災厄の悪魔は正義を嗤う   作:ひよこ饅頭

24 / 25
お待たせいたしました、漸く執筆再開です!


第22話 水面下の微笑み

 無人だった室内の扉が不意に外側から開かれる。

 現れたのは骸骨と山羊頭の悪魔の二体の異形で、彼らは躊躇いなく室内へと足を踏み入れた。まずは骸骨が近くにあったソファーに腰を下ろし、続いて山羊頭の悪魔が向かい合うような形で一人用のソファーに身体を沈める。そして二体はほぼ同時に深く重く長く大きなため息を吐き出した。

 ここはナザリック地下大墳墓第九階層にあるアインズの私室。

 第十階層の玉座の間で守護者たちとこれまでのことを話した後、アインズとウルベルトはシモベたちに一時解散を命じると自分たちはプライベートルームに引き上げたのだった。

 シモベたちの目が一切ない場に逃げ込めたことで漸く一息がつけ、アインズはそのままダラリとソファーに深く背を預ける。一方、向かいに座るウルベルトは優雅に足を組むと、大きなため息を吐いた姿勢を正してクスクスと笑い声を零していた。

 

「随分とお疲れのようですね、モモンガさん」

「……一体誰のせいだと?」

「さあ、誰でしょうね~」

 

 ワザとらしくジロッと睨むも目の前の悪魔はどこ吹く風。組んだことで宙に浮いた右側の足先をユラユラと揺らす様に、アインズはもう一度大きなため息をついた。

 

「そりゃあ、疲れますよ。……ウルベルトさんだってさっき大きなため息ついてたじゃないですか」

「まぁな。でも、もう幾らか回復した。それにほら、俺悪魔だから疲労のバッドステータスないし」

「俺だってアンデッドですよ」

 

 言外に『肉体ではなく精神的疲労だ』と伝えれば、ウルベルトも『分かってますよ』とばかりににっこりとした微笑みを浮かべてくる。その一癖も二癖もある胡散臭いまでの爽やかな微笑に、ふと朱色の悪魔の姿が重なって見えた。流石は親子だな~……と現実逃避のように心の中で呟く。しかしすぐさま小さく頭を振ってぼんやりとした思考を吹き飛ばすと、半ば無理矢理頭を切り替えた。

 

「……それにしても、さっきはすごかったですね。正直、ウルベルトさんがあそこまで考えていたとは思いませんでした。いつの間にあんな策士になっていたんですか?」

 

 玉座の間での会話を思い出し、小さく首を傾げながら山羊頭の悪魔に問いかける。しかし悪魔は金色の山羊の目をぱちくりと瞬かせると、次にはおかしそうにククッと喉を鳴らしてきた。

 

「策士って……。いやいや、そんなわけないでしょう。玉座の間での会話は殆ど、いつも通りのデミウルゴスの勘違いと想像ですよ」

「えぇぇっ!? い、いや、でも、ウルベルトさんだってデミウルゴスと同じくらい胸張ってドヤ顔してたじゃないですか! 最後には補足なんかもしちゃってたし……」

「ああ、あれですか。あれは唯の思い付きですよ。あの場でふと思いついたから言ってみただけです。聖王国での行動も……まぁ、少しは狙ってやってた部分もありますけど、デミウルゴスみたいに深く考えてやってたわけじゃない」

「……えぇぇー……」

 

 あっけらかんと言ってくる悪魔に、こちらは開いた口が塞がらず言葉も出てこない。『いやいや、思い付きでやってたって嘘だろ……』というのが正直な思いだった。

 玉座の間で聞いた計画内容は――その善悪や残虐性などは別にして――聞いていて大いに納得できるものだった。『全て狙ってやった』と言われても驚愕だが、『思い付きのままやったらこうなった』と言われても、それはそれで脅威に思えた。

 確かにアインズとて今までずっとその場のノリや思い付きで行動してきた。しかし今回のウルベルトとこれまでの自分とを比較した時、どうにも自分とは全く違うようにしか感じられなかった。

 その中でも大きく違うのは、全体的な流れの傾向とその緻密さだ。

 アインズの場合、どうしても行き当たりばったりな傾向が強く、それはアインズ本人も自覚している。アインズもアインズなりにいろいろと考えながら一つ一つを判断して行動しているのだが、いかんせんそれらは単発的なものが殆どだった。しかしその単発的な行動を守護者たちが全て変に捉えて繋げてしまい、最終的に複雑な流れが完成してしまうのだ。その度にアインズ自身も四苦八苦しながらなんとか納得できるように話を組み立て直すのだが、それを更に守護者たちが変に受け取ってしまうのだから手に負えない。その最もたる存在が目の前の悪魔の最高傑作なのだからアインズとしては頭が痛く感じられた。

