君の価値観など私には必要ない」
「………ふんっ。それで? お前はどうするつもりだ? お前は
「勘違いするな。私がお前に挑むのではない、お前が私に挑むのだよ。……そうだな、私も武器を使うとしよう。魔法は一切使わない。それでもお前へのハンデには足りないほどなのだからね」
不遜すぎるヴィジャーの言動が流石に少々癪に障り、少しだけ口調が荒く乱れる。
しかしすぐに気を取り直すと、ウルベルトは再度パチンっと指を鳴らした。
瞬間、地面から現れたのは二十体もの
ウルベルトとヴィジャーを中心に円を描くように並んで現れた悪魔たちに人だかりから再び引き攣ったような悲鳴が上がった。
しかしすぐに悪魔たちが身に纏っている赤い布に気が付いたようで悲鳴は消えていく。
ウルベルトの配下は全員赤い布を身に纏っていることは既に解放軍の中では周知されており、これは偏に今は既にいないスクードの存在のおかげだと言えた。
「聖王国の者たちよ、今すぐにシャドウデーモンたちの円の外まで下がりたまえ! 円の中は戦場となる! 私とこの亜人との勝負がつくまで、誰も円の中に入ってはならない!」
ウルベルトの言葉が合図であったかのように、円を描くシャドウデーモンたちが外側へと歩を進めて円を広げ始める。
人だかりの人間たちもまるで追い立てられるように避難すると、シャドウデーモンたちの円の外側で不安そうにウルベルトを見つめた。
「……君たちも早く円の外側に下がりたまえ」
未だ後ろに控えるように立っているエントマとネイアとオスカーを振り返り、手短に言って促す。
エントマは無言のまま礼を取って従う中、しかしネイアとオスカーは大人しく従いながらもどこか心配そうな表情を浮かべてこちらを見つめていた。
いつまでも変わらぬ彼女たちの反応に、ウルベルトは思わず小さな苦笑を浮かべる。
彼らと行動を共にするようになって既にそれなりの時が経っているというのに、何故こうも毎回心配そうな表情を浮かべるのだろう……と不思議でならなかった。しかしよく考えてみればモモンガやナザリックのモノたちも等しく心配性であることを思い出し、そういうものとして半ば無理矢理納得することにする。何故こうも自分の周りには心配性が圧倒的に多いのだろう……と疑問に思わないでもなかったが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。重要なのはこれからのヴィジャーとの勝負であり、如何に実力差を自覚させて屈服させるかだ。
ウルベルトは少しだけ悩んだ後、袖の中にアイテムボックスを開いて中から武器を取り出した。
その手に握られているのは二振の短剣。
一方はスティレットでもう一方はショーテルの形をしており、しかしデザイン自体はどちらも酷似しているため両方で一組の武器であることは誰の目から見ても明らかだった。
この短剣の名前は、スティレットの方は“ソドム”でショーテルの方が“ゴモラ”。武器アイテムのランクとしては普段の
この武器自体のデータ量は最下級のものなどではなく
加えてこの武器の限界ランクである
とはいえヴィジャー相手にそこまで力を覚醒させる必要はなく、ウルベルトは魔力量を調整しながら武器ランクを最上級まで引き上げた。
青銀の光と朱金の光がそれぞれ淡く刀身に宿ったのを確認し、ウルベルトは改めてヴィジャーへと目を向けた。
「さて、こちらは準備ができたぞ。どこからでもかかってきたまえ」
右手に“ゴモラ”、左手に“ソドム”をそれぞれ握り締めてヴィジャーを促す。
ヴィジャーはどこか呆然とした表情を浮かべてこちらを凝視しており、どうやら突然短剣を二振も出してきたことに驚いているようだった。しかし声をかけられたことでハッと我に返ったのか、一拍後には呆けていた表情を引き締めさせて、睨むようにこちらを見つめてきた。バトルアックスを握る手にも力が込められたのか、ヴィジャーの手元からギシッと小さな軋むような音が聞こえてくる。
