「――……ただいま戻りましたよ~」
絢爛な玉座の間の巨大な扉が開き、穏やかで柔らかな男の声が響き渡る。
高い足音を響かせながら姿を現したのは二体の悪魔。純銀の毛並みを持った山羊頭の悪魔と褐色肌の人型の悪魔。
彼らは玉座の前に立つ漆黒のローブ姿の骸骨とナザリック地下大墳墓の各階層守護者たちに暖かく迎えられ、悠々とした足取りで玉座の前まで歩み寄っていった。
「お帰りなさい、ウルベルトさん」
「「「お帰りなさいませ、ウルベルト・アレイン・オードル様」」」
アインズに続いて階層守護者たちも一斉に迎えの挨拶と共に臣下の礼をとる。
ウルベルトは軽く手を挙げてそれに応えると、アインズの目の前まで歩み寄った。
「ご苦労様です。初めての長期出張で疲れたでしょう」
「大丈夫ですよ、モモンガさん。悪魔なので疲労は感じませんしね」
「それでもですよ。ほら、まずは座ってください」
アインズが短く労いの言葉をかけながら、二つ並んだ玉座を骨の手で指し示してくる。座るように促す声に従ってウルベルトが一方の玉座に腰を下ろせば、アインズも続くようにしてもう一方の玉座へと腰を下ろした。
因みに、元々この場にある玉座は一つしかなかったのだが、この世界に転移してからシモベたちの手によって早急にウルベルト用の玉座がもう一つ用意されていた。
アインズは元々の玉座に腰を下ろし、ウルベルトは自分専用の新しい玉座へと腰を下ろす。
二人が玉座に座ったことで階層守護者たちは何歩か下がり、玉座に向き合う形に移動して改めて片膝をついた。守護者統括であるアルベドと今回の聖王国での作戦立案者であるデミウルゴスだけが、至高の主たちと守護者たちの間の空間に移動して玉座の左右にそれぞれ立ち、場を占めた。
「……それにしても、帰ってくるのが随分と遅かったですね。何かあったんですか?」
「いや、ただ次のステージのための下準備をしていただけだよ。何も問題は起きていないさ。なぁ、デミウルゴス?」
「はい、計画は順調に進んでおります。これも全てウルベルト様の深き叡智による手腕によるもの。このデミウルゴス、改めて感服いたしました」
創造主に声をかけられ、デミウルゴスは嬉々とした声と共に胸に片手を添えて深々と頭を下げてくる。
ウルベルトが思わず苦笑を浮かべる中、それに気が付いていない守護者たちが一様に不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。
「デミウルゴス? それは一体どういうことでありんすか?」
「そもそも、今回の作戦はデミウルゴスが考えたんだよね?」
まるで他の守護者たちの心を代弁するかのようにシャルティアとアウラが褐色の悪魔へと問いを投げかける。
デミウルゴスはシャルティアたちを見やり顔に浮かべている笑みを深めると、次にはまるで伺いを立てるようにアインズとウルベルトを振り返ってきた。
悪魔の口が開きかけ、しかしそれよりも早く山羊頭の悪魔が口を開いた。
「……ふむ、そうだな、折角だ。デミウルゴス、お前の口から皆に説明してやりなさい。お前がきちんと変更点とその理由を理解しているかテストしてやろう」
「はっ、畏まりました」
ウルベルトの言葉に、デミウルゴスは再び深々と頭を垂れる。
続いて素早く頭を上げると、次には未だ不思議そうな表情を浮かべている他の守護者たちを振り返って改めて姿勢を正した。
「まず初めに言っておきたいのだが、今の状況は私が最初に計画していた内容から大きく変化している。それは、恥ずかしいことではあるが、私がまだまだ未熟であり、ウルベルト様御自らが都度手を加えて筋道を修正して下さったからだ」
「修正……? そんなにマズい計画だったの?」
デミウルゴスの言葉に、アウラが更に首を大きく傾げてくる。その顔には『そんなまさか…』という文字がありありと浮かんでいた。そしてそれはアウラだけではなく、アルベドとデミウルゴス以外のこの場にいる全階層守護者たちが同じ表情を浮かべていた。
ナザリックのモノであれば、誰もがデミウルゴスが非常に優秀な知者であることを知っている。その頭脳から編み出される策謀は見事であり、頭脳戦で彼と渡り合うことができるモノなどナザリックにもほんの一握りしかいないだろう。
しかし悪魔本人はその顔に小さな苦笑を浮かべていた。
「私が思うに、計画の内容以前に、そもそも私の目指す方向性とウルベルト様の目指す方向性自体が違っていたのだよ」
「方向性、ですか……?」
「ドウイウコトダ?」
「私が考えていた方向性は“混乱”と“誘導”だ。しかしウルベルト様が考えておられた方向性は“魅了”と“間引き”だったのだよ。……そうだね、まずは私が考えた計画の内容から説明しよう」
未だ頭上に大量の疑問符を浮かべている守護者たちを見かねたのか、デミウルゴスは説明の方法を少し変えることにしたようだった。
ここから語られたのは、デミウルゴスが考えていたローブル聖王国攻略作戦の全容。それは正に“悪魔らしい”という言葉が最も相応しい、何とも血生臭く残虐性の強いものだった。
まず、デミウルゴス扮する魔王ヤルダバオトにより、聖王国は大打撃を受けて北と南に勢力を分断される。そしてヤルダバオトたちは聖王国で一番厄介である聖王女のいる北の勢力に的を絞り、南の勢力に対してはワザと手を抜いて互いの勢力の均衡を崩していく。その際、聖王国の要である三女の内の二人である聖王女と神官団団長を排除。ウルベルトが解放軍に加わった後は王兄であるカスポンド・ベサーレスに扮した