 しかし、ウルベルトの場合は違う。

 デミウルゴスが説明した内容もウルベルトが話した内容にも、こんがらがったような複雑さは一切なかった。まるで全てが最初からそうであったかのように綺麗な流れを作り出しており、そこには少しの綻びもない。ウルベルトが四苦八苦している様子も一切なく、一体自分と何が違うのかと知らず大きく首が傾いてしまうほどだ。

 実際に首を傾げるアインズに、ウルベルトは更におかしそうに喉を震わせる。悪魔は暫く笑った後、一つ大きく息をついて肩を竦ませた。

 

「そこまで大したことじゃありませんよ。自分の中で大体の大筋は考えて決めておいて、後はその場のノリで行動しただけですし。細かい部分はデミウルゴスの想像に任せてる感じですね。ほら、モモンガさんもよくやってるでしょう? 『私の考えを看破するとは流石だ!』っていうアレと同じですよ」

「いや、それはそうなんでしょうけど……。それにしては俺と違って苦しいところが一切なく感じたんですけど……」

「それはまぁ、デミウルゴスは俺と同じ悪魔だからな。それにデミウルゴスは俺が創ったから、そもそもの考え方がある程度俺と似ているだろうし」

「なるほど……。思考回路が一緒、或いは似通っているというのは結構重要そうですね……」

 

 ウルベルトの推測に、顎に手を添えながら何度も頷く。しかし仮にその推測が当たりだったとして、それを自分自身に活用するのは難しそうだった。

 なんせ、そもそも悪魔の思考というのが良く分からない。いや、この場合は『ウルベルトとデミウルゴスの思考が良く分からない』と言った方が正しいのかもしれない。

 なんせこの二人は唯の悪魔ではないのだ。

 唯の悪魔の思考回路であれば、ただ単純に全てを残虐的に考えれば良いだけだろう。しかしウルベルトとデミウルゴスの思考回路には残虐性だけではないあらゆるものが含まれているようにアインズは感じていた。それこそ、ウルベルトが良く言っている『悪の美学』という奴だろうか。もしそうであるならば、尚のことアインズでは彼らの思考を事前に予想することなどできないように思われた。

 

「……そういえば、ウルベルトさんの言う大体の大筋ってどんなものなんですか?」

「ん?」

「さっき“自分の中で大体の大筋は考えて決めている”って言っていたでしょう? 今回の聖王国攻略作戦は本当はどんな大筋を考えていたんですか?」

「ん~、そうだな~……。まぁ、あまり死人が出過ぎないようにとは考えてましたかね……。あいつの計画は効果的だけど死人が出過ぎる」

「えっ、いや、でも、それにしては“遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)”で様子を見る度にノリノリでいろいろやらかしてたように見えましたけど……」

「そりゃあ、まぁ、そうはいっても俺も大抵は『今より面白くなりそうかな~』って感じで行動してましたからね」

「うわ~、悪魔だ~」

「悪魔ですよ」

 

 互いの軽やかな掛け合いに、どうしようもなく笑いの衝動が湧き上がってくる。

 思わず吹き出すように笑い声を零せば最後。まるで堰を切ったかのように次々と零れ出る笑い声に、アインズとウルベルトは暫く互いに朗らかに笑い合った。

 

「ははっ! まぁ、そうは言ってもどっちみち酷いことになってるのは否定しませんがね。けど、俺だって別に聖王国を滅ぼそうと思っている訳じゃありませんよ」

「う~ん、嘘くさい」

「ひどいな~。勿論楽しんでいることも認めますがね。ただ、別に俺から貶めたりはしてませんよ」

「……え……?」

 

 意外な言葉に、アインズは思わず目を瞬かせた。実際には瞼などないため眼窩の紅の灯りが点滅しただけだったが、ウルベルトはしっかりとアインズの表情を読み取ったようだった。なおもクスクスと笑い声を零しながら、ウルベルトはひょいっと肩を竦ませた。

 

「聖王国の今の状況は別に俺がそうなるように誘導したわけじゃない。確かに少し煽ったりはしましたけど、別にワザとどん底に突き落とそうとまではしてませんよ。逆に多少の手助けや幾つかのヒントもあげてきたはずなんですけどねぇ~。全てはあいつら自身の選択が招いた結果ですよ」

「……………………」

 

 まるで歌うように宣う悪魔に、アインズは無言のまま再び顎に手を添え、果たしてその言葉通りだったかと記憶を巡らせた。“遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)”で見た光景や定期的にアルベドとデミウルゴスから聞かされた報告の内容を思い出す。