どこか緊張しているような様子に小さく笑うと、ウルベルトは更に促すように“ゴモラ”を握りしめている手をゆっくりとヴィジャーへと差し伸ばした。人差し指だけを柄から離し、そのままクイックイッと指だけでヴィジャーを招く。
余裕たっぷりなその態度が良い感じに刺激になったのか、ヴィジャーは獣の顔を大きく顰めさせると、次には猛然とこちらに突撃してきた。大きく振り上げられたバトルアックスが勢いよく振り下ろされる。
ウルベルトは半歩横にずれてバトルアックスの刃をひらりと避けると、そのまま大きく足を前へと踏み出した。
まずは手始めに右手の“ゴモラ”を頭上に振り上げ、先ほどのヴィジャーと同じように勢いよく振り下ろす。
しかし三日月型に湾曲した刃は下から振り上げられたバトルアックスの刃によって受け止められ、そのまま勢いよく弾かれた。流石は純粋な戦士職というべきか、その力は凄まじく、ウルベルトの細身の身体を宙へと浮き上がらせる。右手の“ゴモラ”も下から上へ弾かれた状態で胴体ががら空きになり、その無防備な状態にヴィジャーがニヤリとした笑みを浮かべてきた。そのまま横薙ぎに振るわれたバトルアックスに、しかしウルベルトはフンッと小さく鼻を鳴らした。
確かに右手は間に合わないかもしれないが、ウルベルトには左手がある。左手の“ソドム”を逆手にクルッと持ち替えると、垂直に翳してバトルアックスを受け止めた。
ガギンッという鋭い音と共に大きな衝撃が爆発して周りの空気を振動させる。
周りの人だかりからどよめきの声が上がるがそれには一切構わず、空中では足を踏ん張ることもできないためウルベルトは大人しく攻撃の威力に身を任せることにした。
後方に吹き飛ばされながらも宙で体勢を立て直し、地面に足を着けるとズザザザーッと大きな摩擦音が響いて土煙が立ち上る。ウルベルトは地面を滑る蹄に力を込めて勢いを殺すと、こちらを追うように突撃してきたヴィジャーを迎え撃った。
左手の“ソドム”を構え直し、振るわれたバトルアックスの巨大な刃を受け止める。
しかしすぐさま力の軌道を逸らしてバトルアックスを受け流すと、そのまま身を乗り出して右手の“ゴモラ”をヴィジャーへと振るった。
「っ!! “要塞”っ!!」
ヴィジャーが咄嗟に左手をバトルアックスの柄から離し、“ゴモラ”の刃の前に左腕を翳しながら武技を発動させる。
瞬間ヴィジャーの左腕に触れた“ゴモラ”の刃は、そのまま皮膚や筋肉を深く切り裂いた。
大きな手応えと共に、大量の鮮血が噴き出して宙を舞う。
ヴィジャーは一瞬驚愕の表情を浮かべると、しかし次には苦々しげに大きく顔を顰めさせた。
瞬間、山羊特有の広い視界が下方に動くものを捉え、咄嗟に右脚を振るう。
ガキンッという鋭い音と衝撃。
改めてチラッと視線を下方に向ければ、咄嗟に上げたウルベルトの右脚の蹄が、四足獣となっているヴィジャーの下半身の前脚の爪をがっちりと受け止めていた。ギリィッと少しばかり力比べのように押し合い、次にはヴィジャーの方が跳ねるように後ろへと飛んでウルベルトから距離をとる。
ウルベルトは上げていた右脚をゆっくりと下ろしながら、ヴィジャーをマジマジと見つめて内心で感心の声を上げていた。
恐らく先ほどの戦法がヴィジャーの本来の戦い方なのだろう。
バトルアックスでの戦士としての戦い方だけではない。普通の攻撃で相手の注意を引きながら、それでいてゾーオスティアの身体の造りを十全に活かして、逆に注意が散漫になりやすい足元を狙って攻撃を仕掛ける。恐らく山羊の視界を持っていなければ、ウルベルトは諸に攻撃を受けてしまっていただろう。
攻撃を受けたところで傷を負うかは疑問ではあったが、しかしそれ以前に攻撃を対処できたかどうかで周りからのこちらに対する印象はガラッと変わる。ヴィジャーにも大きな衝撃とプレッシャーを与える要素になるだろう。