次々と語られる何とも想像を絶する計画に、無言のまま聞いていたアインズは内心で震えあがった。
しかし守護者たちの反応はアインズと全く違っていた。アウラとマーレとコキュートスは感心したような表情を浮かべ、アルベドとシャルティアはにんまりとした笑みを浮かべている。
守護者たちの予想通り過ぎる反応に、アインズは思わず遠い目になった。
しかし守護者たちはそれに気が付く様子もなく、和気あいあいと楽しそうに会話を続けていた。
「話を聞くと、確かに今の状況と違う点が幾つもありんすねぇ」
「フム……、私ハデミウルゴスガ考エタ計画デモ十分ナ結果ガ出セタヨウニ思エルガ……」
「そうだよね……。私もそう思っちゃうけど……」
「ありがとう、コキュートス、アウラ。しかし、至高の御方のお一人であらせられるウルベルト様にかかれば、私の考えた計画など児戯にも等しいものなのだよ」
「や、やっぱり、ウルベルト様にはすっごいお考えがあったんですね……!」
「くふふっ、その通りよ、マーレ。ウルベルト様は人間の思考もよくご存じの御方。ウルベルト様はもっと深く広く数多のものを見ていらっしゃるのよ」
「「「おおっ!!」」」
アルベドの言葉に、途端に守護者たちが感嘆の声を上げながら一斉にウルベルトへと目を向ける。
ウルベルトは小さく笑い声を零しながら軽く手を挙げてそれに応えているが、同じ仲間であるアインズだけは気が付いていた。ウルベルトが零した笑い声が唯のカラ笑いであり、異形の金色の瞳も先ほどの自分と同じように遠くを見るようなものになっているということに……。
一心に守護者たちからの尊敬と崇拝の念を向けられている友に、思わず同情の視線を向けてしまう。
そんなアインズに気が付いているのかいないのか、ウルベルトはアインズに目を向けることなく穏やかな表情を取り繕って褐色の悪魔に声をかけた。
「……ありがとう、みんな。まぁ、今は私のことは良いから話を続けなさい」
「はっ、畏まりました」
創造主に促され、デミウルゴスは再び一度頭を下げると改めて守護者たちに向き直る。一度感情のこもった吐息を吐き出すと、両手を後ろで組んでピシッと背筋を伸ばした。
「先ほども言ったように、私は“混乱”と“誘導”の方向性でこれらの計画を立てた。……では、次は変更点を一つずつ上げながらウルベルト様の思惑を私の口から説明しよう」
デミウルゴスはまるで小さな子供に教える教師のように、指を一本ずつ立てながら懇切丁寧に変更点と、それによってもたらされる効果や狙いなどを説明していった。
これまでの変更点は四つ。
まず一つ目は最初の頃に始末するはずだった聖王女カルカの存在。
デミウルゴスの計画では彼女は早期に殺す手筈となっていたが、しかしそれはウルベルトの指示によって変更され、実は今もなお生きて悪魔たちの監視下に置かれて幽閉されていた。
これをデミウルゴスは、ウルベルトがまだカルカには利用価値があると考えたのだと判じた。
考えてみれば、現在生かして利用している解放軍のレメディオスとカルカは旧知の間柄であり、互いに深い繋がりを持っている。『殺してしまっては利用することもできなくなる』とは至高の41人のまとめ役であるアインズの言だ。カルカを生かしておけば、それだけ利用する幅は広がると思われた。
次に変更点二つ目は、悪魔・亜人連合軍と解放軍との戦いの結末。
当初の計画では解放軍は勝ちはするものの勢力の八割を殲滅されて削り取られる予定だった。
しかし実際の解放軍の被害は4割ほど。生き残る予定のなかった悪魔・亜人連合軍の亜人たちも、その3割ほどが難を逃れて本拠へと帰還を果たしている。
これをデミウルゴスは、ウルベルトの“間引き”の第一段階であると判じた。
解放軍に忍ばせた
通常、聖騎士や神官は解放軍の中心機関に属する存在であり、今は解放軍の頂点である王兄カスポンド・ベサーレスや聖騎士団団長のレメディオス・カストディオの元、一枚岩でなくてはならない者たちである。また、レメディオスがウルベルトに対して殺意すら交じる敵意を持っていることは誰の目から見ても明らか。それでもなお、聖騎士や神官の一部がカスポンドでもレメディオスでもなく、ウルベルトに魅了されているという事実は重要な意味を持っていた。
つまり解放軍の中心機関は既に一枚岩ではなく、レメディオス派とウルベルト派に別れ始めているということだ。中にはどちらでもなくカスポンドに忠誠を誓っている者もいくらかいるだろうが、聖王国の民の多くがウルベルトを支持している以上、何かあれば彼らはレメディオスよりもウルベルトに味方する可能性の方が高かった。
そもそもデミウルゴスは当初、聖王国民の心をこちら側に引き入れることは難しいと考えていた。
人間は自分たち以外の種族を嫌厭する生き物だ。特に宗教と呼ばれるものを重要視している者はより一層そういった傾向が強いと考えられる。如何に至高の御方のご威光に触れたとて、それを理解し受け入れられるほど人間は上等な生物ではないのだ。そうであるからこそ、デミウルゴスは八割もの人間を始末しようと考えていたのだ。
しかし、自身の予想に反して聖王国民の多くがウルベルトに魅了された。
となれば話は一気に変わってくる。