 頭に浮かぶ幾つもの情報を元に暫く熟慮した後、アインズはジワジワと寒気が背骨を這い上るような感覚に襲われた。

 言われてみれば確かに、ウルベルト自身は一切聖王国が不利になるようなことはしていなかった。

 勿論、時折レメディオスに対してちょっかいを出してはいたが、そもそもそれもレメディオスの態度が論外であったからこそ問題になっただけであって、言うなれば聖王国側が招いた結果とも言える。その他にウルベルトがしたことと言えば、先ほどの言葉通り、聖王国に手を貸したり、小さなヒントを与えていたくらいだ。もし聖王国がウルベルトの手助けを最大限活用し、与えられた幾つものヒントに全て忠実に従っていたなら、恐らく今ほどの悲惨な状態にはなっていなかっただろう。

 ならば何故聖王国が今このような状態に陥っているのかというと、ウルベルトの言葉通り、全ては彼らの選択によってもたらされた結果だった。

 ある時はヒントを無視し、ある時はそれがヒントであることすら気が付かず、彼らは自分たちの判断の元に自ら闇の奥へ奥へと落ちていった。自分たちでも出来ると自らの力を過信し、時にウルベルトの手助けすらも拒否し、受け入れずに命を落とした者も多くいただろう。ウルベルトに助力を求め、正しくウルベルトの力を活用できていたのは、アインズの知る限りでは聖騎士団副団長のグスターボ・モンタニェスと聖騎士のヘンリー・ノードマンと神官のアルバ・ユリゼンの三人くらいだろうか。ヒントに至っては、殆どが無視されていたような気がする。

 

(……う~ん、まぁ、それに関してはヒントを与えるのが殆どあの聖騎士団団長か王兄に成りすましてる二重の影(ドッペルゲンガー)だったから仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないけど……。)

 

 そもそもヒントを与える人物が間違っていると思わなくもなかったが、しかしそこまでこちら側に求めるのは筋違いというものだろう。第一、彼らの立場を考えればヒントを与える人選も間違っているとは言えないのだ。

 やはりウルベルトではなく聖王国側が悪いな……と判断すると、アインズは無言で一つ頷いた。

 

「納得してくれました?」

「まぁ、一応は……。つまり、ウルベルトさんは全てを彼らの選択に任せていて、今後もそのスタンスは変えないってことですか?」

「そうだな。基本的には今まで通りで行こうと考えてます。彼らがどんな選択をしてどういった結末を迎えるのか、興味深くないか?」

「悪趣味に思えなくもないですが……、否定はしませんよ。でも、彼らが正しい選択をしたらどうするんですか? 例えばさっき玉座の間で言ってた聖王女の件だって、彼らの選択によっては“最終的な悪役”にできなくなるんじゃないですか?」

「だろうな」

 

 懸念を口にすれば、悪魔はあっさりと頷いてくる。

 再びあっけらかんとした態度に、アインズは思わず呆気にとられた。

 

「いやいやいや、『だろうな』じゃないでしょう! どうするんですか!」

「だから、どうもしないさ。俺はそもそも見極めるために聖王国に行ったわけだしな。彼らが正しい選択をしたのなら、それはそれで構わない。また別の方法を考えれば済むことさ」

「……その別の方法を考えるのはデミウルゴスに丸投げするつもりなんですよね?」

「あははっ、本当にウチの子は優秀で嬉しいな~」

 

 ワザとらしく笑い声をあげる悪魔に、思わずジトッとした視線を向ける。ウルベルトの声音が完全棒読みに聞こえるのは勘違いではないだろう。これではデミウルゴスが可哀想だ……と考えかけ、しかし途中でふと何故か嬉々として銀の尾をブンッブンッと振っているデミウルゴスの姿が頭に浮かんできた。

 

「大丈夫ですよ。あいつ、俺に頼られたりするとすっごく嬉しそうですし。多少の無茶振りをしても『期待して下さっている!』って逆に燃えるみたいで……」

 

 まるでこちらの思考を読んだかのように、ウルベルトが言葉を続けてくる。その声音には並々ならぬ実感のようなものが込められているような気がして、アインズは思わず改めてウルベルトへと目を向けた。悪魔の金色の瞳が遠い目になっているのを認め、アインズもまた思わず半笑いのような笑みを浮かべた。ウルベルトの言うデミウルゴスの姿が鮮やかに想像でき、何とも言えない脱力感が湧き上がってくる。