じーっと観察する中、観察されている側のヴィジャーは自身の左腕の傷を見つめて大きな舌打ちを零していた。
「……俺様の“要塞”が効かないとは……、少しはやるようだな」
唸るように言ってくるヴィジャーに、ウルベルトはただ無言で肩を竦めることで応えた。
正確に言えばヴィジャーの“要塞”は効かなかったわけではない。逆に効力を発揮したからこそ、その程度の傷ですんだのだと言える。もしヴィジャーが“要塞”を発動していなければ、ヴィジャーの左腕はスパッと綺麗に切り落とされていただろう。
しかしウルベルトは決してそのことを口には出さなかった。
ヴィジャーが勘違いしているのならばそれに越したことはない。『ウルベルトには武技が効かない』とでも考えてくれれば万々歳だ。
ウルベルトは“ソドム”と“ゴモラ”を握り直すと、ゆっくりと体勢を変え始めた。
「……ふむ、私も“少しはやるようだ”と返しておこうか。一分も経たずに地に伏せると思っていたのだがね」
ゆっくりと重心を前方へと移し、前屈みになるように上体を傾けさせていく。地を踏みしめている蹄に力を込め、“ソドム”を握る左手を腕ごとググッと後ろに引いた。
「それでは、そろそろ次は私から攻めてみようか……」
軽く言葉を零し、言い終わったとほぼ同時に強く地を蹴る。100レベルの戦士職に比べれば少々遅いものの、しかしこの世界のレベルであれば十分に速い速度でヴィジャーへと突撃する。
ウルベルトは迎え撃つ構えをとるヴィジャーを確認すると、突撃する足は止めないまま、右手の“ゴモラ”を勢いよく投擲した。
クルクルと高速回転しながら一直線にヴィジャーへと飛んでいく“ゴモラ”。
ヴィジャーもまさか投擲してくるとは思ってもいなかったのか、驚愕の表情を浮かべながらも慌てて構えていたバトルアックスを引き寄せて勢い良く横薙ぎに振るった。鋭い金属音と共に“ゴモラ”が勢いよく弾かれて払い落とされる。
次はウルベルトの対処に回ろうと動くヴィジャーに、しかしウルベルトは既に彼の目の前まで肉薄していた。
「……“要さ…ぐっ!!」
咄嗟に武技を発動しようとするが、ウルベルトの攻撃の方が数秒早い。
“ソドム”の刃が金属鎧の隙間を縫い、ヴィジャーの脇腹へと深々と突き刺さった。
純粋な
大きな咆哮を上げてバトルアックスを振るってくるヴィジャーに、ウルベルトは後ろに飛び退いてそれを避けた。ウルベルトの動きに合わせて“ソドム”の刃が引き抜かれ、大量の鮮血が溢れ出て一気にヴィジャーの金属鎧や下半身を濡らす。
深手を負ったことで完全に箍が外れたのか、ヴィジャーは再び咆哮を上げると勢いよくこちらに突撃してきた。
目は血走り、全体的な動きも荒々しい。しかし雑になったわけでは決してなく、まるで戦士から獣に変化したような戦い方だった。
バトルアックスも勿論使ってくるが、それだけではない。牙が、拳が、四足の下半身からの爪が、複雑に絡み合って攻撃を仕掛けてくる。
しかし、その一つとしてウルベルトの身体を捉えることはなかった。
ウルベルトとて、これまでコキュートスやアルベドやパンドラズ・アクターから師事を受けてきたのだ。ここで無様な姿を見せては彼らに申し訳が立たないという思いもある。
ウルベルトはヴィジャーの攻撃を躱しながら地面に転がっている“ゴモラ”を拾い上げると、ヴィジャーの攻撃を受け流し、掻い潜ってはこちらも刃を振るっていった。
ウルベルトの動きは決して戦士や剣士や騎士のようなものではない。力強く突き進むものではなく、どちらかというと一種の舞のようなものに似ていた。曲芸と言ってもいいだろう。
受けるのではなく受け流す。
叩き切るのではなく撫で斬りにする。
薙ぎ払うのではなく鋭く突き刺す。