今の解放軍の状況であれば、レメディオス派とウルベルト派を争わせることによって聖王国自体の力を弱まらせ、且つより確実に“間引き”をすることが出来るだろう。何より、至高の御方々に献上するものであれば、それが何であれ中身が少ないよりかは多い方が良いに決まっているのだ。加えて、最終的に国という名の箱に残るのは、ウルベルトを崇拝する駒のみ。これこそ全てを見定めた至高の策謀と言えるだろう。
だが、ウルベルトの狙いはこれだけでは終わらない。
次に違う点三つ目は、ウルベルトの傘下に加わったメイド悪魔と亜人たちの存在だ。
デミウルゴスは以前から、敵を味方に引き入れる行為は時として反感を買うものであると考えていた。それが自分たちを苦しめた存在であったなら、特にその傾向が強いと言えるだろう。
しかし実際はどうだ。
ウルベルトがメイド悪魔のエントマや亜人たちを傘下に加えたことで、確かに反感を持った聖王国民は多少なりともいた。しかしその数はデミウルゴスの予想に反して驚くほど少なかったのだ。
聖王国民の多くは驚愕し戸惑いながらも、
デミウルゴスはこの報告を聞いた時、これはウルベルトが自身の力を見せつけるために用いた策であり、また周りの反応から
自身の力を他人に知らしめる方法は幾つかあるが、その一つとして自身の力の末端を見せるという方法がある。しかしこの方法は、力が強大過ぎる場合、時として実際に見せたとしても相手がそれをうまく処理して理解することができない場合もあった。恐らく、そうであるからこそウルベルトはエントマや亜人たちを支配下に置いたのではないだろうか。
聖王国民を基準とした場合、レベル差が天と地以上に差があるウルベルトと、差はあれどまだウルベルトよりかは短い差であるエントマや亜人たち。
聖王国の民たちにとってどちらの方が自分たちの中にある尺度で測り易いかと考えると、当然エントマや亜人たちの方が分かりやすいだろうと思われた。
自分たちの中の尺度において、圧倒的な力の差があると分かる悪魔や亜人たち。
そして、その存在をも易々と支配下に置くウルベルト・アレイン・オードルという存在。
エントマや亜人たちを間に置くことによって、より自分の力の強大さを知らしめているのだとデミウルゴスは考え、その深い思考に身震いすら覚えた。そして何より、敢えて反感を買うような行動を起こすことで相手がどういった感情を持ち、どういった行動を起こすのか……彼らの心の中にどこまで
しかしウルベルトが彼らを試すために操り出した策はこれだけではなかった。
それが最後の異なる点、四つ目。ウルベルトが今この場にいることそのものだった。
デミウルゴスの当初の計画では、ウルベルトは魔皇ヤルダバオトに敗れることなく見事勝利し、聖王国民たちに感謝と崇拝の念を送られる筈だった。しかし現実は大いに異なり『ウルベルトはこれまで聖王国のために尽力してきたことによる魔力不足によって魔皇ヤルダバオトに敗れてしまい、聖王国の滅びへの一時の猶予と引き換えにヤルダバオトに攫われてしまった……』という筋書きに変わっている。
では何故このような大幅な変更が成されたのかというと、これもまたウルベルトによる聖王国民たちを試す策であり、聖王国に属する者全てに対する“間引き”の一つだった。
先ほども述べたように、現在の解放軍はウルベルト派とレメディオス派に分かれている。今のままでは、例えウルベルトが勝利を収めて聖王国を救ったとしても、ナザリックが聖王国を手中に収めるにはそれなりの時間を有してしまうだろう。加えて、もしウルベルト派とレメディオス派が大々的に争った場合、どのような終結を迎えたとしても多かれ少なかれ歴史に黒いシミを残すことになる。であるならば、聖王国を手中に収める前に徹底的にシミとなる可能性を排除する必要があった。
しかし、そうはいっても多くいる人間を一人一人“間引く”のは時間と手間がかかり過ぎる。
故に今回、ウルベルトは我が身と引き換えに聖王国を救ってみせたのだ。
一方の派閥で祀り上げられている存在が自身を犠牲にして全てを救ってみせたら彼らは一体どういう行動を取るのか……。
その行動によって“間引き”の対象となるかが明確になり、また、ウルベルトとデミウルゴスがナザリックに戻る前に行った下準備によって、二つの派閥を孕む解放軍は更に大きな“間引き”を受ける手筈となっていた。
「今回ウルベルト様が魔皇ヤルダバオトの手に堕ちたことで、今の解放軍は多くの意味で揺れている筈。……そこに、次のステージへの布石を投入します」
「次のステージへの布石……?」
「それって、さっきウルベルト様が仰られていた次のステージへの下準備のことだよね?」
「い、いったい、何の準備だったんですか……?」
興味津々とばかりに瞳を輝かせる守護者たちに、デミウルゴスが口の端を大きくつり上げる。
まるで楽しくて仕方がないというように笑みを深めた悪魔は、長い銀色の尾をゆらりゆらりと揺らめかせながらゆっくりと口を開いた。
「そう、それは……――」
◇◆◇◆◇◆
災華皇ウルベルト・アレイン・オードルが魔皇ヤルダバオトに攫われた日の翌日の早朝……――
何とか無事だった建物内に集まった聖王国の者たちは、現在白熱した舌戦を繰り広げていた。