 この口振りからして、ウルベルトは実際に既にデミウルゴスとそういった会話をしたことがあるのかもしれない。ならばこれほど説得力のあるものはないだろう。

 アインズは小さく息をつくと、この件についてはこれ以上突っ込まないことにした。代わりにウルベルトの思考について思いを巡らせる。

 今回、聖王女を利用しようと言っていたウルベルト。そして今は、全ては聖王国の者たちの選択次第だと言っている。『人間は悪役を欲している』という言葉も、『全てを相手の選択に委ねる』という考え方も、思えば現実世界(リアル)での過去があったからこそなのかもしれないとふと思った。

 自分たちが生きてきた現実世界(リアル)はひどく薄汚れて澱んでいて、貧困層であればあらゆる悪意に呑まれる機会が多かった。

 “それ”に自身が関わっているかどうかなんて関係ない。何かが起こり、その場に自分がいれば、悪意は間違いなくこちらに襲い掛かってくる。“悪役”を決め、それを退治し、自分は“正しい”と正当化して心の平穏を保つ。

 そう考えれば、なるほど確かに人間は“悪役”を欲するものであるらしい。

 また、選択肢についても同じだ。

 現実世界(リアル)では……その中でも貧困層の者は特に選択肢というもの自体がそれほど存在してはいなかった。

 生きるか死ぬかは決められる。しかし、どうやって生きるかの選択肢は存在しない。

 それを思えば、選択ができるだけでもマシと言うものだろう。

 選択肢すら与えられず、決められた道を泥水を啜るかのように生きてきた自分たち。片や、救われる選択肢があるにも拘らず、自らの選択によって地獄に落ちていっている聖王国。

 もしかすれば『全てを彼らの選択に任せる』と決めたウルベルトの中には強い皮肉の意も含まれているのかもしれない。

 しかし例え本当にそうであったとしても、アインズにはウルベルトを止める気持ちは欠片もなかった。

 動く感情など存在しない。あるとすれば、その皮肉を抱いているウルベルトに対するものとナザリック全体に対するものだけだ。それで良いのだと心の底から思っている時点で終わっているのかもしれない……と心の底で独り言ちながら、アインズは静かに小さな自嘲の笑みを浮かべた。

 

 

「――……さて、彼らの選択によってはモモンガさんの力も借りるかもしれないので、その時はよろしくお願いしますね」

 

 こちらの表情や思考に気が付いているのかいないのか、ウルベルトは変わらぬ笑みを浮かべたまま弾んだ声を投げかけてくる。

 アインズは思わず小さく息をつくと、浮かべていた自嘲の笑みを普通の笑みに変えて一つ頷いて返した。

 

「……分かっていますよ。ただし、その時はウルベルトさんもフォローをお願いしますね」

「ええ、勿論。頼りにしてますよ、ギルマス」

 

 ウキウキしている様子の悪魔に、アインズはやれやれと頭を振る。

 しかしアインズもまた、大きな確率で訪れるであろうウルベルトとの共同作戦に自身の心が楽しげに弾んでいるのを感じていた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 同じくナザリック地下大墳墓第九階層の住居エリア。

 階層守護者の中では唯一このエリアでの私室を与えられたアルベドは、現在朱色の悪魔を招いてティータイムを楽しんでいた。

 尤も、この二人の間に個人的かつ親密な繋がりがあるわけではない。アルベドとデミウルゴスが今この場にいるのは、先ほど玉座の間で述べられた一連の計画と今後の計画について意見を交わし合うためだった。

 部屋の隅に控えていた一般メイドが徐に歩み寄り、中身が少なくなったアルベドのティーカップへと新たな紅茶を注ぎたす。

 最後に一礼と共に下がるメイドに、しかしアルベドは一切意識を向けることなく、当然のように注ぎたされた紅茶を一口飲んでから改めて目の前の悪魔を見やった。

 

「取り敢えず、ここまでご苦労だったわね、デミウルゴス。アインズ様とウルベルト様も大変お喜びのご様子だったわ」

「いや、先ほど玉座の間でも言ったけれど、全てはウルベルト様のお力によるものだよ。ウルベルト様の深き叡智を思えば、私などまだまだだと痛感させられたよ」

 

 小さく頭を振る悪魔は、しかしその言葉に反して嬉々とした笑みを浮かべている。目の前の悪魔が今何を思っているのかを正確に読み取り、アルベドは同意するように柔らかな微笑を浮かべながら小さく頷いた。

 

「ええ、本当に。流石は至高の四十一人の御一人であり、アインズ様の盟友でいらっしゃるわ。至高の御方々の叡智はわたくしたちの思考など飛び越えて、世界全体を見据え、何百年も先の未来を見据えていらっしゃる。……本当に恐ろしい御方」