ウルベルトの動きはヴィジャーを翻弄し、その身体に幾つもの傷を刻みつけていった。
「……くっ……そがァァ……っ!!」
ヴィジャーは再び咆哮を上げると、次は幾つかの武技を発動させて再びウルベルトに襲い掛かってきた。
ヴィジャーが発動したのは“能力向上”と“鋼爪”。攻撃力や防御力、そして素早さも上がってウルベルトへと猛威を振るってくる。
ウルベルトは尚もヴィジャーからの攻撃を避け、受け流してはいたが、しかしその一方で動きに小さな乱れが生じ始めていた。
ウルベルトとヴィジャーでは、戦士としての力量は圧倒的にヴィジャーの方が上。それでもなおウルベルトがここまで渡りあえているのは、偏にユグドラシル時代での経験と、打倒たっち・みーへの執念から培ってきた知識の賜物だった。もはや今の彼は経験と知識からヴィジャーの行動を先読みして、それで何とか対処しているに過ぎない。何か一つでも判断ミスをすれば、それだけでヴィジャーの攻撃はウルベルトに届いてしまうだろう。
しかし、それではいくら何でも面白くない。例え怪我自体はしなくても、ウルベルトにとっては非常に面白くなかった。
(……ふむ…。そろそろ終わりにするか……。)
ウルベルトはこの戦闘に見切りをつけると、一気に決着をつけるためにタイミングを計り始めた。徐々に体勢を整えながら、ヴィジャーの動きを注意深く観察する。
そしてヴィジャーが次の動作に移ろうと身を低くしたその時、それを見計らってウルベルトは一気に大きく動いた。
ヴィジャーから繰り出されるのは、低い位置からの横薙ぎの一撃。迫りくるバトルアックスの巨大な刃に、ウルベルトは右脚を強く踏み締めて左脚を勢い良く上げた。
鳴り響く鋭い音と共に、ウルベルトの左脚の蹄が迫っていたバトルアックスの刃を受け止める。
しかし今回は力押しはせず、全身に捻りを加えてバトルアックスの刃を勢いよく弾き返した。
ヴィジャーの巨体がグラッと揺れ、獣の下半身がたたらを踏む。その間にウルベルトは更に身体に捻りを加えると、その勢いを刃に乗せて一気にヴィジャーへと切りかかった。
まずは“ソドム”を振るってわざとヴィジャーがギリギリ避けられる場所を攻撃し、ウルベルトの誘導通りの場所にヴィジャーが身を移したのとほぼ同時に“ゴモラ”を振るった。
「……くっ……! “流水加速”!!」
反射的に武技を唱えたのは野性の勘か。瞬間的にヴィジャーの動きの速度が増し、まるで流れる水のようにウルベルトが繰り出した“ゴモラ”の刃を掻い潜る。
しかし、ウルベルトはそんなヴィジャーの判断や行動すら予測していた。
ウルベルトは躱されてもなお“ゴモラ”を迷いなく振り抜くと、その勢いのままに右脚を強く踏み締めて大きくターンを踏んだ。全身に遠心力を加え、左脚を上げて一気に背後へと後ろ蹴りを放つ。
「……グッ……!!?」
鋭い音とくぐもった呻き声が響いたのはほぼ同時。
ウルベルトが繰り出した左脚は見事にヴィジャーの顔面中央を強打し、更には思わずよろめくヴィジャーにウルベルトは容赦なく追撃を行った。念のため“ソドム”を投擲してヴィジャーの行動を牽制すると、その隙をついて“ゴモラ”の湾曲した刃を首輪のようにヴィジャーの首元に突きつける。
急所に宛がわれた凶刃。
本能的な死の恐怖にはやはり抗えないのか、ヴィジャーの身体が硬直して一気に動きがとまる。
刃を突き付けるウルベルトと、刃を突き付けられて身動ぎ一つできないヴィジャー。
誰もが急展開についてこられず呆然となる中、ウルベルトとヴィジャーもピクリとも動かないため、まるでこの場だけが時が止まったかのようになっていた。
しかし次の瞬間、不意にウルベルトが動いたことによって止まっていた時が動き出す。
ヴィジャーの首元に宛がっていた“ゴモラ”をゆっくりと離すと、どこまでも静かな金色の瞳で真っ直ぐにヴィジャーを見据えた。