室内に集っているのは王兄カスポンド・ベサーレスや聖騎士団団長レメディオス・カストディオ並びに副団長グスターボ・モンタニェス、神官のまとめ役であるシリアコ・ナランホ司祭など、解放軍の上層部の面々。南方からこの地に逃れてきたばかりの南方貴族の六人。多くの聖騎士や神官たち。また、他にもネイア・バラハやオスカー・ウィーグラン、ヘンリー・ノードマン、アルバ・ユリゼンといった、聖王国の中でも特に災華皇に傾倒している面々もこの場に揃っていた。
彼らがこの場で話しているのは今後の解放軍の行動方針について。
特に魔皇ヤルダバオトによって攫われた災華皇についてどういった行動を取るかで意見が真っ二つに割れていた。
「今すぐ魔導国に行って状況を説明し、閣下を救い出すための協力をお願いするべきです! それ以外にありません!!」
声高にそう主張するのは、今やウルベルト派の代表の様な立ち位置になっている従者ネイア・バラハ。彼女の横にはウルベルトの正式なシモベとなった元聖騎士のオスカー・ウィーグランが立っており、また彼女の背後にはヘンリー・ノードマンやアルバ・ユリゼンなどの比較的ウルベルトと交流を持っていた者たちが立って彼女の意見に同意して首を縦に振っていた。
熱のこもった少女の意見に、しかし真っ向から反対しているのはレメディオスを筆頭とした聖騎士や神官たち。そして南方の貴族たちもまた、ネイアたちの意見には否定的な態度を取っていた。
「そんな時間はない! ここから魔導国まで行くだけでも何日かかると思っている! そんな事に時間も人員も割くゆとりなど我々にはない!!」
「そんな事…っ!? 閣下は我々を救うために身代わりになって下さったのですよ!!」
「だから何だと言うんだ。そもそも、敵の言う一時の猶予とて明確に定まってはいないんだぞ。いつまた悪魔や亜人たちから攻撃を受けるとも限らない! そうなる前に手を打っておく必要があるんだ!!」
「……我々もカストディオ団長の意見に賛成ですな。そもそも、魔導国に行ったところで助力してもらえるとも限らない。逆に災華皇を害したと判断され報復を受けることにもなりかねん。……ここは時間を稼ぎながら対応策を慎重に考えるべきではないだろうか?」
「なっ!! ……貴様らはどこまでっ!!」
「……そちらも重要ですが、私はそれよりもあの悪魔が言っていた“契約違反”の方が気になりますね……。あの悪魔は『お前たちの指導者の一人が“契約違反”を犯して我が配下を送り込んだ』と言っていた。……カストディオ団長殿、何か心当たりがあるのでは?」
「「「っ!!?」」」
激しさを増す舌戦の中、不意にアルバのひどく静かな声が間に割って入ってくる。
その内容も相俟って、特別大きな声を出したわけではないというのに彼の声は殊更はっきりとこの場にいる全員の鼓膜を震わせた。
多くの者が思わず息を呑み、反射的にアルバとレメディオスへと目を向ける。
しかしレメディオスは焦った様子も見せず、ただ深く眉間に皺を寄せた仏頂面を浮かべてアルバを睨み据えていた。
「……私にはさっぱり意味が分からないな。………何が言いたい?」
唇から零れ出た声はひどく静かで、彼女にしては珍しくどんな感情の色も含まれてはいない。しかしその身から溢れ出る気配は鳥肌が立つほどの怒気と殺気を帯びていた。
若い聖騎士であれば恐怖を覚えるほどの鋭く激しい気配。
しかし真正面から対峙しているアルバは涼しい表情を浮かべたまま、応戦するように絶対零度の視線をレメディオスに向けていた。
「……ほう、本当に分からないので? では具体的に申し上げましょうか。まず、災華皇閣下が魔皇ヤルダバオトと戦っている最中に、あなたは白いローブに身を包んだ者たちと会っていたはずだ。その後、その白いローブの者たちは災華皇閣下たちのいる戦場へ向かっていった……。あれは一体何者で、何をさせたのですか?」
「知らないな。何かの見間違いじゃないか?」
「見間違い? 本当に? 私だけでなく他にも多数の目撃情報があるというのに?」
「……………………」
アルバとレメディオスの間で、見えないはずの何かがバチバチと激しく火花を散らす。灼熱と絶対零度の冷気が鬩ぎ合い、どんどんこの場の空気が張り詰めていく。今まで声を荒げていたネイアでさえ、二人の迫力に気圧されて半ば身を縮み込ませた。
しかしこのままずっとアルバに任せきりと言う訳にはいかず、ネイアは怯む心に活を入れながら必死に背筋を伸ばして胸を張った。
「わ、私も見ました! 確かに団長は五人くらいの集団と話をしていたし、その集団は戦場へ向かっていきました!!」
「……私も見ました。あれは間違いなくカストディオ団長でした」
ネイアに続いてヘンリーもまた一歩前に進み出て短く証言する。
思ってもみなかった話の流れに誰もが困惑の表情を浮かべる中、これまでずっと沈黙を守っていたカスポンドがゆるりと固く結んでいた唇を開いた。
「……カストディオ団長、こうなっては言い逃れはできまい。せめて君自身の口から説明してくれ」
「………言い逃れ……? 何を言っている、私は何も言い逃れなどはしていない。こいつらが言っていることは全て偽りだ! 私は何もしていない!!」
鋭い眦を更につり上げながら声を荒げるレメディオスに、カスポンドの重いため息の音が響き渡る。王兄の表情には苦悩と疲労の濃い影が浮かんでおり、先ほどの言葉とも相まってこの男も何かを知っているのだと周りに知らしめていた。一体どういうことかとネイアやアルバたちが注視する中、王兄は諦めたように再度大きな息を吐き出すと、徐に近くにいた兵を呼び寄せて何事かを耳打ちした。