 

 最後の言葉は熱い吐息と共に吐き出され、アルベドの顔に浮かんでいる表情は恍惚とした笑みに蕩けている。

 アルベドは湧き上がってきた畏敬と崇拝の念に一度フルッと全身を小さく震わせると、一息の後に元の冷静な表情へと戻した。

 

「それで、デミウルゴス……、これからはどう動く予定になっているのかしら?」

「ふむ、全ては聖王国側の選択次第だろうね。幾つかパターンを想定して計画を立てているので、そのどれかになるとは思いますが」

「聖王国側の選択次第……。何故ウルベルト様は事ある毎に敢えてあの者たちに選択を委ねるのかしら。ウルベルト様であれば、彼らをご自身のご計画に引きずり込むことなど容易でしょうに」

 

 疑問の言葉と共に小さく首を傾げる様は、普段の清涼な雰囲気から一変してとても可愛らしい。まるで幼気な少女のような可愛らしさを見せるアルベドに、しかしデミウルゴスは一切心を動かした様子もなく笑みを深めるだけだった。

 

「それに関してもウルベルト様には深い思惑があるのでしょう。……考えられるとすれば、敢えて選択肢を与えることで人間という種族の非力さや愚かさを彼ら自身に知らしめるため、というものだが……。その他にも何かしらの狙いがあることは間違いないだろうね」

「ええ、私もそう思うわ」

 

 悪魔の言葉に満足し、アルベドは満面の笑みを浮かべて一つ頷く。

 悪魔の言う通り、至高の御方であるウルベルトがそれだけのために聖王国側に選択肢を与えているとは思えない。もっと深い狙いがある筈なのだ。その詳しい内容に思い至れぬ自身の愚鈍さに知らず出そうになったため息を咄嗟に呑み込みながら、アルベドは目の前の悪魔の表情をじっと見つめた。

 銀縁の眼鏡に飾られた褐色の顔にはいつもと同じ笑みが浮かんでおり、そこには至高の御方に対する崇拝の念しか見られない。しかしどうにもいつもと違う色が隠れているように思えて、アルベドは更に悪魔の表情に目を凝らした。

 

「……あなたは現地にいたのだから、私たち以上に何かしら感じるものがあったのではないかしら」

「ふむ、どういう意味かね、アルベド?」

「ふふっ、そんなに警戒しないでちょうだい。私はただ、あなたが羨ましかっただけなの。私の役目はこのナザリックの管理の代行と守護。勿論、とても栄誉ある務めであることは分かっているけれど、至高の御方々と共に何かの計画を実行するというのはとても魅力的で羨ましく思えてしまうのよ」

 

 思わずといったように苦笑を浮かべるアルベドに、デミウルゴスも同意するように頷いてくる。

 アルベドの言葉はナザリックのシモベならば誰しもが心の内に思うであろう“欲”であり、当然のものだった。恐らくナザリックのモノならば、アルベドの言に苦言を呈するどころか心底同意を示すことだろう。

 

「正に君の言う通りだね。我々は御方々にお仕えするべく創造された被造物。御方々のすぐ傍でお仕えしたいと望むのは、至極当然の感情だと思いますよ」

「ふふっ、ありがとう、デミウルゴス」

「それに、御方と共に何かを遂行するというのは、それだけ御方の深い叡智や偉大さをより強く感じることができるということ。私も今回のことで何度ウルベルト様の思慮深さや人心掌握の見事さに敬服し、この身を震わせたことか……!!」

 

 感極まったかのように嬉々とした声を上げながら実際に身を小さく震わせる悪魔に、アルベドは再び羨望の欲を胸に湧き上がらせる。

 しかし今回はそれを面に出すことなく胸の内に押し込めると、いつもの微笑と共に小さく頷いてみせた。

 とはいえ、どんなに取り繕おうとしたところで元来素直な性格の彼女である。柔らかな弧を描いている唇から零れ出たのは、彼女の感情を素直に表すものだった。

 

「……嗚呼、本当に羨ましいわ。わたくしも同じような御役目を頂きたいもの……」

 

 ほぅ……と熱のこもった吐息を零す女淫魔に、悪魔の常につり上げられている唇の端が更に大きくつり上がった。

 

「聖王国の選択次第では、君も役目を貰えることでしょう。そしてそうなる確率は非常に高い……。もしそうなった時には、よろしくお願いしますよ、アルベド」

「ええ、勿論よ。……くふふっ、今から楽しみだわ」

 