「お前の負けだ、ヴィジャー・ラージャンダラー」
「………っ!!」
ウルベルトの言葉に、ヴィジャーが言葉を詰まらせて大きく顔を歪ませる。ガクッと力なく膝をついて項垂れたヴィジャーに、その姿は正に力を打ち砕かれた敗者のものだった。
誰の目から見ても明らかな勝負の行方とヴィジャーの姿に、一拍後、空気が割れんばかりの歓声が爆発した。
固唾を呑んで見守っていた聖王国の民たちが拳を頭上に突き出して歓声を上げ、ネイアとオスカーが安堵と歓喜が入り混じった表情を浮かべ、ハリシャとナスレネは呆然とした表情を浮かべている。
ウルベルトが無言で見守る中、ヴィジャーは未だ項垂れながらも力なく口を開いてきた。
「………俺の負けだ……」
一度言葉を切り、次には顔を上げて真っ直ぐにウルベルトを見つめてくる。
「“魔爪”ヴィジャー・ラージャンダラーはウルベルト・アレイン・オードル
悔しそうな色を見え隠れさせながらもきっぱりと言い切る様はどこまでも潔い。
ウルベルトはフッと小さな笑みを浮かべると、左手の“ソドム”の剣先を真っ直ぐにヴィジャーへと突きつけた。
「君の意思を受け取ろう、ヴィジャー・ラージャンダラー。……これからは我がシモベとして全力を尽くせ」
ウルベルトの言葉に、ヴィジャーは深々と頭を垂れる。
これで配下に下せたのはナスレネとヴィジャーの二名。後はハリシャだけだとハリシャの方を振り返れば、彼は鳥の石像の中でヴィジャーと同じように深々と頭を垂れていた。
どうやら先ほどの戦闘やナスレネとヴィジャーが決断したことで、ハリシャも考えを決めたようだった。
無事に三人とも配下にできたことに、ウルベルトは内心で安堵の息を吐き出す。しかし一方で、ウルベルトはそんな様子を面にはおくびにも出さなかった。ただ小さく息をつき、気を引き締めさせて改めて力強く声を張り上げる。
「よろしい! それでは、これよりお前たちの全ては、私ウルベルト・アレイン・オードル災華皇が預かる! 我が配下として、恥かしくない働きをせよ!!」
「「「……はっ!」」」
ウルベルトの言葉に応えたのは、ヴィジャーとナスレネとハリシャの三体。
三体ともが全員きちんと答えてくれたことに、ウルベルトは再び内心で安堵の息を吐き出した。
何とか上手く行ったことに肩の荷が少しだけ下りた気がして笑みを浮かべかけ、しかしそれに水を差すかのように一つの声が空間を割いてきた。
「ちょっ、ちょっと待って下さい……!!」
突然の声に、ウルベルトを始めとするこの場にいる全員がそちらへと振り返る。
声を上げたのは人だかりの中にいた一人の男で、恰好から見てどうやら民兵のようだった。
男は自身に集まった多くの視線にギクッとしたような素振りを見せたが、しかし次には意を決したように一歩前へと足を踏み出してきた。
「さ、災華皇閣下……、それではつまり、その……、その亜人たちは閣下の加護下に入った、ということで……しょうか……?」
緊張にか、ひどくしどろもどろになりながらも問いかけてくる男に、ウルベルトはマジマジと男を見つめる。
どう答えるべきかと少し悩み、しかしどんなに悩んだところで口にする言葉は変わらないような気がして迷わず口を開いた。
「そうだね。彼らは私の配下となったのだから、主である私の加護下に入るのは当然のことだと言えるだろう」
「そんなっ! それでは、あまりにも犠牲になった者たちが浮かばれません!! どうか奴らにこれまでしたことへの報いを……、俺たちの手で復讐させて下さいっ!!」
男の声は悲痛な色を帯びて、まるで悲鳴のように響き渡る。その声や言葉がこの場にいる者たちの心の中を深く突き刺したのだろう、俄かにこの場がざわつき始める。
揺れ動き始める聖王国の民たちの心に、ウルベルトは思わず内心で舌打ちを零した。