すぐさま礼を取って部屋を出ていく兵に、他の者たちが訝しげに王兄を見やる。しかしカスポンドは苦い笑みを浮かべるのみで何も言おうとせず、業を煮やしたネイアが再び口を開きかけたその時、まるでそれを引き止めるかのように大きなノックの音が扉から響いてきた。
反射的に誰もが扉を振り返る中、王兄だけが穏やかな声で入室を許可する。
一拍後、外側から開かれた扉から姿を現したのは、先ほど室内を出ていった一人の兵だった。
彼は一度頭を下げて礼を取ると、すぐさま頭を上げて素早い動作で横に立ち位置を移動させた。
瞬間、兵の背後から現れた二つの小さな人影に、この場にいる誰もが驚愕の表情を浮かべて息を呑んだ。
そこに立っていたのは美しい容姿をした二人の少女メイド。一人はメイド悪魔のエントマであり、もう一人はこの場にいる誰も見たことのない少女だった。
しかし、見たことがないとはいえ何者であるかは一目瞭然。
メイド悪魔であるエントマと共におり、且つエントマとはまた違った変わったメイド服を身に纏っている美少女。
つまりこの少女も、魔皇ヤルダバオトのシモベであるメイド悪魔の一体なのだと……。
「「「っ!!?」」」
瞬間、この場にいる聖騎士全員が一斉に臨戦態勢を取った。
腰にさしている剣の柄を握りしめる者。実際に剣を引き抜いて構える者。盾を両手で握り締める者。ネイアもまた、ウルベルトに与えられた“イカロスの翼”を握りしめながら腰の矢筒に手を伸ばす。
しかし少女たちはそれらに一切構う様子はなく、ただじっと無感情な瞳をこちらに向けていた。
「皆、落ち着け、彼女たちは我々の敵ではない。既にエントマというそちらのメイド悪魔については知っていると思うが、もう一人の方はヤルダバオトに捕らわれる前に災華皇が支配権を奪うことに成功していたらしい」
カスポンドの説明に、誰もが疑わしげな視線をメイド悪魔に向ける。
しかし向けられている側は一切表情を動かさない。変わらぬ無表情のまま、二人並んで二歩ほど前へと進み出てきた。
「まずは知らない人もいると思うから改めて自己紹介するねぇ~。ウルベルト・アレイン・オードル様のシモベのエントマ・ヴァシリッサ・ゼータですぅぅ」
「同じくウルベルト・アレイン・オードル様のシモベ、
間延びした不気味な響きを奏でるエントマとは打って変わり、シズの声音は淡々としていて抑揚がない。感情を感じさせないそれに、エントマとはまた違った不気味さがあった。
しかしいくら不気味で本性が悪魔であったとしても、見た目はどこまでも可憐な美少女である。この場にいる多くの者が警戒を緩めて困惑のような表情を浮かべ、南方貴族の中には見るからに欲を含んだ視線を向ける者さえいた。
「足を運んでもらい感謝する。君たちに聞きたいことがある。……あの時何が起こったのか、我々に教えてほしい」
カスポンドの言葉に、ネイアはここで漸く何故王兄がこのメイド悪魔を呼んだのかその理由に思い至った。
ウルベルトとヤルダバオト以外にあの戦場にいたのは、謎の白いローブの者たちとメイド悪魔たちのみ。白いローブの者たちが何者なのか分からない以上、もう一方のメイド悪魔に当時の状況などを聞くしかなかった。
他の者たちもそれに気が付いたのだろう、誰もがメイド悪魔に注視し、聞く姿勢を取っている。
メイド悪魔の二人は小さく互いに顔を見合わせた後、再び顔を元の位置に戻してシズと名乗った少女が口を開いた。
「ウルベルト様はヤルダバオトと戦い、追いつめてた。あのままいっていれば勝てていたはず。でも、そこに邪魔者が出てきてウルベルト様に攻撃した」
「「「っ!!?」」」
「ウルベルト様もヤルダバオトとの戦闘で弱ってた。……それまでの魔力消費も原因としてはあったのかも……。とにかく、いつもであれば無力化できたはずの攻撃を受けて、ウルベルト様は倒れた」
「誰が! 誰が閣下を攻撃したのっ!!」
淡々と紡がれる言葉の羅列に耐え切れず、ネイアが勢い込んでシズに詰め寄る。ここがどこかも相手が誰かも頭から吹き飛んで、ただ感情のままに相手の首元を覆っている独特な柄の布を掴んで握り締めた。度重なる戦闘や張り詰めた日常の中で荒れた手に、ひどく柔らかくすべらかな感触が伝わってくる。きっと高価な布で、一介の従者では一生かけても手に入れることなどできないほどの品なのだろう。
しかし今のネイアにとってはそんなことはどうでも良かった。
今頭の中にあるのはウルベルトのことのみ。それ以外のことはどうでも良いとさえ思っていた。
鬼気迫る形相のネイアに詰め寄られて何を思ったのか、メイド悪魔たちは動かぬ表情はそのままに再び淡々とした声音で爆弾を口にしてきた。
「ウルベルト様を攻撃したのは白いローブを身に纏ったモノたち。ヤルダバオトが送り込んだ手下の悪魔」
「「「っ!!?」」」
ウルベルトがヤルダバオトに捕らわれた時もそうだったが、いくら疑っていたからと言って、実際に『そうである』とはっきり言われてしまうとショックを受ける。
今回も正にそれで、白いローブの者たちがウルベルトの敗北の大きな原因なのだと言われて大きな衝撃を受けた。
そして、白いローブの者たちと会っていたレメディオスの姿が頭にフラッシュバックする。
恐らく、そうなったのはネイアだけではないのだろう。愕然となって身動き一つできないネイアに反し、ヘンリーは大きく顔を顰めさせ、アルバもまた顔を歪ませながら拳を強く握りしめていた。