 一般メイドたちが見守る中、悪魔と女淫魔の不気味な笑い声が楽しげに響き続けた。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……くそっ…!!」

 

 鋭い声と共に鈍い打撃音が響く。

 苛立ちのあまり近くにあった建物の壁に拳を打ち付けたネイアは、じんじんと痛みを訴える拳の感覚と共に決して消えることのない苛立ちに顔を大きく歪ませた。

 儘ならぬ現実に怒りと遣る瀬無さが募る。災華皇(さいかこう)を助けたいのに行動できぬ我が身が憎らしく、そしてもどかしくて仕方がなかった。

 一体どうすれば良いのかと唇を噛み締める中、不意に背後から聞こえてきた足音にハッと我に返って勢いよく背後を振り返った。

 

「っ!! おっと、すまねぇ。驚かせちまったみたいだな」

「会議はどうなった? 閣下の救出はいつ頃になりそうなんだ?」

「……あ、あなたたちは……」

 

 背後に複数の男たちが立っていたことに思わず目を見開く。

 数十人と集まっている男たちは、自分の指揮下にある弓兵部隊の者たちや他の部隊に割り振られた者たち、病気や年齢によって兵にならずにすんだ聖王国民たち。中には少数ながらも聖騎士や神官の見習いたちまでもが顔を覗かせていた。

 彼らは一様に真剣な表情を浮かべながら真っ直ぐにネイアを見つめていた。

 

「閣下は俺たちを守るために悪魔どもに捕まっちまったんだろう? 早く助けに行かないと……!!」

「閣下は俺たちをずっと助けて守ってくれた……。次は俺たちが閣下を助ける番だ!」

「暗闇の中を静かに進めば、いくら悪魔や亜人共でもそうそう俺たちを見つけられやしないだろう。後は閣下がどこにいるか場所さえ分かれば良いんだが……」

「馬鹿野郎、例え分からなくても行くんだよ! 閣下を見捨てたとあっちゃ、ガキどもに恨まれちまう!」

「ああ、俺もだ! 閣下には子供たちやかみさんも世話になったからな。ここで行かなけりゃ、どやされちまうぜ」

「……皆さん……」

 

 口々にかけられる思いがけぬ言葉に、思わず呆然となる。しかし同時に、多くの者が自分と同じように災華皇のことを想ってくれていたという事実に、ネイアは熱い思いが込み上げてくるのを感じた。

 できるなら、彼らと共にすぐにでも災華皇を助けに向かいたい。

 しかしそうできない現実を思い出し、ネイアは途端に苦々しい表情を浮かべた。

 

「……皆さん、ありがとうございます。皆さんの気持ちはとても嬉しいです。でも、残念ながら今は動けないんです。閣下を助けに行こうにも居場所すら分からない状況では動きようがありませんし、魔導国に助けを求めようにも、まだその許可すら王兄殿下から頂けていません。このまま勝手に動けば、最悪反逆罪として処罰されてしまうかもしれません」

「何だって!? どうして許可がもらえないんだ?」

「まさか閣下を見捨てるつもりなのか!?」

「……救出どころか魔導国へ行くことすら許可しないっていうのは解せないな。何故、上の連中は魔導国に使者を向かわせることすら許可しようとしないんだ?」

 

 ネイアの言葉に、男たちが途端に驚愕の声を上げてくる。

 その中で一際刺々しい声音が驚愕の声を遮って質問を投げかけてきた。

 声の方に視線を向ければ、そこには以前災華皇に真正面から非難を口にしていたギョロ目の男が眉を顰めながら立っていた。

 まさかこの男もいるとは思わず、ネイアは少なからず驚愕に小さく目を見開く。あれだけ閣下を非難していた男が何故……? という気持ちが湧き上がってくるものの、ネイアは努めて平常心を心掛けながら男の問いに言葉を返した。

 

「聖王女……様の消息がつかめたからです。王兄殿下がどう考えていらっしゃるかは分かりませんが、少なくとも一部の聖騎士や神官たちは、聖王女様の救出に戦力を集中するべきだと考えています」

 

 包み隠さず正直に話すネイアの言葉に、この場に集う男たちの反応は非常に様々だった。

 ある者は驚愕の表情を浮かべ、ある者は納得したように頷き、ある者は迷うように視線をさ迷わせ、ある者は考え込むように眉間に皺を寄せて顔を俯かせる。

 肯定的な反応と否定的な反応は半々といったところで、何とも言えない沈黙がこの場に重くのしかかった。

 しかしそもそもの問いを発したギョロ目の男だけはひどく顔を顰めて眉間に深い皺を刻んでいた。

 