折角ここまで順調に来たというのに、ここで御破算になってしまってはあまりに惜しい。怒りと憎しみの瞳で亜人たちを見つめ始める聖王国の民たちに、ウルベルトは引き留めるために口を開いた。
しかしその時、まるでそれを遮るかのように違う声が不意に響いてきた。
「一体何の騒ぎだ!」
突然聞こえてきた声に、騒めきは止んで全員が声の方を振り返る。
ウルベルトたちの視線の先には、騒ぎを聞きつけてきたのか、何人かの聖騎士を引き連れたレメディオスがこちらへと歩み寄ってきていた。
厳しく顰められた顔でこの場を見回し、それでいて亜人たちの姿を視界に捉えたと同時に更に顔を歪ませる。
レメディオスはウルベルトたちのすぐ側まで歩み寄ると、一番近くにいたネイアへと視線を向けてきた。
「一体ここで何をしている、説明しろ」
レメディオスからの命令に、しかしネイアは答えようとしない。ただ無言のまま、ウルベルトへと顔を向けてくる。
彼女の鋭い双眸が無言で説明するかどうかの是非を問うていることに気が付いて、ウルベルトは促すように一つ頷いてやった。
ネイアはそれをしっかりと確認すると、そこで漸くレメディオスからの質問に答えるべく口を開く。
そのネイアのあまりの態度にレメディオスは途端に苛立たしげな表情を浮かべたが、しかし話を聞くうちにその表情は笑みに崩れ始め、聞き終わった頃にはどこか勝ち誇ったような表情を浮かべていた。満足そうに一度大きく頷き、次には周りにいる聖王国の民たちへと視線を向ける。
「お前たちの言い分は尤もだ! 亜人たちは我らの大切なものを奪い、壊し、蹂躙してきた! こいつらは報いを受けるべきであり、諸君らには正義の鉄槌をくらわせる権利がある!!」
「「「お、おおぉぉおぉおぉおおぉおおぉぉぉおぉぉおぉっ!!!」」」
突然始まったレメディオスの演説に、民たちも色めき立って声を上げ始める。
このままでは間違いなくヴィジャーたちは惨たらしく処刑されることになるだろう。
ウルベルトとて彼らの気持ちが分からないわけでは決してない。
しかし、それでも……――
「……やめておいた方が良いと思うがね」
ポツリと小さく呟かれた声。普通であれば多くの歓声にかき消されるほどに小さなそれは、しかしこの場にいる全員の耳に届き、この場にいる全員の熱を一気に冷めさせるほどの力を持っていた。
この場にいる全員が一斉にウルベルトへと視線を向ける。
ウルベルトはただ静かに、レメディオスや聖王国の民たちを冷ややかに見つめていた。
「感情に任せて復讐を唱え、殺戮を望むとは……。気持ちは分からないでもないがね、少々度が過ぎるのではないかな?」
ウルベルトの声音はどこまでも淡々としていて静かで抑揚がない。
いつにないウルベルトの様子に、民たちは怒りを忘れて困惑の表情を浮かべ始めた。
ただ一人、レメディオスだけが苛立たし気に食って掛かってくる。
「……ほう、“憎しみは何も生まない”、“憎しみや怨みといった感情は悪いものだ”とでも言うつもりか? 実に悪魔らしくない言葉だ。……聖職者にでもなったつもりか?」
皮肉気に行ってくるレメディオスに、しかしウルベルトは何も答えない。ただ山羊の顔に大きな呆れの表情を浮かべるだけだった。
彼の心にある言葉は一つ。
“本物の聖職者が何言ってんだ”であった。
(……こいつって確か聖王国の聖騎士だよな? 普通は聖王国の聖職者であるこいつがさっきの言葉を言うべきなんじゃないのか? ……えっ、それとも聖騎士って聖職者じゃないのか? 確かに騎士であって神官ではないけど……、でも“聖”って始めにつくしなぁ~。あれ、ユグドラシルではどうだったっけ? あくまでも騎士だから聖職者じゃないってか? そんな馬鹿な……。)
内心で小首を傾げ、悶々とした思考が渦を巻く。