彼らの視線の先にいるのは、こちらも何故か驚愕の表情を浮かべたレメディオス・カストディオ。
何故お前が……という言葉が口から飛び出るその前に、レメディオスは信じられないというかのように頭を横に振ってきた。
「……そんな、馬鹿な……! そんなはずはない! あの者たちが悪魔だなどと……っ!!」
「カストディオ団長、いい加減話してくれ」
動揺を露わにするレメディオスに、カスポンドの厳しい声が飛ぶ。
恐らくこの王兄は既にこのメイドの悪魔たちから事の次第を全て聞いて知っていたのだろう。だからこそ、このタイミングで彼女たちをこの場に呼び寄せたのだとネイアは遅まきながらに気が付いた。
しかしレメディオスの方はまだ頭が回っていないようで、反射的に声をかけてきた王兄に顔を向けたものの、未だその目には混乱の光が強く宿っていた。
「……わ、私は……、あいつらが悪魔であることは知らなかった……。……いや、悪魔であるはずがない!」
「では何者だと思っていたんだ?」
「……っ!!」
まるで追及するかのようなカスポンドの言葉と声音に、レメディオスの目が一気に正気に戻る。
そして混乱の光の代わりに宿ったのは激しい怒りの光。
憎悪すら感じられるその双眸の苛烈さに思わずネイアが小さく息を呑む中、レメディオスは苦々しげに顔を歪ませながら口を開いた。
「……彼らは自分たちのことを、王国の神官であると言っていた。救援を求めて我々が王国を訪れた時、その姿を見て事情を知り、遅ればせながら力を貸したいと思い訪ねてきたのだと」
「なるほど……。だが正体はヤルダバオトの配下の悪魔……。つまり、内部から密かに災華皇を陥れようとはられたヤルダバオトの罠だったか……」
「そう、悪魔にとって契約は何よりも大事。破ることは決してできない。でも、契約に縛られない第三者の手があれば抜け穴を突くことはできる」
「今回ヤルダバオトがウルベルト様と結んだ契約はぁ、『戦闘に参加するのは両者と配下のメイド悪魔のみ。他の悪魔たちは手出ししないように待機させる』っていうものぉ~。でもこれはぁ~、裏を返せばヤルダバオトとウルベルト様の行動を縛ることしかできない契約ぅ~。いくら結果的に契約違反になっても、第三者の行動まで縛ることはできないんだよねぇぇ~」
間延びした口調で説明してくるエントマに、ネイアもその時のことを思い出す。
確かにヤルダバオトは自分たちの目の前でそのようなことを言っていた。そして嘘かもしれないと疑うネイアたちにウルベルトが言っていた言葉も思い出す。
『人間はどうか知らないが、少なくとも悪魔にとっては、何かに誓うということは契約のような意味合いを持つ。契約以外の行動がとれるのは、相手側が承知するか、或いは相手側が契約違反をした場合のみだ』と……。
今回、ヤルダバオトの配下である悪魔を戦場に送り込んだのはレメディオスだ。ならば、いくら悪魔の元々の主がヤルダバオトだとはいえ、少なくともヤルダバオト自身が契約違反を犯したことにはならない。例えそれがヤルダバオトの作戦であったとしても、今回の契約内容だけを考えれば、むしろ契約違反を犯したのはレメディオス……つまりこちら側ということになるのだ。
「………はぁ、まんまと踊らされたと言う訳か……」
大きなため息と共に頭を抱える王兄に、ネイアも言いようのない怒りと苛立ちが込み上げてくる。レメディオスの愚かさとヤルダバオトの策略にまんまと嵌ってしまったという事実に、どうしようもない怒りと情けなさが胸の内で荒れ狂っていた。
しかし続いて聞こえてきたカスポンドの言葉に、自身の感情に呑み込まれかけていたネイアはハッと意識を現実に引き戻した。
「エントマ殿、シズ殿、災華皇はヤルダバオトに捕らわれてしまった。……もし、どこに捕らわれているのか分かるのなら、教えてもらえないだろうか?」
王兄の言葉に、ネイアは無意識に鼓動を大きく高鳴らせた。
そうだ、何故今まで気が付かなかったのだろう。今解放軍にはウルベルトの助力によってメイド悪魔や亜人の一部が加わっている。例え最新の情報を知ることはできなくても、彼らの持つ情報は十分価値の高いものだった。彼らの持つ情報があれば、ウルベルトが捕えられているであろう場所もある程度予想を付けることができるかもしれない。
思わず期待のこもった視線を向ける中、視線の先にいる二人のメイド悪魔は、互いに顔を見合わせながら可愛らしく首を小さく傾げ合っていた。
「う~ん、どうかなぁ~……」
「確かに確率は低い。……でもゼロじゃない」
「ゼロに等しいとは思うけどなぁ~」
暫く互いに何かを相談し合い、続いて結論が出たのか、再びエントマとシズがこちらに顔を向けてきた。
「うぅぅ~ん、多分~、高い確率でヤルダバオトのすぐ側にいらっしゃると思うなぁ~」
「98%、ヤルダバオトと一緒にいる。……でも、重要人物を捕らえている場所が他にないわけじゃない。そこが残りの2%。……実際に、何人か重要人物がまだ捕らわれていたはず」
「重要人物? それは一体……」
「例えば
「「「っ!!?」」」
瞬間、この場にいる全員が驚愕の表情を浮かべて大きく息を呑んだ。
シズが口に出した二番目の名は、間違いなくこの聖王国を統べる聖王女のもの。
思ってもみなかった名前の登場に、この場にいる誰もが暫く身動きもできず声を発することもできなかった。