「聖王女……? ……フンッ、聖王女が何だっていうんだ。あいつらが俺たちに何かをしてくれたか? たとえ助け出せたとしても、聖王女に悪魔や亜人どもをどうにかできる力があるとは思えない。……奴らをどうにかできるのは、災華皇だけだ……」

 

 少し不貞腐れたような表情を浮かべながらもはっきりと言い切った男にネイアはまたもや驚かされた。一体彼の身に何が起こったのかと大きな疑問が湧き上がってくる。

 しかし、何より彼の変化がネイアには嬉しかった。

 あんなにも災華皇を非難していた男が、今では誰よりも災華皇の力を認めている。やはり閣下は偉大な方なのだと、尊敬の念が胸に湧き上がってきた。

 ネイアは男の言葉に勇気づけられ、先ほどまで考えていたことを彼らに相談してみることにした。

 しかし……――

 

 

 

「――……おい、小娘……」

「っ!!?」

 

 突然かけられた野太い声にネイアはビクッと肩を跳ねさせた。慌てて声のした方へ振り返ってみれば、いつの間にいたのか、すぐ側に亜人たちが立ってこちらを見下ろしていた。

 災華皇が初めに配下にした獣身四足獣(ゾーオスティア)魔現人(マーギロス)石喰猿(ストーンイーター)を先頭に、彼らの配下である亜人たちがそれぞれ彼らの背後に控えるように立っている。

 突然の亜人たちの登場に、ネイア以外のこの場にいる全員が驚愕と恐怖に身体を強張らせた。

 しかし亜人たちはそれを気にする様子もなく、ただ真っ直ぐにネイアだけに視線を向けていた。

 

「小娘、災華皇が支配下に置いた悪魔の娘どもは今どこにいる」

「悪魔の娘……、あっ、えっと、メ、メイド悪魔たちのことでしょうか……?」

「そうだ。そいつらが今どこにいるか教えろ」

 

 ゾーオスティアの言葉に、ネイアはいくつもの疑問符を頭上に浮かべる。思わず魔現人やストーンイーターに視線をやるが、しかし話をするのはゾーオスティアだけとでも決めているのか、二体ともネイアの視線を無視して口を噤んで開こうとしない。

 このまま見つめ続けたところで情報を得られるとは思えず、ネイアは仕方なくゾーオスティアへと視線を戻した。

 

「先刻までは会議の場にいましたが、今はどこにいるか分かりません。……メイド悪魔たちに何の用ですか?」

「悪魔の娘どもであれば魔導国の場所も知っているだろう。俺たちはこれから魔導国へ向かう」

「えっ!?」

 

 聞き捨てならない言葉を聞いて、ネイアは思わず目を瞠ると同時に大きな声を上げた。それは他の聖王国の者たちも同様で、驚愕の表情を浮かべて亜人たちを見つめている。

 まるで穴が空くほどの強い視線に、ゾーオスティアと魔現人は嫌そうに顔を歪め、ストーンイーターは不気味な笑みを浮かべてきた。

 

「………なんだ……?」

 

 こちらの視線に耐えかねたのか、ゾーオスティアが嫌そうな表情はそのままに口を開いて問いかけてくる。

 ネイアは『待ってました!』とばかりに勢いよくその言葉に飛びついた。

 

「もし本当に魔導国に行くのであれば、私も連れて行ってください!!」

「断る」

 

 しかし返されたのはにべもない拒否の言葉。

 思わず再び目を見開くネイアには構わず、ゾーオスティアはフンッと不遜な態度で鼻を鳴らした。

 

「俺たちと言えど、悪魔たちの領域を渡って聖王国を出るのは至難の業なのだ。加えて貴様のような足手まといを連れて行くなど冗談ではない」

「で、でも、私は魔導国の場所を知っているので、道案内をすることができます!」

「たとえそうであっても断る」 

「そもそも、お主たちは聖王国の人間。それを勝手に国の外に出したとあってはわしらの立場が一層悪くなるじゃろう。もし本当に一緒に行きたいのなら、まずはお主らの首領に許可をもらうことじゃな」

 

 ゾーオスティアに続き、ストーンイーターも不気味な笑みを浮かべたまま忠告のような言葉をかけてくる。

 二体の尤もな言葉に、ネイアは思わず強く唇を噛み締めた。知らず、喉の奥から唸り声のような声が零れ出る。

 許可など、貰えるものならとっくの昔に貰っている……と言うのがネイアの正直な思いだった。

 先ほどの会議でも散々災華皇の救出と魔導国への救援要請を唱えてきたが、どちらも許可の言葉を得ることはできなかった。だからこそ藁にも縋る思いで申し出たというのに、ここでも『許可を貰え』と言われてしまっては一体どうすれば良いのか。