しかしそこでふと、未だレメディオスからの問いかけに答えていないことに気が付いて、ウルベルトは内心慌てながらも外側では落ち着き払った素振りを見せて殊更ゆっくりと頭を横に振ってみせた。大きなため息を吐き出し、心底呆れたような表情を大袈裟なまでに山羊の顔に浮かばせる。
「……別にそんなことを言うつもりは毛頭ないとも。第一、私には“負の感情”や“悪の感情”といった考え自体がないのだからね」
聖王国には『“怒り”や“憎しみ”や“怨み”といった感情は“負の感情”で“悪の感情”であり、その感情に支配されれば魂が闇に染まって穢れてしまう』という考えが存在する。しかしウルベルトからすれば、笑い話にもならない言い分だった。
「“負の感情”だろうが“悪の感情”だろうが、それが感情であることには変わりない。……私は、不必要なものはこの世に存在しないと思っている。憎しみや怨みといった感情が存在するのなら、それは心の均衡を保つのに必要だからだ。心の均衡を保ち、生きていくために必要だから、そういった感情も存在するのだろう。そうであるならば、私は別に否定するつもりはないよ。……だが、全ての行動にはそれ相応の影響や反動や責任が伴う。君たちは既に身を持って分かっていると思っていたのだがね」
「………それは、どういう意味だ……」
レメディオスの切れ長の双眸が鋭くなり、まるで唸るように問いかけてくる。
ウルベルトはチラッとヴィジャーたちを目だけで見やると、次には視線を戻してこの場にいる聖王国の人間全員を見やった。
「それは勿論、今のこの状況の話だ。何故そもそも亜人たちがこのような行動に出たのか……、少なくとも聖騎士の長である君は既に理解しているのではないのかな?」
「我々のせいだとでも言いたいのかっ!!」
ウルベルトのもったいぶったような言い回しに、レメディオスが憤怒の表情を浮かべて声を荒げてくる。
いくら相手は悪魔だからと言って、聖王国の恩人であり他国の王である人物に怒鳴り声を上げる聖騎士団団長の姿に、聖王国の民たちは呆然とした表情を浮かべたり、困惑の表情を浮かべたりしていた。怒鳴られている側のウルベルトが落ち着き払った態度であるため、より一層レメディオスの態度がひどく顕著となってしまっていた。
「勿論、全ての原因が君たちにあるとは言わないとも。亜人たちの考えやヤルダバオトの存在などといった多くの要因もあってのことだと私も理解している。しかしそれだけでは決してないことも確かだ」
「それは……、一体どういう意味なのですか、閣下?」
ウルベルトが一体何を言っているのか分からないのだろう、ネイアが困惑したように問いかけてくる。
ウルベルトはネイアを見下ろすと、まるで幼い子供に教え諭すように、ゆっくりと柔らかな声音でそもそもの亜人たちとの争いの原因を語って聞かせ始めた。
そもそも聖王国と亜人たちとの争いは生活圏の奪い合いによるものだけではなかったこと。人間側による亜人たちへの差別的意識こそが争いの大きな要因の一つになっていたこと。
人間以外の種族を受け入れず、敵とみなしていた聖王国。そして今もなお続いていた聖王国側からの亜人たちへの生活圏の侵略及び略奪行為や、害獣駆除という名の大規模な虐殺行為。
ウルベルトの話が進むにつれ、その事実を知らなかったのだろうネイアや民たちが驚愕や困惑の色を濃くしていく。オスカーやレメディオスに連れられてきた聖騎士たちは少なからず気まずそうな表情を浮かべて顔を俯かせている。
しかしただ一人だけが空気も読まずに眉を潜めさせていた。
「なんだ、そんな事は当然のことだろう。全てはこの聖王国と、聖王国の民たちを守るためにしてきたことだ」
当然のように紡がれたレメディオスの言葉に、瞬間、この場の空気が一気に凍り付いた。
聖王国の者たちは誰もが呆然とした表情を浮かべて信じられないというようにレメディオスを見つめており、ヴィジャーたちは不愉快そうに顔を歪ませてレメディオスを睨んでいる。しかしレメディオス自身は何故彼らがそんな反応をするのかが分からないようで、更に訝しげな表情を浮かべて首を傾げていた。