しかし、それは数十秒間のこと。
いち早く我に返り次にシズに掴みかかったのは鬼の形相を浮かべたレメディオスだった。
「言えぇぇっ!! カルカ様は、カルカ様はどこにいるっ!!!」
「っ!! だ、団長、落ち着いて下さい!!」
「うるさい、放せっ!! カルカ様の居場所をさっさと吐けぇっ!!!」
「……………………」
続いて我に返ったグスターボを筆頭に、多くの聖騎士たちが慌ててレメディオスの身体に手を掛けてメイド悪魔から離そうとする。
しかし流石は聖騎士団団長というべきか、聖騎士たちの力だけではビクとも動かない。そしてそれはレメディオスに掴まれている側も同様で、シズは掴みかかっているレメディオスの力に対して微塵も動くことなく、ただ静かな瞳でレメディオスを見つめていた。
「どうして教えなくてはならないの?」
「知れたことっ! カルカ様をお助けするためだ!!」
「カルカ・ベサーレスの救出については命令を受けていない。優先順位も低い。よって、情報を与えるメリットがないと判断する」
「このっ……、悪魔風情がぁぁあぁぁっ!!!」
「落ち着いて下さい、団長!!」
「下がれ、カストディオ団長!!」
聖騎士たちの静止の声と共に、王兄の厳しい声が飛ぶ。それが功を奏したのか、聖騎士たちは何とかレメディオスをメイド悪魔から引き離すことに成功した。レメディオスも聖騎士たちもゼーッゼーッと荒い呼吸を繰り返している。濃い疲労と焦燥の色を浮かべる聖騎士たちに対し、レメディオスは未だ肩を上下に動かし荒い呼吸を繰り返しながらも鋭い目にギラギラとした光を宿らせていた。
「……はぁ、これは一度休憩を挟んだ方が良さそうだな」
「なっ、そんな時間はありません! 早く災華皇閣下を救い出さなければならないのにっ!!」
「気持ちは分かるが君も落ち着いてくれ。焦った思考で判断しても、それは高い確率で失敗に終わる。まずは各々情報と感情を整理する時間が必要だ」
時間を引き延ばすようなことを言う王兄にネイアはすぐさま咬みつくも、逆にまるで幼い子供を諭すように言われてしまう。彼の言う言葉は尤もで、ネイアは反論もできずに強く唇を噛み締めた。
ネイアが口を噤んだことで、室内に重苦しい沈黙が立ち込める。
しかし王兄はそれに構うことなく、あくまでも毅然とした態度で会議の一時中断を言い渡した。
◇◆◇◆◇◆
「――……とまぁ、このように聖王女が生きているという情報によって解放軍は更なる混乱に陥ると言う訳だ。そして、聖王女を助けようと主張する者とウルベルト様を救うべきと主張する者たちによって解放軍は完全に二分される。これぞ究極の“間引き”と言えるだろうね」
ナザリック地下大墳墓第十階層の玉座の間にて、デミウルゴスが嬉々とした笑みと共に説明する。
分かりやすい悪魔先生の説明に、他の守護者たちも嬉々とした表情を浮かべて顔を輝かせていた。
「つまり、あの王女を生かしていたのは全てこのためってことね!」
「フム、同ジ状態ニアル自国ノ統治者ト他国ノ統治者ガイル状況ヲ作ルコトデ、ドチラヲ救ウカ選択サセ、ソレニヨッテ相手ノ優先順位ヲ把握スル……。流石ハ至高ノ御方、私ニハ考エモツカヌコトダ」
「でも、普通は自国の統治者を選ぶものではありんせんこと? なら、わざわざこんなことをしなくても最初から皆殺しにした方が手っ取り早いと思いんすが……」
「ふふっ、だからこそ良い条件での“間引き”ができるのよ。常識を超えてウルベルト様を選んだ者たちは、間違いなくウルベルト様の崇拝者であると言えるでしょう。将来、この世界を全て魔導国の色に塗り替えていくにあたり、そういった存在は必要だわ」
「わあぁっ、流石は至高の御方様ですっ!!」
アインズとウルベルトが見守る中、守護者たちは各々でとても楽しそうに盛り上がっている。しかし話題の中心となっているウルベルトはどんどんと遠い目になっており、隣に座っているアインズはそんな友の様子に内心ハラハラとしていた。『もう止めてやってくれ! ウルベルトさんのライフはもう0だ!』と言ってやれたらどんなに良かったか……。しかしシモベたちからの信頼を思えば軽率な言動をする訳にもいかず、どうしたものかと頭を悩ませる中で目の前の褐色の悪魔が動きを見せた。
満足そうな笑みを守護者たちに向けた後、徐にこちらを振り返ってくる。
デミウルゴスはウルベルトの前まで歩み寄ると、片手を胸に当て腰を少し折りながら近くなった創造主の山羊の顔を見つめた。
「いかがでしたでしょうか、ウルベルト様?」
「……ああ、よく理解したな、デミウルゴス。流石は私の最高傑作だ」
「恐れ入ります」
ウルベルトに褒められ、デミウルゴスの長い尾が嬉しそうに左右に激しく揺らめく。どうやら返事をする前に空いた不自然な間については気が付いていないか気にしていないらしい。
未だ少し遠い目になっていながらも何とか気持ちを持ち直した様子の友に内心で安堵の息をつく中、その友であるウルベルトは小さく身じろいで玉座に座り直した。
どうしたのかと改めて視線を向けるアインズに気が付いているのかいないのか、ウルベルトは山羊の長い足を優雅に組むと、右肘を玉座の肘掛について右手の甲に軽く顎を乗せた。
そのポーズは紛れもなくウルベルトがロールプレイをする合図。
思わず注視するアインズの目の前で、ウルベルトは未だ腰を折っているデミウルゴスを元の体勢に戻させながら柔らかな笑みを山羊の顔に浮かばせた。