 しかし亜人たちにとってはネイアの苦悩などどうでも良いことなのだろう。口を噤んだまま顔を大きく歪めるネイアに、亜人たちはどこまでも冷ややかな視線を向けてきた。

 

「……悪魔の娘たちの居場所を知らないのならば仕方がない。他を当たるとしよう」

「ま、待って下さい! どうしても一緒に連れて行ってくれるわけにはいきませんか!?」

「くどいぞ、小娘。そもそも、俺たちに貴様を連れて行ってやる謂れなどないはずだ。そんなにも魔導国に行きたいのならば、首領の許可を得て勝手に行くが良い」

「その許可がもらえないから頼んでいるんです! それにあなたたちだって、ここを去るには王兄殿下からの許可がいる筈です!」

「っ!? ふはははっ、本気でそう思っているのか?」

「ど、どういう意味ですか?」

 

 何故ゾーオスティアが突然笑い出したのかが分からず、ネイアは思わず小さく眉を顰める。

 幾つもの疑問符を頭上に浮かべて内心首を傾げるネイアに、今まで沈黙を守っていた魔現人までもが口を開いてきた。

 

「我らは聖王国に下ったのではなく、災華皇に下ったのじゃ。つまり、聖王国に我らの行動を阻む権利などない。聖王国からの許可を得られようが得られまいが、わらわたちには関係のないことよ」

「っ!!」

 

 見下すような視線と共に言い放たれた言葉に、ネイアは思わず小さく息を呑んだ。同時に、自分と亜人たちとの立場の違いを思い知らされ、込み上げてきた悔しさに強く唇を噛み締めた。

 亜人たちの立ち位置はネイアにとって心底羨ましいものだった。

 自分もできることなら災華皇の配下となって、災華皇のために行動したい。災華皇を尊敬し、忠誠を誓い、何よりこの地において災華皇のことを誰よりも分かっているのは自分のはずなのだ。だというのに、何故そんな自分が災華皇のために動けず、亜人たちが災華皇のために動くことができるのか。

 ギリィ……という軋んだ小さな音と共に唇に痛みが走ったその時、不意に再び別の声に名を呼ばれてネイアは反射的にそちらへと振り返った。

 

「――……ネイア・バラハ、こんなところにいたのか」

「……ウィーグランさん……」

 

 視線の先にいたのは、駆け足でこちらに歩み寄ってくるオスカー。

 聖王国民や亜人たちもが注視する中、オスカーはいつもの無表情のまま真っ直ぐにネイアの目の前まで近づいてきた。

 

「ウィーグランさん、私に何か御用でしょうか?」

「王兄殿下と聖騎士団副団長がお呼びだ。これから一緒に来てもらいたい」

「殿下と副団長が……?」

 

 思わぬ人物の名詞がオスカーの口から出てきたことに、ネイアは思わず訝しげに眉を顰める。

 しかしオスカーはそんなネイアの反応に構うことなく、次にはすぐ近くに立っていたゾーオスティアへと視線を移した。

 

「それから、ラージャンダラー殿。お探しのメイドの悪魔たちについてだが、彼女たちも現在殿下と副団長の元にいる。話が終わり次第そちらに連れて行くので、それまで待っていて貰いたい」

 

 恐らく亜人たちはネイアの元に来る前にオスカーにも声をかけていたのだろう。どこまでも淡々と説明するオスカーに、ゾーオスティアは獰猛な虎の顔にニヤリとした笑みを浮かばせた。

 

「ほう、ならばちょうどいい。俺たちも貴様らに同行させてもらうとしよう」

「っ!! 一緒に来るつもりか?」

「だからそう言っている。そもそもコソコソと出ていくようなこと自体、俺は気に入らなかったのだ。そこに悪魔の娘どもがいるのなら、共に行ってさっさと情報を得るとしよう」

 

 突然の発言に、ネイアは勿論のことオスカーも驚愕に目を見開く。しかし亜人たちは誰もが乗り気なようで、ゾーオスティアだけでなく魔現人やストーンイーターまでもが頷き合って同意を示していた。

 どうやら彼らの中では既に一緒にカスポンドとグスターボの元に行くことは決定事項であるらしい。

 亜人たちが一緒に来た場合の騒動が容易に想像でき、それだけで頭が痛くなってくる。

 しかしネイアにもオスカーにも亜人たちを止めるだけの力があるわけもなく、二人はチラッと顔を見合わせると、ほぼ同時に深く重いため息を吐き出すのだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。