誰もが何を言えばいいのか分からず、口を閉ざして黙り込む。
外だというのに耳に痛いほどの静寂が漂う中、不意にウルベルトのため息の音が大きく深く響き渡った。
「……はぁ…。……まぁ、そういった考えがあることも私は否定しないがね……。……話が少々逸れたな。とにかく、私が言いたいのはどんな感情を持ってもそれ自体は構わないということだよ。憎むなとも言わない。怨むなとも言わない。復讐するなとも言わない。これから生きていくために必要なのだと君たちが言うのなら、私はそれを受け入れよう。……だが、もし本当に何らかの行動を起こすのであれば、それによって生じるであろう影響や反動についても覚悟しておいてほしいというだけだ」
「………影響や反動、というのは……」
「君たちと同様に同胞を虐殺されて、亜人たちが果たしてそれを容認してくれると思うかね? それとも亜人たちを一体残らず駆逐するかね? そんなことが本当に可能だとでも?」
ウルベルトの言葉が、この場にいるレメディオス以外の全ての者たちの心に深く鋭く突き刺さっていく。
それは良心の呵責か、それとも罪悪感か。どちらにせよ、ウルベルトは彼らの反応に少なからず安堵の様なものを感じていた。
正直に言って聖王国の者の殆どがレメディオスの様であったなら目も当てられない。正に万事休す。ネイアとオスカーだけでも連れてデミウルゴスに聖王国を滅ぼすように言っていた可能性とてあった。
そうならなかったことに身勝手ながらも内心で安堵の息をつき、まだ矯正の余地はあると胸を撫で下ろした。
「……とにかく、このモノたちが私の求めに応じて配下に下った以上、既に彼らは私の配下であり、私はこのモノたちの主だ。もし彼らに対して思うことがあるのなら、私に思いをぶつけに来るが良い。それが主である私の役目だからね」
堂々と言ってのける様は正に絶対者であり、王者の風格を漂わせている。
ウルベルトの言に、もはや聖王国の民たちは何も言うことが出来なかった。唇を引き結び、ウルベルトの言葉を受け入れる。
しかしこのことが、この場にいる全ての者の心に更なる変化をもたらしたのは確かだった。
それはウルベルトの言葉による困惑か疑念か、はたまた畏敬の念か。
亜人たちに対する憎しみか、それともウルベルトの加護下に入ったことへの羨望か。
レメディオスの姿に果たして何を思い、何を見出したのか。
多くの思考や感情が渦を巻き、聖王国が進む未来への道に変化をもたらしていく。
聖王国の今後を動かす時の歯車が、また一つ耳には聞こえぬ軋んだ音を立てながら小さく回った。
話がなかなか進まない~~。
そしてナスレネの一人称とナスレネとヴィジャーの二人称が分からない~。
ナスレネとハリシャの口調も未だに良く分からない~~。
亜人たちの口調が不自然だったり違和感ありましたら申し訳ありません……(土下座)
また、今回は聖王国について感情による認識について少しだけ書かせて頂いたのですが、これは当小説による完全な捏造になりますので、あまりツッコまないで頂けると嬉しいです(汗)
*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“ソドム”&“ゴモラ”;
二振で一組の短剣。“ソドム”はスティレットで、“ゴモラ”はショーテルの形をしている。武器自体のデータ量は伝説級だが初期状態は最下級であり、魔力を消費することで、その魔力量に応じて武器ランクを上げることが出来る。ユグドラシルでの設定は『魔力を武器に流し込むことによって本来の力を目覚めさせる』というもの。当武器の限界ランクである伝説級までランクを上げると、“ソドム”は石化能力が、“ゴモラ”は炎ダメージの能力がそれぞれ付加される。