「そうだな、得点としては100点満点中95点と言ったところかな。お前の推理は全て正しかったが、一部分だけ抜けているところがある」
ウルベルトの言葉に、目の前の悪魔は勿論のこと、アルベドや他の守護者たち、そしてアインズ自身も驚愕の表情を浮かべる。
ウルベルトはそんな彼らの様子に笑みを深めた後、穏やかな声音で語られなかった一部の狙いを説明し始めた。
「聖王女カルカ・ベサーレスを生かした理由について、補足説明をさせてもらおう。聖王国の者たちにとって、一番心の支えとなっているのは聖王女の存在だ。それは王兄であるカスポンドであっても代役できるものではない。もしカスポンドを聖王に就かせた後に聖王国を吸収したとしても、聖王国の者たちは意識的・無意識的に関わらず、心のどこかで『もしカルカであったなら……』という考えを捨てることはないだろう」
聖王女カルカ・ベサーレスは、これまでの王族に比べると随分と民に寄り添っていたと聞く。
これまでこれといった悪政をしてこなかったこと。そして何より、例えその姿を実際に目にする民は少なくとも、民の目線に沿った『誰も泣かない、弱い民も幸せに生きられる国を創る』という彼女の言葉は広く聖王国に知れ渡っていた。
彼女は正に聖王国の者にとっては聖女であり、王であり、親しみを持つべき統治者だった。
であるならば、国に変化が起こった時、彼らの思考はどうなるか……。
もしその変化が悪いものであったなら『カルカがいれば……』と涙し、心の拠り所とするだろう。
もしその変化が良いものであったとしても『ここにカルカがいればどうなっていただろう?』と考える者がいるに違いない。
つまり、どんな状況であろうとカルカの影と影響が聖王国の統治に付いて回るということだ。新たな統治者からしてみれば、これほどやりにくいものはない。
「……となれば、聖王女を生かして一度解放軍に合流させ、その後に聖王国の者たちの目の前で落とす必要がある」
「……落とす……?」
「つまり、心の支えという役割から降格させるのさ。そして、ここで何より重要なのは聖王国の者たち自らでカルカの存在を降格させることだ。自分から心の支えでなくさせた者を、後から思い出そうとはしないだろう?」
ニィッと浮かべられた笑みは、ひどく悪魔らしいもの。真正面から見てしまったその笑みにアインズは思わずゾクッと悪寒を走らせた。
しかしウルベルトは感動したような表情を浮かべているデミウルゴスに意識を向けており、先ほどのデミウルゴスと同じようにピッと人差し指を立ててみせていた。
「それから、もう一つ理由がある。……聖王女様に是非とも“最終的な悪役”の役割を担ってもらおうと考えているのだよ」
「“最終的な悪役”、でしょうか……?」
「そうだ。人間は誰しもが心の中で絶対的な悪者を欲している。例えば不幸なことが起こり、それが単なる不運な事故だったとしても、それによって自分に不利益が生じたなら人間はその代償を支払わせる生贄を求めるものなのだよ」
「……………………」
「お前の計画では、その生贄となる悪者はヤルダバオトにする予定だっただろうが、しかしヤルダバオトが私と同じ悪魔である以上、ヤルダバオトを最終的な悪役で終わらせてしまっては今後の統治に支障をきたす恐れがある」
これまでウルベルトは『悪魔は全てが同じと言う訳ではない』ことや『悪い悪魔もいれば、良い悪魔もいる』的なことを解放軍の者たちに事ある毎に伝えてきたつもりだ。しかし、どうしてもこちらの言葉が届かない者は存在する。一時は納得したとしても、心の中では理解しきれていない者も少なからず存在するだろう。そういった者たちを完全に“間引く”ことは難しい。
ならば方法は一つだ。
“最終的な悪役”を悪魔ではなく、他の別の者に担ってもらえばいい。
「聖王女と……ついでにあの団長殿に“最終的な悪役”になってもらう。どちらも“聖”王女に“聖”騎士だ、ある意味聖王国を代表する存在でもある。彼女たちを贄とし、ついでに先ほど言った聖王国民の心の支えからも降格させる。そしてそれは、聖王女が生きているからこそできる作戦だ。……良い考えだと思わないかね?」
まるで悪戯の内容を披露する子供のように無邪気な笑みを浮かべて恐ろしいことを宣う。
友の悪魔の面を目にして恐れ戦くアインズとは対照的に、守護者たちはキラキラと顔を輝かせて何度も大きく頷いていた。デミウルゴスなどは興奮のあまりブンッブンッと激しく尾を振りながら嬉々とした笑みを浮かべている。
ウルベルトは守護者たちに肯定されて気を良くしたのか、満足そうな笑みを浮かべて金色の瞳を怪しく細めさせた。
「……さてさて、賽は投げられた。誰がどちらに転ぶにせよ、全ては彼ら自身の選択から齎された結果だ。俺たちは暫く高みの見物に洒落込みましょう」
まるで歌うように言う山羊頭の悪魔に、守護者たちは笑みを浮かべたまま恭しく頭を下げる。
アインズは一つ小さな息をつくと、どこまでも楽しそうな友とシモベたちの姿に思わず骨の顔に小さな苦笑を浮かばせた。
そこには既に先ほどまでの恐怖の色は全くない。
あるのは友に対する親しみのみで、アインズは生き生きとしている友の姿に最後には柔らかな笑みを浮かべるのだった。
シズの口調が若干迷子中……。
違和感などありましたら申し訳ありません……(土下座)